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ここには旧掲示板・声の広場の過去ログ(2004-09年分)をまとめてあります(長いので注意!) テストです 野中邦子 投稿日:2004/01/05 22:28 あけましておめでとうございます。 本年もどうぞよろしく。 牧人舎ホームページをリニューアルしました。掲示板も新しくなったので、テスト書き込みです。 あけまして 藤田真利子 投稿日:2004/01/07 13:45 リニューアルおめでとうございます。新年を迎えるために(年越したけど)畳替えした家みたいで、おめでたくすがすがしい雰囲気ですね。本年もよろしく 真利子さん 野中邦子 投稿日:2004/01/07 14:08 さっそく来てくれてどうもありがとう。 真利子さんは今年も仕事にバリバリ、エンジン全開ですね。 私も見習わなくちゃ。明日から仕事しよっと。 とはいえ、借りているハリー・ポッターの最新刊を読むのも楽しみだし…… 今年もよろしく 江崎リエ 投稿日:2004/01/07 15:57 皆様、あけましておめでとうございます。今年もよろしく。 ホームページリニューアルもおめでとうございます。 自分の書いたものが、新しいデザインのホームページに 載っているというのもうれしいものです。 今年は広告の仕事の充実とともに、もっと翻訳をやりたい と思っています。昨年は夫の大手術があったので、家族3人 生きていっしょにいるだけでも感謝しなくてはと思っています。 みなさんにとっていい年になりますように。 リエさん 野中邦子 投稿日:2004/01/07 20:14 フルタイムの勤務のほかに翻訳するのって、すごいですよね。 去年後半は怒涛の日々だったみたいですが、その分、今年はきっとバラ色の日々になることでしょう。 リエさんを見習って、私もエネルギッシュかつクールに決めたいものです。筋力アップも一緒にがんばろう! 祝リニューアル shiobara michio 投稿日:2004/01/07 22:08 あけましておめでとうございます。 リニューアルもおめでとうございます。 すっかり様変わりしてビックリしました。 これからいろいろ探検してきます。 今年もよろしくお願いいたします。 shiobaraさん 野中邦子 投稿日:2004/01/07 23:47 今月のエッセイ「日々の泡」にあった大晦日のボブ・サップVS曙戦も紅白も、私は見ずに過ごしてしまいました。いったい何をしていたのか? 曙はリングネームを「曙」にすることができたんですかね。でも、大トリのSMAPだけは、なぜか見ました。紅白だというのに、中居くんは歌、ヘタでしたね(急にうまくはならないか)。 新年 シマ・カズーニー 投稿日:2004/01/08 11:24 (字数制限に引っかかり、前半のご挨拶部分省略、ほか中略あり) さて正月には、鈴木主税さん訳の『難破船バタヴィア号の惨劇』、山下篤子さん訳の『生命の未来』を拝読しました。(中略)有り難うございました(中略)旧住所だったらしく(中略)戻ってきていました。ここで改めて御礼申し上げる次第です。(中略)おかげさまでいい正月になりました。 E・O・ウィルソンの『生命の未来』は、人類の原罪というものを深く考えさせられる本でしたね。人類がこれまでどれほど多くの生物種を絶滅させてきたか。その罪は人間同士の殺し合いの数万倍の重さがあるはずですが(中略)また一方、人類が本当の意味で態度を改めることがあろうとも思えない。ウィルソンがハワイの例で皮肉に述べているように、多くの人は人工的な箱庭的「自然」の保護をもって自然愛護だと満足しそうです。この点、ウィルソンの提案も、解説の池田清彦さんが述べているとおり必ずしも説得力満点と言えず(中略)種の多様性を守るのが第一というなら、人類の絶滅こそ唯一の回答だ、とこれまた皮肉に思わずにはいられませんでした。(中略) マイク・ダッシュの『難破船バタヴィア号』は、また別の意味で人間の原罪を考えさせられます。イエロニムスの蛮行はもちろん恐ろしいが、それを裁いた側の拷問も同様にものすごい。人間の残酷さというものをこれほど見せつける物語――ノンフィクションですが――は稀でしょう。気の弱い人は読めないでしょうね。イエロニムスの思想をめぐるダッシュの記述は思想史的興味からも面白かった。ただ、イエロニムスの異端思想を最初に説明して次にバタヴィア号の惨劇に移る章立ては、なにか「思想」が犯罪を招いたように読者をミスリードしないかと少しひっかかった。正しくは、ダッシュ自身がエピローグで述べるごとく、(思想ではなく)「性格」がイエロニムスの行動を導いているわけですね。(中略)こうした異常性格はこの時代には稀だったのでしょう。しかし現代ではサイコパスは珍しくなく、この本を読んでいちばん恐ろしいのは、イエロニムスの行動の「現代性」でしょう。ヴァンホーヴェンが映画化権を獲得したそうですが、これを映画で見れば、現代の観客はこの冷酷な殺人者こそが自分たちに最も近いと感じるのではないでしょうか。少なくとも私自身はそう感じた――私がおかしいのかもしれないが――のがいちばん恐ろしかった。 字数制限とラストサムライ 野中邦子 投稿日:2004/01/08 13:34 この掲示板を採用するにあたって、いちばん心配だったのは字数制限だったんですが、やっぱり! お仕着せの掲示板は制限があって困りますね。でも自作CGIは管理が面倒だしなー。 シマさん、中略させてしまって申し訳りませんでした。 お手数ですが、長文は二度、三度に分けてアップしてください!! それでも不便のようなら、掲示板の変更も考えますので…… ところで、みなさん、『ラスト・サムライ』はいかがでしたか? 私はおおいに楽しんで見ました。トム・クルーズに鎧かぶとを着せるというアイデアだけでも一見の価値あり。 鎧かぶとの関連でいえば、最初のほうの合戦場面で、緋縅の鎧の持主をもう少し印象的に描いていれば、のちのストーリー、ひいてはトムの鎧姿にもう少し味わいが出たのではないかと思います。 南北戦争を描いた『グローリー』の監督だとあとで知って、なるほどねー、という感じ。 通過儀礼 江崎リエ 投稿日:2004/01/08 17:47 東郷さんのエッセイを読んで、私は逆上がりができなかったのを 思い出しました。あそこから私の運動嫌いは始まったのかも。 今でも逆上がりは通過儀礼みたいなものなのだなと思った。 姪御さん、できるようになってよかったですね。 私も最近はおせちを食べさせる父もいないし、毎年一緒に 麻雀をやっていた義母も東京を離れてしまって訪ねて来なく なったので作るはりあいがなくなりました。でも、なんとなく 作るのは自分が季節感を感じたいからかな。 逆上がり 野中邦子 投稿日:2004/01/08 18:22 私が感心したのは、現在の東郷さんが逆上がりをちゃんとできたということ。すごいなー。 私はもう十年前くらいに公園でやってみてできなかったですよ。重くて。 小学生のころは逆上がりなかなかできなくて苦労しました。コツがわかるとできるんだけどね。できるようになると、うれしくて、片足回転なんかもできるようになり、ぐるぐる回っているうちに、ワンピースを破いてしまったことがありました。 アイススケートも、昔できたから、と思ってやってみたら、ひどく転んでお尻を打ってしまったことがある。 なりさちゃんのイラストもいいですね。昔から掲載してきたのをずっと見ていると、ぐんぐん上達するというより、最初から上手かったのね、と思います。 掲示板 野中邦子 投稿日:2004/01/08 18:27 ニフティで提供している掲示板には画像がアップできるタイプもあります。そっちはアップロードの容量がもっと大きいので、変更しようかと思ったんですが、よく見るとレイアウトに一覧性がなくて見にくいんです。 いちいちクリックして開くのは面倒でしょ? それなので、いちおうこのままにしておきます。文字制限は1000字まで。エディターを40字の設定にしておくと、25行までです。この書き込み枠だと、およそ30行くらいで限度になります。 1000字 シマ・カズーニー 投稿日:2004/01/08 20:26 実は前の掲示板のときも性別欄無記入とかで引っかかって書いたものが消えるということが2、3度あり、今回また引っかかったのでムッとしたのは事実ですが、別に気にしないでください。1000字あれば十分でしょう。掲示板に長文はだいたい歓迎されない。のは知りつつ、つい… テレビというのはもう20年以上見ないから、当然紅白歌合戦というのも20年以上見ませんが、SMAPというのが存在するのは知っています。あの小学生の作文のようなのを不快な音程で歌うグループですよね。聞こえてくるとぞっとするけど、私以外の人類はみんな洗脳されててあれを許容しているわけだから、何を言っても無駄と諦めています。 年末に「サタデーナイトライブ」25周年記念の5枚組DVDを買って、正月はこれを楽しもうと思っていたのですが、見ると意外とつまらなかったな。ブルース・ブラザーズとかエディ・マーフィーの芸はさんざん見てますからね。でも、ミック・ジャガーがやるキース・リチャードの真似というのは初めて見たので笑った。ミックの芸風は美川憲一と同じとわかった。音楽がおしなべてつまらないのは、テレビ生放送用の安全運転演奏だからですね。なかでは、3分間で完全燃焼しようとするニール・ヤングのロック魂が印象に残った。 正月に楽しめたのは、ダリオ・アルジェントのアメリカ版DVD。アルジェントのホラー映画が好きなのは私の趣味にすぎないけど(吉本ばななさんも同好ですが)、野中さんもエッセーで書かれているとおり、海外DVDはなかなか面白い。このアルジェントのアメリカ版DVDも、アルジェントへのインタビューや特典映像入りで、日本版より愛情のこもった作りになっています。もとより日本で見られないものがたくさんDVD化されている。輸入ソフトは、ネットでも買えますが、秋葉原などの専門店で手に入る。問題は、野中さんも触れられている規格の違いですが(アメリカ、ヨーロッパのそれぞれに規格の違いがある)、これは専門プレーヤーを買えば解決します(4、5万円くらいです)。 正月に見たDVDといえば、これは日本版だけど、朝比奈隆の指揮するブルックナーを鑑賞しました。90歳をちょっと超えたくらいの頃の映像ですが、立派な演奏でした。70歳なんて、まだまだですよ。というわけで、これで1000字くらいかな? 性別 野中邦子 投稿日:2004/01/09 16:59 さすがエディター、ぴったり40字×25行ですね。 前の掲示板は、男・女の入力をしなければならないところが、『性転換』の翻訳者としては気に入らなかったのでした。チェックを入れるときに迷ったり……しませんでした? 沖縄の鳥居 江崎リエ 投稿日:2004/01/14 17:58 沖縄の鳥居、赤くないんですね。 これが特別? 欧米の履歴書 江崎リエ 投稿日:2004/01/14 18:01 欧米の履歴書は性別、年齢はなし、顔写真もなしという 記事を読みました。みかけや年齢、性別で差別してはいけない わかっていても、なんとなく影響されやすいから、こういう ものを出さないでいいというのは、わかりやすくていいですよね a/s シマ・カズーニー 投稿日:2004/01/19 19:49 しかし、私の経験だと、ネットのチャットでは、アメリカ人のほうが年齢・性別を積極的に聞いてきますね。a/s? と。それを言わないと相手してくれない。私の場合、正直に言うとすぐbye byeとなるので(何度も屈辱的な目にあった)、19/fなんて答えてました(今はチャット自体やっていませんが)。採用のような「公」と、出会い系の「私」場面では、やはり違う。掲示板はどっちなんでしょうね。 日本では、プロフィールに血液型を書かせるものがある。あれのほうが腹立ちますね。年齢で判断されるのは、まだ根拠があるというべきですが、血液型で人間を判断されてはたまらない。 鳥居 野中邦子 投稿日:2004/01/20 20:26 東京でも大きな鳥居、たとえば明治神宮なんかは、コンクリート製で、赤くないんじゃないですか? とはいえ、「鳥居=赤」というイメージってありますよね。小さい鳥居は木製で、赤、ということかな。 チャット 野中邦子 投稿日:2004/01/20 20:30 チャットだと自己申告だから、性別・年齢ともに、でたらめですよね。 それでもあえて訊くのは、なんとかして幻想をつむごうという積極的な意思なんでしょうか。 日本のネットでもネカマとかありましたが、そんな幻想に今でもすがる人がいるのかな。少しは真実があると思うのかしら。 という私はチャットの経験は(日本のサイトで)ほんの1、2度しかありません。タイピングが遅いので、チャットについていけない!! ハンドルネームというのもどうなんでしょう。私もカズーニーみたいなハンドルネームが欲しいな。 キッチン シマ・カズーニー 投稿日:2004/01/22 18:53 野中さんの訳された『世界を食いつくせ!』が今週の週刊文春で取り上げられていて、評者の南木佳士氏が訳文を「リズミカルで、ひっかかるところのないのがありがたい」と褒めてましたね。ご本人は触れにくいでしょうから、私が触れておきます。南木さんの感想には私も同感で、野中文体のリズム感はこの本にぴったりでした。 キッチン・ノナカ、ってハンドルネームどうでしょう? 大学近辺にある良心的定食屋(洋食中心)って感じ。 野中邦子 投稿日:2004/01/22 19:48 一時期、「キッチン・コンフィデンシャル」の影響で手作り料理を友人にふるまっていたときがあって、そのときは「シェ・ノナカ」という命名をいただいたこともあるんですよ。日本語にすれば単に、「野中屋」あるいは「野中家」ですけどね。 キッチン・ノナカもいいハンドルネームなんだけど、ふだん料理をしていないので、後ろめたいかも。略してキチノナというのはどうでしょう。キチ××ノナカということで。いや、自分にないもの=狂気に憧れるという…… 週刊文春の情報、ありがとうございました。さっそく探して見てみます。 褒められるのはうれしいですが、けなされるのも、無視されるよりはいいかも。話は変わりますが「グロテスク」桐野夏生を読んで、「そんなに評価されたいか?」となんだか暗澹たる気分になりました。病気の人(?)を規準に考えると、どうも調子が狂いますね。あの小説に出てくる女性たちはみな少しずつ病んでいるのです。現代人はみな病んでいるということでしょうか。小説を現実にあてはめてはいけないとわかってはいますが。 「グロテスク」読んだかた、います? チャット 江崎リエ 投稿日:2004/01/26 16:07 私は昔ニフティのフォーラムでチャットをやっていましたが、 たいていはオフ会をやっていたから、敢えて言わないという人はいても、みなだいたい正直でしたよ。職業を言わない人は多かったかな。 うそをついて、なりきって楽しむ手もあると思いますが、正直にいって自分と同じ欲求の相手をみつけるほうがいいかも。目的成就のために正直(日本人の女の子とつきあいたいとか)なほうが目的達成は早いでしょ。 もっとも私も、ホームページを見たという欧米の男性と楽しくメールのやりとりをしていたのに、夫や息子の話をしたとたんにぷっつりメールが来なくなったと言うことは何度もあります。これはちょっと寂しいけどね。 シェ・ノナカ 江崎リエ 投稿日:2004/01/26 16:09 シェ・ノナカのお料理は絶品ですよ。 味もだけど、盛りつけがステキだし、ホステス役の野中さんも 座っていっしょにおしゃべりできるように段取りされていて、とても居心地の良い空間です。 ラスト シマ・カズーニー 投稿日:2004/01/28 19:32 「グロテスク」は読んでないんですが、正月にリチャード・ノル『ユングという名の<神>』を読んで、頭と育ちのいい女の「意味の渇き」という病は、もう100年くらい続いてるんじゃないかと思いました。 いま話題の吉野家の話をしていたら、同世代の女性で牛丼を食べたことない人がけっこういて、びっくりした。お育ちが良すぎるんじゃないでしょうか。私なんか身体の3分の1は吉野家の牛丼でできている。その牛丼も食べられなくなるかも、ということで、いまは「ラスト・サムライ見た?」ならぬ「ラスト牛丼、食べた?」がナウいヤングの合言葉だそうです。 マイ・ファースト・ヨシノヤ キッチン・ノナカ 投稿日:2004/01/28 22:48 ラスト牛丼って、初めて聞きました。面白いね。 私は吉野家の牛丼、ん十年前に食べたきり、です。 ファースト・カレー丼はどうでしょうね。 このあいだ、インスタントラーメンも十年以上食べていないね なんて話を友達としました。 やっぱり女性は、吉野家よりもドトールとかマック系に入りやすい んじゃないかな? 『グロテスク』とはぜんぜん違いますが、独身女性の現状つながり で『負け犬の遠吠え』酒井順子も読んでみました。うーーーん。 独身 シマ・カズーニー 投稿日:2004/01/30 12:27 独身女性(あるいは子どものない女性)は負け犬、という本は、数年前イギリスでちょっとヒットして、日本の雑誌でも紹介されましたね。その真似でしょうか。あの本は翻訳されたのかな? 私のところにも話は来たけど、見送りました。あんまり売れないと思ったから。アメリカでも「専業主婦が最高」みたいな本が出てました。まあ、フェミニズムへの遅ればせのバックラッシュですね。 山下篤子さんの訳されたE・ウィルソンの『生命の未来』では、人口爆発にブレーキをかけた、出産に消極的な女たちの功績が称えられていましたが。この点は、もっと称えられてもいい。しかし、それを言うなら、子作りに消極的な男の功績も同時に称えてほしいものだと思いました。 そういえばSPA!で、「男は独身のほうが得」という特集をやっていたけど、そんなことは150年前にショーペンハウアーが言っている。私はそれを10代のころ読んで大いに影響を受けたのでした。その裏返しとして、本来、結婚は女に得なはずなのに、なぜ今の女は結婚しようとしないのか、という疑問があるわけですが、要するに社会全体が経済的に底上げされたおかげで、女の側に結婚という経済的寄生をする必要が減ったということでしょうね(そのため、一方で「もてない男」がふえる)。貧しい社会では、独身はたしかに負け犬になる可能性が高いと思いますが、この豊かな社会ではそうじゃない。 得と損 キッチン・ノナカ 投稿日:2004/02/01 17:30 その特集の得と損というのは、経済面でのことですか? 生涯に使える金額とか? だとしたら、得だからといって、その人が幸せとは限らないですよね。 仕事か家庭かという選択なら、どっちもとる、という道がありますが、子供をもつかもたないかというのは、オール・オア・ナッシングなので、両方を経験することはけっしてできない。幸福か、不幸かというのは主観なので、はたから判断してもわからない。どちらか一方しか経験できないのでは、どっちが幸福か不幸かは、結局わからないということになりませんか? 人は選んだ(あるいは選ばされた)人生に折り合いをつけるしかないんじゃないでしょうか。現代人は、なんでも自己決定できるという幻想をもちすぎているような気がします。人の力ではどうしようもないこともあるよね。というと敗北主義といわれちゃうかな。 子作りに消極的な男性って……ほとんどの男性はそうなんじゃないの? (私の偏見かな?) 子供を自分で産むのと、人に産ませるのとでは、大きく違うと思う。出産だけは女性にしかできない(正直な話、そうだよね)。それでエバるわけじゃないけど――こういうことをいうと、女性でも産めない人がいるじゃないかとか、産めない女を差別するのかという話になりがち。 でも、なにかができる人とできない人がいるのは、この世の中、どうしようもない。(これも敗北主義か?)みんなが平等で、同じ能力だったら、大学受験もオリンピックも紅白歌合戦も、それに文学も芸術もなくなるよね? 更新しました キッチン・ノナカ 投稿日:2004/02/02 20:04 2月号、更新しました。 鈴木主税さんは多忙(と腰痛?)のため休載。寒いですからお大事に。 桃井さんも多忙のためお休み。 塩原さんの「日々の泡」……SMAPから、女の闘いへというので、TVドラマ「エースを狙え!」の話題につながるのかと思ったら、ほんとの(?)全豪女子オープンでした。 「ポロック」は映画館で見たのですが、がらがらでした。 今年のアカデミー賞は、「ロード・オブ・ザ・リング」と「ミスティック・リバー」が本命ですね。作品賞はどっちかでしょうか? 渡辺謙がノミネート。受賞は無理かも。でもステージにあがってほしいですね。会場で流す大画面のノミネート紹介が楽しみ。 今日は、私の母校の中学受験日でした。ふだんは2月1日なのですが、キリスト教の学校なので、日曜日は教会へ行くことを最優先にし、受験も日をずらします。 寒いので、受験生も、受験生をもつご家庭も、どうぞお大事に! 更新早っ! shiobara michio 投稿日:2004/02/03 13:38 1月は沖縄も寒かったんですね。 鈴木先生、お大事に。 『ポロック』は昨年のアカデミー賞作品が一年遅れで公開なんですか? 日本人のあいだではポロックはそれほどポピュラーではないかもしれませんね。 エド・ハリスは好きですが、『ライトスタッフ』ではサム・シェパードしか覚えてないっす(hehehe)。 実写ドラマ『エースをねらえ』は、ある意味、とんでもない意欲作です。さすがテレ朝。木村拓哉はガキみたいなホッケー選手なんかやってないで宗方仁をやるべきだった、と個人的には思います。 ライトスタッフ キッチン・ノナカ 投稿日:2004/02/04 15:16 「ライトスタッフ」のサム・シェパードはカッコよすぎ! むしろ、宇宙飛行士の訓練に四苦八苦するエリートたちのほうに人間ドラマがありました。 エド・ハリスのほかには、スコット・グレン(『羊たちの沈黙』)、フレッド・ウォード、デニス・クエイドなんかが出てたよね(たしか)。 STAFF じゃなくて STUFF LIGHT じゃなくて RIGHT ……という、原題カタカナ表記が紛らわしいタイトルでもある。 なんとか、うまい邦題がつけられそうなものですが。 なんか違うに違いない シマ・カズーニー 投稿日:2004/02/04 22:14 くそー、「世界に1つだけの花」って流行ってるなあ。なんだかんだいって、このところカラオケで2回も歌わされてしまった。なんかケチつけたいと思って、歌いながら考えたんですが、あの「ナンバーワンよりオンリーワン」って、英語的におかしくないですかね。only oneって英語に、そんな肯定的な意味があるでしょうか。I am the only oneとか、I am only oneとか言うと、「ひとりぼっち」とか「しょせん〜」とか、そういう否定的な意味しかないんじゃないか。ユニークな、とか、個性的な、とかのプラスの意味がありますかね。I am the oneとかだと、たぶん、肯定的な意味があると思うけど。the one and onlyになるのは、ある意味、「ナンバーワン」より難しいわけだし。とにかくケチをつけたいのでよろしく。 「ライトスタッフ」って映画、思い出すたびに、サム・シェパードのやった男って、結局なんだったんだ? と思うとともに、いやそれ以上に、その恋人役(?)のバーバラ・ハーシー(だっけ)、あの女はいったいなんだったんだ? と思うんですね。 ケチをつけよう ここはすみませんが匿名で 投稿日:2004/02/05 23:52 私はあの歌が大っ嫌いで、あの歌の持ち上げられ方も大っ嫌いで、それをそらで歌える自分も大っ嫌い。あんなもん彼氏もいないブスなスマップファンが泣いて喜ぶ自慰ソングじゃないかと。どこをどうとったら反戦ソングなんて深読みができるのかと。じゃあ何で紅白見てんだよと言われると困るのですが。 それはそうとオンリーワンはいいケチのつけどころですね。 イマジンの I'm not the only one も「ひとりぼっち」の意味ですもんね。これはやはりone and only を意味させようとした間違いの和製英語じゃないですか。 「ライトスタッフ」はおっしゃるとおりで。だから私のような本末転倒な観客が生まれてしまった(笑)。 更新 江崎リエ 投稿日:2004/02/06 12:35 ちょっと見ない間にいっぱい書き込みが。 更新されて、デザインもちょっと代わりましたね。 私のエッセイに付けてくれたポピーの花の絵は美しくて 感激です。 私は昔は立ち食いそばやら牛丼やらいろいろ食べましたが 立ち食いそばなど食べたことがないという女性もけっこういますね。それだけ豊かになっているということでしょうか? 家の息子は吉野屋の牛丼が消えるのをとても悲しんでいます。 私はインスタントラーメンは結構食べます。カップヌードルができたときはすごい発明だと思ったし(^-^)。 ケチをつける(しりうまにのって) キッチン・ノナカ 投稿日:2004/02/06 15:37 「ナンバーワンにならなくてもいい」とか言っておきながら、そのすぐあとに「さあ、紅白、どっちが勝つか! 白組勝利、バンザイ!」なんて騒ぐのは、いかがなものか?>NHK 『ファインディング・ニモ』を見て「よかったー」といって、ペットショップでカクレクマノミを買ってきて、家の水槽で飼って「カワイー」というのは、どうなんでしょう? 作品のメッセージを理解しているとはとても思えない! カップヌードル キッチン・ノナカ 投稿日:2004/02/06 15:41 リエさん 私もカップヌードル発売のときは、友達が「大ニュース!」といって買ってきてくれて、試食会をしました。(年齢がばれる) ポピーの絵を誉めてくれてありがとう。だいぶ昔に描いた絵ですが、なんでもとっておくと役に立つことがあるのね。 オンリーワン シマ・カズーニー 投稿日:2004/02/09 21:29 なんかSMAPに逆風吹いてます? 「真夜中のカーボーイ」をきのう久しぶりに見ていたら、ジョン・ボイトの回想シーンで出てくる、ちょっと頭のおかしな恋人が、セックスしながら You are the only one, You are the only one...と繰り返していました。「あなただけよ」。なるほど、こういう使い方はありますね。肯定的な意味だといえる……迷惑な場合もあると思うけど。いずれにせよ、only oneになるためには、まず誰かにとってNo.1でなければならないということでしょうかね。 ミキオ・Eさん キッチン・ノナカ 投稿日:2004/02/14 08:33 当ホームページ、ゲストコーナー2002年4月号にエッセイを寄せてくださったミキオ・Eさん、ここしばらく闘病中でしたが、2月13日午後、ご逝去なさいました。さいごは自宅で、ご家族にかこまれて安らかに眠りにつかれたそうです。心からご冥福をお祈りします。 ミキオさんのエッセイ http://homepage3.nifty.com/bokujinsha/guest/0204mikio.html ミキオさんのウェブサイト、掲示板 http://6126.teacup.com/mikioez/bbs RIP shiobara michio 投稿日:2004/02/14 12:13 申しあげる言葉が見つかりませんが…… ご家族のみなさまがお力を落とされませんように。 はしご シマ・カズーニー 投稿日:2004/02/26 22:30 先日わたくしは、1日で映画を4本観ました。「ニューオーリンズ・トライアル」「ラスト・サムライ」「シービスケット」「ミスティック・リバー」。1日で新作4本ハシゴは、たぶんわが新記録。シネコンというもののおかげ、いい時代になったものです。 どれもいい評判を聞いていた映画でしたが、しかし、わたしには感銘度はもうひとつ。こういう見方をしたせいかもしれないが。それぞれ、俳優の演技の印象ばかりが残り、作品として心に訴えてこない。とくに「ミスティック」のショーン・ペンの例によっての過剰演技は、4本目に観ると疲れる。「ミスティック」はこの4本のなかではいちばんいいだけに、わたしとしてはもう少し抑えた演技にしてほしかった。アカデミー主演男優賞最有力だそうですが。演技賞狙いミエミエという感じ。 あと、遅ればせながら「ラスト・サムライ」の渡辺謙はよかったですね。助演男優賞本命とされる「ミスティック」のティム・ロビンスよりよかった(チンピラ役と知的障害者役は賞がとりやすいのでしょうが)。渡辺は、共演がトム・クルーズだったから得したということはあると思う(とはいえ、プロデューサーとしてのトム・クルーズはもっと評価されていい)。 実はこのあと、「ロード・オブ・ザ・リング」のチケットも買っていたのですが、さすがに目がショボショボして、さらに3時間以上映画に付き合う気になれず、やめました。で、見てないんですが、でも、演技賞にはまるでノミネートされていないこの映画が、たぶん作品としていちばんいいのでは。 「映画」より「演技」が目立つ、というのと似たようなことは、クラシック音楽界でいま話題の、ロジャー・ノリントンのベートーヴェンにもいえるかもしれません。「音楽」より「演奏」が目立つ。もっとも、わたしが聴いたのは9番だけ(忙しくて1〜8番を聴く時間がない!)。9番に関しては、たしかにとても説得力があった(3楽章までが速いおかげで、4楽章の重要性がきわだつ)。 それにしても最近、興味深い見もの、聞きものが多くて、つくづく時間の余裕がほしいと思いますね。 アカデミー賞 キッチン・ノナカ 投稿日:2004/03/01 15:36 私はちょっと前、「ミスティック・リバー」を見ようと思ってシネコンへ出かけたら、たまたま「ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還」の初日にぶつかってしまい、時間割が変更になっていました。しかたがないから、ちょうど見られる時間の「ラブ・アクチュアリー」を見た。それはそれで、オールスターキャストが楽しい映画だったのですが、やっぱり力の入った暗いモノ(感動作?)を見るぞーと覚悟して行ったので、軽いほのぼの人情劇に急遽変えたのはまずかったですね。映画を見るにも、心の準備がいる。 「ロード・オブ・ザ・リング」はアカデミー賞制覇ですね。すごい。私は「旅の仲間」の途中で寝てしまい、「二つの塔」は未見なので、「王の帰還」を見る前にこの2作をクリアしないと。 アカデミー賞の女優のドレスはシルバーやゴールドと、白っぽい系が多かった。もっと赤や黄色の派手な色になるかと思っていたら、意外に似たようなドレスが多かった。左右アンバランス系もあいかわらずはやりのようで。 3月号 キッチン・ノナカ 投稿日:2004/03/01 20:53 3月分の更新しました。 もう3月ですか……早いですね。 あっというまに1年たってしまいそう。 鈴木主税さんの音楽をめぐる雑感、「閑人妄語」が 始まりました。来月も続く予定なのでお楽しみに。 桃井さんは一身上の都合によりお休み。 「本の顔」は近日更新の予定なので、また見にきて ください。 更新 江崎リエ 投稿日:2004/03/02 13:31 すばやい更新ですね。 ゲストのエッセイと木村さんのエッセイは見つけやすくなりました。川端さんのヘア・アクセサリーは全然知らなかった。 こんなものがあるのですね。ちょっとびっくりです。 先週の金土日と沖縄に行って来ました。ホテルムーンビーチで きれいな海を眺めてきました。今度は島に行きたいですね。 桜祭りは終わってしまったと聞いたのですが、このホームページ にはきれいな写真が。ピンクの色が濃くてきれいですね。 4月になるとデイゴの花がきれいと言われました。 リスト シマ・カズーニー 投稿日:2004/03/02 20:20 鈴木さんのエッセイが再開されてうれしい。しかも音楽がテーマというのはとても楽しみです。 そして、ちょっとびっくり。最近、私が風呂場で(防水CDプレーヤーで)聴いているのがリストのコンソレーション、しかもバレンボイムの演奏。偶然ですが。 ついでに シマ・カズーニー 投稿日:2004/03/02 21:55 で、これも偶然の一致? 私もノナカさん同様、「ロード・オブ・ザ・リング」の1作目は途中で寝て、2作目は観ていない。 だけど、監督のピーター・ジャクソンといえば、私のようなホラーファンには「ブレインデッド」1作で記憶に残っている。あの血みどろの低予算スプラッター(史上最大流血量といわれた)と「指輪物語」は最初アタマのなかで結びつかなかったけれど、「自分の奇想をあくまで完全に現実化する」という徹底した姿勢は、なるほど両作品に共通している。 こじつければ、それは前に触れたノリントンのベートーヴェンにも共通している。この週末に3、4、7、8番も聴いてみました。「自分のビジョンを現実化する」ということにこれほどこだわった演奏も珍しい(ノリントンにいわせれば、それは「自分の」ではなく、「作曲者の」だ、ということになるでしょうが)。 ノリントンを含めた「古楽派」の演奏については、クラシック・ファンならすでに一定のイメージをもっているわけですが。これまでは万人向けとはいえなかった。ノリントンにせよ、アーノンクールなどにせよ、これまでは一方でブーイングの嵐に見舞われてきた。「レコ芸」だかに、アーノンクールが舞台上でブーイングを耐えていた時期のことが書かれていましたが、ちょっと感動しましたね。ノリントンも、70歳になってやっと万人から拍手を受けるようになったという感じでしょうか。 好き嫌いはいぜん分かれるでしょうが、ピーター・ジャクソンにせよ、ノリントンにせよ、妥協しない才能がついに栄誉を受ける、というのは気持ちいい、と思った次第。 ロードオブザリング 江崎リエ 投稿日:2004/03/05 18:06 私は最初のヤツに感激して、2巻目はビデオを借りて見ました。でも、1を見てないと全然話がつながらないと思う。映像は 1のほうがわくわくしました。私はドラゴンクエストも好き なので、その源流を見た気がしました。3も見たい。 油断大敵 シマ・カズーニー 投稿日:2004/03/18 21:39 しつこいようですが−−クラシック界のニュー・パンク、ノリントンのベートーヴェン、5・6番も聴きました。「運命」と「田園」は対照的な作品のように言われますが、ノリントンの演奏を聴くと、同時に初演されたこの2曲が実際には似ているのがわかる(終わりそうでなかなか終わらないところとかも)。ベートーヴェンの偶数番と奇数番の違い、といった「後講釈」は、第1主題は男性的で第2主題は女性的、などと同様に、ノリントンの演奏では無視される。そこに発見があります。 ついでにクラシック以外の音楽の話題−−フリードキン監督の映画「ハンテッド」は内容的にはダメでしたが、エンドクレジットの音楽で座りなおした。ジョニー・キャッシュのThe Man Comes Aroundでした。この人の声は本当に素晴らしい。というわけで、この機会に、前から気になっていた彼のベスト盤を買いました。カントリーというのはまた奥が深そうで、私はまったく入門者だけれど、少し勉強してみようかと思っています。 ところで、長嶋の入院で「あんなに健康そうだったのに」というコメントには違和感がありましたね。前から疲れた感じでしたよね。運動神経と健康の混同があるとともに、若いころの印象で一生見られてしまう人もかわいそうだと思った。私の少年時代は、ONの現役最後のころでしたが、長打力が最後まで衰えなかった王にくらべて、長嶋はすでにダメでしたね。それでも、「あの天覧試合の長嶋だから」みたいなことばかり言われていて、すでに違和感があったものです。 同様のことは、石原裕次郎にも言える。私の裕次郎の印象といえば、「不健康そうで、鈍い演技で、昔の栄光でテレビに出ている人」でした。同世代に聞くと、そう思ってた人は多いみたいです。しかし、やはり若いキラキラしたころの印象だけでいまだに語られている。大いに違和感があるんですね。でも、いまだに80近いナベツネの「使用人」をやっている長嶋にくらべれば、裕次郎の晩年のほうがまだマシだったかもしれない。 健康イメージといえば、沖縄は平均寿命が急低下し、肥満度が急上昇して日本第2位という「不健康県」に転落したようですね。イメージに甘えて暴飲暴食するとたちまちこうなる、ということか。 楽器が弾けるジイサン キッチン・ノナカ 投稿日:2004/03/26 17:41 元巨人のチョーさんが倒れたと思ったら、ドリフターズのチョーさんが亡くなりましたね。 イメージといえば、いかりやチョーさんは亡くなったとたんにイメージがすごく立派になったような気がする。私は「全員集合!」世代じゃないので、むしろお笑い「バンド」時代の印象が強く残ってます。(年がバレる) それにしても、いかりやチョーさんの一件でつくづく思ったのですが、楽器が弾けるジイサンってカッコイイ。チョーさんもベースを引いてたCM(ビール)でぐんとイメージアップした。 沖縄の肥満は中高年のとくに男性がひどいと思う。おじいさんたちは小柄で細い人が多くてキュートなんだけどね。それで三線とか弾けちゃうのでカッコイイ! シマさんもかっこいいジイサンになれそうでいいな。 素敵なジイサン シマ・カズーニー 投稿日:2004/03/26 19:20 いかりやチョーさんは偉大でしたね。私はモロ「ドリフ世代」ですから。小学校の学芸会で「ちょっとだけよ」やりました。演奏のほうは記憶にないけれど・・・。 ちょっと印象が似てるのがムラビンスキー(って、すごい強引)。長身痩躯のソ連の指揮者ですが。去年が生誕100年にあたっていて、未公開の映像が去年から今年にかけてDVDで出たんですね。だいたい70歳前後の指揮姿が見られます。「謹厳実直」を顔にしたような顔(?)ですが、たとえば「くりみ割り人形」の演奏では、最初の一音からふくよかな夢に満ちた音楽が広がり、たちまち引き込まれる。厳しい外見から温かい表現が出てくる、というあたり、いかりやチョーさんにも通じる(強引)。チャイコフスキーに関しては、とにかくこの人が今後も絶対の基準でしょう。ショスタコービッチももちろんいいんですが(DVDには6番と12番が収録されている)、とくに12番のような露骨なプロパガンダ音楽(ロシア革命とレーニン賛歌)は、名演であればあるほど、いま聴くと複雑な思いにかられます。 べつにジジイが好きというわけではないが、昨年話題になったクナッパーツブッシュ晩年の映像も最近観ました。私はクナ本人よりも、ベートーヴェンの協奏曲4番で共演していた名ピアニスト、バックハウスの映像に感動しましたけどね。たぶん70代半ばの映像ではないかと思いますが、音楽がとにかく若い! テクニック的にもまったく衰えがないし。ただし、遅いテンポをとるクナとまったく噛み合わず、さすが怪物ジジイ同士、お互い自分の音楽を譲らないものだから、「怪演」になってしまっていた。 それにしても――私はむかしから「ジイサン顔」と言われ、女の子からは「シマさんは素敵なジイサンになりそうね」とよく言われてきた。ここでまたノナカさんから同様の褒め言葉(?)をいただき、これでホントのジイサンになるまで長生きできなきゃ生まれてきた甲斐がないな、と思う(?)。まあ、もうすぐですが・・・・・・。 モテジイサン キッチン・ノナカ 投稿日:2004/03/29 00:15 最近はジイサンがモテているようですよ! 川上弘美の『先生の鞄』は売れてテレビドラマにもなりましたが、このあいだ読んだ小川洋子の小説『博士の愛した数式』も主人公の数学博士がステキなジイサンでした。「博士LOVE!」といっている若者もいた。 私の好きなジイサン shiobara michio 投稿日:2004/04/03 00:43 3月8日、武道館。19歳女子の証言。 「最初はこんなかっこいい老人もいるのかってびっくりしました」 (今週のAERRAより) 誰のことかというと、デビッドボウイさんです。 19歳からすると57歳は「老人」かよ! http://www.asahi.com/column/aic/Mon/d_aera/20040329.html 私の好きな小説の中のジイサンは 『こころ』の先生。 でも、あの人も本当は意外と若いんだろうな。 10代で読んだ時はジイサンにしか思えなかったが。 川上弘美のセンセイも50代ぐらいでしょうか。 ドラマでは柄本明でしたね。 私は『カフカ』のナカタさんも頭の中で柄本明をキャスティングしてました。 I'm so high shiobara michio 投稿日:2004/04/03 01:05 連続投稿すみません。 一仕事終わってウキウッキー。 やっぱこの仕事の醍醐味は、 この一瞬の達成感と解放感ですね! 校正ゲラが来ると 「達成感」が幻想だったことを知るのですが。_| ̄|○ センセイ キッチン・ノナカ 投稿日:2004/04/03 02:36 shiobaraさん、訳了おめでとうございます。 「センセイの鞄」のセンセイは本物のジイサンだった気がしますが、でも、そういえば山とか歩いてましたね。ちゃんと同衾もしてたし。 今日、「恋愛適齢期」を見てきたんだけど、ジャック・ニコルソンの役が63歳の設定。バイアグラのシーンは笑えました。実物は68歳だったかな。イージーライダーのニコルソンがねー。70かと思うと感慨無量ですな。 私もひと仕事終わったので、ようやく更新作業してます。今月のエッセイは私が一番最後でした。 前に「うさぎの手紙」でもあったけど、ミック・ジャガーはもう60歳でしょ? そうとうカッコイイよね。でも、若い頃はもう信じがたいほどキュートだったけどね。それを思うと感慨無量(こればっかり) それで、「恋愛適齢期」の話に戻ると、中高年の恋愛で大事なのは、やっぱり「金」だ! という身も蓋もない感想で、ダイアン・キートン(劇作家)のもっている海辺の家みたいなのが欲しい。 ニコルソンは完全にコメディアン演技になっていた。自己模倣をパロディでやってる。 かっこいいジイサン キッチン・ノナカ 投稿日:2004/04/06 15:31 かっこいいジイサンを見つけました。 ガンダルフ!! WOWOWで「2つの塔」を見ました。途中、また睡魔に襲われそうになったけど、ガンダルフ登場! で目が覚めました。カッコイイ! ロードオブザリングでは、やはりなんといってもガンダルフとホビットが好きだな。ホビットのなかでも、フロドはちょっと苦悩しすぎて辛いよね。イライジャ・ウッド、子供のころはすごくかわいかったのにな。 ロードオブザリングがちょっと気に入らないのは、汚いものや戦争シーンが多すぎるところ。オークなんてどろどろでやだ。 ガンダルフは強いくせに、ぽわんとしたキュートな雰囲気があってよいです。「すてきなジイサンの条件」というのを考えてみたくなった。まず、説教するのはだめだよね。あと、強くなくちゃいけないし。 「2つの塔」を見おえたので、やっと「王の帰還」を見に行けます。こんどこそは映画館の大画面で見よう! 王の帰還 キッチン・ノナカ 投稿日:2004/04/07 13:13 というわけで、さっそく『王の帰還』を見てきました。 おもしろかったよ。やはり大画面は画像が違いますね。 ガンダルフ、出演者のなかでいちばん強くてかっこいいんじゃないですか? 戦闘シーンのまっただなか、地震があって座席が揺れたので、これも特殊効果の1つか! とびっくりしました。震度2だって。 だいぶ昔、「エクソシスト」を見ていたさなかにも地震があって、このときもびっくりしたな。偶然にしても、映画の内容に揺れがよく合うというのは不思議だし、おかしい。 先生の鞄を けろ 投稿日:2004/04/24 23:16 見ていて、検索してこちらへたどり着きました。 たまたまみていたのにおもしろくて、原作が気になり ました。 たぶん、カッコイイじいさん「センセイ」に私も、 惹かれたようです、うまく言えませんが、 こちらを拝見して、 他のステキなじいさんのでてくる本やドラマもすごくみたいので 時間をつくってぜひぜひ読みたいと思います。 センセイの年齢 shiobara michio 投稿日:2004/04/26 00:47 そーそー、今日なぜかWOWOW制作のセンセイの鞄をフジテレビでやってたんですよね。私はビデオに録画したきり、まだ見ていない……。 WOWOWガイドによると、ツキコさんが37歳で、センセイはそれより30歳以上年上なんだそうです。そういう年齢だったわけですね。 久世光彦演出のドラマは、向田邦子ものをはじめ、どれもこれもいいですよ〜。 まもなく黄金週間 shiobara michio 投稿日:2004/04/27 23:05 今年の暦は休みがつながっていいですね。 自由業のみなさんには関係ないかもしれませんが。 わたくし29日から3日ばかり姫路に行ってきます。 世界遺産の白鷺城を拝んでまいりますわ。 今日ビックカメラの通販でMP3プレイヤーを買いました。 届くのが楽しみです。さらばMDプレイヤー。 更新しました ノナカ 投稿日:2004/05/02 18:00 連休のさなかですが、5月号更新しました。 というわけで、連休にもかかわらず家で仕事中。 shiobaraさんは世界遺産ツアーですか。いいですね。 仕事中とかいいながら、私は今日、恵比寿でCAPA展と 映画「グッバイ・レーニン」のはしごをしてきました。 どちらもお客さんがたくさん入ってました。あまり遠出 をしない人も多いんですね。昨日は暖かかったのに、今日は 空気が冷たい。 今月のエッセイ「うさぎの手紙」ですが、宇田多ヒカル を知らない人、わりといるんじゃないかなと思いました。 テレビを見ない人って意外に多いんですよね。電車に 乗らなければ中吊りも見ないし。電車のない沖縄のおじい・ おばあは知らない人が多そう。いや、沖縄人はテレビが好き だから知ってるかな。 でも、amazonを見ていたら「国民的歌手」と書いてあって、 「え、そうなの?」とちょっとビックリ。 キャシャーンはどうでしょうかね。 nazeka nihongo ni henkan dekinai shima 投稿日:2004/05/03 12:48 石井宏の『反音楽史 さらばベートーヴェン』(新潮社)が面白かった。クラシック音楽は高級でも深遠でもない。われわれは「ドイツ音楽が一番」という19世紀ドイツ音楽学者のお国自慢にいっぱい食わされていただけなのだ、という内容。クラシックやベートーヴェンの権威を否定する本は、60年代左翼風の反権威主義(たとえば高橋悠治のもの)や80年代ポストモダニズムのものなどけっこうあったけれど、この本はクラシック主流派評論家の「告発」だけにインパクトがあった。 石井さんの本の「心」は、音楽は「楽譜」ではなく「演奏」だ、ということですね。たまたまこの連休中に、CSでコーエン兄弟の映画「バーバー」を観た(これを観るのは3回目)。観た人はご承知のとおり、この映画ではベートーヴェンの「悲愴」と「田園」(ピアノソナタのほう)がわざと「凡庸な」演奏でつかわれている。それは、「深い意味のある人生」から疎外されて凡庸な人生を送る主人公の悲劇を見事に象徴している。主人公の凡庸さが、「凡庸なベートーヴェン」に感動するところに象徴されるわけだ。同時に、実際にはそこにない「深い意味」がそこにあると錯覚させる「ベートーヴェン」という文化装置への批評にもなっている。人は人生に「深い意味」を求める。しかし、本当に人生には「深い意味」が必要なのだろうか? それは、音楽には「深い意味」が必要なのか、というのと同列の疑問だ。 ドイツ中心音楽史観が「器楽」を持ち上げたために「声楽」が不当に貶められた、というのも石井さんの主張。実際には、人々はつねに「器楽」よりも「声」の快感のほうを愛してきた。鈴木さんが、今月のエッセーで書かれている、パバロッティの声に癒されるというのは、まさに正統的な音楽の楽しみ方でしょう。 声の魅力 ノナカ 投稿日:2004/05/03 12:59 私もヒトの声を聞くのは好きで、パヴァロッティもドミンゴも大好き。 ところが、パヴァロッティの歌だけを集めたCDをえんえんと聞いていると、途中で「もういいよ、まいりました、負けました」という気になることがたまにある。 あまりのテンションの高さに、癒されるのではなくて、かえってめげちゃうんですね。こっちがへたっているときだと、よけいそうなる。とくにオペラのアリア集はクライマックスがひたすら続くようなものだから。 そういうときは、アリア集じゃなくて全曲版を聴くべきだなぁとつくづく思います。とはいえ、最近のお気に入り(というより定番?)はマリア・カラスのアリア集。 デブラ・ウィンガーの顔 ノナカ 投稿日:2004/05/03 13:14 だいぶ前にシマさんが書いていた「デブラ・ウィンガーを探して」をレンタルで見ました。 なるほど、少し詰め込みすぎという感じ。それに、監督のロザンナ・アークエットの出方が中途半端ではないかな。出ずっぱりで自己主張(マイケル・ムーアのように)というわけでもなく、インタビュアーに徹しているかというと、そうでもなく。編集がもたつく感じがした。出てくる女優の選び方も規準がよくわからない。 とはいえ、いろんな女優の素顔が見られるのは面白かった。インタビューイーを絞って、質問を整理するとよかったかな? くだらないことだけど、印象に残ったのは、引退して久々にカメラの前に出たデブラ・ウィンガーの顔が変わってた。昔はもっと鷲鼻で、インパクトの強い顔だったはずなのに、ふつうの美人になっている。もしかして整形? 整形したけど、個性が薄まって、それで引退したのかと、よけいなことを憶測してしまった。彼女のあのしゃがれ声はすてきだと思う。 うどんとギックリ腰 ノナカ 投稿日:2004/05/03 13:21 桃井さんのエッセイで、写真の手打ちうどんとギックリ腰はどんな関連があるのか、疑問に思ったかたはいますか? 私にも不明なんですが、とりあえず送ってもらったまま掲載しときました。うどんを打っていてギックリ腰になったのかな、と最初は思ったんだけど、違うしね。 なんにしても、筋肉は大事ですね。デスクワークの皆さん、お大事に。 うどんの命は 桃井 投稿日:2004/05/04 14:49 うどんの命はコシ。腰は大切。ってそれだけナンデス……。 最近、うちでうどんつくったり、餃子つくったりしてます。 ギックリ腰だからって 腰に湿布した写真を載せるのはさすがにためらわれたのでした。 あれから無事でいますが、ホントにびっくりした。みなさん、 気をつけてください。くせになるっていうし。 あっそうか ノナカ 投稿日:2004/05/04 18:05 こしね。なるほど!! 更新 江崎リエ 投稿日:2004/05/05 19:21 更新されましたね。うどんでこしとは、ちゃんとオチがあるのね。邦子さんが私のためにお花の写真を一杯載せてくれたら、 あれがうちのベランダの花かと勘違いする人がいました。 うちのはずっと小規模です。 ただいま〜 shiobara michio 投稿日:2004/05/11 23:04 つっても、すでに一週間以上経ってるわけですが。 ノナカさん、今月はサボっちゃってすみませんでした。 来月は心を入れ替えて臨みます。 昨日、アトレ品川のグランドセントラル・オイスターバーに行きました。生牡蠣とクラムチャウダー美味しかったー。気分はバナナフィッシュ。 腰は大切 shiobara michio 投稿日:2004/05/11 23:14 桃井さん腰いためちゃったのね。さっき読んで知りました。 大事に至らなくて幸いでしたね。 私も昨年あたりから著しい筋力の衰えを自覚してステッパーを購入しました(中野のカタログハウスのリサイクルショップにて)。最初は五分も続けられなかったけど、今ではアルバム一枚分ぐらいどうにか踏んでいられます。おかげで姫路城にのぼっても筋肉痛にならずにすみました。 パッション shima 投稿日:2004/05/12 01:26 パヴァロッティ以外でも、鈴木さんのよく聴く曲は、なにげに「明るい」曲ばかりですね。これが、マーラー交響曲9番、モーツアルト・ピアノ協奏曲24番、ベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」・・・とかだと、「なんと暗い…」ということになりますが。鈴木さんは「ラテン系」なんでしょう。もっとも、誰だって本来、暗いより明るいほうが好きに決まっていますが。 前に話題にした『反音楽史』の石井宏さんにはインタビューしまして、その記事はいま発売の「エコノミスト」に載っています。記事にしなかった話で、私はインタビューのとき、「ベートーヴェンのミサ・ソレムニスは駄作だ」という持論をぶって石井さんの同意を得ようとしたんだけど、これには乗ってくれなかったな。ただこんなふうには言っていた。「まあ、あの曲は、力が入りすぎですよね。ベートーヴェンの音楽はいつもコブシをふるって『力説』するんだけど、あれはちょっと空回りしてるかな」。インタビューが終わって、石井さんはヨセフ・ホフマンの古い放送録音でベートーヴェンの「月光」を聴かせてくれた。「いま、こんなふうに弾ける人がいますかね」。これがホント、胸に染み入る名演で、しばらく耳から離れなかった。 声といえば、いまは、前にもちょっと書いた、ジョニー・キャッシュがいいですねえ。彼のCDばかり聴いている。遺作になったthe man comes aroundは本当に素晴らしい。ヨハネの黙示録を題材にした詩の内容も深いと思う。アメリカ人にとってのキリスト教の意味を改めて考えさせられもした。 そういえばきのうはメル・ギブソンの話題の「パッション」を観ましたが。なんかプロレスの流血の試合を見ているようだった。いや、いい映画でしたけどね。それよりも、場内におしゃべりばかりしている外国人のアベックがいて、気になって仕方なかった。まさに観客は受難でしたね。「汝の敵を愛せ」とスクリーンのなかでキリストが説くものだから、誰も注意できなかった(笑)。 すばらしい上達(?)ぶり 桃井 投稿日:2004/05/17 12:52 塩原さん、ステッパーわずか5分だったのが すでにアルバム1枚分とはスバラシイ。 沖縄で階段上がって下りただけで翌日筋肉痛だった ころとは大違いだ。挫折つづきのわたしはあのときと 変わっていません……。泣けてきます。 ドメイン取得 ノナカ 投稿日:2004/06/02 01:03 bokujinsha.comのドメインをとりました。 そのため、またURLが変わりました。 しょっちゅう変えて、不便で申し訳ありません。 当分はこれで落ち着きたいと思っています。 というか、ずっとbokujinsha.comで行くつもりです。 (牧人舎があるかぎり……?!) ゲストコーナーは後日更新します。 しばらくお待ちください。 まだ慣れないので、あちこち不都合があるかと思います。 おかしなところがあったらご教示ください。 どうぞよろしく! webmasterノナカ 更新 江崎リエ 投稿日:2004/06/02 14:45 邦子さん 毎回すばやい更新ですね。沖縄便りやら写真の言葉はおもしろい。携帯メールはこういうときにすぐに撮れていいなと思います。 秀岡さんのパソコントラブルは人ごとではありません。私も今 翻訳をやっているので、途中でパソコンが壊れたらどうしよう と思うと背筋が凍ります。悪いことは考えないようにしてはいるのですが。 桃井さんのウォッカバーも魅力的。でも、ウォッカあんまり飲めないので、一杯で終わりだとはちょっとさびしいな。 ゲストコーナーもあとで読みに来ます。 デジカメ 桃井 投稿日:2004/06/03 11:22 うちのデジカメはもうちょっと古くて、シャッターが重くて困ります。どうしても押すときにブレてしまう。それに処理の時間が長くて連写ができない。新しい機種はシャッター軽いんでしょうか。手ブレ防止機能付じゃないとだめかなー。 夏の音楽 シマ・カズーニー 投稿日:2004/06/10 00:20 春になるとベートーヴェンのスプリング・ソナタ−−鈴木さんもエッセーで取り上げていた−−と、私の場合、マーラーの「露しげき朝の野辺に」のメロディ(「巨人」に転用された)が自然に頭のなかで鳴る。 では夏といえば−−。これはもう、メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」ですね。無意識のうちにもう頭のなかで鳴っておりました。この「真夏midsummer」は、ご承知のとおり、日本的感覚での暑い盛りではなく「夏至」のこと。最近は「真」が抜けて「夏の夜の夢」との表記も見ますが、ドイツ語から訳すとそうなるのでしょうか。 好きな作曲家史上ベスト10にメンデルスゾーンは入らない。でも、好きな曲ベスト10ならば−−いや、ベスト3に入りますね、「真夏」は。宇野功芳もたしかそんなことを言っていた。「序曲」だけで、私の場合、メシが何杯でもいけますッ、て感じ。メンデルスゾーンはこれを10代で書いた。 ただし、この曲のディスク選びは難しい。全曲か抜粋か、「歌」入りか無しか、ということともに、歌入りの場合、ドイツ語版か英語版か、という問題がある。前にも書いた気がしますが、私は英語版が好き。なんたってシェークスピアすから。それなのに、全曲英語版というのは意外に少ない。私はずっとプレヴィンの旧盤を愛聴していましたが。鈴木さんはいいディスクをご存じないかしら。 今月のエッセーを読んで−−最近たまたま友人が場唐ood(アップルの携帯プレーヤー)の音を聞かせてくれましたが、その彼もグールドを入れていた。バッハではなく、モーツアルトのイ短調のソナタ。「シマはどうせ好きじゃないだろうけど」−−友人は私がグールドのモーツアルトが嫌いなことを知っているんですね。グールドのバッハは好きですが。それはともかく、デジタルの携帯プレーヤーにはグールドが似合う−−これは想像どおりでした。 ちなみに−−私のモバイル・コンピュータには、いま、ジョニー・キャッシュと、カラヤンのドヴォルザーク8番が入っています。 羅針盤の謎 シマ・カズーニー 投稿日:2004/06/15 17:20 『羅針盤の謎』を楽しく拝見しました。著者のアミール・D・アクゼルのものは、以前に『「無限」に見入られた天才数学者たち』を読んでいます。あれも面白かったけど、これも面白い。こういう科学ノンフィクションの魅力は、科学オンチの私のようなのにも、読んでいるときだけアタマがよくなった気にさせてくれるところでしょうか。もっとも、うまく書けており、かつ翻訳がよくなければダメですが(そして、読み終わってしばらくたつと、当然アタマは元に戻りますが)。ともあれアクゼルはよい書き手で、かつ翻訳者にも恵まれている。 磁石といえば、先日、山本義隆の『磁力と重力の発見』を読み始めたけれど、上巻の途中で挫折しています。大学レポート風で、文体が古臭く――世評は高かったけれど、面白くなかったですね。アクゼルはその点、はるかにプロですから、書き方が魅力的です。羅針盤の発明者とされる男は実在したのか――という「謎」を導入にして、ぐいぐい読ませる。本のつくりからは一見短い話のようですが、中身は壮大なロマンに満ちていて、分量以上の読後の充実感があります。私は夜読んでいて、思わず途中で外に出て夜空を見上げたくなりました。 60年代問題(1) シマ・カズーニー 投稿日:2004/06/24 04:07 還暦過ぎたポール・マッカートニーがまた来日して「ヘルター・スケルター」をやるとか、同じく還暦過ぎたThe Whoの生き残りが「初来日」公演だとか、のニュースを聞くにつけ、それってどうなの? かっこいいの? と思わざるをえない。ここぞとばかりに団塊オヤジ編集者たちがハッスルして、また紋切り型の60年代礼賛を聞かされることになるかと思うと……。いずれにせよ「年齢的に最後の来日?」なんて売り文句に騙されちゃいかんと思う。こいつらまだまだ生き延びて、最後には「各チーム」の生き残りたちから成る「スーパーバンド」を組み、70、80代の聴衆を集めて武道館公演やりかねない。「ついに実現、ポール、キース、ロジャーの夢の競演! 合わせて250歳!」なんて見出しが目に浮かぶ(ドラムはリンゴ・スターの息子が叩く)。 そんな皮肉な感想が浮かぶのも、ロジャー・キンボール Roger Kimballの60年代世代批判 The Long Marchを最近読んだせいだ。保守派の文芸批評家キンボールは私のお気に入り。彼のTenured Radicalsは、アラン・ブルームの『アメリカン・マインドの終焉』と並ぶ新保守派の代表的ベストセラーだが、ついに日本では翻訳が出なかった。それどころか、私の知る限り、キンボールは日本で一冊も出ていない。彼はその後も精力的に書き続け、最近は年1冊ペースで本を出しているのだが。How the Cultural Revolution of the 1960s Changed America の副題をもつ The Long March は2000年の刊行。タイトルは、「体制内での反体制の続行」というグラムシのモットー、そしてもちろん毛沢東の「長征」をふまえ、60年代世代がその反体制的メンタリティを長々と引きずっている様を表現している(Tenured Radicals もそうだが、編集者でもある彼はタイトルのつけ方がうまい)。中身はビート派から始まって、マルクーゼ、ソンタグ、フーコー/デリダなどの新左翼思潮の立役者たちへの辛辣きわまりない批判だが、「文化的・道徳的破壊兵器」であるロック音楽への批判も大きな柱となっている。 60年代問題(2) シマ・カズーニー 投稿日:2004/06/24 04:10 もちろん、いまさらロックの反道徳性を言い立てたところで(中国や北朝鮮ならいざしらず)アメリカでほとんど賛同を得られずはずはなく、保守派のあいだですら、この部分は共感よりもむしろ困惑を呼んだようだ。とはいえ、レーガンが死に、クリントンが自伝を出したこのタイミングで(保守派から見れば、クリントンは初の60年代世代大統領、レーガンは初の反60年代世代大統領、ということになる。大統領就任順序はあべこべになったが)、改めて「60年代の遺産」が議論の的になることもあるだろう。キンボールのような議論があることは、知っていていいことだと思う(ちなみに、彼の評論は、彼が主宰するThe New Criterion のウェッブサイトで読むことができる。最新版では、日本では鈴木さんが訳されたハンチントンの新著を取り上げている)。 それにしても――キンボールのような保守派の文化論を読むたびにいつも感じるのは、その主張に共感するか否かとは別に、日本人としての思いの複雑さである。キンボールのような文化保守派の主張は、つきつめれば、「西洋的価値観」の保守だ。キンボールが60年代を批判するのも、さらに広くブルームらがモダニティ全般を批判するのも、そこに反西洋的価値観の契機を見るからだ。それらを否定しても、彼らには、古代ギリシャ以来の西洋哲学、キリスト教、ルネサンス以降の西欧文化遺産、そしてロックに始まる古典リベラリズム政治論等の「帰るべき伝統」がある。しかし日本人にはそれがあるのか? 60年代問題(3) シマ・カズーニー 投稿日:2004/06/24 04:15 日本人は結局のところ、上記の西洋的価値観を明治以降必死で吸収してきて、「60年代文化」もその延長線上で「学習」したにすぎない。日本人自身はもはや西洋文明の一員と感じている――それでおかしくないのだが、アメリカの文化保守派から見れば、結局、「仲間」ではないのだろう(政治的パートナーシップはまた別として)。たとえば、キンボールの本を読んでも――保守派のものに限らず他の60年代文化に関するアメリカの本を読んでも――日本人もまた西洋発の60年代文化にどっぷり影響されたのだという事実にたいする認識はほとんどない。日本人自身はけっこう頑張ってベトナム戦争反対を叫んで「60年代」に参加していたつもりなのだが、そんなことは、アメリカの一般的知識人にはほとんど知られていないと思われる。キンボールも、60年代文化が有害だったというのなら、自分たちの国の心配だけでなく、日本にも「迷惑をかけた」ことを少しは申し訳なく思ってくれてもいいのだが。なにか空しい気分になる。 とはいえ、少なくとも60年代生まれのロックバンドたちは、日本人がなぜか自分たちの「よき理解者」であることを知っていて、いつまでも商売になることを有難がっているだろう。 (自分ではチョロっと書いたつもりが、3回に分けねば投稿できない長文となってしまいました。すみません) 「モーツアルトのレクイエム」 シマ・カズーニー 投稿日:2004/06/30 02:31 もうCDはあまり買うまいと思う。金もないし、置き場所もないし、それに私の頭のなかは、これまで聴いたたくさんの美しい音楽ですでにいっぱいだし。しかし、アーノンクールがモーツアルトの「レクイエム」を再録音したと聞いて、やっぱり結局、買ってしまった。ちなみにこれは、新宿タワーレコードのクラシック売り場で、現在、売り上げ1位でした。 前にも書いたと思いますが、アーノンクールのベートーヴェン全集はここ15年くらいで私が最も感動した演奏でした。さて、同じ感動と衝撃がこのレクイエムの新録音にあったかといえば、それはない。むしろ、モーツアルトのレクイエムに決定的名演などありうるのか、と改めて考えさせられることになった。そもそも、これは名曲か? 前半は素晴らしい。しかし後半は……。ご承知のとおりの成り立ちだから、結局いつもそういう感想になる。 CDの解説を書いている音楽学者が、「モーツアルトのレクイエム」という表記は詐称であり、「この辺でそろそろ正直になって・・・モーツアルトのレクイエムなる『作品』は存在しない、と認めるべきではなかろうか」と書いているが、そのとおりだ。正しくは「モーツアルトが3分の2ほど作曲したレクイエムの断片、第三者による補筆付き」とでもすべきなのだ。しかし、このせっかくの学者的良心も商品としての本盤には反映されておらず、CDの表紙にはやっぱり「モーツアルト『レクイエム』」としか書かれていない(日本版のたすきには小さく「バイヤー版」とあるが−−版の問題ではない、本来は)。 話が後先になったが、アーノンクールの演奏自体は素晴らしい。70歳を超えてますます脂が乗ってきた彼は、どんどん新譜を出してどれもこれも水準以上、というさしずめ鈴木主税さんみたいな仕事ぶりだ。彼自身の解説のなかで、この曲の「荒々しさ」についての指摘があるが、これには我が意を得た思い。この曲は荒々しく、恐れと怒りに満ちていなければならない。その点で、私が聴いたなかではカラヤンの最後の録音がよかったが、このアーノンクールもいいです。しかしその彼の棒をもっても、後半部分の弱さを補うことは不可能だった。 60年代 ノナカ 投稿日:2004/07/02 02:31 60年代っていうと昭和にすると35年から45年ですよね。昭和真っ盛り。なんか、世間ではいま昭和ブームなんですって? クレヨンしんちゃんの劇場映画版では、70年万博時代への郷愁がテーマになってたし、浦沢直樹の傑作『20世紀少年』でも70年万博が重要なモチーフになってました(『20世紀少年』はどんな終わり方にするつもりなんだろう、気になる)。 日本人による60年代論ってありますか? 団塊の世代はもはや息切れ状態でしょうか。孫ができる年代だもんね。それにくらべれば、60歳でいまだにセクシーなミック・ジャガーってやっぱりすごい。 ユーロ2004 ノナカ 投稿日:2004/07/02 02:35 ユーロ2004の準決勝チェコ対ギリシャをWOWOWのライブで見ようと思って、がんばって起きてるんですけど……あと一時間もあるよ。 自由業の特権で、夜更かししてしまおう。 これまでは自制して、だいたい再放送を観ていたんだけど、ポルトガル対オランダ戦がとてもおもしろかったので、ついでに見てしまおうという気になった。 夜更かし苦手なんだけど、起きていられるかな? キックオフは見ても、そのあと90分あるからな。 アズカバンの囚人 ノナカ 投稿日:2004/07/02 02:48 最初のころは全然興味がなかったハリー・ポッターですが、英語版を借りて5巻まで続けて読んだら、いつのまにかハリポタ病に感染してしまったらしい。 最新作の「アズカバンの囚人」、近所のプリンスシネマのレイトショー、インターネット予約を使って、レディスデー1000円で見てきました。キュアロン監督、いいですね。絵柄がとても美しい。前2作よりずっと雰囲気があって、原作の暗さや危うさがよく出ていた。 原作のほうも3作目からはぐっと暗くなる。それに分厚い原作をどう処理するのかと心配だったけど、それなりにうまくまとめてあった。でも、原作を読んでいないとちょっと理解しがたいかもね。人間関係が複雑だし。心理の移り変わりは描き方が足りなくて、唐突に変化しすぎ。もっとじっくり見たい気もした。ホグミード村の描写とかね。 今回はマクゴナガル先生があまり活躍しないのがつまらない。エマ・トンプソンのトレローニー先生はミスキャストじゃないかな。元気がよすぎる。主役の3人はチャーミングでいいな。なにかを口に含んでいるようなロンの表情とか、楽しい。ハーマイオニーは美少女になったしね。 と、このように熱意をこめて論じたくなってしまうとは、本格的なハリポタ病患者のようですね! ユーロカップ 江崎リエ 投稿日:2004/07/02 11:23 サッカーの生観戦は、15分の中休みに起きているのがつらいよね。私は会社があるので、ビデオに撮って7時起きでみました。途中で着替えたり化粧をしたり、いろいろ大変。時間の計算も狂うし。決勝戦は生でみたいな。 ハリポタ 江崎リエ 投稿日:2004/07/02 11:25 私もハリポタ3が見たくて、2をビデオショップで借りて来ました。まだ、見ていないけど。ハリーがかわいすぎると最初はおもったんだけど、慣れちゃったね。あとはフランス映画3本。 夏休みにフランスに行くことに下ので、耳慣らしをしなくちゃ、と思って。これもまだ見ていないけど。 玄米 江崎リエ 投稿日:2004/07/02 11:28 今回、こんなに玄米の話題がでるとは、驚き。発芽玄米はファンケルが売り出して、買いやすくなった気がします。わたしは無洗米の玄米ばかりで、発芽したやつはたべたことがありません。白とまぜて色が混ざるより一色のほうが好きなので、炊くときは100%。邦子さん、チャーハンがおいしいよ、と思ったけど、もう食べちゃったのね。 白米を炊くときは、炊き込み用カルシウムをまぜてます。これは息子の栄養のため。それに、カルシウムが不足すると怒りっぽくなるっていうから、なるべくにこにこしていてもらおうと思って。 玄米チャーハン ノナカ 投稿日:2004/07/02 13:12 あ、チャーハン、試してみました。ピラフ系のさらさらタイプじゃなくて、中華風のしっとりチャーハンになっておいしいよね。ただ、コレステロール値が高かったので、最近、卵を控えてるのよ。前はよく食べていた。でも鶏卵を控えてもイクラとかキャビアとか食べてちゃ、ね。 懲りずに、また発芽玄米を買ってきたので、カビ抜きで炊いてみようと思ってます。百パーセントでもけっこうおいしい。粉末(発芽)カルシウムも買ってあるので入れてみます。 玄米にとろろ芋をかけて、麦とろみたいにして食べるのも気に入ってます。海苔をたっぷりかけて。玄米って食感が麦に似てる。 コレステロール 江崎リエ 投稿日:2004/07/03 13:22 玄米チャーハンは独特の味ですね。でも、チャーハンに卵がないと寂しい。私もイクラ、ウニ、イカ、エビ、卵と、コレステロールの高い物が好きです。でも、量を食べないから気にしなくてもいいのではないかと思ってました。 ユーロサッカーを見ていますが、生活のリズムが狂います。 「分断されるアメリカ」 シマ・カズーニー 投稿日:2004/07/03 21:34 私のハンチントンはどこへ行ったのでしょう? 鈴木さんが送ってくれた『分断されるアメリカ』は、すぐに私の所属する雑誌編集部の書評担当者に渡し、速やかに書評が掲載されたのでよかったのですが、本が戻ってこないので私がまだ読めない。いや、言い訳がましいけれど、そういうわけでまだ拝読できていないのですが、すでに日米の多くのメディアで取り上げられていて、内容については書評によって先に知ることになりました。 今日は「諸君!」8月号掲載の野田宣雄氏の長文書評(「『文明の衝突』ハンチントン、アメリカ魂に帰る」)を読みました。それによればハンチントン氏は、たまたま私が本掲示板で先に投稿した「60年代問題」と同様の問題意識を共有しているようだ――「われわれは何者か」、すなわち、現状におけるナショナル・アイデンティティの喪失という問題と、課題としてのその再構築。はなはだ誇大妄想的我田引水で恐縮ですが。 その誇大妄想的我田引水をつづければ、野田氏の指摘する本書の「日本人にとっての取りつく島もない冷たい印象」もまた、私が先の投稿で指摘した、最近の米保守派の議論一般にたいする印象と重なる。話は大いに飛躍するけれど、このことは、日本の今後の翻訳出版のあり方に関しても問題を提起していると思う。簡単に言えば、アメリカの問題意識と日本のそれとが大きく重なっていることが、これまでの――少なくとも硬派ノンフィクションの――翻訳出版の前提であったとすれば、今後はその前提を疑わなければならないかもしれない。 この話は私には難しすぎるのでここで終わり。 >60年代 シマ・カズーニー 投稿日:2004/07/03 21:36 音楽などでは、いまは70年代ブームとか言われますけどね。欧米の60年代論では、「60年代」とは1950年代半ばから70年代半ばまでを指すことが多いので、70年代ブームも60年代ブームの一種と見ることができる。 日本人による60年代に関する本としては、ごく最近、小野民樹さん(岩波書店の編集者)の『60年代が僕たちをつくった』(洋泉社)が出ています。直接に60年代論とは言えなくても、たとえば高沢コウ司の『宿命――「よど号」亡命者たちの秘密工作』(新潮社)とか高幣真公『釜ヶ崎赤軍兵士――若宮正則物語』(彩流社)のような新左翼活動家に関する優れたノンフィクションは、形を変えた60年代論でもあるでしょう。60年代論とは、結局のところ「(広義の)団塊の世代(ポール・バーマンの言う '68 generation)」論でもある。 そういえば、団塊世代の会社の先輩が『宿命』を読んで、「おれもああなっていたかもしれないと思うとぞっとした。実に紙一重だった」としみじみ言っていたのが印象的でした。 ☆ あ、小都さんだ。 今月のエッセイ 江崎リエ 投稿日:2004/07/04 14:43 今月のエッセイ、仕事とご飯のたとえが絶妙でおもしろいですね。広告業界と出版業界は似ているようで全く違うので、編集者の仕事は垣間見るくらいしかわかりませんが、文学好きの同好の士としてお酒を飲むのは楽しい方がたくさんいます。 団塊の世代 ノナカ 投稿日:2004/07/04 18:27 やはり団塊の世代は数が多いので、彼らの動きが流行に反映するんじゃないでしょうか? 70年代というのは団塊の世代にとって、まさに青春だったわけで、いまや50代後半から60代にさしかかった団塊の世代が若い頃を回顧するようになったのが70年代ブームのきっかけではないでしょうか。昨今の健康ブームやサプリの流行も中高年パワーだと思う。 若いころには、「過去を懐かしむなんて意地でもしないぞ」と思っていたのに、なんと年とると若い頃のことが甘美に思えてくるのね(この私でさえも)。 ちょっと上に団塊の世代がいてくれるので、その数のパワーで、きっと中高年中心の社会に変わっていくにちがいないと、漠然と期待している私です。 ところで、昔、私は団塊の世代を「だんこんのせだい」と発音して大いに笑われ、バカにされた経験があります(いまでも覚えてるよ、ヒラヤマさんに笑われたこと)。団魂=団地育ちのたましい、だと思ったんだもん。 恥もいろいろ シマ・カズーニー 投稿日:2004/07/06 00:44 いやー、ぼくも大学生のころ、ダンコンの世代と読んで笑われたなあ。ぼくだけじゃなかったのですね。 この手のまつがいで一番の恥は、「云々」をデンデンと読んでたのね、高校生のころまで。人前でもさんざん口にしていて、あー、いま思い出しても顔から火が出る。 こういうのは口に出して恥をかいて、初めて間違いに気づくわけですから、恥もときにはかかねばならない。とはいえ、恥は一瞬、というわけにはいかず、いつまでも忘れらないものですね。 逆に、人の間違いを指摘すべきかどうか迷うこともありますね。ある女性がシワク、シワク、と言って、最初、意味がわからないことがあった。誰々のシワクでああなった、こうなった、とか。途中で「思惑」だと気づいたけど、就職の面接のような場でもあり、気の毒で指摘しなかった。指摘してあげるべきでしたね、次の面接でまた同じ間違いを繰り返すなら、かえってかわいそうだった。 まあ、そういうわけで、たとえば、ブッシュ氏の数々のいいまつがいにも、ぼくは寛容なんですけどね。たくさん喋らなければならない人は、たくさん言い間違って当然。慎重になりすぎて無味乾燥な官僚答弁になるよりはいいと思う。あの人はちょっと間違えすぎかもしれないが……。意味はちょっと違うけど、小泉首相の「人生いろいろ」発言にも、ぼくは好感をもったほどでしたが、世間様は許さなかったみたいですね。 ただ、妙にカンに触るへんな日本語というのはある。いま盛んに流れている総務庁の選挙キャンペーンのコピー「日本に関心をもてるのは、スポーツだけですか」って、おかしくないですか? 「日本に関心をもてるのは、スポーツを見るときだけですか」ということか。いずれにせよ、なんか国民をばかにしているようなとこがイヤだ。 西村裕之 投稿日:2004/07/07 02:42 こういうのを書いてみました。ノンフィクション翻訳のご参考になれば。 誤訳の多い軍事用語 http://homepage2.nifty.com/hnishy/militerms.htm エンカルタの翻訳はこちら牧人舎で手がけておられるのですね。クリミア戦争のCharge of the Light Brigadeのところ、新しい版では直っているのでしょうか。 軽騎兵 ノナカ 投稿日:2004/07/07 09:18 西村さん、はじめまして。 サイトを拝見しました。軍事用語はほんとに間違いやすいですね。時代によっても、国によっても違うし。参考にさせていただきます。 エンカルタのクリミア戦争の項目は牧人舎の担当ではなかったのですが(分量が多いので全部は引き受けられず)、いちおう見てみました。図版のキャプション中は軽騎兵になっているのに、地図中は統一されていませんね。 さっそく編集部に知らせておきました。ご指摘ありがとうございました。 なかま 江崎リエ 投稿日:2004/07/07 11:50 邦子さん、シマさん 私もだんこんと読んでいました。こんなに仲間がいてうれしい(と喜ぶことではないが)。帰省もきしょうと読んでいた。 こういうのは最初に思いこんで頭に刷り込まれると、直されたあとも使うたびに迷います。先日旅行会社にいったら、担当者が 重宝をじゅうほうと言っていた。これは店を出てから気づきました。でも、あとで辞書を引いたら「大切な宝物」という意味のときには重宝(じゅうほう)とも言うそうです。自分の中でも、気づかずに間違って使っている言葉はいくつもあるのだろうな、と思います。 軍事用語 江崎リエ 投稿日:2004/07/07 12:16 西村さん、こんにちは サイト、拝見しました。軍事用語は日本語でも意味がわからないのが多く、一度体系的に知っておきたいと思っていました。私は軍事ものを訳すことはないと思いますが、日常生活内のたとえなどで出てくることもありますものね。 暗号は、昔旅行関連のバイトをしていたときに、アルファベットのスペルを電話で伝えられたことを思い出しました。普通はアテネのA,ローマのRなどと言って聞き間違いを避けるのですが、たまに、アテネ、ローマ、・・・とアルファベットなしにわーっとしゃべる人がいて、私は地名の頭文字を必死にノートしなくてはなりませんでした。 ホームページの他の所も少し読ませていただきましたが、主義主張がぽーんと書いてあって、なかなか読み応えがありました。 ノナカさんと江崎さんへ 西村裕之 投稿日:2004/07/08 05:36 ノナカさん、牧人舎が全部やっていたのではないのですね、お手数をおかけしました。リファレンスの翻訳はたいへんで、誤情報などはどんどん指摘してどんどん直すという風になったほうがいいと思っています。そのためには、責任の所在がある程度あいまいなほうがいいのかもしれない(笑)。 江崎さん、拙HPをお読みいただいてありがとうございます。翻訳者は職業上の必要からか控え目な方が多いのですが、世間に対してもう少し言うべきことは言ったほうがいいと思うことが多い。言いたいことが言えないようでは、フリーランスになった甲斐がないし。 ちなみにfreelanceももとは軍事用語、決まった主君を持たずあちこちに雇われる傭兵という意味です。 フリーランス 江崎リエ 投稿日:2004/07/08 11:46 西村さん freelanceが軍事用語とは知りませんでした。傭兵が、現代では仕事の助っ人になったという感じかな。私はライター、コピーライターとしてフリーランスが長いのですが、生活に直結する分、主君=クライアントにはなかなか言いたいことが言えませんね。クライアントもその上に主君がいることが多いし。最初にきちんとした契約関係を作る方が、お互いにいい仕事ができるはずなのですが。 自己PR シマ・カズーニー 投稿日:2004/07/10 23:09 私も西村さんのHPを拝見しました。こういうきちんとした自己PRは編集者にも有難いですね。専門分野に並々ならぬ知識をおもちのようですが、せっかくの経験と実力の持ち主なのですから、分野を限らず幅広く活躍なさることを祈っています。 ところで、先日、日本橋の高島屋でやっている「宮尾登美子の世界展」に行ったのですが、見もののひとつは、彼女が20代から30代にかけて書いた大量の没原稿の束でした。書いても書いても没になる−−宮尾さんはその間、「なぜ私の才能が世に認められないのか」という怒りと呪詛を、主婦業のかたわら毎日、日記に書き連ねていたそうです。その日記の一部も展示されており、宮尾さんは「いま読み返して、自分がいとおしい」とコメントしていました。40代後半になってやっと世に出るまでの彼女の努力、その情熱と決して負けないプライドは−−出版界ではすでに神話となっていますが−−それ自体が宮尾さんの文学の世界ですね。そして、その根性も才能の一部だと思わずにいられない。 幸運な例外はあるにせよ、才能さえあれば世に出られる、というほど世の中は甘くないのはみな知るところですね。宮尾さんほどの人は出版界にも稀でしょうが、いま有名になった作家の修行時代の苦労をぼくも仕事がら一部見ており、成功にはそれなりの対価があることを知っています。最初はたいがい仕事を選べないし、何度書き直しても没にされて半泣きで机に突っ伏している作家の姿も見た。「なんの気なしに書いたものが、たまたま編集者の目にとまって出版をすすめられ−−」という話は、よく聞くけれども、たいがいウソだと業界の人間なら知っている。うわさで聞く芸能界の事情はさらに厳しいですが、出版もまあショービジネスのようなものですから、自己PRと売り込み、そして編集者との戦いなしに成功はありえないでしょう。 私も持ち込原稿をよく没にする−−それも仕事の一部ですから。私は、あまりにひどいものは別にして、「もう2度と送ってくるな」と言ったことはない。しかし、1度没にされたら2度と原稿を送ってこない人がほとんど、95%以上なんですね。あんがいみんな根性がない。だからこそ、自己PRや売込みにおいて根性のある人には、見かけの競争率以上の成功の確率がある−−まあ、どの世界でもそうですが。 シマさんへ 西村裕之 投稿日:2004/07/13 13:35 シマさん、拙HPをお読みいただきありがとうございました。いい機会ですので、実務翻訳者に出版翻訳がどう見えているか、少し書いてみます。 ●出版は「ショービジネス」であっても、翻訳はそうではありません。訳文に個性が出てしまうことはあっても、自慢するようなものではない。翻訳という作業の本質的な限界によってそうなる、あるいは翻訳者の技術不足でそうなってしまうだけなのだから。出版社は翻訳という仕事の性質をよく理解していないのではないか。そして翻訳の報酬を、一次著作物と同じ印税方式にしている。翻訳という仕事の性質にまるで合わないのに。(このへんは拙HP内「出版翻訳の報酬はなぜ印税なのか」に詳述したとおりです) ●小説を書く人は、ほうっておいても出版社に寄ってきます。ほかに売り先はないのだから。小説の翻訳をやりたいという人も、そうかもしれない。しかし、ノンフィクションの翻訳に必要なスキルは、実務翻訳のうち一般読者を想定した文書の翻訳とほとんど同じです。広告代理店、投資顧問会社、自動車メーカー、売り先はいくらでもある。うまい翻訳者はどこへ行っても足りない。そして実務翻訳をやっていれば、人並みか、働き者ならそれ以上の収入が安定して得られる。そういう人たちが、時間を割いて出版社に自分から売り込みに行くでしょうか。 ●出版社は翻訳という仕事の性質を理解せず、報酬体系を不合理なままにしている。高度な翻訳スキルの需給バランスを理解せず、ただ売り込みに来るのを待っている。するとどういう人がやってくるか。 まるっきりの新人。失業者。訳者として名前が出ることと作者として名前が出ることの違いがわかっていない人。翻訳印税によって一攫千金を夢見る人。 そういう人たちの翻訳スキルが高いでしょうか。例外はあるにしても、持ち込みの平均レベルがどの程度か、よくご存知でしょう。だから出版社(の書籍編集部)は、高度な翻訳の調達にしょっちゅう失敗している。 実務翻訳屋の目にはそう見えるのですが、いかがでしょうか。 西村さんへ(1) シマ・カズーニー 投稿日:2004/07/14 01:08 むむ。わたしが答えるんですか。 正直な話、翻訳者に限らず、校正者にも、装丁家にも、もっと払えればいいのになあ、と思うことが多い。申し訳ない、と思うことが多いですよ、本当の話。多くの「専門家」の仕事なしには本づくりはできない。専門家は上記の人に限らない。たとえば印刷所の現場にもびっくりするくらいの熟練者がいて感動することがある。本の質の向上に直接貢献するそうした人々のスキル、専門的知識、才能は、一般論でいえば、金銭的にももっと報われるべきだと思っています。問題は、しかし、だれがどっからおカネを出すかですね。 繰り返しになりますが、出版界は著者以外の関係者の「専門性」にたいして充分報いていないのではないか、という一般的感想はある。たとえば装丁家にたいして。業界外の人は、ベテランのいわゆる一流装丁家と、駆け出しの装丁家と、装丁料の「単価」はほとんど同じであると聞いて、たいがい驚きますね。そして、「超一流」にたいする単価の安さにも驚く。この業界では、一般に、「一流」と「三流」の違いは、「単価」ではなく「受注数」に表れる。作家もある程度そうですけどね。そういえば、装丁家のあいだで、装丁料を印税で払え、という要求が出たことがありましたが、いまは一般にそうなっていません。 西村さんのHPのなかで、わたしがある意味、いちばん共感(?)したのは、 >編集者はコストを抑えたいなら、まず「有能な翻訳者への報酬を確保しないと売れるものも売れないから」と言って原著者に印税率引き下げを交渉するのが筋でしょう。 という部分です。いやほんと、これができればねえ、なあ小都さん。同様に、いい装丁家に、あるいはいい校正者にもっと払いたいから印税負けてくれ、と著者に交渉すべきなんでしょうか。それが「筋」かもしれないが、うーん、現実には難しいでしょう。 西村さんへ(2) シマ・カズーニー 投稿日:2004/07/14 01:10 利益(とリスク)の分配に関することなら、これは個別の交渉ごとになるのだから、それぞれ「とれるぶんはとる」べく主張すべきでしょうね。結局は力関係で決着するでしょうが、いずれにせよ黙っていれば不利になりますから。西村さんのように主張するのはいいことだし、西村さんの提案する条件が受け入れられることもあるでしょう。しかし、その主張が、西村さんのいうほど「合理的」だと出版社がつねに思うかどうかは疑問がある。 ひとつには、本の原価計算は、一般に、西村さんのいう「長期的」利益によってなされていない。初版の範囲で計算されるのが普通ではないでしょうか。そして、たとえば3万部売れる見込みならば、初版で3万部刷るのが「合理的」なのです。初版で翻訳者に分厚く払った分を増刷分で「取り戻し」てバランスさせる、という考え方が、出版社から見て「合理的」である場合は、まったく考えられないわけではありませんが、あまりないのではないでしょうか。 もし西村さんのいう条件で、初版において通常よりも翻訳者に分厚く払った場合、そして、その増分を他の犠牲(たとえば、著者が印税をまけてくれるとか)で吸収できない場合、それは価格に転嫁される。それでOKな場合もあるでしょうし、そうでない場合もあるでしょう。最終的にカネを出すのは読者ですから。「よい翻訳」である分、読者が余計におカネを払うというなら、OKなわけです。しかし、個々にはそうですが、この条件が「よい翻訳」を確保する最善の道だという主張は、読者は翻訳書の価格が現在よりも一斉に上がったとしてもそれを容認するだろう、という主張と同じになりませんか。「新刊書が高すぎる」という読者の声をしょっちゅう聞かされている出版社としては、「それはどうかな」と思うでしょう。 西村さんへ(3) シマ・カズーニー 投稿日:2004/07/14 01:11 金銭的条件がよければよい人材が集まり、長期的には業界のためになる、というのは、一般論として、どの業界にもいえることです。わたしも、書籍編集者の給料がもっと上がれば、よい人材が集まり、長期的に書籍出版業界のためになる、と声を大にしていいたいですが、しかし、だれにいえばいいんですかね? 本の商売はあまりもうからないんですよ。そう、最後には話はどうしてもそこに来ます。これは、いまに始まった話ではないし、日本だけの話でもない。広く読まれている「編集入門 The Elements of Editing」のなかで、著者の Arthur Plotnik は、本の商売は金銭的にわりに合わないのに、なぜ書籍編集者になろうとする人がいるのか、と問いかけ、こう書いています。 Because, a book is a more interesting product than a shoe--even if most Americans don't agree. Because, at its highest level, book editing is profoundly, intellectually stimulating. まあ、そんなところかなあ、とわたしも思います。そしてこれは、よりもうかる商業デザインより装丁業を選んだデザイナーにも、そして、よりもうかる実務翻訳より出版翻訳を選んだ翻訳者にも、かなりの程度、共通する思いではないでしょうか。 ★ なお、持ち込み原稿というのは、ほとんどものになりません。プロの編集者がそれを当てにすることは、一般にないでしょう。 また長文の投稿になって申し訳ありません。(終わり) シマさんへ再び(1) 西村裕之 投稿日:2004/07/16 10:28 >>金銭的条件がよければよい人材が集まり、長期的には業界のためになる、というのは、一般論として、どの業界にもいえることです。 ●いや、私が言っているのは、「翻訳報酬全体を増やせ」ではありません。「翻訳報酬の分配を合理的にせよ」ということです。印税方式では、下手な訳者の、編集者がかなり手を入れないといけないような訳文でも、本が売れたら何百万も払うことになる。その同じ出版社が、うまい翻訳者が難しい本をきっちり訳しても、本が売れなければ数十万しか払わない。こんな方式のどこが合理的なのでしょう。 ●翻訳報酬を本の価格に転嫁しなきゃいけないとおっしゃいますが、それはあたりまえです。どんな商品でも、必要なモノや役務を調達し、そのコストを回収できるような価格設定をし、販売努力をする。そして見込み違いがあったら、経営陣と株主が責任を負う。当然でしょう? しかも翻訳書は、質の高い素材(原著)を輸入し、人件費の高い日本で加工(翻訳)しなきゃいけないんだから、本来ほかの本より高くて当然です。ところが、印税という無責任な方法では決してそうなっていかない。本が売れなければ、翻訳者にはきわめて安い報酬しか払わなくていいんだから。 ●人を集め、育て、力を引き出す。そのためには、報酬を細かくコントロールできたほうがいいに決まっている。しかし印税方式では無理です。出版社の書籍編集部は、コントロールの手段をまるで放擲している。1枚いくらの枚数比例を主にすれば簡単にできるのに。出版社でも、雑誌編集部は1枚いくらで翻訳を買っているでしょう。すると、やはり世間並みは出さないといけない。うまい人を逃がすまいと思えば、高く払わざるを得ない。それを前提に、企画を立てるわけです。 シマさんへ(2) 西村裕之 投稿日:2004/07/16 10:31 >>そしてこれは、よりもうかる商業デザインより装丁業を選んだデザイナーにも、そして、よりもうかる実務翻訳より出版翻訳を選んだ翻訳者にも、かなりの程度、共通する思いではないでしょうか。 これが錯覚です。問題の核心です。靴メーカーに就職するのと、編集者になるのとでは知的生活の内容が全然違ってくる。本の装丁も、商業デザインよりは自由度が高くておもしろい仕事なのでしょう。しかし翻訳はそうじゃない。intellectually stimulatingということでは、実務翻訳にもおもしろい仕事はかなりあるし、雑誌記事やネットのニュース記事などもある。また仕事の性質上、書籍の仕事だからといって自由度が高くはならない。同じ仕事ですよ。決定的な違いは、報酬体系だけです。 ●実務翻訳といってもいろいろで、儲かるけどつまらない仕事もあれば、面白いけど金にならない仕事もある。ただし1枚いくらだから、「どの程度金にならないか」は予測できる。それを見た上で、やりがいと報酬のバランスを考えて仕事を選ぶのです。シマさんも就職の時に、出版社と他業種と初任給を比べませんでしたか? デザイナーが装丁をする時も、1本いくらだから、予測がつくでしょう。 しかし翻訳者にとって、出版翻訳は報酬の予測がつかない。初刷分だけで終わるとしたら、ちょっとやっていられないような条件がほとんどだし、増刷や文庫化の可能性は予測しにくい。貧乏にもいろいろ段階があるんです(笑)。予測がつけば覚悟のしようもあるけれどね・・・予測がつかないというのがいちばん困る。書籍編集部というのは、翻訳者から見て非常に売りにくい、困ったお客さんなのです。 報酬をある程度予測のつく形で(折衷方式で)提示してくれれば、考えようがあるのですが。 再び西村さんへ シマ・カズーニー 投稿日:2004/07/18 03:51 青山ブックセンターがつぶれちゃいましたね。ショックです。とくに美術書やデザイン関係の出版社には打撃でしょう。 ● 西村さんへ >下手な訳者の、編集者がかなり手を入れないといけないような訳文でも、本が売れたら何百万も払うことになる。その同じ出版社が、うまい翻訳者が難しい本をきっちり訳しても、本が売れなければ数十万しか払わない。こんな方式のどこが合理的なのでしょう。 (西村さんの投稿より) 気持ちはわかる、私が「ショービジネス」と言い、Plotnikが mad market と言うのも、同じ気持ちから発している。300万部売れた『世界の中心で…』は、販売価格が同じならば、3000部しか売れない本の1000倍(利益率を考えれば、実際にはそれ以上)の市場価値がある。その対価として、後者の著作権者、出版社、取次、書店は数十万円の収入しか得られない(著作権者以外は全員「赤字」かもしれない)が、前者ではそれぞれ数億円の収入を得る。この1000倍の格差は不合理に見えるかもしれない。しかし、それが出版市場というものの現実ですから。文句を言ってもはじまらんでしょう。 ふだんは低収益に耐えてなんとか生き抜き、ときおりの「バカ当たり」でひと息つく、というのが、全体として見た場合、万国共通、昔からの出版市場の姿です。「報酬の予測しがたさ」はこの市場の特性であって、市場のプレーヤーたちは、みなそれを前提に営業している。出版社も、著者も、書店も、みなそうです。そのなかで翻訳者だけが安定性を保証されるべき? そんな理屈は通らないんじゃないですか。 私に言わせれば、西村さんは誤解なさっている。実務翻訳のほうが出版翻訳よりも報酬が安定的であるとすれば、それは出版翻訳の報酬体系が「不合理」だからなのではない。実務翻訳の報酬が、出版翻訳の市場よりも安定的な市場(クライアントの実業)からもたらされているからでしょう。半分は広告収入で成り立っている新聞・雑誌のそれが、相対的に書籍よりも安定的なのも同じ理由です。あるいは、言い方を換えるなら、出版翻訳の報酬体系が西村さんの目から見て「不合理」なのは、書籍出版市場が西村さんの目から見て「不合理」だからにほかならない。しかし、繰り返しになりますが、西村さんからどう見えようと、それがこの市場の現実なのです。 青山ブックセンター 江崎リエ 投稿日:2004/07/25 01:29 青山ブックセンター倒産のニュースはびっくりでした。私は年に数回、青山に行くと寄っていて、眺めてもあまり買わなかったので、もっと買ってあげれば良かったと思いましたね。アマゾンは便利だけど、雰囲気や品揃えが好きな本屋は、応援する意味でもそこで買うべきですね。 本が好き ノナカ 投稿日:2004/07/25 12:31 たしかに「印税制度は理不尽だよなー」とか、「契約書もちゃんととりかわすべきだよね」とか、「これじゃ食べていけないよ」とか、いろいろ思いますが、やはり新刊が出るとすごくうれしくて、舞い上がってしまいます(7月15日に拙訳書『世界を変えた地図』サイモン・ウィンチェスター著、早川書房が出ました)。この嬉しさ、興奮、刺激があればこそ、もうけの少ない出版翻訳もやっていけるというものです。 出版翻訳者の大多数は、編集者や出版社がクライアントというより、むしろ最終的な読者をクライアントだと思っている人が多いような気がします。編集者や制作担当者は共同作業の仲間、という感じ。最終的にいい本を作って、大勢の人に読んでもらいたいという点では、利害が一致している。めざすところを同じくする編集者(や校閲やデザイナー)といっしょに仕事をする喜びはとても大きいです。 私は実務翻訳も少々やったことがあるけど、製品になったものへの関わり方とか、どういう使い方をするかという点で、こちらの意見はほとんど反映されないのが出版翻訳と違うところだと思う。 「それほど売れそうもないけど、この本を出したい、ぜひ翻訳したい!」という気持を(編集者と訳者が)共有してやっているわけだから、収入の予想がつかないというのも、引き受けるべきリスクの一つかもしれないな。信頼関係があってこそですが。 だから、お金の問題についても、共同作業の相手である編集者にはあまり強くいえないんですよね。もちろん、まっとうじゃない編集者も世の中にはいるんでしょうけど……。幸い、自由業である翻訳者はいやな編集者とつきあわない自由もある(ただし、仕事を失うリスクと背中合わせではある)。 青山ブックセンターは書店自体に「本が好き」という雰囲気があったし、たんに「売れる本がいい本」というスタンスではないところに共感してました。閉店は残念です。私が億万長者だったら、好きなように書店を経営してみたいなー。 『愛のトンデモ本』文庫入り 原田 実 投稿日:2004/07/30 13:14 はじめまして。以前、こちらの掲示板でも話題にしていただいた『愛のトンデモ本』(と学会著)で、『永遠のバービー』の書評を担当した者です。この度、その本が文庫化されましたので、ご挨拶までに報告申し上げる次第です。 『愛のトンデモ本』上下2巻、2004年7月30日刊、扶桑社文庫、『永遠のバービー』書評は上巻に収められています。 これを機に『永遠のバービー』そのものがまた注目されるとよい、と願ってはいるのですが・・・ なにとぞよろしくお願い申し上げます。 最近の音楽書1 シマ・カズーニー 投稿日:2004/07/31 15:31 訃報を聞き、改めて「ばらの騎士」のLDを観ましたが、カルロス・クライバーはホントかっこよかったなあ。鈴木さんは伝説の日本公演には行かれたのかしら。 たまたま『ミケランジェリ ある天才との綱渡り』(コード・ガーベン 蔵原順子訳 アルファベータ刊)を読んでいたところですが、著者のガーベンは、ミケランジェリとクライバーは「精神的兄弟」だったと言っている。どちらもレパートリーを極端に絞り込んだ。そしてどちらも「キャンセル魔」だった。完璧主義、というより、音楽の「偉大さ」を信じて妥協しなかったということでしょう。自分が心から共感できる曲しか演奏しなかった二人にくらべて、ときに権威を異化するためにのみ演奏したグールドは道を誤った、とガーベンは書いている。音楽プロデューサーでもあったガーベンは「現場」の実情を知っており、たんなるジャーナリストやインテリの評より演奏芸術の本質をついているところがある。編集者のほうが、並みの文芸評論家よりも作家の本質を知っている、ということがあるように。 ただしこの本、訳文はまあまあとしても、全体の構成がおかしい。エッセイの寄せ集めのようになっているが、もっときちんと章立てできたはずだ。これは原著の編集の問題だろうが。索引がないのも問題だ。 最近の音楽書2 シマ・カズーニー 投稿日:2004/07/31 15:32 「ばらの騎士」といえば、山田由美子の『第三帝国のR・シュトラウス』(世界思想社)もおもしろい読み物でした。アルマ・マーラーの軽蔑に満ちた評などで「才能は抜群だが精神性のない俗物」のイメージがあるシュトラウス、そしてその悪評を決定づけるナチとの協力関係のなかでのシュトラウスの再評価を果敢に試みた論文で、すでに多くの書評が出ていますが、たしかに一読の価値ある本です。 ただ、私の感想をいえば、「ナチ=絶対悪」という図式が強すぎ、そこからシュトラウスを引き離そうとするあまり、ひいきの引き倒しになっている。第三帝国下で、必ずしもナチに協力的でなかったシュトラウスが生き延びられたのは、シュトラウスの音楽があまりに素晴らしかったからということもあるけれど、それを評価できたナチのほうも評価しなければ公平でない。こういうと語弊はあるだろうが、ヒトラーの政権は、芸術的趣味のよさにおいて史上空前だった面がある。政治的志向は違っても、芸術的価値観で双方に通い合うものがあったと見るほうが自然だろう。 シュトラウスを完全な啓蒙人文主義者に仕立てあげようとする山田の努力は、たとえば「死と変容」のような当時のドイツのオカルト的風土に根ざす作品をあえて無視することにつながっていないか。山田論文の趣旨では、実は反ナチだったシュトラウスは反・英雄主義で、実はワグナーが嫌いであり、「ツアラトゥストラ」も「英雄の生涯」も一種のパロディだったということになるが、強引にすぎよう。また、戦後、シュトラウスのナチ「協力」を批判した勢力は、一方で共産主義の脅威を過小評価していた点も、トーマス・マンなどにからめて論じられて然るべきだった。 しかし、シュトラウスを「喜劇の人」「哄笑の芸術家」と見る見方はおもしろい。私はショスタコービッチを連想しました。どちらも、その才能がストレートに発揮されれば、20世紀のモーツアルト――あるいはモーツアルトが長生きしたらこうなったという実例――になれた人でしょう。だが、20世紀の政治的現実が天才の表現を複雑に屈折させてしまった。それでも、同時に、両者ともが抑圧的な体制のなかで自らの最高の成果を上げたという事実。その皮肉こそがおもしろい。芸術的には、逆説的に、ナチとソ連に感謝しなければならなくなる。 文庫化 ノナカ 投稿日:2004/08/02 17:46 原田さん、文庫化のお知らせありがとうございました。 本体のほうも文庫化してくれるといいんですけどね。誤植も多いし。 バービーはいろいろな見方から論じられていて、最近は日本人著者の本も出ましたね。『バービー・クロニクル』(早川書房)という本も出てますので、こちらもよろしく。 サイモン・ウィンチェスター zokkon 投稿日:2004/08/02 17:50 野中さんの新刊はサイモン・ウィンチェスターですね (トップページからのリンク先(紹介ページ)で「翻訳家がぶ」となっているところがあります)。 おもしろそうです。 The Meaning of Everything もそろそろ邦訳が出るそうで,読者としては同じ著者の邦訳書が一度に出るのは金銭的にちょっと問題あるかもしれませんが,書店では目につきやすくていいかもしれません。 薔薇の騎士 ノナカ 投稿日:2004/08/02 17:51 クライバーは本当に華のある指揮者でしたね。 『薔薇の騎士』の舞台は色調が白とピンクと銀色で統一されていて、まさにシュトラウスの音楽を絵にしたような印象でした。シュトラウスの音って、銀ラメのリボンがくるくる回っているようすを連想します。 テクスチャーでいうとサテンの感じ。 8月更新 ノナカ 投稿日:2004/08/02 17:55 更新しました。毎日暑いし、台風だし、毎日だらけてます。 リエさんのエッセイを読んで、引き出しのなかの扇子を探したんだけど見つからない。ちょうどいいから、新しい扇子を買おうと思いました。 トップページに案内をしてありますが、無謀にもイラストの個展などを開きます。今月の25日から。近くにくる機会があったらぜひ覗いてみてください。画廊にはほとんど毎日出ていると思います。 誤植 ノナカ 投稿日:2004/08/02 18:08 「がぶ」って何? と思ったら、あ、ほんとだ。 zokkonさん、ご指摘ありがとうございます。 誤植ってほんとに思いがけないところにまぎれこむ。 さっそく直しておきました。 コンピューターになっても誤「植」って変ですが。 The Meaning of Everything の邦訳がもう出るんですか。早いなー。 『クラカトア』『地図』も続いて出たという印象なんですけどね。 『バービー・クロニクル』 原田 実 投稿日:2004/08/02 18:25 ノナカ様 レス賜りありがとうございます。 良書が末永く読み継がれるような 状況が訪れることを心より願う次第です。 ちなみに『バービー・クロニクル』の書評も書いたことが あります。ただし、商業出版ではありません。 http://www8.ocn.ne.jp/~douji/gyouseki.htm >「リカちゃんはバービー・スタイルの夢を見るか」 >『と学会誌』10号、2002年7月13日 というわけで、本当にお世話になっております。 今後もご教示いただきたく、よろしくお願い申し上げます。 トンデモ シマ・カズーニー 投稿日:2004/08/03 02:20 そういえば「バービー」の件をちくったのはわたしでした。もう文庫になるって、最近は早いですねえ。 わたしはもちろん「と学会」のファンで、最近の「S」「T」まで出れば必ず買って楽しませてもらってます。原田さんのでは、あの「ペットボトル」の話がとりわけ強烈でしたね。以来、黄ばんだ本の頁にさわると、すぐに手を洗いたくなる。 ところでわたしは誤植には長年関心があって……まあ「関心」という言葉ではとても表現できない積年の思いがあるわけですが、以前、「誤植の本」みたいなのができないかと考えたことがある。ちょっと資料を集め始めて、すぐ散逸させちゃったからもう正確には思い出せないけれど、たとえば「姦淫せよ」と誤植した聖書とか、「全知全能」を「無知無能」と誤植したとか、ウソかホントかわからないようないろいろな例があるでしょう。誤植の多い本を集めて史上最多誤植を競わせるとか−−まあ、別の意味での「トンデモ本」大賞ですね。VOWとかで、東南アジア製品の日本語誤植を取り上げる企画もありましたが、そういうのも含めて。ザル校大賞というか。何がおもしろいといわれても困るけれど、それを読むと編集者の心が安らぐと思うんですね。少なくともわたしの心は救われると思う。 誤植といえば 原田 実 投稿日:2004/08/04 12:18 シマ・カズーニー様、ありがとうございます。 そうですか、印象強いのは「ペットボトル」ですか・・・ (でも、たしかにあれは好評でした)。 ご指摘の通り、テキストの誤植が大きな問題をもたらす例もありますね。『三国志』現行テキストで倭国の都の名が「邪馬壹(一、壱)国」とあるのは、邪馬臺国の誤記・誤刻が定着したもの、というのは現在の研究状況では明らかですが、そこに落ち着くまでに長い論争がありました。台所の油虫の本来の和名が「ごきかぶり」であるにも関わらず、現在、「ごきぶり」の名が定着しているのは、明治時代の生物学教本に誤植があったためで、高等教育を受けた人が誤った名を広めて定着させてしまったのだとか(この話の仕入元は『トリヴィアの泉』だったりします)。誤植をめぐる、それこそ一行知識的な面白い話はたくさんありそうに思われます。 追加分 ノナカ 投稿日:2004/08/04 16:20 桃井さんのSWAN SONGを更新しました。どうぞよろしく! 誤記ぶり シマ・カズーニー 投稿日:2004/08/05 01:45 そうですね、歴史とは無数の誤記・誤刻・誤植・誤変換の積み重ねであるはずです。人間は書き間違い、写し間違う動物である、と。これだけは書き間違うはずはない、というものですら、間違えることがある。 ということで思い出すのは、晩年の山田風太郎さんに聞いた話。山田さんが海外旅行に行った折、とにかく書類に自分の名前(本名)を書く機会がたくさんあったため、あるとき自分の名前を書き間違えた。「あとで気づいたけれど、まさか自分の名前を書き間違えるとは思わなかった。生まれてこのかた、自分の名前を何万回書いたか分からないけど、それでも間違える。というより、何万回も同じもの書いてりゃ、1度は間違えるということかな。はは」と笑っておられた。 私はまだ自分の名前を書き間違えたことはないけれど、私の勤める会社の名を、よく似た名前の同業他社の名と書き間違えることが定年までに1度はあるだろう、と思います。 誤植が歴史に定着した例としては、ニュージーランドの有名なナショナル・ラグビーチーム「オールブラックス」の名は、「全員がバックスのようだ」という意味の「ALL BACKS」という新聞の見出しが「ALL BLACKS」と誤植されたことに由来する、という話がありますね。ホントかどうかしらないが(彼らのユニフォームは最初から黒だったようだし)。 * 塩原さんのエッセーで思い出したけど、もう15年くらい前か、メータ‐イスラエル・フィルがブルックナーの8番を日本で演奏したとき、終演後に観客の1人が客席最前列でなにやらわめき始めたことがあった。彼はドイツ語(だと思う)でわめいていたので、正確に何を言ってたかはわからないけれど、たぶん「オレのブルックナーと違う!」と叫んでいたのだと思う。楽団のメンバーの1人がそれに受けてたって、しばらく言い争っていた。 カプースチン シマ・カズーニー 投稿日:2004/08/24 22:30 青山ブックセンター営業再開ということで、とりあえずよかったスね。支援署名をしただけで、私は何もできなかったけれど。 さて、この9月はハリポタが出るので、ほかに本はいらないそうですよ、一部業界的には。はあ、そうですか、ということで、一般書でなく、楽譜出版の話。 少し前、銀座のヤマハの楽譜売り場でシェーンベルクのピアノ譜について問い合わせたら、「誰ですか? それ」みたいな答え方をされて、時代は変わったなあと思いました。そして、つい先日行ったら、半額投売りコーナーに投げ込まれ、それでも売れ残ってるのが多数のシェーンベルク(とくに作品11)。シェーンベルク、人気ガタ落ちみたいです(もともと人気なかったのか)。 それと対照的に現在人気急上昇の現代音楽作曲家はロシアのカプースチン(Nikolai Kapustin 1937-)。実際、売れ残りシェーンベルクの横に「大量入荷!」のカプースチンの楽譜が積み上げられ、新旧の交代をいやがうえにも印象づけておりました。いまのところ輸入楽譜しかないようですが、この10月には彼の「コンサート・エチュード」他の国内版楽譜が出るそうで、カプースチンの人気はますます高まりそうであります。 ピアノ愛好家にはかなり知られているでしょうが、一般にはカプースチンの名はまだ浸透していないでしょう。私もつい最近知ってとりあえず楽譜を買ってきたところ。どんな音楽かといえば、プロコフィエフがジャズを書いた、みたいな感じ。親しみやすいうえに技巧的にも弾きがいがあり、人気があるのはうなずける。60代に入って知られるようになったカプースチンは遅咲きもいいところだけど、もしかしてこれからさらにブレイクして大作曲家と評価されるようになるのか。 古典として残るためには、まず同時代で広い人気を得なければならない。ハリポタは、おそらく古典として長く残るでしょう。ジャンルは違うけれど、カプースチンはどうか? リゲティのエチュードのように、あるいはそれ以上の人気を得て、現代の古典として定着するかどうか。それは分からないけれど、目の前で古典が生まれるかもしれない、と思うと、ちょっと興奮します。あなたはもうカプースチンを聴きましたか? みたいな。 ん シマ・カズーニー 投稿日:2004/08/29 00:24 野球はねえ……ボクはどうでもいいです。しかし、ひいきのチームのある人には心配でしょうね。ボクは例の江川事件で野球に興味を失って、そのままです。 青山ブックセンターはよかったけれど、書店はやはり減っていくでしょうね。出版業は人口減少の波をモロにかぶる業界だそうで、昨年の売り上げこそいくつかのミリオンセラーのおかげで前年比プラスだったけれど、出版点数はすでにかなり落ち込み始めている。出版点数でいえば、私がこの業界に入った1980年代後半くらいがピークだったようだ(「出版洪水」などと言われたものだ)。もちろん人口減少だけが問題ではなく、電車のなかを見ても、以前なら本を広げていたような人が、携帯電話や携帯ゲーム機や場撤ODに興じている。本がなくなることはないが、しかし、以前ほどは売れなくなる。出版社も書店も減っていかざるを得ないでしょう。 それに、これは私の持論だけど、本は、なんというか、これまで過大評価されてきたところがある。読書というのは、いわば国策的に翼賛されてきた。なにしろ義務教育で本を読まされる(買わされる)わけですから。学校はタダで出版業界のPRをしてくれていたようなもの。テレビや映画やゲームが同じように学校で勧められることはない。 しかし、そういう「特別扱い」が正当化できなくなっているのでは。本はもはや文化の代表とはいえない。「趣味は読書です」というのが、その人の文化的成熟度の高さを示すとはもはやいえない。むしろ、なんて無趣味な人、文化的感度の低い人だと思われかねないですね、今は。 とはいえ、それほど悲観することもないと思うんですね。これまで業界人が当然と考えていたような文化的特権(たとえば、どんなくだらない本でも、ゲームやアニメより一般メディアで批評・紹介される機会が多い、など。おそらくその本より販売数の多いゲームやアニメDVDはいくらもあるのだが)はなくなるだろうけれど、それはこれまでが恵まれすぎていただけのこと。いい本、人が必要とする本は、これからも売れていくでしょう。少なくとも言えるのは、「本好き」の人はどんどん減っていくのだから、「本好き」のための本ばかりつくってるとダメだろう、ということですね。 更新しました ノナカ 投稿日:2004/09/03 16:29 9月号遅くなりましたが更新しました。 私事ですが、私のイラスト展に来ていただいて、ありがとうございました。個展の準備などについて、今月のエッセイにちょこっと書きました。 夏バテ(?)、あるいはオリンピックぼけ(?)、または仕事に追われているせいか、今月のエッセイは数が少ないです。追加で届いた分から載せていきますので続報をお待ちください。 江崎リエさんは、ただいまフランス旅行中のため、今月はお休み。もしかしたら、帰国後に旅行記など寄せてくれるかもしれません。どうぞお楽しみに。 スモーカーの自己弁護(1) シマ・カズーニー 投稿日:2004/09/07 00:55 なんにしろ、鈴木さんの手術は無事終わったようで、よかった。 私もスモーカーだが、休日などにはほとんど吸うことはないので、仕事のストレスと関連しているのは確かだ。ゲラを読んだり、文章を直したりという仕事をもう15年以上やっているが、この仕事はとても苦しい。これからゲラを読まなければならないかと思うと死ぬ思いがする。本当に頭をかきむしりながらやっている。経験を積めば慣れて楽になるだろうと思っていたが、ちっとも楽にならない。結局のところ、自分はこの仕事に向いてないのだろうと思う。タバコでもすわないとやってられない。 それにしても、なぜタバコか。タバコが仕事の能率を上げているように思うのは錯覚だという。しかし、なにか効用があるのは確かだ。少なくとも仕事の苦痛を和らげてくれているように感じる。そして、これは人にもよるのだろう。 タバコをやめられないのは、意志の弱さというよりも、遺伝的な気質のせいではないか、と、小谷野敦が書いていた。そして、同じことは、ほとんどの依存症に言えるだろう。最近テレビを見ていると、女優のメラニー・グリフィスのインタビュー番組があり、「自分が薬物依存をやめられなかったのは遺伝のせいよ。私はがんばった。本当にがんばったんだから。でもダメだった。私は弱く生まれたから限界があるの」と切々と訴えていた(そう訴えながら、彼女はタバコをすっていた)。そう言われて、彼女の意志の弱さを責めるのは誰しも酷に感じるだろう。小谷野の言う「禁煙ファシズム」の残酷さが、気質的な弱さを意志で克服できるというもう1つの「錯覚」にあることも事実だと思う。 依存症にもいろいろある。拒食症というのもダイエットへの依存症かもしれない(と、カレン・カーペンターの伝記を読んで思った)。「女好き」の知り合いの1人は、明らかにセックス依存症だ。「のぞき」や「痴漢」というのも一種の依存症なのだろう−−だからといって許されるわけではないが。依存症は人間の愚かさ(と弱さ)の別名で、ある程度は治療可能だろうが、そのすべてに「つける薬」があるとは思えない。そして、社会生活の破壊に結びつく種類の依存症にくらべれば、タバコへのそれはまだましなほうとも言える(ときに生命を破壊するにせよ)。 スモーカーの自己弁護(2) シマ・カズーニー 投稿日:2004/09/07 00:55 「うつ」に関する古典的な力動心理学の説明で、人間はふだんは(あまり意識されないが)生きている「快感」を一定水準保っているが、それが何かの理由で急低下するとき「うつ」になる、というものがあった。気質的な弱さとは、すなわちこの「快感」が失われやすいことを言うのだろう。それにたいして、タバコを含むさまざまな依存対象は、この「快感」の代替物として機能しているのではないか、というのが私の「理論」だ。タバコによってふだん以上の自分になれるわけではないが、ふだん以下に落ち込むことを防いでいる−−というのが私の実感だ。それもまた錯覚だろうか? その「落ち込む」ことへの不安は、小谷野も書いていたが、主観的な「死」の恐怖と関連している。生命的な死、あるいは社会的な「死」よりも怖い、実存的な、というか、自我関与的な「死」というものがある。虚無感というか、意味の喪失というか。タバコはそれを解決しないが、逃避手段にはなっているかもしれない。喫煙は緩慢な自殺と言われるが、少なくとも主観的には、自殺を「緩慢に」防いでいるものである、とも感じるのですが。 Remembering the Carpenters (1) シマ・カズーニー 投稿日:2004/09/08 01:30 前の投稿でカレン・カーペンターに触れましたが、きょうタワーレコードに行くと、「遥かなる影:リメンバー・ザ・カーペンターズ」というDVDが出てました。中身は1997年にアメリカで放映されたドキュメンタリー番組。リチャード・カーペンターをホストにカーペンターズの軌跡を振り返る、とおりいっぺんの内容ですが、当時の映像の数々はやはり懐かしかった。 我々の世代にとって、カーペンターズといえば「イエスタデイ・ワンス・モア」でしょう。1973年、私は中学生になったばかりでしたが、この曲はとりわけ日本で大ヒットした。実際、この曲(と、私が思うに、ミッシェル・ポルナレフの「愛のホリデー」)は流行りすぎたと言うべきで、当時すでに「この曲はもういいよ。ノーモア、イエスタデイ」と思うくらい、耳タコもので聴かされた。ところが、主なヒット曲が紹介されるこのDVDで、なぜか「イエスタデイ・ワンス・モア」が出てこない。ちょっと不思議だ。 その代わり、同時期の「トップ・オブ・ザ・ワールド」はたっぷり流れる。これも流行りましたね。本国アメリカに先駆けて日本でシングルカットされた。この曲を聴くと、当時アルバイトで新聞配達していたことを思い出す。配達していた朝日新聞の学生向け英字新聞に楽譜が載っていて、この曲が好きだった私はそれを販売店から持ち帰った。買ったばかりの英和辞典を引きながら歌詞を訳したりしたものです。英語というものに自主的に触れた、私にとって最初の「教材」の1つでもありました。 DVD特典として、この「トップ・オブ・ザ・ワールド」をつかった日本のサントリーのCMが収録されている。これも懐かしかったけれど、同じく特典として収録されている、ホワイトハウスでの「トップ・オブ・ザ・ワールド」演奏映像は、音楽的価値はともかく、記録として珍品でしょう。ウォーターゲート・スキャンダルが表面化する直前のニクソン大統領が、上機嫌でホスト役を務めている。 Remembering the Carpenters (2) シマ・カズーニー 投稿日:2004/09/08 01:31 ご承知のとおり、カーペンターズの人気は、ニクソンの失脚と同期するように下降しはじめる。1975年の「オンリー・イエスタデイ」がこのDVDでも流れますが、この曲を最初に聴いたとき私は失望し、「またイエスタデイかよ、マンネリだな」と思ったことをはっきり覚えている。カレンの「病気」が彼女をむしばみはじめるのもこの頃で、映像で見ても、みるみる痩せていって痛々しい。彼女が亡くなったのは1983年。もう20年以上たつのか……。 このDVDに収録された番組では――ライナーの解説者、小倉悠加さんも書いているとおり――75年以降のカーペンターズの「影」の部分にほとんど触れていない。それについてはレイ・コールマンの『カレン・カーペンター 栄光と悲劇の物語』(安藤由紀子、小林理子訳 ベネッセ)を読むしかないが、今は絶版だそうだ。いい本なので、文庫かなにかで復活してほしいものだ。一見、天真爛漫にみえたカレンが、いかに自分の容姿のことで悩み、周囲の何気ないひとことにも傷ついていたか。女性の繊細な「影」の部分をよく記録している。 なお、カーペンターズの曲で私がいちばん好きなのは、前にも書いたように思うが、1977年の「ふたりのラブ・ソング All You Get From Love Is A Love Song」だ。この曲や、日本で6、7年前にリバイバル・ヒットした「青春の輝き I Need to be in Love」など、人気が下降しはじめた後の曲のほうが、いま聴くと心に沁みるのは皮肉だ(残念ながら、両曲ともこのDVDに登場しない)。カレンの悲劇を知っているからかもしれないが、いかにヒットしたとはいえ、「シング」や「プリーズ・ミスター・ポストマン」といった能天気な曲で彼らが記憶されるのは気の毒だ、と改めて感じた。 バービー・コンプレックス ノナカ 投稿日:2004/09/08 15:32 カレンの拒食症について知ったのは、いわゆるひとつのトンデモ本であるところの、『永遠のバービー』(M・G・ロード著、キネマ旬報社)を翻訳したときでした。 そのなかの1章、「バービー・コンプレックス」では、女性に対する「きれいであれ」という社会的な抑圧のことが論じられていて、その一例としてトッド・ヘインズ監督の短編映画「スーパースター」があげられていました。 この映画は、バービーのような人形を使って、カレンの拒食症の悲劇を描いたものだそうです。カーペンター家の家族やレコード会社の抗議によって公開が打ち切られ、その後もめったに上映されないとか。 私も翻訳したとき、なんとかこの映画を見られないかと探したのですが、結局ダメでした。いまではカルトムービーになっているらしい。 カレンの死について、「スリムなままで死ねるなんてラッキーね」といったモデルもいたんだって。 「トップ・オブ・ザ・ワールド」はいろんな本の中で言及されてますね。「キッチン・コンフィデンシャル」にも出てきた。 >バービー・コ ンプレックス シマ・カズーニー 投稿日:2004/09/09 23:06 その短編映画は私も見てみたいですねー。どういう点が問題になったんでしょうね。 「きれいであれ」という社会的圧力があるのは、なにも今に始まった話でもなく、また女だけの話でもない。好みの相違はあれ、美男・美女が好きなのは人間の本性であり、私も美人が好きだし、おばさんたちもヨン様が好きなわけでしょう。その「圧力」がなくなることがあるとは思えないし、その圧力に傷つくのも女ばかりではない(「女にだけかかる社会的圧力」の部分をあまり強調しすぎると、「とんでもフェミニズム」になってしまう)。 そして、その圧力が女により強くかかるとしても、誰もがカレンのように追い詰められるわけではない。社会的圧力が背景にあるとしても、やはり「最後のひと押し」は、カレン個人の特別な事情に求めるしかないでしょうね。といって、拒食症に関しては、親子関係に起因する成熟拒否とかなんとかの「精神分析的」説明も流行りましたが、どうもこの手の説明は、今ではあまり信用されないようです。 カレンの直接の死因は−−結局、はっきりと確定されなかったけれど−−ホルモン異常の薬の飲み過ぎだったらしい。もちろん、遠因としては、ダイエットのしすぎで身体がとことん衰弱していたことがあるけれど、表面上「最後のひと押し」は、心臓に過度な負担となるその薬だったはずです。なぜ、ホルモン異常でなかったカレンがその薬を−−しかも大量に−−呑んだのか。これが彼女の「死の謎」でした。心臓にそのように負担をかけることで、より一層のカロリー消費という「ダイエット効果」を彼女は狙ったのか。コールマンの伝記でも、この点は謎として残されていましたね。 (この後の部分は、例によって長すぎたために分割しようとして、手違いで消失。ここからが面白かったのに!(笑)) *先の投稿で、ミッシェル・ポルナレフの「愛のホリデー」を「愛の休日」に訂正。 個人は世間に勝てるか ノナカ 投稿日:2004/09/10 11:10 その映画「スーパースター」が作られた当時は、カレンの拒食症がまだ公にされていなかったので、その点だけでも家族やレコード会社にとってはスキャンダラスだったのだと思います。拒食症という病気そのものも恥であり、隠さなければいけない時代だったんですね。 カレン自身の問題だと片付けるのは、いわゆるひとつの「自己責任」論に通じるところがあるのでは? そりゃ、他人や世間や家族や、その他もろもろの「せい」にするのは、いさぎよくないと思うけどね。「強くあれ」というのも1つのプレッシャーではある。 ちょっと話かわって、「華氏911」を見てきましたが、イラクへ送られた若い兵隊一人一人に「自分で望んで軍隊に入ったんだろう(だから自業自得だ)」とはとてもいえないと思いました。ムーアの策略に単純にのせられてる? ブッシュの間抜けぶりを笑う気にはなれなかったな。 フェミニズムの問題でいえば、世間や他人からの圧力に誰もが(男女とわず)苦しんでいるというのは踏まえたうえで、昔から男性にくらべて女性に対する圧力のほうが、許容度の幅がずっと狭いというのは確かでしょう。男は、外見の美醜だけではなく、頭がよいとか、金儲けができるとか、力が強いとか、地位とか、学歴とか、派閥とか、さまざまなオプションがあるけど、女の得られるものは限られていたから(いまでも限界が多い)。いくら仕事ができて、美人でも、結婚しないと「負け犬」だからね。有能で力があっても、かわいくないと嫌われるとか。 もちろん、女を抑圧するのがつねに男とは限らないし、抑圧に苦しむ男性が大勢いることもわかっているつもりです。抑圧をなくしても、別の抑圧が生じるというのは確かでしょうけど、でも、だからといって今現在の抑圧をガマンしたくはないな。人生にはどうしようもないこともあるけど。 ヨンさま ノナカ 投稿日:2004/09/10 11:22 ところで、ヨンさまがオバサマがたに好かれるのは、「きれい」だからなんでしょうか。ほんと? 自分がオバサン世代であることを認めるのにやぶさかではないのですが、ヨンさまの魅力がいまいちわからない。「きれい」なことに加えて、なんらかのフェロモンがあるんじゃないかと思うのですが。 なんなのでしょうね。話し方とか、たたずまいとか、知的っぽいところとか、優柔不断なところ(ものごとを強要しない)とか、そうかと思うと変に強引だったり……がいいのでは。つまり、ヨンさま自身ではなく、ドラマに描かれた主人公ミニョン(だっけ?)が魅力的だったってことではないのでしょうか。とすると、きれいだから好き、なわけではないな。 ムーアの「策略」(1) シマ・カズーニー 投稿日:2004/09/11 21:34 マイケル・ムーアの手口は、小説・映画「推定無罪」で出てくる、検事側の手口と同じですよね。検事は被害者の悲惨な死体写真を法廷で見せたがる。なぜなら陪審員は、それを見ると「こんな悲惨なことには、誰かが責任を負わなければいけない」と考え、ともかく誰かを有罪にしなければ「被害者のために正義を果たした」と満足して家路につけなくなる。その心理によって、目の前の唯一の「誰か」である被告が有罪になる可能性が高まるからです。 ムーアの手法は、処女作の「ロジャー&ミー」から一貫して、これですね。深刻な政治・社会問題の生々しい映像を観客に提示する一方で、その責を負うべき「唯一の誰か」の顔も同時にはっきり提示する。前者はドキュメンタリーだけど、その後者への結びつけは極めて恣意的ですから、彼の作品を全体としてドキュメンタリーと呼べるかどうか疑問です。しかし観客の正義感は、現実の複雑さに判断力をわずらわされることなく、「犯人の顔」を見たことで満足する。 たとえば、コロンバイン事件の責は、どう見たってあの実行犯たちの邪悪な性格や世界観にあるわけですが、「ボーリング・フォー〜」では、その真の犯人たちの顔はほとんど印象に残らず、チャールトン・ヘストンの顔が観客の記憶に残る。「問題」が大きければ大きいほど――それを「大きく」みせるのも彼の演出ですが――犯人は、そのへんのちんぴら高校生ではなく、なるべく大物がいい。一方の「悲惨さ」となるべく対照的な「偽善性」や「鈍感さ」が表れているほうがいい。社会的階級の対照性という――シェークスピア以来の――「物語」を面白くする要素も必要だ。その「犯人にふさわしい顔」を作り出しているのもムーアの演出なのですが、それがあまりに見事だから、観客は満足する。しかし、冷静に考えれば、コロンバイン事件とチャールトン・ヘストンとは何の関係もない。 「華氏911」はまだ見ていないのですが――見るつもりですが――ムーアの手法は変わっていないでしょう。とにかく問題の責任を1人の大物の「顔」に集約させる、という分かりやすさが、彼の作品の大衆的魅力です。その「分かりやすさ」と、大衆的正義感の即時的満足のための演出は、犯人の顔写真をとにかく載せたがる、いわゆる「新潮ジャーナリズム」の手法と根本は同じなんですけどね。ドキュメンタリー映画でこれをここまで効果的に行う人はこれまでいなかった。 ムーアの「策略」(2) シマ・カズーニー 投稿日:2004/09/11 21:36 この手法をつかうなら、たとえば、9・11事件の悲惨な映像とともに、クリントンがのんきにサックスを吹く映像を対置して、テロ対策に甘かったクリントンがその「犯人」だ、とする「ドキュメンタリー映画」だってつくれるでしょう(同様に、フセインやヴィン・ラディンや、もしかしたら国連事務総長を「犯人」にする演出も可能だ。もっとも、効果的な映像をブッシュほどには調達しにくいかもしれないが)。 ここで言っておけば、フェミニズムがトンデモ化するのも、女性が差別され抑圧されているという「ドキュメンタリー」部分ではない。ムーアの映画と同様、その責を何かに結びつける、その結びつけ方の過程でトンデモ化が起こる。たとえば、その「犯人」として、美人コンテストの主催者や、ホラー映画の観客や、会社のパソコンのデスクトップ画像に美人女優の写真を使っている男が「差別者」「抑圧者」だと名指しされるとき――いちばん最後の例は私の身近で実際起こったことですが――その主張はトンデモ化する。 もっとも、ムーアの映画にせよ――またラディカル・フェミニズムにせよ――そのトンデモな部分の社会的な影響力は、結局、限定的でしょう。映画館の館内でムーアに説得された観客も、映画館を出れば、現実はムーアの言うほど単純でも悲惨でもないという常識を取り戻すでしょうから。実際に、どれほどヒットしようと、ムーア自身が認めているとおり、「ロジャー&ミー」は失業問題をいささかも改善しなかったし、「ボーリング・フォー」が銃規制問題に具体的な進展を促したこともなかった。 誤解しないでほしいですが、私もムーアの演出能力は尊敬しており、彼の作品のファンです。彼が自分の政治的主張を「ドキュメンタリー」として作品化することも結構だ。しかし同時に、彼を見るたび、社会学者のバーガーが書いていたことを思い出す。正確な引用ではないですが――「ヒッピー風の愛嬌のいい人物を見ると、人は彼の気さくさに好意をもち、少なくとも他者にたいして抑圧的でない無害な人物だと感じる。しかしその人物が、その格好のまま大型旅客機のパイロット席に座るなら、その旅客機の乗客になるのは遠慮する人がほとんどだろう」。 * なお、私はイラク人質事件では最初から「自己責任」論者でしたが、もちろんカレン・カーペンターに同じ意味で「自己責任」を問いたかったわけではありません。 うさぎ説 シマ・カズーニー 投稿日:2004/09/15 22:55 今日発売の週刊文春を読んでいたら、中村うさぎさんが連載エッセーでカレン・カーペンターのことを書いていた。私もたまたまここでカレンのことを書いたばかり……シンクロニシティ? カレンが霊界から電波を送っているのか? なんでもNHKでカレンの特番をつくるのだそうだ。 まあたしかに、うさぎさんはカレンを語る適任者かもしれない。うさぎさんによれば、カレンの内面に住んでいた「悪夢の女」が、いつもこう囁いていたという。「あなたは成功者かもしれないけど、その舞台衣装を脱いだら、ただの冴えないモテない野暮ったい、太めの女じゃないの。女たちは皆、あなたを見て思っているわ。ああ、あんな女にだけはなりたくない、と」 うさぎさんの持論は、「女の抑圧者は女」ですね。彼女自身、たしか女子高の出身で、その時代の女友達の厳しいチェックの目が未だに強迫観念となって、それで美容整形に走るのだとか書いていた。カレンの拒食症も同じだというのは少々我田引水ぎみだけど。どうなんでしょうね。同じような意味で「男の抑圧者は男」という面もあるから(栃木の2児誘拐事件の背景にもこれがありそうだ)、分からないでもない。 うさぎイジメ(1) ノナカ 投稿日:2004/09/16 13:43 私の考えでは、男も女も性別にかかわらず、抑圧はすぐそばにいる人、身近に接する人びとから受けるものだと思います。女子校では周囲が女子だから当然、女子から抑圧がくる。これは当たり前。もし共学だったら、はたして男子は女子を抑圧しないかというと、そんなことはまったくないはずです。 周囲の個々人がとくに抑圧者というわけではなく、彼らも世間というか社会というか、その時代の空気のような大きなものの抑圧を感じとって、弱者にその抑圧を転嫁するとのだ思われます。個人(たとえば、うさぎさん)が受ける抑圧は、周囲の女子校生たちが感じている親・教師・友達・近所など――すなわち漠然とした社会の空気――から受ける抑圧の凝縮であろうと推測します。 (もちろん、もともと意地悪な人や、辛辣な人というのはいるし、女子校でそういう遠慮のなさが発揮されることはよくあることだけどね。見方をかえれば、鍛錬の場かもしれない。ちなみに、私も中高一貫の女子校出です。) だからこそ、no144で「個人が世間に勝てるか」とタイトルをつけたわけです。男性社会が……というと、世の男性は自分が責められた気分になって、たちまち自己防衛しようとする傾向がありますが、べつに個々の男性を責めているわけではないのです。男性社会が悪いと短絡的にいっているわけでもない。社会になんらかの法則性ができるのは当たり前だからね。ただ、できてしまった制度のなかの、(私にとって)都合の悪い部分を見直してほしいんだけどな。 うさぎイジメ(2) ノナカ 投稿日:2004/09/16 13:46 抑圧は上からめぐりめぐって、いちばんの弱者のところに凝縮される。だからこそ、小さな子供のところに最も圧力がかかることになる。子供は、いま置かれている世界から自分で逃げ出すことができないからね。女性の抑圧というのも、女性が弱者だった時代にはもっと切実だったはずです。 老人もある意味で弱者かもしれないけれど、長く生きてきた分、別の世界を知っているので、完全な弱者にはならずにすむ。抑圧から逃げるには、別の世界、別の価値体系ももあるということを知っていることが助けになると思う。高校生のときのうさぎさんも、女子校以外の世界とつながりをもっていたら、それほど抑圧に悩まずにすんだのではないでしょうか。 フェミニズム――というか、ウーマンリブ――の功績の一つは、あまりにも過剰な批判・反発が男性の目を引いて、「男だってつらいんだ、抑圧されているのは女だけじゃない」と思わせたところにもあると思うのだけれど、どうでしょう? 「「専業主夫」急増、男性3号被保険者が7年で倍に」という記事を見て、そんなことを思いました。 語りだすとつい長くなるフェミニズム。 ……………… この文章、ここまで書いてアップしようとしたら、長すぎるといって拒否されちゃった。初めてだ。うさぎだけに、ハネられる?(おあとがよろしいようで) Vanity シマ・カズーニー 投稿日:2004/09/18 03:44 ノナカさん、長文の応答をありがとうございます。フェミニズムについて批評するとなるとこちらも長くなるんですが、それはちょっと置いといて。 カレン・カーペンターと、うさぎさんにたいしては、 「それは虚栄というものです。虚栄は愚かしい」 と言って、終わりにすることもできると思うんです。社会的抑圧なんて大げさなことではなく。 ミス・マープルの出てくる映画を見ていたら、「ハリウッドでは虚栄の下に真の虚栄あり」という名文句が出てきたけど。カレンもビバリーヒルズに住んでたわけで。 まあ、どちらも、中産階級出身者の哀しさでもありますね。 で、いまvanityを電子辞書で引いたら、vanity publisher (vanity press) という言葉があることを初めて知った。「自費出版を引き受ける出版社」。うまい表現だ。 * ところで、googleで Weapons of Mass Destruction と入れ、"I'm Feeling Lucky" 検索をおこなう。すると−−というネタは前に書きましたっけ。イラクでの大量破壊兵器発見ギブアップ宣言の記事を読み、このネットのジョークを改めて思い出した。 (自己責任でお試しあれ) オリビアを見ながら シマ・カズーニー 投稿日:2004/09/25 06:07 いま、オリビア・ニュートン・ジョンが主演したテレビ映画「ジャスミン・ラブ」(2001)ってのをCSで見てたのですが……相変わらず美人でチャーミングだな、この人。カネと手間はかかっているのだろうが、とても50を超えているようには見えません(オリビアは1948年生まれ)。それで、気になっていたことを思い出した。 オリビアはカレン・カーペンターの親友だった。ちょうどカレンの拒食症が進行していた時期、タレントで最も親しかったのがオリビアだったようだ。この2人の関係はどんなだったのだろう。 伝記を読む限り、リッチな芸能人どうし、気楽な遊び友達という感じだ。しかし、カレンはオリビアにあこがれていたフシがある。「オリビアみたいにきれいだったら幸せでしょうね……」とカレンが漏らしている場面があった。同じような思いをオリビアがカレンにたいしてもったことは決してなかっただろう……。 オリビアと共演したテレビを見ていて、カレンが「見て! 私って太ってる」と叫ぶ場面もあった。実際にはカレンはオリビアより痩せているくらいだったから、周囲はその言葉に驚く。しかし、カレンが「本当に」問題にしていたのが何だったかは明らかだろう……。70年代の後半から80年代にかけて、オリビアはまさにキャリアの絶頂に差しかかったところだが、カーペンターズはすでに落ち目だった−−そういうことも影響しただろう。 このオリビアとの−−おそらくカレンにとってだけの−−「ライバル関係」が、彼女の拒食症に関係していなかったか−−と気になっていた次第。 ところでこの「ジャスミン・ラブ」という映画は、オリビアの実の娘、クロエ・ローズとの共演作。おそらく娘を売り出すためにオリビアが企画したものだろう。しかし、どう見たって母親のほうがきれい−−見た人はみな複雑な感想をもつでしょうね。 本性 シマ・カズーニー 投稿日:2004/10/07 02:17 スティーブン・ピンカーのThe Blank Slateが山下篤子さんの訳で出版されましたね。まずはめでたい。『人間の本性を考える』という邦題は、ちょっとオトナシすぎるかな、と思いましたが、「本性」がキーワードであることは間違いなく、これでいいのでしょう。フェミニズムについての私の考えの大方も、本書でピンカーが、私などより数十倍雄弁に論じてくれています。 人間の本性を論じることは、それ自体がイデオロギー的立場を表す。つまりは政治的保守主義を人々に連想させる。本書におけるピンカーの議論の多くは、その「誤解」を回避するために費やされていると言ってよいでしょう。本書は、科学の啓蒙書というより思想書であり、その点は、やはり山下さんが訳されたE・O・ウィルソンの本と同じです。そういう含意が、日本の読者にどれほど伝わるか。それが、日本での本書の評価を決めるでしょう。 とはいえ、ピンカーは(そしてウィルソンも)科学者であり、哲学者ではない。だから、以下は無いものねだりになりますが、本性論を思想的に吟味するなら、もっと古代哲学や中世哲学に注目すればよいのに、と思う。たとえばアウグスティヌスのような人の思想に。人間の本性と社会倫理との関係の突き詰めた思索は、近代以前の哲学の中にあったと思う。彼らは人間というものを、近代人よりももっとリアルに−−ある面、冷酷に−−見ていた。だから、人間の罪深さを近代人以上に自覚していた。そのあたりの教養が論者にあれば、この種の議論にもっと深みが生まれるのですが。 * さて、私が最近視聴したなかでのオススメは、なんといっても "Weird Al" Yankovic: the Ultimate Video Collection. まさに待望のDVDでしょう。あの「日本じゃ子供が飢えてるぜ」の歌詞が懐かしい "Eat it", 史上最も情けない特殊メイクの "Fat", タイトルから想像される通りのベタな "Living with a Hernia" といった80年代の古典的傑作から、90年代のニルヴァーナやレッチリのパロディまで、アルの "Dare to be Stupid" 芸をたんのうできます。私がとくに気に入ったのがボブ・ディランのパロディ "Bob"。そのバカバカしさは見てもらうしかない(A Toyota's a Toyota. Naomi, I moan. UFO TOFU!)。歌詞・セリフはすべて英語字幕付き。気の利いた特典映像まで、アルのサービス精神が一貫した笑撃作でした。 更新 江崎リエ 投稿日:2004/10/09 21:39 久しぶりに見に来たら、更新されていました。邦子さんは8日にシカゴから戻ると聞いていたのですが、すばやい更新ですね。 「ヘルボーイ」の表紙に載せてくれてありがとう。 電車で化粧をする女性は私も目を吸い寄せられます。みんな、すごく上手。それから、あんなに何重にもいろいろ塗っているのね、と驚き。ホントに、人の化粧を眺める機会なんてないですものね。やっている人は、けっこうみんなに見られているってわかっているのかしら。目をそむけるのは食事中の人。パンを食べている女性とか、最近見るようになりました。 写真 江崎リエ 投稿日:2004/10/11 23:25 邦子さんの今月のエッセイは写真がいっぱいあって楽しい。 私もNYに行って、自分のサイズの服がデパートでSだったのに感激した。デザインが気に入っても9号しかなくて、かえないことが多いので。アメリカ人を見ていると、ダイエットにうつつをぬかす若い日本女性がおかしく見える。でも、アメリカ人の太りすぎはほんとに病気っぽい。 翻訳した土地に行くのはいいなあ。思い入れが違うものね。 サイズ ノナカ 投稿日:2004/10/14 18:28 シカゴのデパートで私が買った服はLサイズだった! リエさん、Sなの? ショック! とはいえ、Lでもそんなに大きくなかったので、街で超肥満体の人を見て、この人たちはどこでこういう服を買うんだろう、と疑問に思ったのでした。体重100キロはありそうな女性がキャミソールみたいなのを堂々と着ているので、それにも感嘆(驚嘆?)したのでした。 きっとシアーズとかの通販で買うんでしょうね。 サイズ 江崎リエ 投稿日:2004/10/15 18:09 邦子さん 私が見たNYのデパートには小から大まで、20くらいずらっと同じものが並んでいて、大きいのは巨大だったわよ。そういうサイズショップだったのかしら? 輸入物の服はあるていど体に厚みがないと貧相に見えるから、マダムがきれいに見える気がする。 あてにならない 江崎リエ 投稿日:2004/10/15 18:14 でも、サイズってあてにならない。デザインにもよるし、メーカーにもよるから、着てみないとわからなくて不便。23区とかナチュラルビューティーのような若向けのショップの服はLでも 着られないことが多い。ZARAのシャツはXLでも小さかったんだけど、ストレッチだから伸ばして着るのよと言われた。でも、伸ばすと肩が凝るから、一番大きいXLを買いました。デザインによってはMでぴったりのもあります。 やっと晴れた シマ・カズーニー 投稿日:2004/10/16 02:05 雨が多かったからか、このところ気分が落ち込んでおりました。てゆーか、クリストファー・リーブが亡くなったのが悲しかった。てゆーか、集団自殺のニュースも心を沈ませる。てゆーか、この「てゆーか」って接続詞(?)は便利なのでつい使ってしまう(英語でいえばbesides?)。 「スーパーマン俳優」リーブの訃報には、自分でも意外なほど落ち込んでしまった。てゆーか、事故以来のリーブのニュースは聴くたびにつらかった。好きな俳優でしたね。私が好きだったのは、「スーパーマン」よりも「デストラップ」、そして「日の名残り」の演技。とくに「日の名残り」では新境地を示していただけに、その直後の事故は本当に痛ましい出来事だった。彼は脇役で本領を発揮するタイプで、「スーパーマン」はともかく、「ストリート・スマート」などの主演作では不思議なほど精彩を欠いた。しかしその「ストリート・スマート」で、人々はモーガン・フリーマンという名優を発見することになる。リーブが地味だったからこそ脇役のフリーマンが輝いた、というのは言いすぎだけれど、彼にはどこか相手役を引き立てる「人徳」があったのだと思う。「日の名残り」でのアンソニー・ホプキンスとの関係でも同じだった。2枚目になりきれなかった2枚目、とゆーか、間違って「主役顔」に生まれた名脇役とゆーか。そんなところが、彼の「スーパーマン」に独特の陰影を与えていたのも確かだと思う。RIP 集団自殺の主導者だった女性は、「何も面白いことがないのに、なぜ生きなければならないのか」と言っていたそうだ。気分が落ち込んでいたからか、その言葉にどこか共感する自分がいる。そして、変な話だが、彼らの自殺に責任を感じるのだ。本、というか、出版は、こうした孤独な苦悩や絶望の、最後の救いとなるべき文化なのだと思う。私自身、絶望したとき、周りの「優しい言葉」がすべて耳に入らないとき、書物のなかに慰めを得てきた。自分の「理解者」は本の中にしかいない、と感じることが何度もあり、それで生き延びてきたところがある。出版が「マスコミ」になるにつれ、文化のなかの最も繊細な部分が失われていく気がする。編集者として、自分がつくった本が売れるのもうれしいが、1人の読者に「この本のおかげで孤独でなくなった」と言われるのはもっとうれしい。あと、関係ないが、三島事件も、考えてみれば「集団自殺」でしたね。 てゆーか ノナカ 投稿日:2004/10/17 17:04 「てゆーか」は接続詞として定着するかもしれませんね。「みたいな」「とか」も国語として根付きそうかな、みたいな。 「……のほう」に腹を立てる人たちも「てゆーか」はあまり槍玉にあげませんね。 車内メークといえば、このあいだは山手線で付けまつげを糊付けするところから始めている女性を見ましたよ! 付けまつげは難しいのに、よくやるよね。昔に比べたら接着剤もよくなっているのでしょうか? 車内メークにはそれほど腹立たないのだけれど、なんかイライラさせられる情景にぶつかりました。電車内で、私が立っている前に若い女性が坐ってました。その女性、右手で携帯を見ながら、左手で頭のてっぺんあたりの髪の毛を1,2本つまんでは毛先までつーっと爪でしごくのです。その爪がまた派手な付け爪で、まるで、なんというか吹き出物みたいに(?)でこぼこ。何度も何度も髪をつまんではしごく動作が神経にさわって、すごーくイライラしちゃいました。こちらの精神状態も悪かったんだと思いますが。 そしたら、そんな気持が顔に出ちゃったのかな? その女性から2、3人おいて隣に坐っていた中年のオバサンが、私になにか合図をする。何かと思ったら、反対側の、つまり私の背中側の席が空いたから坐れということらしい。そんなに気分悪そうな顔をしていたのかしら?>私 見知らぬ他人に着席を促されるいわれはない、と、これにもむっとしてしまったのでした。次で降りるはずだったしね。でも、ちょっとしたことにやたらと神経がいらだつのはまずいです。これも天候のせいか。 女は忙しい シマ・カズーニー 投稿日:2004/10/19 04:03 車内メークは、手持ち無沙汰だからやってるというより、必要に駆られてやってる感じですよね。女は時間がないんでしょう。朝早くから学校や仕事、そして午後には友達や恋人に会いに行くとなれば、その間に化ける、いや「きれい」になるしかない。「きれい」の要求水準も上がっているから手間と時間がかかるし。駅構内を走っているのもたいがい女だ。とにかく忙しいんだ私は、って感じで。今は男のほうがノンビリしてますよね。しゃべり方なんかも含めて。 メディアの迷走 シマ・カズーニー 投稿日:2004/10/31 02:08 新潟地震の「3人生存」につづき、イラク人質「遺体発見」と、数日のうちに「誤報」号外が2つも出た。マスコミの大失態ですが、自分たちの失態は棚に上げ、「アメリカの情報頼みの政府が悪い」という朝日の八つ当たり記事は笑えた。アメリカ大統領選でまた誤報して「1週間に大誤報3発」のギネス級記録をつくらないよう祈るばかりだ(4年前の「ゴア当選」の夕刊紙を私は記念にまだもっている)。マスコミがそろって誤報した場合は、読者には謝罪するとしても、社内的には「おとがめナシ」となるらしい。それもなんだかなー、と思うが・・・。 笑い事でないと思ったのは、今回のイラク人質にたいするメディアの冷たい論調ですね。前の3人の人質にたいしてあんなに同情的だったメディアも、てのひらを返すように「自己責任」論を言っている。前の3人にはボランティアなどの「立派な目的」があったが、今回は「自分探し」の「フーテン野郎」(某夕刊紙の表現)だから殺されても当然ということらしい。私自身は逆で、事件のいっそう残虐な性質や、家族の悲痛な姿を見るにつけ、今回の事件によほど同情を覚えます。前の3人を「もちあげた」メディアに今回の事件を招いた「自己責任」はないのか、と言いたくなりますが、それ以上に、要するに前に「自己責任」論を批判したメディアは、3人にたいする思想的共感があったから弁護しただけではないか、と改めて感じる。彼らは「自己責任」論を「不寛容」だと非難した。しかし、寛容というなら、思想的共感をもちにくい今回のようなケースをこそ弁護すべきだろう。思想的共感より人間的共感を優先させるのが「寛容」なのだから(某巨大掲示板で誰かが「サヨクにあらずば人にあらずか!」と憤激していたが、本当にそのとおりだ)。情報の混乱がメディアの「本性」をあぶりだしているようで、マスコミの末端にいる者として腹が立つやら恥ずかしいやら、の今日このごろです。 車内メーク考察 ノナカ 投稿日:2004/11/02 00:34 「手持ち無沙汰で」という発想が意外だし、新鮮。ちょっと驚いた。女性の場合、「手持ち無沙汰だからメークをする」という気分は、まずないんじゃないかな? 女にとって、メークって欠くべからざるもので、もちろんノーメークの人もなかにはいるけど、そういう人はよほど自信があるか、それとも主義をもっている人でしょう。 たいていは、面倒だけどしなくちゃいけない、とか、社会的なルールだから、とか、素顔では人前に出られないとか、要するに面倒だけどしかたがない、って感じじゃないかな。メークが楽しいことも、たまにはあるけど、ふだんはねー。もう日常の一部みたいなもんだから。男にとっての髭剃りみたいな感じかな(推測するに、たぶん)。 そうなると、車内メークは、「電車内でメークをする無作法」よりも、「ノーメークの顔をさらしておく無作法」のほうが耐えがたいし、社会に対して罪(?)が大きいという価値判断にもとづく行為なのかもしれないですね。礼儀を重んじるという点では筋が通っているわけだ。 女が忙しいというのは、まさにそのとおり。でも、男も忙しいんじゃない? 亀 江崎リエ 投稿日:2004/11/03 09:58 こんにちは。更新されたかな?と思って読みに来ました。 八右衛門、なかなかかわいい。 私も昔亀を飼ってました。夫と二人で挽肉なんかをやっていたけど、エサの時間だとわかると首を伸ばして催促してました。 障害物をよけないというのも、そうそう、と思った。よけるという発想がないみたいに見える。亀はほっといても平気なのがよかったな。 ワーイ、ガネーシャ 江崎リエ 投稿日:2004/11/03 20:26 邦子さん コラムにガネーシャの絵を描いてくれてありがとう。 ガネーシャは私のお気に入りの神様です。 ガネーシャはヒンズー教の神様の一人で、商売繁盛にいいらしく、インドに行くと商店にもタクシーの中にも神様ブロマイドがあります。しかし、彼にはもう一つの面があって、インドの古典「マハーバーラタ」では、クリシュナ神の口述筆記をした書記役なのです。そのため、インドの本には必ずガネーシャのマークが入っています。そこで、私は勝手にライターの神様だ、商売繁盛ならなおいいじゃないかと思い、ガネーシャコレクションをしています。そうだ、来月のテーマはガネーシャにしよう(^-^)。 邦子さんの絵もガネーシャコレクションに加えます。 表紙の絵を見て、わーいと喜びました。 ガネーシャ ノナカ 投稿日:2004/11/04 16:02 リエさん、がっかりさせるようでスミマセンが、あれは私の自筆イラストじゃなくて、町の看板を撮影したものです。インド屋と呼んでいる雑貨・ファッションのお店。 私もネパールへ行ったとき、ガネーシャをよく見かけたんだけど、あれは書記なんですか。へぇ。 こんどインド料理食べに行きましょう! 白い ノナカ 投稿日:2004/11/04 16:05 今月のエッセイでは、桃井さんのホワイトクリフに感動しました。 ほんとに白いのねー。この前、コッツウォルズへ行ったとき、ドーセット地方まで行こうかなと思ったのですが、結局、時間がなくて行けなかったのです。 セブンシスターズへの行き方までネットで調べたんだけど。かなり歩くみたいですね。 でも、あんなに晴れているのはイギリスにしては珍しいのでは? イギリスにも晴天アリ 桃井緑美子 投稿日:2004/11/05 11:10 そうなんですよ、ほんとに白くて、もうそれだけで感動でした。 空が青いのでよけいにきれいなんですよね。 滞在中は、こんなこともあるのねってくらいお天気にめぐまれたの ですが、なかでもこの日がいちばんよく晴れました。 停留所から30分ほど歩いたけれど、お天気がよかったし、 途中は広々とした牧草地のようなところだったので、いい散歩に なりましたね。近づくまで崖は見えないのでやや不安でしたが、 向かいから歩いてきたご夫婦らしき二人連れにきいたら、 だいじょぶ、ホントにきれいだから見にいきなさい、と力づけ られました。 セブンシスターズは、ブライトンからイーストボーン行きのバスに 乗って途中でおりるのですが、停留所の名前はおもなところしか アナウンスしてくれない。降りそこねてイーストボーンからまた 逆向きのバスで引き返したときには、運転手さんに着いたら教えて くれってたのんで、うしろの席にはりついていました。 同じコースで行かれる方は、ご注意を。 そうそう、滞在中は何度かインド料理にいきましたよ。やっぱり ロンドンでは頼りになる安心のインド料理。ハズレなしで、 どこもおいしかった! ガネーシャ 江崎リエ 投稿日:2004/11/05 17:15 あら、邦子さんがかいたのではないのね。でも、いいです。コレクションにいれました(^-^)。そのうち、ガネーシャも描いて ください。あの子は神様二人の息子なんだけど、夫婦げんかかなにかで逆上したお父ちゃんかその家来に首を切られて、怒ったお母ちゃんに言われて、前を通りかかった像の首をつけたという逸話のある神様です(だいぶいいかげんな説明でごめん)。子供姿で描いてあると、ぷくぷくしてかわいいですよ。ああ、インドにも行きたいなあ。 象の首 江崎リエ 投稿日:2004/11/06 12:26 前の書き込みで字を間違えた。像じゃなくて象です。 沖縄の旗 江崎リエ 投稿日:2004/12/04 12:25 こんにちは 更新されたので読みに来ました。沖縄の旗、おもしろい。こういうテーマを決めて写真を撮るのもいいわね。 ポークタマゴにぎりのポークタマゴって、どういう状態で入っているの? 追加もアップしました ノナカ 投稿日:2004/12/04 12:35 エッセイの追加分は読めました? 桃井さんと秀岡さんの分。 第一回のアップでは、たいていまだバグが残ってますね。 何回か訂正するのがふつう。校正ミスとかね。 鈴木主税さんのエッセイがこのところお休みなので、体調が悪いのかと ご心配いただいてます。やや腰痛ぎみとのことですが、まあ大丈夫のようです。腰痛は執筆業につきものですね。目のほうは手術後、すっかり落ち着いて、快調ですって。本もたくさん読めるようです。 ポーク玉子 ノナカ 投稿日:2004/12/04 12:41 形としては「天むす」みたいなものです。 ポークは厚いハムくらいの切り身、玉子は焼いてあります。 厚焼き玉子の砂糖抜きみたいな感じ。 おにぎりの具というより、はさんであって、まわりを海苔で 巻いてある。全体の形は長方形。おにぎりのように丸とか 三角とか、俵ではない。どちらかといえば、俵の変形かな。 とはいえ、私はポークがダメなので、じっさいに買ったことは ありません。店先のをじろじろ眺めているだけ。 ハワイにも似たようなのがあって、そちらはスパム寿司といい ます。ご飯の上にスパム(アメリカではポークのことをスパム という。正確にいえば、ポークというのが沖縄独自の呼び方)を 載せて、やはり海苔で巻いてある。海苔で巻かないものもある。 日本人移民の発明かしらね。そこまでは調べてない。 ポークタマゴ 江崎リエ 投稿日:2004/12/04 13:06 お、すばやい解説ありがとう。おいしそう。私は好きだと思う。 今度沖縄に行ったら食べます! エッセイは全部読めました。路上に靴が落ちてるのをよく見るというのに驚き。私はこれまで2回くらいしかない。なんか、犯罪か事故の臭いがしてこわくない? ちらしの折り方の話は、会社で若い子が発送業務をしているときに私も感じることでした。並べ方を考えて効率よくやれば早く終わると思うけれど、ていねいにきちんと折るのが好きな子もいるし、効率が悪くても全く気にしない子もいる。雇う立場では効率が気になるところですが、飽きる仕事なので気分良くできるのが一番かなと思い、私は何も言わずにいます。 エッセイ 江崎リエ 投稿日:2004/12/04 13:08 鈴木さんのエッセイは毎月楽しみなので、ないのは寂しいです。 今回も探してしまいました(そうだ、一番上の列のゲストコーナーをクリックすると、前月の亀さんの話に行ってしまいますよ)。でも、お元気なら安心です。 本の装丁 江崎リエ 投稿日:2004/12/04 22:08 広告誌「ブレーン」の1月号の特集が本の装丁でした。ブックカバーデザインと言った方がいいのかもしれない。いかに目を引くかにしのぎを削るデザインで、手にとって見たくなるようなデザインの本がたくさん載っていました。杉浦康平など、見ただけでデザイナーのわかる本がありますね。凝ったデザインの本は持っているのもいい気分です。 ブックデザイン ノナカ 投稿日:2004/12/04 23:13 ちょうど今日は、前に「本の顔」12回を書いてくれたキムラオフィスの木村さんに会ったばかりです。「ブレーン」のこと、教えてあげなくちゃ。ブックデザインは、デザイナーの個性が強くて、どんな本をやってもデザイナーの名前がわかるものと、本に合わせてデザイナーの個性を抑えるタイプとありますね。どちらも、よいデザインならOKです。 エディトリアルデザインでは、カバーではなく本文レイアウトのときは特に、それも単行本の場合はとりわけ、デザイン先行しないでほしいと思う。 雑誌でも、黒地に白抜きとか、文字が淡い色だと読みにくい。こちらが老眼のせいかもしれないけど。 メニューのゲストコーナーのリンク間違いは直しておきました。教えてくれてありがとう。ほかにもあったら教えてね。 スレッド全件表示 ブレーン11月号だった 江崎リエ 投稿日:2004/12/06 11:47 邦子さん ブレーン、1月号じゃなくて11月号でした。ごめんなさい。 「誘惑するブックデザイン」というタイトルの特集です。 翻案 シマ・カズーニー 投稿日:2004/12/07 01:39 数年前に「スコーピオン・キング」という映画を観たとき、その「悪人の手中にある、処女の間だけ予言能力のある女が、正義の味方と結ばれてその能力を失う」という筋立て、前に観たことあるなあと思って思い出せず、その後忘れておりましたが、きのう『ジャームズ・ボンドへの招待』(J・チャップマン)というのを読んでいて、「ああ、これか」とわかった。「死ぬのは奴らだ」ですね。もう30年前の映画だから、すぐに思い出せなくても無理はなかった−−このロジャー・ムーアがボンドを演じた第1作は、ポール・マッカートニーの主題歌以外、「つまらなかった」という印象だけあって、中身の記憶はほとんどないけれど、ストーリーの一部だけ頭の片隅に残っていたのでしょう。もちろん、さらに元ネタがあるのでしょうが。 そういえば、紅葉の「金色夜叉」もアメリカの通俗小説の「翻案」だと数年前にわかった。翻案というけど、ありゃパクリですよね。はっきり言って盗作じゃないの、と思ったけど、そう「はっきり言う」記事は見かけなかった……でも、盗作でしょ? 涙香は翻案だと断っていたからまだいいけど。でも、ウソをついていたわけだ。そういうのすべて「翻案」ってことで許されちゃうんですかね。「オマージュ」とか「引用」とか言うとパクリが許されるのと同じか……違うか。でも、どうもすっきりしません。 数年前には有名歴史小説家の盗作問題があったし、つい最近もアイドル歌手の盗作が発覚した――芸能人の本の盗作問題というのは、過去にもありましたね。一方は許され、一方は断罪されるというのは、どうも公平でない。すでに「大家」だと問題にされないのか。音楽にもよくある。例えば、「ゴジラ」のテーマ曲はラヴェルのピアノ協奏曲に「似ている」とよく書かれるけど、「似ている」ですましていいのか、と。「ファム・ファタール」の音楽は、作曲者自身が「ボレロ風」と言っているからパクリではないのか、とか。「見事な『翻案』」とかほめられて、芸術家たるもの、恥ずかしいと思わないのか、と素朴な疑問としてあるんですが。そんなことないんですかね。 あ、これは、今月のゲスト・コーナーの興味深いエッセーを拝見しての「感想」でありました。 復活 シマ・カズーニー 投稿日:2004/12/07 23:50 ついにテレビがプッツン−−壊れてしまった。買ってから8年、寿命だろうか。年末商戦の時期にちょうど壊れるとは、時限装置でも働いていたのかと思う。とはいえ30万も50万もする大型テレビを買う経済的余裕はない。当分テレビなしの生活を送ろう。 書きたかったのは、そのテレビで最後に見たアバド指揮マーラー交響曲2番「復活」のDVD(ルツェルン祝祭管弦楽団)。これは本当に素晴らしかった。「復活」はアバドの十八番でしたが、その到達点と言うべきか。ガンかなにかですっかりやつれてしまったアバドの姿には最初ショックを受けましたが、演奏が進むにつれてどんどん若返っていく……いや、ほんとにそう見える。まさに「復活」だ。演奏は「完璧」のさらにもう1つ上のレベルの「完璧」。こういう音楽を聴くと、そのへんのいい加減なレベルに甘んじている音楽は全部葬ってしまえ、というファシスト的衝動すら感じる。終演後、楽団員たちが「やったぜ!」という感じで抱き合う光景も感動的でした。というわけで、「見る」甲斐のある名演でもありました。……ウチのテレビも復活してくれないか……。 * 装丁について思うのは、もともと美術手工芸品であった書籍が、大量工業生産品となったにもかかわらず、もとの工芸の「手触り」を装丁によってなんとか残そうと抵抗している、というウィリアム・モリス以来の闘いが継続されている(あれ、主語がわからなくなった)、ということですね。 つまりは、「機械的なデザイン」になることを避ける、というのが装丁の第一の課題だと思う。いい装丁家はみんなそう考えているでしょう。そのうえで、最近は「モダニズム」的なデザインがやや下火になって、タイポグラフィの基本に戻ろう、あるいは「基本」を新たに見出そうという努力が見られるようです。「セカチュー」の装丁なんかは、私にはけっこう衝撃的だった。「機械的」になることを回避する方法として、出来合いの書体をあえて変形させる、あるいは書き文字を使う、といったこれまでの大家たちの手段とは違う手段が現れている、ということですね。 最終的には−−菊池信義さんが言っていたと思うけど−−「本らしさ」というものが表現されなければならない。それを定義するのは難しいけれど、装丁のよしあしは、やはりその「らしさ」で判断されている。 おっと シマ・カズーニー 投稿日:2004/12/08 04:11 菊池信義→菊地信義。つつしんで訂正させていただきます。 2004 ノナカ 投稿日:2004/12/31 17:28 大晦日ですね。今年はみなさんに大変お世話になりました。当ホームページのご愛読、投稿に心より感謝いたします。来年もどうぞよろしく! 今夜はテレビでN響の第9がありますね。シマさんは聴く予定? 2005 シマ・カズーニー 投稿日:2005/01/03 00:53 えー本年もよろしく、と形式的なことは嫌いなので挨拶はともかく、正月映画を観てきました。「エイリアンVSプレデダー」と「カンフーハッスル」ですが、どちらも楽しめました。「エイリアン〜」は昔の怪獣映画みたい。残虐シーンを減らして、いっそ子供向けに作ったほうがよかったでしょう。 チャウ・シンチーの「カンフーハッスル」のほうが面白かった(客も入っていた)。「小林サッカー」ほどではないけれど、安心して楽しめる娯楽作。ものすごく強いヤツが出てきたと思ったら、さらにものすごいのが出てきて、これ以上はあるまいと思うとさらにトンデモないのが……という少年漫画のパターンですが、定石どおりのように見えて巧みに観客の意表を突く。うまいですね。 去年観た映画を振り返っても、印象に残ったのは韓国映画の「殺人の追憶」と日本の「下妻物語」。アメリカ映画は「スパイダーマン2」も「ヴァン・ヘルシング」も私には退屈で、「キル・ビル2」や「華氏911」は思い出したくもない、というかもう忘れちゃったぐらい。アジア映画が優勢じゃないでしょうか。ハリウッド版「呪怨」も「リング」以上のヒットだというし。 私のように「アジアがんばれ」人間ではない、ハリウッド映画大好き人間にもそう思わせるのだから。やっぱり大きな変化を感じます。ていうか、予告編を観ていても、「オーシャン12」「ボーン・スプレマシー」「オペラ座の怪人」・・・ってハリウッドは続編と焼き直しばっかりだ。劇中で「サッカーはもうやめた」とサッカーボールを踏み潰したシンチーを見習って欲しいものだ。 一方、本の世界はどうなんでしょう。年末に「本年度NO1」みたいに言われるミステリーをいくつか読みましたが、どれもあまり面白くなかった。出版界は、なんか明るくないなあ。ハリウッド映画以上にマンネリに思える。まあ、他人事ではない。がんばらにゃいかんですね。 正月映画 ノナカ 投稿日:2005/01/04 09:25 いやー、今年はあまり目玉がないですね、正月映画。 なにも見てない。『ターミナル』と『ポーラーエクスプレス』はトム・ハンクスの顔が見飽きた感じだし。 『マイ・ボディガード』は上演時間が長いというので二の足を踏んだ。このタイトルは原作邦訳タイトルの「燃える男」のほうがよかったのでは? 「マイ」というと、ダコタ・ファニングの視点になちゃう。その点で、原作とは違う結末のネタばれになってもいる……って原作読んでないんですけど。 「エイリアンVSプレデター」って、シマさん、よくそういうの見るんですね。ほんとにB級映画ファンなのね。という私も「プレデター」の第一作は映画館で見ちゃったりしてますが。 「カンフー・ハッスル」はすいてれば見に行きたい。「少林サッカー」も映画館で見た。カンフーといえば、スマトラ沖地震でジェット・リーが一時行方不明で心配しました。無事だったようですが。 映画の話 シマ・カズーニー 投稿日:2005/01/04 19:09 「ターミナル」は観る気がしません。なんでだろ。 私が映画に期待しているのは、「暗いところに降りていく」感覚ですね。暗い、怪しい、悪場所に行きたい(しかも安全に)。「明るい人生」は映画館の外にあるのだから。B級が好きというより、そういう「下降欲求」を満たしてくれるのは、必然的にそーゆー映画になる。地下に埋まったピラミッドのそのまた地下牢みたいなところに降りていく「エイリアンVSプレデダー」は、ひたすらそのような欲求を満たすために作られたような映画でした。 「ターミナル」というのは、その対極にあるようなロケーションだから、おもしろいと思えない、のかな。 当然に私好みの「羊たちの沈黙」のDVDを正月にまた観ていたのですが、映像特典のメイキングによると、シリアルキラーが同性愛者という設定のこの映画が「同性愛差別だ」と批判を浴びたことから、ジョナサン・デミ監督は「フィラデルフィア」を撮ったとのこと。その「フィラデルフィア」の演技でトム・ハンクスはオスカーを取ったわけですが、いま見直すと、そういう政治的意味が強すぎて、トム・ハンクスの演技もやりすぎに思える。それでなくても、「政治的に正しい」イメージは今ではマイナスで、ハンクスもそのイメージ払拭に努めたようですが、成功していませんね。ロビン・ウィリアムスもそう。この2人、日本で言えば西田敏行と武田鉄矢みたいだ。イメージが固定してしまった。 ついでに−−「セブン」の音声解説で、モーガン・フリーマンがこんなことを言っていた。「自分やクリント・イーストウッド、ジーン・ハックマンらは『直観派intuitive』の役者だから、演技にあたって特に気持ちを高めるようなことをしない。緊張しないで自然に演技に入っていける。そのぶん、激情の表現は苦手かもしれない」。彼らの演技がつねにどこか知的で冷静な感じがするのは、そのせいだろう。デニーロも、演技ではつねに「優雅さ」を心がける、とか言っていましたね。こういうタイプの役者が私は好きかもしれない。もちろん「激情」表現がうまい役者−−いつも怒鳴っているアル・パチーノとか−−もいいのだけど、「激情派」にはうんざりさせられることが多い。 もっとも「知的」なだけでもダメで、私があんなに好きだったウディ・アレンの映画を、そういえば最近、ちっとも観たいと思わなくなった。「下妻物語」はウディ・アレンの影響を受けていると思いましたが。 訂正 シマ・カズーニー 投稿日:2005/01/05 03:35 なんか「プレデター」をしつこく「プレデダー」と誤記していることにいま気がついた。 着物 江崎リエ 投稿日:2005/01/06 14:21 エッセイ、読みました。 秀岡さんの着物の話、偶然にも、最近私も着物が着たいと思い始め初心者用一式を揃えた所です。うちは祖母も父も日常着が着物で、母はおでかけ用の着物をたくさん持っていました。だから、いろいろ見ていたのですが、当時は全然興味がなかった。いろいろいい着物もあったのですが、私には小さすぎて着られなかったので、亡くなったあと着物は親類に回りました。 イメトレができないというのは、ほんとに納得しました。洋服なら、服を見て自分が着たときのイメージがわき、好き嫌いも似合うかどうかもだいたいわかりますが、着物は見当がつきません。 嫌いと思ったものが、帯ひとつで「あら、以外といいかも」に変わる。己を知ることができません(^-^)。 いい先生が近くにいていいですね。私はとりあえずネット検索でらくちんな着方を追求しながら遊んでいます。 今年もよろしく 江崎リエ 投稿日:2005/01/06 14:28 着物エッセイに感激してご挨拶がおくれましたが、みなさん、今年もよろしく。このホームページのあちこちをいつも楽しみに読んでいます。巻頭の虹の写真はほんとうにきれい。希望がもてる気がします。 正月休みは息子と二人で、夫の親友のジャズミュージシャンの住むオーストラリアのヌーサヘッドに行って来ました。何も知らずに行ったら、そこはひなびたリゾート地で、海と太陽の光のとてもきれいなところでした。 虹の写真 江崎リエ 投稿日:2005/01/22 18:40 表紙の虹の写真はほんとうにきれい。ここに読みに来て、ぱーっと虹の写真が画面に広がるとうれしくなります。 沖縄は暖かそうで、いいな。 よろしく! ノナカ 投稿日:2005/01/22 21:02 リエさん、今年もどうぞよろしく……って、遅いですね。 秀岡さんもリエさんも着物がマイブームなのね。 けんかとマンガ シマ・カズーニー 投稿日:2005/01/29 01:55 NHKの元会長は顧問職まで辞任させられて、気の毒だなあ。この人、そんな悪いことしたんですかね。冬ソナの大ヒットとかは功績にならないのか。NHK出版とか、最近がんばってるじゃないか。 NHKは叩かれやすい。NHKを叩くのは「安全」ですから。ほかのマスコミと系列関係はないし。別にNHKのファンではないが、こうなるとNHKに同情したくなる。 やっぱその顔が・・・悪かったんですかねえ。ぼくはずっとこの人に同情的なんだけど、会社でそれを言うと、「じゃ、お前がおれの分まで受信料を払え」と言われて・・・黙ることにしました。 そのNHKと朝日新聞との喧嘩ですが、おもしろいですねえ。ここでも何となくNHKの肩をもちたくなる。左派メディアのhidden agendaが表にでちゃった感じ・・・これ以上は言いませんが(しかし、この問題にはもうひとつ裏がありそうだ。どんどん喧嘩して事実を明らかにしてほしい)。 さて、今日はこうの史代の『夕凪の街桜の国』を読みました。メディア芸術祭マンガ部門の大賞をとった作品。ヒロシマの原爆がテーマで、帯に「朝日新聞で絶賛!」とあれば・・・まあ何となくわかった気がして、ハイハイ平和教育マンガですかと読み始めたら、不覚にも泣いてしまった。電車の中で。ハイ、大賞に異存ございません。日本のマンガは素晴らしい。 ぼけと封印 シマ・カズーニー 投稿日:2005/02/03 03:36 荻原浩の小説『明日の記憶』は、若年性アルツハイマー病にかかったサラリーマンの話。50歳という年齢は、私より少し上だけれど、そう遠くない。冒頭、主人公が「タイタニック」の主演男優の名前を思い出せずに焦るクダリで、たちまち引き込まれてしまった。私にも最近、まったく同じ体験があったからだ。「ほれ、あれ、あの」と懸命に記憶をまさぐって、やっと思い出した。「デカ様!」。残念切腹。 まったく他人事ではない。つい最近も何かで読んだ(と、いつ何で読んだか忘れてるところがすでに危ない)、「『薔薇』と『憂鬱』が書けるのが出版界で働く最低条件」という文章に心中、焦った。(書けない……)。しかし、考えてみると、もとから書けなかった、−−ということだけは思い出せてよかった。 それにしてもこの小説、記憶を失う恐怖とともにサラリーマンの哀歓が描きこまれていて、とてもよかった。最後の場面では泣いてしまったよ……最近よく泣くのも老いの始まりかもしれない。 ところで、知り合いの編集者に「荻原の小説はよかった」と話すと、キッっとにらまれて、「私には若年アルツハイマーの知人がいるけど、ほんとの症状はあんなものではない。あの小説はふざけている」と返されてしまった。いろんな感想があるものだと思ったが、この反応がやはり最近読んだ別の本を連想させた。安藤健二の『封印作品の謎』だ。この本は、手塚治虫の「ブラックジャック」や円谷プロの「ウルトラセブン」などの特定作品が、精神病患者や原爆被害者団体などからの抗議で「封印」された経緯を追っている。「病者の実情が描けていない。誤解を広げ差別を助長する」というのが抗議する側の共通の言い分で、版元側はほとんど反論することなく作品を「自主的に」封印する道を選んだ。 それはほとんど1970年代の話だが、抗議する側であった人が「行き過ぎた抗議活動というものが・・・メディアを過度に萎縮させ(た)」と本書のなかで反省しているように、いま振り返ると異常でしたね。しかし、私も含めて、いまだにマスコミ人にはこの時期に染み付いた「自己検閲体質」が残っている。この「病気」は、我々の世代ではもう治らないかもしれない。あの時代を身をもっては知らない、1970年代生まれのこの本の著者の世代が、こういう形で我々の世代のタブーに挑戦している姿は心強い。すでにボケ始めた我々を乗り越え、がんばってほしいと思う。 エッセイ 江崎リエ 投稿日:2005/02/03 18:07 エッセイを読みに来ました。 バレンタインデー、東京はどんどん高級化しているようです。お金があるんだなあと思います。使い道を考えろよ、と思ったりもします。 邦子さん ガヴァネスの話はおもしろかった。男女の人口比がつりあってなくて、女性が余っていたなんていうのは、言われなければ全然考えませんでした。明治生まれの私の祖母は両親を早く亡くして、なんとか自立したいと考えて高等師範学校に入って学校の先生になったと言っていました。先生は聖職として尊敬はされていましたが、当時は親に嫁ぎ先を用意してもらわずに自分で仕事をしなくてはいけない若い女性ということで、社会的には下に見られたそうです。ガヴァネスと境遇は似ていたのかも、と思いました。 1か月はやっ! ノナカ 投稿日:2005/03/01 18:19 リエさんが「エッセイを読みにきました」と書き込んでくれたので、返事をしようと思っているうちに、ふと気がついたら、もう3月ではありませんか! 月日のたつのは早いですね! 3月になっても確定申告や花粉症でざわざわと過ぎていきそうです。もうそろそろ暖かくなってほしいな。 ということで、更新しました。 桃井さんのエッセイはお休みです。 鈴木主税さんは腰痛のため休載中。いろいろご心配いただいていますが、じわじわと快方に向かいつつあります。敏捷に動けないので、電話にすぐ出られない、長時間坐っているのが辛いのでメールのお返事が短文になり、また迅速に対応できないとのこと。 アカデミー賞あれこれ ノナカ 投稿日:2005/03/01 18:20 アカデミー賞のファッションチェックもしましたが、極端に外している人がいないとつまらないですな。挨拶でも、これといったヒンシュクものやばつぐんのジョークがなかったような気がする。ショーン・ペンがクリス・ロックのジュード・ロウねたのジョークに食ってかかっていたのはマジメな性格というか、冗談が嫌いだからかな。 グィネスとケイト・ブランシェットの金髪組に対抗して、ジュリア・ロバーツ、レネー・ゼルウィガーの黒髪が目だってました。ニコールは来てなかったのね。トムも。 ジェイミー・フォックスは娘と来てました(未婚の父か、離婚したのか、妻はいないそうです)。クリント・イーストウッドはお母さんと一緒。そんなとこからも、アメリカの家族再生志向がうかがえ……ないか。 主演女優賞のヒラリー・スワンク、男優賞のジェイミー・フォックス、それに監督/作品賞のクリント・イーストウッドも、テレビ出身の俳優ですね。テレビから映画への転身はなかなか難しいといわれるけど、いまやTVの力は侮れない。とくに、コメディアンはTV出身が多いけど、ジェイミー・フォックスみたいにコメディアンからシリアス・アクターにうまくシフトするのは珍しいかも。 人気のジョージ・クルーニーだって作品としては若干の安っぽさがつきまとう。あれって、テレビ臭じゃないのかな? テレビで「ローハイド」に出ていたころのクリント・イーストウッドはかっこよかった(リアルタイムで知っているというと年齢がばれる)。 ところで、私の周囲を見るかぎり、『ネバーランド』の視聴率が非常に高い。デップ、人気あるのね。映画の感想は毀誉褒貶さまざまなんですが、みんな口をそろえて「デップはいい」といいます。見にいくべきか。 読みに来ました(^-^) 江崎リエ 投稿日:2005/03/01 23:35 またまた、読みに来ました。 今月の沖縄。沖縄はこういう看板が面白いね、主張があって。「効果がなければ、気に入らなければお金は返す」という通販などをときどき見かけます。こういうコトを書いてもなかなか返す人がいないのは、日本ならではでしょうかね? 海外事情をしりたいところだな。 犬猫鳥写真もおもしろい。正月に行ったオーストラリアのヌーサの友人の庭にはbush turkeyが来ていました。裏の国立公園にはコアラもいると言っていた。動物が身近な暮らしというのは牧歌的でいいですね。 ここまで読んでちょっと休憩。他のはまた読みに来ます。 落語 江崎リエ 投稿日:2005/03/02 12:09 高橋早苗さんのエッセイを読みました。 20分でお昼寝から目覚められるのがすごい。お昼寝の本にも「短い昼寝でリフレッシュするといい」と書いてあるのですが、私は寝たら3時間は経っている。 落語ファンなのを知ってうれしく思いました。寄席にも行ってほしいな、楽しいですよ、寄席。私の最近のお気に入りは柳家三三 という二つ目。私が大ファンの小三治さんの弟子です。みなさん、どこかで見かけたら注目してね。 やっぱり非常識? 藤田真利子 投稿日:2005/03/05 11:23 ひでおかさんのエッセーを読んで、やっぱりわたしは非常識かなと思った。ときどき口を出すんですよ、他人の会話に。時には読んでる本を見ておもしろいかときいたり。そうしょっちゅうではありませんが(だいいちほとんど出かけない)。意外と嫌な顔はされません。何かが思い出せないでいるときなど、お礼を言われます。こんど、試してみれば? はじめまして としひこ 投稿日:2005/03/06 21:17 はじめて書き込みします。チョムスキーの本を何冊かまとめて読んで以来、鈴木主税さんのお名前が気になって、こちらのサイトを何度か拝見させていただいています。 最近読んだ本にReading Lolita in Tehran(Azar Nafizi 2003)というのがあります。そのまま訳せば『テヘランで『ロリータ』を読む』。数ヶ月前に紀伊国屋で見つけ、「ニューヨーク・タイムズ・ベストセラー」というコピーにつられて買ったのですが、なかなか読む時間が見出せないままでした。最近、たまたまアメリカ教員連盟(AFT)のサイトを見ていたら、著者のNafizi氏が今年の定期大会に招かれ、ケリー大統領候補らとともに来賓あいさつを述べていました。それを機会に読み始めたのですが、1979年の政変で教壇を終われた後もテヘラン市内で有志の学生を集めて、自宅で英文学の読書会をつづけた大学教授の話です。いずれ邦訳が出るのでしょう。「退廃文学」として教室や書店から姿を消していったナブコフ、フィッツジェラルド、オースティンなどの作品をめぐる学生とのやりとりや、著者の身辺に起こる出来事などから、政変当時のイランの大学における、まるで文革のような様子が活きいきと表現されています。特に面白かったのは、「偉大なるギャッツビー」を英文学の教室で「裁判」にかける場面です。退廃文学か否かという裁きです。原告はイスラム急進派の学生で、被告は作品『ギャッツビー』、被告の弁護人は著者というものでした。今(2005年3月)もアメリカでは良く売れているようですが、こういう本や『華氏911』の関連本が読まれている割には、排外主義的な世論は固いですよね。日本も同じですが…。 耳がいい ノナカ 投稿日:2005/03/06 23:54 人の話している内容がわかるのって、耳がいいんだなと思います。私はぼーっとしているせいか、あまり聞こえない。 相手が喜んでくれるんなら、非常識ってことはないんじゃないの?>真利子さん しかし、たまたま耳に入ったという感じならいいけど、しばらく聞いていてから声をかけるのはなんだか具合わるそうです。タイミングの問題かな。というか、考えすぎちゃうと声をかけにくいかも。 でも、人の話って面白いですね。 テヘランでロリータを読む ノナカ 投稿日:2005/03/07 00:03 #201 としひこさん、ようこそ。はじめまして。英語関連のお仕事ですか? 『テヘランでロリータを読む』、ちょうど先日会った編集者とその本の話が出たところでした。アメリカでは評判になってますね。日本でも今年の秋ごろ邦訳が出る予定だとのこと。楽しみです。 言論の自由とか表現の自由は、大丈夫と思っているうちにいつのまにかじわじわと侵害されつつあったりして怖いです。 チョムスキーの本は#200の藤田真利子さんも翻訳しています。鈴木主税さんの訳したチョムスキーの新刊も、今年また集英社新書で出る予定なので、どうぞよろしく! コメント 1.としひこ 投稿日:2005/03/07 22:17 ノナカさん、ありがとうございます。あまり書き込みはしたことがないのですが、反応があるって嬉しいですね。一応英語関連の仕事をしています。やはり話題になっていましたか。とても面白い本でした。英文科の学生時代を思い出しながら読みました。チョムスキーの本は、いろいろな出版社から出ていますよね。僕も英語でも日本語でもたくさん読みましたが、だいたい3種類くらいに分類できて、あとは内容に大差はないのですが、翻訳によってはすごく読みにくいものもあります。チョムスキーの語り口からすると「です」「ます」調の方がしっくりくると常々感じています。彼の年齢や物腰から、そう感じるのかもしれませんね。ブッシュ再選で、まだしばらくは売れそうですね、チョムスキー。 いそがしい シマ・カズーニー 投稿日:2005/03/10 03:26 いやー年度末は忙しい。仕事を「来月に延ばす」ことが出来ない月ですからね。この一ヶ月、まともに3食くえたことも6時間以上眠れたこともない。ろくに本も読めず映画も観られない。まったく。 話題の変遷もめまぐるしい。朝日VSNHKはどっかいっちゃって、いまはフジVSライブドアだ。それにしても、ライブドア堀江氏の出まくりぶりを見れば、僕の忙しさなどたいしたことないと思えます。面白いのは、世代交代を訴える堀江氏の支持者は若者が多いのかと思えば、むしろ団塊世代に支持者が多いらしいこと。社内でもそんな傾向がある。まあ僕もとりあえず堀江ガンバレですね。というか、サラリーマン長くやってると、こういう人がまぶしいんですよね。 「オーナー」がヒーローになる時代なのかも。たとえば、王や長嶋はかつてヒーローだったのだろうけど、今の彼らを見れば、しょせん、孫正義やナベツネの「社員」じゃないか、というのが透けて見えますからね。オーナー、株主がいちばん偉い。それが現実、これぞ資本主義ですね。 それはそれとして、一か八かに賭ける起業家精神は、本来、出版人の精神でもありました。書籍編集者にとって、本を出すのはそのたびに新たな店を起業するようなもの、とアメリカの編集教科書に書いてありましたね。堀江氏含めIT企業家は、出版業をすでにオールドだと思っているのか、あまり関心がないようですが、出版人は彼らの精神から学んでもいいと思います。一か八かの勝負が出来なくなったら、出版人は本当に「サラリーマン」になってしまう。そうなっているから、出版がつまらなくなっているのかもしれませんね。って、なに教訓じみたこと書いている。 編集者なら、誰だって新たな才能に賭けてみたい、と思っているはず。だけど、いつしか臆病になって、「安全」な既成作家ばかりを相手にするようになる。だから、若者たちは、自ら自分の才能の「オーナー」にならなければならなくなっている、のかも。 いや、最近ちょっと「お笑い」に凝っていて、若手お笑い芸人たちのDVDを買いまくっているんですが。面白かったり、面白くなかったりするけれど、才能とスキルだけで世に出ようとする彼らの姿に感動させられるんですよね。ささやかながら、彼らに「投資」している次第。ちなみに私のごひいきはダーリンハニーというコンビで、がんばってほしいなあ。 話しかける 江崎リエ 投稿日:2005/03/10 12:09 相手が女性、とくに年齢が近ければ、知らない人でも話しかけちゃってもたいてい大丈夫ですよ、私は。仕事柄情報を押さえておきたくて聞くこともありますが、若いときに男性にこれをやるとぎょっとされて、うまく行きませんでした。喫茶店なんかだと話しやすいけど、すっと別れるわけにいかないしね。 赤ん坊連れで歩いているときは、けっこういろいろな人に話しかけられました。危害は加えないと言う旗みたいなものだものね、赤ん坊は。 ナンシーさんのお料理 江崎リエ 投稿日:2005/04/01 11:16 1日更新ですね、すばらしい(^-^)。 キジムナー、こういう話、久々ですね。沖縄には妖精伝説が似合いそうです。続報も教えてね。 ナンシーさんのお料理はおいしそう。それにお皿もステキ。スコーンはよく作るのでこのビスケットも一緒に作ってみます。 まだ、エッセイは読んでいませんが、楽しみです。 今日はなんの日 ノナカ 投稿日:2005/04/01 13:23 もう、リエさんたら、素直なんだから! うれしいですけど。 あ、すっかりだまされた(^-^) 江崎リエ 投稿日:2005/04/01 17:19 邦子さん そうか、すっかりだまされた。話自体はかっぱとおなじでつくりものと思ったけど、邦子さんの仕掛けとは思わなかった。1日ですね、なんて言っておきながら、エイプリールフールには頭が行きませんでした。年度末、年度初めって広告が結構面白いので、年度替わりにばかり頭が行っていた。1日更新の甲斐があったというわけね。 エープリルフール ノナカ 投稿日:2005/04/01 22:13 どうも失礼しました。エープリルフール版は消去。 でも、たった1日なので、見にきた人は何人もいないかもね。 見られたかたはラッキー!ということで。 これのためだけに大急ぎで1日に更新したので、このあと修正・追加があるかもしれません。 見たかった! EMY 投稿日:2005/04/01 22:44 こんにちは。ここに書き込むのは初めてかも。 エイプリルフール版があったなんて、見損ねて残念! せめて、4月1日の間は残しておいてほしかったナー。 牧神舎のシンボルマークがキジムナーだったりしたのでしょうか? リクエストにおこたえ ノナカ 投稿日:2005/04/02 09:50 EMYさん、こんにちは! 沖縄旅行記、楽しく読みました。 http://emy.tea-nifty.com/book/ それでは、リクエストにおこたえして見られるようにしました。 たいしたもんじゃないけどね。 トップのココペリをクリックすると、エープリルフール版トップページが開きます。戻るときは「戻る」をクリックしてね。 ありがとうございます EMY 投稿日:2005/04/02 22:00 見られました! キジムナー、あんな姿をしていたんですねー。 私も一度、出会ってみたい。 それには、やっぱりやんばるに行かないとダメでしょうね。 (まだ本気にしている) こういうお遊びは楽しいですね。 ラッキー リエ 投稿日:2005/04/03 16:34 私はラッキーだったのね(^-^)。 EMYさん、沖縄旅行記読みました。お葬式の記事にびっくりです。 大津栄一郎「英語の感覚」上 kaoki 投稿日:2005/04/04 09:08 鈴木主税先生がこのHPの翻訳雑感で翻訳を呼んでおくべき本の一冊に挙げていらっしゃる大津栄一氏の本にはひとつ誤りがあることに気づいていました。下記をご参照下さい。ご参考までに。なにも揚げ足をとるつもりはありません。 岩波新書「英語の感覚(上)」 93年4月20日 第1刷 発行版 55頁の「名詞が持つ受動態的意味」の項、引用文 "Anger had never been easy for him; even as a child he had been there was nobody to be angry at, only tired people anxious to please, good hearts asleep and awake...." 著者(大津栄一氏)の訳 「腹を立てることは彼には昔から容易なことではなかった。子供だったときでさえ、怒らねばならぬ相手はいなかった。気に入られたがっている疲れた人間がいるだけだった。善人が眠っていたり、起きていたりするだけだった。」 何処がおかしいかわかりますか? asleep and awakeのところ以外。 英文にミスプリがあるのに気づかずに訳した例。 わたしの解答は、95年6月15日以降の版「英語の感覚(上)」にあります。わたしの指摘を受け入れて修正されてますので。(ミスプリは一文字だけ) 呼んで→読んで kaoki 投稿日:2005/04/04 09:10 217に訂正があります。 変な言葉訂正 kaoki 投稿日:2005/04/04 09:39 何度も相すみません。 「翻訳を呼んでおくべき」→「翻訳を始める人が読んで置くべき」 もうないと思います。 大阪弁 島田正幸 投稿日:2005/04/05 10:11 はじめまして、島田と申します。去年から翻訳の勉強を始めたノビスです。このページではシマ・カズーニーさんという方の声が妙に気になります。先日困ったことがあったのですが、その顛末を披露させていただきたいと思います。ある英文の記事に次のようなことが書いてありました。横山やすしをかたどった、話をする人形のボタンを押すと流れてくるせりふが、アメリカ人に次のように聞こえたというのです。 each-how to-will-a-ka so soo-chi-i 前後の文脈など全くないせりふです。これを元の日本語に戻したいと思ったのですが、解読の手がかりは、そのせりふをしゃべるのが横山やすしらしいということだけです。初め私は、関西人ではないということもあって、何のことやらさっぱり分かりませんでした。手がかりを求めて、インターネットで大阪の人に直接尋ねてみたのですが、はかばかしい説明は得られませんでした。二人の方は、頭の部分は「いいちゃう」あるいは「いいんちゃう」「ええんちゃう」ではないかと思う、といっていましたが、音は確かに符合するものの、その後が続きません。それに横山やすしが発話者であるとすると、これではいかにもおとなしすぎるのではないかと思ったのです。そこでなけなしの頭を振り絞って考えたのですが、大阪の劇などを見ていると、よく、乱暴な話し方として、「いっちょ、どついたろか」という表現が出てくるのに思い当たりました。これではないかと思いました。人形から流れてくる言葉なのですから、生の言葉ほどはっきりと聞こえるわけではないとも考えられ、大まかに捉えてもいいのではないかと思ったのです。この解釈だと、「つ」と「た」はアメリカ人に聞こえたせりふの中には、実際にはなかったことになりますが、必ずしも的外れではなように思います。最後の部分は、どついてやりたい理由として、「そーぞーしい」、「そそっかしい」からなのだと、付け加えているのだと考えてみました。この解釈は牽強付会というべきなんでしょうか。し呼んで→読んででないため、かえって自由な発想ができた結果だと思えなくもないと思うのですが。 わからない! ノナカ 投稿日:2005/04/06 01:16 kaokiさん、はじめまして。 ミスプリントですか……わからないな。記号じゃなくて、文字ですよね? 文章の意味も捉えどころがないですね。どういうシチュエーションなんだろう。 島田さんもはじめまして。こんにちは。 やすしのセリフは巻き舌で、外国語みたいに聞こえるかもしれませんね。でも、ぜんぜん想像つかない。 どちらも、答えがわかれば、「あーそうか!」と思うんでしょうね。 ちゃう? シマ・カズーニー 投稿日:2005/04/06 02:35 えーんちゃう? とゆーか、そー(なん)ちゃう? とか。 Just like that. Why not? そーゆーニュアンスちゃう? 「シマ・カズーニーの声」といわれて、そーいえば。最近、会社の同僚と飲んでいて、「お前の声は大きいよなー」と言われ、初めて自分の声がやかましいんだと分かった。45年近く生きてきて。こういうことは、他人は面と向かって言ってくれないからね。においと何とかのことは他人は言ってくれない−−という意味のことわざみたいなのがあったような……。 それこそ「小男の大音声というやつで……」と答えたんだけど、いまグーグルってみると「小男の大音声」なんてヒットしない。そういうことわざ、ありませんでしたっけ? たしか心理学者のアドラーの「劣等感の補償」の説明の中でも出てきたような……ああ、最近、記憶があやしい。 その手のことわざで、前から気になっているのが、「哲学者の幸福」というのが確かあって、これは、「若いときに人の悩まないことで悩んだ人は、後半生、幸福に生きられる」という意味だったと思うんだけど、どこの国のことわざかもわからない。最初に知ったとき、いい言葉だなあ、と感じ入った記憶があるのだけど。知ってる方は教えて。 あと、眉間のしわのことを「ナントカのしわ」と言って、ナントカのように悩んだ人にできる−−というようないわくがあったと思ったんだけど、これも忘れた。たしか、アラン・ドロンの顔への論評で出てきた−−からおフランスの言葉だろうか。これも、知ってる方は教えてほしい。 声が大きいといえば、南伸坊さんが、喫茶店で話してると店の人から「もう少し小さい声でお願いします」と言われる、と言ってたな。「自分では普通にしゃべってるのに。言われないとわかんないんだよね」。たしかに南さんの声ははっきりしていて通る声ですね。あの方は小男ではななく、大男ですが。 ところで、最近素晴らしかったDVD−−アバドのドビュッシー「聖セバスチャンの殉教、海」、ラトルのバーンスタイン「ワンダフル・タウン」、そしてカルチャークラブの「グレイテスト・ヒッツ」。それぞれ、20世紀初頭のパリ、1930〜50年代のニューヨーク、そして1980年代ポップス、の精華。これほどの文化的豊かさを一挙に味わえるなんて−−なんと幸せな時代に生きていることか。 ちなみに、今年は、ドビュッシーの「海」初演から、ちょうど100年ですね。これこそ名曲中の名曲だなあ、と思う。 舞い上がりそう 島田正幸 投稿日:2005/04/06 06:33 憧れのノナカさんやシマさんから声をかけていただいて、なんだか舞い上がりそうです。ひょっとして歯牙にもかけていただけないのではないかと、内心不安な思いもあったので、なおさら浮かれ気分です。しかし、ひとつだけ気がかりなのは、シマさんが「声」というのを、半ば意識的に、loudnessだと意味のすり替えをされていはしないかと思われる点です。「声」という場合、解釈は、1.what you said 2. how you say it 3.loudness of speechの三通り成立すると思いますが、私の真意はhow you say itでした。また、当然そう受け取っていただけるものと思っていました。具体的に言いますと、シマさんの話術の巧みさに心惹かれるものがあるという意味だったのです。もっと具体的には、以前にこの欄で、シマさんが、物忘れが激しくなったことのたとえに、「薔薇」と「憂鬱」をどう書くか忘れてしまったというようなことをお書きになっていましたが、そのユーモラスな筆の運び方に舌を巻いてしまったのです。もしそうとっていただけなかったとしたら、私の、至らなさですが、初めにお断りしたように、シマさんは、そうだと分かっていながら、小さな子供がそうするように、わざと拗ねて見せているかのように、私には感じられるのは、やはり勘違いでしょうか。それから、「えーんちゃう、というか、そー(なん)ちゃう」というのは有力な解釈だと思いますが、横山やすしの存在価値とでも言うべきことを考えると、第一は、「乱暴者である」ということではないかと思いますので、わざわざ横山に話させる言葉としては、その必然性が薄いのではないでしょうか。生意気なことばかり申しました。ご寛恕ください。 昔何度もここを訪問させていただきました。 kaoki 投稿日:2005/04/06 14:44 ノナカさま わたくし、病気して随分ネットから遠ざかっておりましたが、昔はシマ・カズー二さんとも随分この掲示板で色々お話をしました。そのとき、kaoki/香緒?・・・どちらの名でご訪問していたかは忘れました。 「「職業としての翻訳」を読んで, 2001/03/03 レビュアー: カスタマー 広島市南区 (アマゾン・ジャパン)」のレビューアは私です(最近のレビューは随分ひどいことが書いてありますね) それで、NO.217で紹介した分(1)は、実は(2)が正しかったのです。(つまり改訂以前の新書版は(1)) (1)・・he had been there was nobody to be angry at・・・・ (2)・・he had seen there was nobody to be angry at・・・・ どういうわけか、大津栄一先生に渡った原文(写し?)が(2)でなくて(1)だったというわけです。でも、"英語の感覚"が分からずに、無理して妙な訳を付けたというもの。・・・説明が下手で分かりにくいかも。わたしはどうも納得いかず、原文に当たってみてやっと青空が見えたという次第でした。岩波を通じて大津先生に尋ねて、上のことが確認できたというわけです。 質問させてください 島田正幸 投稿日:2005/04/06 21:55 kaokiさま はじめまして、昨日始めてこのページに参加させていただいた、島田と申します。kaokiさまの投稿された文章を読ませていただきましたが、ちょっと質問させていただいてもいいですか。質問の第一は、引用文を採用した原文に当たられたとのお話でしたが、もしお差し支えなかったら、原文のタイトルをお教えいただけませんでしょうか。岩波新書の中にその出典が明記されているようでしたら、自分で新書を買い求めますので、その必要はありません。私には、引用文を訂正した理由が良く分からないのです。第二の質問はbeen をseenに変える文法的根拠は何なのでしょうか。元のままでも文法的な間違いはないと思うのですが。As a child (that) he had been〜とthatを補えばいいのではないでしょうか。これはHe is not a child he had been ten years ago. と同型の文章だと思います。that が、補語になる主格の関係代名詞である場合は省略できるはずです。ですから、問題部分の逐語訳は、「彼が子供であった少年時代には」とでも訳せると思います。ただ引用されている箇所の和訳文には少し問題があると思います。私でしたら、次のようにでも訳します。「彼はめったなことでは腹を立てなかった。子供の時だって、人に腹を立てたことなど一度もなかった。考えるのは、働き疲れた人を何とか元気付けてあげたい、ただそのことだけだった。いつも優しい気持ちしかもっていなかったのだ」 島田さんへ kaoki 投稿日:2005/04/07 02:11 島田さんへの回答 (1)書籍が山積みなので原書がいま何処にあるのか時間を掛けて探さなきゃなりません。しかも、当該図書の作者とかタイトルは忘れてしまいました。いずれにしても、大津先生の新書に引用がある筈です。わたくし、それを買って初めて謎が氷解したんですよ。(^!^) (2)文法的には成り立つとしても、リダンダントな気がします。つまり、"子供でない少年時代"てぇーのがあるでしょうか!? (3)一部分切り取った文章だけで論じるのは危ないので、ここまでにして置きます。たしか、原書は、ペーパーバックの安価な(海外では)作りでした。たしか、取り寄せだったかなー? ー以上ー ロック シマ・カズーニー 投稿日:2005/04/08 01:02 アホとちゃうか・・・とか。 しかし、これは面白いですね。新手のクイズになる。 ジャ・ジャ・ジャーン。ジャッ・ジャッ・ジャジャーン。ジャ・・・ とかの「クチじゃみせん(を表記したもの)」で曲を当てるのがあるでしょう。あれは僕はちっとも分からないけれど、当てる人もいるからねえ(ちなみに上は「スモーク・オン・ザ・ウォーター」のつもり)。それと似ている。 それはともかく、横山やすしが「乱暴者」というのは、プライベートな部分での印象で、漫才が乱暴だったという印象はないですけどね。 * 桃井さんのエッセーを読んで―― 僕もロック雑誌はよく読むんですよ。いまのは理屈っぽい「評論誌」になっていて、その意味でも「クラシック化」してますね。クラシック評論というのは、音楽そっちのけで自分の人生観とか芸術観とか「こんなに私はセンスが繊細」「こんなに私は教養人」とかばかり語る「自己陶酔型」が多いのだけど、いまのロック雑誌の評論スタイルもそうなっている。 クラシックと違うのは、ロックには「成熟」や「老成」を肯定的に語る思想が希薄なこと。何しろ「若者の音楽」だから。クラシック評論には「人格の成長」という教養小説的な理解がまだ生きていて、だから60でまだ中堅、70過ぎてやっと「大家」と呼ばれる世界だけど、ロックは逆で、若い(若々しい)ほどエラい。だから、その「評論」は、いい年こいたおやじが、要するにガキの未熟な人生観を一生懸命もち上げる、という構図になるわけ。その見苦しさがすごく面白い(ま、要するに私はバカにしてるんですが)。 で、いまのロックおやじの頭の中にあるのは、まだ60年代・70年代サヨクの思想だったりするから、ガキをもち上げながら、なんというか、アジテーションする。米大統領選の前の「ミュージック・マガジン」とかすごかったよね。「朝日ジャーナル」の復刻版みたいだった(ま、バカにして楽しんでたんですが)。「君たちはロックをやってるんだから世の中に反抗しなけりゃ」みたいな。要するに、彼らは自分たちの世界観を確認・正当化しつづけるために「ロック」が必要なんじゃないでしょうか。クラシック界の「老人崇拝」も不気味だけど、ロック評論界の「未成熟礼賛」も同様に不気味だ。 * 今日の「日刊ゲンダイ」に野中さんの訳されたグルメ本(?)の長い書評が出てました。 日刊ゲンダイ ノナカ 投稿日:2005/04/08 01:38 シマさん、情報ありがとうございます。他からも情報提供があって、さっそく入手しました。この評者も書いてましたが、グルメといってもアメリカ人ではたかが知れているように思います(ってバカにして)。日本人は総グルメだもんね。 文化的にも(クラシックでもロックでも)日本人は総グルメ、というか総評論家になっている。ブログの流行を見ても、みんな社会/文化を論じていてほんと驚きます。そりゃー平均寿命が世界一のうえに、この平和な社会だから、当然かもしれないと思います。平均寿命83歳ですってよ。一番短いのはアフリカの国(どこだっけ)で、平均寿命が35歳。生きる年月が倍以上ちがうのではねぇ。 日刊ゲンダイとタイプしたら、日韓現代と変換されて、いまどき風になりました。 そういえば ノナカ 投稿日:2005/04/08 01:45 kaokiさん、はじめましてじゃなかったんですね。お名前に記憶があります。じわじわとよみがえってきた。もの忘れの激しいお年頃ですみません。 もう一つ、そういえば……ってアトだしジャンケンみたいですけど、beenは怪しいなと思ってました。あとから言っても説得力ないですね。 お病気だったそうですが、もう回復してネットに復活なさったんですね。これからもお大事に&よろしく。 記憶にない kaoki 投稿日:2005/04/08 02:37 ノナカさんへ: ロッキード事件とか、最近では歯科医師会からの献金問題。必ずといって良いほど、「記憶にない」という言葉が出てきます。が、あれは嘘ではないようです。3年前に訪問してお話をした方と、つい先だって、電話を交わしましたが、すっかり私のことを忘れていました。こちらが覚えているほど、相手は覚えていないのだなと、記憶のことを再認識しました。相手が、特に多くの人と接する場合がそうです。ですから、別に"物忘れがひどい"ということはないのだと思います。 記憶と言えば、ある原因で脳幹出血に襲われた時、不思議な体験をしました。なので、物理現象と精神現象とは切り離せないのだと実体験。 島田さんはどうしたのかな? (bとs) (d!b) (8!8) (^!^) 内臓の疾患と「鬱」でした。いまは「躁」状態 kaoki 投稿日:2005/04/09 06:09 同じく「翻訳雑感」に引用された鈴木孝夫先生について、かつて私が書いた一文です。 ・・・・鈴木孝夫先生の著書「日本人はなぜ英語ができないか」(岩波新書)に出てくる英語例文の和訳に納得できない部分があると、巻頭言(8)で書きました。 "She'd got a way of fixing a person with her eye." (彼女特有の仕方で、相手を視線で釘付けにするんです:鈴木先生訳) 'have a way of ..ing' の部分です。でも、どなたからも特になんのレスポンスもありませんでした。 最近、米国の週刊誌「TIME」(VOL.154, NO.22, DECEMBER 6,1999)の55頁に、この成句が出てきましたのでご紹介して置きます。 "Divided We Stand" が記事のタイトルです。離婚率の高い米国では最近、離婚手続きをして正式離婚するまでに、'separation'の期間 ---お互いに頭を冷やして考える時間を---を持つようになった、という内容です。それで、have a way of …ing は、 "Couples should agree not to see Lawyers during their separation. Lawyers have a way of moving marriage toward divorce. ……" 「別居期間中、弁護士との相談を避けるよう、夫婦は申し合わせることが望ましい。弁護士はとかく2人を離婚に向かわせる。(参考:弁護士特有の仕方で、2人を別れる気にさせる) 「特有の仕方」といわれると、どんな仕方かと気になる。」・・・・ これって、わたしだけ? どうでもいーぃけど。(^!^) おかしいのは、間違いない!・・っていうじゃなぁーい。(*!*) 英語 ノナカ 投稿日:2005/04/12 23:24 kaokiさん すばやいレスポンスができなくてごめんなさい。 たぶん、毎日仕事で英語を翻訳していると、それ以外の時間にあまり英文を見たくないなんて思うこともあるんです(私だけかな?) ほんとは、もっと英語についていろいろ語りあえばいいんですけどね。 私の気晴らしといえば、マンガと映画(とくにロマンチック・コメディ)。本を読むのでも、ほっと一息つきたいときは、司馬遼太郎とか村上春樹とかに傾いてしまいます。ネットを見るのも、一種の息抜きかな。 わたしのおもしろいもの kaoki 投稿日:2005/04/13 00:27 ノナカさん kaokiです。英語となると、もう3歳児なのです。なんで、なんで、どうして、どうして、っていうじゃなぁーい。それはさて置き、「冬ソナ」のことを書きます。 話題になっていた「冬ソナ」を、NHKの2度目の放映で、観覧しました。しかし、第1話を見逃したので、どうも、しっくりしない。先日、その第1話を、この液晶画面(NECのラップトップ)で見ることができました。世間に有名となった場面は、この第1話にコンデンスされているのですね。学校に遅刻した二人が塀を乗り越える場面、メタセコイアが両路肩に並ぶ小道を二人歩む場面、などなど、第1話が、それ以降を暗示する大事な入り口だということが良く分かると同時に、技術の進歩したネットの世界にむしろ関心しました。世間から長いこと隔離されていたものですから、残念! わたしは、ばたっと倒れるチェビー・チェイスとか、先日亡くなったジョニー・カーソンのサタディーナイトとか、http://www.bofunk.com/video/1380/chinese_vs_indian.htmlとか、馬鹿馬鹿しいのが好きなんです。イギリスのJohn Cleeseが FAWLTY TOWRSホテル のオーナー Basil Fawltyの役を演じたものとか、おかしくてしょうがないものが。愛ラブ・ルーシーも。 村上春樹と聞くと、またぞろ、3歳児の虫が現れるのですが。訳がおかしいとか、別のおかしさが、こみ上げるのですが。・・と、またぞろ息抜きでなくなりそうなので、このあたりで失礼いたします。 20世紀アメリカ短編集より kaoki 投稿日:2005/04/27 11:55 近頃では、インターネットを駆使して海外作家の短編集の原文を容易に手に入れることが出来る。ヘミングウェイの"The End of Something"もそのひとつだ。そしてご丁寧なことに、その短編のコメント(例えば、有名作家の作品を読んでレポートを提出せよとの宿題に、良い点を取るための"コメント"の例までがサイトに披露されている始末だ、"The End of ...."も、勿論、紹介されている)までが載っている。 実は、大津栄一郎編訳(編訳とは、周辺の人間が寄ってたかって訳したという意味らしい。勝手な推測をすれば、講義で使って訳を進めた?)岩波文庫に収録された"The End of ....."に目を通し、そうして、ネットで見つけた原文を読み、こう思った。「なんか違うな」。 喫茶店で、LONGMANを片手に読んだ原文・・・・何故か涙が出た。精神神経科の待合室で目を通した訳書「何かの終焉」・・・・単なる文章の羅列としか思えなかった。これ、わたしだけ? 原文が、洗練された文章であればあるほど、その訳は意外につまらなくて感動を呼び起こさない。なーんでヵ! それはね、訳す人に感動が無いからなのよ! cliffsnotes.comのコメントにも、"What's surprising about this brief sketch is the amount of suppressed emotion." とある。そんな意味合いを持つ短編を、風の吹き抜ける階段教室で、ざわざわと訳しあうのはいかにも相応しくないと、勝手な創造をめぐらせるとたい。残念! 個人情報保護法案に抵触しないように祈るばかり、切り! その点、プロ集団のここはすごい。では、失礼します。 読みに来ました リエ 投稿日:2005/05/02 14:41 またエッセイを読みに来ました。 羽ぼうき、私はキーボードのほこり取りに使っています。多いときは4台あったので、けっこう重宝しました。 わらじはあんまり現実感がないから、「わらじをかじる」というふうにはイメージしなかった。 美輪さんの芝居はこわいもの見たさで見たいなあと思っていたのですが、実際に見たらちゃんと感激するかも、と思いました。昔 はほんとうにキレイだったけれど最近は太り気味だし、テレビで聞くと言葉も今ひとつはっきりしないという印象だったのですが、ちゃんと芝居を見たら違う印象を持つかもしれません。 万博 ノナカ 投稿日:2005/05/03 00:33 リエさんは太陽の塔に感激したのね。 私が大阪万博でいちばん印象に残っているのはディスコです。 初めての体験でした。あと、ブルガリアヨーグルトというのも万博で初めて食べたような記憶がある。(大阪万博を覚えているというと年がバレるね) 韓流より米流 シマ・ピーターセン 投稿日:2005/05/16 19:30 米国のTVドラマ「CSI:科学捜査班」のDVDを買って見てたんですが、面白いっスね、CSI(Crime Scene Investigation)。「ER」や「24」を抜いて視聴率1位というのもうなずける。主演のウィリアム・ピーターセン、80年代半ばに映画「マンハンター(レッド・ドラゴン)」「L.A.大捜査線」の2作に主演して以来、消えてしまったのかと思っていたら、白髪まじりで中年太りの50近くになってブレイクとは何かうれしくなる(ちなみに、「L.A〜」は、北野武の「その男、凶暴につき」の元ネタではないかと思うけど、これ定説?)。 1990年代以降の米国のTVドラマは面白いものが多い。「ER」「Xファイル」「F・B・EYE」、そしてこの「CSI」と、同時代のハリウッド映画よりよほど印象に残っている(私の趣味ではないが、「フレンズ」や「SEX&CITY」などもあった)。何度目かのTVドラマ全盛期ではないでしょうか。スターが出なくても脚本と演出がよければドラマは面白い、という当たり前のことが確認された感じです。 80年代のTVドラマ不振期を終わらせ、今のブームの源流となったのが、一説には90年から始まった「LAW & ORDER」。このドラマも好きでした。同時に、検察官の立場から描かれたこのドラマは、製作者も認めているとおり、レーガン時代の保守化の産物でもありました。米国での保守主義の定着は、90年代以降のどのドラマにも見て取れ、そのあたりも勉強になります。「ER」にも「社会保障も自己責任」という背景が描かれていたし。聴覚障害者が主役の「F・B・EYE」や、単発ドラマだけどW・メイシーが身体障害のセールスマンを演じた「Door to Door」に見られる、たとえ障害があっても保障に甘えず働くべし、というメッセージは、いかにも保守時代のドラマだなあ、と思わせました(ちなみに、door to door は訳せば「ドブ板(営業)」ですね)。 「CSI」の面白さは、人間はどのみちウソをつく、物証だけが真実を語る、という徹底した「性悪説」。これまでの刑事ドラマの、犯人に自白させれば終わり、というのとそこが違う。これもこじつければ保守主義の世界観かもしれませんが、そんなことより主役のピーターセンがかっこいいので、「ER」にちなんだシマ・カズーニー改め、シマ・ピーターセンに改名します。 ピ! ノナカ 投稿日:2005/05/19 08:46 改名ですか! ピーターセンって、ちょっと覚えにくいかも。略して「シマピ!」はどうでしょう。「オケピ!」にならって「!」付き。 USAのTVドラマは面白いですね。でも見てない。 SATCとフレンズは見てました(軟弱)。 「デスペレート・ハウスワイブズ」――プッツン主婦たち――はとても見たいです。 ピー シマピー 投稿日:2005/05/24 22:52 ノナカさん、ご提案ありがとうございます。でも、「!」が付く書名の本は売れない(経験上)ので、シマピーってことで。いまだに「ノリピー語」が抜けない私でもあるし。 いま、鈴木主税さんと桃井緑美子さんが訳されたジャグデシュ・バグワティ『グローバリゼーションを擁護する』を読んでます。日経の國分さん送ってくれて有難う。とても共感できる面白い内容ですが、この著者はちょっと「饒舌体」ですね。グローバリゼーションへの「楽観的気分」を表している、とも言えますが。こういう原文は締まりのない訳文だと冗漫に感じられかねませんが、そのあたり、さすがにうまく訳されている。全部読んでからまた感想をかかせていただきましょう。 さて、最近読んで面白かったのは、「ビートレグ」というロック雑誌に載っていた一文。40歳ぐらいの筆者が、ORENGE RENGEなどJロックばかり聴いている息子に洋楽の素晴らしさを教えようとビートルズを貸したところ「音楽はまあまあだけど、言葉が分からないから面白くない」と言われた、トホホ、という内容でした。 なるほどー、と思った次第。我々の世代は、言葉が分からなくても感動してたじゃないですか。分からないからかえって有難がって聴いていたところすらある。で、そのあと言葉の意味を知りたくてちょっと勉強したりした。でも、考えてみると「言葉がわからないから面白くない」という反応は、実にまっとうと言うべきでしょう。 でも、我々の頃とは、前提というか背景が違う、とは言える。かつては、言葉以前に、音楽の質という点で「一聴」してむこうのほうが上だった、と思う、やっぱり。しかし、今の若者の耳にその差が感じられないとすれば、いわゆる「J化」した1990年代に、日本の他の文化と同様、ポップ音楽の水準もあちらに追い付いたということなんでしょうか。 そうだとも思うし、まだではないか、とも思う。そして、「まだ」だと思う気持ちの中には、あちらへの憧れというか「コンプレックス」がなくなると、我々の「向上心」もなくなってしまうのでは、という不安みたいなのもある気がします。同時に、あちらへの「憧れ」がまだ自分の中に残っていることに落ち着かない気分もある。何を言っているかわかっていただけない恐れもありますが、最近、仕事で英語を読んでいる自分をふと振り返り、そういう曖昧な思いを感じるので、この一文が印象的でした。 ミリオンダラー・ベイビー シマピー 投稿日:2005/05/25 23:22 −−を試写会で観てきました。この映画を「ボクシング映画」だと思って見に行くと、後半の展開にけっこうびっくりする、ということは知っていたので、びっくりはしなかったんですが、見終わって思ったのは「許されざる者」に似ているな、ということでした。 同じイーストウッドとモーガン・フリーマンの共演、そして音楽が似ていますが、そういう表面的なことだけでなく、次の3点が似ている(ネタバレしないように気をつけますが、バレたらごめん)。 @主人公の心が、画面に登場しない女性(「許されざる」では亡妻、「ミリオンダラー」では娘)に支配されている。 A「殺人」の倫理が問われている。 B最後に「殺人者」が姿を消す。 イーストウッドは、娯楽映画を撮ろう、といつも思っているはず。フリーマンも「彼は撮影計画と予算をいつもきちんと守る」職人タイプの監督だと言っていた。彼の映画はいつもきちんとした娯楽映画で、失敗作(「ブラッド・ワーク」など)でもきちんとしてる。 その一貫した制作姿勢の中から、ときに単なる娯楽映画ではない「傑作」が生まれる。そこで、イーストウッドの「傑作」と凡庸作を分けているのは何か、というのを考えるのですが。 まず、改めて振り返ると、彼の作品では「殺人」が中心になることが多いですね。それが「娯楽映画」の必須要素だと考えているのか。狩猟をめぐる「ホワイト・ハンター〜」なんかも含めて、「殺す」というテーマに執着している。ちょっと物騒な言い方になるけれど。 そのうえで、オスカーの対象になった「許されざる者」「ミスティック・リバー」そして今回の「ミリオンダラー〜」といった「傑作」に共通するのは、なんというか「善人的」(?)とでもいうべき「殺し」を描いているところではないか。その「殺し」に、通常の娯楽作品でのそれ以上の意味が込められたとき、彼の映画は「傑作」になる、と思った次第。 思えば、「ダーティーハリー」シリーズでも、イーストウッド演じる主人公はやたら「殺す人」であり、それで人気を得、また反発を買ったのでした。黒人を背中から撃ち殺すシーンで「良識ある観客」にショックを与えた。その頃から彼は「殺人映画の巨匠」であった、というのは冗談にしろ、殺人という、人間にとって最も深刻で、文学も哲学も宗教もずっと取り組んできたテーマに、映画によってこだわりつづけているのが彼だと思いました、「ミリオンダラー・ベイビー」を観て。 わかった! kaoki 投稿日:2005/05/26 12:27 235で、なんかごちゃごちゃ書きましたが、結局こういうことだと理解しました。へんなことでここにはいりこんですみません。 あのぉ〜、「和文英訳」(和文の英文への翻訳)のほうが実は「英文和訳」(翻訳)より、ず〜っと優しい。言い換えれば、「英文和訳」(翻訳)はうんと難しい・・・のではないかと気付いたのです。だから鈴木主税先生は、難しいことを続けてきた偉い方なのだなと再認識したのです。わたしのHPで微に入り細に入り、英語オタクみたいなことを続けてきた意味もあったというわけです。なんと時間のかかったことかと自分ながら(皆様はとっくの昔にわかっていたのに)おかしくなります。 「翻訳者」の集まりのHPなのだから、こんなことも掲示板に書き込んでもいいのでしょう? 皆様は本当に難しいことを生活の糧にしていらっしゃるのだなぁ〜とまじめにそう考えます。尊敬のひとことです。 上のことは、体を悪くして気付いたのです。『患者』と『医者』と『健康人』、『原作者』と『翻訳者』と『読者』の対比。こまかいことは考えていただくことにして、原作の言語を話す人が他の言語に訳すほうがはるかにたやすい。もちろん、訳す技術と能力をはぐくむ必要がありますが、最近は随分立派な辞書やCDROMが出版されているので・・・・。 MBAを持った「外人」が翻訳学校で幅を利かせているケースもあるようですが、満足に自国語も操れない、"母国語"を話すというだけで「和文英訳」の講師をする、変な学校があるようです。むしろ、ノナカさんなどが和文⇒英文 翻訳に一番適した方ではないかというのがここでの結論です。勝手なことを書いてすみません。さきにお詫びしておきます。もしかして英訳本があるかもしれませんので。うんと日本の書物を楽しみ、それを海外に伝えるのも、一興ではないんじゃな〜い! 上で述べた類似をテーマにした本があったら翻訳したい・・・上の「類似」の考えはわたしのオリジナル、特許ではないので、公開。 おわります。 『ミリオンダラ・ベイビー』でオスカー受賞の シマピー 投稿日:2005/05/29 01:05 モーガン・フリーマンに会ってきた! なんのために、って、そりゃあモーガン・フリーマンに演技を教えるために−−という冗談を言いたいがために会ってきた。というのも冗談だけど。でも、現代最高の名優の1人に「演技を教えた」なんて最高の冗談でしょう。いやー、こういうことがあるから、マスコミはやめられない。 インタビューの内容は、私が雇用契約を結んでるところで書かなければならないから、残念ながらここでは書けません。身長189センチ。実際に見るとほんとに高い。クリント・イーストウッドとかティム・ロビンスとかのノッポと共演しているからスクリーンでは目立たないけれど。インタビューが終わって、「あなたの背がいかに高いかを読者にわからせたいから、私と並んで写真に撮らせてほしい」と言って、ばっちりツーショットをものにしたぜ(我ながら冴えたアイデアだった)。サインをもらう「言い訳」のほうは思いつかなくて残念だったが。 そのツーショット写真を見た周りの意見。「顔の大きさは同じくらいなのに−−どこで巨大な差がついてるか、一目瞭然の写真だな」 それでも、一生の宝だ。そのへんのやつらが、いかに映画に詳しくったって、これからは勝てるね。「ふーん、ところで僕がモーガン・フリーマンと演技を語り合ったとき、彼が言うには……」なんてホラが吹けるからねー。女にももてるかもー。 ところで、単独インタビューに先立つ共同記者会見で、オスカー受賞の理由を聞かれたフリーマンは、「まあ、車椅子や身障者(cripple)が出てくる映画が受賞する、というジンクスどおりだよ」と、普通の記事には書けないようなことを言って笑わせていましが、あとで考えると、『ドライビング・ミス・デイジー』で彼がオスカー主演男優賞の本命だったとき、それを覆して受賞したのが『マイ・レフト・フット』のダニエル・デイ・ルイスだった。その遺恨だったのかも。 レベルの低い話 kaoki 投稿日:2005/05/29 06:55 245に触発されたうんとレベルの低い話です。 あるテレビ番組でこういうことをやってました。 映画の"何とか賞"の赤じゅうたんを歩く権利を、当TV出演者の一人に与えるというもの。スタジオ内には、有名タレントたちが勢ぞろい。そこへ、その権利を与える権利を持った男が現れる。中国系の人間(だったと思う)。その人が、勢ぞろいしたタレント軍団に、いくつかの質問をぶつける。そして、返ってきた答えをもとにしてその権利を与えるという番組。タレントはみな、わたし、わたし、おれ、おれ・・・という感じ。 で、結果は、「ちゃんか・ちゃんか・ちゃや〜ん」と言いながら、両手を広げて膝を折る2人組みのお笑い芸人の中の一人。 ほかのタレント連中は、ぶ〜ぶ〜。「ナゼ、彼なんですか?」の問いかけに、「一番背が高くて、日本人としても見劣りしないからなんです」。そういえば、広島出身の二人ともえらく背が高い。出演者一同、皆、半分納得・・・で番組終了。二人とも、190 センチぐらいあるのかなぁ〜。 終わり。 出演者の中には、田丸ミスズ(かな?)とか、背の高い女性も居ましたが。わてらほんまにれべるひくいで〜ぇ。 もうひとつくだるはなし kaoki 投稿日:2005/05/29 08:10 ヒュー・バイアス著、内山秀夫・増田修代訳、刀水書房刊『敵国日本―太平洋戦争時、アメリカは 日本をどう見たか?』というタイトルの本が、2001年に出版されたのをごぞんじでしょうか? 太平洋戦争突入前の昭和16年5月に米国へ帰国したニューヨーク・タイムズ紙記者バイアス氏が著わした本の訳本。訳もこなれていて、大変読みやすいのですが、それよりもその内容に驚きます。 当バイアスは、著書の最後の頁でこう書いているのです。「・・・ここで繰り返さなければならないが、日本の将来を論じ始める際の唯一の条件は、全面降伏と完全武装化なのである。」訳者解題・あとがきによると、「本人がこの本を執筆していたのは昭和17年ごろで、同年2月は、日本軍がマニラを占領、シンガポールでは英軍を降伏に追い込んだ時期」だとのこと。そして『敵国日本』は数十万部売れた」そうである。一方、「日本では、須磨弥吉郎の『米国及米国人』が昭和16年に出ただけで、しかもそれを読んだ記憶のあるひとはいない」らしい。「つまり、私たち日本帝国臣民はアメリカ・アメリカ人について、一般的に無知のまま戦いに突入していった」とのこと。 さて、なんのためにこれを書いたのか忘れました。毎回、変なことばかり書いてすみません・・・・。 ・・・あっ、そうだ思い出した・・・フィリピンの山中に二人の日本兵がまだ潜んでいるとのニュースを見たのがこれを書いた理由といえば理由です。 以上、こことは関係のない「本」の話題でした。 小泉 凡さんの講演会の話 kaoki 投稿日:2005/06/06 10:20 先日、小泉 凡さんの講演会に行きました。・・・そんなことここで書いてどうなるの?と、お思いでしょうが、247とも関係があるので。当人は、小泉八雲のひ孫で現在、島根女子短期大学の先生。専門は、民俗学、とくにラフカディオ・ハーンの民俗学的研究やケルト口承文化研究です。 めったに講演などに行ったことのないわたしですが、小泉 凡さんの話は大変面白かったです。昔、小学校でちょこっと習っただけのラフカディオ・ハーンは、ギリシャ系アイルランド人で、背が低く、本人が5歳の時両親が離婚、左目を失明・・・などなど、劣等感を感じていたらしく、陰鬱な性格だったとか。でも、アイルランドを離れて世界中を旅したこと、島根県松江に来て、故郷アイルランドに似た景色・風情に感動したこと、それに当時日本では初めての乳業者が居て毎日牛乳を配達して貰っていたこと、ちなみに、余談でジェネラル・マッカーサーが日本に降り立って初めて尋ねたことは毎日牛乳が飲めるかと、いうことだったこととか、ハーンを知っていたボンナー・ぺラーズ(?)のボンをとってハーンの長男一雄が自分を凡と名づけたとか、ハーンは片目が悪かったために視覚のみでなく聴覚を含めた全感覚でものごとを捉える必要性を感じていたこと、本のタイトル怪談はKAIDANではなくてKWAIDANだったこと・・・1時間半の講演の最後に見せてもらった小泉せつは結構な美人でした。 ハーンは当時の合理的な西欧主義に対して日本人からは、「人間も自然の一部であり蛙や蛇と共生している」ことを学んだ形となった由。異文化に接することで文学や絵画に関わる人間は、一歩前進すること。ハーンは嫌な思い出しかなかったアイルランド(ケルト)を出雲に来て自分の中で再発見したということ。ハーンの長男一雄は「日本は想像力を育てていない」と思い、子供に小学校へは上げず自ら勉強を教えたとのこと。そのときに、Andrew Langの"The Green Fairy Book"をテキストに使ったこと。・・・などなど、皆様は良くご存知のことが、毎日会社と自宅を往復し休みは寝てばかりいた人間にとっては、新鮮で面白く感じました。いま、「古いことは新しいこと」「Back to the back for the future」を念頭に生きてゆきたいと思っています。そういう意味で、関連ある本の訳出を期待してます。悲しいかな、売れるのが先決ではありましょうが・・・・。 パリから ノナカ 投稿日:2005/06/07 06:59 みなさん、こんにちは。ボンジュール、メルハバ(トルコ語でこんにちは)。いろいろ興味深いお話につていけずごめんなさい。 というのも、いま旅行中で、イスタンブールからパリに来ています。パリで更新しようと思っていたのですが、やはり通信環境が違うとなかなかうまくいきません。というより、遊びすぎ、でしょうか。 毎日出歩きまくっているんで、帰国したあと、もとどおりの引きこもり生活に復帰できるのか不安です。 話はかわって、ローランギャロスのナダールはすごかったですね! 優勝おめでとう。 そんなわけで、更新はしばらくお持ちください。 更新 江崎リエ 投稿日:2005/06/10 11:23 お、パリから更新成功でしょうか。月桃そばが優雅なイメージ。 スッパイマンを見て、「梅干し食べてスッパマン」を思いだしました。アラレちゃんはけっこう好きだった。 パリから ノナカ 投稿日:2005/06/10 16:25 リエさん、ボンジュール! やっと、パリで更新できました。というところで、もう今日は帰国の飛行機に乗ります。あっというまの18日間でした。 そろそろ日本のご飯が恋しいです。 私の場合、海外旅行のよさは帰国のときの気分もあります。おうちに帰れる喜びというか。日本のよさを再確認します。 でも1年もするとまたどこかに行きたくなるんですよね。 パリ、オペラ座の前で娘と待ち合わせなんて、ちょっと現実とは思えない! でも、「7時ごろオペラ座の前で」というアバウトな約束で、あの人ごみの中、ちゃんと会えるところがすごい。 カモとサギ シマピー 投稿日:2005/06/12 20:28 今月のエッセーで東郷さんがカモのこと書かれているけど、私のマンションの前の川にもカモがいて、会社の行き帰りに眺めるのを楽しみにしてます。前にも書いたカモしれないけど、カモかわいいですよね。なんというか、フォルムがいい。あの形、生き物の中でいちばん好きカモ。首を羽につっこんで寝ているところがまた可愛い。いやされる。 比翼連理というか、たいがいツガイでいるけど、ときに一羽でいる負けガモもいて、ガンバレと勝手にエールを送ったりする。親ガモが子ガモを引き連れた図ももちろんうるわしい。あと、東郷さんも書いてるけど、おいしそうなんだな、とくに腹減っているとき見ると。そいで、すぐつかまえられそうじゃないですか。カモってやっぱり、カモになりやすい生き物、だからカモというのか? で、うちの前の川には、サギもいる。首の長い、チョウサギというやつだと思うけど。これはだいたい、一羽でつんつん歩いてる。サギがいてカモがいる。犯罪が起こりやすい川だと思う。 もともと水鳥が好きなので、多摩動物公園にいったときもカモの池がいちばん面白かった。カモにもいろいろいて可愛くないのもいることがわかったし。もっとも、カモ自体は、東京の川にも普通にいますね。東京じゃないけど、このあいだ埼玉の戸田に出張校正にいくと、川岸をうめつくすようにカモが大量発生してて、あれはちょっとグロだったな。 MANGA シマピー 投稿日:2005/06/15 02:58 小泉八雲といえば、数年前に青梅に行ったとき、「雪女」発祥(?)の地、とかいう碑が新たに立ってたなあ、くらいしかないなあ。 英語といえば、話は飛ぶけれど、「ひめゆり」の話は退屈、とかいう英語問題を出した学校がキューダンされたりするのはホント腹立つ。また新聞がくだらないことで騒いで罪のない人たちをいじめている。「反戦話」と「環境話」はたいがい退屈でしょ? 退屈なものを退屈だと、面白いものを面白いと率直に言うことこそ「批評」の第一原則だ。 試験問題らしからぬ、面白くてイキのいい英文だったと思うけどねえ。なんでこんな表現を抑圧するのか。これでまた当たり障りのない、それこそハーンだの、「政治的に正しい」天声人語とかだのばかりを受験生は読まされることになるのか、と思うと受験生が気の毒だ(どっかの試験問題で、天声人語とかばかり読まされる試験問題は退屈だ、「なぜ退屈かを述べなさい」とかいう問題文が出ないものか)。 ところで今月のゲストコーナー、漫画古本の蒐集のお話は、何かうらやましかった。蒐集というのは打ち込める趣味なんだろうな、と思う。蒐集家はたいがい幸せそうだ。 私自身は蒐集に縁がないですが、最近、漫画とは縁がある。先日の手塚治虫文化賞の授賞式というのも行ってきた。私が担当した西原理恵子さんの作品が受賞したので。 漫画の編集者たちと話をすると、いま日本の漫画が曲がり角に来ていることがよくわかる。ひとつには、若い漫画家があまり育っていない。「20年くらい前から、同じような漫画家ばかりが書いている」とある編集者は言っていた。そして、それを評価する選考委員の人たちはだいたい団塊世代の人たち。「若い文化」のイメージがある漫画も、次第に「高齢化」している。ロックなどと同じ事情だろうか。漫画雑誌の売れ行き不振とあわせ、漫画文化の未来を不安視する声が意外に多かったですね。 今週は漫画家協会賞の授賞式もある。これも行こうと思ってるんですけどね。大賞をとった吾妻ひでおさんは昔、大好きだった。受賞作「失踪日記」は、ちょっと過大評価されていると思うけれど、吾妻さんが「天才」であるのは間違いない。もっとも、私が好きだった彼の1980年前後の作品は、いまでは「幼児ポルノ」視されて再刊できないかも。「萌え」の元祖ですから。そう、私がこれから蒐集するとすれば、吾妻の本なんかは蒐集してみたいですねえ。 こんにちは E.T. 投稿日:2005/06/17 18:31 みなさん、こんにちは いつも余裕がなくて、この広場をのぞく暇がなかったもので、今回初めて書き込みさせていただきます。 シマピさん、エッセイ読んでくださってありがとうございます。シマピさんがカモ好きなんて、意外です。ところで、「チョウサギ」って、ひょっとしてチュウサギのことですか? ネットで検索すると結構たくさん、この名前で出てきますね。チョウサギとされる写真を見て、娘いわく、くちばしが黄色いのはダイサギ(90cm)かチュウサギ(69cm)の冬羽で、くちばしの長さからすると、チュウサギだとか。でも、チュウサギは田んぼに多いらしいから、シマピさんのところの川にいるのは、コサギ(61cm)かも。コサギは足の指が黄色いから、今度見てみてください。 私は小泉八雲のKwaidanも結構好きでした。学生時代にスキーのクラブのトレーニングで「紀伊ノ国坂」を走って登るたびに、ここがムジナの出たところか、なんて考えて笑いそうになりました。雪女が出没したのだって、どこの山奥かと思えば、武蔵野でしょう。青梅なんですか。 「ひめゆり」の一件ですが、私はシマピさんとはちょっと違った感想をもちました。以前に読んだひめゆりの人の話に、手をつないでいた友達が、一瞬にして腕だけ残して死んでしまった、と書かれていたと思います。なぜ自分だけ生き残ったのか、というトラウマが、辛い思い出を後世に語り継がなければならないという義務感となっているんでしょう。世間から忘れ去られることで、二重に葬り去られてしまうのが、たまらないんです。ところが、加害者、あるいは無関係の人にしてみれば、ウザッタイナーとなるわけです。暗い過去は早く忘れたいし、他人の痛みまで背負い込みたくないですから。たしかに、道徳の時間につまらない話を繰り返し聞かされるのはたまらないし、どんな感想をもとうと人の自由だし、いちいち新聞で大騒ぎする問題でもないと思いますが、試験問題にとりあげるなら、それなりの配慮が必要だったと思います。あなたはどう思うか、英文で書け、とかね。 話変わって、シマピさんが西原理恵子さんの本を担当なさったんですね。私も「毎日かあさん」を愛読しています。あの強烈な絵と、しんみりしたところのコントラストが好きです。 >ETさま シマピー 投稿日:2005/06/18 20:55 へー、チュウサギなんだー。ぼくは首が長いからチョウなんだろうと勘違いしてました。長じゃなくて中なんですね。 でもコサギよりは明らかに大きいです。うちの近所、とはすなわち生田緑地ですが、コサギはコサギでたしかにいるんですけどね。今日も見ました。でも最近ぼくの見たのは、首のなが〜い、たぶん首だけで50〜60センチあるやつ。「ペディキュア」までは見てなかったので、今度は気をつけて見てみましょう。 青梅の雪女は、数年前に青梅の町興し的話題になったんです。ハーンはその話を当時の西多摩郡調布村の百姓に聞いたということで、それが現在の青梅市にあたる、ということです。 「ひめゆり」については、しかしぼくはやはり、かつてのPC言葉狩りの再現としか思えなかった。ぼくが腹を立てているのはメディアに対してであり、もちろん「ひめゆり」の被害者に対してではないので誤解なきよう。そして、コトの本質をたどれば、メディアがあいかわらず「聖域」にしている、戦後の「平和教育」というやつの問題になります(くだんの例文の背景にあるのは、平和教育の一環として沖縄に行った、という事情)。歴史の証言が退屈なのではなく、平和教育が退屈なのであり、なぜ退屈で当然かと言えば――という議論は長くなるし、ここで書くにふさわしい話とも思えないので、またの機会にしたいです。 さて、きのう、漫画家協会賞のパーティーに行ってきたのですが、ここでも「マンガで戦争体験を語り継ごう」と盛り上がってましたね。もっぱらお年寄りしか集まってなかったのは残念でしたが。大賞受賞者の吾妻ひでおさんは、「ああ、吾妻ひでおだなあ」と納得させてもらえる態度・風貌の方でした(これじゃ第3者には伝わらないでしょうね)。同じく受賞者で、ちょっとまるまるとした感じの森田拳次さんが「花田勝」という名札をつけてたのが個人的にはいちばんウケた。 それにしても、ちょっと八つ当たり的になるけれど、PC言葉狩りに血道を上げる一方で、なんで「貴」に「八百長をやってるんじゃないか」と聞く新聞記者がこれまで1人もいなかったのか、と思いますね。「聖域」が多すぎるでしょう。 平和教育 E.T. 投稿日:2005/06/20 23:17 すみません、よく見たら、シマピーさまなんですね。失礼しました! 生田緑地のそばなんて、すごくいいところにお住まいですね。『探鳥地図館』によると、オオルリやアオゲラの繁殖記録もあるそうです。 PC言葉狩りですか。難しい問題ですね。言葉はなかなか話し手、書き手の意図したとおりに伝わらないから、現に今回もシマピーさんの書かれていたことを、私は一部違って受け止めていたので、そうした誤解によるもめごとを減らすためでしょうかね。実際には、そんなに気を回さなくてもいいのに、と思うことのほうが多いですが。今年は戦後60年のせいか、いろいろ考えさせられる話題が多いですね。 漫画で戦争体験を語り継ぐ、とありましたが、昔、『はだしのゲン』を図書室で見て、ぞっとしたのを覚えています。割れたガラスが身体にたくさん突き刺さった人がでてきたりして、それ以上は読めなかったなあ。同じ戦争体験でも、松谷みよ子の直樹とゆう子のシリーズみたいに、グロテスクでなく、それでいて戦争の怖さがひしひしと伝わるものならいいんですが、漫画だとどうでしょうかね。『屋根裏部屋の秘密』なんて731部隊の話ですが、ファンタジー的に仕立てられているので、いわゆる反戦的なものでなくて、私はとっても好きでした。平和教育の時間にも、こういう本を読んだらいいと思います。 平和主義的訳文 シマピー 投稿日:2005/06/28 02:37 いやー、鳥の種類を見分けられればいいんですけどね。 お、珍しい鳥だ、と思うだけで、名前がわからない。 朝など、いろんな鳴き声が聴こえてきます。 まあ、都心と同じく、姿においても声においても 最も目立つのはカラスですが。 ところで、きのう『本格ミステリ04』(講談社)という、 本格短編アンソロジーを1年遅れでめくっていると、 「『ブラッディ・マーダー』/推理小説はクリスティに始まり、後期クイーン・ボルヘス・エーコ・オースターをどう読むかまで」 という波多野健の評論が収録されており、 これが、一種の翻訳論ともなっていました。 『ブラディ・マーダー』はジュリアン・シモンズの推理小説論ですが、その翻訳には誤訳が多いという。 そして、波多野はその邦訳への最大の疑問を、 単なる誤訳以上の問題として、次のように言っています。 「(原著者の)シモンズが、ある作家を誉めて他の作家をくさす箇所とか、決定的な価値判断を独断的に行う箇所に限って・・・訳文が原文と内容的に違うものに変えられている・・・」 「原著の棘を抜いて八方まるく収めるのが、訳者の務めと心得てのことなのだろうか−−」 たしかに、そういう翻訳者がいるなー、と思ったんですね。 私も、編集者として、そういう翻訳者に当たったことがある。 原文がはっきり「である」と断定しているのに、 「とも言えよう」みたいな、曖昧な表現に変えようとする。 「なんで、率直に訳さないのか」と言うと、 「いや、それでは日本語としてきつすぎる言い方になる」 とかなんとか。それで喧嘩になったのですが。 こういうのを「平和主義的悪訳」と言ってはどうでしょう。 実際、平和教育の悪影響かもしれませんよ。 こういう訳者は、えてして、接続詞を平気で略して論理を曖昧にし、ときに主語まで曖昧にする。 「曖昧化」が平和主義のよくないところであります。 そういえば、原爆ドームにある 「あやまちを二度と繰り返しません」 という文言を、保守派の人たちはよく槍玉にあげる。 主語がよくわからない。日本人が主語だとしたら自虐的すぎないか、とか。 今年は靖国問題で熱い夏になりそうですが、 世論はこれまでのところ、 この60年間の「曖昧さ」を清算しようと動いているように見えます。 結構なことではないでしょうか。 ついでに「平和主義的悪訳」も一掃されてほしいものです。 (細野真宏さんの読みやすい分かち書きを真似てみました) 『禅的生活のすすめ』の翻訳について苦情。 外村 正己 投稿日:2005/06/29 12:25 ご承知のようにパーリ語で書かれた現存する最古の仏典『スッタニパータ』を中村元先生が平明な、現代日本文に訳され、私たちは今や理解不能の、呪文に等しい漢文のお経の呪縛から逃れて、釈尊の哲理に直に触れることが出来るようになりました。しかし、平明な日本文に託された哲理は深いものがあります。我々大乗仏教徒が小乗仏教徒と蔑称してきた南伝仏教、ヴェトナムの仏教の経典はパーリ語のそれであります。しかし、日本と韓国は中国語【漢文】を翻訳せずに教典を読み、理解してきましたが、ほかの國.民族は自らの言葉に翻訳し、読経.声に読み上げて、文字の読めない人々も日常会話で釈尊の教えに親しんできたのでしょう。一方、学問僧はいまでもパーリ語の読み書きが不自由なくできるそうであります。申すまでもなく、ティク・ナット・ハン師はパーリ語の世界的権威でもあられるでしょうし、存命であれば94歳になられる中村元先生とも、旧知の仲であったと確信します。 要約致しまして、申し上げたき事は、以下の点です。ヴェトナムも入る南方仏教徒は、パーリ語で書かれた原始仏典を守り伝え、今現在も日々の生活の規範としていること。私たち日本人も学ぶものが大いにあること。そのパーリ語の仏典を日本が世界に誇れる、東洋哲学.原始仏教の研究の第一人者である中村元先生の訳文、初訳から26年にわたり手をかけられた訳語を参照された上での、翻訳であろうかという疑念であります。 一語だけ例に挙げます。それは、しばしば出て参ります『哀れみ』という単語です。たしかに、いまもPCで変換すると一発で出て来ました。それをそのままお使いになったのでしょうか。お使いになった意を私なりに察しますと、岩波文庫『ブッダのことば』にある、「慈しみ」ないし「慈悲」が適当と思われます。平安文学の「もののあわれ」、ものに接し、ことに接して発する感嘆の発語「あ〜、あれ」より来たった「あわれ」を選択されたのであろうか。 本当は「慈悲」でと思われたが、現代日本人が「慈悲」という言葉に接しての反応、慈悲をかけるにしろ、掛けられるにしろ、負のイメージが強い。「お慈悲を」とか、芝居や時代劇が使い古し、卑しめてしまった「ことば」になってしまったので回避されたのであろうか。 2005.06.28 釈 心徹 塩原 通緒 様 From NY シマピー 投稿日:2005/07/04 05:40 現在、初NY中。タイムズ・スクエアの近くに泊まっています。 独立記念日を明日にひかえた日曜日。 よい天気です。 NYで気がついたこと。 全体にヘンな甘いにおいがする。 喫煙者は意外に多い。屋内ですえないので、みな外ですっている。 デブが多い。3分の1はデブ。5分の1は超デブ。 黒人は黒人としか話していない。 書店で「立ち」読みはない。フロアに座るか、寝て読んでいる すずめと鳩はいるが、カラスはいない。 ペプシもコークも味が日本と違う。 新装オープンのMOMAは大入り。村上隆が展示してある。 地下鉄は意外にきれい。 でもタクシーを使ったほうが速い。 From NY (2) シマピー 投稿日:2005/07/05 22:13 NYで気づいたこと(続き) レジ係は、少し高額の紙幣を受け取ると、ほぼ必ず透かしてみて真贋を確認する(100$に偽札が多いとのこと)。 カフェやファストフードの店員は、コーヒーに「砂糖」というと、小分けした砂糖の袋を必ず5個くらいまとめてくれる。 飲食店のトイレには必ず「従業員は手を洗うこと」と書かれている。 腰かけると足が地に届かない便器がときにある。 会話の途中で急に声を大きくする−−ような話し方をする人が(とくに黒人に)多い。 「sir」がよく使われる。 ありがとうございます ノナカ 投稿日:2005/07/06 01:24 外村さん、はじめまして。 本を読んでのご意見、ありがとうございます。第三者としてはコメントしにくい内容なのでお礼だけで。 先人の訳語をそのまま使うかどうかは迷うところです。とくに宗教関係はむずかしいですね。翻訳者も勉強しなければと思いますが、よく考えた末の訳語でもいちいち釈明できないのがつらい。 個人宛てのご指摘はできればメールでいただけるとうれしいかなとも思います。 NYの匂い ノナカ 投稿日:2005/07/06 01:32 シマピさん、NY便りをありがとうございます。 アメリカの肥満はほんとうにひどいですね。過食で国を滅ぼすかもしれません。あんなに肥満が多くては、エコロジーなんて有名無実に思えてしまう。 便器やドアノブが高いのも体が大きいせいだし、コーヒーの砂糖は肥満の原因だしね。甘い匂いは、まさか血液中の糖の匂いじゃないでしょうね? 糖尿病が怖いです。 国によって特有の匂いがありますね。トルコは土の匂いがしていたような気がします。あと、コロンヤという強烈な香水の匂い。トルコ航空の飛行機の中でもその匂いがぷんぷんしてました。どこから漂ってくるのかなと思いつつ食事についてくる紙ナプキンをあけたらわかりました。紙ナプキンから強烈な香水の匂いが! アメリカのサンタフェはヤマヨモギを燃して、とてもいい香が町中に漂ってました。デリーでは空港に飛行機が降り立っただけで、インド料理に使うスパイスみたいな匂いがしてきた。飛行機から降りてもいないのに。 お気をつけて! 帰国報告 シマピー 投稿日:2005/07/08 07:19 ノナカさん、ありがとうございます。2012年のオリンピックが――NYではなく――ロンドンに決まったことを確認してNYを発ち、昨夜戻ってきました。NYでテロに遭う可能性を10%くらいは覚悟していましたが、ロンドンで起きましたね。 さて、NYの「匂い」、その正体の一部はつかめました。 まず塵埃、というか生ゴミの臭い。 NYはやっぱりストリート文化の街ですね。休日だったせいもあるけど、みんな街を歩きながら食べ、飲み、タバコを吸って、角々に置かれたゴミ箱に捨てていく(タバコはぽい捨て)。そのゴミ箱から立ちのぼってくる臭いがあります。 次に「油」の匂い。ステーキを食っても、卵料理を食っても、なにか共通の匂いがする。彼らが使っている食用油の香りなんでしょう。その匂いがよく鼻をつく。 そして、プラザホテル周辺からセントラルパークにかけては、これはもう「馬糞」臭。騎馬警官と名物の馬車のせいですね。私も馬糞を避けながらジョギングしてきました。 でも、街のゴミも馬糞も、人海戦術で朝にガーッと片付けられる。基本的には清潔な街。1980年代には、スパイク・リーの映画にあるように、人種問題で荒れたNYですが、90年代からの経済の好調で治安もよくなったようです(NYに詳しい同行者は、クリントン政権下での人種間融和政策と、ジュリアーニ市長の観光地化戦略の賜物だとも言っていた)。 その面での現在の立役者は、破産からドラマチックに復活したマンハッタンの不動産王ドナルド・トランプですね。トランプ所有の高層ビル(松井が住んでいるのもその1つ)と、自らの資本主義精神をキャラクター化したグッズが随所に目立ち、NYの景気のよさを演出している。その目立ちたがりの性格から、なんとなくホリエモンを連想させる男ですが、NYの街づくりに対する貢献は市民からも評価されている(と、トランプ・ファンの同行者が言っていた)。 正味3日間のNY観光でしたが、マンハッタンのミッドタウンとダウンタウンを中心に、独立記念日を祝うEW&Fや地元インディーズバンドの無料コンサートを(ついでに名物大道芸人naked cowboyも)観て、メトロポリタン美術館とMoMAに行き、NY吉野家で牛丼を、グランドセントラルの元祖オイスターバーでロブスターを食い、もちろん花火大会にも行って、大満足でした。黒人に小銭をせびられるスリルを2回経験しましたが、まあ無事でありました。 国際通り エザキリエ 投稿日:2005/07/14 18:29 1日にブルターニュとパリに行き、9日に帰ってきました。 シマピーさんはニューヨークに行っていたのですね。ニューヨークも好きな街です。パリの臭いと思って考えたけど、あまり思いつきませんでした。去年の夏は感じなかったけど、今年はけっこうガソリン臭かった。曇っていて空へ発散しなかったからかもしれません。 国際通りはとても好きです(^-^)。地元の人はあんまり歩かないのね。ちょっと横に入ったところに民謡喫茶とかちょっと変わった店があるのも面白い。 『マザー・ネイチャー』書評 ノナカ 投稿日:2005/07/28 08:39 7月16日の「沖縄タイムス」朝刊に塩原さん翻訳の『マザー・ネイチャー』の書評が出ました。筆者は早稲田大学教授、生物学者の長谷川真理子氏。当ホームページのトップまたは『マザー・ネイチャー』の紹介から書評が読めるようにしたので見てください。 更新しました ノナカ 投稿日:2005/08/02 10:31 暑いですね! みなさん、夏バテしていませんか? ホームページを更新しました。ふー暑い……ということで今月は新刊なしです。 2、8(月)は不景気といいますが。 台風の沖縄 江崎リエ 投稿日:2005/08/02 13:28 台風の沖縄の写真も迫力がありますね。長い間入院生活をしていた母が亡くなった年の夏に、父が一人で沖縄旅行に行って台風にあったのを思い出しました。すかっとした青空を求めて行ったのか、たんに一人旅をしてみたかったのか、台風の沖縄で何を考えていたのかなあと、ときどき思い出します。 町田さんとはパリで会ってきたばかりなので、写真が見られてうれしい(^-^)。私もツールはケーブルテレビでずっと見ていました。 屋台モノ シマピー 投稿日:2005/08/03 02:46 ロック・フェスには1度行ってみたいと思っていましたが、今月の桃井さんのエッセーを読んでますますそう思いました。写真で紹介されている会場の食べ物がどれもおいしそうだから。 こういう屋外で供されるジャンクっぽい食べ物には独特の魅力がありますよね。屋台モノと言うかstreet food・・・この季節になると、田舎の九州で夏祭りの度に屋台に出ていた、子供にはその機会でしか食べられなかったモノ――定番は、もちろん綿菓子と、食べると口の周りが真っ赤になる「りんご飴(?)」、それから卵黄を使った確か「東京ケーキ」と呼ばれていたもの、あとは九州名物「梅が枝モチ」――が懐かしい。まあ祭りのとき以外に特に食べたいというものではなく、栄養上はもちろん衛生上も怪しいものが多かったけれど、祭りの夜の開放的かつ夢幻的な雰囲気と結びついて、特別な食べ物に思えたものでした。 それとはまた別の意味で、所沢の競輪場で食べた牛スジ煮とか、九州の駅のプラットフォームで食べたかしわソバ(かしわは西日本での鶏肉の呼称)とか、なぜかいつまでも記憶に残っていて、ときにふと思い出し食べたくなる。もともと舌が高級ではないんでしょうね。高級レストランでご馳走になったものなんて全く覚えていない――値段に驚いたということ以外は。 ところで、ロック・フェスというと、NYでインディーズの無料コンサートに行ったことを書きましたが、あとで調べるとその世界ではけっこう有名なバンドでした(現地では何の資料もなくわからなかった)。3つのバンドが出たのですが、2番目に登場したのは Stephen Malkmus and his Jicks で、Malkmusはペイヴメント Pavement という90年代「ロー・ファイ」の伝説的バンドの主要メンバー。そして当日のトリは、これまたポスト・パンクの伝説的バンド、ヨ・ラ・テンゴ Yo La Tengo でした。僕は何の予備知識もなく聴いていたのですが、どちらも最初は単純なギターバンドかと思っていると、変拍子が頻繁にまじったり、変なフレーズを繰り返したり、抜群のテクニックに加えてこねくり回したような感覚をもった一筋縄ではいかないロックでしたね(そして印象的だったのは、そこに集まっていた観客がほぼすべて白人だったことでした)。 すご腕ドラマー 桃井 投稿日:2005/08/04 00:39 シマピーさん、おひさしぶりです(うーん、カズーニーのほうが好きだったかも)。いつもふざけたエッセイを読んでくださってありがとうございます。 そう、野外で食べるジャンクなものって独特な魅力がありますよね。家でつくって食べたりはしないようなものが妙においしく感じたりして。フジでも雨でなきゃ、もっといろいろ食べたんですが。 ペイヴメントとヨ・ラ・テンゴはフジロックにも出演したことがたぶんあったと思います。知らないバンドを見るっていうのもおもしろいもので、わたしの今回の見っけものはマーズボルタでした。名前は知っていましたが、ちゃんと聴いたことがなくて。プログレとハードロックとなんだかんだをごっちゃにしたみたいというのも意表を衝かれたのですが(しかも1時間くらいのあいだにインプロ+2曲で、曲の切れ目なしにぶっ通し)、それよりなによりドラマーがすごかった。ちょっと惚れましたねえ、あのドラムには。ほかにもいろいろ見たかったけれど、分身の術でも使えないことにはムリってところが歯がゆいです。 シマさんもぜひフェスに行ってください。会場で会ったらハイタッチしましょう。で、もち豚おごってください。ギネスでもいいよ。 よみがえるレニー シマピー 投稿日:2005/08/15 21:06 桃井さん、ども。 先週、博多に出張して、とんこつラーメンを食べくらべつつ地元ロックバンドの演奏をローカルTVで楽しみました。 さて出張中、パソコンに入れて楽しんでいたのが、レナード・バーンスタイン「キャンディード」の新演出版。去年、NYのエイブリー・フィッシャー・ホールで上演されて評判を呼び、今年DVDが出ました(今のところ日本盤はなし)。 「ウエスト・サイド・ストーリー」を超えるバーンスタインの代表作、20世紀を代表する「オペラ」のひとつ、になる可能性があった、が、そうならなかったこの作品の問題については、たしか以前にもここに書いたことがあります。簡単に言えば、音楽はいいけど、脚本が悪かった。 というか思想が古い。1950年代に作られたこの作品は、「赤狩り」直後の時代性を反映して、左翼・リベラルの「反・反共主義」のプロパガンダ色が強かった。その左翼・リベラルの説教臭さをできるかぎり脱色したのが今回のロニー・プライスの新演出。本来の喜劇性を取り戻して「笑える」歌劇にすること、それが目的だったとプライス自身が解説に書いています。 その新演出の狙いを見事に体現したのが、ヒロイン「クネゴンダ」役のクリスティ・チェノウェス。ミュージカル畑の人だけど、演技・歌唱・容姿と3拍子そろい、ロリ顔・ロリ声で女の軽薄さを一点の曇りもなく演じて素晴らしいのなんの(「シカゴ」のロキシー役は――実際、候補に挙がっていたようだが――この人がやるべきだった)。 逆に、その演出のせいで、とくに反・反共的メッセージ性の強かった「I am easily assimilated」といった名曲が魅力的に響かなかったのは仕方がない。こうした曲を含め、全体的な音楽的満足は、バーンスタイン晩年の自演盤に劣る。それでも、女指揮者マリン・オールソップの溌剌とした演奏とビジュアル上の魅力がそれを補って、楽しく若々しい「キャンディード」のスタンダードたりえています。 バーンスタインといえば、彼の1950〜60年代の「ヤング・ピープルズ・コンサート」がDVD9枚組みで出ました。いまだに最高のクラシック入門ソフトでしょう。以前、日本盤LDが出ていたけれど、高価で手が出なかった私のようなのにはまさに待望のDVD化。こちらも外盤だけれど、リージョン・フリーなので日本のDVDプレーヤーで再生できます(国番号が違う「キャンディード」はパソコンのソフトで見るしかなかった)。 転向者の告白 シマピー 投稿日:2005/08/26 02:54 今年の短い夏休みは、デイビッド・ホロウィッツ(David Horowitz)の自伝「Radical Son」を読んでいました。彼は、60年代の左翼過激派から保守強硬派に180度転向した政治評論家、新保守主義の象徴的人物です。かつての左翼名士たち――ラッセル、サルトル、ジャン・ジュネ、ソンタグなど、そして間接的ながらレナード・バーンスタインも出てくる――やベトナム反戦運動の裏話がこれでもかと出てきて、すごく面白かった。 そもそもは「60年代」に関する本をいろいろ集めているうち、彼の「Destructive Generation: Second thoughts about the 60's」に行き当たったのでした。60年代、とくにアメリカのそれは、今もって「解放の時代」と一般に肯定的に振り返られているわけですが、この本はその「通説」に初めて挑んだ本でした(以後、同趣旨の本はいくつか出ている)。80年代の東欧の解放と60年代を結びつけ、60年代を再評価したポール・バーマン(Paul Berman)の「A Tale of Two Utopias: The Political Journey of the Generation of 1968」などとあわせて読むと、60年代評価をめぐって、なお深刻な思想対立がアメリカにはあることがわかります。 ホロウィッツは1939年生まれ。同年生まれで同じ転向者、日本の西部ススム氏を連想させます。彼らの下の世代、いわゆる団塊の世代は、日米ともに一般に「栄光の60年代」へのノスタルジーと左翼主義をひきずり、私が思うにたぶん死ぬまで変わらないと思いますが、その上の世代にこうした転向者が現れる現象は興味深い。団塊よりさらに下の世代である我々は、その両世代を見比べることができる――それは我々のアドバンテージでもありましょう。 日本の翻訳界の通例として、保守派の本はあまり訳されないけれども、そして確かに、時流に乗った安易な「リベラル叩き」の本は翻訳に値しないけれども、ホロウィッツのこの自伝なんかは日本の読書人にも共感をもって迎えられる可能性がありますね。 そのホロウィッツの最新刊、初夏に出た「The End of Time」で、彼は前立腺ガンに冒されたことを告白し、自らの思想的遍歴を改めて振り返りつつ、人生とは何か、死とは何か、を考察しています。これまでの評論スタイルとは違い、文学的エッセーと言うべきものですが、これにも感動してしまった。この人は要するに、文章がうまい。思想的立場は別にして、この本もお勧めできます。 洋楽のタイトル 江崎リエ 投稿日:2005/09/05 17:51 こんにちは。 今月の洋楽のタイトルにはびっくり。随分変わるものですね。 オーストラリア人の友達と古い映画の話をしていると、同じ映画の英語タイトルがわからなくてけっこうこまります。その意味ではカタカナ表記が楽だけど、全部カタカナだと意味はわからなくなるし、こんどは訴える力が薄いような気がします。洋楽のタイトルも同じ悩みを抱えていそうですね。 殺人者とか シマピー 投稿日:2005/09/08 03:12 洋楽のケッサク邦題、で我々の世代で必ず挙がるのが、ジェフ・ベックの「ギター殺人者の凱旋」(1975)ですね。原題 Blow by Blow がなして殺人者……ヘビメタなら分かるけど、これ、違いますから。それ、ジェフ・ベックの顔の印象だけで言ってんじゃないのか、と。本人はどう思ったのか……。 でも、ジェフ・ベックのこの待望のソロ作を迎えた、ぼくを含めた当時のファンには、この邦題はピッタリ、キたんですよね。やはり傑作邦題です。ファンの愛着も強いのか、今年になって再発された限定盤でも、この邦題が復活していました。 今月のエッセーでは、秀岡さんの「スターウォーズ」への悲憤慷慨が面白かった。気持ちがわかる。 もっとも、僕自身は最初のシリーズから−−高校生の頃でしたが−−「スターウォーズ」が好きでなかった。新シリーズも観ていません。なんかダメなんですよね、ああいうの。SFファンタジー。「ロード・オブ・ザ・リング」も途中で寝てしまったけれど。 王様と女王と、あと軍人ばっかりの社会なんて成り立つわけねえだろ、とか。人間ができるしょーもないことをわざわざ高そうなロボットにやらせて、経済観念はどうなってる。あーんな巨大な宇宙船を造って宇宙をうろうろし、そのうえ戦争までやって、税金はだれが払ってるんだ、とか。そういうことが気になるし。いくらお話つーても、リアリティなさすぎ、あるいは、なんか壮大な無駄づかいを見せられているだけのようで、腹立ってくる(笑)。 ところで、山下篤子さんが訳された、ラマチャンドラン『脳のなかの幽霊、ふたたび』、面白かったです。 チェコの旅 江崎リエ 投稿日:2005/10/04 00:10 こんにちわ。 チェコの旅、写真がきれいですね。読んでいると行きたくなります。さなぎは絵がすてき。絵が描けるのはいいなあと思います。 というように、みなさんの書いたものを楽しませていただきました。 引っ越し ノナカ 投稿日:2005/10/05 17:31 私事ですが、エッセイにも書いたとおり、引っ越しのため、もー大忙しで、更新も手抜きになってしまいました。 掲示板も変な書き込みが多くなったので、e-mailアドレスを入れないと投稿できないように設定したんですが、使い勝手が悪いかな? ときどき頭に来て、発作的に修正したりして失敗するのです。 自由の不自由 江崎リエ 投稿日:2005/10/06 12:27 書き込みを自由にすると、思いがけない出会いの楽しみがありますが、そのぶん不自由な部分もありますね。最近は自動書き込みもできるらしいし。 でも、知らない人の発言を読むのは楽しみです。 うーんタイトルなし シマピー 投稿日:2005/10/07 01:50 最近、「女」を見てもあまり何も感じなくなってきた。私の「発情期」が終わったということだろう――これは面白い感覚です。どちらかと言えば、以前より世界が「よく」見える。人によっては年をとっても「お盛ん」な場合もある、ご承知の通り。加齢の意味も人によって違うのでしょう。東郷さんは生き物の観察の達人だけど、人間自身も充分面白い観察対象だと思いますね。 体力の衰えは感じないけれど、目と歯は確実にいかれ始めた。その代わりというか、耳だけは進歩しているように感じる。最近になってようやくドビュッシーの音楽が「わかる」ようになった。ドビュッシーの使うような和音が「協和音」に聞こえるためには人類の耳の進歩が必要だった、と言われますが、私の耳もようやくその段階まで達したということか。 * 話は変わりますが、ドビュッシーつながりで――日本におけるドビュッシーの権威でもあるピアニストの青柳いづみこの『ピアニストが見たピアニスト』(白水社)が面白かった。ピアニスト同士しか分からない「生理」の部分が書かれていて。同様に、作家同士、あるいは編集者同士にしかわからない創作の「生理」の部分がもっと書かれていいと思った。書評家はしばしば作家の才能を「作品を生み出す機械」のように解釈する。しかし、生身の人間にはもっと繊細な――あるいはもっと俗っぽい――事情があり、それは背後から見ないとわからない。 それとは別に、例えば、サンソン・フランソワがなぜアメリカで売れなかったか、についての青柳さんの解釈なども面白かった。逆に、リヒテルはなぜ売れたのか。ジャズ好きのフランソワが売れず、ジャズ嫌いアメリカ嫌いのリヒテルがアメリカで売れたという皮肉は――青柳さんはあまり掘り下げていないけれど――面白いと思う。 ジャンルはまるで違うけれど、ラモーンズの記録映画「エンド・オブ・ザ・センチュリー」にも同様の面白さがありましたね。ラモーンズはなぜ売れなかったのか。 売れるか売れないか、というのも、書評家が――しばしば意図的に――無視する要素だけど、それが「作家」本人にどれほど重いフィードバックを与えるか。世間は、「芸術家」はそんな俗っぽいことに超然としていて当然、と考えたがる。それはとんでもない、ということを編集者は知っている――作家が自殺したり早死にしたりするたびに、それを知っていることに憂鬱になるものです。(ここで字数いっぱい) 本を読んでるヒマがない シマピー 投稿日:2005/10/16 21:16 安い輸入盤CDが店頭で買えるようになったとき、私は興奮して、夢中になって買い集めたものでした。今はDVDの輸入盤にハマっている。こんなに面白いものが、こんなに安い! ホント、いい時代になったものです。 たとえばフランスのIdeale Audience の「Gustav Mahler」は、タワレコで2000円弱で売っている。中身はマーラー演奏に関するドキュメンタリーの2本立て。ハイティンク、アバド、ラトル、ムーティ、シャイーが、マーラーの1番から10番までのさわりを解説しつつ演奏する。我々の世代はいかにいいマーラー指揮者に恵まれていたかを実感できる内容だ。なんと日本語字幕までついている。 音楽ドキュメンタリーで、より見応えがあるのが「Shostakovich against Stalin」(Philips)。これは3000円弱で買いました。スターリン体制下のショスタコービッチの苦闘を描く、という内容。なんといっても、ドイツ軍包囲下のレニングラードにおける交響曲第7番初演の模様を、生き残った観客の証言で再現する辺りが感動的だ。資料的に挿入されるスターリン礼賛映画もとても面白い(もっとも、音楽をあまりに政治的に解釈することは警戒すべきだが)。ゲルギエフ指揮の演奏も素晴らしい。ペナルティのワッキーみたいな顔の印象から、体育会系の演奏をする人だと思い込んでいたけれど、とても美しい演奏をする人なのですね。ナレーションは英語で、ロシア語には英語字幕がつく。 音楽DVDばかりではなく、米AMAZONから買ったTVドラマシリーズ「Law & Order : Special Victims Unit 2003-2004 season」など、面白くて夢中になって観てしまった。この番組の日本盤は、私の知る限り、10年以上前に放映されたFirst Season しか出ていないが、spin offも含め、けっこうな数が制作されている。できれば全部観たいものだ。アメリカのTVドラマの多くは、聴覚障害者のための英語字幕(クローズド・キャプション)がついているのも有難い。英語字幕を見ながらドラマを見ていると、英語のペーパーバックを挿し絵ならぬ挿し動画つきで読んでいるような感じになる。いずれにせよ、1シーズン、45分のドラマ25本(+特典映像)が4枚のDVDに入って45ドルくらい、というのは安い! 失踪 シマピー 投稿日:2005/10/27 00:59 「Law & Order」の1シーズン分が45ドルは安いと書いたけれど、そうでもなかったかもしれない。「Without a Trace」の1stシーズン(2002〜03年放映)DVDボックスは、同じくらいのボリュームで20ドル弱ですからね。FBI失踪人捜索チームの活躍を描くこのTVドラマも面白い。日本では放映したのでしょうか。 どちらのドラマもNYが舞台。Law & Orderは1990年から続く長寿シリーズだから、続けて見ると、この10数年のNYの変貌がよく分かる。ほんの10数年前は犯罪都市の代名詞のようだったNYが、いまや「全米一安全」とか言われる。1990年に2000くらいだった年間殺人件数が約400に減ったとか。まあ、テロで一気に数千人死んでたりはするわけですが、平時のNYが安全な観光都市になったのは間違いない。実際に行った感じでは、あんなに警官がたくさんいれば、そりゃ悪いこともしにくい。少なくともオモテでは。 だから、ドラマに描かれる犯罪の内容も変化した。かつての定番だった、ヒップホップ文化と共に描かれた少年ギャングの抗争事件はもうあまりない。ドラマでの現在の主役は、幼児を狙った性犯罪のようだ。pedophileという単語がしょっちゅう出てくる。ロリコンとかオタクとかいう日本語にはまだ愛嬌があるが、異常な性欲が蔓延している土壌が日本にもある。日本でもこの手の犯罪が深刻化していく恐れがありますね。衆人環視の公園だからといって、親御さんは子供から決して目を離してはいけません。ボクみたいなのも、公園や遊園地で1人でウロウロしているとあらぬ嫌疑をかけられかねない。気をつけよう。 「Without a Trace」が扱う失踪事件というのも、いかにも現代的な事象ですね。ここでも子供の誘拐がよく描かれますが、そればかりではない。大人が自発的にふらりといなくなる、というのは日本でもふえていると週刊誌にありましたね。狭い日本ではアメリカほどは起こりにくい気がしますが。でも、シングルライフ化やコミュニティの衰退で、プチ家出のようなのはますますふえていきそうな気がする。いなくなっても、探そうとする人がそもそもいなくなるかもしれない……。 ドラマ自体への評価とは関係ないが(実のところ、安いからとDVDを買いすぎて、見る時間のほうがない。かつてCDを買い漁った時と同じだ……)、Without a Traceでは毎回、NYの美しい空撮が効果的に使われる。NY好きにはそれも見所です。 新しいコミュニティ? shiobara michio 投稿日:2005/11/01 16:57 階層の固定化が進みつつある日本の現状を検証した三浦展の『下流社会』によると、階層による居住地の固定化も進みつつあるんですって。大都市圏の郊外に生まれ育った団塊ジュニアが、郊外から動かない。近場の大学に行って、近場で職を見つけ、近場で世帯を構える。兄弟姉妹もそのまわりに住んで、付き合う仲間も固定化していけば、いずれ昔ながらの村社会さながらに戻ってしまうかも……というのです。アメリカの郊外なんかも、すでにそういう感じなんですかね。 西武池袋線沿線の住宅地から同じ沿線の某私立大に通ってくる学生は、もう池袋にさえあまり出向かないという話もありました。私の学生時代には、都内の路線図をすべて把握してるのは埼玉県人だけ、などとバカにされたものでしたが、時代がそのように変わっていたとは。まぁ、いろいろ気づかなかったことを教えてくれる本でした。 ガジュマルの木 江崎リエ 投稿日:2005/11/02 21:31 こんにちは 今月の沖縄、読みました。公園、行ってみたい。ガジュマルの木って、なんか独特のイメージがあります。あの木の下で昼寝をすると、いい夢を見そう(^-^)。 虫 江崎リエ 投稿日:2005/11/02 21:38 東郷さん 私はダンゴムシと蛇が好き。クモも結構好きかな。蛇とクモは色の取り合わせがモダンで、ほんとうに美しいと思います。 エッセイ ノナカ 投稿日:2005/11/03 00:56 当ホームページのエッセイ執筆陣のみなさんはスポーツ観戦がとても好きみたいですね。今月は野球ねたが2本。 私も珍しく日本シリーズは4戦全部テレビで見ました。シーズン中やプレーオフは全然見ていないんだけど。 ロッテははつらつ野球でいい感じでした。長打がぽんぽん出て面白かった(いかにも素人の感想ですな)。 ヤクルト古田のプレイングマネジャーも楽しみです。 来年はサッカーのワールドカップもあるし、また時差調整で大変ですね。いまごろなら、もう来年の話をしてもいいよね。 リエさんのエッセイに載せた写真は京都・修学院離宮のお庭です。私はいまいち日本庭園のよさがわからないな。じっくり見たことがないからかもしれない。せっかちなもので……。 私はまだ引っ越しの余波で、じっくり本を読むヒマがありません。 とかいって、「デスパレートな妻たち」などを見てしまった。テリ・ハッチャーの声が、「スーパーマン」のときの記憶があるもので、やや違和感あり。 豊かな下流 ノナカ 投稿日:2005/11/03 01:09 「下流社会」の本、話題になってますね。私は未読ですが、日本にもサバービア文化ができるんでしょうか。「郊外(住宅地)」っていう訳語はどうも適切じゃないですけどね。日本にないから、うまい訳語がみつからないんでしょうね。だいたい東京は大きすぎるし、地方都市はまた事情がちがうし。 西武線沿線って、適度に都会だし、その一方で人間味のある商店街も残っていて住みやすいんでしょうね。 ロンドン北部の郊外(わりと高級)住宅地を見て、「東村山みたい」といった人もいたそうです。 でも、日本は世界でもとくに豊かな国のひとつですよね。下流といっても、グローバルに見たらお金持なわけだし、「下流でけっこう」ってことなのかな。清貧の思想が広く根付いて当たり前になったということもあるんでしょうね。 それにしても、最近の若者は実家からも出ていかず、育った町からも出ていかず、大都会にも憧れず……なの? アンディ・ウォーホルが「小さな町に生まれたことのいいところは、その町をなるべく早く出ていきたいと願うようになること」っていってましたが。 郊外の暮らしも悪くない? E.T. 投稿日:2005/11/04 15:46 リエさん、ダンゴムシに蛇にクモなんて、結構すごいご趣味ですね。爬虫類やクモもよく毛嫌いされるけれど、毒がある種はかぎられているんだから、見分けさえつけばいいんですよね……? うちの庭にはアオジッポがいて、ときどき見つけるとうれしくなります。 昔はよく外国人の友達を案内していたので、六義園や明治神宮に行ったり、鎌倉の寺めぐりをしたりしました。竹やぶや苔が美しいところなどは大好きです。でも、借景とか、刈り込みすぎた木とかはちょっと苦手。 うちの娘も川をたどるのが大好きで、高1の夏休みは、うちの近所から江ノ島まで、何日かかけて川筋をたどっていました。川辺で出会った人の数も相当いるらしく、エッセイに書いたルリタテハの幼虫も、じつはその一人から分けていただきました。中学生や高校生のうちから、渋谷を歩いて買い物に明け暮れなくても、身近なところにおもしろいものがいっぱいあるのに、と私は思います。だからといって、都会の文化をまったく知らないのもつまらないし、要はバランスかな。 ハーレクインでも、都会で働くキャリア・ウーマンが田舎町で幸せな主婦になるのが、お決まりパターンのようなので、目立たないけれど社会の中心を支えている層は、アメリカでも日本でも、結局そんな感じなんじゃないでしょうかね。 論理 シマピー 投稿日:2005/11/16 01:39 格差が拡大しつつある、という話はどうも眉唾で、一部の学者の統計の読み違いだそうですけどね。高齢層ほど格差が広がる、という一般的傾向が、社会全体の高齢化によって以前よりも表面化しているだけだ、と。 しかし、格差は広がると思う。なぜなら、みんなが格差が広がると思っているから。みんながそう思うことにより、社会は「よし、負け犬にならないように頑張るぞ」という人と、「ほどほどでいいから頑張るのはよそう」という人の2つに分かれる。その結果、格差は現に広がっていく−−。 * アメリカでベストセラーになっている「FREAKONOMICS」という本を読み始めたんですけど、面白いですね。著者のスティーブン・レヴィットはまだ20代の若い経済学者ですが、ノーベル賞級のタマだという。 その最初に出てくるのが、アメリカの犯罪件数は−−ほんの十年前の大方の予想とはまるで逆に−−なぜ劇的に減少したか、という話。その原因は、レヴィットによれば、1973年の堕胎合法化(いわゆるRoe v. Wade判決)だそうだ。それによって、犯罪者になりやすい子供がこの世に生まれ出ることがなくなったから、と。異論は出そうだが(なにしろpolitically incorrectだ)、つい誰かに話したくなるような論理です。 レヴィットによれば、人間はインセンティブに反応する生き物だから、インセンティブから世の中を見ればよりよく見えるという。上の格差拡大の論理も、私が考えたものだけれど、インセンティブの論理にかなっていると思うけれどどうでしょう。 同じ論理を使って−−たとえば今はちょっとしたバブルの再来で、投資法をやさしく書いた本や記事がよく読まれる。しかし、本当にもうかる投資法を知っていれば、本や記事を書くより自分でもうけようとするのでは? というわけで、いま一部でささやかれている噂は本当のように思える。ある週刊誌が毎週載せる推奨銘柄が、その発売「前」に高騰しているという……。インサイダー取引以外に必勝法はなし、というのは株の世界のブラックジョーク(だけど、これをジョークだと思わない人もいる、と)。 * いずれにせよ、ほんの3年前、メディアは、日本経済は奈落の底に沈むと騒いでいた。今、メディアが「国民は小泉にだまされている」と言っても、よほど記憶力の悪い人でなければだまされないでしょうね。もっとも、20年前のバブルのことは、みんな忘れた(か忘れたふりをしている)ようだけど。 訂正 シマピー 投稿日:2005/11/17 16:55 下の投稿で、Steven D. Levittの年齢を間違えていました。「まだ20代」なんて書いていますが、1967年生まれで現在38歳です。お詫びして訂正。 年齢 ノナカ 投稿日:2005/11/25 19:32 38歳と20代じゃ、ずいぶん違いますが、私なんかだと、どっちも同じようなもんじゃん、と思ってしまうのが、かえって怖いです。よね? 29と38 リエ 投稿日:2005/12/05 00:32 自分を考えると、29でも38でも、芯で考えていることは同じだったと思います。でも、息子の話を聞いていると、20と25相手じゃ、接し方が全然違うらしい(^-^)。 デイゴの花 リエ 投稿日:2005/12/05 00:33 沖縄便り、読みました。 デイゴの花はインパクトがあって好きです。沖縄らしい感じがします。最後のひもの張り方は笑えました(^-^)。 SMOKE SCREEN シマピー 投稿日:2005/12/15 00:21 ハリウッド映画から喫煙シーンを追放しようという運動が前からある。現在、この運動の急先鋒は脚本家のジョー・エスターハスだそうだ。12歳から吸い始めた彼は咽頭ガンにかかったことを2002年に公表し、自らの作品に多くの喫煙場面を登場させたことを「殺人の共犯同様であった」と悔いている(James Hirsen "Tales From The Left Coast")。 この話で、ユル・ブリンナーを思い出した。チェーンスモーキングで肺ガンにかかった彼も晩年に同様の「懺悔」をしていましたね。 皮肉なのは――Hirsenが指摘する通り――「氷の微笑」や「ショーガール」を書いたエスターハスのかねてからの悪名は、喫煙場面を書いたことによるものではない。「氷の微笑」で、シャロン・ストーンが取調室で煙草を吸うシーンは確かに印象的だったが、人々が覚えているのはもちろん、同シーンで大胆に足を組みかえる彼女の「スカートの奥」だろう。自らが書いたたくさんの猥褻と残虐シーンの影響については反省せず、なぜ喫煙シーンだけを反省する? これは、エスターハスに限らず、ハリウッド全体にかかわる皮肉だろう。 最近見た映画で記憶に残るのは「コンスタンティン」だ。あの映画でキアヌ・リーブスは始終煙草を吸っている。最近では珍しいと思っていると、最後にオチがつく――つまらないオチでしたね。もう1つ、「ノルマンディー」でも、アイゼンハワー役のトム・セレックは煙草を手から離さない。メイキング映像で、セレックは「アイクは一日3箱吸うチェーンスモーカーだったから仕方ないんだ」と言い訳していた。 日本映画にもこの手の自主規制は広がっているだろう。少し前の映画だが、阪本順治の「ぼくんち」で、風俗嬢役の観月ありさが、火のついた煙草を手にしているのに、決して口にくわえない。あそこはおいしそうに吸ってみせなければ駄目だろう。監督の演出ではなく、観月の自主規制だったと思われるが、ああいう中途半端が最悪だ。 そもそも映画の中の喫煙シーンに、観客の喫煙を促す影響力が本当にあるのか。そして、仮にあるとして、それでは映画の中には――そして小説にもテレビにもゲームにも――「悪」は描いてはいけないのか。善人の善行だけを描け、とでも? ショーン・ペンはとんちんかんな事も言うが、ここではまともな事を言っている。「これが検閲でなくてなんだろうか。同質の文化を押し付けようとする輩たちこそ、社会のガンだ」 煙が目にしみる ノナカ 投稿日:2005/12/16 19:11 このあいだ、五代目ジェームス・ボンド、ピアース・ブロスナンのインタビューを翻訳したのですが、そのなかで、彼は「煙草を吸うくらいいいじゃないか」といってました。ボンドですよ! ボンドが煙草や酒をのまなくなったら、どうなるんでしょう。 セックスシーンも、ハル・ベリーとの共演について、「ベッドの上でじゃれているようなもの」だといってました。不満そう。ハル・ベリーのセックス・シーンはアカデミー賞を受賞した「チョコレート」のほうが迫真的だったようですね(私は未見、ビリー・ボブ・ソーントン、好きなんですが)。 ボンド映画って、お子様向けなんですね。それだけに、殺人やセックス、煙草に関連するシーンに自主規制がかかっているようです。ブロスナンは、ボンドを降板して、やっと大人向けの映画に出られると喜んでいるみたいです。 今年のアカデミー賞は、個人的には『カポーティ』のフィリップ・シーモア・ホフマンが受賞するといいなと思ってます。ついでに、『カポーティ』(新潮社刊、ジョージ・プリンプトン著、野中邦子訳)も売れるといいな……って、もう本は入手困難かもしれませんが。 私は煙草はすわないし、身近な人にもできれば禁煙してほしいと思うけどね。スクリーンではべつにいいです。影響ってあるのかな。 鏡 シマピー 投稿日:2005/12/18 20:42 そういえばブロスナンになってからのボンドは1作も見ていない。イギリスも煙草の規制が厳しくなってるんですよね。 表現における猥褻(それにもちろんprofanity)が右派のアジェンダだったのに対し、煙草(やanimal rights)はどちらかと言えば左派のアジェンダだ。米国では煙草会社は伝統的に共和党の票田という背景もある。教会筋からの圧力への反発と、「煙草資本」への反発はリベラルのメンタリティにおいて一致する。間接喫煙の害が喧伝されたのがクリントン政権下であったのは偶然ではないでしょう。 「猥褻」の中でも、左派は同性愛に非常に寛容で、これを擁護しさえする。しかし、その左派でも、現在、pedophileまで擁護することはない。だが、異性愛も同性愛もpedophileも性的オリエンテーションの違いに過ぎないという理屈を立てれば、pedophileの権利を守れという運動が起きてもおかしくない――実際、そういう運動はすでにある。レーザーラモンHGは「普通」だがマイケル・ジャクソンは「変態」だ、というのは今の感覚であって、40年くらい前はホモも「変態」であった(医学分類上もそうだった)。将来pedophileが「普通」になってもおかしくない。 左派は一般に、当事者たちが納得済みならOKだという考え方をする。援助交際をその理屈で弁護するリベラルがいた。しかし、このconsentさえ調達できれば、という考え方こそ右派の忌み嫌うものだ。悪は悪である、と。この考えをつきつめるなら、表現の効果(影響力)があるかどうかも、実は関係ない。 何が言いたいか、といえば――自分でもまとまっていないのですが。ただ、この表現規制の問題は私のような仕事をしていると無関心ではいられない。今年はゲーム規制の問題などが浮上したし、来年にかけてよーく考えなればならない問題だと思うんですね。 ボトムラインは、シンガポールのような、ましてや中国や北朝鮮のような全体主義的統制を招き入れてはならない、ということだろう。それなら当局の介入の前に自主規制を――という発想になるわけですが、これにも歯止めがなければ検閲と同じになってしまう。基本的にはこう考えるべきだろう。現実社会からは悪も不道徳もなくならない――超管理社会にならない限りは。そして表現はその「鏡」に過ぎない。鏡を磨いても顔のシミが消えるわけではない――と。 輸入DVD評 シマピー 投稿日:2005/12/21 01:23 リージョン・フリーのDVDプレーヤーを買ったので輸入DVD買いまくり! 他に書くところもないので、こちらでレビューを。 『Broadway's Lost Treasures』(Acorn Media) 米AMAZONより購入。題名どおりブロードウェーの名場面集。「Evita」のパティ・ルポンや「42nd Street」のジェリー・オーバックなどが実際に演じているところを見ると、彼らがアメリカで尊敬されている(いた)理由がよく分かります。 圧巻はジョエル・グレイの「Cabaret」、トミー・チューンとツイギーの「My One and Only」、チタ・リベラの「Chicago」と続くダンス名場面。グレイのMC役はトミー賞とアカデミー賞の両方をとった一世一代の当たり役で、まさに完璧。「悩みを忘れて楽しもう」と観客を誘うMCはアドルフ・ヒトラーのメタファーであり、そのことを意識して演じていたとグレイがコメントします。「マイ・ワン・アンド・オンリー」からは痛快な集団タップが楽しめる。あのツイギーがタップダンス? 必見です。 でも、個人的にいちばん楽しめたのは、「Annie」からのYou're Never Fully Dressed Without a Smile。「アニー」は映画版がいまいちだったから、なぜ爆発的人気を呼んだのかわからなかったのですが、これを見てやっとわかりました。 『Horror Classics』(Treeline Films) 日本の輸入DVD屋で買いました。なんたってDVD12枚組、映画50本入って6000円!(シンガポール製)。当然、まだ全部見ておりませんが、だいたい60年代半ばくらいまでの古色蒼然たるB級恐怖映画を集めている。古城の暗い地下室で何やらうごめく……という雰囲気が好きなので、ぼーっとながめていても結構楽しめます。 もっとも、「これがホラー?」ってのも入っている――ロジャー・コーマンの「Swamp Women」だとか。私が見た中では、「Carnival of Soul」が傑作で、Horror Classicの名に恥じない(ウェス・クレイヴンが近年リメイクした)。「Monster from a Prehistoric Planet」というのを見始めてびっくりした。これは60年代日活の「大巨獣ガッパ」の英語吹き替え版でありました。 謹賀新年 shiobara michio 投稿日:2006/01/01 01:28 あけましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いいたします。 今年もよろしくお願いします 江崎リエ 投稿日:2006/01/03 14:25 今日はお日様が照って、いい天気です。 ここにエッセイを書かせていただいて楽しませていただいていますが、今年もどうぞよろしくお願いします。 朝日新聞書評 shiobara michio 投稿日:2006/01/04 04:01 ノナカさん 「今年の3点」の紹介ありがとうございました。光栄です。 東郷さんの訳されたフェイガンの『古代文明と気候大変動』も 選ばれていましたね。こちらの選者は陣内秀信さんです。 http://book.asahi.com/review/TKY200512270308.html 今年もよろしく! ノナカ 投稿日:2006/01/04 10:00 当ホームページ読者のみなさま、いつもご愛読ありがとうございます。今年もぼちぼち更新していきますので、どうぞお引き立てのほど、よろしくお願いいたします。 shiobaraさん、東郷さんの本、紹介し忘れてました! 教えてくれてありがとう。さっそく直しておきました。今年最初のうっかりミスです。 牧人舎関連の本で2冊も「今年の3点」に選ばれてうれしい。 『禅的生活のすすめ』天外さんの推薦の辞は、こちらで読めます。 http://book.asahi.com/review/TKY200512270325.html 「シドニー」おもしろかったですね。村上春樹のエッセイは好きですが、とくに、ことさらはしゃぐでもなく、深刻でもなく、体験記と立ち止まっての考察のバランスがとれている作品はいいですね。もともと、村上春樹という人はあまり慌てない人間という印象がある。周囲にどんな奇妙なことやドラマチックなことが起こっても当人は淡々としているという感じ。小説の主人公がそうだからといって、作家もそうだとはかぎらないけどね。内心で仰天してバタバタしているのかもしれないけど――でも、面には出さない、のかな? 今年もサッカーW杯イヤーで関連本がたくさん出そうです。 去年、トルコへサッカーを見にいって以来、「ドイツは行かないの?」とよく訊かれるんですが、チケットが手に入ればねー! エッセイを読んできました 江崎リエ 投稿日:2006/01/04 14:23 秀岡さん 漢字検定はお年寄りの間でブームのようです。いろいろなドリルが流行っているのの走りかもしれない。私もキーボードでばかり文章を書いているので、たまに万年筆で丁寧に漢字を書くのがうれしかったりします。 東郷さん ホストペアレンツがいるのっていいですね。私の時代は短期留学もとてもお金のかかる夢だったけれど、息子の世代はけっこう短期留学していて、愛するホストペアレンツがいる。ほのぼのとした関係がうらやましいです。 桃井さん 新撰組は敬遠しているんだけど、実際に見てみたらいいかもしれませんね。冬ソナも敬遠してるんだけど、これもそれなりにいいかもしれないと思います。私はフランス語の先生に「24」がおもしろいと勧められています。 邦子さん 京王バスのイラストはJTの大人たばこ講座のイラストレーターですね。この人のユーモアは独特で楽しい。 九州のテーマパークは、人がいないぶん、なんかシュール。それに寒そう。 塩原さん エッセイを読んで、NBAで大事な試合に負けたスター選手がよくいう言葉を思い出しました。彼らは「負けたのはくやしいけれど、これで人生が終わるわけじゃない」「俺は大丈夫だ、これで死んだわけじゃない」とコメントします。コレを聞くと、ものすごくつらくても、先があると信じなくてはと思います。 みなさん、今年もよろしく。 わしたシーサ 江崎リエ 投稿日:2006/01/04 14:27 「わした」のシーサは銀座店の入口にもいます。前いたシーサは体にちゃんと渦巻きの模様があってどっしりしていたのに、新しいのには模様がないので、会社の同僚達は手抜きシーサだと言っています。 普通の冬に 江崎リエ 投稿日:2006/01/26 11:08 ちょっとのぞきに来ました。ずっと寒い日が続いていましたが、今日は外の日差しがふつうの冬の感じ(^_^)。あっというまに月末が近づいてきますね。 MONKばっかり シマピー 投稿日:2006/02/01 03:49 輸入DVD話のつづき。 昨年末にAMAZONから米TVシリーズの「Monk」や「Law & Order」のDVDボックスを買い込んで、正月休みからずーっと観てました。 「Monk」はNHKのBSでも放映していたからご存知の方も多いでしょう。トニー・シャローブ演じる名探偵、エイドリアン・モンクの活躍を描くライト・ミステリーです。 モンクが強迫性障害(OCD:強迫神経症)という設定がまず面白い。不潔恐怖でしょっちゅう手を洗い、確認強迫で家のガス栓を締めたかどうかを気にし、おまけに閉所恐怖、高所恐怖、と症状のデパート状態。風采も上がらない中年男だが、しかし、ひとたび事件にあたれば天才的な洞察で事件を解決する。ホームズ型、コロンボ型の名探偵。アメリカでも大ヒットしました。 ミステリーとしてもよく出来ていて、不可能犯罪の本格派。私のお気に入りは、砂漠の真ん中で衆人環視のなかスカイダイビングに失敗した男の死因が「溺死」だった、という話と、自分の部屋のドアも通らなくなって寝たきりの大デブ男が別の離れた場所で殺人犯として目撃される、という話。 ただ、DVDになっている3シーズン分を全部見ると、すべての回が傑作というわけではない。特に3シーズン目になるとネタが貧弱になってき、神経症ネタも少ししつこく感じられてくる。しかし、「コロンボ」だって、続けているうちに苦しい時期もあった。全体としては高打率で、「コロンボ」に迫る名シリーズだと思います。シーズン4も米で放映中のようで早く見たいなあ。 * ところで、見ているうちにはたと気付いたことがある。モンクの劇中の年齢設定は45歳――今の私と同じなんですね。それも、私がこのドラマが好きになった理由かもしれない(シャローブの実年齢は50代前半ですが)。 ドラマでも小説でも、やはり自分と同年齢の登場人物に自己投入する、ということがあるんじゃないでしょうか。最近、映画に今ひとつ乗れない、というのも、映画の主人公は一般に若者が多いでしょう、自分が年をとってきて、若者に感情移入できなくなってきているのではないか、と。かつては若者だったからその心理は理解できますが、「今の自分」ならそう考えない、といった距離を感じてしまう。もっとも、最近は中年や、場合によっては老人を主人公にした映画・ドラマ・小説がふえている気がする。これも高齢化社会の必然でしょう。 沖縄 リエ 投稿日:2006/02/04 00:19 カンピザクラ、きれいですね。ガープ川っていうのも、なかなか印象的な名前。「ガープの世界」を連想します。 東京は金曜夜は寒風が吹いてものすごく寒かった。温かい所に行きたいヨー。 モンク リエ 投稿日:2006/02/04 00:22 知りませんでした。なかなか面白そう。 私はいま、遅ればせながら「24」を見始めたところ。リアルタイム感と先を見たくなるストーリー展開はおもしろいのですが、5話目までみて、「あれはどうもね」というほころびも見えて来たし、週に2本くらいづつ見ているので飽きそうです。 手抜きですみません ノナカ 投稿日:2006/02/04 10:36 最近あれこれ仕事がたてこんじゃって、気分的に余裕のない日が続いています。そのせいか、今回の更新は手抜き感がいなめず。というか、私の今回のエッセは書き飛ばし……ま、ふだん手を抜いていないかというと疑問ですが。 もうしばらく修羅場が続くので、大変です。とはいえ、翻訳者の修羅場なんて、長編の本をやってるだけにだらだらしたものですが。 しかし! 今回は短いものや企画段階のものが重なっているので、その点もちょっと大変。まだ企画中なので、内容が具体的に書けず、これじゃ、何がなんだかわかりませんね。申し訳ない。 そんなわけで、映画もビデオも見られず、音楽も聴きにいけず、ウォーキングもサボっていて、ストレス溜まりっぱなしです。「24」も「チャングム」も見られません。 昨日の夜、BS2のゴールデングローブ授賞式も見てましたが、ゲラを読まなくちゃいけないので、途中まで見て、また机の前に戻らざるをえず。 アカデミー賞の受賞式も好きなのです。ゴールデングローブは会場が狭いし、みんな飲み食いしているので、リラックスした感じでいいですね。 演説に文化を感じる リエ 投稿日:2006/02/04 12:33 アカデミー賞の授賞式は、感謝のスピーチに文化を感じます。人柄も考えも出るし、俳優の生き方が社会に影響を与えられるパワーを感じて好きです。 だらだらした修羅場というのも、大変そうだな。広告の仕事の修羅場はそれなりに修羅場ですが、時間が近場で区切られている分、泣いても笑ってもそこまでなので、がーっと頑張ろうと思えます。 あんまりストイックだと、煮詰まっちゃうよ。 イラスト リエ 投稿日:2006/02/04 12:40 東郷さん イラスト、すごくすてき。お嬢さん、受験生なのですね。大抵は一度は経験するものとは言え、たいへんですね。 豆は最近、種類が増えましたね。レンズ豆とかひよこ豆とか、インド料理の豆もけっこう手にはいるようになりました。 私が子供のころ本で読んで味を知りたかったのは甘草のキャンデー。 おいしいものを想像していたのに、すごくへんな味だったので がっかりした憶えがあります。 リコリス ET 投稿日:2006/02/05 10:40 リエさん 手帳の片隅に書いていた絵なので、大したものではないんですが……。褒めてくださると、少しはストレス解消になるでしょう。ありがとうございます。センター試験が終わって少しは楽になったものの、二次にも苦手な数学があるので、試練はつづくようです。どうも親子ともども数字に弱くて。数独をやると、少しは好きになりますかね? 甘草のキャンデーってリコリスですよね? アメリカで食べさせられたときは、原油の練り物かと思って、ぎょっとしました。リコリスが、よく児童文学にでてくる甘草飴のことだと知ったのは大人になってからです。 甘い煮豆は苦手だけれど、甘くしない豆料理は大好きです。キーマカレーに冷凍のグリーンピースを入れる代わりに、ヒヨコ豆を入れたら、歯ごたえもあるし、豆のほのかな甘味で辛さが中和されて、すごくおいしかった! 豆料理 リエ 投稿日:2006/02/05 22:01 豆料理は私も好きですが、豆って男には評判悪いと思わない? 豆料理が好きという男を知らない(豆料理の好みを聞ける男ということで言うとで、とても狭い調査範囲ですが(^-^))。夫も息子も豆料理は全然喜ばなかったので、自分用にしかつくりません。 豆ご飯も季節もので「おお」とは言うけど、好きというのとは違うみたいだし。 私は数学は苦手です。数独の数字は記号ですね。いろはでもABCでもいいわけだから。受験に数学を取るというだけで、尊敬します(^-^) 豆 ノナカ 投稿日:2006/02/06 00:23 鈴木主税さんは黒豆を煮るのがとても上手です。 お姉さんにも作ってあげるんだって。 私も今年のお正月には少しおすそ分けしてもらいました。 調査範囲が少し広まりましたね(^^) そういえば、私のまわりにはグリーンプピースが大嫌い という若者が2人もいます。あの食感、ぽくぽくした感じ? が嫌いなのかな。 黒豆 リエ 投稿日:2006/02/07 18:55 そうか、甘いのは考えに入れていなかった。私の父も夫も甘納豆は好きでした。でも、これは料理じゃないな。黒豆は料理なので、鈴木先生は初めての豆好き男性です。 リコリス リエ 投稿日:2006/02/07 23:37 そう、リコリスです。甘草もリコリスも、何だかエキゾチックな響きでした。なので、食べてがっかり。 カミツレ茶も、とてもおしゃれなイメージだったのに、ふつうのハーブティーだったのでがっかりしました。まあ、私が子供の頃に読んでいた本だから、表現が古いのでしょうね。 絶対にがっかりしそうだけど、食べてみたいもの。ヨークシャープディング。 Valentine's Day ! shiobara michio 投稿日:2006/02/14 22:48 今月の雑文はお休みしちゃったので、ご挨拶代わりに。 今日はバレンタイン・デーですね。 くだらない習慣だとはわかっているけど、なければないで淋しい年に一度のチョコレート。みなさんはあげたりもらったりしてますか? この時期はデパートにふだん見かけない珍チョコが並ぶので楽しくもあります。今年はトリノのチョコレート屋「カファレル」のジャンドゥーヤが出てたので、自宅用に買ってオリンピック見ながらつまんでおります。 Takahashiの伝説 シマピー 投稿日:2006/02/18 17:08 ライブドア問題もそうですが(私は堀江を支持していたので)、ムハンマド風刺漫画問題もすっきりと論評しにくい難しさがあります。風刺漫画問題では、表現の自由に殉じようとする欧米の一部編集者の意地とつっぱりにやはり感心させられます。日本では結局、問題の漫画を掲載する勇気のある新聞も雑誌も1つもなかった。問題の風刺漫画をTシャツにして着るイタリアの閣僚には感心を通り越して寒心・・・ですが。 かつて「悪魔の詩」事件では日本人が日本で殺されているのだから、日本にとっても――翻訳者にとってはさらに――他人事ではないはず。それでも、移民問題や人種問題がそれほど深刻でない日本では、君子危うきに近寄らず、が今のところ賢明な態度なのでしょう。とはいえ、すっきりしない。 それはともかく、米AMAZONで買ったモハメド・アリの新しい伝記「Sucker Punch」(Jack Cashill著、Nelson Current)を読みはじめたら、1930年代アメリカで黒人過激派集団Nation of Islam――のちにアリがかかわることになる――が出来たとき、Satohata Takahashiなる日本人が大きな役割を果たしたという記述があり、へえと思った。そんな日本人のことを私は聞いたことがなかったからだ。 大恐慌をはさむこの時期、デトロイトやシカゴなどの黒人労働者階級では、親日感情が強かった。日露戦争の勝利により日本人が「白人に打ち勝つ有色人種」のモデルになったからですが、そこにはこのTakahashiや、その仲間Ashima Takis(フィリピン人らしい)らのオルグ活動も一役買っていた。1933年、Takisの黒人に向けたアジ演説の一部がFBIに記録されている。"You are the most oppressed people on earth. If you join the Japanese and other colored race, you will be in command of the whites." 彼らは「真珠湾」後も日本を支持しつづけ、当然のごとく政府に弾圧される。それにしても、この時点で「黒人−ムスリム‐日本人(−ナチ)」という「連帯」がアメリカの民衆レベルであった事実は面白い。SF的に、歴史が逆転したもう1つの世界があったなら、そこでは日本人が風刺漫画に抗議する側になっていたかもしれませんね。 更新 江崎リエ 投稿日:2006/03/01 15:03 更新、毎月楽しみにしてます。東郷さん、私は子供の頃江ノ島の橋のあたりで売っているさざえの壺焼きを食べるのが大好きでした。まだ、あるのかな。最近はずいぶん様子が変わったらしいけれど、息子も友達と遊びに行ったりしてます。お嬢さん、受験から解放されたようですね。おめでとう。今回の絵もすてきです。 最近の想像 シマピー 投稿日:2006/03/02 03:14 TVを見ていると、荒川静香が使用したプッチーニのTurandotを「トゥーラン・ドット」としているテロップがたまたま目に入った。 想像するに、これは放送局内のこんな会話から生まれたのではないか。 「(ディレクター氏が電話で)ヤマちゃん、荒川が使ったオペラかなんか、あれ何だっけ」 「ああ、トゥーランドット」 「トゥーラン、ドット(点)、……最後は何?」 「だからトゥーランドットだよ、ドット!」 「トゥーラン・ドットか。OK」 カタカナ表記での中点(ナカグロ)「・」の使用は、意外に気を遣いますね。特に映画のタイトルで。たとえば――いま私の部屋にあるDVDで探せば――「Blade Runner」「Boogie Nights」は「ブレードランナー」「ブギーナイツ」(ナカグロなし)で、「True Romance」「Die Hard」は「トゥルー・ロマンス」「ダイ・ハード」(ナカグロあり)。新聞の表記では2単語で成るものはナカグロなしが原則ですが、映画の邦題では原則はないようです。校正のときにいちいち調べなきゃいけないから面倒。こういうのは配給会社が決めるんですかね。想像するに―― 「あー山本くん、今度のテレンス・マリックのThe New Worldだけど、きみはニュー、ナカグロ、ワールド、がいいと思う? それともナカグロなしか。ヤングの意見を聞きたい」 「んー……『ザ』はどーするんですか?」 「ザはいいんだよ。ナカグロについて聞いてんだ」 「んー、意見といわれても……。なくていいんじゃないスか」 「じゃあ、ありにしよう」 「?」 というわけで(?)「ニュー・ワールド」なんだけど、ナカグロなくてよかったんじゃないスか……。 * 猪口邦子ショーシカショーの上智大における「答案紛失疑惑」を週刊誌記者が本人に直撃取材したとき、猪口氏は「週刊新潮」によれば「それはディスインフォメーションです」と答え、「週刊文春」によれば「ミスインフォメーションです」と答えた。「ディス」と「ミス」、どっちだ? 記事全体の精度は「新潮」のほうが高かったので(ネタ元は同じようだが)、たぶん猪口氏は「ディスインフォメーション」と言い、「文春」記者がそれを「ミス――」と聞き間違えた、というのが私の想像。辞書を引けば、disinformationもmisinformationもほぼ同じ意味ですが。 しかし本当の問題は、政治家がこんな紛らわしい横文字を使うことですね。その点、小泉ソーリはさすがだ。猪口氏も「それはガセネタ」と言えばよかった。 アカデミー第一印象 シマピー 投稿日:2006/03/06 23:25 映像は見てないのですが。私とそっくりの(年齢が)ジョージ・クルーニーがオスカーとったそうじゃないですか。同じ助演のオスカー、眉毛がつながってるレイチェル・ワイズはドスの利いた声が前から好きでした(きのうなんとなく予感がして「ハムナプトラ」借りてきてました)。 主演オスカーは歯ぐきのウィザースプーン、白ブタのホフマン、ってけっこう笑えるなあ。こっちのほうが助演っぽく、助演組のほうが明らかに主演っぽい。今回主演のお二人は、あまり勘違いしないでほしいですね。「チームアメリカ」でからかわれた、「いつもいい役ほしがる〜」キューバ・グッティングJrみたくならないように。 ちなみに私は、アン・リー(監督賞)というのはずっと女だとばかり思ってた(笑)。 生原稿の問題 シマピー 投稿日:2006/03/11 17:02 『文芸春秋』4月号の村上春樹「ある編集者の生と死――安原顕氏のこと」が話題になっています。 焦点の1つは、新聞ダネにもなった、安原が村上氏の生原稿を古書市場に売っていたという「事件」。この件は、3年ほど前の安原の没後すぐに坪内祐三氏が書いていて、そこで、没後ではなく安原生前中に流出していたこともすでに指摘されていました。 そういえば、漫画原稿の流出が「事件」になったのも3年ほど前だったと記憶します。生原稿の管理問題は今に始まったことではありません。 生原稿は作家の所有物であり、編集者なりが勝手にそれを売りさばくのは盗品売買だ、という村上氏の指摘は正しい。しかし、その「保管責任」がどこにあるかというのはまた別の問題に感じます。 村上氏は、安原に渡した生原稿は彼が当時所属していた中央公論社が「しっかり保管して」いるはずだと思っていたという。生原稿が自分の所有物だと思うなら、これは無責任な態度に思えます。すみやかに返還を要求すべきだったでしょう。もちろん原則としては、出版社(編集者)は用が済んだら言われなくても生原稿を返却すべきです。 しかし、「返してくれなくていい」と作家から言われる場合もある。大作ならともかく、短いエッセーや翻訳の生原稿にはそれほど執着しない作家がいる。編集者がそこで破棄すればいいけれど、心情的にためらいがあって残しておくことが考えられる。それが、編集者が退職したり死亡した時に流出するケースも多いのではなかろうか。 保管には手間もコストもかかる。生原稿の所有権を問題にするなら、作家と出版社の双方が、その保管責任に神経質になる必要があります。最近は文芸協会や各文学館が保管の任にあたる場合も多くなりました。業界としてルールを定める時期かもしれません。 もっとも、最近はワープロ原稿が多く、手書き原稿もFAX送稿がふえたので、編集者が自筆原稿を扱う機会はきわめて少ない。少々寂しくもありますが、面倒のもとが減って編集者としては楽にもなりましたね。むしろ最近は、漫画原稿の方が問題かもしれない。しかし、私の知る限り、漫画家は「生原稿」の保管にかつての作家よりずっと神経質です。 もう1つ、村上氏のエッセーが主題としているのは作家と編集者との関係「問題」ですが、それについて書く紙幅がもうない。両者の確執の背景には、従来の「文壇」体制の崩壊があったのだろう、とは思いました。 コメント shiobara michio 投稿日:2006/03/17 13:16 > 『文芸春秋』4月号の村上春樹「ある編集者の生と死――安原顕氏のこと」が話題になっています。 うむむ。この二人の対立(?)がこんなかたちで再び表れてこようとは。 わたしも文春買ってこよっと。 桜の写真 リエ 投稿日:2006/04/02 21:56 こんにちは 読みに来ました。 桜の写真がきれいですね。 銀座もお昼時は弁当のワゴンが出ます。近くの定食屋の唐揚げ弁当ワゴンとか、サンドイッチ売りとか、屋台車とか。でもデパ地下の弁当売り場が強力です。 桜 shiobara michio 投稿日:2006/04/03 00:07 リエさん、うちのハハもこのあいだ、「以前は桜を見て、ただきれいだなと思っていただけだったけど、最近はそうじゃないのよね……」とつぶやいていました。 「桜の木の下には…」なんて小説もあるくらいで、考えてみれば怖い花かもしれませんね。 今夜の雨で、散ってしまうかしら。 自己像 シマピー 投稿日:2006/04/09 02:38 ちょうど校了の時期と重なって、今年の花見はパスしました。最近は公園の管理もうるさくなって、花見に酒の持ち込み禁止のところもあったという。酒がなくてなんの花見か、と。まあ桜ももう見飽きました。でも、散った桜の花びらが川面を流れていく光景は美しく、出勤前にちょっと見とれた−−それが今年の花見のすべてでした。 実のところ「花がきれい」というのは子供のころからわからない。植物のありようは人間が逆さに地面につきささっているようなもので――花はまあ生殖器ですからねえ。どちらかといえば毒々しさを感じて派手なのは苦手。道端にひっそり咲いてるようなのには感じ入ったりしますが。 * ところで、山下篤子さんが『うぬぼれる脳』を送ってくれて(この場を借りて御礼申し上げます)、ずっと読んでおります。面白いですねえ。「自分」がどのように生まれるか。このテーマが面白くないわけがない。 「CSI」の中で、出会い系サイトで人を誘い出すトリックが使われていたのを思い出しました。Aという男性を誘い出すため、架空の女性Bの顔画像を、A自身の顔を素材にして作る。なぜAがBの顔を気に入ると期待できるかというと、「人は最終的には自分の顔が好きだから」。 自分の「像」に対する執着は、たしかに人間の根本的な条件なのでしょう。物心ついたあとの趣味でいえば自分の顔やスタイルが好きだったり嫌いだったりするでしょうが、その物心がつく前に自分の像を「無条件に引き受ける」瞬間がなければ人間が人間にならない。これはラカンの鏡像段階の説ですが、本書ではその過程をより科学的に跡付けてくれます。 本書によれば、そうした自己認知は人間に限らず、チンパンジーなどにもあるという。そうであれば、彼らにも「意識」があるかもしれない。ナルシシズムもあるかもしれない。人間の「精神」にあたるものが彼らにもあるだろうとは私も想像してきましたが、このような研究からその存在を(進化論的にも)証明できるかもしれません。 ところで、私も大学では心理学を専攻したのですが、その頃の先生たちは教条的なスキナリアン(スキナー流の行動主義者)がまだ多かった。心理学なのに心を扱わないなんて、と私は大学の勉強に興味を失ったのですが、本書で紹介されている研究は、まさにそうした行動主義心理学への反発から発展した経緯がある。こうした研究がもう少し早く紹介されていればなあ、と思ったことでした。 エッセイ リエ 投稿日:2006/05/02 23:06 更新されましたね。 毎回エッセイを読むのが楽しみです。 邦子さん、報告寺、漢字が違ってました。報国寺です。ついでのときに直しておいてください。校正ミスですみません。 井の頭公園の都市伝説、知らなかった。私の高校は井の頭線沿線にある都立駒場なので、デートと言えば井の頭公園、熱々さんはボート乗りというのが相場でした。みんなうまく行ってなかったのかな。 年がわかる話 シマピー 投稿日:2006/05/03 00:33 映画「三丁目の夕日」の大ヒットなどで昭和30年代ブームだそうですが。 私も昭和30年代生まれだけど(1960年)、記憶は昭和40年代から始まります。 起点ははっきりしている。6歳になった1966年(昭和41年)から。 映画でいえば同年の「ガメラ対バルゴン」「大魔神」の強力二本立てから私の人生が始まる。 たとえば「なつかしの昭和テレビ・ラジオ番組主題歌全集」というCDを聴いても、半分以上は知らない。「君の名は」「笛吹き童子」「ヤン坊、ニン坊、トン坊」なんてRadio Daysは生まれる前の話。昭和40ないし41年から始まった「ガードマン」「銭形平次」「マグマ大使」といったテレビ番組から覚えている。 なかでもこのCDで懐かしかったのはNHK朝の連ドラ「おはなはん」のテーマ曲でした。作曲・小川寛興。いま聴いてもいい曲で、子供のころの幸福な時間が甦る。この曲を聴きながら、私は小学校に通い始めたのでした。視聴率40%以上だったから、私の世代以上の人のほとんどがこのメロディを覚えているでしょう。 あと、大好きだったのが谷啓が歌う「図々しい奴」の主題歌。しかし不思議ですね、柴田練三郎原作のこのドラマは昭和38年放送で覚えているはずはない。再放送で見たのでしょう。「頭も悪いし 金もない〜 顔はまずいし 背も低い〜」という青島幸男絶頂期の歌詞はいまでもよく心のなかに甦り、私を励ましてくれる。 昨年亡くなった作曲家・山下毅雄の「ヤマタケTVヒッツ!」というCDも聴きました。「時間ですよ」のテーマが有名ですが、私が懐かしかったのはアニメ「冒険ガボテン島」のテーマ曲(1967)。ラテン調のこの曲は大好きでよく覚えていた。 きのうはザ・モンキーズの伝記映画とドキュメンタリーを観ました。「ザ・モンキーズ・ショー」はアメリカでは1966〜67(年度)、日本でも1年遅れで紹介されました。曲も好きだったし、とにかくよく覚えています。伝記映画では、ビートルズの「サージェント・ペパーズ」が出てモンキーズ・ブームが終わる、という分かりやすい歴史解釈でしたね。 この頃のテレビで強烈に印象に残っているのは、テレビ版「男はつらいよ」の最終回。寅がハブに噛まれて死ぬ有名な内容ですが、子供心にちょっとトラウマになった。これが69年。私の記憶では、このドラマあたりでわが「モノクロテレビDAYS」と、イノセントな子供時代が終わります。 お弁当 リエ 投稿日:2006/05/03 19:11 塩原さん 夫は、野球は退屈を楽しむスポーツだと言っていました。イニング交代で気が抜けるし、お弁当、ビール、ポップコーンが似合いますね。 寄席もだらだらと4,5時間、下手なのからうまいのまで出てくるので、見たり聞いたりしながらお弁当が食べられます。客が芸人を育てるなどと言って、へたな話だと、客が本を読んでいたりするといいます。でも、私はこういう態度はどうかと思う。すごく下手でも、やっぱり話してるときは聞いてあげようと思うので、なかなかお弁当を食べるタイミングがつかめません。 年? ノナカ 投稿日:2006/05/03 22:02 年がわかる話って、今月の私のエッセイのことでしょうか。 ヒッピーやらフラワーチルドレンやらで年はバレバレですね。 年齢不詳でいきたかったのに。 お弁当といえば相撲でも食べますね。 野球はほとんど日本の国技のようなものだから、いいんじゃないでしょうか、お弁当。でも、時間はかかりすぎだと思うな>野球 大リーグはテンポがいい リエ 投稿日:2006/05/12 17:10 大リーグの試合はテンポがいいですよ。やっぱりアメリカのスポーツだなと思います。 日本のは、辛気くさい感じ。 最近見たもの シマピー 投稿日:2006/05/28 00:57 週末に見ようと2枚の音楽DVD「デスティニーズ・チャイルド/ライブ・イン・アトランタ」「スパークス/リル・ベートーヴェン ライブ・イン・ストックホルム」を買ってきました。はからずも対照的な2枚。女と男。大会場と小会場。黒人と白人――。 お薦めは断然スパークス。正真正銘、感動しました。バーンスタインの「キャンディード」を思い出しましたがそれも当然、音楽の素がオペレッタですからね。いまどきオペレッタというのが最初からマイナーですが、そのおかげで30年以上やってても後継者もおらずユニークな存在でいられるのか。 「デスチャ」のほうがつまらないわけではない。観客を退屈させまいとするプロの演出はさすが。だけど、すべて常套的で意外性がないですね。例によっての黒人エンターテイメントの世界。輸入盤だと2000円以下で買えるから、まあそれならお買い得。 * 米TVドラマ「House M.D.」の輸入DVDを視聴しました。題名どおり、ハウスという名の医学博士が主人公。演じるのはイギリスの俳優ヒュー・ローリー。容姿も喋り方も阿部寛にそっくり。製作指揮は「ユージュアル・サスペクツ」のブライアン・シンガー。 ハウスは名医だが人間嫌い。びっこを引き、皮肉な人生観の持ち主で、ちょっとブラックジャックみたいだけど、組織(大病院)の中で生きている点が違う。人を癒すことより医学者として病因を突き止めることに関心がある。周囲の反発を浴びながらしばしば患者を実験台のごとく扱い、常識的な診断では治らない病気を結果的に治してしまう(たいがい意外な病因が用意されている)。 人間ドラマではなくあくまで医学サスペンス――というコンセプトで「ER」などと差別化しています。「CSI」の医療版という感じ。知的で面白い、けれども、回が進むにつれ、当初のコンセプトだけでは持たなくなったのか「人情ドラマ」が少しずつふえていくのが残念。 * 金曜日にはリメイク版「オーメン」の試写会に行ってきました。2006年6月6日、つまり666の日に世界同時公開とか。666の日は1000年に1度!とうたっていますがどんな1日だって1000年に1度なんですけどね。中身はオリジナル版とほとんど同じで、こんなに同じならリメイクする必要があるのかと思う。ミア・ファローが悪魔の子ダミアンの子守役、というのは誰もが膝を打つ配役でしょう。 田中一村 リエ 投稿日:2006/06/04 18:11 こんにちは 沖縄の写真きれいですね。きのうはフランス語の先生がタヒチのボラボラ島の写真を見せてくれました。きれいだけど、遠いから沖縄に行けば?と勧めたばかりです。 田中一村のアダンの実の絵はがきを持っています。映画が公開になりますよね。ちょっと見てみたい気がしています。 ウォンバットの絵本 リエ 投稿日:2006/06/04 18:12 あるんですね。この絵だと熊さんぽい。私はコアラよりかわいいと思いました。 読んでます リエ 投稿日:2006/07/17 18:00 書き込んでませんでしたが、更新早々に来て、みなさんのエッセイを読みました。毎回楽しみです。 邦子さんの本屋さんの写真、あちこちに自分の本があるのは誇らしい気分でしょうね。私は邦子さんをはじめ、知り合いの訳書がならんでいるだけで、うれしくなります。 ワールドカップに熱意を注いでいたので、終わってしまった先週はなんだかぐったりしてました。私のなかではオリンピックよりもずっと盛り上がりました。mた、4年後が楽しみ。 最近観たもの聞いたもの シマピー 投稿日:2006/07/19 03:50 以前にもここで書いたことがある米の人気ミステリーシリーズ、「MONK」の第4シリーズDVDセットがアマゾンから届いたので、連休はもっぱらこれを観ていました。第3シーズン途上での女性アシスタント役交代により下降線をたどるかと思いきや、シリーズは見事に復調して面白いのなんの。 何といってもシナリオが素晴らしく、たとえば第3話「Mr. Monk stays in bed」など信じられないほどよく出来た話。感心のあまり椅子から転げ落ちそうになった。ボーナスマテリアルの「Monk Writing Process」を観ると5人ほどのライターの集団作業でシナリオが書かれている。きっと飛びきり頭のいい奴らが「こうすれば面白い」「いやこうしたほうがもっと面白い」と知恵を出し合い物語が出来上がるのだろう。 * 米TVシリーズのDVDセットでは、ほかに「Numb3ers」と「Boston Legal」のそれぞれ第1シーズンを視聴。前者はリドリー&トニー・スコットの製作で、若き天才数学者が「数学」で事件を解決していくミステリー。事件が起こると彼は難解な数式をだーっと板書して……次の犯行はどこで起こる、などと当てる。ほんまかいな、という感じだが、安楽椅子型探偵の新タイプで面白かった。後者は硬派の法律ドラマかと期待して観たらコッテリしたシチュエーションコメディ。「アリーMYラブ」の製作者だから当然か。私の苦手なタイプであまり楽しめなかった。 * そういえば今月のエッセーで桃井さんが落語のことを書かれていたけど、私も落語にこっている。快楽亭ブラック(立川流除名)の落語ですが。そもそもは場唐oODのポッドキャスティングでブラックの噺が(マクラのみ)タダで聞けることからハマり、新宿紀伊国屋で売っている毒演会CD(6巻まで出ている)を集めだした。ブラックも「反対グルマ」をやってますね。 ご承知のとおり、放送絶対禁止の内容で、よくもまあ右翼や創価学会や身障者団体から襲われないものだと思うようなネタばかり。私のような「言葉狩り」真っ盛りのなかで育ち、禁句だらけのマスコミで働いている者には最高の解放感がある。朝日新聞の読みすぎで「差別はイケマセン」イデオロギーに体の芯まで冒されている人々はブラックを聞いてメクラとかドジンとかいった言葉を思い出すべきですが、彼の教養が通じるのはぎりぎり我々の世代くらいまでかも知れない。 紙々の黄昏 シマピー 投稿日:2006/08/04 00:47 遅ればせのブロードバンド化、とともにまずまずのグラフィックカードを載せたゲームPCを買い、モニタも大きくした。なんか世界が変わりましたね。 まずネットの動画が見放題になって、YouTubeやら欧米のネット放送やらを観まくっています。カナダの田舎バンドが延々ライブやってるのとかバチカンの宗教番組とかいろいろあって飽きないですね。教育番組専門のAnnenberg Mediaなんかを観ていると、こりゃ居ながらにしてアメリカ留学しているようなものだと思う。もちろんGyaoでタダで映画も観られるし(今は「妖怪大戦争」のオリジナル版が観られて大感激。もっとも、このGyaoはアクセス殺到でよくつながらなくなるけれど)。 PCゲームもすごい水準にきていますね。すでにGrand Theft Auto 3でひっくり返るくらい驚いたけれど、Half Life 2 だとか The Movies だとか、最近のものはグラフィックの美しさと奥深さに唖然とするばかり。私のお気に入りは米AtariのTycoon City New York というタイトルで、本当にニューヨークを自在に歩いているような感覚を得られる。もちろんHalf Life のようなアクション・シューティングでは、オンラインで世界中のガキと戦争ゴッコがいつでもできる。 さて、こうなってくると、マジ時間がいくらあっても足りない。犠牲になっているのは私の場合、本を読む時間と音楽を聴く時間(+睡眠時間)ですね。ネットのおかげで洋書も洋盤も海外から手軽に入手できるようになったのに、それを読む・聴く時間がない。それに、音楽も情報もPCでかなり間に合うから。つまりは生活習慣が変わったわけです。地上波テレビの視聴率も落ちているらしい。社会全体がいよいよネットにシフトし、既成マスコミのビジネスモデルが揺らぎだした。 出版に関しては、いまのところ劇的に出版部数が減っているということはないようです。しかし、新聞業も含め、企業の広告費がネットに流れ始めた傾向がすでにある。広告費全体の規模は決まっているのだから、当然そうなるでしょう。新聞も出版もかなりの部分は広告でもっている。本や新聞がなくなることはないでしょうが、どんどん景気が悪くなることは間違いない。新聞に関してはパイが大きくなると思っている人は事実上1人もいない。将来性がない。どうしましょう。 うさぎの手紙 リエ 投稿日:2006/08/09 22:40 あら、名前が?と思ったら、ご結婚だったのですね。おめでとうございます。 結婚と引っ越し、なんか生活ががらっと変わるのっていいなあ、と思いました。 私は自分の生活環境を変えたいのか変えたくないのか、自分でもよくわからないで だらだらと現状維持を続けているので、なんかあんまりよくないなあと思ったりしています。 沖縄パフェ リエ 投稿日:2006/08/09 22:43 沖縄パフェも、なかなか豪快。でかいジョッキのどんと入っていて、デコレーション不足だけれで野趣がある。見えないところに果物などが入っているのでしょうか? カポーティ シマピー 投稿日:2006/08/14 06:47 野中さん、新潮文庫の『トルーマン・カポーティ』を送っていただき有難うございました。お盆休みのお楽しみで家に持ち帰って読みました。関係者の証言だけで構成された本ですので、最初はちょっと通して読むのは辛いかと思い、面白そうなところからつまみ読みし始めたのですが、読み始めるとどんどん面白くなって、前に戻ったり後に飛んだり、結局は徹夜して全部読んでしまいました。 カポーティという人に特に思い入れはないのですが(私のなかではなぜかポール・ウィリアムズとイメージがダブる)、確かに作家のひとつの典型ですね、このパーソナリティは。本物の作家や哲学者というのは、私は思うのですが、「自分」対「自分以外の全世界」という構えで生きているのでしょう。進んでそう生きているというより、業のようなもので。その孤独は計り知れないものがあるし、だからこそそこから発せられる言葉に切実さがある。しかし、一般人には、近づきすぎると危険、でもある。 カポーティもそのような人であったようですね。この本を読むと、なぜ『冷血』の題材が彼にとって生涯最高の題材となりえたのかがよく分かります。作家とは、ある意味で死刑囚だから、と言いたくなる。一方、彼は孤独に弱いタイプでもあったようで、後半生の「崩れ」はそれに起因するようです。もともと「芸術家」ではなかったのかもしれない(時代も悪かったが)。『冷血』の題材に出会っていなければ、技巧的な作家、で終わっていたかもしれませんね。 こういう口語体ばかりの翻訳は、楽しさもあるでしょうがそれだけに「作りすぎ」になる危険もあり、翻訳者にとって難しいものでしょうね。野中さんの翻訳はそのあたり絶妙のバランスで節度とリズム感を保っている。 二つの文化? シマピー 投稿日:2006/09/09 02:45 紀子さんに男の子が生まれ・・・という言い方でいいのかどうか、マスコミ内ではまた悲喜劇的状況が見られましたよ。「親王さま、が正しいらしい」「親王殿下?」「新宮さま、というのもあるぞ」「どれも意味わかんね〜」「だって男子、じゃマズいだろう」「ご男子さま、ってのはどうだ?」「お男子、ってお団子かよ・・・」とか。 で、折も折り、今年の新聞協会賞は、日経の「昭和天皇がA級戦犯の靖国合祀に不快感、のメモ特報」に贈られましたね。それはそれでいいんだけど、今年の落首大賞というのがあれば、私は小谷野敦の次の作品に贈りたい。 「A級戦犯いけないと 言ったお方が一番の 戦犯だろうと言えなくて 今日も左翼はダメでした」 * さて、その小谷野さんも、坂東真砂子の猫殺し騒動に、「このペット気違いども」と冷水を浴びせていた。この騒動については東郷さんが今月のエッセーで書いてましたね。 私が思ったのは――坂東さんの、ああいう「文学的」文章というのが、そもそもネット住人たちにはもう受け入れられないのではないか、ということ。あの内容も、なんというか「文学的」なんだな。「文学脳」でブンガク的に考える人は彼女の思考を少なくとも理解できるでしょう。しかし、「ネット脳」には共感されない、と。小谷野さんの罵声もやはりブンガク的だから届かないでしょう。世界が違うんですよ、たぶん。かつてスノーが理系と文系の「二つの文化」と言ったのと同じようなことが、いま活字とネットのあいだに生じている気がするんですね。 実例。しょこたん、こと中川翔子ブログより 「イタタタタタ(゜∀゜)(゜∀゜)(゜∀゜)(゜∀゜)━━━━━━━━━━けど刺される瞬間のチクリとした感覚がギザコワタノシス(゜∀゜)(゜∀゜)(゜∀゜)(゜∀゜)━━━━━━━━ぶっとい注射しまんた。全身がかゆくなる蕁麻疹が沢山でてしまいまんた、ストレス性らしいお(・ω・;)(;・ω・)えっ(・ω・;)(;・ω・)蕁麻疹なんかなったことないのに、肌に細かいぶつぶつができてきもいお、キモス。」 こういう表現を見て活字側の人間が感じるのと同様の感覚を、ネット側の人間はブンガクの表現に感じるのではなかろうか。つまり、世界が違う、キモス、と。とはいえ、こっちの方が、今後新たな「文語」になっていく気がしまんた。しまいまんた。 今月のエッセイ 藤田真利子 投稿日:2006/11/03 17:42 いつも楽しみにしています。不気味なかぼちゃはドトールとはミスマッチですね。 佐藤さん、「八人のいとこ」読みましたよ。子どもの時なんで、覚えているのは、主人公がコルセットをやめてサッシュを胴に巻く一件(たしかこの本だったと)だけ。 東郷さん、前に訳した「青少年に有害」のなかで、アメリカでは中絶に罪悪感を感じさせるような教育がされていると書かれていました。そのくせ、避妊も教えないんだって。主流は純潔教育(禁欲教育)なんだそうです。 リエさん、青空ヨガは気持ちよさそうですね。 野中さん、そのカバー、やっぱりもとの方がマリー・アントワネットって感じですよね 白痴 藤田真利子 投稿日:2006/11/03 17:45 あれ、「白痴」のことを書くの忘れた。ドストエフスキーではこれが一番好きでしたが、中身はほとんど忘れてる。ということは、もう一度読んでも面白いってことですね。そのうち読もう。 エッセイ 東郷えりか 投稿日:2006/11/03 22:08 藤田さん コメントありがとうございます。エルパソのカトリックの高校に通っていたころ、宗教の時間に掻爬されてバラバラになった胎児の写真を見せられたことがあります。あの衝撃が私の人生を少なからず変えました。要は、倫理観と個人の選択のバランスが大事なんだろう、と思っています。 尚子さん うちも母方だけでいとこが10人いて、昔はお正月に親族が大集合していました。でも、お宅の仲のよさにはかないません。みなさまにどうぞよろしく! Sparks シマピー 投稿日:2006/10/22 22:35 「一生のお願い」というのを久しぶりにした。金曜の夜、前から催促していた原稿がやっと出来たとの連絡。普段なら何をおいても取りにいかねばならないのだが。作家が待っている。でも、今日だけは無理だ。 「すみません、すみません。行けないんですよ。どーしよう。今日これからスパークスのコンサートなんですよ〜。ずっと楽しみにしてたんです〜」 「……でも、この原稿、すぐ印刷所に入れないといけないんだよね」 「そーなんです。そーなんですけど……。これ逃すと一生後悔するような気がするんです〜。あした、休みの日ですけど、どこにでも取りにうかがいますから〜。それで間に合わせますから〜」 「わかった。しょーがないですね。それじゃ明日、都合つける」 「ありがとーございます〜。一生恩に着ます〜」 編集者20年以上やってるが、こういうことは初めてですから。 でも、スパークス、やっぱ行ってよかったですよ。 会場の渋谷のクラブは超満員。「キモノ・マイ・ハウス」をリアルタイムで聴いたのは−−私もそうだが−−もう40代後半でしょう。その世代もちらほらいたけど、若い人が多かったですね。スパークス、なんか若い世代に再評価されているようで、うれしいですね。われわれの世代の手柄のように感じるから。 「スパークスは政治的なバンドではないが、これは半分政治的な曲」というボーカルのラッセル・メイルの前ふりで始まった"Can I Invade Your Country?"がその日最高の出来でした。もちろん代表作"This Town"も最高に盛り上がった。パツキン美人ドラマーのタミーが直前に脱退して不参加だったのだけがおじさん的に残念でしたが。でもすばらしかった。もっともっと再評価されてほしいなあ、スパークス。 アバドのマラ7 シマピー 投稿日:2006/11/25 00:16 マーラーの交響曲中、7番「夜の歌」は私が大偏愛する曲。以前、2番「復活」で名演を見せたアバド&ルツェルン祝祭響のこの曲のDVDが出たのでさっそく視聴。 7番がなぜ好きか、って、楽しい曲だから。あんまり大作っぽく演奏されると、マーラーのくどさ、退屈さが出てしまう曲でもありますが。夜の歌、という感じがよく分かるんだなあ、夜になると興奮する私のような人間は。ワーグナー「トリスタン」の真逆にあるような夜。まあマーラーは妻のアルマに「夜はダメでした」と言われた男でしたが(ヤな女だ)、そっちの夜ではなく。深夜、男がひとり酔っ払って茶碗たたいての祝祭気分。 その気分がいちばん出ているのが第2楽章で、全マーラー中、最も幸福な音楽がこのなかにある。この楽章の出来で演奏を判断するわけですが、アバドはもうひとつかな。やっぱりバーンスタイン盤が最高なんだなあ。アバドの演奏は、老人性の遅滞は微塵もなく、その点は立派なのですが、例によって精緻にすぎて線が細い。バーンスタインの大きく翼を広げたような包容力がほしいところ。しかし、アバドの精緻主義はときに息を飲む美しさを奏でるのは確かで、楽章最後のピチカートで追い立てるようなあたり、いかにも名技的でさすがと言えます。 アバドのアプローチがいちばん成功しているのは終楽章でしょう。このバカバカしい音楽、重く演奏されるとナンダコレで終わりますが、アバドの室内楽的アプローチが功を奏し、ヘンデルのパロディからちんどん屋的狂騒に至る音楽のユーモアを見事に掬いだしています。演奏後の聴衆の熱狂ぶりもよくわかる。 私好みの美人、クラリネットのザビーネ・マイヤーさまの熱演をじっくり写している点でもうれしい一枚でした。 敬愛なるベートーヴェン シマピー 投稿日:2006/11/29 23:55 という変な日本語の邦題がついた映画の試写会に行ってきました。 原題はCopying Beethoven. 物語は第9の初演4日前から始まる。写譜屋の若い女(ダイアン・クルーガー)がベートーヴェン(エド・ハリス)のもとに派遣され、理解者としてベトの信頼を得る。そして、耳が聞こえないベトのために、第9の舞台でプロンプターよろしくキューを出す。最後はベト臨終の床に「大フーガが理解できました!」とかけつける、という話。もちろんそんな女は実在しない。フィクションです。 ベートーヴェンの伝記映画といえば、ゲイリー・オールドマン主演の「不滅の恋」というのがありましたね。最初の10分で観るのをやめた。ベートーヴェンは私にとっては神ですから。冒涜的な映画だ。宗教原理主義者の気持ちがよくわかりましたよ。 今度の映画はそれほど腹が立たなかった。一応まじめにつくってあるからね。でも、ストーリーで分かるとおり女向けの映画です。隣人の老婆が「ここにいればベートーヴェンの音楽が聴こえる。こんな幸運はない」と言う。いっぽう、写譜屋のボスの男は、ピアノソナタ32番を弾きながら「こんな売れない曲を書きやがって」と不平を鳴らす。女たちこそベートーヴェン晩年の理解者だった? そんなバカな。 今だってベトは女に人気がない。生まれてこのかた、ベートーヴェンがいちばん好きという女に会ったことがない(我々の世代、「グールドのバッハが最高!」という女には何人も会ったが)。ピアノ弾きでも、モーツアルトやショパンには女流のエキスパートがいるがベートーヴェンにはいない。CD屋のベートーヴェンコーナーでも女はほとんど見かけない。それが現実だもんなあ。 この映画で女のベートーヴェンファンがふえるならそれも結構だけど、望み薄でしょう。宣伝会社は「のだめ」ブームにひっかけて客を呼び込もうとしている。なぜか映画のパブリシストには女が多いが、「あんたらはベートーヴェンをわかっているのか」と問いただしたくなるね。原理主義者の反発を覚悟したほうがいい。 パンフレットを見ると、脚本家は「晩年のベートーヴェンにこんな女性がいたらよかった」という思いで書いたそうだ。なるほど、それならわかる。でも、いなかったし。今もいないし。ベートーヴェンは女に媚びた音楽を書いたとき成功しなかった(ピアノソナタ24番とか)。この映画もそうなるんじゃなかろうか。 敬愛なる リエ 投稿日:2006/12/02 23:58 シマピーさん やっぱり、このタイトル変ですよね。どうしてこういうのが堂々とつくかなあ、と思うものが多いんだけど、最近私のこういうつぶやきに「変だ!」と同調してくれる人がいなくなってしまったので、たくさんの人間が関わってこれにしようと決めたんだから、変と思うのは少数派なんだろうなと思います。広告の仕事をやっていると、クライアントが変なフレーズを「これがいい」と主張してそれを変えられないときが一番落ち込みます。 映画のことば ノナカ 投稿日:2006/12/03 10:41 私も「敬愛なる」は変だと思いました。 それだけで映画まで「敬遠」したくなっちゃいます。 でも、言葉は変化していくんでしょうね。 まあ、映画って変なところが多いですけど。 当然、この映画のベートーヴェンも英語をしゃべっているんでしょうね。ソフィア・コッポラの映画のマリー・アントワネットも英語でしゃべってました。フランス映画の『ブロンテ姉妹』のブロンテ姉妹がフランス語をしゃべるのは違和感ありすぎでしたが。 そんなことをいったら、日本のテレビでは、ジェームズ・ボンドもダーティ・ハリーも日本語ぺらぺらですもんね! 敬愛なる2 シマピー 投稿日:2006/12/04 22:31 この映画の宣伝会社の人に会ったのですが、「邦題がおかしい、ってそればっかり言われる」と困ってましたね。気の毒だからそれ以上は言いませんでした。邦題をつけたのは配給会社でしょうが、つけた人も頭を抱えているのでは。 本の場合でも、タイトル(と装丁)はいちばん文句を言われやすい。中身を知らなくても、誰でもケチをつけられるから。それだけに失敗できないのですが、私も今思うと赤面モノのタイトルをつけたことがあります。考えすぎてわけわかんなくなることってあるんですね。だから同情もします。ケチをつけられやすいからと安全策をとれば大胆なものができない、ということもある。 おかしい、とは誰でも言える。では、どうすればいいか、に答えられるのがプロってもんでしょうが、この映画のタイトルはたしかに難しい。原題どおりの「コピイング・ベートーヴェン」じゃなあ……意味わかんないし、と思ったんでしょうね。 「ベートーヴェン」は使わざるを得ない。そして、女がからむこと、を打ち出したい。男のベートーヴェンファンとともに、女の客を呼び込みたいのだから。 とすれば「愛」という語を使うのが手っ取り早い。「愛のベートーヴェン」? 誰も見に行かない。「尊敬する〜」、は内容と合っているけど、硬い。だから「敬愛」、と。そこで「敬愛する〜」にしておけば日本語として自然だったけど、やはり弱いですね。じゃあ、あえて変な日本語にして「敬愛なる〜」でどうだ、という風に決まった、わけじゃないでしょうねえ。 リエさんならどんなタイトルにしますかね。私が連想したのは、10年くらい前の映画「Surviving Picasso」。あの邦題は何だったかな、と調べると、そのまんま「サバイビング・ピカソ」でした。まあ「ピカソ」はまだ短いからよかった。そうねえ、私なら、「ベートーヴェン最後の女」なんてどう? 結局のところ出版は−−たぶん映画も広告もそうでしょうが−−結果オーライの世界ですから。当たればどんな変なタイトルだってよかったことになる。この映画だって、当たれば「変なタイトルだから印象に残った」と言われますよ。外れたら、「やっぱりタイトルが」……とはならないでしょう。たいがいは外れるのだから。外れたら次でガンバル。それがショービジネスの世界です、と、なんかこの邦題つけた人を慰めてるみたいだ(笑)。 カンボジアより シマピー 投稿日:2006/12/11 12:35 仕事でカンボジアに来ております。 日本は寒いでしょうがこちらは乾季で連日30度を超す晴天つづきです。 農業国カンボジアで最もありふれた風景は、日本のむかしの−−子供のころの記憶としてかすかにあるーー田園風景です。どこまでも平らな田んぼ。牛。カエルの大合唱。ちょうど稲刈りの時期だそう。 一方、アンコールワットのある観光地、シエラリープには新しいホテルが立ち並び、ほとんどラスベガスのような一角も出現しています。首都プノンペンでも新車がひしめいている。5年前に来た同行者に聞いても、急速な発展が見てとれるとのこと。屋台が並ぶ、いかにも東南アジア的な雑然とした町並みはイメージ通りですが、Googleの看板を掲げたネットカフェが随所にあり、電気屋のショーウインドーには大型TVがある。 われわれ取材班は、最貧に近い一帯の暮らしぶりも見てきました。ごみ拾いで家計を支えている子供たち、もの乞いでぎりぎり生きている老人たち。いまさら、東南アジアの貧困に驚くことも、あるいは「それでも健気に明るく生きている」と感激することも陳腐ですが。それでも、母親に捨てられたという、早朝からのごみ拾いで手足を真っ黒した少女が我々に可愛い笑顔を見せてくれたときは、思わず涙が出ました。官民の様々な援助の実績から、カンボジア人は日本人に好意的です。でも、子供たちは地図上で日本がどこにあるかは知らなかった。 ともあれ、仕事でもなければ、ここに来ることは一生なかったでしょう。いい体験ができました。食べ物もおいしい。ガイドブックに書いてあるようなこと(不衛生だから氷は使うな、生野菜は食うななど)は気にせず食べてますが、いまのところ幸い薬の世話にはなっていません。以上、ホテルでインターネットが使えることがわかったので、記念に投稿します。 ベートーヴェン リエ 投稿日:2006/12/15 11:52 久しぶりに読みにきたら、シマピーさんから宿題が。たしかに、文句をいうのは簡単だけど、タイトルをつけるのはむずかしいですね。いくつか考えてみました。 「ベートーヴェンとアンナ」 ちょっと意味深でしょ。ただ、アンナは架空の人物ということなので タイトルに名前を入れにくいかも。 「私が愛したベートーヴェン」 でも、音楽を愛しただけで、恋愛関係ではなかったのかな? 映画を見てないので。 「ベートーヴェンの女写譜師」 英語タイトルを生かしてみました。「の」にして特別な関係をにおわせてみた。しかし、写踏という字面が、色っぽくないですね。 >リエさん シマピー 投稿日:2006/12/21 23:43 宿題というわけではなかったのですが。 「私が愛したベートーヴェン」がいいですね。 ぼくもあとで「第九の女」というのを思いつきました・・・「大工の女」と聞こえるだろうな。 タイトル リエ 投稿日:2006/12/31 10:23 シマピーさん 「ヴェートーベンの耳になって」なんていうのも考えたんだけど、タイトルを付けた一は『愛」ではなく「敬愛」という感情にこだわりたかったのでしょうね。 ばたばたしているうちに大晦日。エッセイを書かせてもらったりここでおしゃべりしたら、1年間楽しませていただきました。皆様、来年もよろしくね。 明けましておめでとうございます リエ 投稿日:2007/01/01 09:42 皆様 明けましておめでとうございます。昨年はここでいろいろ楽しませていただきました。 今年もよろしく。 亀海昌次さん シマピー 投稿日:2007/02/02 01:44 亀海昌次さんのお通夜に行ってきました。まだ66歳なのに。惜しい方をなくしました。 雑誌「SPA!」「FLASH」などのアートディレクターとして、そしてたくさんのベストセラーの装丁家として、出版界に多大な功績を残したデザイナーでした。 私個人の記憶のなかでは、森瑤子の装丁家としての印象がまずありますね。森瑤子との共著もある。1980年代のバブル期、というと今では印象悪いですが、あの時期のキラキラした感じを象徴するデザインでした。森さんの死後も、女流作家ととくに相性のいい装丁家だったと思う。「メジャー感のある華やかさ」が欲しければ、編集者はまず亀海さんに頼ったのでした。 誰にも真似できなかったあの絢爛たる色彩感覚。個性的だったあの細い書体。どこか中東風でもあった。西洋風でも和風でもない。そこで、六本木、という場所ともイメージのなかで結びつく。亀海事務所は六本木にあって、私もよく通ったものでした。あのコスモポリタンで、かつ異国調のデザインは、六本木風とも言えるものでしたね。 杉浦康平や菊地信義、また戸田ツトムのような理論家ではなかったけれど、並みのデザイナーの思考を超える発想のもち主で、私も貴重なアドバイスをいくつももらいました。「アサヒグラフ」の仕事などをしていたこともあり、ジャーナリスティックなセンスがあった。そういえばいつだったか、お会いしたときにぷんぷん怒っていたことがあった。「おれに写真のことでアレコレ言うやつがいるんだ。おれにだぜ」とぶつぶつ言ってたなあ。でも、私のような(彼から見れば)若輩にもつねに優しかった。とくに親しいと言える間柄ではありませんでしたが、いつでも頼れる人、頼りがいのある人、と思っていた。 あの才能が失われたなんて本当に悲しい。ご冥福をお祈りします。 路上観察 リエ 投稿日:2007/02/10 18:57 毎回楽しみにしている他のみなさんのエッセイを読みに来ました。 路上観察のの左のペコちゃん、ちょっとこわいですが、ビンテージ・ペコちゃんでしょうか。銀座のソニービルの前の不二家も閉まったまんまで、悲しいです。 亀海さん リエ 投稿日:2007/02/10 19:01 シマピーさん 亀海さんは、ほんとうにたくさんの本を装丁したデザイナーでしたね。こういう巨星という感じの方が亡くなるのはほんとうに残念です。改めてデザインしたものの並ぶページを見て、すごいなと思いました。お話されたことは、大きな財産ですね。 エッセイ リエ 投稿日:2007/03/02 13:48 みなさんのエッセイを読みに来ました。 なんだかあっという間に3月になり、もう桜の話が出るようになってますねえ。 季節が季節通りじゃないといろいろ困ることもあるようですが、でも、春の来るのはうれしいわ。 エムちゃん リエ 投稿日:2007/03/04 23:35 邦子さん ついにブライスの写真が(^_^)。かわいいですね。なんでも、告白しちゃった方がらくですよ。 インドカレー伝 リエ 投稿日:2007/03/04 23:37 朝日に書評が載っていました。ふと見ると東郷さんの名前が。外でここのメンバーの名前をみると、なんかうれしくなります。 書評&人形 ET 投稿日:2007/03/17 16:54 リエさん 『インドカレー伝』の書評の件、ありがとうございます。身内に不幸があって忙しかったため、このページをのぞくのが遅くなりました。ごめんなさい。葬儀の席で、何十年もご無沙汰してしまった親戚からも、「書評読んだよ」と言われて、胸がつまりました。 娘が小さかったころは、私も人形の家をつくったり、お雛様をつくったりして、真剣に玩具職人でもなろうかと思ったほどですが、いまはもうさっぱり。ただでさえ目が疲れているのに、細かいものはもうダメです。 書評 リエ 投稿日:2007/04/04 15:05 東郷さん お父様の話、エッセイで読んで胸がつまりました。私も、父の病気や死を経験する過程で弟たちと頻繁に会うようになりました。それぞれ好き勝手に生きてきたのが、相手を思いやる余裕が出たということかもしれません。私は文章に書くことで少し心が落ち着いたような気がします。そんな効果が東郷さんにもあるといいのですけれど。 「インドカレー伝」はサライ4月5日号にも載っていましたよ。 お礼 ET 投稿日:2007/04/05 22:30 リエさん いつも温かいメールありがとうございます。 これからは毎年、桜を見るたびに、ああ、もう父は桜を見ることもないんだ、と思うかもしれませんね。父の死で、これまで蓋をしてきたものが一気に噴きでてしまったような気がします。お酒に逃げる人生は送りたくないですから、せめて書いたり、話をしたりしようかと。 サライでも載せてくださったんですね。とてもおもしろい本だったので、うれしいです。 スパムの本 リエ 投稿日:2007/05/08 22:33 エッセイを読みに来ました。 私はスパムがけっこう好きなので、この本はなかなか魅力的だと思いましたよ。 お茶 リエ 投稿日:2007/05/08 22:41 佐藤さんのエッセイを読んで、うちもほとんどお茶を買わなかったなと思いました。夫が静岡の掛川の出身だったので、新茶をはじめ、いろいろな機会にお茶をもらうことが多かったのですよ。3年前に夫が亡くなり、毎年送ってくれていた交流が途絶えたりして、初めて家はお茶に恵まれていたなと気づきました。私は毎日緑茶を飲む、という生活はしていませんが、たまーに店にお茶を買いに行くと、一抹の寂しさを感じます。 バレンボイムのベートーヴェン シマピー 投稿日:2007/05/08 23:23 バレンボイムのベートーヴェン・ピアノソナタDVD全集が突然発売されました。ピアニストとしてのバレンボイム。モーツアルト弾きとしては当代一ですがベートーヴェンはどうか? バレンボイムのベートーヴェンはそういえばちゃんと聴いたことがありませんでした。というわけでさっそく視聴。 ライブでの収録ですが、予想どおりのオーソドックな演奏。といっても、決してルーティンワークと感じさせないのがさすが。有名曲は何百回と弾いてきたでしょうが(なにしろキャリア50年)、ちゃんと「感動」がもれなくこもっている。3番や6番といった初期の地味な曲でもここぞというときに名技性を発揮して見せ場をつくる。初期の曲では特に、よく回る指がモーツアルト的な愉悦感をかもしだす。いっぽう、「熱情」のような曲ではミスタッチも恐れずそれこそ熱情的に弾く。なにしろ隙がない。どこを切っても「音楽的」。どこからみても最高水準で模範的な演奏です。 バレンボイムはサイードとの対談で、「音楽というのはひとときの感情体験の後に跡形もなく消える。人の一生のようで、そこが共感を呼ぶ」というようなことを言ってましたね。たしかにバレンボイムは一曲一曲を「人生」のように聞かせる。そう聞かせようとしているのを感じます。だから、模範的であっても、同時に、面白い。ときに類型的な表情を感じさせるにせよ、決して「冷たい」演奏をしないのが彼の個性でしょう。 それが分かるのが16番の演奏。下手に弾くととりとめのない印象になる曲ですが、バレンボイムはこの曲を、ダイナミクスの幅の誇張によって滑稽味を表す、一種の喜劇として演奏する。曲が終わった瞬間、バレンボイムは思わず笑顔を見せ、客席からは拍手より前に笑い声が起きる。「バレンボイムのベートーヴェン」の最高の瞬間で、その場をあまさず目撃できるのがDVDの有難さです。 こんにちは リエ 投稿日:2007/06/02 23:09 みなさん、こんにちわ エッセイを読みにきました。東郷さんの話を読んで、これが調べ物の楽しみよね、と思いました。私がファンのデニスの名前が出て来てうれしかった(^_^)。アメリカで格闘技に出るらしいんだけど、イメージがこわれるといやだなあと思っているところです。 邦子さん、 私も昔勤めていた会社の創刊号の宣伝でティッシュを配りました。あんまり上手ななかったな、私は。でも、ティッシュはもらってもらえます。息子はバイト先の洋服屋や飲み屋のちらしを配るそうですが、けっこう上手だと言っていました。やっているうちにいろいろ会得するのでしょうね。 1.E.T. 投稿日:2007/06/07 17:25 ようやく、ひと段落着きました。といっても、ほんのつかの間ですが。 >私がファンのデニスの名前が出て来てうれしかった(^_^)。アメリカで格闘技に出るらしいんだけど、イメージがこわれるといやだなあと思っているところです。 ロッドマンのファンなんですね……スキャンダルばかりでも、どこか憎めない人なんでしょうかね。 タイでも、黒いもち米を食べるんですよ。貧しい地方の人が力をつけるために好んで食べる、と聞きました。竹のなかに入れて、ココナッツ味で蒸してあるのを、よく買いました。 カート・ヴォネガット リエ 投稿日:2007/05/08 22:37 塩原さん カート・ヴォネガット、一時集中して読んでいた時期がありました。亡くなったとは知らなかったです。なんか、ひょうひょうとしたイメージのある作家だったけれど。好きな作家が亡くなるのは悲しいけれど、作品が残るというのは、遺された人間には慰めですね。 1.shiobara michio 投稿日:2007/08/04 00:48 リエさん、 すいません三ヶ月も遅れたレスで。。。許してください。 >亡くなったとは知らなかったです。 そうなんですよ!私もうっかりしてたら知らなかったと思います。ベルイマンも阿久悠も亡くなっちゃったし、最近、淋しいニューズが多いです><。 雨 リエ 投稿日:2007/07/08 15:38 一ヶ月は早いですね。また、新しいエッセイを読みに来ました。早い夏休みを取って、1週間一人でパリに行ってきました。雨が好きと書いたせいか、パリでもけっこう雨に遭いました。東京も雨が多かったとか。 塩原さん、私も夫の遺骨を置く場所をなんとなく探しています。私はずっとそばに置いておいて満足なのですが、私が死んだ後に二人の遺骨の置き場所がないと息子がめんどうだろうと思って。探すとなかなかぴんと来る場所がありません。龍安寺のお庭は私も行きましたが、お父さんはいい場所を選んだと思います。 1.shiobara michio 投稿日:2007/08/04 01:01 これまた一ヵ月遅れのレスで……ほんとすいません。 >竜安寺…… ありがとうございます。子供としても、いいところ選んでくれたと思ってます。うちには子供がいないのでホントに自分でなんとかしなきゃ、です。甥っ子に面倒かけるわけにもいかんし。 雨の季節も終わっちゃいましたね。 私も少々の雨なら傘なしで出かけちゃいます。ゴアテックスの合羽はおって。自由人ぽくてカッコいい(つもり)。 エッセイ 江崎リエ 投稿日:2007/08/03 10:55 こんにちは、暑いですね。また皆さんのエッセイを読ませていただきました。これが楽しみ(^_^)。 邦子さん、アドバルーンって、ひもにつながっているやつはその下で見張っている人が必要で、私が学生時代はそういうバイトがありました(今は知らないけど)。デパートの屋上などで、ただ常駐するというやつ。 空を飛んでる飛行船アドは、ラジコン制御のようです。 http://www.makesnet.com/top_page/okugai_top/index.html コレは見るとわくわくしますね。 1.shiobara michio 投稿日:2007/08/04 01:11 新掲示板、おめでとうございます、ってヘンかな…。 切り替えお疲れさまでした>野中さん。 ニフティもころころサービス変わりますねぇ……。 リエさん、パリにいらしたんですね。いいなあ。 わたし長らくパスポート使ってない。もう期限切れてるかも。机の前でだけは、チベットだのロシアだのロンドンだのと世界旅行なんですけどねえ。 フルーツ リエ 投稿日:2007/11/07 21:52 こんにちわ みなさんのエッセイを楽しませていただきました。 フルーツ、おいしそう(^_^)。私はずっと貧乏所帯だったので、花とフルーツがなかなか買えませんでした。なので、この二つが家にあると豊かさを感じます。スーパーで4つ入りのりんごパックなどを買うとなかなか一人では食べきれないのですが、それでもごろんとテーブルにおいておくのが好きです。 なんて言えばいいのかな? せいじ 投稿日:2007/10/17 23:16 はじめまして?、東郷さん元気そうでなによりです。 エッセイ読みました。小学校の話や巨大団地の話幼少の頃の話、心に突き刺さった気がします。なぜなら、多分私はあなたの同級生でクラスメートだからです。それより驚いたのは、東郷さんが翻訳家で活躍されている方が最も驚いたことかもしれません。これからも、がんばってお仕事に励んでください。機会があれば訳された本も読みたいと思いますが、私は、エッセイを楽しみに必ず読みますから書き続けていただければ本として出版していただければと思いました。今から三十数年前の友より。多分皆見ていると思いますよ。とりあえず・・・著者への刺激。刺激を与えればいい作品を出していただければいいのにな〜がんばれ!!!!! 1.ET 投稿日:2007/10/20 15:38 せいじさま いやあ、覚えていてくださって感激です。お元気でしたか? もう長年、貧乏暇なしで、一瞬たりとも休めない一輪車操業の日々がつづいているので、船橋にもなかなか帰れなかったんですが、巨大な工事現場と化してしまったふるさとを見て、切なかったです。壁伝いに歩きながら、あそこはあの子の家だったなとか、ここでよく泥警や缶蹴りしたなとか、いろいろ思いだしました。いまから思うと、子供時代は本当に悩みもなく、ひたすら遊んでいたような気がしませんか? いまは毎日、単調な日々を過ごしているので、あまり楽しい話題もご提供できませんが、またお時間のあるときにでも、のぞきにいらしてください。訳書も読んでみてね! 2.せいじ 投稿日:2007/10/27 15:00 東郷さん、コメント有り難うございます。 そういえば私は誰か思い出せないと思うので、正体を話しますと小学校2・3年生同じクラスで、3年生の時転校していった生徒です。小学校2年生の時、クラスの集合写真をプレハブの教室の横で撮影したのですが、その写真があれば一番前の右から10番目の足を抱え髪の毛を少し横に流している変な生徒が私です。(目立ちたかった。) そして、私がここに書き込んだ理由は、エッセイのその58で、誰も私のことなど思い出しもしないと考えるのは、ちょっぴり寂しい。との言葉が気になって投稿しました。また、偶然にも私は今、茅ヶ崎に住んでいるからです。 話は変わりますが、最近仕事が早く終わると書店で、東郷さんの訳された本を選んでいるところです。(私でも読めそうなものを)おすすめの本があれば教えて下さい。 読み終えたら感想文でも書き込めたらいいのですが、期待せずに待っていて下さい。それではまた... 3.ET 投稿日:2007/10/31 22:38 >>2 せいじさま 小学校2・3年……うわっ、降参です。2年のときの学校の写真なんて、うちに残っているのは2枚しかありません。百虎隊をやったときのものと、遠足の写真。 茅ヶ崎だったら、結構近いですね! 今度の日曜日、大磯の宿場祭りで「こまたん」のお店の手伝いのようなことをするんですが、もし気が向いたら遊びにきてください。 訳書を読んでくださるんですか! 『インドカレー伝』なら、わりと気軽に読めると思います。個人的に思い入れがあるのは、今回の『巨大建築』の本ですが、なんとも分厚いから、定年後の楽しみにでも……。 5.せいじ 投稿日:2007/11/21 00:29 「インドカレー伝」を読みました。 訳者の言われたとおり割と読みやすい本だと感じました。 様々な食のレシピも多く掲載されていることから読まれた多くの読者は、お腹が空いたりしてスパイスの効いた物を食べながら読んだり、アッサムティーを飲みながら読んだりと想像させられます。事実私もそうしていたから。 また、インドが何故、今日世界で第一位のアッサムティー生産国であることなど書かれたりして、単にカレーだけを書いた本ではなくインド料理全体の食文化を書いたものである。 気軽に楽しい本であることは、書かれているレシピが案外 簡単に書かれているように思うからかもしれない。 かつて、私は英会話をイギリスからの留学生に教えていただいたことがある。夏の暑い日に不慣れな私にアイスティーをご馳走してくれた。私はこの時からアイスティーが好きになったのだが、その時に飲んだアイスティより美味しいアイスティーにはまだ会っていない。こんなことまで、思い出させてくれた本でもある。どちらにしても歴史書としても楽しめる本である。 多分私はまた読み返すと思います。あのレシピの中の一つでも作ってみたいからである。 最後に、この本のお陰で三十数年前のクラスメートに連絡が取れたことは、驚きと喜びであった。 それほどまでパワーを持ったインドカレーは、スパイスの効いた熱い食であることを知ったのは私だけではないように思う。 読んでいない方は、一度ご賞味してはどうかとも思う。 久しぶりの読書であった。知らぬうちに季節は、秋から冬に季節は変わっていた。 楽しい本を紹介していただいてありがとうございました。 それではまた・・・・・(・は5個意味は今考えている。) 6.ET 投稿日:2007/11/27 17:36 >>5 『インドカレー伝』もう読んでくださったんですね。どうもありがとうございました。楽しんでいただけて何よりです。インドの料理も根底に医食同源の考え方があるから、何かと参考になるものがあったのでは? いまは日本にいても結構、いろんな食材が手に入るので、ぜひ試してみてください。私はこの仕事中、イドリー蒸し器を買ってみようかと、本気で悩んでいました。食パンをくりぬいてカレーを入れる南アのバニー・チャウなら、簡単にできますよ。30数年ぶりに再会できたのも、カレーのおかげ、となると、やはりこの本に出合えたことを感謝しなければ。 バングラデシュはいま悲惨な状態のようですね。いまも昔も変わらず貧しいこの地域。つくづく世の中は不公平にできていると思います。 月下美人 江崎リエ 投稿日:2007/10/04 23:13 エッセイを読みに来ました(^_^)。先月はちょっと書き込みのタイミングを逃したのですが、ちゃんと読んでます。 月下美人、私のパソコンでは右にずれて見えるのですが、それは家のパソコンのせいかな? 白い月下美人はりりしいですね。これが咲く所を見られるのはぜいたくだなと思いました。 ところでさん喬さんのファンですか? 好きな噺家さんの一人なので、名前を見てちょっと喜びました。 12月ですね 江崎リエ 投稿日:2007/12/04 23:14 こんにちは。また読みに来ました.早いですね、もう12月。ここに書かせてもらっていると、月1回自分の見直しが出来る気がします。ありがとうございます。 みなさんのエッセイを読むのも愉しみです。東郷さん、ビーズ鳥、きれいですね。私も一時ビーズ織りに挑戦しかけたことがあるのですが、あまりに目が疲れるのでやめました(^_^)。ビーズはあの独特の重みが好きです。 1.ET 投稿日:2007/12/06 09:48 リエさん 新しい訳書の刊行おめでとうございます。うちの姪が読んだら、狂喜しそうな本ですね。うちはもっぱら安い板チョコです。最近のヒットは明治のリッチストロベリーチョコ。 リエさんも確か、鳥がお好きなんですよね? ただでさえこんなに目を酷使しているのに、なぜまた、と自分でも思います。趣味が掃除とかだったら、よかったんですが……。ビーズ織りはやったことがありませんが、昔プチポワンに挑戦して懲りたので、たぶん私には無理ですね。新しいデザインを考えるのが好きで、実はすごく飽きっぽいので。 2.リエ エザキ 投稿日:2007/12/09 00:01 私も山ほど書いて肩が凝ったといいつつ、息抜きに刺繍と編み物をやると、家族に、そんなんじゃ休憩にならないだろ、と文句を言われてました。気分転換にはなるけど、目が疲れるのは同じなんですよね。 今年もよろしく 江崎リエ 投稿日:2008/01/01 15:05 皆様、明けましておめでとうございます。 今年もどうぞよろしく。 毎月エッセイを書いて、皆さんのを読むのがたのしみです。一つ書き込んで、私もファンだったベジャールの話とか、皆さんのエッセイに触発された話など、続きを書こうと思っているうちに1カ月が経ってしまいます(^_^)。 今年は、感じた事をスピーディーに書きたいと思いますが、どうなりますか。相変わらずのペースかもしれませんが、また楽しませてくださいね。 本の感想です ぱんだ 投稿日:2008/01/03 12:34 琥珀色の日々という本を読みました。 心理的なお話のようで、ちょっと考えさせられる内容でした。短編だから皆さんにもお勧めです。 お正月のエッセイ 江崎リエ 投稿日:2008/01/14 08:47 みなさん、こんにちは。 今年はエッセイを読んで思った事を書きたいと思います。 東郷さん、戦地を体験した父は「人間は、どう人とつながっても最終的には孤独だし、必ず死ぬ」と子供達に繰り返し言っていました。だからしっかり生きろと言うことだったのでしょうが、子供の私にはけっこうきつかったな。年を取り、親や夫を亡くしてみると、それがあたりまえに思えますけれど。 佐藤さん、私は五年連用日記をつけてます。今年が3年め。疲れすぎて風邪を引いた日などが毎年同じだったりして、なかなかおもしろいですよ。 塩原さんのお正月は、正しい日本のお正月という感じですね(^_^)。今年は散歩がてら近くの神社に行きましたが、家族もカップルも「お正月なんだから機嫌良くいよう」という心配りが感じられて、なかなかいいなと思いました。 邦子さんは漫画をずいぶん読んでますね。私はずいぶん前で止まっている。最近「のだめ」の再放送を見たばかりですが、漫画は読んでないし。ゆりさんの写真もいつも楽しんでます。ねずみが、独特の魅力(^_^)。ウチはまだ、今年のねずみを見つけていません。探さなくちゃ。 1.ET 投稿日:2008/01/16 17:49 リエさん 本年もどうぞよろしくお願いします。 不思議ですね。先日、夜空の下を歩きながら同じことを考えました。リエさんや野中先生みたいに、たくましく生きられるようになるといいんですが。 リエさんのエッセイを読んで、学生時代にフランスを貧乏旅行したとき、友達のご両親に豪勢なレストランでご馳走してもらって、たらふく食べたあとにチーズとデザートがでてきて、もう入らないと思いつつ食べたときのことを思いだしました。 尚子さん 山月記、うちの娘も高校時代にえらく気に入って読んでいましたよ。臆病な自尊心と尊大な羞恥心。なんだか、あの佐世保のスポーツクラブの事件を思いだします。 こんにちは 江崎リエ 投稿日:2008/02/03 09:21 こんにちは。窓を開けたらなんと雪。天気予報をあまり見ないので、知りませんでした。うれしい驚きです(^_^) 東郷さん お嬢さんの成人式、おめでとうございます。きれいな着物姿の写真がすてき。20才になったからといって急に大人になるわけでもないけれど、親は、ひとつ節目を超えた気がして安心しませんか? 新宿や銀座ではチョコレート商戦たけなわで、豆まきなど忘れられていますが、近所を歩けばスーパーやコンビニで豆や鬼の面(豆のおまけ)を見ます。家で豆まきをやる家庭も多い(特に子供がいる家は)のでしょうね。 1.ノナカ 投稿日:2008/02/03 17:08 リエさん、いつも感想をありがとう。 毎月のエッセイはネタ切れになってしまうこともあります。最近息切れ状態です。 雪で寒いですね。 リエさんへ ET 投稿日:2008/02/05 08:02 リエさんにコメント返そうと思ったら、不適切な内容との表示がでて書き込めませんでした。別に変なこと書いていなかったのに……? こちらで試してみます。 成人したからと言ってすぐに放りだすわけにもいきませんが、これからは子供中心だった生活の優先順位を変えいきたいと思っています。 豆料理、私も大好きです。でも、うちは手抜きで圧力鍋を使っています。これならお手軽ですよ。 こうもり 江崎リエ 投稿日:2008/03/04 17:49 東郷さん、こんにちは。コウモリの絵、かわいいですね。コウモリ通信の名前のいわれも奥が深い。100回もおめでとうございます。また、文章と絵を見るのを楽しみにしています。 映画 江崎リエ 投稿日:2008/03/05 22:40 佐藤さんの映画と原作の話、フラストレーションがわかる気がします。この話を映画にしたい、お金が掛かってるんだから映画を売りたい、金儲けをしたい、いろいろな思惑がからみ、いろいろねじれて、その結果なのでしょうね。映画もよかった、原作はずいぶん違っていたけど、それもよかった、というのが理想なんだろうなと思います。私はときどき映画のノベライズをしますが、脚本は深いのに、映画にすると浅薄になっている例を見ます。ただ、映像で観客をひきつけておくには、この割愛はしょうがないかなと思うことが多いですね。 しかめつら 江崎リエ 投稿日:2008/03/08 23:10 邦子さん 『全部フィデルのせい」は、私もおもしろそうだなと思ってました。 マトリョーシカは、しかめっ面だと思っていた(^_^)。エッセイを読んで見直したら、前髪に見えましたけれど。 こんにちわ(^_^) リエ 投稿日:2008/05/05 22:38 エッセイを読みに来ました。連休を楽しまれているのでしょうか、本数が少ないのがちょっと残念です。 私は最近は暗い話はだめです。だからって、明るいのがいいかというと、そうでもないけど。たわいのない話かマニアックな話がいいかも。 子供の遊び 江崎リエ 投稿日:2008/06/08 21:26 また読みに来ました。一ヶ月は早いです。 東郷さん、うちは男の子だったので、セイント聖矢とその仲間達の髪飾りやら杖やら武器を段ボールで作ってやってました。買ってやるお金がなかったので、それでごまかしていた。人形などは祖父母が買ってくれていましたが。 佐藤さん 子供のころを思い出しました。私は仲良しの女の子と一緒に紙の人形を作って、着せ替えの服も別に紙で作って、二人で着替えさせていました。60年代なので、人形を買ってもらえる余裕は無かったのだと思います。きいちのぬりえもやりました。 邦子さん どらえもんパン、かわしい。読みに来て最初に見てにっこりしてしまいました。狸、亀、ハリネズミなどの動物のパン、今でも見るとほしくなります。 ヒビノアワ シオバラミチオ 投稿日:2008/07/15 11:54 先月末から私的に忙しく、またまた今月のコーナーをサボってしまいました……すみません。 なので、こちらに近況報告など。 先月はローランギャロスとユーロとウィンブルドンで、まるっきりヨーロッパ時間の生活となっておりました。 終わってみれば、今年はスペインイヤー。 正直スペインのナショナルチームが最後まで勝ちぬけられるとは思っていなかったんですが、すばらしい、おめでとう! そしてラファエル・ナダル、凄すぎるぞ! パリでの圧勝、ロンドンでの死闘――この時代に生きててよかったと思えるものを見せていただきました。 そして日本時間に戻ってきた私。 いまさらながら「ちりとてちん」のDVDを見ています。 副都心線はアート路線? 江崎リエ 投稿日:2008/07/07 14:08 副都心線渋谷駅は安藤忠夫のデザイン、副都心線の新宿三丁目の地下道には山本容子のディスプレイがあり、明治神宮駅のどこかには野見山暁治の絵がステンドグラスなったのがあるそうです。 と書きながらネットをしらべて、以下のサイトを見つけました。 アートの紹介があります。 http://bluediary2.jugem.jp/?eid=1425 1.ノナカ 投稿日:2008/07/07 19:32 教えてもらったブログ見てきました。いちいち電車を降りて見てまわるのは大変そうですね。一日乗り放題切符を使うにしても地下が深いから。鬼子母神に行ったことがないので、行ってみたいと思うけど、なんの用もないと、なかなか行かれませんね。リエさんのエッセイにつられてソフトクリームを食べましたが、片手でもって、片手でデジカメを操るのは難しく、うまく撮れませんでした。 2.リエ 投稿日:2008/07/13 23:42 ついでにアートを見るのはいいけど、わざわざいくのは大変そう。それに、昼間は7〜10分に1本くらいです、これが意外に長く感じる。他の路線に慣れちゃってるからね。 東郷さんの落ち梅は魅力的。梅干しを作る時は、ちゃんと熟して落ちた梅を使うのがいちばんおいしいと祖母が言ってました。 3.シオバラミチオ 投稿日:2008/07/15 12:08 副都心線開通で大いに恩恵を受けている氷川台在住のシオバラです。鬼子母神、雑司が谷霊園など、都の西北にもマイナーながら味わいのある見どころがございます。このあたりからぶらぶら散歩して椿山荘の庭園に行きフォーシーズンズホテルでアフタヌーンティー、などもよろしいかと。今の季節はつらいですけどね。 アジサイといえばブルーやピンク、でしたが、最近は白いアジサイが人気なのだそうですね。清楚できれいです。 ソフトクリームは私も中高時代、よく池袋の地下で食べました。友人の中には「同じ値段だったらサンテオレのコロッケバーガーのほうがいい」と言っていた輩もいましたが……。 感想 ノナカ 投稿日:2008/06/08 23:12 リエさん、いつも感想ありがとう。『27のドレス』を読みました。面白かったです。映画も見たいなと思いました。ブライズメイドの服って、誰がお金を出すんでしょうか。自前なのかな。使いまわしがきかなさそうなドレスばかりで、もったいないかも。 そういえば、『百枚のきもの』という絵本がありましたね。女の子が着たいドレスの絵を百枚描くという話で、佐藤さんの今月のエッセイにも共通します。 塩原さんの四国4県旅行もいいですね。私は日本の県のなかで、愛媛だけ行ったことがないんです。讃岐うどんは地元で食べるとすごく美味しい。 東郷さんも佐藤さんも私も絵を描き、リエさんも消しゴム版画や手芸をして、牧人舎関係はアート好きが多いのかな。 1.ノナカ 投稿日:2008/06/28 19:20 まちがえちゃった。愛媛は道後温泉があるところですよね。じゃ、行ったことがある。行ったことがないのは、阿波踊りの徳島でした。どうでもいいけどね。いちおう訂正。 2.シオバラミチオ 投稿日:2008/07/15 12:17 >>1 徳島県鳴門市には、こんな変り種美術館もございます。 http://www.o-museum.or.jp/japanese/information/01.html あまりの規模のでかさに今回は鑑賞を断念しましたが、いつか行ってみたい。大阪や神戸から淡路島経由のバスを使えば気軽に行けそうです。 また、読みに来ました 江崎リエ 投稿日:2008/08/05 00:29 こんにちは。また読みに来ました。 東郷さん、黒曜石からラピスラズリまでって、ガラス玉じゃないきれいなビーズを持っているのですね。どんどん、作品作ってください。なんでもやらなきゃ始まりません。 佐藤さんの星野ジャパンの話は、長い分思いが伝わりました。 ブックジャケットは、男のこういう横顔をあまりたくさん見たことが無かったので、なかなか新鮮でした(^_^)。こういう顔が見られる関係はどこまで、などということも考えました。 1.ET 投稿日:2008/08/09 21:50 リエさんのよいコメントをいただいたおかげで、発想が広がりました。本当にありがとうございます。天然石はかならずしもきれいなものばかりでありませんが、そこがまたいいんです。地味な石ほど、探すのに苦労しますが。 この前、東京ビッグサイトののこぎりのオブジェを見たら、あの展示場ができてすぐに視察に行ったときのことが、鮮明に思いだされました。屋外彫刻とかインスタレーションは、ときどき理解に苦しむものもありますけれどね。錆びているなあ、とか思ってしまったり。 お誕生日おめでとう リエ 投稿日:2008/09/04 15:44 佐藤さん、お誕生日おめでとうございます。 きれいな言葉を使う決心は大事ですね。 私は男兄弟の中で育ったので、汚い言葉を使おうと思うとけっこう得意で、 最初のうちは夫に驚かれてました。祖母に女の子らしい言葉を使えと言われていた反発もあり(ウーマンリブ世代なので)。夫の手前もあり、息子の教育上もよくないし、ヨガの教えもあり、で、なるべくちゃんとした言葉を使うように心がけてます。会社の同僚の女性が30過ぎて「飯、食う?」などと言うのは聞き苦しいと思うし。といっても「私は育ちがいいんです」と宣伝しているようなお嬢さん風の言い回しも嫌いだし、自分に合った言葉遣いを選ぶのは難しいです。 漫画雑誌 リエ 投稿日:2008/09/07 21:16 邦子さん トマト料理、豪華ですね。トマトのジャムまであるとはびっくり。 デパートにいくといろいろな種類のトマトを見ますが、高いので 買いません。お弁当の彩りにプチトマトを入れるけど、特別好きじゃ ないし。こんなレストランに行ったら、トマトのイメージが変わりそう。 月刊コーラスって、コーラス専門誌?と一瞬思いました。漫画雑誌なんですね。小学生のころはマーガレットと少女フレンドを読み、弟達とサンデー、マガジンを読み、夫と一緒にビッグコミック、息子とはコロコロ、このへんで止まってます(^_^)。 山歩き リエ 投稿日:2008/09/04 15:35 9月になりました。秋ですね(^_^) 東郷さん、過酷な山歩きにどきどきしました。私はこういうつらいのはだめなので心配しましたが。山歩きが好きな人たちは、この辛さもまた楽しみのひとつなのでしょうね。山の写真もとてもきれいだし。 1.ET 投稿日:2008/09/08 22:24 リエさん、 おっしゃるとおり、本当になぜ好き好んで辛い思いをしに行くんでしょうね? 生きている実感を味わうため? 熊谷守一の作品はすてきですね。リエさんのエッセイで、祖父の晩年に散歩に付き添ったときのことを思いだしました。公園のベンチに座ってステッキで蟻をつぶそうと、不自由な手で懸命になっていたんです。いま思えば、童心に返っていたのかもしれないですね。 今月も 江崎リエ 投稿日:2008/11/03 10:13 今月も読みに来ました。先月も読んでいたのですが、書き込みのタイミングを逸しました。 塩原さん、私の会社でも、最近テレビを買い替えた人が3人います。みな、すごく満足げ(^_^)。うちはこわれるまでは今のを使いますが。 東郷さんの写真、いいですね。フリーで今まで仕事の切れ目がなかったというのもすごいと思いました。「奥山の」の句、下を忘れてネットで調べました。そもそも、百人一首にも強くないのだけれど。 「声きくときぞ 秋はかなしき」 1.ET 投稿日:2008/11/04 08:09 リエさん いつもコメントありがとうございます。 写真は娘が撮影したものです。それこそ、「紅葉の錦 神のまにまに」という感じで、よかったですよ! 「奥山に」は、娘が小学校のころに覚えた最初の歌で、この札だけはいつも死守するお気に入りでした。 仕事が途切れたら、督促状の山に埋もれるのが目に見えているので、いつも二足も三足もわらじを履いているだけですよ。そろそろ、体力も限界ですが。 リエさんのエッセイは耳が痛かったです。うちも忙しいときはいつもカボチャの煮物を弁当に詰めていて、不評なので。余裕があるときは、ポタージュにしたり、サモサにしたりするんですけれどね。昔はジャック・オー・ランタンをつくって、くりぬいた中身でパンプキンパイを焼きましたが、いまはさっぱり。 11月更新しました ノナカ 投稿日:2008/11/04 23:43 更新と同時に連載エッセイのバックナンバーもまとめるのですが、もう今年もあと一回で終わりになるんですね。時間のたつのがはやくて、びっくり。 リエさん、いつも感想ありがとう。私はカボチャ大好きです。おイモも好き。タコは若いころはあまり好きじゃなかったけど、最近はとても好きになりました。 なりさちゃんの撮影ですか。初秋の山の写真、ほんとうにきれいです。空気のひんやりした感じまで伝わってきます。 佐藤さんの日本シリーズ予想は当たるでしょうか。今日現在、巨人の二勝一敗ですけど。 テレビ番組がハードディスクに録画できるのって便利そうですね。最近、テレビドラマをよく観ています。「風のガーデン」「流星の絆」「イノセント・ラブ」などを楽しみにしています。あと、ドラマじゃないけど、NHKの「英語でしゃべらナイト」が好き。 1.ノナカ 投稿日:2008/11/09 23:27 佐藤さんの予想、当たりましたね。日本シリーズは西武が勝ち。 サンタクロース エザキリエ 投稿日:2008/12/12 14:08 佐藤さん こんにちは。 更新してすぐに読んだのですが、何か書こうと思っているウチに今日になりました。そろそろ忘年会のシーズンです。みなさんに1年間エッセイを楽しませていただきました。ありがとう。書くのも楽しかったし。 佐藤さん 私はサンタクロースをなんとなく信じていました。5歳くらいまでかな。 私の時代のクリスマスは、戦争が終わって世の中が変わった喜びに満ちていた 時期だと思うので、父親がいばっていない家族の楽しそうな習慣のまねっ こというイメージ。 ウチでは「ツリーとサンタとケーキ(もしくはごちそう)」 セットのイベントでした。サンタさんはプレゼントをくれる特別なおじさん。 となかいに乗って、とか、細部のストーリーには無関心でした。 昔からのクリスチャンには苦々しい現象なのでしょうが、宗教色のない お祭りにしなかったら、日本人皆で楽しめなかったし、 敗戦後のつらい時だから明るいイベントに飛びついたのではないかと思います。 今年もよろしく 江崎リエ 投稿日:2009/01/07 23:01 おめでとうございます。皆様今年もよろしく。 また、読みに来ました。佐藤さん、百人一首、覚えたのですね。私は知っているのが10くらいだと思います。小学校時代、友人の家にお正月に行くと百人一首でかるた取りをしてました。ここに入れてもらったのが百人一首との出会いです。 東郷さん、私も最近は富士山がいいなと思います。見ようとしなければ、見えない。なんでもそうですね。 邦子さんの花のアレンジ、ステキですね。滝澤さんは会期中にもう一度お話会のようなものをやったのですが、その時は息子の掌が歌わせてもらいました。とてもいい会だった、と掌も喜んでいました。 がめ煮の写真、つけてくれてありがとう。 また1年、ここで書くのも読むのも楽しませてもらいます。 1.ノナカ 投稿日:2009/01/08 07:36 リエさん、今年もどうぞよろしく。いつも感想ありがとう。 注釈)ガメ煮の写真は江崎さんちのおせちではありません。ガメ煮というより、普通のお煮しめですね。彩りに添えてみました。 写真の指定がないときは、こちらで勝手につけてしまいます。 2.ET 投稿日:2009/01/12 21:21 >>1 リエさん 遅くなりましたが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。 私は三度も富士山に登った大バカなので、富士山を見つけるとなんだかうれしくなります。 鶏の金冠ってなんだろ?と思って、あれこれ検索してみて納得。そう言えば、肉売り場で見かけますね。あれ、卵の前身なんですね。煮物にして食べるんですか。あまり怖そうでなければ、今度、試してみます。 ひなまつり 江崎リエ 投稿日:2009/02/09 23:02 こんにちわ。また読みに来ました。 東郷さんのひな人形、かわいい。お嬢さんもかわいい(^_^)。 私は弟二人がいて、家族も夫の息子だったので、ひな人形とは縁遠いのですが、豆びな二人を持っていて、毎年それを玄関に飾ります。女の子の多い家で豪華にひな人形を飾ってもらうのは、ちょっと特別な気分だろうなと思います。 ひょうたん八重作陶展は私も楽しませていただきました。最後にもらったお皿は、香立ての受け皿になっております。 1.ET 投稿日:2009/02/15 19:29 リエさん、こんばんは。 いつもコメントありがとうございます。 やはりこの年齢になると、飾るのが億劫でないお雛さまがいいですね! ホームレスのお話、私も同感です。私は10年ちょっと秋葉原で勤めていたので、大きなリヤカーにダンボールを積んで歩くおじさんたちがあちこちにいました。私も社会の底辺をさまよっているけれど、住む家と健康と、少しばかりの現金があるうちは、まだ恵まれているんだなと思います。 こんにちは 江崎リエ 投稿日:2009/04/09 23:58 先月書き込まないうちに4月になってしまいましたが、先月の話も 楽しませていただきました。 なりさちゃんの個展、楽しみです。ビーズ細工も見てみたい(^_^) 今回は、別に書こうと思いついたことがあったのですが、メモし忘れたら どうしても思い出せないので、チューリップの話になりました。 1.ET 投稿日:2009/04/13 12:08 リエさん、こんにちは。 慣れない展覧会の準備で、うちはいま倉庫のなかで暮らしているような気分です。作品数は少ないですが、手法も題材も多様なので、多くの方に楽しんでいただけるのでは、と願っています。ビーズ鳥は……笑ってください。 最近、オレンジやローズ色の変わったチューリップがありますよね。たくさんあると苦手だけれど、一輪だけコップに挿したりするのは好きです。あーあ、こんなに開いちゃって、と思った瞬間に坊主になってしまうのがおかしいですよね。 2.江崎リエ 投稿日:2009/04/20 18:15 東郷さん、きのうは会えてうれしかったです。なりさちゃんの絵も、東郷さんのビーズ作品も楽しませていただきました。家に帰ってさっそく文庫のカバーにかけてみました。私はふだんはカバーをかけないので、手触りが新鮮です。 先日はありがとうございました ET 投稿日:2009/05/09 08:38 野中先生、リエさん、ブライスさんたち 先日はクイナ通り展まできていただき、本当にありがとうございました! おかげさまでよい経験をさせていただきました。 「オズの魔法使い」の歌の歌詞はこんなでした。 Can you even dye my eyes to match my gown? Uh-huh! Jolly Old town! それを実践できるブライス……びっくりです。 私は歩きながらつい鳥を探してしまうので、しょっちゅう電線の上や梢やスカイラインを見ています。地上から3メートルも離れれば、いらだつものも少ないから、いいですよね。昼間の月……そこだけ空が欠けているって、昔、誰かの漫画で読んだ記憶があります。 1.江崎リエ 投稿日:2009/05/10 22:22 展覧会楽しかったですよ。娘さんとも会えてラッキーでした。 ビーズのブックカバー、愛用しております(^_^) 1年に1回くらい個展をしてはどうでしょうか? エッセイ五月 江崎リエ 投稿日:2009/05/10 22:27 こんにちは。5月分を読みに来ました。 クイナ展は楽しませていただきました。ついでに根津神社のつつじも鑑賞。 ブライスも連れて遊んできました。 佐藤さん、私も一度松島に行きました。20年以上前。それなりにきれいだと思いましたが、芭蕉の心はわからなかった。 私は近視なので、学生時代から「外を歩いたら空を見て遠くに視点を合わせろ」と言われてきました。だからけっこう空をみながら歩いています。 人形の家は楽しそう。まことちゃんがなつかしい。 6月ですね(^_^) 江崎リエ 投稿日:2009/06/02 23:53 もう6月ですね。今回は私が早く書いたせいか、アップも早い。いつもおそくてすみません。 東郷さん、最近私も鳥の声に耳を傾けてます。 佐藤さん、札幌というか、北海道には行ったことがありません。行った人はみな、「いいよ」というので、行ってみたいな。 邦子さん、おもちゃ、楽しそうです。ブラ子、可愛い(^_^) 東京人は、本屋で見てみます。 1.ノナカ 投稿日:2009/06/03 10:05 リエさん、いつも感想ありがとうございます。 バゲットサンド、おいしいですよね。パリではバゲットの美味しさを競うパン屋さんのコンテストがあるそうです。日本でいえば、ご飯みたいなものですよね。日本のバゲットは、皮の堅さが不足している感じです。パリだけに、パリっと……おやじギャグでしたね。 ちなみに、北海道へ行ったのは佐藤さんじゃなくて、塩原さんです。佐藤さんは今月はお休み。カシオペアは私も一度乗ってみたい。私が北海道へ行ったときは、NHKの「新撰組!」の放映中で、電車の車体に山本・土方さんの顔写真が大きく貼って(描いて?)ありました。 2.江崎リエ 投稿日:2009/06/03 10:28 あ、間違えた。塩原さん、ごめんなさい。カシオペアって、ほんとに人気ですね。乗ってみたいけど、寝台車は一度インドで乗ってとても疲れたので、ちょっと躊躇します。 3.塩原 投稿日:2009/07/01 14:24 リエさん、コメントありがとうございます。 北海道は私も札幌の先へ行っていないので本来のディープな魅力はまったくわかっていないと思われます。いつかゆっくり大自然を満喫できたらいいんですけど。 カシオペア、少し前のタモリ倶楽部で原田芳雄さんの乗車体験記をやっていました。その鉄ちゃんぶりに脱帽でした。この列車はもう、移動手段とは捉えず一個のイベントとして徹夜も辞さずで楽しみ尽くすのが正解かもしれません。 こんにちは 江崎リエ 投稿日:2009/07/04 12:45 7月ですね、また読みに来ました。 私のパラソルの写真、柱のところにブラ子がいます(^_^) 塩原さん 伊坂さんは1冊何か読んだけど、はまりませんでした。 アーヴィングはそれないによかった印象があるから、他のやつを 読んだらいいかもしれません。 東郷さんの写真は、最初クッキーかと思ったら、鳥シリーズでした。 高校時代の友人が、はにわの穴は、何もないのに目や鼻に見えるのが 不思議だ、とさかんに感心してたのを思い出しました。 レニ 塩原通緒 投稿日:2009/08/31 17:46 先月の朝日新聞のTiMESページで『レニ・リーフェンシュタールの嘘と真実』についての野中さん談が出ていました。ウェブ版もあったので遅ればせながらご紹介です。 http://book.asahi.com/booktimes/TKY200908030230.html 紙面ではお顔も拝見できたのですけどね。 リエさん 睡眠時間のお話おもしろかったです。 最後の「キスで目覚めたことがあるか?」の質問も。 さすがラテン系! test ノナカ 投稿日:2009/10/12 12:12 掲示板に書き込めないという声があったので、試してみます。この掲示板も新しくしたいのですが、ログの管理が面倒で、なかなか踏み切れません。 秋らしくなってきましたね 江崎リエ 投稿日:2009/10/13 21:11 表紙の雲の写真がきれい。 クラウドサービスという名前を初めて知りました。 役者と訳者の話、おもしろかったです。役者だと思えば、舞台の上で もっと自由にふるまえそうです。私は原文にしばられがちなので。 ブライスの写真、大きく使われていて、なんだかにっこりしてしまいました。 |