|
うさぎの手紙
佐藤尚子(2008.1.7更新) |
![]() |
あけましておめでとうございます。皆さまにとって、楽しく穏やかな一年でありますように。
毎年のことですが、まず、去年の目標はどうなったかな、のご報告。去年の目標は、「日記を付ける」でした。三年連用日記の一年目に挑戦したんですね。で、去年一年、実に一日も欠かさず日記を書き通しました!──幾度となくズルはしましたが。要するに、まとめ書きですね。私、人がいるところではものが書けないんですよね、子供のころから。なので、週末の分は月曜日にまとめ書き、というパターンが多かったんです。とにかく2007年のお正月から大晦日まで日記帳は無事に埋まりました。それもこれも、二年目からが楽しい、という人の言葉を信じて始めたことなんだけど……年が明けてついに去年の分を読みながら書けるようになったんだけど……はっきり言ってまだ……それほど楽しくはない。ま、せっかく一年つづけたんですから、ここで唐突にやめることもないでしょう。ひきつづき、日記は付ける予定です。 さて、今年の目標ですが、これまた大したことは思いつきませんね。とりあえず一年間、通してやってみようか、と思い立ったことはあります。ほんとに一年つづいたら面白いだろうと思ってだけなんだけど。それはね、百人一首を覚えてみよう、というものです(今更なんだよ、だけど)。もちろん、誰でもなんとなくは暗記しているものですよね、あれって。でも、これをすべてちゃんと、作者まで覚える。もちろんそれなりに中身も意識しながら。百人一首の歌って、あまりにも幼い子供のころからいい加減に親しんでいるせいで、自分だけのなんとも説明のしがたい妙なイメージが勝手にできちゃっていることってありません? たとえば私、そうじゃないってことはもうずっと前からわかっているんだけど、いまだに"マツトシ・キカバ"っていう変な名前の枯れた風体のおじさんが、どこかかからただいま〜って帰ってくるような絵がぱっと浮かんじゃったりするのよね(どの歌かはおわかりですよね)。この中途半端に慣れ親しんだ百首の歌を一つひとつちゃんと味わい、暗唱できたらけっこう面白いかな? なんて思ったわけです。でも、こういうのは別に目標とは言わないな。単なる道楽だわ。ま、いいか。 実は、今年は、クリアしなければならない生活上の重大事がひとつあるんです。それはここでご披露するようなことではないので、敢えて書きませんが、それをうまく乗り越えるのが今年の目標といえば目標です。あまり神経質にならずに自然な流れでクリアできれば、と思っております。……ま、ほんとはそれほどたいしたことじゃないんですけどね。一年後、そんなこと言ってたっけ? くらいの相変わらずな自分が維持できていればいいな、と思います。 では皆さま、今年もどうぞよろしくお願いいたします。 PS そういえば、今年初めて読んだ本は、意外なことに中島敦でした。どうしてなのかは本当に自分でもわからないのですが、とにかく突然読みたくなったんですね。なんとなく箱根駅伝を観ているときでした。なぜお正月早々? なぜ箱根駅伝の最中に? なんて訊かないでね、自分でも謎だから(中島敦ほどお正月にも駅伝にも似合わない人はいませんね)。わざわざ買いに行ったりするほど強く思ったわけではなかったんですが、ためしに本棚を引っかきまわしてみたら──あったんです。不思議ですよね。特別に好きな作家だったわけでもないし、たぶん中学か高校のときに読んで、それ以来読み返した記憶も特にない。何度も引越もしているし、好きでも処分しちゃった本はたくさんあるのに(この手の、いつだって本屋さんに行けば手に入る本は特に)、まるでいつかまた読みたくなるのがわかっていたかのように手元に持っていたなんて。とりあえず「山月記」を読んで──しかも思いついて音読してみたんですけど──気づいたら涙が止まらなくなっていました。この短編ひとつでお腹いっぱいになり、次には進みませんでした。だから正確には、今年初めて読んだ本ではなくて初めて読んだ小説なんだけど。 (さとう なおこ) |
|
うさぎの手紙
佐藤尚子(2008.2.3更新) |
|
こんにちは。寒い日がつづきますがお元気ですか? 冬はこれくらい寒いほうがいいかな、という気もしますね。
今日は、テレビの話をします。新年早々、とっても面白い番組を見つけてしまいました──それは『日めくり万葉集』。NHKのBSハイビジョンで毎朝放送している五分番組です。 この番組は──番組の宣伝文句をそのままひかせていただけば──"今から千数百年昔に詠まれた、約4500首にも及ぶ「万葉集」の歌の数々。その中から「一日一首」、さまざまな分野で活躍する方々が選者となり、それぞれ「わが心の万葉集」を選び、歌への熱い思いを語ります"──というものです。あんまり面白そうに聞こえないかもしれませんが、これが面白いんですよ。 お察しでしょうが、私、『万葉集』についてはものすごく疎いんです(ま、万葉集にかぎらないけど)。誰でも知っているような有名な歌はまあ知っているかな、といった程度。覚えている歌もないわけじゃないけど数えるほどだし。聞いたことはあるくらいの歌ならもう少しあるかな。聞いたことがあるような気がする歌ならさらにもう少し。 だから、この番組でいままでに紹介された歌も知らないもののほうが多いんです。だいたい、4500首もあるのか、と驚いたくらいだもの。毎朝毎朝、いろんなことに細かく驚いていますね……は?そんな歌もあるんだ、とか。なんだ、この歌ってそんな意味だったのか、とかね。この歌にはそんな背景があったのか、この作者はそんな境遇の人だったのか、なんていうのはほとんど毎日のこと。 とはいえこの番組の最も面白いところは、選者一人ひとりのお話なんです。選ぶ人をどうやって選ぶのかは知らないけど。番組が始まってまだひと月足らずですが、本当にさまざまな人が、自分の大好きな歌についてそれぞれの言葉で語ってくれるんです。知っている人ももちろんいるのだけれど、全く知らなかった方がたも登場します。そして、たった数分なのに、やたらと面白い話をしてくれるんですよね。すでに私は、ある人の実にそそられる比較文化の本を図書館で予約し、ある人が20年以上も描きつづけている漫画(詳しい人にはバレちゃうかな?)を大人買いしてしまいました。もちろん、その日の選者について知らなければたいていググっちゃいますね。……どこまでミーハーなんだか、あるいはNHKの思うつぼということなのか。 とにかく、知らないことを知るのはいつも楽しいですよね。知らなかった人を知るのも楽しい。何かを研究している人の話って面白い。そんな分野、そんな切り口もあるのか、と驚かせられたり、そんな感じ方をするのかと不思議に思ったり。そこまで深く読むのかと感心することもあれば(深読みしすぎじゃない?と思う場合もあるけど)、そんなふうにあっさり読んでもいいんだ、と逆に新鮮に思ったりもする。 改めて思うのは、言葉の力です。そして、言葉に導かれる人間の想像力もまたすごい。こうした歌を詠んだ万葉の人びと。言葉を連ねたそのごくごく短い歌から、その裏にある古代の人の感情を自分に重ねていく、ある歌と出会って自分の世界を広げていく、そんなことができる現代の私たち。同じ言葉を使う日本人として、千年の時をこえて感覚がシンクロする……あの不思議な、心地よさ。 つくづく思う……日本人に生まれてよかった。『日めくり万葉集』には、外国人の選者も何人か登場しましたが、私だったら日本人に生まれないかぎり、万葉集なんて絶対に読まないだろう……というか、そんなものがあるなんて知らずに終わるだろう。ありがたくも日本に生まれたからこそ、こちらからはなんのアクセスの努力をすることもなく、こんな面白いものに出会えてしまうのです。真面目な手続きを何ひとつせずに、なんとなく触れて、なんとなく楽しめる。幸せですよね。それはやはり、マイナーチェンジはあっても、千年以上前の人びとと同じ言葉を使っているからこそだと思うわけです。古文は苦手だから、意味がすぐにわかるわけではないし、正確にわかるわけでもない。それでも、そのリズムと芯にある感覚を、確かに共有しているという実感があります。外国語では(少なくとも私の場合は)ありえないこと。そして、あっというまに千年以上のタイムスリップができちゃうのですもの。 それにしても、とてもNHKらしい番組だと思う。というか、NHKじゃなきゃありえないよね。そんなふうに思う番組はいままでもいろいろありました。教育テレビの超ミニ番組に多いと思うんですけど。姪と一緒に住んでいたころ、妹(←姪の母親)が夕飯の支度をするあいだ、まだ物心もついていないちっちゃなちっちゃな姪をお膝に乗せて夕方の子供向けミニミニ番組を見るのは至福の時でした。『にほんごであそぼ』とか。『ピタゴラスイッチ』とか。『クインテット』とか。どれも見たことがない、という人がほとんどだと思うけど、びっくりするくらい面白い番組なんですよ。……とはいえ、結婚して姪と離れてしまってからは、見ることはなくなってしまいました。別に見ようと思えば見られるんだけど、一人で見るのは寂しい……っていうか虚しい。どこか危うい。 そのかわり、子供向けではないミニ番組をいくつか見つけて楽しんでます。『美の壺』とかね。終わっちゃったけど『ぴあのピア』とか。私はとても早起きで、週末も普段と変わらずに早く起きてしまうのです。NHKは休日の早朝、人気(なのかどうか知らないけど)の番組を再放送したり、平日の帯番組をまとめて一挙放送(一挙に放送しても一時間足らずの短い番組ばかり)するんですよ。それで見つけちゃうのよね──まっとうに暮らしていたら出会わないような妙な番組を。 こうした凝った、不思議な、短い番組をつくれる放送局はほかにないような気がするわけです。どう考えても視聴率なんか気にしてないもんね。でも、夫に「NHK、好きだね」と言われるとどういうわけか頭にくるのよね……そしてなぜか思いっきり否定してしまうんだけど(何か大きな力に負けた気がしちゃうからかなぁ……)。 なにも毎朝、律儀に五分間、テレビの前に座ることもないじゃないかとも思う。でも、まとめて見るよりも、一日一首、味わうのが妙に楽しいのよ。たとえばある音楽家は万葉人の五感の鋭さに圧倒されている。ある料理研究家は万葉人の豊かな食生活に思いを馳せる。ある日本画家は、歌からイメージされる自然と人びとの鮮やかな色の世界にのめりこむ。ある若い俳優は(本人はもう若くない、と思っているらしかったけど)切ない恋の歌に思いを重ねた若い日々を静かに語る……そんなお話に触れる朝の五分間はほんとに楽しい。 ──みなさんも、騙されたと思って一度見てみてください、『日めくり万葉集』。それから……あの……もしよかったら『ピタゴラスイッチ』も。最近見てないので、様変わりしちゃったかもしれませんが、昔のままならかなり面白い番組ですよ、あれ。 (さとう なおこ) |
|
うさぎの手紙
佐藤尚子(2008.3.3更新) |
|
|
アカデミー賞の授賞式も終わりましたね。みなさん、映画はお好きですか?
私はかつて、本当に映画が大好きでした。もともと三歳まで映画館の裏に住んでいて、ディズニー映画(昔のね。ウォルトおじさんがつくったやつだよ)は、物心つく前から父によく連れて行ってもらっていました。余談ですが……いままで観た映画で、その場でいちばん怖かった映画はたぶん『バンビ』なの(あの山火事のシーンが子供としてはほんとに怖かったのよ)。 その後も、マニアではなかったけれど、ごくごく普通に映画を観て大きくなったと思います。そして、特に三十代のころは、私にとって映画は最高のエンターテインメントだったと思う。一人でやたらに観に行っていました。一日に何本も観たし、観たいと思っていた古い映画がかかると聞けば、なんだかものすごく遠くまでわざわざ観に行ったりもしました──そんなことのために半休とったこともある。映画は映画館で観るもの、と思っていたし。とにかくいまでは考えられないようなフットワークのよさ。 このごろは目が悪くなって、映画がかつてのように楽しめなくなったので、あまり観ていません。第一、映画は一人で観るのがいちばんと思っていたのにそれができなくなっちゃったので(映画館が暗いんだもの……鳥目の私には無理)、観る機会も本数もぐっと減りました。外国映画はほとんど観ない。観るとしても吹替え。かつて、吹替えで映画を観るなんてぞっとするほど嫌だったたけれど背に腹は代えられませんから(だって、字幕が見えないんだもん。無理に見ようとすると、字幕しか見えないし……これじゃ意味ない)。なので、邦画を、しかも誰か一緒に行ってくれる人が見つかったときに観るということになります。それも、映像がちゃんと把握できてはいないので、私が映画を観た、と言っても、実際にはいいところみなさんの六、七割しか理解してないと思います(まあね……持ち前の想像力で補うと言っても、見えないんじゃ限界はあるし)。そんな私なので、映画について今更なんだかんだ言う資格はないんですが、それでも、どうしようもなく不思議に思うことがいくつかあるの。最初に言っておきますが、これは、批判ではないんです、ほんとに。あくまで疑問なの。人と論争したいわけじゃなくて、誰かが、それはね◎×△だからなんだよ、と説明してくれればそれですむような話なの。要は納得したいんですよ。 では……映画をめぐるいくつかの私の疑問。その一。 製作費いくらっていうのは、あれは宣伝文句なんでしょうか? それで宣伝になるんでしょうか? 総製作費250億円とか誇らしげに言われても、困るんだけど──少なくとも私の場合。高いお金がかかっている、という理由でその映画を観ようと思う人っているんだろうか? 私は、こんなにすごいお金がかかっています、と大々的に言うのって、ダサイと思う。品がないと思う。だから何?と思う。まだ、たったこれっきりしかかかかっていない超低予算映画ですと言うほうが、一応は宣伝として理解できる気がするわ──それもまた、言う必要はないとは思うけど。 次。CGがどうのこうの、というのも、なんだか変な話だと思うんですけど、どうでしょう? 公開される前からCGがすごいんです、というのは宣伝になるのでしょうか? そこは、隠しておくべき裏方さんの世界なんじゃないのか? あそこのCGがすごかったよね、なんて、それははっきり言って、バレちゃった、ということなんじゃないの? アナザーワールドをつくり損ねたってことじゃないの? あとで噂であそこのシーンってCGだったんだって!ええっマジ? みたいな会話が本来なんじゃないか? ピアノ線は見えたら失敗で、CGは最初から臆面もなくひけらかすってのはどうよ? たとえば将来映画づくりを目指す若い子とかが、うわっすげぇなあのCGとか言うんだったらわかるけど、私のような、普通に物語の世界に浸りたい人間にまでバラす必要はないんじゃないの? 私たちを心地よく二時間ばかり騙してくれるはずの「効果」の部分を最初から種明かしして宣伝に使う、あるいは、さあどこがCGなのかあなたにはわかりますか? なんて妙な挑戦を仕掛けてくるっていうのは、つまりそのココロはなんなの? と思うんですよ……長くなりましたが。批判に聞こえたでしょうね。いやはや……でもほんとに批判じゃないの。疑問なのよ。 そして、最後にもうひとつ。映画の"原作"というのはなんなんだろ? 逆に言えば、"脚本"っていうのはなんなんだろ? 当たり前のことだけど、いままでだって原作のある映画というのはたくさんあった(そのほうが多いのかもしれない)。でも最近になって改めてとても不思議に思ったの。実は、小説が原作になった邦画を二本観たのです。どちらも原作とはかなり変わっていました。 私、片方は「いい」と思ったのです。うまくやったな、という感じ。でももうひとつのほうは、どうしても納得できなかったのです。全然違うじゃん、はまあアリだとして、どうして、なんの意図があってそう変えたのか、がわからない。原作にない人物を登場させるのは場合によってはアリだと思う。人間関係を整理するのもアリだろう。でも、原作にない人間関係をつくりあげ、そのなかで原作にないエピソードをつくりあげ、原作にない小ネタを挟みこみ、原作にない感動ラインをつくりあげるのは、なんだか脚本家がただ悦に入っているとしか思えないのよ(こうしたほうが原作よりずっと感動的でしょ? みたいな)。だったら、自分でオリジナル脚本書けばいいじゃん。どうしてその小説を原作に使い、その小説のタイトルのままで映画にしなければならないのか──私にはわからない。 もともとこの二作、観る側の私のスタンスが違ってました。うまくやったな、と思った方は、原作の小説が大好きで、しょせん映画化は無理だと思っていたんですね。でも、でている役者が揃っているし、映像化された街の情景にも興味があった。まあとりあえず観とこう、くらいの気持でした。それが予想に反してよくできてたんです。映画化するにはかなりの整理整頓、場合によっては大幅な削除を強いられるような原作ですから、うまくいくはずないと期待していなかったんだけど、それが案外とスマートに仕上がっていたんです。監督の頭の良さをすごく感じました──そこが鼻につく気がしたけど。 納得できなかったほうは、実は映画化に期待していたのです──そこがそもそも間違っていたのかもしれないけど。小説としては特に最高!というほどじゃないけど(売れたけど)、映画化されたらなんだかほのぼのとしたいい映画になりそうな気がしていました。別にとりたてて複雑な話でもないし、あのまま原作を活かしてすんなりとまとめればよかったじゃん、と思った。なにもここまでこねくりまわすほどのことはないじゃない。 そう……脚本っていったいなんなんだろう。特に、原作があるものを脚本化する場合、別になにが正しくて何が間違っているということはないだろうけど、どういう方法をとるにせよすごく微妙な仕事だと思う。いい話だったなぁ、原作も読んでみたいなぁなんて思わせるような脚本ができればいいけど、あの話題作がこれ? なんであんなに売れたんだろうね〜なんて思われかねないじゃない……原作者にも失礼じゃないか。……いや逆に、この映画で感動した人がいるとして、原作も読まなくちゃ、なんて思って手に取ったら、いちばん好きだった話がないじゃないか、みたいなことになるのかな? 原作者としてはどうなんだろ。どんなかたちであれ収入につながれいいという人もいるだろうし、世に出して自分の手を放れればそれはもう自分のものではない、なんてオトナなことをおっしゃる作家さんも大勢いるから(頭ではまあ、わかるわ)私が何を言っても仕方ないけど。 ──これも……批判に聞こえます? 疑問なのよ。脚本とはなんなのか、について誰かに教えてもらいたいと心から思ってるの、ほんとに。 (さとう なおこ) |
|
うさぎの手紙
佐藤尚子(2008.4.3更新) |
(写真は佐藤家のお引越しとは関係ありません) |
球春到来!……桜も満開!
毎年この時期、同じようなことを言っているような……。でも本当に毎年うきうきするんですもの。今年のスワローズ、だぁれも認めてくれませんが(ま、昨シーズン最下位じゃ仕方ないか)、私はなぜかものすごく期待しています。とにかく若い子がいっぱい。人は四番とエースをとられたことをなんのかんのと言うけど、いっそすっきりするよ。ふたりともよく働いてくれたし、選手を責めるつもりはないわ。去る者は追わず。某超お金持ちチームではないのだから、これはファンの心構えとしても鉄則だと思う。基本的には、私はチームを去った選手も応援します。本人の意思であれ、本人にはどうすることもできなかった事情であれ。一度は私を心から喜ばせてくれた選手なのだから、言葉にできないほどの恩がある。とはいえ、今年はさすがに思ったわ。同リーグでの移動の場合……応援は無理だな。開幕からいきなり直接対戦だったし。せいぜい、罵らない、くらいですね(神宮球場で"巨人"ラミレスはものすごいブーイングを浴びてたけど)。 私の予想通り(ほんとよ。信じてくれなくてもいいけど)開幕巨人戦は三連勝! 毎年言っていることですが……今年は優勝します(そう信じてこそのファンだもの)。もちろん日本一! がんばれ、スワローズ! ところで。わたくしごとですが、先日、お引越をしました。そんなわけで今回はこのお手紙を失礼させていただこうと思ったほど、どこもかしこもまだまだめちゃくちゃな状態でございます。お引越についてはいくつか思いついたこともあるのですが──たとえば、ごくごく普通の日本人は、平均で一生に何回くらい引越をするものなのか? 私は引越をたくさんしている方なのか、少ない方なのか? とか──。機会があったら一度、引越についていろいろ書いてみたいものです。引越が趣味とか、引越ずきとかいう人って本当に存在するのか? それはどういう人のことをいうのか?(住む場所を変えていくことだけが好きなのか? それとも持物をまとめて運んでまた荷をといて……といったところまで好きなんだろうか?)。そもそも、"引越"とはどこからどこまでのプロセスを指すのか? 引越も無事に終わり……って言っても、とりあえずものを運んだその当日のことだけだとはとても思えないわ。 ──といったことが頭に次々に浮かんではくるのですが、でもいまは、もうほんとにこんなふうに落ち着いてPCの前に座っていちゃまずかろう、という状況ですので、とりあえずのご挨拶で今回は失礼させていただきます。 みなさん、春を思いきり楽しんでくださいね! (さとう なおこ) |
|
うさぎの手紙
佐藤尚子(2008.6.5更新) |
|
|
みなさん、こんにちは! 毎度ながら唐突ですが、みなさんは小さいころ、毎日何をして遊んでいましたか? 何をするのがいちばん好きでしたか?
私はものすごく普通の女の子だったので、ものすごく普通の女の子らしいことが大好きでした。普通とはいえ極端にインドア系だったけど。大好きだったのは……お姫さま! いま、もうすぐ五つになる最愛の姪といっしょにお絵描きするのがとっても楽しいんですよ。まぁ、私は自他共に認めるどうしようもない伯母馬鹿ですが、姪はそれはそれは絵が上手なんです。絵を描くのが大好きで、ものすごく熱中するのよね。 で、遊びに行くと、一緒にお絵描きをするのです。ふたりでお姫さまの絵を描くの。もうこれが至福の時! 思い出しちゃったわけですよ──自分がどんなに"お姫さまの絵"を描くのが好きだったかを。ひとりで、いつも、いつまでも、描いていたなぁ……これはかなり大きくなるまでつづいた楽しみで、実を言うといまでも、ふと気づくと──例えば電話中とか──メモのすみっこにお姫さまの絵を描いていたりする。 言わずもがなのことですけど、ここで"お姫さま"というのは、別に皇女やら王女やらといったやんごとなき方がたのことではありません。身分も時代もどうでもいい。ドレスを着た女の人ということです。しかも、ドレスと言っても要は裾の長いお洋服ならなんでもいい。村娘のコスチュームだって全くかまわない──つまり、ジゼルもお姫さまなわけ。 子供のころは、本を読んではその絵を描いていました……これも告白すれば幼い子供のころに卒業しそこね、かなり大きくなってもやっていた。……実はいまでも似たようなことをやっちゃったりする。私の場合、シーンではなくキャラクターを描くんですよね(絵がうまいわけではないので、シーンは描けない)。登場人物のお洋服についての描写のあるお話は好きだったな。たとえば『若草物語』なんて宝の山! 書かれているとおりに四人姉妹の姿を描いてみるわけ。別に誰に見せるわけでもないんですよ。とにかく描いているそのときが幸せなの。いろいろなドレスがでてきましたが、なかでも特に気に入ったのは(これは実は続編のほうなんですけど)、エイミーがヨーロッパ旅行中に着ていたドレス(そこで失意のローリーと会ったりするんですけどね、たしか)。彼女はあまりお金はないけれど、それを補ってあまりある美的センスの持ち主。シンプルなドレスの片側の肩から胸、そして裾に自分でツツジの生花をあしらうの。私はこのエイミーの姿を想像するだけで本当に嬉しくなってしまい、何枚も絵に描いてみたのでした。いまも、ツツジの季節になると、このドレスを思い出します(って、ほんとは見たことないわけだけど)。──とにかく、そんなことをしていると実に幸せだったのよね。 これももう遠い昔の懐かしい思い出だったわけですが、姪が絵を描くのが好きなおかげで、私はにわかに現役のお絵描きおばさんになった。「なおちゃん、いっしょに絵を描こう」なんて姪に誘われると、もうそれだけで言葉にできないほど幸せ。 一年ほど前──だったかな──までは、姪のリクエスト──ここにレースいっぱいつけて、とかね──のままに私がほとんど描いていたんですが、いまではほんとうに共同作業になりました。私が描いたお姫さまの顔に姪がながぁいまつげを描き足してくれたり、結いあげた髪にすてきなティアラを飾ってくれたり。ドレスの裾からのぞくかわいいハイヒールを描いてくれたり。きれいなバッグをもたせてくれたり。いまではお姫さまの隣にラブラブの王子さまを描いてくれるまでになった……驚き。 姪は絵が上手、と言いましたが、単なる伯母馬鹿というだけではないと思う。本当に上手なんですよ。まず私が感心しちゃったのは、絵のなかに、正しいスケールで複数の人(や動物や物)を描けること。私は子供のころこれが苦手で……主人公(?つまりメインのお姫さま)だけを熱心に描いてしまい、他の人をそこに一緒に描くことがうまくできなかった。単にお姫さまのポートレートで終わってしまっていました。ところが、姪の絵には物語があるのです。お姫さまの隣に、王子さまとかお母さんとかお友達の女の子とか、あるいは仲良しの犬とか、うまくおさめてしまうのです。これって、かなり難しいことだと思うのよ。次に私がびっくりしちゃったのは、別に誰に習ったわけでもなく、ごく普通に遠近法を使いはじめたこと。ちょっと遠くにいるからちっちゃいの、とか平然と言ったときにはびっくりしたわ。 さらに、こんな楽しいこともしてくれた。ふたりでお姫さまと王子さまの結婚式の絵を描いたのですが、そのときお客さまたちがもってきてくれたさまざまなプレゼントを思いつくままに口にしては、その包みを描いていくんですよね。かたちも大きさもさまざまな、たくさんの箱。絵としては箱だけ(……ほとんどサンテグジュペリ)。でも彼女の場合はここで終わらない。画用紙帳をめくって、次のページに、今度は、それぞれをあけたときの中身を描きはじめたのです──いちいちちゃんと箱と対応してるのよね、これが。 ──こうして書いてみると、やっぱりただの伯母馬鹿でしょうかね……ま、いいか。私がどんなに馬鹿だって誰に迷惑かけるわけでもないし。 とにかく、姪と絵を描くのが本当に楽しいのです。それもお姫さまの絵を描くのが。本気で思っちゃったもん。私、お姫さまの絵を描く仕事につけばよかった、一生お姫さまの絵を描いて暮らせたら幸せだった、なんて。セイカのおえかきちょうの表紙を描く人とかになればよかった。……でもそう言ったら妹に言われたわ。いまは全部、"プリキュア"かディズニーだよ……そっかな……さびしいな。 (さとう なおこ) |
|
うさぎの手紙
佐藤尚子(2008.7.7更新) |
|
|
お暑うございます。いやほんと。三月の終わりに、マンションから今の一軒家に引っ越してきました。マンションとは毎日の肌触りが全然違いますね。この季節、風があるのとないのとでは大違い。同じように暑くても、風があってお家の中を吹き抜けていくと本当に気持ちよくて、それだけで幸せを感じちゃいます。
さて、話題は変わりますが、私の今年の目標(?)は百人一首をそれなりにちゃんとおぼえる、というものでした。それはともかく、とにかく私、この歳にしてふと、そうだ……もっといろんなものをおぼえてみよう、と思ったんですね。要は暗記なんですけど、まさか年号とか百分率とかじゃなくて(それでもいいんだけど)、それこそ和歌とか詩とか、落語とか講談とか(これはちょっと無理だな)、お経とか(ま……無理かな)、世の中にはおぼえて楽しいものがいっぱいある(ような気がする)。 子供のころ、なぜか私の父は、私たち姉妹に何かとものを暗唱させようとしました。あれはなんだったのか、なぜだったのか、いまだによくわからない。いまさら父に訊く気もしない。『平家物語』の冒頭部分はもちろんなんだけど、誰もそんなところ(だけ)知らないよ、という部分を妹と私は暗唱できるんですね。ちなみに、寂光院で、徳子が亡くなった安徳天皇を偲ぶ場面だと思うんだけど。おそらく、ラジオかなんかで『平家物語』のこの部分は実に名文である、みたいなことを小耳に挟み、じゃ娘たちにおぼえさせてみようなんて思いついたにちがいない。ほかにも藤村の詩とか(小諸なるってやつ)いろいろおぼえさせられたけど、実に脈絡がなかった。どうせならもっと徹底した英才教育でもしてくれればよかったんですが、まるで隠し芸のようなものに終わっちゃいました(それにこれじゃレパートリー的に隠し芸にもなんないし)。 そのときの父の意図はいまだにわかりませんが、でも、さすがは彼の血を引く娘(だからなのかなぁ……)。ふと思っちゃったわけですね──いろいろおぼえてみようかな?(幸か不幸かおぼえさせる娘がいないので、自分でやってみるしかない) 何をおぼえていたってなんの得にもならないけど、損にもなるまい。万が一、眠っている脳細胞のひとつやふたつ、目覚めてくれないともかぎらない。それに、突然大停電が起こって、することもないままに何時間も過ごさなくちゃならなくなったとき、おぼえたものを端から暗唱していったらいい暇つぶしになるかもよ……? 試験とかのために一時的に無理矢理暗記してすぐに忘れるたぐいの記憶ではなく、じっくりと心に刻むようなおぼえ方ができれば、それは宝物になるんじゃないだろうか? 多分、目が悪いことも影響しているのでしょう。先々、視覚からのインプットが不可能になるとしたら、今のうちに入れちゃえ。それでおぼえてしまえばこっちのもの、みたいな。 で、手始めの百人一首。現在とても楽しく進んでおります。私はこのために本を二冊買いました。一冊は、見開き二ページに一句ずつ、現代語訳や背景や人物紹介を要領よくまとめたもの。もう一冊は白州正子さんの非常に主観的な鑑賞本。この二冊をあわせて読みながら一句一句ノートに写したりしておぼえていく。いままで全く何も知らなかったからこそ、いまさらの百人一首も実に楽しめるんですよね。なにがびっくりしたって、『古今集』と『新古今集』のあいだにはおよそ三百年もの開きがあったことです(ということを、知らなかったというより、認識していなかったということです)。"昔"でひとくくりにはできないよね、三百年って。ま、毎日自分の無知と非常識に驚かされているわけだけど、歌の意味を理解して初めて心を動かされたり、背景や人間関係を知って納得したり同情したり、というのも楽しいものです。また逆に、なんの解説も要らずに普通に共感できたり、その光景の美しさを思い描けたりする歌があるのも幸せなことですね。 ところで……みなさんにも、子供のころにいちばんはじめにおぼえた百人一首の歌ってあると思うんですけど、それはなんですか? 私はどういうわけか、ものすごくへんてこな歌を最初におぼえちゃったんですよね。それこそ今の姪くらいの歳のころじゃなかったかと思うんだけど。いや、へんてこは失礼よね。名歌だそうですから。どうして子供だった私がこの歌に惹きつけられたのか? それは曾禰好忠の「由良のとを渡る舟人かぢをたえ行衛も知らぬ恋の道かな」という歌。もちろん、私の頭にはものすごく勝手な絵ができあがっていました。……なんとなく砂漠の蜃気楼かなんかみたいにゆらゆらと揺れるファンタジックな塔がそびえてまして、その塔の前をとうとうと川が流れていまして、そこを小さな小さな舟がわたっていて……あとはまあ……この先どうなるかわからない恋の物語となるわけなんですけど。それにしても最初っから激しく間違っているからなぁ……"揺れる塔"はないよね(でも、全部耳で聞いて浮かんじゃったイメージだから許してね)。ちなみにこの作者、相当嫌なやつだったらしいと知って笑っちゃいました。 (さとう なおこ) |
|
うさぎの手紙
佐藤尚子(2008.8.4更新) |
|
|
あいかわらず……いや、ますます暑いですね。みなさん、お元気ですか? 暑い、暑いと言うなと、昔、学校の先生に怒られました。何も怒ることもないじゃん、と当時は思いましたが、今にして思えば、ティーンエージャーの群れ(それも女ばっかり)が暑い暑いと騒いでいたら、そりゃあ教師としてはさぞ暑苦しかったことだろう。
さて、この暑い中、今月は私、悪口を書こうと思っているんです。本来、悪口は得意じゃない。小心者なんで、こんなところに正面切って悪口を書くなんて、ほんとに苦手。でも今回はそれをやってみようと思うの。しかも、"☆野監督"なんて姑息な書き方はせず、ちゃんと"星野監督"とか書いちゃうつもり……つまり、その方面の話です。野球に全く興味のない方も多いと思いますが、ま、許してください。 オリンピック競技としての野球、そして今回のオリンピック代表チーム、いわゆる星野ジャパンとやらをめぐって、私はいくつか言いたいことがあるのです。いま、星野監督にたてつくと非国民扱いされちゃうかもしれないけど、どうせこんな小娘(おばさんなんだけど)が言うことなんて誰も気にとめやしないだろうから、まあいいでしょ──って、敢えて悪口を書こうというときに、こんなふうにぐだぐだ前置きすることもないよね、馬鹿みたい。 さて、と。何よりもまず言いたい。野球って、オリンピックには向かないと思いませんか? この大会でオリンピック競技から外すのは実に正しいと、私は思う。それ以前に、私、野球はスポーツとは言えないと思っているのです。これはここにも何度か書いた覚えがあります。正確に言うと、プロ野球は、最高のエンターテインメントではあるけれど、もはやまっとうなスポーツとは言えないな、と思うんです。たとえば高校野球、よく知らないけど大学野球、さらに知らないけど社会人野球、つまりアマチュア野球はスポーツなのだろうと思う。でもね、プロ野球はまったく別物だと思う。プロレスがレスリングとちがうのと同じとは言わないけど、まあ、そんなところ。プロ野球の選手に求めるのは、スポーツマンシップよりもプロ意識であり、どちらかと言えばショーマンシップじゃないだろうか。いかに観客、ファンを楽しませてくれるか、だと思う。息をのむようなファインプレイはもちろんだけれど、逆に、それはないよくらいのあくどいプレイ、ずるがしこいプレイ、阿漕なアピール、そんなものだって全部アリなんです。 野球を世界的なスポーツにしたい、そのためにオリンピックで盛りあげたい、あるいはこれで最後と言われているオリンピックの野球をまた復活させたい、などと関係者は言う。それなら──野球というものを世界中の人に愛されるスポーツとして普及させたいのだったら、やっぱりオリンピックはあくまでもアマチュアでのぞむべきだったんじゃないでしょうか。純粋にスポーツとしてプレイし、スポーツとして観戦できるのは、アマチュア野球までだ。いっそ、甲子園の優勝校がそのまま出場するとかね。甲子園出場校でベストナインを組んで出場するとか……これだと四年に一度のオリンピックに絡めない学年ができちゃいますね。じゃあ、ちょうどいい。大学野球のナンバーワンチームが行くとか。大学生選抜チームを組んで参加するとか。その方がよっぽど世界中に普及すると思うし、スポーツとして愛される可能性もあると思うよ。プロ野球の選手のみで構成したチームでオリンピックに参加するのは無意味だったと思う。だいたい、プロの選手がやっている野球を見て(つまり、それはプロ野球だ)、世界中の誰もが楽しめるすばらしいスポーツだと思えます? ルールはやたらにせせこましく、かと思えばなぜかひどくアバウトで、そしてとてもお金のかかる見せ物──使う道具も多いし、ユニフォームまでなんとなく複雑。 ──以上が、私がまず言いたかったこと。とはいえ、これは私が常々勝手に考えている(堂々と口にもしている)ことなので、悪口、とは言えませんね。でも以下はほんとに、今回の星野ジャパンにたいする悪口なんです(ドキドキ)。 要は、星野ジャパンのメンバー選抜のアンフェアさはどうよ?、と言いたいのです。私は、プロ野球チームから、ペナントレースの真っ只中、ひどく恣意的に選手が選抜されることに納得がいかない。チームによって、被る影響の大きさにあまりにも差がありすぎます。プロ野球関係者が正面切って文句を言えないのは、わからないでもないけど、逆に一人も選ばれていないチームの監督が、チャンスだ、と真っ正直に言っていました。そりゃそうです。他のチームから数人ずつ主力選手が抜けるなか、自分たちは自分たちなりのベストメンバーで戦えるんだから。それも一試合や二試合じゃない。一カ月です(正確には三週間あまり、というところでしょうか)。 たとえば、私の愛するスワローズからは、大事なキャプテンとリーディングヒッター(いまのところまだだけど)が抜けてしまいます。一カ月ものあいだ、この二人がいなくなるのはすごく辛い。私はオリンピックに野球は向かないと思うから、思いっきり無視してもいいはずなのだけど、大事な選手を二人も人質にとられているわけで、他人事のような顔をしているわけにもいかないのです。二人とも、みっともない結果で終わったら、それこそ何を言われるかわからないような立場にまんまとおかれちゃっている。特に……キャプテンは大変だと思う。いつの間にかツバメのキャプテンは、私になんの断りもなく(当たり前だけど)ジャパンのキャプテンにされてしまっている。 もちろん、大変なのはスワローズだけではありません。表だって文句を言う人はいないみたいだけど、エースをもっていかれちゃうチーム、四番をとられちゃうチーム、そしてエースと四番が両方とも抜けてしまうチーム……痛いに決まっています。一人も選ばれないというのも、まあ実際寂しいだろうけど、何人か選ばれているチームであっても、たとえばジャイアンツなんか現状から考えると痛くも痒くもないような感じよね。これはあまりにも不公平です。どうしてもプロの選手で代表チームを組み、そしてオリンピックに参加するというのなら、いっそその期間ペナントレースはお休みにするとか(オリンピックイヤーにペナントレースの試合数が少なくたってかまわないじゃない。少なくとも公平だ)、まだ一軍の主力とは言えない若い子だけにするとか(サッカー風)、逆に全てのチームの防御率のいちばんいいピッチャーといちばん打率のいいバッターを問答無用で必ず全員もっていくとか、少なくともすべてのチームからせめて同人数選ぶとか(選手の重要度までは一概に言えないとしても)。とにかく、もう少し考えてほしい。 それにさ、つまらないことを言うようだけど、一カ月の空白で、さまざまな記録はどうなるんだろうか? 安打数とか盗塁数といった、数を重ねていくタイプの記録は、当たり前だけど、不在の選手には不利……残っている選手にしてみても、あまり意味のない、まるで参考記録みたいなものになってしまうじゃない? いったいどうするつもりなんでしょう(もちろん、なにらかの決めごとがあるんだろうけど)。個人の記録は、チームの勝敗に比べれば些細なことではあるけれど、プロ野球の楽しみのひとつでもあるから、ないがしろにはしてほしくない。 そして、なにがひどいと言って、星野監督以下、代表チーム首脳陣の(ま……とてもプロ野球っぽいオヤジ軍団だ)オリンピック代表チーム至上主義みたいな、あの、ものすごく独善的で身勝手な言動ですね。細かいことは書きたくないけど、星野監督は、いままでに、かなりひどいこと、失礼なことを平気で何度も口にしている。それにいちいち頭にきているのが私だけとは思えない。 ──こんなところが私の精一杯の悪口です。ああさっぱりした、と言いたいところですが、これだけ書いても別にさっぱりもしないし、気が済んだわけでもないな。でも書きながら改めて思いました。私の感覚は、かなりまともなのでは? 絶対に、私と同じように納得していない人は大勢いるはず──それこそ、だからどうってわけでもないけど。ほんと、今更なんだよ、なんですけどね。 来月のお手紙を書くころには、オリンピックも終わり、もちろん野球の結果もでていますね。とりあえずみんな無事に帰ってきてほしい。そして結果がどんなものであれ、最高の結果が得られても得られなくても、とにかく堂々と帰ってきてほしい。そしてオリンピックで燃え尽きちゃったりせずに、みんな元気にペナントレースに復帰してほしい。 ──しかたないか、ここまできたら。もうこう言うしかないよね…… がんばれ日本代表チーム! それぞれ悔いの残らないように、最高のパフォーマンスを見せてください。 (さとう なおこ) |
|
うさぎの手紙
佐藤尚子(2008.9.3更新) |
![]() |
こんにちは。毎度私事で恐縮ですが、夏の終わり、今年もまた誕生日がやってきて、今年もまためでたくひとつ年をとりました。今年、私はとてもきりのいい年齢になったので、ひとつ決心をいたしました。
それは──あの、とてもちっちゃなつまらないことなので聞いて驚かないでくださいね──いままで平気で口にしていた、いただけない言葉を三つ、これからは使わないようにしようというものです。その言葉をここに書くことはしません──恥ずかしいし。それにね、どれも別に間違った言葉というわけでもないし、特にとがめだてするほど汚い言葉でもないの(自分で言うのもなんだけど)。ただ……いい年した女が使うのはいかがなものか?みたいな言葉なんです。 そう。もともと三つだったのです。でもこのことをごく内輪の席で何気なく宣言したら、妹にあと二つ増やされてしまった。私がよく使ってしまう言葉のなかに、彼女にとってはとんでもなく耳障りなものがあったんですよね──まあ知ってましたけど(一応、注意もされていたし)。いい機会だからついでにやめなさい、と諭されてしまった。というわけで計五つ。使ってしまったら罰金なのですが、でもどこに(誰に)払うのか? まあそんなことはどうでもいいか。深く考えるほどのことではないですね。貯金箱に十円玉でも放り込むようにしようかな。 言わずもがなのことですが、私が使ってしまういただけない言葉がこの五つだけ、というわけではもちろんありません。ただ、きちんとした言葉遣いをしようとか、子供っぽい言葉遣いはやめようとか漠然と言っていても実行不可能ですから(自ら監視することも不可能になりますから)、とりあえず限定してみたのです。 五つの言葉の内訳。三つはたしかに、大人が使う言葉ではないな……と思いながらついつい口にしていた言葉。ひとつは完全に要らない言葉。そしてあとのひとつ……これがとても便利な言葉なんですよね。この言葉をある人(これは特定されている)が使いはじめたとき、変な言い方だけど、私はちょっと感心した。そのニュアンス、わかるわかる、って感じで。いまでも、その言葉を使えば簡単に思うところが通じる場面というのがあるとは思っています。使って悪いとも実は思っていない。ただ……手軽なんだよね。──ここで無理してでも、この言葉を気軽に使わずにそれと同じくらい的確に伝わるように努力するのが大人っていうものではないか?などとふと思ったわけ。 きちんと話せるということは財産ですね。たとえばオリンピックではいろいろな選手のインタビューがある。私はスポーツ選手のインタビューを見て感心することがよくあります。普段あまり見ることのない、メジャーとは言えないスポーツの選手のなかに、実にきちんと話す人がたくさんいますね。全員が、とは言わないけれど。落ち着いた丁寧な言葉で訊かれたことにちゃんと答え、言いたいことをはっきりと言う。一流の選手だから大人なのか、忙しくてテレビなんか見ている暇がないせいか……理由はわからないけれど、その場限りのつまらないはやり言葉なんて使う人はあまりいない(知っていても、使う場ではないと心得ているのだろう)。日本のプロ野球のヒーローインタビューとは大違い(少しは考えようよ、と思うことがしばしばあるのよね)。 私は基本的には、言葉は、伝えたいことができるだけ正確に伝わるのがいちばん、と思っています。誰かがつくった新しい言葉、どこかから入ってきた外来語、いわゆる流行語、そういうものを使うのもそれほどの抵抗はない。ただ、自分で気に入らない言葉とか、私にとって意味不明の言葉とか、個人的に耳障りな言葉などは自分では絶対に使わない(もちろん……大きなお世話だけど人が使っていてもやはり気になる)。いまさら、正しい日本語だの美しい日本語だのを、他人にまで求めようとは思わない。第一そんなことができるのは、人のお手本になるほどきちんと話せる人だけだと思うし。でも自分が勝手に努力するのはかまわないでしょう。 たぶん、すぐに改めるのはなかなか難しいことでしょうね。それはわかっているんですけど、なんて言うんでしょう……きっかけがほしかったんです。ずっと、自分の言葉遣いは子供っぽいな、ものすごく汚いとまではいかないけれど美しくはないな、と自覚していた。日本語が乱れているのが気になる、とかそういう問題ではなくて、完全に自分個人の問題として、他に取り柄もないことだし、せめて、少しはまともできちんとした言葉を使うようにしたい。子供っぽい言葉遣い、独りよがりの言葉遣い、鬱陶しい言葉遣いはなんとか慎むようにしよう。これは、いい年して……四捨五入で五十になる誕生日にするような決心ではないけれど、まあ、本気、ということでここに宣言しておきます。中身を言わないのがずるいと言えばずるいかもしれないけど、ほら、もう口にするのはやめようと誓った言葉なので、お許しください。……来月までにいくら貯まっているかしら(って……違うでしょ!)。 (さとう なおこ) |