【うさぎの手紙】バックナンバー 2003年  秀岡尚子(ひでおか なおこ)   2002年2001年2000年はこちら




うさぎの手紙 2003.1

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 去年の初め、つまり2002年のお正月、私はこの場で、「今年の目標」として「字を書く」とみなさんに宣言しました。どうしてそんな目標をたてたのか?

なんてことをいまここで繰り返しても始まらないので省略しますが、とりあえずその結果報告から。2002年、はたして私は字を書いたでしょうか? 書いたのです。少なくとも4か月ほどは毎日、たとえばノートに中也の詩を写してみたりして。とにかく毎日ひたすら字を書き、ノートはあっというまに10冊ほどにもなりました(詩を写すのってけっこうハマっちゃうってことがわかった。もしかしたら、写経なんかも思いのほか楽しい作業なのかも)。その後、忙しくなったのと、中也の詩(&熱愛バンドの曲の歌詞)をあらかた写してしまったため、日課のようにノートに字を書くのはやめましたが、以前よりはかなり頻繁に、ずっとたくさんの文字を書くようになりました。結局、きれいな字を書けるようにはならなかったけれど、字を書くこと自体はそれほど億劫ではなくなりました。(字が汚いというコンプレックスが克服できなかったため、年賀状を書くのは相変わらず苦痛だったけど)。

 さて、去年の目標は一応クリアしたとご報告したところで、いよいよ今年の目標です(これが本題)。

 今年の目標は、ここで公言するのは本当に気が引ける……というか、ありったけの勇気を振り絞らないと言えないんですけど、「ピアノを弾く」です。

 ご多分に漏れず、私も妹も子供のころにピアノを習ったことがあります。でも二人とも全然ダメ。才能なし、根性もなし。それでも妹はのちにコーラスをやったりしていましたが(楽器を演奏するよりも歌うほうが好きだったのでしょう)、私はとにかく音楽的センスが全くないの。音痴だし。

 ところがうちには、私の生まれる前からピアノが一台あるんですよね。決して安物ではないはずの年代物のアップライトピアノ(もともと叔母のものだったのだと思います)。いまは蓋を開けることさえめったにない、あまりにも可哀想なピアノ。去年、十何年ぶり(いや……何十年ぶりかもしれない)に調律してもらいました。驚くほど長いこと放ってあったせいでしょう、調律に半日以上かかりました。そのうえ、どんなに長いあいだほったらかしにされていたかをピアノが切々と訴えるのか、調律師(素敵なおじさまだった)にはピアノの身の上がすっかりわかっちゃうらしいんですよね。一日一回、誰かがほんの短い時間でも弾いてあげれば、それほど狂うことはありません……とソフトに諭されてしまいました。

 私たちだって、このピアノの存在を忘れたことはないのです(忘れるには存在感ありすぎるんだもの)。ピアノを弾ける人が遊びにくれば、弾いてよ、とせがんでみるし。ピアノを弾くのが好きな人に会えば、今度うちにピアノ弾きにきなよ、と誘ってみるし。私自身、再挑戦しようと思ったことは一度ならずあるんです。ときには妙に熱が入ることも。調律まで頼んだ去年などは、その熱が高かったほうかな。実は弾いてみたいと思う曲があって、楽譜まで入手したのです(その曲については追求しないでね。恥ずかしすぎて死んでも言わないから)。さてここで大問題。私は楽譜が読めないんですよね。いや……読めないと言うと嘘になるけど、読めると言っても嘘になる、という感じ。しかも、何年かぶりで楽譜というものを見たら、これが以前以上に読めなくなっているの。思わず上から線の数を数えちゃったりして。なんの符号もついていない、しかも五線のなかに音符がおさまっているところ(意味、伝わります?)は、割合にすらすら行くんです。でもシャープやフラットがどどっとついて、音符が五線の上下にはみだしたりするともう大混乱。手に入れたその楽譜を開き、とりあえず右手で主旋律を追ってみる……できるじゃん。これに左手をつけて、あとは気長にやればちゃんと一曲弾けるようになるかも……なんて思ったのも束の間、次のページに進んだらいきなりシャープが4つもついている。これって反則だよぉ……と、このときはあっというまに根性を使いはたし、そのまま投げだしてしまったのでした。

 それで、これを今年、2003年の目標にしよう、と思い立ったのです。なにもこの曲じゃなくてもいいんですけど、とにかく好きな曲をいくつか弾けるようになったら楽しいんじゃない……かな?

 というわけで、今年の目標は「ピアノを弾く」。そして一曲でも何か好きな曲をマスターすること。別に人に聴かせるのが目的ではないので、自分が楽しめればそれでいいんです。下手でもいいから曲を弾いて、それで自分が楽しければ目標達成。  う〜ん……来年のいまごろ、私はこの場で、この話題に触れるだろうか……?(目標達成できなかったら、きっと知らん顔して他の話をすると思います)。





うさぎの手紙 2003.2

タイムスリップ

 先日、ちょっとした用事があってある場所へ行く途中にふと、この坂を上りきれば学校だ、と思いつきました。学校というのは、小学校から高校まで12年間も通った私の母校。私は生まれ育った街にいまも住んでいるので(二十代に何年か離れたことはあったけれど)、そうしたいと思えばいつでも母校を訪れることはできるのですが、いままで特に訪ねてみたいと思ったことはありませんでした。行ってみようと思う理由もないし、知っている先生に出会っちゃったりするとまずいしね(いや……別にまずくはないけど)。でもこのときは、あまりにも近くまできたし、約束の時間にはまだずいぶんあるし、ちょっと見に行ってみようかなと思ったんです。

 坂を上りきると、狭い道路の向かい側にいきなりいかつい校門がたっていました。私が通っていたころにはこの校門はなかった。校門ができたことは知っていたけれど、実際に見たのは初めてでした。時刻は午後の二時前、生徒はもちろん、あたりに人影は全くありませんでした。

 道路を渡らずにそのまま校門を眺めていたら、「僕はこの学校に校門がないところが好きなんですよ。フランスのリセみたいじゃないですか」なんて言っていたある先生のことを思い出しました。あの先生はいまもまだいるのかな?

それともすでに定年退職なさっただろうか(この校門についてはどう思っているのかしら)。なんと言っても卒業して20年以上もたっているのよね(!)。あのころすでにおじいさんだったあの先生はもう絶対にいないだろうな。若かったあの先生もすでにベテランだよね……もう生徒とはしゃいだりしてないんだろうな。そういえばもうすぐバレンタインデーだけど、人気のある先生もすっかり代替わりしているだろう。かっこいい先生、いるのかな……

 そんなことをぼんやりと考えているうちに、さまざまな記憶が蘇ってきました。ごくごく平凡な小、中、高校生時代を送った私には、物語の素材になるようなこれといった素敵なエピソードはないけれど、通学期間が長かったので思い出の数だけは多いんです……いや、思い出なんて言葉を使うのもはばかられるような、覚えておく価値もないような細かい記憶の山。授業中や休み時間のありきたりな小さな出来事。先生方の仕草や話しかたの癖。友達と交したちょっとした会話やいま思えば幼稚な言い争い。

 このとき、私が味わっていたのはただ懐かしいというのとはちょっとちがう感覚でした。蘇ってきた記憶が、まったくどうでもいいような些細なことばかりだったんだもの。だから逆に、妙にリアル。なんとも言えない不思議な感覚。このとき、いまはもちろん私と同じだけ年をとっている友達たちが、あのころのままの制服姿で目の前を通り過ぎても、なんの違和感も感じなかったかもしれない。大好きだった先生(ずっと前に亡くなってしまった)があのころのままの姿で目の前に現われても、まったく戸惑わなかったかもしれない。もしかしたら、あともう少しでそんなことが実際に起こっていたのかもしれないとさえ思う。タイムスリップしかけていたのかも……なんて。

 SF小説における古典的なテーマの一つ、時間移動。私にとって、ウェルズやハインラインが創造したタイムマシンよりもずっと(もちろん『バック・トゥ・ザ・フィーチャー』の改造デロリアンよりもずっと)インパクトがあったのは、ジャック・フィニィの小説(これはSFではないと思う)に登場する時間移動の方法です。いま本が手元にないので正確なことは書けないのですが、『ふりだしに戻る』の主人公は、その時代(目的の時代)からそのままのかたちで残っている建物のなかで、その時代のコスチュームを身につけ、言葉や習慣などもすべてその時代に合わせることによって、時間をさかのぼり、その時代に移動することに成功します(滑稽なほど厳しい訓練を積むんですけど)。この方法、どんな方法よりもリアリティがあると思いません? なんとなく、本当にできちゃいそう。少なくとも自分自身が一度通り抜けてきた時間についてなら可能な気がする。なぜなら、そのプロセスのとっかかりは、私と同様、誰でも経験したことがあると思うから――ある場所に実際に身を置くことによって、その場所にまつわる、ふだんは決して思い出すことのない細かい記憶がびっくりするほど鮮やかに蘇ってくる。「思い出す」という言葉では表わしきれない不思議な感覚。

 まあ……フィニィの小説の場合は、自分自身の記憶とは関係ないところに移動するわけで、私のささやかなタイムスリップ未遂とは全く次元のちがう話ではあるんですけれど。

PS 時間移動と言っても、この方法だと未来の方向に移動するのは絶対に無理ですね――でも実際、本当に未来に行ってみたいと思う人なんているかな?





うさぎの手紙 2003.3

犬たちの物語

「先日、友人が猫って犬よりも耳がいいんですってねと言った」

 先月の『Swan Song』から、承諾なしでコピーさせてもらいました(ごめんなさい)。何を隠そう、この"友人"は、私です。

 世の中、猫派と犬派に分かれる……らしいけど、私は猫派でも犬派でもありません。ただ、うちでは昔から犬しか飼ったことがなくて、猫とは家族としてじっくりつきあった経験がないため、猫についてはよく知らないんです。いままでに可愛がらせてくれた猫もいたことはいたけれど、ほんの数匹だし。たとえば、ホームステイ先にいたティアドロップという名の美描や、友達が飼っていたチビという名のいまは亡き巨大猫(犬でも猫でも、チビという名前の子はたいてい巨大ですよね……「チビの法則」)。

 ああ猫って、なんてしなやかで柔らかくて美しい動物なのだろう。なんてクールでミステリアスなのだろう。そしてなんて勝手気ままで自由なんだろう……

 実生活をよく知らないから、猫にたいしてはこんなふうに"物語的な"イメージがどんどんふくらんでしまうわけ。私にとって、犬は友達、猫は憧れ。そのせいか、猫のほうが何かと犬よりもすぐれているような気がしてしまいます。頭もいいし運動神経もいい、エレガントでワイルドな天性のハンター――でもこれじゃ犬の立つ瀬がないよね。せめて聴覚ぐらいは、と思っていたのにな(もしや、実は嗅覚も猫のが上だったりして……)。

 それにしても、犬ってほんとにミステリアスなところが全然ないですよね。化けてでてくることもないし。そのせいか作家には断然、猫派が多いみたい。物書きは猫と相性がいいのでしょう。だから小説でも犬はあまり印象的な役はもらえない(気がする)。もちろん犬がでてくる物語はたくさんあるし、主役をはることも多い――たとえば、なんと言ってもジャック・ロンドンの2冊の名作(あれはどちらも"普通の犬"じゃないけど)があるし、主人との絆をテーマにした愛と勇気の物語なんて、古今東西、掃いて捨てるほどある(どんなに出来の悪い話でもつい泣いてしまう自分が情けない)。でも、もう少しひねりのきいた物語のもっと難しい役どころはたいてい猫にもっていかれちゃいますよね。いぶし銀の演技で主役を支えるなんて芸当は、犬にはなかなかできないものねぇ。

 そんななか、私のお気に入りのジョナサン・キャロルは、数少ない犬派作家のひとり。ほかの人なら絶対に猫に振りそうな役に、キャロルは敢えて犬を使う。かなり大胆なキャスティングだと思う――はたして犬につとまるのか? 大丈夫。少なくともこの人の手にかかれば、犬だってちゃんとダーク・ファンタジーという舞台に立ち、不気味な輝きを放つのです。お約束のように猫が登場するよりも、かえって物語の不思議さや残酷さが際立つような気さえします――犬だって、やればできる。がんばれば、ミステリアスな味だってだせるのよ。

 まあねぇ……そんなにがんばってもらうこともないか。というか、私がこんなふうにがんばって主張することもないか(繰り返しますが、私は断じて犬派でも猫派でもないのだから)。猫とちがって、犬は単純でお馬鹿さんなところが魅力のひとつだし(知能のレベルとは別ですよ、念のため)。猫はしっかり自分の世界をもっていて、人間にすべてを見せてくれることはない――少なくとも、猫素人の私にはそんなふうに見える。でも犬は、何ひとつ隠さず、もっているものすべてをさらけだして飼主に尽くそうとするし、甘えようとする……とてもじゃないけど邪険にはできないよね。

 猫のほうが犬よりも耳がいいと知って、「耳でも負けるらしいじゃん」とうちの犬(黒柴♀)をさんざんいじめてやりましたが、本人(本犬?)は、全く気にしていないみたい。遊んでもらってると思って大喜び。だいたい、喜怒哀楽がそのまま尻尾にでちゃうってところで、すでに負けてるよ、きみ――そこがまた、あまりにも愛おしいんだけど。

PS そういえば、昔読んだサキの短編集に「ファイド」というのがありました。ファイドって、とてもクラシックな犬の名前らしい――いわゆる忠犬って意味ですよね(当時、調べたの)。このお話、かなり怖いです。他の話はすっかり忘れてしまったけれど、これだけは忘れられない――読んでいない方は読んでみてください。これを怖いと思うかどうかは人それぞれだと思うけど(公明正大、清廉潔白な人は全然怖くないはずよ)。





うさぎの手紙 2003.4

転がる石の奇跡

 3月15日、東京ドームに行ってきました。プロ野球開幕前の日、なぜ東京ドームになんて行ったのか?……と、一昨年のいまごろにも全く同じようなことを書いたな(すみません)。

 そうです。今回は、転がる石体験をしてきたのです。

 私は、ローリング・ストーンズのファンとはとても言えません。そりゃそうですよね。バンド年齢と私の年齢が同じなんですもの。私が音楽を聴きはじめたころにはすでに"大御所"で(これは、ティーンエイジャーにとって、あまり魅力的な言葉とは言えない)、正直、昔の人が聴くバンドだと思っていました。

 でも、どうしても、一度は体験してみたかったんです。前回来日したときは、大いに心は動いたものの、もたもたしているうちに行きそびれてしまいました。今回は、来日の噂が流れはじめたころから心を決めていました。いち早くチケットを手に入れ、この日を楽しみにしていたんです。

 ファンとは言えないどころか、実のところ、いままでアルバム一枚まともに聴いたことはありませんでした。去年リリースされた夢のオールタイム・ベスト『FORTY LICKS』(なぜ"夢"かというと、版権の問題で、全キャリアにわたるベスト盤のリリースは不可能とされていたんですって)は、とりあえずまとめて聴いてみようかな、という軽い気持で買いましたが、そのまま長く放ってありました。コンサートに行くことを決めてから、予習のつもりもあってちゃんと聴いたんです。でも聴いてみてわかったのですが、「予習」は必要ありませんでしたね。なぜなら、ほとんどの曲が、@よく知っている、A一応知っている、Bなんとなく聴き覚えがある、のどれかだったから。信じられないことに、つい口ずさんじゃう歌もあるほどでした。一枚もアルバムをもっていないのに、これってすごい。さすが、伝説のローリング・ストーンズだね。

 当日は、例によって早々と会場に到着。お約束でベロ出しTシャツをゲット。客席は予想どおり、初めて見るような年齢層の高さ(でも若い子もいたし、親子連れもいたので、平均年齢は思ったほど高くはなかったかも)。そして、これまた予想通り、コンサート開始はかなり遅れました。でもどんなに待たされても誰も文句は言わない。そりゃ言わないよね。相手はローリング・ストーンズだよ。パンクチュアルな不良なんて、それこそ裏切りというものだし。およそ40分遅れでやっと客電が落ちる。大歓声(この瞬間が大好き)。

 そして……2曲演奏し終わったところで、ミック・ジャガーが進みでて、私たちに向かってこう叫んだのでした。「みんなぁ……どう?」

 リスペクトのこもった大爆笑。そしてこの瞬間、私を含めた生ミック・ジャガー初体験の女たちの多くが、すっかり彼にやられてしまったの(たぶんね)。帰宅後、ミック・ジャガーと恋に落ちてしまった、と口走って家族に大笑いされた私ですが、ほかにも似たようなことを言った人がいるらしい(友人の友人。具体的には、「ミックと結婚すべきだった、失敗した」と言ったそうですけど)。生ミック・ジャガーの魅力、これはもう圧倒的だったんですよ。他のメンバーのことを忘れているわけではないけれど、でも、とにかくミックに視線が行ってしまう、どうしてもその動きを追ってしまう、これが本物のフロントマンというものなのね。写真とか、TVなどを通して見る短い映像とかではいまひとつ実感できなかったけれど、あの「かわいらしさ」はいったいなんなんだろう。思わず走っていって抱きしめたい、と思ってしまうような、ストレートで強引な魅力なんだもん。そしてもうひとつ。彼のアグリーなところがたまらない、と言った往年のファンの話を聞いたことがありますが、その気持、ものすごくよくわかっちゃいました(ほんとなんですよ、これ)。

 バンド全体としても、コンサートそのものも、もちろん最高にかっこよかった。これに関しては私なんかがここであれこれ言うことじゃありませんよね。でも、改めて認識したことがひとつあります。それは、ここまで大物になると、いやでも最高の人びとがまわりに集まってくるものなのだろう、ということ。おそらく、スタッフはすべて超一流の技術と感性をもつ優秀な人材ばかりなのだろうと思います。たとえば今回のコンサートに関して、私のような素人の目にも簡単にわかるところでは、ステージセット、特にスクリーンのセンスが抜群でした。敢えて名前はださないけど(ファンに殺されちゃうから)、こういうところで差がでちゃうよね……B××J×××とは……(あのステージセットはバンドが可哀想になるくらいひどかった)。

 それにしても、なんてミラクルなバンドなのだろう、と改めて思いました。40年も第一線で活動しているという、それだけでも奇蹟だけれど、このバンドの奇跡は他にもいろいろあるでしょう。なんと言ってもバンド名ですよね。私は長年のファンではないし、勉強熱心な新しいファンでもないので、実際のところは全く知らないけれど、いったいどんなふうに、誰のインスピレーションによって、このバンドに「ローリング・ストーンズ」という名前が与えられたのでしょう。このバンド名が、まさに彼らそのものをあらわしていますよね。

 いままでずっと、彼らは転がりつづけてきた。ときには勢いよく、ときには緩やかに、あらゆることを乗り越え、押し分け、なぎ倒し、ときにはうまくよけながら。その流れのなかで、さまざまな人を巻きこみ、あるいは後に残し、ときには冷酷に打ち捨てながら。40年間、動きを止めそうな瞬間があったとしても、決して完全に停止することはなかった。そして本当に、転がる石には苔の生えることはなかったというわけですよね……。この名前を初めて名乗ったとき、若い彼ら自身、40年後、自分たちがまだ転がりつづけているなんて、予想もしていなかっただろうと思います(「長くつづけていこうぜ」なんて、不良には似合わない目標だしね)。

本当のことを言えば、今回が最後のチャンスかもしれない、もういつ終わってもおかしくないバンドだし(誰かが死ぬかもしれないし、単に引退するかもしれないし)、行っておかないとあとで後悔するだろう、なんて思っていたのですが、私は完全に間違っていました。あのパワー、あのエネルギーはあまりにもすごすぎるもの。

結論 このバンド、あと20年はやるね……20年後もミック・ジャガーは「サティスファクション」を歌いつづけ、なおかつ10曲以上、新しい曲をだしていることでしょう……そしてこれからも、決して苔の生えることはないでしょう。





うさぎの手紙 2003.5

マット・スカダーができるまで

 なんだか書くのが恥ずかしいようなタイトルなんですが、『ローレンス・ブロックのベストセラー作家入門』という本を読みました。もちろん、ローレンス・ブロック著。

 言わずもがなですが、別にベストセラー作家になりたくて読んだわけではありません。マット・スカダー誕生秘話を読みたかったわけでもなくて、単にローレンス・ブロックの本だから読んだんです。ローレンス・ブロックは大好きな作家の一人……のはずなんですが、実は、純粋にローレンス・ブロックが好きなのか、ローレンス・ブロックと翻訳者の田口俊樹さんとのコラボレーションが好きなのか自分でもよくわかりません。たぶん、後者だと思う。なぜなら、大好きな作家の場合、原書も読んでみたくなるものだけれど、ローレンス・ブロックにかぎっては原書を読みたいと思ったことが一度もないから(当然、読んだこともない)。

 アル中探偵マット・スカダー・シリーズは、私のお気に入りのミステリーのひとつ。長いシリーズって、登場人物とすっかり馴染みになって、ついつい読みつづけてしまうものですよね。明らかにマンネリだと思うシリーズもあるし、作品のグレードが落ち気味なのを読者として感じてしまうものもあります。それでも敢えて新刊に手をだすかどうかの決め手は、とにもかくにも主人公(および脇役たち)の魅力です。マット・スカダーは、とても存在感があって深みのあるキャラクター。白状すると、昔、マットがものすごく陰のある(そして過去もある)アウトローだったころのほうが、ハードボイルド・ミステリーとしては断然面白かったとは思っているんですけど。最近のマットは、なんだかずいぶん落ち着いた、素敵なおじさまになってしまった気がするわ(結婚はしないでほしかったな……正直なところ)。

 余談ですが、シリーズものの場合、登場人物に歳をとらせるかどうかは大問題ですよね。たとえば、エド・マクベインの87分署シリーズでは、最初のうちは一冊ごとに歳をとっていたような気がするんだけど、途中で止まってしまったみたい。そりゃそうだよね。みんな老人になっちゃうもの。このシリーズを読みあさったのはたしか中学生のころだけれど、私が生まれる前に始まったシリーズだと気づいて呆然とした憶えがあります(キャレラ刑事は、あるいは若くてハンサムなクリング刑事は、いまいったいいくつなんだろう?

と思って)。マット・スカダーは着実に年齢を重ねているようです。このまま本物のおじいさんになっちゃうんだろうか……?

 さて、『ベストセラー作家入門』では、マット・スカダーの生みの親、正真正銘のベストセラー作家であるローレンス・ブロックが、自分の仕事のあらゆる段階、あらゆる側面について語っています。マットの物語も、泥棒バーニイの物語も、この人がタイプライターの前に座り、苦労しながらつくりだしているのだと思うと、なんだかとても不思議。だってふつう、小説を読んでいるときには、作者のことなんて全然考えないでしょう? 作家が非常にすぐれていて、話がリアルでよくできていて、登場人物が生き生きと描かれていればいるほど、作り手の存在は消滅していくものですよね。この人がマットを生みだし、言葉を語らせ、事件を解決させ、そして歳をとらせているのだとわかってはいても、読者(つまり私)にとって、マット・スカダーはローレンス・ブロックよりもずっと存在感があるわけです。マットにたいしては愛情さえ感じるけれど、ブロックにたいしては特にこれといった感情ももっていないしね。

 ……と書いていて気づいたんですけれど、要するに私って、作家にとってとても都合のいい、実に作家フレンドリーな読者なのね……。ブロック曰く、「小説とはしょせん、ひとまとまりの嘘にすぎない」。そしてこの本の原タイトル――Telling Lies for Fun & Profit――から言えば、作家の仕事とは「愉しみと利益のために嘘をつくこと」。その嘘にたいして、お金まで払って大喜びしているんだもの、私ったら。

 この本、ローレンス・ブロック、あるいはミステリーに全く興味がない人でも、気の利いたユーモア・エッセイとしてなかなか楽しめると思います。また、本や文章に関わっている人には、何かしら参考になる部分や慰めになる部分があるかもしれません。そして、小説を書きたいと思っている人にはもちろんお奨め。ベストセラー作家が、小説の書きかたや仕事の進めかたをとても具体的に指導してくれているだけでなく、自分の苦労話や体験談を実に正直に綴っているんですから――とはいえ、嘘もたくさん書いているかもしれないけどね(なんと言っても彼は「作家」なので)。

 もしもいま、この本に少しでも興味をもった方がいたら、本屋さんに行って「訳者あとがき」を読みましょう(買いたくなること間違いなし)。そして、この本を買って、そのおかげですばらしい小説を書き、将来ベストセラー作家になったらば、小さなきっかけになった私のことをちらっと思い出して、お茶の一杯でも奢ってね。

PS ところでこの本、原題をそのまま訳してタイトルにしたほうが絶対に売れるんじゃないかと思うのは私だけ……?





うさぎの手紙 2003.6

ペナントレース序盤戦

 プロ野球のペナントレースもほぼ50試合が終わりました。野球に興味のない方がたにはどちらにしろつまらない話でしょうが、今年のプロ野球、なかなか盛りあがってます。他チームのファンとしては素直に認めたくないところだけれど、これはやっぱり、阪神タイガースのおかげなのでしょう。

 はしゃぎすぎのタイガース・ファンに眉をひそめる人もいるけれど、私は面白くていいと思うな。すでにマジックだしちゃったりして、さすが関西って感じ。なかなかあそこまで突き抜けたようには騒げないですよ。

 巷では、このタイガースの強さが本物かどうかを疑う声も多々あるようです。せいぜいオールスターまでじゃないか、とか。去年だって5月まではよかったんだよ、なんて言う人もいるしね。

 私はもちろん、スワローズの優勝を今年も心から信じていますが(ファンなので当然です)、でも、今年のタイガースにならペナント譲ってもいいかな……と、心のほんの片隅で微かに思ったりもしています――あくまで心の片隅で、あくまで微かに、ですけど。

 実は今年のタイガースには、シーズン開幕前から大いに楽しませてもらっているのです。星野監督は、CM出演などのオフのおいしいお仕事ををすべて断わって、チームづくり(というかとりあえず人集め)に専念したとか。そして集まった面々が……伊良部、金本、そしてなぜか下柳……う〜ん……野球っていうよりケンカ強そうだなぁ(なんて思ったのは私だけじゃないでしょ?)。でももちろん、ちゃんと野球も強かったのでした(当たり前ですよね、すみません)。さらにムーアなんていうものすごい外国人投手も加わって、実にキャラがたったチームのできあがり。まるで東京メッツみたい。

 ところで、東京メッツってご存じでしょうか? 知る人ぞ知る野球漫画の名作『野球狂の詩』に登場する架空のプロ野球チームです(ホームグラウンドはたしか、国分寺球場だったと思う)。この漫画、水原勇気という日本プロ野球界初の女性投手の物語だと思っている人が多いと思いますが、それは後半。私は水原勇気が登場する前のほうが何倍も好きでした。個性豊かな(というより滅茶苦茶な)選手たちが、一話ごとに主人公を演じる連作漫画(ちなみに私は"北の狼"火浦投手のファンだったの)。

 今年の阪神タイガース、東京メッツの実写版みたい。強いと思う以上に面白いなぁと思ってしまうのよね。ファンの方がた、ごめんなさい。でも、笑えるのに強い、笑えるのにかっこいい、これ、最高じゃないですか。

 とはいえ、このままタイガースが独走してしまうと、たしかにセ・リーグはつまらなくなっちゃいますね。ゲーム差もいまが限界。他のチームもがんばらなくちゃね。まさかそんなことはないと思うけど、このまま何事もなくすんなりとタイガースが優勝したら、たしかに盛りあがるのはタイガース・ファンだけになっちゃう――盛りあがるのは関西だけと言う人もいますが、それは間違いだと思う。タイガース・ファンは全国にいる。私のまわりにもたくさんいます。この二カ月のあいだにカミングアウトした人も多いでしょう(ほら、そこのあなた)。ちなみに、梅雨入り前に宣言すれば、タイガース・ファンとして認めてくれるそうですよ……たとえにわかファンでも。あるいは、いままで卑怯にも口をつぐんできた隠れファンでも。

 愛するスワローズはここまでのところ、勝率は五割前後を行ったりきたり。順位は二位から五位のあいだを行ったりきたり(つまり、二位から五位まではほとんど差がないということですね)。でも地味ながら、対タイガース戦はなかなかがんばっているほうだと思います。

 それにしても横浜は情けないよね。一応地元だから応援したいけれど、最下位なのは仕方ないとしても、五月末にしてすでに自力優勝の可能性が消滅するなんてあんまりだと思いません? プロ野球のチームとして、それはほとんど犯罪だと思う。だってペナントレースなんだから。ペナント争いからこんなに早く脱落しちゃったら、もうプロのチームとして存在理由がないじゃない。いっそプロ野球もJリーグみたいに入替があったほうがいいんじゃないかと思ってしまいます。「横浜」と名乗っているのだから、市民に恥ずかしい思いをさせないでほしい。もしかして、チーム名が悪いんじゃない?

"湾星たち"っていったい何……?("鯨たち"のほうがずっとよかったよ)――こんなことを書いて、横浜ファンは怒っちゃうかしら(怒るなら、球団を怒ってちょうだいな)。





うさぎの手紙 2003.7

禁断の地

 友達の息子のお誕生日プレゼントを買いに行きました。彼は私のアイドル。とっても賢くて可愛くて、一緒にいると本当に楽しいんです(たまにしか会えないのに、私のことをちゃんと覚えていてくれるし)。まだ寝返りもうてないころからのおつきあいですが、その彼も今年3歳。いよいよ、本人を直接喜ばせるプレゼントを選ぶときがやってきました。これまでは、何をあげてもまだ本人が喜ぶわけではなさそうだったので、どちらかというとママが喜んでくれそうなものを選んでいたんですよね(可愛い靴下とかね)。

 というわけで、今回ついに、デパートのベビー服売場から通路をひとつ越えて、何十年かぶりに「おもちゃ売場」に足を踏み入れたのでした。

 この世にはこんな楽しい場所があったんだ……知らなかった――いや、忘れてた。

 友人曰く、おもちゃ売場は大人にとって禁断の地なんですって(ただし陶酔できるのは、子連れでない場合のみ、だそうですけど)。たしかに。いちど足を踏み入れると簡単には抜けだせませんね。私が子供のころには、そのコンセプトすら存在していなかったおもちゃもたくさん並んでいるけれど、昔ほしくてたまらなかったおもちゃとほとんど同じものもいまだに売っているのね。郷愁を誘われつつ、好奇心も刺激されるというわけ。いろいろなものに目を奪われているうちに、あっというまに時間が過ぎていくのでした。

 今回、ゲーム系は個人的に興味ないので無視。彼が電車や車が好きなのは知っているけど、何を買ったらいいか全くわからないからそこも素通り。男の子なので懐かしいお人形コーナーもとりあえずパス。そして、ついにやってきてしまった、輸入もののいわゆる知育玩具のコーナー。"知育"なんてイヤラシイ言葉だけれど、でも製品自体はどれも実によく考えられていて、面白いんです。センスもいいし可愛いし。端からひとつひとつ手にとってじっくり見ちゃいました。迷った末に選んだのは、マッチ棒くらいの長さのマグネットの棒と、パチンコ玉のような金属球を自由に組み合わせて、さまざまな立体をつくって遊ぶおもちゃ(ちなみに対象年齢は3歳から99歳)。

 とにかく楽しいひとときでした。この「おもちゃ売場、大人になってから初体験」は。こんどはもっとゆっくり、今回パスした着替え人形のコーナーも見たいわ。この調子でトイザらスなんて行っちゃったら大変なことになりそう。絶対に足を踏み入れないようにしなくっちゃ。

 とはいえ、単純にこんな楽しい気持になれるのは私が大人になったからですね。基本的には眺めて楽しむだけで、ほしいと思うわけではないわけだから。おもちゃ売場をめぐっては、楽しい記憶ってほとんどありません。おもちゃを買ってもらったことよりも、ほしいのに買ってもらえなかったことのほうが多いんだもの。うちはあまりおもちゃを買ってくれない家庭でした。貧乏だったというより(別に裕福ではなかったと思うけど)、そういう教育方針(?)だったのだと思います。私は絵に描いたような「女の子」だったので、とにかく着替え人形(つまりリカちゃん)がほしかったんです。正確には、リカちゃんはとりあえずひとつもっていてそれで満足していたんですが、その着替え用の"お洋服"がほしかったんですよね。つねに新しい服がほしいわけだから親も大変。あんまり買ってもらえなかったと思いこんでいるけれど、もしかしたらたくさん買ってもらえたほうだったのかもしれません。商品はいくらでも売られていて、新作もぞくぞくと発表されていたのでしょうからキリがないですよね。母が毛糸でお人形用の服をつくってくれたおぼえもあります。いま思えば、それってすばらしいことだけど、当時は、ちゃんとパッケージされたきれいなお洋服がほしかったのよ(ごめんなさいお母さん)。

 もうひとつ、おもちゃというと必ず思い出す、たぶん死ぬまで忘れられない辛い思い出。同じ幼稚園に通っていた近所の女の子数人(たぶん母親同士が仲がよかったのだろう)が全員買ってもらったおもちゃがありました。忘れもしない「ママレンジ」。名前の通り、おもちゃのレンジなんですけど、小さなフライパンを使って実際に小さなホットケーキが焼けるんです。これを私だけが買ってもらえなかったんですよね。泣いて頼んでもだめだった。どんなに悲しくて惨めだったか、いまでも思い出せるほどなんですが――でもたしかに、たいしたおもちゃじゃなかったかもね。本物のホットケーキは本物のフライパンで焼けばいいことだもの。あのときこれを買ってもらえなかったせいなのか、私はどちらかというと早くからお料理のまねごとをするようになり、小学生のころは、毎週日曜日の朝、誰よりも早く起きて大喜びで家族の朝食の支度をしていました(これって母の計略だったのか?)。

 それにしても、あのころ、ほしいものを全部買い与えられていたらどうなっていたのかしら……幸せだったかどうかわかりませんよね。おそらく、幸せではなかったのでしょう……大人としていま考えてみると。

――だけど、ほんとにほしかったなぁ……ママレンジ。

PS 眺めて楽しむだけで、ほしいと思うわけではない、なんて書いたけど、こんどリカちゃんコーナーに行ったら、つい、お洋服を大人買いしちゃったりして……まさかね。





うさぎの手紙 2003.8

神奈川を征するものは……

 突発的な短期郷土愛の季節がやってきました。なぜ人は毎年、こんなにも甲子園に燃えるんでしょう(あ……今回はタイガースじゃないですよ)。野球なんて嫌い、高校野球なんて全然興味ない、という人ももちろん大勢いるでしょうが、ごく一般的に言って、やっぱりこの季節、高校野球で全国的に盛り上がりますよね。

 私のうちはごく一般的な日本の家庭なので、昔から夏休みは母や妹と一緒にテレビで高校野球観戦でした。地元神奈川代表と父の地元の鹿児島代表を応援するの(父は奄美大島出身なんですが、奄美大島って鹿児島県なんです)。子供のころは、母につられて地元の"高校生のおにいさんたち"をわけもわからず応援し(だから昔、現巨人軍監督を精一杯応援したこともあります……図らずも)、ティーンエージャーのころは地元に関係なくかっこいい投手がいるチームを応援しちゃったり。いまは、いかにも"青春してるぜ!"の可愛い高校生の男の子たちを応援しているわけで、すっかりおばさんになっちゃったんだな、とちょっともの悲しい気もします。

 高校野球にはいろいろ問題もあるみたいだし、そういう問題を指摘されるとたしかにもっともだと思うことも多いけれど、それでも実際にプレイしている選手たちには心から声援を送りたい。それに試合そのものはやはり純粋に楽しめます。さらに、高校野球は応援席もいいですよね。ここにも青春がみちあふれてる感じ。残念ながら私は女子校育ちなので母校の応援というのには縁がありません。こんど生まれてきたら絶対に野球部のある高校に行きたい。別に甲子園に行かれなくてもいいの。地方大会一回戦敗退でもいいから、この季節、とりあえず自分の学校のチームを応援してみたいなぁ……。

 さて、神奈川県は、ご存じの通り全国一の激戦区。出場校総数がなんと今年は198(これでも去年よりもいくらか少ないんです)。さすが「神奈川を征するものは全国を制す」と言われるだけあって、ここで甲子園への切符を手にするのは本当に大変。よほどしっかりしたチームでないと絶対に代表にはなれません。もちろん、神奈川を制しても全国を制することができるとはかぎらないわけですけど。でも、決してラッキーだけでは代表になれないから、全国大会であまりにも情けない試合をすることはありません。いつもそこそこは強いし、そしてときどきは本当に奇跡のようなものすごいチームが生まれるんですよね。わかりやすく(たぶん)言えば、『ドカベン』の明訓高校なみの。

 たとえば98年の横浜高校。他の県の方が松坂投手(西武ライオンズ)をどんなふうに思っているのかはわかりませんが、あの夏、少なくとも神奈川県民(特に横浜市民)は燃えに燃えました。あの大会の松坂投手、そして横浜高校チームはとにかく圧倒的でした。それこそ『ドカベン』以上のドラマがあり、『ドカベン』以上の迫力がありました。(関係ないですけど、松坂投手にはセリーグのチームに入団してほしかった……あのバッティング、活かせないのはほんとにもったいない)。

 今回、横浜高校は決勝戦で敗れました。でも聞いてください。準決勝は東海大相模戦、準々決勝は桐蔭戦でした。神奈川では、桐蔭を破り、東海大相模を倒しても、甲子園に行かれないんですよ。神奈川の場合、もしもノーシードだったら、8つ勝たなくちゃ甲子園に行かれない(ノーシード校が決勝に残ることはほとんどないけれど)。これが鳥取や福井だったら、5つ勝てば甲子園、さらに言えば、シード校は1つ勝てばもうベストエイトですよ。この格差、すごくありません? ついつい、鳥取や福井には負けられないよぉなんて暴言を吐いちゃいますよね。とはいえ、だから神奈川県を二つ(いや三つ……四つだっていいのかも)に分けて、出場校を増やしてほしいとは実は全然思っていません。ここを勝ちあがっていくからこそ、ドラマチックなんだもの。

 神奈川大会は、とにかくすごいんです。そして胸きゅんの青春っぽさも全国大会以上。とにかく優勝したい、そして甲子園行きたい、その必死さがある意味、全国大会よりも大きいような気がするんですよ。全国大会ももちろん面白いけれど、でもとりあえず甲子園出場を決めたところで、ひとつ目標達成しちゃってるでしょ? 甲子園にでたっていうだけで、充分なステータスですもの。おそらく選手にとって、甲子園の一回戦で負けたときの悔しさよりも、地方大会で優勝して甲子園出場を決めたときの喜びのほうが大きいんじゃないかと推察します。

 たとえば"泣ける映画"好きの人("泣ける映画"というは不思議なジャンルですよね)、一度、神奈川大会の試合をひとつ観てみるといいと思うよ。とにかく泣けるから。選ぶとしたら準々決勝か準決勝くらいがいいかな。一回戦とかだと見てて困っちゃうようなとんでもない試合もあるだろうし。でもまあ、13-0、7回コールドなんていうゲームも、それはまたドラマですよね)。

 ところで……「神奈川を征するものは全国を制す」って……このフレーズ、もともとあったものなのかしら。それとももしかして、ドカベン・オリジナル??

PS がんばれ、横浜商大&都立雪谷!!





うさぎの手紙 2003.9

このごろのスポーツ放送って……

 最近のテレビのスポーツ放送って本当にひどいですね。いったいいつからこうなっちゃったのかよくわからないけれど、もう救いようがない感じ。

 この夏の世界水泳と世界陸上、放送したテレビ局はちがうけれどとにかくひどかった。両大会とも選手たちはとてもがんばっていたので、なおさら放送のひどさに呆れちゃいました。まずは世界水泳の実況。何かと忙しくてあまりみられなかったのですが、北島選手の200メートルは絶対にリアルタイムで金メダルをとる瞬間をみとどけようと決めていました(100はみのがしてしまった)。でもね……あの実況にはひいてしまったわ。たった200メートル、たった2分間だったのに、それが堪えられませんでした。で、途中で音を消したんですけど、私は目が悪いので、無音の競泳の画面はいまひとつつかみづらい……すごいジレンマでした。レース後はレース後で、こんどはスタジオの元テニスプレーヤーたちがうるさいうるさい……。これって……どうなの? あの放送を喜んだ人って、この日本にいったい何人いたんでしょう。呆れはてたのは絶対に私ひとりではないと思います。

 そして世界陸上。これもヒドイな。とはいえ、こっちはほとんどみていないんですけど。みていない理由がヒドイと思う理由のひとつでもあります。視聴者を引っぱるやりかたが姑息なんだもん。"このあとすぐ"じゃないくせに、"このあとすぐ!!"って言うな、って思いません? 一度騙されてから、すっかりみる気が失せちゃいました。注目の競技が始まるのがだいたい何時ごろなのか、番組冒頭で潔く言えばいいのよ。そうすれば、じゃあ今から二時間くらい寝ておくかなんて思う人だっているよ、きっと。予選のVTRを繰り返し流したり、スタジオでつまらない会話を延々とつづけられてもねぇ……。世界陸上のメインキャスターは、この夏は映画も大好評の某人気俳優……たしか数年前、初めて世界陸上のキャスターに起用されたとき、素人ながら真面目に取り組んでいる姿は一応好感がもてた気がします。役者としては全く興味がないけれど、けっこういい人なのかもね、なんて思ったり。でも、何回もやるうちに陸上競技(というかこの大会)にくわしくなったせいなのか、態度がものすごく独りよがりになっているような……はっきり言って鼻につきます。この放送にかけるあなたの情熱はわからないでもないけど、あなたの"解説"は別にいらない。

 スポーツ放送にもいろいろあるとは思います。たとえば、いちばん一般的なプロ野球。私はプロ野球はスポーツというよりもエンターテインメントだと思っているので、どんなふうに放送されてもとりあえずは我慢できるんです。いざとなれば音消すし。音消してもわかるし、音だけラジオにしてもいい。多少盛りあげてくれてもいいのにと思うことさえあります。ただのプロ野球なのに、ニュース解説みたいな放送されてもねぇ……(陰気な解説者を使うくらいなら解説なしのほうがマシだよね)。

 でも、陸上や水泳は、プロ野球とは全く性質がちがうと思うんです。競泳も競走も、"ゲーム"ではない。だから実況にはより節度が必要だと思います。とにかく冷静に伝えてほしい。それが、コンマ何秒を争う選手たちへの礼儀じゃないかと思いません? 選手がそういう種類の時間を真剣に競っているときに、何も実況アナウンサーがその話術(?)をひけらかす必要はないじゃないですか。どうしてこのたった数分間をあれほどしゃべり倒さなくちゃならないの? どうしていちいち選手にキャッチフレーズが必要なの?――プロレスじゃないんだからさ。選手をめぐるさまざまなエピソードの紹介も、度を超えたらうんざりしちゃう。"感動"って押しつけられても困るのよね。私はスポーツを楽しみたいのであって、場違いなアナウンサーの絶叫や変に熱くなった俳優の語りを聞きたいわけではない。おまけに、スタジオに並んだタレントたちがモニターをみながら感涙にむせぶシーンなんて、いったい誰がみたがるというのだろう……?

国営放送の肩をもつのは実に不本意だけど、このてのスポーツに関しては、NHKで放送してほしいとまで、最近は思ってしまいます。

 文句を言いたくなるのは、これがスポーツ放送だからなんです。たいていの場合、私はテレビ番組を批判する人の気持がよくわからない。いや、わかるけど、別にそれはどこかに投書したり、わざわざテレビ局に抗議したりするようなことじゃないと思っています。友達同士で悪口言って、盛りあがれば済むことじゃないですか(それも楽しいよね)。深刻な名誉毀損の問題が絡んだりしないかぎり、テレビなんてスイッチを切ればそれでいいんだもん。選択権はこっちにあるよ。面白くないならみなければいい。不愉快な番組を我慢する必要は全くない。

でもスポーツのライブ放送の場合は、そういうわけにいきません。リアルタイムでみたければ、独占放送を決めている放送局の番組でみるしかない。一般視聴者に選択の余地はないのよね。

 世の中には、テレビでスポーツ観戦をしようなんて全く思わない人も大勢います。そういう人たちは、どんな手を使おうと結局みないよ。人気俳優やアイドルグループを連れてきてにわかキャスターやにわか応援団に仕立てあげたところで、ほとんど意味ないと思う(たとえ、その俳優やアイドルが、ちゃんと勉強して一所懸命にやったとしても)。

 一方でテレビでスポーツ観戦するのが大好きな人もたくさんいます。生よりテレビ観戦のほうが好きだという人さえいる。そして、テレビでスポーツ観戦を楽しむ人はたいてい、テレビ局側のろくでもない過剰企画に辟易しています。

 つまり、これって逆効果じゃないですか? 視聴率アップどころか、常客まで手放すことになるのでは? みたいと思っていない人にみてもらおうとくだらないアイデアをしぼるよりも、みたいと思っている人を大切にして、節度のある誠実な放送を心がけたほうが、長い目でみれば正解なんじゃないかと思うんですけど……(馬鹿騒ぎの才能はバラエティ番組で発揮すればいいじゃん)





うさぎの手紙 2003.11

祭りのあと

 またまた野球の話ですみません。今年はもうこれで最後(のはず)なのでお許しください。ワールドシリーズと日本シリーズがほとんど同じ日程で行なわれ、どちらもかなり盛りあがり、そしてほぼ同時に幕を閉じて、ついに今年の野球シーズンもすっかり終わってしまいました。毎年のことですが、寂しいけれどもいくらかほっとするのよね……。

 今シーズン、野球のニュースのトップはつねに松井選手でした。日本人は全員松井、そしてヤンキースのファンと決めつけた報道ばかりでしたよね。試合の中継もとにかくヤンキース優先、ヤンキース贔屓。メディア的には、イチロー選手の影がすっかり薄くなってしまった感じ。去年までは、日本人は全員イチロー、そしてマリナーズのファンと決めつけていたくせに。イチローくんが大好きな私でも戸惑ってしまうほど、とにかく"一辺倒"だったのにな。「日本人はイチローを忘れちゃったのかい?」と、あるカナダ人に言われたわ。全くだよね。ほんと日本のマスコミって節操ないですよね。

 とはいえ正直なところ、私も今年は松井選手を心から応援しました。もちろん初めてのことです。私はまずスワローズファンであり、次にアンチ巨人なんですもの。別に松井個人に恨みはないけれど、ジャイアンツの中心選手である松井を応援するわけないじゃありませんか。でも、"あのジャイアンツ"を捨てて(捨てられたとはジャイアンツファンは決して言わないだろうけど)、正々堂々と自分の夢に挑戦するなんて、なかなか見上げたもの。だからたしかに今年は、日本の野球ファンのほとんどが松井を応援していたかもしれません。アンチ巨人の人間は新鮮な気持で、そしてジャイアンツファンは自然な流れで(特に今シーズンは、ジャイアンツファンにはいろいろ辛いことが多かったようで、松井を追ってジャイアンツを去り、ヤンキースファンになった人もけっこういたみたい)。

 ニューヨーク・ヤンキースとフロリダ・マーリンズの対決となったワールドシリーズを制したのは、日本人(というより日本のマスコミ)の期待に反してマーリンズでした。残念に思った人も多いでしょうが、松井選手のためにはかえってよかったんじゃないかしら。一年目で何もかも手に入れてしまうのはつまらないよ、たぶん。

 松井選手を応援してはいたものの、ワールドシリーズではつい、いままでほとんど関心のなかったマーリンズに声援を送ってしまいました。ポストシーズンに入ってから、このやんちゃでいきのいいチームにすっかり魅せられてしまったのです。だって、誰にも伝わらないかもしれないけれど、十年前のスワローズを思い出させるんだもの。あるいは、これも伝わらないだろうけど、知る人ぞ知るバスケット漫画の名作『スラムダンク』みたいだったんだもの――とにかく、本当にわくわくさせてくれました。ベースボール映画はウケないとよく言われますが、そりゃそうですよね。現実にこれほどスリリングなドラマが生まれるんですもの、どうがんばってもつくられたストーリーは負けちゃうよね。……というか、こんな話を人工的につくったとして、はたして映画としていい評価がもらえるでしょうか? リアリティに欠けた子供っぽいB級作品とか言われちゃうんじゃないかな。

 メジャーリーグでは来シーズン、リトル松井と呼ばれる松井稼頭央選手がどこかのチームできっと大活躍するはずです。楽しみ〜(頼むから、巨人には行かないでね)。

 さて、 一方の日本シリーズ。こちらもドラマティックでした――多少のわざとらしさはあったけど。なにしろ人気球団同士の対決となったため、シリーズ前から監督や選手にまつわるエピソードや因縁話、地元の様子のレポートなど、さまざまなかたちで盛りあげられすぎてしまうんですよね。そればかりが先行して、試合そのものが大したことなかったらがっかりだったと思うけど、今年は誰にも予想のつかない展開で、久々に最終戦までもつれこむ大熱戦。実にエキサイティングなシリーズで、どちらのファンでもない私も充分に楽しめました。あるいは、それだからこそ、より純粋にシリーズを堪能できたとも言えるかも。どちらが勝つにせよ、あっさりと終わらずにとにかく第七戦まで戦ってほしいと思っていました。結果はご存じの通り、4対3でダイエーの勝ち。おめでとうございます。友達に阪神ファンがいるため、一応は阪神優勝を願っていたけれど、本当はどちらでもよかったんです。星野監督がついに日本一になることなくユニフォームを脱ぐというのもまたドラマだなぁ……なんて思ったりして(ごめんなさい)。ちなみにこの阪神ファンの友達は、いつもなら夏までに終わる興奮の日々が、今年は十月までつづいたため、すっかり疲れ果ててしまったそうです。

 来シーズンはもちろん、スワローズが日本一を奪回します。乞うご期待!(スワローズファン以外、誰も喜ばないのはわかっているけど。阪神や読売、ダイエーとちがって、経済効果もゼロだしね……そんなもの、野球に求めないでちょうだいな)。

PS スワローズの伊藤智仁投手がついに引退を表明し、ファンの夢がひとつ、消えました。彼が再びマウンドに立つ日を、私たちはずっと待っていたのです。伊藤投手の通算成績を見て少なからず驚きました。37勝27敗25セーブ。そうだったっけ? 勝ったのはたったこれだけだったっけ? セーブ数はこんなもんだったっけ? 俗に言う、記録ではなく記憶に残る選手、ということなのでしょうか。

 伊藤投手、あなたのことは忘れない。私がこれほどスワローズを好きになった理由の何分の一かは、あなたの存在にあったと思います。本当にどうもありがとう。





うさぎの手紙 2003.12

天使の舌

 今年ももう終りですね。一年間、おつきあいいただき、ありがとうございました。

 個人的に、今年いちばんの出来事は、赤ちゃんと一緒に暮らすようになったこと。妹に赤ちゃんが生まれたんです。六月生まれの女の子。ちょうど六か月になりました。

 こういうところで身内の赤ちゃんについて書きはじめたら、とんでもないことになるだろうと思い――つまり、他人には面白くもなんともないことを延々と独りよがりに書き連らねてしまいそうだと思い――いままではこの話題、封印していました。だって私、自他共に認める世紀のおば馬鹿なんだもん。でも今年も最後だし、ほんの少しだけお許しください。

 姪が生まれるまで、赤ちゃんといると飽きないわよ、と人に言われても実はよくわからなかったんです。もちろん可愛いだろうけど、飽きないってどういうこと? 赤ちゃんって、泣いてミルク飲んで寝て、また泣いてミルク飲んで寝て……の繰り返しなんじゃないの? 何がそれほど面白いの? でも、実感しちゃった。本当に面白い。なんと言っても、毎日全然ちがうんだもの。本当に、文字通り"毎日"、成長し変化していくんですよね。昨日と今日では全然ちがう。こりゃ飽きないわ。妹、つまり生みの母親も、ものすごく可愛いものだろうとは予想していたけれど、こんなにも面白いものだとは思わなかった、と申しております。

 何がそんなに面白いのか。これについて話しはじめたらきりがないし、他人にとっては大したことではないのかもしれません。それより何より、どれほど面白いかを文章で伝えるのはあまりにも難しい(どれほど可愛いかはもちろんのこと)。なので、最近の大発見をひとつだけ書いておしまいにしとこうと思います。これもたいしたことじゃないですけどね。

"赤ちゃんは、天使の舌を持っている!"

 離乳食を始めて実感したことなんですが、赤ちゃんの味覚ってものすごく敏感らしいんです。知らなかった。離乳食では、鰹節と昆布でとっただしや野菜を煮込んだスープは使いますが、調味料を使った味付けはいっさいしません。赤ちゃんは、素材の味やだしの旨味がものすごくよくわかるらしいんです。すりつぶした白身魚を塩胡椒をふるでもなく、お醤油をつけるわけでもなく、そのままおいしそうに食べる。お野菜もそのままの味でおいしそうに食べる。にんじんでもほうれん草でもカリフラワーでも。お豆腐や白身魚はよいもの(早い話が高いものなんですけど)ほどおいしそうに食べる。味の違いがちゃんとわかるみたい。おいしいと思ったら、もっとちょうだいとしっかり意思表示。

 う〜ん……たいした"美味しんぼ"ちゃんじゃないの。

 赤ちゃんはきっと天使の舌をもっているのね。たぶん、人間の舌はもともととても敏感で、誰でも本当は素材のもつ味、本当の美味しさがわかるものなのでしょう。それがやたらに味付けられたものやインスタント食品などを無頓着に摂取するうちに、侵されてしまうのだと思います。いちばん舌が肥えているのは赤ちゃんなのかも。

 いつまでこの天使の舌をもっていられるのかしら。それほどたたないうちに失ってしまうんでしょうね。もったいないけれど、しかたないですね。食べ物にたいして変に贅沢に育ってもらっても困るし、妙に素材にこだわる子供なんて可愛くないし。好き嫌いせず、なんでもたくさん食べて大きくなってね。

PS いま、家族のあいだでの最大(というわけじゃありませんが)の話題は、この子の"初めての言葉"はなんだろう、ということ。友達の息子は"ちょうちょ"だったそうです。まあ、なんて可愛いらしい。どうも私の姪っ子は、そういう夢みがちなタイプじゃなさそうな気がするわ……。