【ぐるぐるくん】バックナンバー 2002年  野中邦子(のなか くにこ)   2003年2001年2000年はこちら



ゴリラ、マイ・ラブ 2002.1



ダイアン・フォッシー。
ゴリラの手が彼女の
顔をなでている。
1985年12月26日、アフリカの森の中で一人の女性フィールドワーカーが死んだ。他殺だった。犯人は密猟者か地元住民かともいわれるが、真相はわかっていない。ダイアン・フォッシー、年が明けて2週間もすれば52歳になるはずだった。

1934年1月14日生まれのフォッシーは30代半ばでセラピストからゴリラの生態を研究する動物学者に転身した。有名な人類学者ルイス・リーキーによる抜擢だった。

当時、同じリーキー博士がアフリカへ送りこんだイギリス人の若いOLジェーン・グドールがチンパンジーの生態研究にたずさわり、大きな成果 をあげていた。アメリカ人のフォッシーも勇んでゴリラの生息地へと乗り込んだのだろう。

実績もない無名の若い女性が過酷なフィールドワークの現場で次々と発見を重ねていくというストーリーは世界中の人たちに夢を与えた。とりわけ、専門分野で生きていこうとしていた女性にとって、彼女たちの活躍はどんなに勇気と希望を与えてくれただろう。

立花隆の『サル学の現在』によれば、最近はフィールドワークの分野にも女性研究者が増えているという。そればかりか、男性よりも女性のほうが個体識別 能力が高く、サルの群れにたやすく溶け込めるとのこと。また、従来「ボス猿」は年長のオスだと思われていたが、よく観察してみると、経験を積んだ年長のメスが群れのリーダーになることもあるらしいとわかった。

根強く刷り込まれていた常識や先入観をくつがえすと、まったく別のものが見えてくる。科学といっても人間の営為であるかぎり、過去のジェンダー観や社会・文化の意識に縛らるのはやむをえない。しかし、真理を追究するには、そういうバイアスから解放されて自由な視点をもつことが必要だ。そのための一つの手がかり──それがフェミニズム評論なのだと思う。これまでの常識がくつがえされる、そのスリルと刺激がおもしろい。



チンパンジーを抱く
ジェーン・グドール


『霧のなかのゴリラ』
ところで、ジェーン・グドールは美人である。チンパンジー研究で大きな成果 をあげたグドールは、リーキーとその動物学を世間に広めるための、これ以上ないほど効果 的な広告塔だった。彼女の活動を追ったテレビのドキュメンタリー番組は世界中で大人気を博した。すらっとスリムな金髪美人のグドールがチンパンジーと戯れる情景はとても魅力的だった(遊んでいるわけではなく研究なのだが……)。

一方のフォッシーは、どちらかといえば、あまり美形とはいえない。のちにシガニー・ウィーヴァー主演で『愛は霧のかなたに』(原題『霧のなかのゴリラ』)という映画が作られたくらいだから、魅力的ではあるのだが、グドールにくらべるとごつくて、性格的にもとっつきが悪く、愛想がない。もちろん、研究者という点では容姿や性格など問題ではない。立派な業績を残せばそれでいいのだ。だが、人は(サルと同じく)集団生活をする(群れで生きる)動物である。「グドールは美人、しかしフォッシーは……」という世間の無責任な声はフォッシーを傷つけたにちがいない。


『霧のなかのゴリラ』(ダイアン・フォッシー著、羽田節子、山下恵子訳、早川書房刊、1986年)の「訳者あとがき」にはこう書かれている。

「1983年にこの本にはじめて出会ったときの印象が忘れられない。ゴリラたちの物語のおもしろさもさることながら、著者の強烈な個性とすさまじいばかりのゴリラへのおもいが、けっして洗練されているとはいいがたい文章の端々からあふれでて、私をとらえてはなさなかった……(中略)……そして、どうしても自分の手で訳してみたいというおもいにかられ、霊長類関係にはほかにたくさん適任のかたがおいでと知りつつ、訳させていただくことにした……(中略)……彼女の熱いおもいを、私たちは女の共感をとおして訳し伝えることができたろうか。気がかりである」
翻訳にとりくむときのこんな熱意を最近忘れていないだろうかと自問した。初心を思いだそう! さらに「訳者あとがき」はこう続く。
「フォッシーの死はゴリラたちの運命を予言しているように思えてつらい。それは現在の自然保護問題の縮図であり、根深い南北問題の一側面 でもある。もしあの貧しい国々にわずか200頭あまりしか生き残っていないマウンテンゴリラを救えないとしたら、それは私たち、ありあまる物にかこまれて窒息しそうな飽食三昧の国の人間にこそ、一番の罪があるのではないだろうか」
「貧しい国々」と「飽食三昧」の国の衝突は今もまだ続いている。







夫が多すぎて──メーベル・ダッジ・ルーハン  2002.2


 
今月のゲストコーナーで紹介したサマセット・モームの『夫が多すぎて』(海保眞夫訳、岩波文庫)には、1人の美女に対して3人の夫が登場する。贅沢好きであさはかな女性なのだが、とにかく美人で、コケティッシュ。だから、男にモテる。

 悪女といわれる女性たちは、たいてい男にモテる。男にモテない悪女はただの因業婆さんのようで味気ない。前にこのエッセイでとりあげたヴァイオレット・ハントはイギリスの「新しい女性(ニュー・ウーマン)」と呼ばれたが、アメリカでニュー・ウーマンの代表といわれたのが、メーベル・ダッジ・ルーハンである。

 メーベルは1879年2月26日、ニューヨーク州西部の都市バッファローに生まれた。ちょうど1900年には20歳。新世紀をハタチで迎えたということになる。

 ところで、英語を読んでいるとたまに turn of the century ターン・オブ・ザ・センチュリーという言葉にぶつかる。最初のころ「世紀の曲がり角」というのは、19世紀末とすべきか20世紀初頭と考えるべきか悩んだものだが、これは「今世紀」だから20世紀の初めと思えばいい(そうですよね?)──しかし、2002年になったから、もうこの表現は当分使えない(ということになるのかな?)──そのかわり、最近はニュー・ミレニアムという表現が多いようだ。  


社交界デビューの衣装を着た
メーベル。ちょっとケート・
ウィンスレットに似ている。
 閑話休題。
 話を戻すが、このメーベルには夫が4人いた。4人?……夫が多すぎないか?



最初の夫のカール・エヴァンズ
と息子のジョン。
 まず、21歳で結婚した相手はカール・エヴァンズ。裕福な遊び人で子供っぽく、趣味は狩猟やスポーツだった。彼には婚約者がいたのだが、メーベルはライバルを蹴落とすのが好きで、そのためだけに誘惑したようなものだった。しかも、人の恋人を奪ったという罪悪感など一切もたない。この結婚で、メーベルは性的に目覚めたという。オーガズム主義の元祖ともいわれたらしいが、そういうところが「ニュー・ウーマン」と呼ばれるゆえんである。

 とはいえ、今のように女性が仕事をもてる社会ではなかった。とくに上流階級では、女性が生計を立てることなど考えられないし、そんな訓練も受けられない。当然、メーベルもやることがない。エネルギッシュな人間にとっては拷問のように耐えがたい状況だろう。のちに彼女は、フィレンツェ、ニューヨーク(五番街とグリニッジ・ビレッジ)、それにニューメキシコ州タオスで、芸術家や作家、活動家、思想家などを集めたサロンを開き、パトロネスとして名を上げるのだが、あくまでミューズ、後援者の役割にとどまるしかない。メーベルと親しかった画家のジョージア・オキーフが貧しい家に生まれ、生活のために教師になったのとは対照的である。お金があれば幸せ、というわけではないのがよくわかる。

 最初の夫は結婚4年目、メーベルが25歳になる直前に、狩猟の仲間が撃った銃弾に当たって死ぬ 。エヴァンズとのあいだに男の子が一人生まれていた。(話は変わるが、この最初の夫から梅毒を移され、生涯それに悩まされることになった。そういえば、ヴァイオレット・ハントも若い頃、愛人に梅毒を移されている。カレン・ブリクセンもそうだし、まったく男というものは!)

 傷心のメーベルはパリへ渡るが、その船上で建築を勉強しているエドウィン・ダッジというボストンの裕福な家柄の青年と出会い、熱烈に求愛されてやがて結婚する。フィレンツェで貴族の館を買い、豪華な内装を整えてサロンを開くのはこの時代だった。メーベルはサロンに集う男たちと次々に浮気をし、ついに夫との仲も冷え切る。ちなみに、息子のジョンにとって、エドウィンはよい父親だったようだ。



2人目のエドウィン・ダッジ。


3人目のモーリス・スターン。

 33歳でニューヨークへ帰り、その後すぐに夫とは別居するようになった。そして4年後に離婚。五番街のサロンには芸術家が集まったが、引っ越したグリニッジ・ビレッジの家にはジョン・リードやエマ・ゴールドマン、カール・ヴァン・ヴェクテンなど、政治的な論客が集まった。3人目の夫はロシア移民のユダヤ人で、画家のモーリス・スターンである。

 息子のジョンが母について書いたメモによると、彼女は「旅行は嫌いだが、新しい場所に行きたがる」という。「Change=変化」を求めて行き着いた先がニューメキシコのタオスだった。ここで出会ったインディアンのトニー・ルーハンが4人目の(最後の)夫となった。スターンと一緒に出かけたニューメキシコだったが、結局、メーベルが妻のいるルーハンを強引に奪った形になり、夫も追い出された。

 たしかに写真を見るとメーベルは美人ではある。しかし、世の中、美人は大勢いるが、こう何度も夫を変える女性はそう多くない。天下の美女(といわれる)リズ・テイラーは例外にしても。

 やはり、美貌だけではないサムシングがあるんだろうと思わざるをえない。メーベルの場合は、自分のすべきことがないという欲求不満からくるエネルギーの噴出、ひと睨みで人を征服するといわれた威厳、常識に縛られない奔放さなどがミックスされて独特の魅力をかもしだしていたのだろう。はっきしりた業績や作品などと違って、この種のいわくいいがたい魅力は伝記でもなかなか書ききれないものだ。

 メーベルについては、多すぎる夫だけでなく、友人やライバルやサロンの客たちなど、周囲もすごく面 白い。しかし、その反面、結局は人を動かす触媒としてしか存在しえなかったという時代の制約も強く感じられるのだ。つまるところ、「古くて新しい女」だった。そんな女性たちがいたからこそ、ガングロヤマンバ女子高校生も生まれたわけである。それが、はたして、いいことか、悪いことか……私はいいことだと思っているが。


4人目にして最後の夫、
トニー・ルーハン。


ミューズでいるのも楽じゃない  2002.3



 ナンシー・キュナード――1896年3月10日イギリスのレスターシャーに生まれ、1965年3月16日パリの病院で死去。

「1920年代を彗星のように駆け抜けたミューズ」といわれたナンシー。抜けるような白い肌、エメラルドグリーンの目、金髪、すらっと細身の体で、作家や画家に創作のインスピレーションを与えた。そのナンシーが晩年はアル中になり、住む場所もなくなって、パリの友人ジャネット・フラナーのアパルトマンに押しかけたときのこと。ナンシーを風呂に入れてやったジャネットは、「60歳になっても彼女の体はきれいだった」と述懐しているのだ。

ジャネットとその愛人のソリータ、それにナンシーは仲のよい3人組みだったが、彼女たちのあいだでは「体をスリムに保つ秘訣」なんていうのが話題になっていたらしい。中年になってからも、カフェにいると周囲の人から「あれが有名なナンシー・キュナードだ」と指差されることもあったというから迷惑しごく。ミューズでいること、あるいはかつてミューズだった人の人生も楽じゃないと思う。普通 のおばさんでよかった!

ピカソの「泣く女」のモデルとなり、彼をめぐってフランソワーズ・ジローと取っ組み合いの喧嘩をしたドラ・マールも、彼女の伝記を書いたジェームズ・ロードによれば、ときどきこっそり美容体操をしていたという。ロードは一時期ドラの家に住んでいたことがある(しかし彼は同性愛者だったので恋愛関係ではなかった)。彼女の部屋から呻くような妙な声が聞こえてきて、なにかと思ったら、それがドラの美容体操だったというのだ。ドラは意識的にピカソのミューズという立場を守ろうとし、伝説を裏切らないよう自宅にこもって謎めいたイメージを築きあげ、めったに人前に出なかった。グレタ・ガルボや原節子と同じである。それもひとつの人生とはいえ……やっぱり普通のおばさんでよかった!

ところで、私事ではあるが、この1年で8キロ減量した。というと、「いいなー」とか、「うらやましい」という声が聞こえてきそうだが、かなり体重オーバーだったので、やっと標準体重に戻っただけのこと。あまり自慢できることではありません。

それ以前、なんと10年間で体重が10キロ増えたのだ! しかし、この10キロは翻訳の仕事に全身全霊を捧げた結果 (?)なので、誰を恨むこともできない。むしろ何かを達成する(締め切りに間に合うよう、一定水準の訳文をしあげること)には、何か(スリムであること)を犠牲にしなくちゃならないという掟に従ったまでである(怪しい理屈だな)。

さて、私の実施した減量プロジェクトの中身とは――
1 1日1万歩(目標)のウォーキング
2 1日4回体重と体脂肪を測る
3 ダンベル&腹筋運動
4 炭水化物と酒を控える
ありきたりでスミマセン。結局、特効薬なんてないんだよね。運動して、摂取カロリーを減らし、自分の体について意識する……これがダイエットの基本でした。鈴木主税さんの「翻訳雑感」をまねて、これを翻訳にあてはめると、運動=事実をよく調べ、カロリーを減らし=文章の無駄 を切り詰め、体を意識する=本のメッセージを理解する、ということになるかもしれない。

減量して嬉しいのは、ユニクロとかGAPの安い服が着られるようになったこと……って、ちょっと情けない。せめて、デザイナーズ・ブランドをじゃんじゃん買えるようになった、くらい言えないのか?

それから、もっと大きなプラス点といえば、この一年ずっと体調がよかったこと。風邪も引かず、寝込むこともなく、腰痛、歯痛、神経痛、頭痛肩こり花粉症、いっさいナシでした。

ストレスのない健康で元気な普通のおばさんって、かなりシアワセですね(それをオバタリアンという?)


土曜の午後2時、銀座のイエナで……  2002.4




 デートの待ち合わせ場所といえば、喫茶店か、駅の改札口、ハチ公前だったりする。でも、本屋さんで待ち合わせるというのも私は好き。ただし、新宿紀伊国屋なんかだと「2階の新刊コーナー」とか、「文庫の棚の前」とか指定しないと、はぐれてしまう恐れがある。そこへいくと銀座のイエナならワンフロアだし、そんなに広くないし、ちょうどいい。

 まず、エスカレーターを上がってすぐ右手に折れると、ニュー・アライバルのコーナーがある。「新刊」ではなく「新着」であるのが、「海を渡ってきました」という感じでいいな。ここの平台はフィクションやベストセラーで、ほとんどはそのうち邦訳で読めるから、ざっと眺めるだけ。棚ざしの本を一冊一冊品定めしていくのが楽しい。私の好きなのは伝記。

 新刊の並びに写 真集、ぐるっとまわって奥には美術書や画集があるので、そこもチェック。年末になるとカレンダーを買う。英語の文章が書かれたカレンダーをトイレに飾って、少しでも非英文科卒の「英語できない」コンプレックスを解消しようとしたこともあったっけ。映画関係のコーナーも楽しみ。ディートリッヒのポートレート集をここで買った。

 エスカレーターの反対側へ行くとペーパーバックの棚。通路の右側は映画のノベライズ、ミステリー、SFで、ここはざっと流し、むしろ左側の平台に注目。一般 向けノンフィクションの話題になったものや売れたものがペーパーバックになっている。棚にはペンギンクラシックス。レジ前は雑誌のラック。雑誌記事の仕事をしていたころは、「ピープル」や「ヴァニティフェア」、「エスクァイア」などをチェックし、ときどきは買った。

 ささやかながら料理書のコーナーもちゃんとある。そこで見つけた本を翻訳したのはもうだいぶ前。じつは、これが私の最初の訳書だったりする。『チョコレートブック』(ヘルガ・ルビンシュタイン著、平凡社刊)がその本。イラストや写 真とチョコレートにまつわるエピソード、それにレシピの割合のバランスがよくて、チャーミングな本だったと思う。装丁も一見チョコレートみたいな造りで、「世界で最も美しい本」の賞をもらったのである。

 書店――よりも、「本屋さん」といいたい――の棚に並んでいる本の中には、無限の世界が広がっている。目の前の現実にちょっと逡巡してしまう子供にとって、そんな本の中の世界は安心して冒険できる場所だ。本の中では、宇宙や海の中に旅ができ、時間をさかのぼって古代へも行ける。戦争もあるし、妖精もいる。やがて、中学生にもなれば、そんな世界が日本語だけではない、とわかる。外国語で書かれた本の中にも果 てしない世界が広がっている! 子育て中には、のんびり本屋散策できないのが一番のフラストレーションだった。「それなら、子供も本好きにしてしまおう」と決意して、それだけは果 たせた(と思う)。

 書店という空間に集まる本好きの人たちは、ドキドキ体験を共有できる、かけがえのない同志たちだ。

 オンラインブックショップで洋書を簡単に安く買えるようになったのは本当に便利で、実際、私も最近はインターネットで洋書を注文することのほうが多い。それでも、銀座へ行くたびに、必ずイエナ書店は覗いた。そのイエナが2002年1月17日閉店。その前後から今日まで、まだ銀座に行っていない私の記憶の中では、店はちっとも変わらず、そこにある。天井近くまでそびえる棚に本がぎっしり詰まっていて、本好きのお客がいて、水先案内みたいな店員さんがいてくれる。そんな場所は、どこかにずっと残っていてほしい。

 さよなら、イエナ書店。



『ミドルマーチ』に見る結婚と相続  2002.5


【ネタばれあり、注意】

 一時期、ジェーン・オースティンにハマっていた私だが、こんどはジョージ・エリオットの『ミドルマーチ』(講談社文芸文庫全4巻)を読んだ。

 ミドルマーチとは町の名前で、そこに住む人びとを描いた群像小説である。主人公は複数いるのだが、中心になるのは3組のカップルだろう――聡明だが、若さのあまり間違った夫を選んでしまうドロシア、高い理想に燃えながら派手好きで美しい妻に翻弄される青年医師のリドゲイト、身を持ち崩しそうになるものの賢明な恋人メアリーを支えに立ち直るお坊ちゃんのフレッド。

 賢いドロシアは高邁な思想をもつ人間に憧れる理想主義者であり、若さの純粋さから、自分の人生を捧げるに足る立派な夫を求めていた。そこで、完成すれば偉大な傑作になるはずの研究所を長年かけて執筆しているという地主のカソーボン(なんと27歳年上!)に熱をあげる。妻として、夫から多くを学び、夫の仕事を手伝いたいと願ったのだ。ところが、結婚してみると、夫はそれほど立派な人間ではなかった。肝心の著作も手を広げすぎて収拾がつかなくなっているありさまだし、神話というテーマも現実離れしたもので、ドロシアは夫の研究が底の浅いものだと見抜いてしまう。

 人格的にも冷淡で、嫉妬深く、生活をともに築き上げる努力もしない。ドロシアは夫のまたいとこにあたる若者ウィルに慰めを見出す。ところが、夫はこれが気に入らず、ウィルとのつきあいを禁じる。ドロシアは妻としての努めを果 たそうと覚悟しながらも、持ち前の知性や行動力を封じられて悶々とした日を送らざるをえない。

 青年医師のリドゲイトは、新しい医療をめざし、医学の研究を通して人びとの苦しみを除きたいと理想に燃えている。彼は、美しいロザモンドに恋をして結婚する。見た目は純真そのもので、控えめで、理想的な妻のように思えたロザモンドだが、じつは贅沢好きで、甘ったれで、女の手管を使って欲しいものを手に入れようとするわがまま女――といっても、ごく普通 のあさはかな女であるにすぎない。問題は、リドゲイトが世俗の生活よりも高邁な理想を追っていたことであり、しかもその一方で、本人も贅沢な暮らしがさほど嫌いではないところだ。必然的に、この夫婦は借金を負うはめになる。

 お坊ちゃんのフレッドは、ロザモンドの兄で、やはりわがままに育ったが、心根はすなおでやさしい若者である。幼馴染のメアリーが大好きで、彼女と結婚できなければなにをしても意味がないと思うほどだ。フレッドの父親は息子を聖職者にしようとするが、本人はその気がない。母親のほうは、メアリーが美人ではないし、家柄もよくないといって結婚に反対する。メアリーの父親は土地管理人で、これは作者ジョージ・エリオットの父親がモデルらしい。

 ところで、土地管理人というのは、地主に代わって領内の土地を改良し、開発し、収穫を増やす仕事をうけもつ。地主(というか領主というか)に雇われているのだが、この管理人の腕のよしあしで収穫物の質や量 にも影響が出るので、有能な管理人は複数の土地の管理をまかされることもある。水路を引いたり、鉄道を建設したりといった大掛かりな工事もときには監督する。農業・地質・酪農学など多岐にわたる知識が必要で、科学者と技師を兼ねたような存在だった。

 ドロシアも娘時代から土地の改良や小作人の生活改善に関心をもち、自分でも計画を立て、実行していた。ところが、結婚するとその能力がろくに発揮できなくなるのだ。

 もう一つ、ドラマを生む大きな要因が相続の問題である。ジェーン・オースティンの小説にもよく出てくる「限嗣相続」――つまり、土地や家を相続するのは男子に限るのだ。

 『自負と偏見』のベネット家は娘しかいなかったので、父親が死ぬと、それほど親しくもなかった親戚 の男が屋敷を相続することになり、母親と娘たちは長年住み慣れた家を出なければならない。『ミドルマーチ』のドロシアも、形はちょっと違うが、相続をめぐるトラブルに巻き込まれる。年の離れた夫カソーボンが心臓発作で死んだあと、遺言状に衝撃の一文が! ドロシアがウィルと再婚するようなことがあれば、遺産は彼女のものにならない、というのだ。老いた夫の嫉妬から出たイジワル。

 ところで、老人だの、弱々しいだのと書かれているこのカソーボン氏、19歳のドロシアより27歳年上ということで、結婚したときは46歳である! まあ200年近く前の話なので、それはそれ。いまの日本と比べてはいけない。

 一方、借金を抱え込んだリドゲイト夫妻。夫はやっと冷静な判断力を取り戻し、倹約しなければと考えて、身分不相応の立派な家を売ろうとする。妻はおしとやかに涙を流し、うわべは納得したふりをするが、買いたいという相手に「この話はなかったことにしてくれ」と夫には内緒で交渉したりする。かわいい顔して女は何を考えているのか、という典型。それでも、愛らしい妻に抵抗できない男心――うーん、そうなのか! その妻が漠然と期待するのは、どこからか思いがけず入ってくる遺産。現代人は「そんな棚からボタモチみたいな話あるわけない」と思うが、昔はそういうことがよくあったらしい。

 フレッドも、親戚の裕福な老人に息子がおらず(じつは隠し子がいる)、気に入られていることから、屋敷と土地を相続できるのではないかという期待を抱いていた。だが、思いがけず息子が名乗り出て、期待はずれの結果 に終わる。

 死んだ夫から再婚を禁じられた聡明なドロシアがどんな行動をとったか? 遺産を相続できなかったフレッドはメアリーと結婚できるのか? リドゲイト夫妻は借金をどう始末したか? このリドゲイト夫妻の成り行きは、理想主義者に対してかなり辛辣である。

 私としては、ドロシアがもっと能力をばりばり発揮できるような展開のほうがよかったかな。『自負と偏見』のエリザベスについても同じく。ところで、私が読んだのは新潮社版の文庫で中野好夫訳(1963年)、岩波文庫では『高慢と偏見』(富田彬訳、1950年)。このタイトルは、主人公2人=エリザベスとダーシーの欠点を意味しているのだから、『高慢と偏見』のほうがいいと思う。「自負」は必ずしも悪いことではないでしょう? ついでにいえば、現代の女性作家エマ・テナントが『自負と偏見』の続編にあたる『リジーの庭で』を書いており、そこでもダーシーとエリザベス夫妻の子供のうち、長男はできが悪く、妹のほうがずっと有能で気立てもいいという設定になっている。

 「どうせ小説だからオーバーなんでしょう?」と思うかもしれないが、女性だからといって家屋敷を相続できず、そこから追い出された人は現実にもいる(たぶん大勢いたのだろう)。ヴィタ・サックヴィル=ウェストもその一人で、彼女の経験にインスピレーションを得て書かれたのがヴァージニア・ウルフの『オーランド』である。このいきさつについては、『カップルをめぐる13の物語』(平凡社刊)を参照のこと。

 イギリスから引き継いだアメリカの限嗣相続法を廃止させたのがトマス・ジェファソンだったとか、世界初の地質地図を独力で作成したウィリアム・スミスも破産したあと土地管理人となって糊口をしのいだというようなエピソードもあるが、それはまた別の話。

 また、新潮文庫の中野好夫氏による「解説」についても感銘を受けた点があるのだが、あまり長くなるので、それもまたいつか。




誰も寝てはならぬ  2002.6


 私の好きなオペラに『トゥーランドット』がある。

 舞台は古代中国と思われるある国。トゥーランドットという名の美しい、だが超ワガママな姫がいる。近隣の王子や貴族たちが求婚するのだが、姫は冷たく拒絶し、こんな条件を出す。「3つの謎を解いた者と結婚するが、謎を解けなかったら首をはねる」。そんな危険な賭けでも、男たちは挑戦するんですね。いやはや、テストステロン全開!

 しかし、謎は難しく、何人もの男が首をはねられる。

 一方、戦いで滅ぼされたある国の王子が放浪の果てに、この都へやってくる。王子の父親である年老いた王様も、女奴隷のリューに付き添われてここに辿りつき、雑踏の中で王子と再会する。リューはひそかに王子のことを愛している。

 おりしも、また一人、謎解きに失敗した若者が首をはねられる。哀れな情景を目にした王子は、「こんなひどいことをする姫とは、いったいどんな女なのだ!」という。ああ、好奇心は恋の始まり。

 トゥーランドットの冷たい美貌を目にした王子は恋に落ちてしまう。そして、リューが止めるのも聞かず、謎に挑戦する。3つの謎をみごと解いた王子は、「いざ、結婚を!」と勇みたつ。ところが、ワガママ女の面 目躍如、トゥーランドットは「いや、男なんて大っ嫌い、結婚なんてしたくない」とだだをこねる。フェミニストのルサンチマンもかくやとばかり、これまで女が味わってきた辛い思い、悲惨な経験を並べたてるのだ。うーむ、ジェンダーをめぐる思想的なオペラだったんですね!

 そこで、王子はこんな提案をする。「では、こんどは私から謎を出します。それが解けたら、結婚はあきらめます。首をはねてもかまいません」

 王子の出した謎とは「私の名前をあてよ」。異国の地からさまよってきた王子の素性は誰も知らない。名前を知っている人もいない。さて、ここで問題――トゥーランドットがついに答えられなかった王子の名前は?(答えは最後に)

 トゥーランドットは生まれて初めて、「首をはねるだけの大勢の男たちの一人」という記号ではなく、名前をもつ一個の男の存在を意識させられる。またしても「好奇心が恋の始まり」。「相手が何者であるか」を考え、推測し、知ることが人間関係のスタートなのだ。アイデンティティがいかに大切かを示す筋書きでもあるよね。

 トゥーランドットの場合はむりやり喚起させられた好奇心だが、そこはワガママ女、解決方法も力ずくである。臣下や国民全員に王子の名前を調べよと命令を出す。「なにがあろうと夜明けまでに調べだせ。さもないと命はない。誰も寝てはならぬ 」

 ここで有名な「誰も寝てはならぬ」のアリア。町のあちこちで「誰も寝てはならぬ 」というお触れの声が響くのを耳にした王子が、その言葉をくりかえしたあと、「姫よ、あなたも今夜は眠れないだろう……秘密は私の胸の中だけに……夜明けになったら、口づけとともにその謎を明かそう……」と歌うアリアだ。

 やがて、町で王子と話をしていたのを目撃された王様が逮捕され、名前を教えろと責めたてられる。王様の苦しみを見るにたえず、リューが「この人は知りません。私が知っています」と名乗りでる。王さまの代わりに拷問にかけられるリュー。だが、あくまで口を閉ざし、隙を見て、胸を短剣で突き刺す。息を引き取るまぎわ、リューは王子に寄せる恋心を切々と歌う。このアリアも繊細な旋律で美しい。

 リューの献身に胸を打たれたトゥーランドットは愛に目覚め(とってつけたようだが、そこはオペラのお約束)、王子とめでたく結ばれて幕が降りる。

 けなげなリューに人気が集まるのはわかる。だが、私が好きなのは、やはりワガママし放題のトゥーランドットだ。キャラクター設定としては、オペラにありがちな理不尽さのかたまりとはいえ、二重唱でテノールと拮抗して強いソプラノで朗々と愛の歌をうたいあげるところは、さすがプリマの迫力だと思う。それに自己犠牲で死ぬ リューは、男にとって都合のよすぎる女ではないだろうか。やはり、サバイバルしなくちゃ(さんざん人を殺しといてサバイバルもないけど)

 というわけで、W杯の開催地である日本と韓国の住民は寝ていられるが、このひと月、時差のある海外のサッカーファンは「誰も寝てはならぬ 」日々になる。3大テノールの公演もパヴァロッティの年齢および体重問題(?)で今回が最後になるらしい。4年後のW杯にはポスト3大テノールが登場するのだろうか? それも気になる。

 答え――王子の名前はカラフでした。トゥーランドットの出す3つの謎もなかなか含蓄があって面白いよ。


肉体について  2002.7


 ワールドカップは予想以上におもしろくて、すっかりハマった。ゲームの面 白さもあるが、ベッカムをはじめとして、いい男鑑賞もたっぷり。とくに、選手たちの肉体がすばらしく、ほれぼれと見てしまった。なにしろ走りまわるし、ジャンプはするし、肉弾戦あり、空中戦ありで、筋肉のつきかたがハンパじゃない。それでも格闘技にありがちなマッチョさがなくてスリムだし、GKみたいな重量 派でも動きが敏捷なことには驚く。聞くところによると、サッカー選手の体脂肪率は5パーセントだというではないか! 私がとくに「きれいだな」と思ったのは、ブラジルのリバウド。長身で、たくましいのにしなやかで、魅力的なカラダだった。顔は奥目で長屋のおばちゃんみたいだけど。

 ところで、肉体というのはオブセッションの対象になるらしい。このあいだ、肉体改造の情熱にとり憑かれた人びとをテーマにしたポルノチックなボディビル小説を読んだ。タイトルは Chemical Pink by Katie Arnordi。

 舞台はボディビルのメッカといわれるカリフォルニア州ヴェニス(ここのボディビル大会は有名で、アマチュア時代のシュワルツェネッガーが何度も優勝している)。主人公はシングルマザーの女性ボディビルダー、オーロラ。アマチュアの大会で優勝した経歴をもつが、思春期の娘をかかえ、貧乏なためにトレーニングもままならない。女性ボディビルダーに性的な執着をもつ金持ちの独身男チャールズがパトロンになろうと申し出て、トレーニングと食餌療法とドラッグでオーロラを筋金入りのプロ・ボディビルダーに鍛えあげてゆく、という話。著者自身もボディビルダーで、実体験をふまえているだけに、肉体改造の過程が真に迫っている。たとえば、1日の食事はこんなぐあい。

1回目=卵の白身12個、110gのステーキ
2回目=白米半カップ、110gのステーキ
3回目=蒸しキャベツ4分の1、白米半カップ、220gのステーキ
4回目=鶏の胸肉2枚、ピーナツバター大匙2
5回目=220gのステーキ、白米半カップ
6回目=オレンジを蒸したもの約500g、蒸しキャベツ4分の1
加えて、毎日少なくとも4リットルの水を飲むこと。
 げー、想像するだけで気持が悪くなる。それに加えて成長ホルモンと筋肉増強剤の注射がある。テストステロンの影響で怒りっぽくなり、体毛が濃くなり、肌が荒れる。ドラッグの後遺症も危険で、処方に失敗するとぶくぶくに太って、元に戻らなくなるそうだ。肝臓障害や自律神経失調症なども起こしやすく、健康も損ねる。しかし、怖いもの見たさで、つい引き込まれ、最後まで一気に読んでしまった。この小説の目玉 はボディビルの肉体改造だが、そのほかに主人公の変態的なセックスも売り物で、最後には裏切りと復讐と残酷な結末が待っている。セックス・シーンも含めて、ちょっと悪趣味かな。

 はたから見ると、ボディビルにはなんとなくユーモラスなところがあるが、当人にとっては真剣な営為なのだなとあらためて思った。なにかにとりつかれると冷静な判断力を失ってしまうという意味で、ぞっとする話だった。しかし、なぜここまでやるのだろう、という疑問はつきまとった。

 思うに、熱中しているあいだは充実し、幸せだからだろう。「幸せ」であることは何よりも強い。周囲の人がいさめめたり忠告したりしても説得力がない。本人にとっては、それが最高の状態なのだから。ところが、この小説の著者もいっているように、いつかその熱中も冷めるときがくる。そのときどうするか。ほかの人生が残っているかどうかが問題。著者はボディビルの熱が冷めたあと、この小説を書いたわけだが。

 ところで、ドイツのGKカーンは株取引でもすぐれた手腕を発揮しているそうだ。ドイツでは経済番組にも出ているとか。「いつまでもサッカーをやっていられるわけじゃない」と。うーん、さすが。

 ボディビルに限らず、何かに熱中すると、他のことが頭から飛んでしまうことがある。仕事(あるいはWカップでもなんでも)に熱中するあまり、家族の世話をかえりみないなど、思い当たるところがなきにしもあらず。反省。

 そんなわけで、サッカー選手の筋肉に見ほれながら、自分の二の腕とか見るとがっかりしちゃうね、という話。でも、筋肉増強剤は使いたくないしなぁ……もって生まれた肉体(脳や目や歯も含めて)をせいぜい大事にしよう!




 私が翻訳の仕事をするきっかけになったのは『ペギー』『ナンシー・キュナード』という2冊の本。どちらも女性の伝記である。2人とも芸術のパトロネスで、奔放な恋愛関係で有名だった。そういえば、これまで何冊か女性の伝記を翻訳してきたが、ほとんどが「恋多き女」だった。マレーネ・ディートリッヒはレマルクやジャン・ギャバンを愛人にし、ヘミングウェイとも親しく、そういえばケネディ大統領とも寝たという噂がある。

ジョージア・オキーフも結婚にこだわらず、自由恋愛(というかフリーセックス)を実践していた。フランソワーズ・ジローは30歳以上も年上のピカソに惚れられ、彼を捨てたあとは小児麻痺ワクチンの開発で有名なジョナス・ソーク博士と再婚している。ドラ・マールはピカソ一筋のようだが、その一方でジェームズ・ロードというゲイの若者を夢中にさせている。ベリル・マーカムは貞操観念と無縁のアフリカ育ちの野生の子だし、フリーダ・カーロとディエゴ・リベラの熱烈な恋愛は有名。マタハリは魔性の女といわれるくらいだし、ジョゼフィン・ベーカーも夫を次々とかえている。伝記を書かれるような女性は、恋愛も華々しいのが特徴のようだ。
 それにくらべて、私が翻訳した伝記でも、男性のほうはちょっと趣が異なる。アンディ・ウォーホルトルーマン・カポーティはゲイである。サルバドール・ダリの場合は、本人はゲイではないが、親友のロルカに求愛され、親密な友情を保った。ピーター・ビアードはプレイボーイとはいえ、マッチョという感じではない。映画監督のスピルバーグもどちらかといえば中性的だし、キッチン・コンフィデンシャルのシェフは言動こそマッチョだが、ジャケットの著者写 真を見て「この人、ゲイ?」という人が多かった。

 さらに画家のゴッホは女性にもてず、生涯独身だった。若い頃、片思いした女性の家へ押しかけ、愛情の証としてランプの炎に手のひらをかざして迫ったという。いまの若い子だったら、「わー、キモい」とかなんとかいうところだろう。(それにしても、この「キモい」というのは、ほんとうにイヤな言葉だ。それこそ気持悪い)

 20代のゴッホ
 そういえば『もてない男』(小谷野敦)という本があった。この本がベストセラーになったのは、内容もさることながらインパクトのあるタイトルの効果 だろう。「自分はもてなかったし、いまももてない」と書いていた著者が、この本の出版後あっさりパートナーを見つけちゃったりして、「ずるい」と憤った「もてない」男(の読者)もいたにちがいない。

 それはさておき、自分が翻訳した伝記の傾向を見るかぎり、「マッチョ嫌い」という私の好みが一目瞭然である。ごく初期に評伝を翻訳した画家のマルセル・デュシャンも女装したことがあるしね。『ハリウッド・ガイズ』という本は「月刊PLAYBOY」に載せたスターのインタビュー記事を集めたものだが、そのなかでも男っぽいメル・ギブソンは単細胞ぶりを発揮していて、あまり好きになれなかった(本人もフェミニストに嫌われていると自覚しているみたいで、それくらいの頭はあるらしい)。
 とはいえ、男っぽいとか、女っぽいとか、そう単純に割り切れるものではない。男脳、女脳という分け方も少々マユツバ。どんな人間にもひとことでは割り切れない人間性と複雑な環境という要素がからみあっているはず。人格と行動の込み入った関連性を読み解いていくのが、伝記を読む(そして翻訳する)楽しさ、おもしろさだと思う。

 ところで、女性にもてなかったゴッホは、情熱を別の場所に注ぎこむかのように、貧しい炭坑地帯の牧師をめざし、信仰に情熱を傾けた。

 20代のガウディ
 いま、建築家アントニ・ガウディの伝記を翻訳しているところだが、彼も若い頃に失恋してからは生涯独身で、中年以降はカトリックへの信仰を深めていった。死後に名声が高まるところも、ゴッホとガウディには共通 点がある。二人とも世俗の報いを求めず、永遠の名誉だけをめざした(汚職政治家とはなんと対極的なことか)。こういう生き方、マッチョとは違った意味で、とても男らしいといえるのではないだろうか。

 追記:トップのイラストはボギー(ハンフリー・ボガート=マッチョではなく男っぽい)のつもりなんだけど、ちょっとTVレポーターの梨本入っちゃってますね。不本意だが。




政治家こそ、理想主義を!  2002.9


 8月26日から9月4日まで、南アフリカのヨハネスブルクで「持続可能な開発」をテーマにした開発と環境サミットが開かれている。この Sastainable Development という言葉は最近の環境問題のキーワードだが、「将来長きにわたって開発や発展を続けることができるように、環境という資源を破壊しない努力をする」こと。これを最初に提唱したのが国連のブルントハルト委員会である。今年の夏休みには、グロ・ハーレム・ブルントラントの自伝 Madam Prime Minister Living a Life in Power and Politics by Gro Harlem Brundtland, Farrar, Straus and Girroux を読んだ。

 1939年4月20日生まれ、現在63歳の彼女は、1981年ノルウェーで初めて女性の首相になった人で、しかも41歳の首相は歴代で最年少だった。大学の医学部に進んで小児科医になり、公衆衛生を学ぶ。そのかたわら労働党のメンバーとして熱心に政治活動を続け、30代の若さで環境大臣、そして首相として強力なリーダーシップを発揮し、そのかたわら結婚して4人の子を育てた。1996年に首相の座を後進に譲ると、1998年からは国連のWHO(世界保健機関)の事務局長に就任。世界の貧困をなくし、女性と子供の健康(とくに妊婦の健康)を守り、マラリア・エイズ・結核という三大疾病の廃絶を目標に掲げて世界を飛び回っている。

 経歴を見るだけでもスーパーウーマンだとわかるが、おもしろいのは、そういう女性がどういう環境から生まれ育ったか、という点だ。

 彼女の母のインガはスウェーデン人だが、ヨットのセーリングでノルウェーのオスロを訪れ、そこで21歳のグッベと出会い、そのままオスロにとどまって結婚、翌年には長女のグロが生まれている。インガの母(グロの祖母)はといえば、19歳で結婚し、インガと弟を生むが、5年の結婚生活ののちに弁護士だった夫と離婚、24歳でみずからも法律家になったという女性である。グロ自身も22歳で学生結婚をし、すぐに子供を産み、働きながら育てている。

 グロの母のインガも3人の子供を産むが、もちろん専業主婦で満足しているはずもなく、政治家の秘書としてばりばり働く。北欧では早婚が普通 なのだろうか? というより、若くても結婚し、子供を育てていかれる環境が整っていたのだろう。

 父親は医師だが、労働党の熱心なメンバーでもあり、のちに閣僚にもなる(娘が首相になったときも大臣として参加する)。だが、周囲が労働党のメンバーばかりかというと、そうでもなく、グロが結婚した相手は国際問題研究家で、保守党のメンバーだった。政治的な立場の違いをのりこえて、結婚生活を続ける苦労も、自伝にはちょっとだけ書かれていた(最後には、夫が労働党に限りなく歩み寄ったのだが)。

 祖母と母の2人がとても自立心に富んだ女性だったこと、両親ともにグロたちを子供扱いせず、なんでも自由に意見を言わせ、一歩も譲らない自己主張と議論が日常茶飯事だったこと――そういう家庭環境があればこそ、彼女のような女性が生まれたのだ。また、小児科医として、また公衆衛生の専門家として、現実に苦しむ人びととじかに接した経験が彼女の理想主義をつちかい、さらにのちのWHOの活動にもつながったのだろう。

 もう一つ、大事なのは、保育所や病院という「ハード」だけではなく、ソフトとしての「世間の良識」なるものが働く女性に寛容だったことだ。日本のように、働く母親に妙な遠慮や後ろめたさをもたせる「世間の目」がなかったことは大きい。  グロが大臣になったときも、家にいて子供たちの世話をするのは夫の役目だった。妻が仕事で忙しいときには、夫が代わりに家事をし、子育てを引き受ける。そんなとき、特別 に「おえらいわね!」とか、「男のくせに!」とかいう周囲の雑音がないのはありがたい。そのへん、もう少し日本の社会も見習ってほしいものだ。

 グロが首相をしていたときは、18人の閣僚のうち、8人が女性だったのだ! そのかわり、政敵も女性になったのは皮肉な結果 ではあるが。

 グロはエコロジストでもある。ノルウェーのリレハンメルで開かれた1994年の冬季オリンピックも環境を守ることを打ち出したエコロジカルなオリンピックだった。オイルショックで自動車が使えなくなったとき、一家はスキーをはいて出勤・通 学をしたそうだ。資源不足のとき、やみくもに代替エネルギーを求めるのではなく、国全体で少し我慢をしようではないかという。これは、資源をもたない日本はとくに見習うことではないだろうか(ちなみに、北海で石油がとれるノルウェーは世界第3位 の産油国なのだ)。

 面積はほぼ同じだが、人口はノルウェーが450万人、日本が1億2600万人と桁違い。だが、ノルウェーの主要産業が漁業とその加工品の輸出というのも、日本には親近感をもちやすい点だ。捕鯨国というところも共通 している。

 そんな小国のノルウェーだが、グロの目は世界を見ていた。大臣や首相の時代から、国連の仕事にかかわり、世界中の要人と会ってネゴシエーションに努めた。小国が生き延びるには、グローバルな立場で発言力をつけるのが最良の道だというのが彼女の信念だった。国内の省庁や党の内部にしか目を向けず、派閥争いにうつつを抜かし、私利私欲に走る日本の政治家は、彼女の理想主義を少しは見習うべし!(金儲け第一主義がはびこる世の中、政治家くらい理想主義を掲げてほしいと心底思うのは私だけ?)

WHOのサイト

グロさんの写真はこのサイトで見られます



カタルーニャ紀行――1  2002.10



三角形の頂点にグエル、ガウディ、ガラフの頭文字「G」が刻まれている
 元ワイン蔵のレストラン ガラフ・ガウディ

『芸術新潮』の「ガウディ特集」でこの建物の写 真を見て思った。「カッコイイ!」バルセロナ旅行のときにはぜひ行かなくっちゃ。ウェブで調べてみると、地図やメニューまで出ていた。まず予約。8時間の時差をかんがみて、日本時間で夜の10時ごろに電話をかける。相手はスペイン語。でも、なんとなく英語で通 じるみたい。9月7日土曜日の昼午後1時と言ったら、向こうは1時半にしてくれという。シー、シー! サロン・ガウディはダメなので、サロン・ガラフになる。うーん、まあしかたがないや。オーケー。

 バルセロナからガラフまでの電車の時刻表までウェブで調べることができた。これで準備はばっちり。しかし、現実は予定どおりには行かないもの。
 なんと、現地では電車に乗り間違えて、知らない駅で降りるはめになった。ネットでの調査はいったいなんだったんだ! わりと大きな駅なのに駅員さんがいない(あとで知ったのだが、駅に付属しているバルへ行けばよかったのね)。改札は自動で出られない。うろうろしていたら、ちょうど乗ろうとする人が改札を通 ったので、開いた改札をすりぬけて外に出た(不正乗車スミマセン)。駅前にたむろしていたタクシーに乗って目的地まで戻ることにする。運転手は背の高いハンサムなお兄さん。しゃべる英語が訛ってるよ! 最初スペイン語だと思って、「ノー・アブロ・エスパニョール(スペイン語わっかりませーん)」なんていっちゃいました。どうも失礼しました。
 「シッチェスまではわりと遠いんだよ」とか、「岩山がすごいだろう」とか、「セメント工場だよ」なんて(スペイン訛りの英語で)話をしてくれて、こっちも「海がきれいねー」なんて(たどたどしい英語で)言いながら、思いがけず地中海沿岸(黄金の海岸と呼ばれているらしい)のドライブを楽しむことになった。これはこれでラッキーだったかな?

20分ほどでレストラン〈ガラフ・ガウディ〉に着いた。ガウディのパトロンだったグエイ一族は、ワイン醸造、テキスタイル工場、不動産など、さまざまな商売を手がけており、ここはボデガ(ワイン蔵)として使われていた。これまでガウディの弟子の作品と思われていたため、あまり紹介される機会がなかったが、ガウディ・イヤーで訪れる観光客も増えているようだ。大きな三角形の屋根が特徴で、石組みや細い窓がガウディのほかの建物(たとえばベリャスグァルド)に共通 している。

この門を入って
右側がレストラン
 予約の時間を40分ほど遅刻したので心配だったが、中に入ると、なんのことはない、がらがらだった。昼食時間にはまだ早かったのか、席についてしばらくしたら、ぽつぽつとお客が入ってきた。食事をせずに建物だけ見にきたらしい若者グループもいた。
   
左から、魚のスープ、サラダ(レタス、にんじん、チーズ、オリーブ、アスパラガス、ツナ、ゆで卵など)、エビの塩焼き、メルルーサのグリル(レモンとオレンジ、キャベツが添えてある)、奥に見えるのがオリーブ
 お皿の模様もガウディの破砕タイルを模していて、きれい。注文した料理は、魚のスープ、ミックスサラダ、海老のグリル、メルルーサのグリル(以上2人分)。魚のスープはサフラン風味、お米粒が入っている。海老はシンプルに焼いただけなので、日本の鬼柄焼きと同じ。でも、大きい! それに5匹は多いよ! レモンが日本のオレンジくらい大きいのにもびっくり。

 スペインのレストランの食卓には必ずオリーブの皿が出ている。「つきだし」みたいなものか。それをつまみながら、料理が出てくるのを待つという按配。ワインやビールの「あて」にもぴったり。それから、丸ごとトマトと生のニンニクがテーブルに出ていることもある。トマトとニンニクをナイフで潰して、そのペーストをパンに載せて食べる。隣の席のおじさんがやっていたのをまねして、やってみた。スペインのトマトは味が濃くて、もっちゃりしていて、おいしい!

すぐ裏に電車の線路が走り、その向こうは地中海
 食事のあとはカフェ・コン・レチェ(ミルクたっぷりのコーヒー。この単語とミネラルウォーターを意味する「アグァ」はすぐに覚えたぞ。黙っていても「お冷や」が出てくる日本ってすごいよ)とデザートのチョコレートムース。その合間に、外に出て建物のあちこちを写 真に撮った。南国らしくブーゲンビリアの花が咲き乱れ、グレーの岩山とエキゾチックなコントラストを見せていた。

 ボデガの本体にあたるサロン・ガウディの予約ができなかったのは、パーティがあるせいらしかった。私たちが食事をしたサロン・ガラフは、付属する平屋の建物で、300席くらいある広いスペースだった。宴たけなわのサロン・ガウディをちょっとだけ覗かせてもらったが、内部は完全に改修されたようで、昔のワイン倉の面影はなかった。


カタルーニャ紀行――2  2002.11



ホテル・サン・ロレンソのフロント。
鉄製の扉はオートロック。


ロマンチックなベッド。


タイルがきれいなバスルーム。
ダブルシンクで使いやすい。


チェックインのあと、部屋の支度ができるまで、冷たいドリンクにマヨルカ名物のアーモンドのお菓子をつまみながら中庭で待つ。



ヤシの葉の向こうに、 白いエンジェルトランペットとプールが見える。



滞在3日目、
残り少なくなったフルーツの鉢
 マヨルカ島

 ゲストコーナーで中川さんがクルーズの話を書いてくれたので、私も地中海の島の話。

 マヨルカ島はバルセロナから飛行機で40分ほど。バルセロナではガウディ建築を見るために走りまわったので、ちょっとくたびれた。それで、マヨルカ島ではのんびりすることにした。といっても、大聖堂はガウディが修復しているし、ジュジョールの装飾もあるので、そこだけは見なくちゃね。

 ホテルはサン・ロレンソ。これもネットで探した。個人のお屋敷を改造した数室しかない小さなホテル。3階建てだがエレベーターがないので、スーツケースはどうするのかと思ったら、3階の階段ホールの天井についている滑車で、しっかり紐で結わえたスーツケース2個を持ち上げてくれた。

 中庭には小さなプールがあって、エンジェルトランペット(チョウセンアサガオ)の白い花が咲き乱れている。ベッドには真っ白の刺繍入りレース付きのベッドカバーにピロケース。バスルームはブルーと白のタイル(カワイイ!)で、バスタブの中から中庭が見える。バスソルトも置いてあり、熱いお湯もたっぷり出る。ロマンチックな部屋なので、女同士の二人づれじゃちょっと残念(?)

 フロントはデスクがあるだけで、人が常時いるわけではない。そのため、宿泊客はインターホンの暗号を押して自由に出入りする。外の重い木の扉は鍵を渡されて、12時過ぎには自分で開けて入ってくれといわれた。ふだんあまり夜更かしはしない早寝「遅」起きの私だが、そもそもレストランが9時ころからしか開かないので、夕食を食べてのんびりしていたら12時なんてすぐ。鍵のことなどすっかり忘れてホテルに帰ってきたら、扉が閉まっているではないか! 焦った! バッグの中をごそごそ捜していたら、運よく、同宿のドイツ人夫妻が帰ってきて、鍵で開けてくれた。あーよかった。

 ちなみに、マヨルカ島はドイツ人のあいだで大人気。空港にもドイツ語の案内があるし、街なかもドイツ語だらけ。ホテルにもドイツ語の本があった。なぜ、ドイツ? そういえば、テノール歌手のルネ・コロもマヨルカに家をもっていると聞いた。

 マヨルカはリゾートなので高級ブランド店が軒を連ねているが、都会ほど格式ばっていないのでショッピングも楽しい。だいたいエスパドリーユ(紐つきサンダル)の名産地だから、みんなサンダル履きだしね。スペインの代表的なデパート、エル・コルテ・イングレスの支店もあって、ふだんデパートなんかでめったに買い物をしない私だけど、真っ赤なフリースのジャケットを見つけてつい衝動買いしてしまった。もちろんエスパドリーユも皮製の淡い黄色のを買ったよ。

 ところが、調子に乗って、少し寒いのにプールで泳いだあと、プールサイドのチェアで寝てたりしていたせいで、すっかり風邪を引き、おなかを壊してしまったのだった。旅行の最後になって緊張感が緩んだかな?

 3日しか滞在しなかったので、ホテルの支配人のスザンナさんには「わざわざ日本から十数時間も飛行機に乗ってきて、たった3日なの?」と言われちゃいました。ほんと、もっとのんびりしたかったな。



無垢の時代  2002.12


【ネタばれあり注意】

「女性作家を読む」シリーズ(自分で勝手に名づけただけだが)で、次に読んだのはイーディス・ウォートンの『エイジ・オブ・イノセンス 汚れなき情事』(大社淑子訳、1993年、新潮社)。たまたま新潮文庫が家にあったのだが、bk1とamazonで検索すると、この文庫はもう品切れ状態なのね。荒地出版の『無垢の時代』(佐藤宏子訳、1995年)はまだあるけれど……こちらは未読。

 新潮文庫が出た1993年にはスコセッシ監督の映画『エイジ・オブ・イノセンス 汚れなき情事』が公開された年なので、文庫のタイトルもそれに準じたんでしょうね。訳者あとがきで、タイトルについて解説されている。イノセンスという言葉には「無垢」だけではいいあらわせない複雑な思いがこめられている、とのこと。でも、訳者は本心では「無垢の時代」を使いたかったみたい。推測ですけどね。映画に合わせたのは見え見え。だいたい、副題の「汚れなき情事」はちょっと気恥ずかしい。

 訳文は雰囲気があってとてもいいです(なんちゃって、エラそうに。大社さんは早稲田大学の名誉教授です!)

 映画のほうは前に劇場で見ていたのだが、本を読んでとても面白かったので、あらためてビデオ屋さんで借りてきた。原作を読んでから見たほうがずっと楽しめる。長い小説で、登場人物が多く、背景や情景の描写 がすごくいいのを、2時間余りの時間にまとめるのは、いくらスコセッシでも無理というもの。それでも、古き良き時代のニューヨークの雰囲気はさすがにうまく出していた。抑えた色彩 がきれいで、風景もそれらしい。

  しかし、最大の不満は、小説の語り手がニューランド・アーチャーという青年であるのに対して、映画では第三者のナレーションになっているところ。

 一貫してアーチャーの視線で描かれる小説は、最後のほうになって、状況が彼一人の思い込みだったこと(すなわち、彼自身が無邪気=イノセントだったこと)が明らかになるという、一種のどんでん返しがある。ところが、映画では「神の視点」、つまり第三者の視点で描かれているので、その意外性がなくなってしまうのだ。

 世間知らずで無邪気な(無垢な)妻を物足りなく思い、自由にあこがれ、伝統に反抗しようとしながら、どうしても古い価値観から脱却できないアーチャー。年齢を重ねるうちに伝統のよさに目覚めるが、それと同時に、時代遅れになっている自分に気づかざるをえない。年齢を重ねることの悲哀がじつによくわかる。若いころに読んでいたら、なんで思い切って出奔しないんだろうと不満に思ったかもしれない。  でもね。現実はそうはいかないんだよね。

 小説のほうは風景描写がとてもよくて、スコセッシもそれを描きたかったんだなというのがよくわかる。当時の服装や料理、屋敷の中などは、映像の強みでとてもリアル。でもその分、主人公や女性たちの容姿がイメージとは違うという不満もある。とくに主人公が恋をするエレンはミシェル・ファイファーが演じているんだけど、小説では黒髪だよ。それに、ミシェル・ファイファーじゃちょっと美人すぎる。エレンは美人というより、個性的で、変な顔なのだと思うけど。妻のメイはウィノナ・ライダーだが、こちらはちょっと線が細すぎじゃないかな。金髪で、背が高く、堂々としているという描写 があったはず。

しかし、イメージどおりの俳優ってなかなかいないものだ。高望みはするまい。映画も楽しく見ました。でも、やっぱり原作のがいいな。

 ちなみに、アーチャーにとって、エレンは黄色いバラ、メイは鈴蘭の花のイメージ。花を贈るのでも、店先で注文してメッセンジャーに家まで届けさせるという古き良き時代の習慣が、なかなか味があってよい。匿名で贈ったりね。すぐにバレるって。(私にも誰か花を贈ってくれないかな。とげとげのアザミとかドクダミじゃダメだよ)。

 ところで、bk1でウォートンを検索していたら、向井万起男ちゃんの『女房が空を飛んだ』がヒットした。「あれ、なんで?」と思ってよーく考えたら、「を飛ん」→「ウォートン」だったのでした。