【ぐるぐるくん】バックナンバー 2008年  野中邦子(のなか くにこ)   

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ぐるぐるくん

野中邦子(2008.1.7更新)


『リアル』7巻





『プライド』8巻





『きみはペット』14巻





『BECK』31巻




『蝉時雨のやむ頃』





『光の海』
 じつは、私は漫画が大好きです。別に「じつは」とカミングアウトすることでもないですね。

 小学生のときから「りぼん」「なかよし」を毎月夢中になって読み(姉妹がいたので両方買ってもらえた)、週刊コミック誌が創刊されてからは「少年サンデー」「少年マガジン」を愛読し(兄がいたので……というわけではなく、母が予約までしてくれた)、高校生になってからはマイナーな「ガロ」や「COM」にも熱中し、大人になってからは萩尾望都を読むために「別冊少女コミック」も買ったりして、さすがに「少年ジャンプ」の時代にはコミック誌を買うほどではなくなっていたものの、最近ではまた「コーラス」なんかをときどき買ってしまったり(『プライド』の続きが読みたくて)、しぶいところではつい最近廃刊になってしまった「コミック・ガンボ」もたまに読んでいました。

 そこで、去年読んだ漫画のお勧めをいくつかあげてみたいと思います。だいたい単行本で読むので、連載中のものが多く、古いものや、すでに定評のある名作ばかりですけど(いまさら、といわれちゃうかも)。

 『リアル』井上雄彦 バスケット漫画の名作『スラムダンク』にはまった人なら、すぐに手にとったはずですが、私はうずうずしながらしばらく待っていました。ゆるやかなストーリーテリングがこの作家の特徴なので、少しまとまらないと十分に味わえないと思ったからです。それで、ようやく7巻まで出たところで一気読みしたのですが、予想にたがわず、最高でした! 次が待ち遠しい。でも年に一冊くらいのペースなので、まだあと1年くらい待たないと次が読めないんですよね。事故にあって車椅子生活になった少年たちの物語で、車椅子バスケットが登場します。障害を得た当人や周囲の人間がそれをどうとらえるか。思いがけず、それまでの人生の軌道を外れざるをえなくなったとき、人がどんなに苦しみ、悩むか。その葛藤がじつにリアルに描かれています。知らないうちに差別していたり、自然体で殻を破れる人がいたり、人間性の複雑さが胸を打ちます。こういう漫画のおかげで、障害者の気持ちを理解してくれる若者が増えるのはとってもいいことですね。

 『プライド』一条ゆかり ストーリーも登場人物も、こまかいエピソードも、ある意味で、これまでの一条ゆかりの作品を踏襲しているけれど、完成度がぐっとあがっていて、読ませます。オペラ歌手をめざすライバルの女性二人をめぐるどろどろの恋愛模様。近刊では、日本を飛び出して世界が舞台になってきています。最近そういうグローバルな物語が多くなってますね。私はオペラ好きなので、オペラの裏側が描かれているのもうれしい。

 『きみはペット』小川弥生 ベストセラーになって、テレビドラマにもなった人気作品なので、いまさらですが、これまでなんとなく手を出しかねていました。ところが、読んでみたら、すっごい好みで、何度も読み返してしまいました。私って、こういうのが好きだったんだー、と意外に思った。べつに美少年ペットを飼いたいわけじゃないですよ。これって一種の純愛ものですからね。モモのとぼけたところがカワイイ! しかし、グローバルに活躍できるモダンダンサーだけど、家のなかでは犬のように従順で、甘え上手で、ちょっと生意気な美少年って、キャリアウーマンの好みのど真ん中という感じです。キャラクター造形がうまいなー。

 『BECK』ハロルド作石 現在31巻が出たところでまだ連載中という大長編です。抜群に歌のうまい純情少年がロックバンドの仲間になって、世界に進出するという物語。青春の汗と涙が笑えます(?)。NYのギャングが出てきたり、ロックフェスで途方もないどんでん返しがあったり、「こんなのあり?」というシチュエーションですが、思わず知らず引き込まれてしまうロック馬鹿たちのおかしくも情熱あふれる生態。

 『蝉時雨のやむ頃』吉田秋生 吉田秋生の作品はどれも好きですが、この作品は、『バナナフィッシュ』や『夜叉』とはうってかわって、昔の小津安二郎かなんかのホームドラマを思いださせるようなしっとりとした雰囲気です。そういえば舞台も鎌倉でした。「大人のするべきことを子供に肩代わりさせてはいけない」というせりふは、私もつねづねそう思っていただけに、ふかくうなずきました。

 『光の海』『羽衣ミシン』小玉ユキ この作家だけは新人です。一読してすごく気に入りました。言葉で語りすぎず、絵や行間で示唆するところがとても上品。なんとなく力の抜けたところもいい。『光の海』は人魚が登場する短編のアンソロジーで、喪失の悲しみやアイデンティティの不安が描かれています。死者を悼む心の動きにはついもらい泣きしてしまいました(しかもバスの中で!)。『羽衣ミシン』のほうは、鶴の恩返しならぬ、白鳥の恩返し。いま風のネット通販の手芸とか出てきて、かわいらしい雰囲気のある作品です。

 ほかにもあるんですが、これくらいにしておきます。当たり前の作品ばかりですみません。ところで、お気づきかと思いますが、以上のお勧め作品に共通するのは、絵がとてもきれいなことです。とくに線が美しい。それぞれ個性はちがいますが、線のきれいさはこのすべての作品にいえます。どんなに面白いストーリーでも絵がだめだと、私はそれで興ざめしてしまうので、こういう線を見るだけでもうれしくなります。ダイナミックなライン、洗練されたライン、抑えた線、はじける線。漫画ってやっぱり造形芸術なのだなと、しみじみ思います。

 あとは、シリアスなストーリーでも笑える部分のある作品が好きです。ここにあげた作品はみんな笑って読めます。というわけで、私の好みはもうおわかりですね? そのうえで、これはお勧めという漫画があったら、ぜひ教えていただきたく思います。どうぞよろしく! 
(のなか くにこ)







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野中邦子(2008.2.3更新)


さくら草




ブロッコリのスープ(失敗作)
 まだ寒い日が続きますが、お花屋さんの店先には春の気配がいっぱいです。さくら草の鉢にパンジーの苗、ラナンキュラスと明るい色が並んでいます。早くあったかくならないかなー。

 江崎リエさんが豆料理の話を書いてくれました。私も料理をしますが、腕前は自慢できません。はっきりいって、へたです。最近、朝食のトーストに合わせてスープをよく食べます。写真のスープの右はブロッコリのスープですが、これは失敗。煮込みすぎて、色がなんともいえない灰色になってしまい、まずそうです。

 ベーコン、セロリ、ニンニク、たまねぎ、ブロッコリーを炒めて煮込んでいるあいだに、すっかり忘れて、焦げそうになってしまいました。ちょっと焦げ臭くなったのを、ま、いいや、ということでミキサーにかけて、スープと牛乳で伸ばし、塩コショウで味付けしてできあがり。焦げくさいのがほのかな苦味になって(?)、かえって大人向けの味になったかも(やや強引な言い訳ですな)。

 左は冷凍パンケーキ。小さな壜はメイプルシロップで、アメリカ在住の姪のお土産です。メープルシロップといえば、冷蔵保存しなくちゃいけないんですね。大瓶を買って室温で置いといたら、カビが生えてしまいました。ほんと、失敗ばかりですね!
(のなか くにこ)







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野中邦子(2008.3.3更新)




冬の終わりの青空
 東京の冬は寒いけど、空が晴れていて、空気がぴりっとしていると、ほんと気持ちがいいですね。最近、私事ではいろいろ悩み多き毎日ですが、ときたまお出かけして気晴らしします。写真は恵比寿ガーデンプレースのかまぼこ形の屋根。

 2月のある日、久しぶりに都心に出て、写真美術館で「スティル・アライブ」展を見てきました。展示のひとつに恵比寿ビールが使われていたので、つられて美術館のカフェでベルギービールを飲んでしまいました。昼間っから。生ハムのオープンサンドによく合って美味しかった。

 そのあと、「ぜんぶ、フィデルのせい」という映画を見ました。スペイン内戦とチリの革命、フランスの宗教や家庭観が描かれていて興味深い内容でしたが、それはさておき(さておくのか!)、主人公の少女のお洋服がかわいらしかった。弟とペアで、お姉ちゃんのほうはチェックのスカートに紺のセーターと同じく紺色のタイツ。弟は同じチェックだけど色味がちがう柄のパンタロンとオレンジ色のタートルネックセーターの組み合わせだったり。カトリック校の制服もおしゃれでした。

 そういえば、この映画の主人公にとって、すべての不幸の「元凶」であるフィデル(カストロ議長)はついに引退声明を出しちゃいましたね。最後の革命家でした。
(のなか くにこ)







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野中邦子(2008.4.3更新)




『ジョゼと虎と魚たち』






『菊日和』
 仕事をする女――どんなイメージですか? 「女」と「仕事」を結びつけて考えることが、このごろではまったく自然なこと、ごく当たり前のことになっていますね。いまの日本の社会では、外での仕事を経験したことがない女性のほうが珍しいくらいです。

 ところで、最近つづけて読んだ女性作家の2冊の短編集をきっかけに、女性の仕事についてちょっと思うことがありました。田辺聖子著『ジョゼと虎と魚たち』(角川文庫)、津村節子著『菊日和』(講談社文庫)です。

 『ジョゼ』に登場する女たちの職業は、シナリオライター、インテリアデザイナー(著者によればディザイナー)、造花デザイナー、編集者兼ライター、婦人服会社の営業、イラストレーターなどです。タイトル作だけは、車椅子に乗っている美少女なので、職業はありません。職業がメインの小説ではなく、男と女の微妙な関係が主題ですが、仕事をもっている女たちはみんな自信があって、男との恋愛も余裕をもって楽しんでいます。海を見下ろす別荘で過ごしたり、山の上のホテルでバカンスを過ごしたり。おしゃれで、料理もうまくて、センスがいい。少女たちの憧れをかきたてる女たちではありますが、男に無神経な態度をとられたり、肩透かしをくわされたりすれば、やはり傷つきます。でも、傷ついている自分を見ている冷静なもう一人の自分がいるんですね。沢村貞子のエッセイに「女は泣いていられない。ご飯を炊かなければいけないから」という言葉があったような気がしますが(うろ覚え)、田辺聖子の小説のヒロインたちは「明日は締め切りやもん、泣いてなんかおられへん」という感じでしょうか。

 『菊日和』の女性たちは、妻、母という印象が強く、なにか仕事をもっているにしても、それについての説明はほとんど出てきません。むしろ家庭内の抑圧された夫婦関係、肉親間の微妙な愛憎関係がねっちりと描きだされています。とはいえ、『青海波』と『病人の船』の二編には仕事をする女性が出てきます。『青海波』のほうは、自宅で着物の販売をしている女性と小料理屋をしている女性、そして専業主婦らしい語り手が高校時代の仲良しという設定です。『病人の船』は著者自身の経験をもとにした作品らしく、語り手は小説家で、豪華客船クルーズに講演者として招待されたところ、末期癌をわずらった旧友が同じ船に乗り合わせたという話。この友人は、ジュエリーの販売で莫大な財産を築き、高価な豪華客船の一等船室に乗れるだけの資産家です。しかし、重い癌を抱えていて、医師の反対を押し切ってまで世界周航に出かけるのです。

 なんだか、どちらの小説に出てくる職業も、どことなく「女ならではの仕事」という感じがします。「普通の仕事」というのも変な言い方ですが、会社勤めとか、公務員とか、教師とか、そういうのとはちょっと違う。ちょっと前に芥川賞を受賞した『沖で待つ』などは、同じ会社に勤める男女の、恋愛関係とは無縁な、完全な同僚としての友情を描いていて、それが目新しくて評価されたのかもしれませんけど。(ちなみに、この『沖で待つ』は、私の周囲の愛書家のあいだでは不評でした。やっぱ、恋愛がないとね……なのでしょうか?)

 『菊日和』は、著者があとがきで書いているように、全編「死」の色濃く漂う作品が集められています。家族のなかに死が入り込むとき、結局、いくらそばにいても、人の本当の心はわからなかったのだ、というなんともいえない思いがわきあがります。一方、『ジョゼ』のほうは、小さな死ともいうべき恋の終わり、それも女から男に見切りをつけるという、凛々しい別れが胸を打ちます。一見、まるで共通点のないような作風の2人ですが、なんとなく通じるものがあって、印象に残りました。

 で、あらためて略歴を見てみたら、このお2人、1928年生まれの同年なんですね(80歳ですか――お元気ですねー)。現在80歳であれば、若いころに書いた小説に出てくる女性の仕事が、ある意味、特殊だったり、女ならではの仕事だったりするのも当然ですね。けっして「古い」といっているわけではありません。そんなところにも社会の変遷が読み取れるし、それが小説を読む面白さの一部でもあると思うのです。作品自体はけっして古びてないですし。

 ところで、お2人とも同人誌の出身で、田辺聖子が1964年に『感傷旅行』、翌65年に津村節子が『玩具』で芥川賞受賞。田辺聖子が87年に『花衣ぬぐやまつわる……』、津村節子が90年に『流星雨』で女流文学賞と、ほぼ相前後して、同じような賞を受けています。それでも、あまりライバルなどといわれないのは、出身が大阪と福井(から東京)という育ちの差、それになんといっても作風の違いなんでしょうか。

 そういえば、津村節子の夫は作家の吉村昭ですが、夫婦で小説を書く苦労を描いた『重い歳月』や、芥川賞受賞作の『玩具』の小説家の夫も吉村氏がモデルのようです。田辺聖子のだんなさんもカモカのおっちゃんとして作品に登場するし、そんなところも共通点ですね。同時代を生きた現役女性作家として、この2人の比較論などがあっても面白いと思うのですが、誰か書いてくれないかな。
(のなか くにこ)









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野中邦子(2008.5.5更新)




『海も暮れきる』




『瑠璃色の石』




『聖☆おにいさん』
 このごろ、暗い小説が好きになって、というか、共感することが多くなって、年なのかな、と思います。しばらく前の朝日新聞にも、そんなことが書いてあった記憶があるのだけれど、誰が書いていたのか、すっかり忘れてしまいました。これも老化現象のひとつでしょうか(こればっかり)。

 闘病記や死にまつわる物語、苦しみや悩みを書いた小説に引かれます。昔は、老いや病気や死の話なんて、ダイっきらいだったのですが……人って変わるものですね。

 吉村昭の『海も暮れきる』は自由俳句の尾崎方哉(おざきほうさい)の伝記的小説です。私は俳句にも短歌にも疎くて、尾崎方哉と種田山頭火の区別もつかないほどでした。そもそも尾崎方哉なんて、名前も知らなかった。ただ、「咳をしても一人」という句は知っていましたが、山頭火の句かと思ってましたよ。

 二人とも、結核病みで、家族に見放され、寺に住み込んで、自由俳句の先駆者で……と、共通点が多いのですね。若いころ結核に罹って死を覚悟したこともある吉村昭は、尾崎方哉の死までの苦闘に共感しているせいでしょうか、『戦艦武蔵』の著者とは思えない情緒あふれた作品になっています。なんちゃって、『戦艦武蔵』は読んでいないので、勝手なことはいえませんね。すみません、戦記物は苦手なのです。

 『海も暮れきる』がおもしろかったので、続けて吉村昭の『冷い夏、熱い夏』も読みました。2歳年下の弟が、50歳の若さで癌で亡くなるまで、告知をせず、それでいいのだろうかと悩む兄の葛藤が描かれています。自伝的小説ですが、本になったのが1984年、もう四半世紀も前の作品なので、癌告知に対する意識もずいぶん違います。ここまで本人に隠すというのも、いまでは考えられません。でも、身内としては、しかも自分が若いころに死を意識した経験があるだけに、絶望感が大きかったのかもしれません。どちらにしても50歳は若すぎますね。

 吉村昭を読みはじめたのも、先月紹介した津村節子の小説の流れなんですが、津村節子の『瑠璃色の石』も読みました。これも自伝的小説で、主人公夫妻の名前だけ変えてありますが、周囲に登場する人びとは実名です。丹羽文雄とか、瀬戸内晴美とか。『重い歳月』も『玩具』も、骨格は同じ、小説家の夫と妻の物語なのですが、よくこれだけバリエーションをつけて書けるなと感心します。よく出る「だし」みたいなもんでしょうか。

 人はみな死ぬ、と思いながらも、マルセル・デュシャンの墓碑銘のように「さりながら、死ぬのはいつも他人である」という言葉もあります。ブッダのように人生の苦痛や悩みから脱却して悟りを開きたいというのは万人の願いなのでしょうか。そういえば、マンガの『聖(セイント)お兄さん』を読んだら無性に手塚治虫の『ブッダ』を一気読みしたくなり、6冊分を借りてきて読み始めたのですが、6巻で完結かと思っていたら、なんと8巻まであることが判明。あと2巻、どうしよう。

 というわけで、いま翻訳しているのは中世の黒死病の歴史です。もう、参りましたというほど、死、死、死です。まあ、このごろ暗い話が好きというだけあって、翻訳はおもしろく、熱中してやってます。やれやれ(溜息)。
(のなか くにこ)







ぐるぐるくん

野中邦子(2008.6.5更新)






『主観』


かえる目ライブ




『六枚のとんかつ』
 みなさん、とんかつ好きですか? 私は大好きです。昔、渋谷にとんかつ「ぽんた」というお店があって、ここのは揚げ色が白っぽくって、いかにも「とんかつ!」という感じではないのですが、お肉がとてもやわらかくて美味でした(いまは代官山に移転しました。ウェブで見たら、とんかつ定食2700円だって、いい値段です!)。出版社に勤めていたころ、ある著者のお手伝いをして、そのお礼ということで(って、仕事なのにね)、このとんかつをおごってもらったことがあります。この著者の先生は、ちょっと変わっていて、外ではけっしてものを食べず、私が一人で食べているのを、ビールを飲みながら眺めているという……ま、私も若かったから、遠慮なしにぱくぱく食べましたが。

 5月某日、吉祥寺のバウスシアターで開催されたライブ+映画の会に行きました。ライブは「かえる目」、映画は川島雄三監督、森繁久弥、フランキー堺主演の『喜劇とんかつ一代』です。ところで「ぽんた」の本店というか、のれんもとというか、は上野にあるそうです。とんかつの発祥の地は上野なんだって。そんなわけで『とんかつ一代』の舞台も上野でした。上野動物園がすぐ裏にある老舗フレンチ・レストランが出てきますが、これは精養軒がモデルでしょうか。風変わりな登場人物が大勢出てきて、エネルギッシュにわいわい騒いで、どたばたあり、お色気のくすぐりあり、ついには「とんかつが食べられなければ、生きていたってしょうがない」というような歌まで出てきます。すごい。

 監督の川島雄三のことをウェブで調べたら、1953年にも『とんかつ大将』という映画を撮っているんですね。よほどとんかつが好きなのでしょうか。

 「かえる目」は、「かえるさん」こと細馬宏通さんがボーカルと作詞作曲を担当していて、『主観』というCDが出ています。私は『主観』のなかでは「ふなずしの唄」が好き。かえるさんの書く詞は「きみ」とか「ぼく」の使い方が独特です。「ふなずしの唄」でも「きみが食べるって言うから……きみがうまいって言うから」……「ぼくも食べるって……ぼくもうまいって言ったんだ」という歌詞がありますが、「ぼく」はかえるさんだとして、「きみ」ってだれよ、どんな人かな、ぼくときみはどんな間柄なのかな、と想像がふくらみます。

 この日は、『喜劇とんかつ一代』の上映に合わせて「とんかつの歌」も2曲うたってくれました。細馬さんは朝日新聞日曜版の「もっとカルチャー」というページに「心体観測」というコラムを書いています。大学の先生にして、絵葉書コレクター、ヒトの行動を観察するフィールドワーカーでもあり、インド式掛け算や<浅草十二階についての著書もあるのです。こちらもすごい。

 というわけで、ライブのあと本屋さんに寄ったら、目にとまって買わずにいられなかった『六枚のとんかつ』。ジャケ買いならぬタイトル買いですが、私も一時期ハマった島田荘司の『占星術殺人事件』のトリックをとんかつに応用した(というだけで、ファンならネタがばれる)パロディ・ミステリーで、なかなか面白かった。

 さて、話はかわって、今月の寄贈本紹介は盛りだくさんです。『20世紀破天荒セレブ』は、かえるさんともお友達のachakoさんこと平山亜佐子さんの初めての単独の著作です。東西のセレブでビッチな女性たちをセレクトして、その生き方と魅力を解読、セレブになりたい女の子たちへの指南本(?)でもあります。いろんなジャンルからのセレブのセレクトの妙が光っています。ご自身で手がけたという造本もユニーク。ぜひ、手にとって見てください。今月のゲストコーナーに寄稿してもらったので、そちらもぜひ。

 他にも、お友達の本がそろいました。江崎リエさんはこのエッセイ連載でおなじみ。実川元子さんと藤田真利子さんはゲストコーナーに寄稿してもらったことがあります。映画のノベライズ、ロックバンドのグルメ本、フレンチ・ミステリとジャンルはさまざまですが、どれも面白い本ばかりなので、お薦めです。 (のなか くにこ)







ぐるぐるくん

野中邦子(2008.7.7更新)







白い花が好きです。自然というのはうまくできているなと思います。樹木は夏になると葉が茂って木陰を作り、冬になると葉が落ちて、太陽の陽射しが地面に届きます。春に咲く花はデイジーのピンク、チューリップの赤や黄色、パンジーの紫や黄色の組み合わせなど、ぱっと明るく、心弾ませますが、夏に咲く花は涼しげな色合いのものが多くないですか? とくに白い花は夏の暑さを忘れさせてくれます。

 上野西洋美術館の『コロー 光と追憶の変奏曲』を見にいきました。西洋美術館の前庭にはロダンの彫刻作品があります。中学生のころから、もう何度行ったか忘れたくらい、なじみのある西洋美術館ですが、いまの季節、緑が濃く、何種類もの白い花が咲いていて、この庭がほっとする空間になっていました。

 写真は一番上が、ロダン作『カレーの市民』。ちょうど翻訳を終えたばかりの『The Great Mortality』という本にも、百年戦争中のこのエピソードが出てきました。エドワード三世率いるイギリス軍に包囲されたカレーの市民の代表が、みずから命をさしだし、これ以上、市民に犠牲者を出さないという条件のもと、降伏を受け入れる場面です。とはいえ、このころ、ヨーロッパは黒死病に見舞われ、カレーでもほぼ半数が死ぬことになったのですが……。『The Great Mortality』とは、そのまま訳せば「大量死」、中世の黒死病(ペスト)のことです。

 写真の2番目以下、ガクアジサイ。真っ白ではなく、薄いブルーです。次は、ピントがずれてますが、匂いのきついクチナシ。そろそろ枯れかかっています。クチナシの匂いは強いのですが、戸外だとその香りが薄まって、清涼感があふれます。その下は白いアジサイ。紫や青やピンクのアジサイもきれいですが、真っ白のも、とてもいいですね。一番下の二枚は、夕暮れのなかにぽっかりと浮かぶ白い芙蓉の花。芙蓉の花はきれいですが、蛾が寄ってくるのが難です。

 閉館まぎわの5時ごろに行ったので、夕方の白い花を眺めることができ、ラッキーでした。これが、かんかん照りの日中では、こんなにのんびりはできなかったでしょうね。『コロー』展は、地味ですが、とてもよい展覧会でした。ターナーや後年の印象派、キュビスムの画家たちにも影響を与えた空間感覚が最小限の絵の具のタッチで表現されていて、思わず「うまいなー!」とうなってしまいます。目を驚かす離れ業や気取りがなく、風景や人物を的確に捉えていながら、別世界に誘われるような感じ。フェルメールにも通じるところがあります。
(のなか くにこ)







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野中邦子(2008.8.4更新)


 今月の読書は、幸田文の『おとうと』です。十年くらい前に、幸田文ブームがありました。『木』や『崩れ』といったエッセイがきれいな装丁で出版されて、再評価され、ついでにロハスやエコにも通じる家事の始末やきりつめた暮らしぶりがクロワッサン世代の女性たちの共感を集めました。私もその当時、幸田文のほとんどの作品を読みました。余談ですが、彼女は麹町にある女子学院を出ていて、私の先輩にあたります。

 幸田文は幼くして生母に死に別れ、継母とはうまくゆかず、文豪である父、露伴は大きくのしかかり、その一方で家計は苦しく、病弱な継母にかわって十代のころから主婦として家庭の切り盛りをまかされていました。そのあげく、結核に冒された弟を渾身の愛情を傾けて看病することになります。家族の愛情に飢えたかわいい、そして哀れな弟の最期を看取るまでを描いたのが『おとうと』です。前に読んだときの印象では、田舎の結核療養所で弟の世話をする話という印象が強かったのですが、今回、読み直してみて、病気になるまでの話のほうが長く、家族の微妙な愛憎の描写に重きがおかれているのが意外でした。人の記憶ってあてになりませんね。もちろん、看病するようになってからの物語が迫真的で、胸を打つからなのですが……。それに、記憶と違って、病院も都心にありました。

 昔の看病は、いまとちがって本当に大変です(いまも大変は大変ですが……プラスチック容器や紙おむつが普及したのは進歩ですよね)。病院に布団を運び込んで、床に敷いて泊り込んだり、クーラーもない部屋で暑さ寒さに敏感な病人を気遣ったり、栄養のある食事をあつらえたり。布団だって、汚れれば自分で仕立てなおし、着物も季節ごとに仕立てては、またほどいて洗い張りをし、縫い直すという手間です。それを十七歳くらいの娘がたった一人でするのだから、えらいなーと思います。それが当たり前だったといえば、それまでですが。

 以前、地方の老人ホームを見学したことがあります。そこの院長さんとお話ししていたら、なんの拍子か「幸田文さんがここに入居していらっしゃいました」という話になりました。晩年はペンがとれないことがもどかしそうでした、と。私は老人ホームで最期を迎えることが不幸だとはぜんぜん思いません。『おとうと』や、露伴を看取った経緯を描いた『父』などを読むと、プロの介護者のいる、きれいで明るい快適そうなホームで生涯を終えた幸田文は、むしろすっきりと身の始末をつけたように思えます。もちろん、身内の思いはまた別で、他人にはうかがい知れないものでしょうが。

 文庫本なので持ち歩いて読んでいたのですが、写真は、表参道ヒルズ一階にあるジャン=ポール・エヴァンのランチと『おとうと』――なんてミスマッチな世界でしょうか、と思いつつ。
(のなか くにこ)







ぐるぐるくん

野中邦子(2008.9.3更新)


完熟トマトのサラダ


グリーンゼブラのフリット


マグロのレアソテー


ポークソテーのたっぷりトマト添え


トマトジャムのロールケーキ
 8月某日、「訳者あとがき」を1本書いたあと、夕方から出かけて南青山の友達の事務所へ遊びに行き、近くのトマト料理の店、セレブ・デ・トマトでディナー。

 いろいろな種類のトマト、赤だけじゃなくて、グリーンの縞模様(グリーンゼブラという名前)や白っぽいの(クリームチーズという名前)など、珍しいものがありました。前に『世界を食いつくせ』の翻訳をしたとき、カリフォルニアの農園で多品種を少量生産するという話が出てきました。トマトの種類もたくさん出てきて、その当時は日本でも黄色や緑のトマトを見かけるようになっていましたが、実物を見て、しかもお料理になったのを食べたのは初めてです。

まず飲み物を注文します。トマトのお店なので、私はブラディメアリー、友人はアルコールがだめなのでトマトジュースです。トマトジュースもいろいろあって、酸味、甘み、濃厚、さっぱりといったメニューから選べます。子供のころはトマトジュースが苦手だったのですが、大人になってお酒が飲めるようになったら、ウォッカをトマトジュースで割るブラディメアリーが好きになりました。グレープフルーツジュースでウォッカを割るソルティドッグも好きなので、ただウォッカが好きというだけかもしれません。そんなに多量を飲むわけじゃないけど。

前菜2種。丸ごとの完熟トマト1個にカニサラダを詰めたサラダ。グリーンゼブラのフリット(ゴルゴンゾーラ・ソースと与那国産の塩で食べる)。 トマトというより、レンコンの天ぷらという感じでした。ゴルゴンゾラチーズの風味を効かせたソースがおいしい。私はブルーチーズも好きです。

メインはマグロのレアソテーと豚肉のソテー。どちらも野菜がたっぷりついてきます。ラディッシュ、にんじん、小さな辛味大根、きゅうり、オクラなどを、バーニャカウダ・ソースにつけて食べます。豚肉のほうはフレッシュトマトがどっさりついてきました。

このへんでおなかいっぱいだったのですが、冷たいパスタも注文していました。細いパスタでスープ仕立て、まるでおそうめんみたいでした。これにも和風の野菜がたっぷりトッピングされていて、茄子、ミョウガ、しそ、スモークサーモンとイクラなど。かならず一品は写真を撮り忘れるのですが、このパスタの写真がありません。

それでも、スイーツは食べます。このロールケーキは、生クリームに酸味がきいていて、トマトジャムがイチゴジャムのような感じで挟まっています。私はケーキのなかでも、とくにロールケーキが好きなのです。おいしかった!

全部シェアして食べたので、ちょっとずつ変化のある味を楽しみました。 

トマトはがん予防になることが科学的に証明されているし、アンチエイジングにも効果があるそうです。ふくれたおなかをさすりながら友人と、久々にちゃんとした食事をしたね、と話したのでした。いい年をした女二人、ふだんいったいなにを食べてるんでしょうね。
(のなか くにこ)







ぐるぐるくん

野中邦子(2003.10.3更新)


『図書館 愛書家の楽園』
アルベルト・マングェル著、白水社刊

  この夏は訳書2冊のゲラに追われていました。翻訳にとりかかったのは今年の冬でしたが、校正を初校、再校とこなして、ようやく本になりました。トップページでも紹介した『図書館 愛書家の楽園』です。著者はAlberto Manguel、原題は Library at Night です。  「訳者あとがき」から一部抜粋します。

  *  *  *  *  *

 原題にあるlibraryとは、図書館にかぎらず、書斎や書庫など、複数の本が集まった状態、または場所をさす。また、コンピューターなどのデータをまとめたファイルや、資料室を意味する場合もある。鞄に入った数冊の本も、ロバで運ばれる巡回図書館も、この世のすべての書物を網羅したいという大望を抱いたアレクサンドリア図書館も、フランスの古い司祭館を改造した著者の書斎も、すべてライブラリーである。
 本書は、人間がなぜ書物(データや記憶といいかえてもよい)を収集したがるのかという根源的な問いかけから始まり、具体的にどんな形の書庫を作りたいと願うのか、棚いっぱいの蔵書をどうやって分類してきたかをふりかえり、歴史上の有名無名の図書館の実例をあげ、書物を嫌った人びとや社会について考察し、さらに理想の図書館や存在しない影の図書館、フィクションに描かれた本など、ライブラリーにまつわるさまざまな魅力と謎を解き明かしている。学術的な論考や証明というより、むしろ連想のおもむくまま自由に想像力を羽ばたかせている点が大きな特徴である。
……中略……
 アルベルト・マングェルの著作は、これまでに『世界文学に見る架空地名大辞典』(ジアンニ・グアダルーピとの共著、高橋康也訳、講談社)と『読書の歴史―あるいは読者の歴史―』(原田範行、柏書房)の二冊が邦訳されている。  前著『読書の歴史―あるいは読者の歴史―』は、歴史と銘打ってはいるものの、ボルヘス譲りの奔放さだろうか、話題の飛躍や寄り道が多く、網羅的であると同時に細部にこだわるというスタイルがとても魅力的である。時間的記述を追ったいわゆる「歴史」を知ろうとして手にとった人には肩透かしに思えるだろう。本書『図書館―愛書家の楽園―』も、図書館の発展の歴史や図書館学について学びたいと思う人には驚きを与えるかもしれない。マングェルの脳裏にある図書館は、亡霊や幻影が親しみやすい存在となる「夜の」図書館、暗闇への恐れが消えて居心地のよい空間となる「愛書家の楽園」なのである。この本は著者にとって、一種のユートピア論なのかもしれない。
……中略……
 マングェルは一九四八年にブエノスアイレスで生まれ、イスラエル駐在アルゼンチン大使だった父の赴任先テルアヴィヴで幼少時を過ごした。七歳で故国アルゼンチンに帰ったときには、スペイン語、英語、ドイツ語を流暢に話せるようになっていた。高校生のとき、ブエノスアイレスのピグマリオン書店でアルバイトをしていたとき、作家のボルヘスと知り合い、目が悪くなっていたボルヘスのために本を朗読する仕事を引き受け、四年間彼のもとに通うことになった。この経験から得るところは大きく、ジャンルを問わない広範な読書への欲求と型にとらわれない空想の飛躍を身につけたようだ。
 一九六〇年代のアルゼンチンは軍事クーデターが続き、六〇年代後半は内戦状態となった。そのころ、マングェルは故国を離れ、七〇年代はフランス、イギリス、イタリア、そしてタヒチと、放浪の生活を送った。そんな移動のあいだ、マングェルがどのようにして愛読書の数々を持ち歩いたのか、その苦労が思いやられる(ちなみに、現在フランスにある彼の家の書庫には三万冊の蔵書があるという)。
 軍事国家となった故国に戻れないという自らの境遇が、世間に入れられないフランケンシュタインや故郷の土から離れられないドラキュラ伯爵、それに孤島に流されたロビンソン・クルーソーへの共感をいっそう強めているのかもしれない。『世界文学に見る架空地名辞典』も、この地上で一種のエクスパトリエイト(故国を離れた人)となって現実の世界から書物の世界に救いを求めた人間の架空の土地への旅行記と思えばいっそう興味深い。

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 翻訳にあたって最も苦労したのは、引用の多さでした。なるべく原典にあたろうとはしたのですが、何巻もある本の一節がどこだかわからない。全部読んで、あたりをつけるのが大変。ずっと見ていって、最後の一文だったりするとほんとうにがっくり。しかも、この本の場合、正確な引用じゃなかったりするから困りました。編集部や校閲の協力がなければとても完成しなかったと思います。
 それにしても、書庫のある暮らしっていいですね。マンション住まいで、自分の訳書の置き場にさえ苦労している身としては、うらやましいかぎりです。
(のなか くにこ)







ぐるぐるくん

野中邦子(2008.11.3更新)



「Easy Ahead! 微速前進」

イラストレーション2人展 
木村協子+野中邦子
11月22日(土)〜12月5日(金)
11時〜18時半(最終日は17時まで)(11月29日は16時まで)
定休日11月24、25日、12月1、2日


 2004年に南青山の画廊で趣味のイラスト展〈My Girlfriends Show〉を開いたのですが、そのとき「次はいつ?」と訊かれ、ちょうどアテネ・オリンピックの年だったこともあり、つい「この次のオリンピックの年に」と答えてしまいました。あっというまに4年が過ぎて、今年の夏は北京でオリンピックが開催されました。

 そんなわけで、11月末に谷中のカフェ・コパンの壁面を借りて、友人と2人でイラスト展〈Easy Ahead!〉を開くことになりました。新作を描いている時間も根性もなかったので、この牧人舎ホームページに使った挿画の原画を中心に展示します。谷中・上野方面にいらっしゃるついでのあるかたは、ぜひお立ち寄りください。Easy Ahead!は船の用語で「微速前進」という意味だそうです。ゆるゆると、ちょっとずつでも前進できたらいいな、というイメージです。とても小さいカフェなので、満席だったらごめんなさい。絵を見るというより、谷中散策の途中で一休みしてお茶を飲むという感じ?

 一緒に展示する木村協子さんは、このホームページのゲストコーナー第2回に登場、コラム「本の顔」12回も寄稿してくれたので、皆さんおなじみかと思います。初めて会ったのは、中学に入学した初めてのクラスでした。出席番号が前後していたため、席がすぐ近くだったのです。私はクラブ活動は美術部にすると決めていて、さっさと入ったのですが、ほかに一年生が1人もいなくて、さすがにさびしいので、木村さんを誘ったのでした。

 中・高とクラブを続けて、2人とも美大を受験することになり、予備校もアトリエ・フランとか、御茶ノ水美術学院とか、同じところに通いました。2人して倉橋由美子の『聖少女』にかぶれたり、彼女はサルトルの熱烈ファンだったり、私は高校の歴史の先生の追っかけをしたり、授業をさぼって抜け出したり、予備校の先生に熱をあげたりと、いろんな共通経験があります。

 美大の受験にも一緒に行きましたが、芸大は2人そろって落ちたのでした。結局、私が多摩美、彼女がムサ美(武蔵野美術大学)と大学は別になりましたが、おたがいの文化祭に行ったりして、行き来はありました。私が版画専攻になって、クラスメイトと版画作品集を作ったとき、「高校生なみ」と評されて、ムカっときたこともありました。

 彼女が卒業旅行でフランスに行くというので、私が「いいな、私も行こうかな」と思いつきでいったら、そこまでついて来られちゃ迷惑という態度をとられて、「別に同じツアーに参加するとはいってないじゃない」と、やはりムカっときたこともありました。あれ、自分がムカッときたことはよく覚えてるんですね。同じくらい、向こうも私にムカっときたことは多々あったと思います。

 シカゴとロンドンへ一緒に旅行もしました。どっちも私がついてきてーと誘った感じです。ロンドンのときは、イギリスの家族を訪問しなければならないので、1人じゃ心細いからついてきて、と頼みこんだわけです。シカゴ旅行も、私にはシカゴ建築見学ツアーという目的があって、一緒に行こうと誘いました。そのかわり、航空券の予約や宿の手配は、私が引き受けたからね。

 彼女は私に輪をかけてクールな性格なので、オープニングもやらない、あまり人に知らせたくない……と。「じゃ、なんのためにやるんだ!」って感じですよね。ふだん会えない人が集まるためのダシなんだから、と私はいってるんですけどね。
(のなか くにこ)