【はまって、はまって】バックナンバー 2018年  江崎リエ(えざき りえ) 

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はまってはまって

江崎リエ(2018.01.06更新)




咬合と脳細胞


 10月に続いて、また歯の話です。というより、今回は咬合の話。というのは、なんと正月早々、左上の歯の詰め物が取れて、大きな穴が開いてしまったのです。別に痛みはなく、左側で噛もうと思えば噛めるのですが、すぐにこの穴に食べ物が引っかかるので、歯医者が正月休み明けになる今日まで、左側ではなるべく物を噛まずにいました。すると、どうも左側の脳がぼやっとした感じがします。きちんと噛んで左側に刺激を与えないと、脳細胞が刺激されないようです。  

 思えば1年ほど前に右下の歯を1本抜き、ここは抜いた後の傷が落ち着くまで歯が入れられないと言われて、2ヶ月近く歯が抜けたままでした。この時は右側であまり噛めなかったので、右の脳の働きが弱った気がして、それに気づいてからは右側で10回、20回と?みしめる運動を日に数回やって凌いでいました。歯が入った時には、「これでまともになった」という気がしたのを思い出しました。今日、歯医者で仮の詰め物をしてもらって、両側で噛めるようになり、改めて咬合の大切さを認識したわけです。  

 ここ数年、「健康長寿のために80歳まで20本の歯を残そう」という8020運動を主催する財団が開催しているシンポジウムのレジュメを書く仕事をしていて、歯科医や研究者の歯にまつわる講演を聞いています。最近は、年を取っても歯が残っている人は増えているそうですが、その分歯周病や咬合の問題も増えているそうです。最近は歯周病と認知症の関係を示す研究もたくさんあるとのことですが、「噛めなくなると脳細胞がぼやっとする」という私の経験からすると、「歯が弱ったり痛んだりして噛めなくなると脳の働きが衰える」というつながりには納得できるものがあります。  

 ダイエット本には痩せる食べ方のコツとして「食事はゆっくりと時間をかけて、よく噛んで食べましょう」と書かれています。食事時間20分以上をかけてよく噛んで食べると、脳の満腹中枢が「十分に食べた、満腹だ」と認識するので、食べ過ぎが抑えられるのだそうです。ヨガの先生からは「1口で50回噛むように」と言われていて、たまにこれを実践すると、口の中に驚くほどたくさんの唾液が溜まるのに驚かされます。私はけっこう早食いなので、これらを実践すると体が整うような気がします。というわけで、今年の抱負の一つは、「食べ過ぎず、ゆっくりとよく噛んで、優雅な風情で食事をすること」です。皆様、今年もどうぞ宜しくお願い致します。

(えざき りえ)











はまってはまって

江崎リエ(2018.02.04更新)



ガスコンロの青い火が好き



こんな暖炉が欲しいな
火を見る楽しみ


   最近料理をしていて、「私は火を見るのが好きだ」と思う。そんな認識を持ったのは、息子夫婦が借りている家でIH調理器を体験したからだ。ちゃんと火力はあるのだが、丸い平面がじわーっと赤くなるだけで、見ていてなんとも心許ない。私は新しいものが好きなので、初めて使うIH調理器を面白がっていたのだが、そのうち、ガスの火がボワっと燃え上がる音と、青白い火が恋しくなった。ボタンの押し方で弱火や強火を調節するのではなく、自分の指の回し加減で火の大きさを調節するガスコンロの方が、いかにも火を扱っているという感じがして楽しい。

 思えば子供の頃、自分でマッチを擦ってガスコンロに火が点けられるのが誇らしかった。マッチを擦る音、ボワっという音がして思いがけず大きくなる赤い炎、独特の硫黄の匂い、その全てが特別の出来事だった。大人になってタバコを吸うようになった理由の一つも、マッチの火の魅力だったかもしれない。マッチはいつの間にか淘汰されてジッポなどの雰囲気のあるライターを使うようになり、その後は100円ライターになったが、火は私の身近にあった。禁煙してからだいぶ経つので、料理以外の日常で火を見ることは激減した。昔はたまに見かけたご近所の焚き火も、今はほとんど見ない。

 ライターやタバコの火、焚き火の火を見る機会も減り、家庭でも IH調理器が普及していくとしたら、今の子供達はどこで火を見るのだろうか。小学校の理科の実験、課外学習、屋外バーベキューだろうか。薪をくべる暖炉が人気だったり、アロマテラピーやレストランのテーブルのムード作りにロウソクの火が使われていたりするので、「火を見ることが好き」という人間の感性は変わっていないのかもしれない。しかし、今の子供達が大人になる頃には、火は眺めて楽しいものではなく、火事ややけどに結び付けられた恐ろしいものになっているかもしれない。

 そうならないように、小さい子に「火」の楽しさを教えたい。そんなことを思いながら、今、牛筋の煮込みを作っている。鍋に湯を入れ、牛筋を入れて弱火でひたすら煮込んで柔らかくする。最近は時短料理で電子レンジを使うのが流行りだが、私はガスの火を見ながらコトコトと時間をかけて煮込む料理が好きだ。そのうち、「ガスの火は危ないからIHにして」と言われないように、ぼけずにガスの火を使い続けたいと思っている。

(えざき りえ)











はまってはまって

江崎リエ(2018.03.02更新)



奥田民生の3Dプリント・フィギュア
3D印刷技術の進歩に驚く


   3D印刷機と聞いて、どんなものを想像するだろうか? この技術を使えば、インターネットからダウンロードした形は何でも思いのままに復元できる夢のような機械というイメージだろうか? 私のイメージは、立体の形は瓜ふたつに作れるけれど、それは表面だけのことで、中身のないちゃちなイミテーションというものだった。これは、だいぶ前にフィギュアの3D印刷のビデオを見て印象付けられたことなのだが、白い樹脂で形作られたフィギュアは、形はそっくり同じだけれど、安っぽくて、これに色をつけても、同じフィギュアとは思えない代物だった。それからしばらくして、3D印刷機で作ったピストルを使った強盗事件が話題になった。この時も、ニュースに映し出された3D印刷のピストルの部品は白くてちゃちな感じで、これがちゃんと武器として機能したことの方に驚いた。

 このような認識だったので、3D印刷機には特段の興味はなかったのだが、たまたまフランス語の授業で、家を建てる3D印刷機というのを見て、その進歩に驚いた。中国で開発されたという大型3D印刷機は、回転しながら四方にセメントを積んでいって1日で壁を作り、屋根をつけて家を建てるという。作りはシンプルだが、このスピードで家が建つなら、災害時の仮設住宅作りには有効だろう。インターネットで調べてみると、高価な3D印刷機と高価な材料を使えば、かなりの精度でオリジナルに近いものが作れるようになっているそうだ。

 そして、もう一つ、やはりフランス語の授業で読んで驚いたのが、2014年のルモンド掲載の3Dバイオプリンティングの記事だ。これは3D印刷の技術を使って細胞パターンを蓄積する技術だそうで、肝臓や耳たぶが10日ほどで作れるようになるという。この技術が進歩すれば、自分の臓器を作って、スムーズに移植ができそうだ。インターネットを検索すると、3Dバイオプリンティングは臓器再生だけでなく、移植のための皮膚作りや、義肢の作成にも使われているという。自分の皮膚と組成が同じものを再生できるなら移植もうまくいきそうだし、義肢も自分の脚に合わせたものが作れて、馴染みがよさそうだ。

 今のところ、臓器移植のために動物のクローンを作るより、私には受け入れやすい技術だが、この先はどうなるのだろう。技術の進歩が「先へ先へ」を目指すとしたら、そのうち人の体を丸ごと3D印刷したいという野望になり、クローンと行き着くところは同じになるのかもしれない。あまりこういう分野に関心がないのだが、今後の進歩の具合を見ていきたいと思っている。

(えざき りえ)







はまってはまって

江崎リエ(2018.04.02更新)



美しい文字が書きたい


   昨日は高校時代の友人宅に行ってきた。年に2回くらい、同級生だった3人が集まって、飲んで食べてしゃべりまくる楽しい会だ。その時に「リエさんは本当に筆まめだ」と言われた。実際、私は手紙を出すのが好きで、若い頃はいろいろと考えたことを便箋に綴って2人に送っていた。そして、必ず返事をもらっていた。2人が書く字は美しくて、私はその文字の流れや勢いを眺めるのが好きだった。

 最近は展覧会に行った時に気に入った絵の葉書を買って近況報告を送るのと、旅先からの風景写真を送るくらいで、封書を送ることはほとんどなくなったので、筆まめとは言い難い。そして、2人からの返事は携帯メールだったり、電話だったりで、2人の手書き文字を見る機会もめっきり減った。

 そんなやりとりの中で、いつも私が思っていたのは、「もう少しきれいな字を書けるようになりたい」ということだった。そこですぐにペン習字などを始めなかったのは、「きれいと言っても、個性のないただきれいな字」というのが好きではなかったからなのだが、「とりあえずペン習字を始めてみてもいいかもしれない」と思うことが最近あった。1つは有名な女優の手書き文字での近況報告をテレビで見て、「子供っぽいな」と思ったこと。もう1つは、再犯を繰り返す受刑者からの手紙の筆跡を新聞で見て、「美しい文字だ」と思ったことだ。書く文字によって人の印象は変わるので、もう少し自分の書く字が好きになりたいと考えたのだ。

 私は普通の人よりも手書きで文字を書く機会は多いと思う。仕事の原稿はパソコンで打つが、テレビを見たり雑誌を読んだりして覚えておきたいことは鉛筆で紙に書き留める。インタビューやシンポジウムの取材などでは、聞いたことをハイスピードでメモする。これらは「自分が読めればいい」というものなので、文字はどんどん崩れていくわけだ。

 ある日、何かの会で、私が住所と名前を記帳するのを見ていた知り合いが、「書くのがものすごく速い」と驚いていたことがある。それが下手な字の原因かもしれないと思い、それ以降、記帳するときはゆっくりとていねいに書くことを心がけているが、記帳する機会など年に1度もない。

 とりあえず、自分の書く字が好きになるために、普段ちょっとしたことを書くときでももう少しゆっくりと書くことを心がけようと思う。ペン習字に関しては、本を探してみようとも思うが、ちょっと退屈そうなので、トライするかどうかはわからない。「努力とは退屈なもの」という外野の声も聞こえて来そうだが。

(えざき りえ)











はまってはまって

江崎リエ(2018.05.04更新)



好きなことわざ


   先日、「好きなことわざは何ですか」と聞かれて、考える機会があった。ことわざには教訓が含まれることが多く、世間の常識を伝えるような教えには反発を感じることが多いので、基本的にあまりことわざは好きではない。しかし、質問した人は軽い気持ちで聞いているので、「ことわざとはどういうものか」「なぜ、私はことわざが好きではないのか」などと話してもしょうがないと思ったし、そういうことを議論したい相手でもなかった。

 さらに、もう一つ問題があった。「好きなことわざ」は、答えた人の人間性を示す、もしくは示すと聞いた相手に思われるということだ。例えば、「人事を尽くして天命を待つ」と答えれば、真面目な努力家と思われるだろう。「働かざるもの食うべからず」と答えれば、怠け者を嫌う勤勉な人と思われるだろう(ちなみに、私の祖母はこのことわざが好きで、子供の頃によく言われた)。こうしたレッテルを貼られるのも嫌なので、何かレッテルの貼りにくいものを選びたいと思った。

 さて、答えになりそうな好きなことわざとはなんだろう。最初に頭に浮かんだのは「遅くてもやらないよりマシ」だった。しかし、これは日本でことわざとして認知されているのだろうか。英語やフランス語のことわざ集には載っていて、Better late than never(英語)とMieux vaut tard que jamais(フランス語)の文は、語学の宿題を遅れて提出する時の言い訳に使っていたのだが。日常生活でもこの文を頭の中で繰り返すことは多く、「言わなければ伝わらない」とともに、遅れてしまった礼状や返事を出すべきメールなどを書く時の推進力となっている。

 「あとは野となれ、山となれ(今に集中して、先のことは知らないよ)」も好きなことわざだ。本当は「人事を尽くして天命を待つ(やることはやったから、あとは様子を見よう)」という気分との中間点くらいの気持ちなのだが、「先のことを心配してもしょうがない」と言い聞かせて自分の心を軽くするのに役立っている。「人生万事塞翁が馬(人生の禍福は予想できない)」は、理不尽な仕事相手と当たって苦労している時に(理不尽かどうかを始めてしまって初めてわかる)、自分を慰めるのに使っている。この二つは、行き当たりばったりで生きているイメージがあっていいかもしれない。

 ことわざではないが「天衣無縫」「融通無碍」という言葉も、人柄の自由さが感じられて好きな四文字熟語だ。「好きなことわざは特にないけれど、天衣無縫という言葉が好き」と答えておくのもいいかもしれない。ちなみに、天衣無縫は麻雀の役満「九連宝燈」の別名で、家族麻雀をやっていた楽しい思い出もよみがえる特別な言葉だ。

(えざき りえ)











はまってはまって

江崎リエ(2018.06.09更新)



アイスプラント





イエローパプリカ
いつの間にか色々な野菜が


   スーパーに行くと、昔は見かけなかった新しい野菜が色々と目につく。「昔」がいつかという問題もあるけれど、子供が小さかった30年前以降としておこう。その頃は食べたこともなくて、一番よく食べているのはスッキーニだ。輪切りにしてオリーブオイルで炒めてしょうゆをかけるだけで、美味しく食べられるし、冷蔵庫の中で放っておいても、なかなかしなびないのがいい。日本に入ってきたのは1980年くらいで、アメリカから輸入されてじわじわと広まったらしい。もう一つ、よく食べるようになったのはアボカドだ。これは古くからあったと思うが、スーパーでゴロゴロ売られるようになったのは、90年代ではないだろうか。私が食べ始めたのは、ここ5、6年だ。

 スーパーに行って目につくのは、赤、黄色、オレンジ色のパプリカだ。出てきた当時は「ピーマンの色違いでしょ」くらいの認識で、ピーマンと形も似ていたのだが、最近は大きくて肉厚になり、ドーンとした存在感がある。最近は料理番組等でもよく使われている。私はピーマンもそれほど料理に使わないので、パプリカを買ったこともほとんどなかったが、最近は彩りに時々使っている。食べてみると、ピーマンほどクセがない。こちらは日本に入ってきたのは1990年以降だという。

 好奇心が強いので、新しい野菜を見ると試してみたくなる。かいわれ大根の隣にあったブロッコリースプラウトとか、八百屋のおじさんに勧められたアイスプラントとか。ブロッコリースプラウトはクセがないので、彩りにいいけれど、特に美味しいとも思えなかった。アイスプラントは、葉の表面に塩の結晶が付いていて、シャキシャキしてサラダにいいと勧められたのだが、それほど魅力的な味ではなかった。

 新しい野菜は、概ね何かの栄養価が突出して高いようだ。最近、珍しい野菜を目にする機会が増えたのは流通が進歩したからだろうが、スーパーに並んだ新野菜が買い物客に受け入れられるためには、「栄養がある、おいしい」などの商品の魅力と、その魅力や調理法を伝える広告や口コミの力が必要だろう。これからどんな野菜がスーパーに現れ、どん野菜が消えていくのだろうか。そんなことを考えながら、毎日その日の食材を買いに行くのが、私の今の楽しみの一つだ。

(えざき りえ)











はまってはまって

江崎リエ(2018.07.01更新)



歯科専用キシリトールガム





「記憶力を維持する」とうたったガム
何のためにガムを噛むのか?


   久しぶりにガムを買って噛んでみた。噛みながら外を歩いてみて気づいたのだが、昔は駅の構内や駅ビルの外廊下などに、捨てたガムが踏まれて黒くなった点々があったのが、そうした汚れがなくなっていた。ガムを噛む人が減ったのか、ガムが進化して、道にくっつかなくなったのだろうか。昔は専任の掃除人がいて、軍手をして、ヘラを持って剥がしていたのだが。

 噛む人が減ったのかどうか調べようと、日本チューインガム協会のホームページを見てみると、小売金額は2004年の1881億円がピークで、そこから下降が続き、2017年には1005億円まで落ちこんでいた。13年間で4割以上の減少だ。ガムが売れなくなった理由をインターネットで検索すると、「歯に悪そう」「ゴミを出したくない」というアンケート結果があった。「昔は気分転換や眠気覚ましに食べたが、今はスマホで気分転換をするので需要がなくなった」という分析もあった。確かに、気分転換や眠気覚ましなら、スマホの方が効果的だろう。外でちょっと食べたいお菓子としても、今はグミ、キャンディーなど、いろいろと美味しいものがあるし。

 しかし、健康志向の昨今、「噛む」ことの効用はいろいろなところで言われている。よく噛むと消化に良い、顎や骨の筋肉が発達する、脳の血液が増えて脳細胞が発達する、脳を活性化するのでボケ防止になる、ゆっくりよく噛んで食べると適量で満腹感が得られてダイエットに良い、などなど。私が歯の定期検診に行く歯医者でも、虫歯予防にキシリトールガムを噛むことを勧めている。「歯に悪そう」というイメージは、「甘いガムが歯に付くと虫歯になる」ということから来ているのだろうが、キシリトールガムは、逆に噛むことで虫歯菌を減らし、唾液を分泌させることで口内環境をよくすることができるそうだ。ただし、この効果はキシリトールが50%以上配合されていないと発揮されないそうなので、市販品を買うときは注意が必要だ。

 噛むこと、噛める状態の口にすることが、高齢者の健康維持に役立つ、介護予防や寝たきり防止につながるという研究結果も多数あり、介護施設で定期的な歯科検診を行っているところもある。「若い人・働く人の気分転換のお菓子」という位置付けでは、もうガムは売れないだろう。「虫歯予防」「脳細胞への刺激」「高齢者の介護予防」を打ち出せば、健康志向の強い高齢者に買ってもらえるかもしれない。そんなことを考えながらインターネットを見ていたら、「記憶力を維持する」という宣伝文句のガムあった。チューインガム業界は、もう既に高齢者をターゲットにしているのかもしれない。

(えざき りえ)











はまってはまって

江崎リエ(2018.08.02更新)



「図書館 愛書家の楽園」



書棚の小物たち



書棚の小物たち
好きな本でいっぱいの書斎


   本好きならば、自分の好きな本を手元に置いておきたい、好きな本でいっぱいの書斎で仕事をしたりくつろいだりしたいと夢見たことがあるだろう。私もそんな夢を持っていたし、自分の本棚に好きな本を分類して並べたりもしていた。「書棚は人格を語る」と言われる。私は自分の本棚が好きだったし、夫の本棚を眺めるのも好きだった。小説家だった父の、書斎の天井までとどく作り付けの書棚のたたずまいも好きだった。

 しかし、二間の小さなマンションに引っ越すことを決めた時に、「本の所有」は諦めることにした。古典と言われる本はネット上で無料提供されているし、ほとんどの本は図書館にリクエストすれば読める(本当は、そういうわけでもないようだが)。もう一度手元に置きたいと強く願う本が出てきたら、また買えばいい。そう考えて、たくさんの本を処分した。その時に私が残念に思ったのは、息子が本棚を見て私や夫の読書嗜好を知る機会がなくなることだった。しかし、それは私の思いであって、息子がそうしたことに興味を持つかどうかはわからない。置く場所があれば迷いも大きかったと思うが、好きな本を所有し、それらを並べるだけのスペースがないのだから、潔く諦めた。

 こうして、新居の二つの本棚に並んだ本は、ほんの少しの文学書と美術書、英語仏語の勉強のために買い集めた辞書と参考書、長年の趣味であるヨガ関連の書籍と刺繍の図案集になった。引っ越しをして丸6年が過ぎた今では、「本を買わない」という原則に反してつい買ってしまった文学書が増えてはいるが、好きな本でいっぱいの書棚には程遠い。

 「それはそれでよし」と思って過ごしてきたのだが、友人の野中邦子さんが翻訳したアルベルト・マンゲル氏の著作「図書館 愛書家の楽園」(白水社)を読んで、「読まない本、見ない本を処分して、もう少し自分好みの書棚にしたい」と思うようになった。この本は、古今東西の実在・架空の図書館、書斎、書庫について、マンゲル氏が思いを巡らす知の刺激満載のエッセイ集で、著者自身の書斎についても語られている。お気に入りの小物を置いた自分の書斎で過ごす時間の濃密さ、心地良さについて語られた一節に共感してしまうと、それをなんとか私の仕事部屋兼寝室にも応用したくなる。というわけで、今年の夏は本の整理に手をつけようと思っている。

(えざき りえ)











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江崎リエ(2018.09.07更新)











絵本を探す楽しみ


   ずいぶん前の話だが、子供ができて絵本が身近になった。喜びそうな絵本を買ったり、図書館で借りてきたりしているうちに、私の好みの絵本がいくつかできた。その当時、「自分は子供時代に何を読んでいたのだろうか」と思い返してみたが、あまり好きな絵本が思い出せなかった。昔はそれほど海外の絵本も出版されていなくて、「うらしまたろう」「きんたろう」「花咲かじいさん」のような日本昔話か「キンダーブック」のシリーズなどを見ていた気がする。

 息子の時代には、レオ・レオーニ、エリック・カール、谷川俊太郎、瀬川康男などのシリーズが人気で、それらをたくさん読んでやった。私は基本的に色彩の豊かな絵本が好きで、次にストーリーや仕掛けが斬新なもの、なるべく考え方がニュートラルなものを選んでいた気がする。お姫様と王子様など、男女の役割分化は、普通に生活をしていたら自然に刷り込まれてしまうので、なるべくそういう色のないものを選んでいた。

 そんな絵本選びも遠い昔の話になっていたのだが、孫ができて、また本屋の絵本コーナーを見るようになった。本屋には新しい絵本がたくさんあるのだが、パラパラめくってもあまり好きなものがなく、お気に入りの絵本を見つけるのはなかなか難しい。孫の家に行くと、初めて見るとても美しい絵本があるので、大きな本屋で宝石のような本を見つける可能性はまだまだあると思う。誕生日とクリスマスのプレゼントには絵本を贈ってやりたいと思っているので、しばらくは絵本のコーナーを見る楽しみが続きそうだ。

 以下に私のお気に入りの本を数冊紹介しておこう。

「あおくんときいろちゃん」 レオ・レオーニ 抽象的なマルが主人公で、色が重なるという発想がユニークで気に入っている。

「アナンシと6ぴきのむすこ」 ジェラルド・マクダーモット クモ、ハヤブサなどの幾何学的な造形と派手は色彩に目を奪われた。

「ふたり」 瀬川康男 ネコとネズミの追いかけっこが、にたり、ひらり、ばさり、などの言葉とともに見開きで展開される。

(えざき りえ)













はまってはまって

江崎リエ(2018.10.03更新)



今年東京都が復刻した河童のバッジ(右)

10月1日は都民の日


   「10月1日は都民の日」と言うと、「そうそう、河童のバッジ」「毎年家族と上野動物園に行った」という反応と、「なにそれ?」「そんなの、あるの?」という反応が返って来る。前半の反応する人は東京都民、年齢もそれなりにいっている。後半の反応は、東京都民ではないか、東京都民だけど私立の小中高校に行っていたか、その上若いかだと思う。  

 台風24号が東京に猛威を振るった9月30日、「明日まで台風の影響が出そうだけれど、明日は都民の日で学校が休みだから、学生は通学しなくよくて、よかったね」と言ったら、「そんなの、あったね。でも、今でも学校は休みなのかな?」と言われて、ちょっと調べてみた。  

 10月1日・都民の日は1952年に東京都が制定した記念日の一つ。東京都立および都内各区町村立の小中高校は休みになる。また都内にある一部の国立や私立学校も休校となる。しかし、2002年の学校週休5日制以降は、休みにしないで平常通り授業をやる学校も増えているそうだ。ということは、今の子供達が通っている学校が休みになるかどうかは、運(学校の方針)次第かな。ネットには他にも、公立の学校が休みになる県民の日として、6月15日千葉県民の日、10月28日群馬県民の日、11月13日茨城県民の日、11月14日埼玉県民の日、11月20日山梨県民の日、が載っていた。

 私が子供の頃は都民の日というと、「わーい、学校が休みだ」と思ってうれしかったのと、学校でカッパのバッジを買ってそれを服につけていくと、東京都の施設が入場無料だったので、家族みんなで出かけるのが楽しみな日だった。そして、子供が喜びそうな都営の施設といえば上野動物園が筆頭だったので、私を含め、友達の多くが上野動物園に行っていた。

 さて、改めて考えてみると、河童のバッジはどういう仕組みだったのだろうか。学校に申し込んで河童のバッジを買い、服に付けて行ったのは覚えているが、子供が一人付けていれば家族全員が無料だったのか、バッジの金額は寄付で、都民の日の入場料自体が無料だったのかは覚えていない。

 これもネットで調べてみると、カッパのバッジは1956年から1997年まで販売されていた。これは都営施設の入場無料の目印となったそうだ。私は学校に申し込んで買っていたが、1度に1つしかもらった記憶がないので、親がどうしていたかは覚えていない。そして、都民の日とカッパのバッジがすぐに結びつく人は30代以降と言えそうだ。

 現在は、都営の博物館、美術館、庭園などは入場無料。上野動物園、多摩動物公園、葛西臨海水族館もこの中に入っています。六義園、清澄庭園、神代植物公園など、子供よりも年配の人たちが楽しめそうな無料庭園も多いけれど、それも高齢社会に合っているかもしれない。台風明けで晴天の10月1日、東京の無料施設で楽しい時間を過ごす人が多いといいなと思う。

(えざき りえ)









はまってはまって

江崎リエ(2018.11.04更新)



卓上チーズフォンデュ



形燃料青い固



フェイクろうそく
ろうそくの炎を見る楽しみ


   少し前に、「炎を見るのが好きなので、IHより、ガスの火で調理をするのが好きだ」という話を書いた。夏の暑い間はそれ以外の「火」はいらないという思いだったのが、最近は卓上チーズフォンデュに使う小さなろうそくの火とか、アロマキャンドルの火を眺めて楽しんでいる。「暖炉の火もいいな」と思うけれど、それにはそれなりの家が必要だし、外が寒いのは嫌なので、それはたまに旅先で眺めるくらいがいいと思う。

 写真の卓上チーズフォンデュは、一人で食べるときにいいと思ってフランフランで買ったものだ。ろうそくもセットでついていたのだけれど、このろうそくの火だけではチーズが溶けなかった。なので、ガスの火でチーズを溶かしてから、卓上に持ってきて温めている。「チーズ、溶けないじゃない!」と思って説明書を読んだら、チョコレートフォンデュ用と書いてあった。「チョコレートはチーズより低温でも溶けるのだろうか」と思いつつも、チョコレートでは試していない。旅館に行くと食事の時に出てくる一人用コンロはもっと火力があったと思ってネットを検索してみたら、旅館のやつはちゃんと固形燃料とそれ用の器具を使っていた。昔はろうそくの火をつけていたような記憶があるのだが、昔からこの青い固形燃料だったのだろうか。

 アロマキャンドルは、きれいなデザインのものがたくさんあって選ぶのが楽しいのだが、それなりに値段が高いので大きめのやつを1年に1つくらい買って、少しずつ燃やして楽しむ。それほど気にはならないが、やはり煤が出るし、消し忘れも心配なので、燃やすときはけっこう心の準備がいる。それはそれで、特別な時間という感じがして好きだ。

 心配のいらないのは、写真のフェイクキャンドル。プレゼントにもらったものだ。周りは本物のロウで、電池で明かりが灯る。炎が見えないのが残念だが、電気を消してこれだけにすると炎のゆらぎに似せて明かりが揺れるので、ろうそく気分は楽しめる。

 クリスマス前はろうそくが脚光をあびる時で、様々なデザインのものがあちこちの店に並ぶ。クリスマス飾りと一緒に並ぶろうそくの中から、今年の冬の一本を探すのも楽しみの一つだ。サンタクロースなどの形があるものは、溶けて形が変わった姿が悲しいので、色がきれいで、使いかけでも形が美しいものを選ぶことにしている。今シーズンの一本もそのうち写真で見せたいと思っている。

(えざき りえ)











はまってはまって

江崎リエ(2018.12.02更新)



夜の外出を減らそうかと


   昼間は家で一人で仕事をしているので、夜はなるべく出かける機会を作るようにしている。取材がなければ、ほとんど人と話す機会がないので、声を出して血の巡りをよくするために、週一回は語学教室に通っている。放っておくと運動不足で体が固まるので、週1回はヨガ、その他に3ヶ月クールで区が主宰する体育教室に週1回通っている時もある。このほかに月に1回は落語会と芝居見物を楽しみ、月に1、2回はミュージシャンの息子のライブを聴きに行く。「あちこち出かけて忙しいですね」と言われることもあるが、別に忙しくはない。気ままな一人暮らしなので家事はほとんどしないし、一人分の料理も皿洗いもあっという間に終わってしまう。仕事に追われていれば夜の外出が息抜きになるし、仕事がない時は一日中暇なわけで、出かける機会があってうれしい。

 そもそも夜に頻繁に出かけるようになったのは夫が亡くなってからだ。家で仕事をしていた夫は毎日家にいて、夜は一緒に飲みながらいろいろな話をしていたので、亡くなった後の一人の夜が嫌で、毎晩出かけるところを作っていた。しかし、最近少し心境が変化してきた。そんなに出かけるところを作らずに、夜に家にいてもいいのではないかと思うようになったのだ。夫が亡くなって14年が経ち、一人で家にいることにもさすがに慣れてきた。心が強くなったとも言えるし、いろいろな記憶が薄れてきたとも言えるだろう。私が年齢を重ねて、頻繁に出かけるのがしんどくなってきているのかもしれない。

 自分でも心境の変化の理由はよくわからないが、この気持ちに従って、来年は少し夜家にいる時間を増やそうと思っている。以前は「家にいると深酒をして、アル中になりそう」という心配もあったのだが、最近は飲まなくなったし、飲めなくもなったので、この心配もなさそうだ。ただし、夜に家で何をするかという問題は出てくる。テレビはつまらないし、料理や菓子作りは、作るのは楽しいけれど食べなくちゃならないし、好きだった編み物やクロスステッチは目が疲れて続きそうにないし。お気に入りの作家が見つかれば読書が楽しいのだが、それがなかなか難しい。とりあえず、正月休みは家にある好きな本を読み直そうかと思っている。

今年最後のエッセイですね。皆様、1年間読んでくださってありがとう。
来年もよろしくお願いします。

(えざき りえ)