【日々の泡】バックナンバー 2000年  塩原通緒(しおばら みちお)   2003年2002年2001年はこちら





日々の泡 2000.1

ロック対訳放談

 あけましておめでとうございます。
 いよいよ2000年、みなさん、今年もよろしくお願いしますね。

 さてさて、最近デヴィッド・ボウイさん、美しいロングヘアでがんばっていますよね。で、その最新ライブで復活していた1曲が、1976年『ステイション・トゥ・ステイション』からの「ワード・オン・ア・ウィング」。懐かしいですねえ。なんの気なしに、あらためて(というか初めて)歌詞を読んでみました。そうしたらびっくり。いや知りませんでした、こんなことが歌われていたなんて。なんだかとっても感じ入ってしまい、だれかに伝えたくなりました。

 もちろん、これはわたしなりの解釈なんで、異のある方はぜひご反論を。

WORD ON A WING

In this age of grand delusion
You walked into my life out of my dreams
I don't need another change
Still you forced a way into my scheme of things
You say we're growing
Growing heart and soul
In this age of grand delusion
You walked into my life out of my dreams
Sweet name you're born once again for me
Sweet name you're born once again for me
Oh sweet name I call you again
You're born once again for me
Just because I believe
Don't mean I don't think as well
Don't have to question everything in heaven or hell

Lord I kneel and offer you my word on a wing
And I'm trying hard to fit among your scheme of things
It's safer than a strange land
But I still care for myself
And I don't stand in my own light

Lord, Lord my prayer flies like a word on a wing
My prayer flies like a word on a wing
Does my prayer fit in with your scheme of things?

この大いなる惑いの時代に
僕の意識の底からあなたが現れた
変わりたいなんて思っていないのに
あなたは無理やり僕の生き方に割りこんできた
あなたは言う 人は成長するものなのだと
心と魂を成長させていくのだと
この大いなる惑いの時代に
あなたは僕の夢の中からやってきた
なんて甘美なその名前 僕のために甦ったかのよう
魅惑的なその名前 一度死んだあなたが僕のために再び生まれてきた
ああ その甘美な名前を 僕は再び呼ぼう
僕のために甦ったあなたの名を
だって僕もそう思うから
きっとそのほうがいいのだろう
もう何も問わなくてすむのだから そこが天国でも地獄でも

主よ ひざまずいてあなたに捧げよう 僕の誓いを翼にのせて
今も精一杯やっている あなたの意志のとおりに生きていこうと
そのほうが安全だもの 知らない道を手探りで進むより
でも やっぱり自分を捨てたくない
自分で自分の邪魔はしたくないんだ

主よ 主よ 僕の祈りが飛んでいく 翼をつけた誓いのように
翼をつけた誓いのように 僕の祈りが飛んでいく
僕の祈りは あなたの意図する世界に居場所を見つけられるだろうか?




日々の泡 2000.2

 うちの毎朝のお楽しみは、「めざましテレビ」の最後を飾る人気コーナー「きょうのわんこ」。土日の夜のお楽しみは、テレビ東京「ニュースアイ」の最後を飾る人気コーナー「ニュース犬ブーニー」。どいつもこいつも、憎たらしいほど可愛らしい。

 うちはマンション暮らしなので、わんこは飼えない。よし飼えたとしても、こんな出不精な人間が主人では、飼われるわんこが可哀想というものであろう。さりとて25万出して電気犬を買うのもなあ。要するに、あくまでも「テレビで見る」わんこが好きなのであった。

 そういえば、読みさしの本の頁を三角に折るあれを、「わんこの耳」っていわなかったっけ。そこでリーダーズ。あったあった。「dog-ear――(n)耳折れ、折れ込み、福紙(=dog's-ear)〈本のページの隅が折れ込んだまま断たれたもの〉――(vt)(本の)(ページの)隅を折る」。そうか、最初から折れてるものも含まれるんですね。

 それにしても、dogのつく言葉っていっぱいあるなあ。そういやイギリスってわんこ天国だったっけ。あれ? しかしよく見ると、悪い意味ばっかり。エッチ系の言葉も目立つ。リーダーズ・プラスをあけてみると、うわ、こっちも。なんと「わんこの耳」には「ペチャパイ」の意味もあったのだ。「わんこのお尻」「わんこの息」「わんこレディ」……。日本にも「犬死に」とか「犬畜生」とかいう言葉はあるけれど、ここまでひどくはないよう。イギリスのわんこは虐げられていたのであった。だから逆に愛犬家が増えたのだな。

 でも、ひとつだけ、いい意味を発見。「It's dogged(as[that])does it――(ことわざ)事の成否はがんばりひとつ」。わんこくん、ともにがんばろう、ね。





日々の泡 2000.3

一仕事終わって気分晴れ晴れ。
この束の間の解放感が嬉しい。

やっていたのはダライ・ラマの道徳論。

こういうと抹香臭く聞こえるかもしれませんが、そんなことはありません。 宗教色は抜きで、むしろジョン・レノンの「イマジン」の世界とでも言いましょうか。こういうものを訳していると、自分まで謙虚で前向きな人間になったような気がするから、まったくもってありがたいことです。

というわけで、確定申告も済ませ、わたしはこれから映画にでも行ってきまあす。
それではみなさま、ごきげんよう。





日々の泡 2000.4

 今月はルー・リードの新譜が出る。たしかライブ盤を除けば4年ぶりだから、とてもとても楽しみにしている。

 ルー・リードというと、7、8年前の、大宮ソニックホールでのコンサートをいつも思い出す。そのころわたしは会社員で、家も勤務地も埼玉だった。

 なかなか仕事が終わらずに、30分ばかり遅刻して会場に着くと、場内はまだ明るく、客の入りもまばらだった。あれ、と思いながら中央やや後ろの席に座ると、やがて主催者らしき人がステージに出てきて、言った。

「客席がご覧のとおりの状態ですので、アーチストが出演を嫌がっております。そこでみなさん、指定の座席に関係なく、どうぞ前に詰めてお集まりください」

 あんなにすいているライブも初めてだったが、そんな展開になるライブも初めてである。楽屋裏の苦労がしのばれた。もちろん前に詰める。4、5列目あたりだったろうか。しばらくすると照明が落ち、ようやく御本人が出てきた。ぶすっとした顔で椅子に座ると、彼はぽつりと言った。

「ディス・イズ・スモール・ハイクオリティ・オーディエンス」
 そして静かにギターを弾き始めた。

 「スモール・ハイクオリティ・オーディエンス」は、義務感も手伝って、やたらとルー・リードを盛り上げた。ルー・リードも手抜きしたりせずに、ちゃんといっぱい曲をやってくれた。だから、結果的にはとてもよいコンサートだったと思う。本人もそう思ってくれたならよいのだが。

 だけどあんなにも間近でルー・リードを見ることは、もう二度とないのだろうなあ。





日々の泡 2000.5

 春眠暁を覚えず。
 これ真実ですね。最近ちっとも起きられない。3つある目覚ましくん、キミたちほんとに鳴ってるの?

 起きるとボーっとコーヒーを淹れ、3杯ぐらい飲んでから、やっと動く気になります。勤め人だったころは、起きて15分で家を出るなんてこともざらだったから、その点、自由業はいいですね。

 そんなわけで、うちは一般家庭よりコーヒーの消費量が多いかもしれません。200グラムが1週間もたない。この頻度、どんなものでしょうか。豆がなくなると、お買い物に行きたくなくても行ってしまいます。

 コーヒー器具もいつのまにか各種揃ってしまいました。
・ ペーパードリップ:使うのはたいていこれです。
・ 電動コーヒーメーカー:大勢の客が来たとき用。かわいそうに、あまり出 番がない。
・ 電動エスプレッソマシン:カプチーノが飲みたいとき用。家でおいしいエ スプレッソを作るのは難しい。
・ プレス式ポット:昼間、1、2杯飲むときはこれがいいですね。

 つねづねデロンギのカプチーノマシンが欲しいと思っているのだけど、使用頻度と価格を考えると、無駄な買い物になりそうで躊躇しています。
 あるときペーパーバックの小説を読んでいて、「おお、そうなのよ!」と思ったことがあります。その部分、ちょっと長いけど、引きますね。
I put on my bathrobe, went into the kitchen, and got busy making the morning's coffee.……I put up some water to boil, took out the bag of Bustelo from the refrigerator, and measured out four level tablespoons. When the water started bubbling I poured a little over the coffee and then waited. The trick is wait. Thirty seconds, maybe forty. If you can hold off from dumping all the water in at once, the coffee will have time to expand with the moisture and give off its full aroma. Only then do you pour the rest of the water through…….After the third cup I persuaded myself to get dressed.(SQUEEZE PLAY by "Paul Benjamin")

バスローブを引っかけ、キッチンに行き、朝のコーヒーを淹れにかかった。……お湯を沸かして、冷蔵庫からブステロの袋を出す。計量スプーンで四杯分。お湯が沸騰しかけたら、ほんの少量をコーヒー粉にまんべんなく注ぎ、それから待つ。待つ、というのが大事だ。30秒、できれば40秒。お湯をいっきに注ぐのを我慢できれば、コーヒーは水分を含んでゆっくりと膨らみ、アロマをぞんぶんに放ってくれる。それから初めて、残りのお湯を注ぐのだ。……3杯飲んで、しかたない、そろそろ着替えるか。

 ところで、この「ポール・ベンジャミン」、みなさんご存じでしょうか。じつは日本でもわりと知られた人なんですけど。しかし話が長くなるので、答えは次回に。





日々の泡 2000.6

答えはポール・オースターです。
 いきなりなんのこっちゃ、と思われた方は、すみませんが前回を読んでください。

「Squeeze Play」(1978)は、無名時代のオースターが「お金のために」ポール・ベンジャミン名義で書いた中編ミステリ。当時の貧乏生活を綴った自伝エッセイ『Hand to Mouth』(1997)に、おまけ(appendix)として載っていました。本人としてはかなりの自信作だったのに、残念ながら出版社とのコネがなかったため、紆余曲折の末ようやく出版されたものの、彼の手元には900ドルしか入らなかった……という悲しい(けど、おかしい)話が、本文の「Hand to Mouth」に書かれております。邦訳はまだ出ていません。柴田元幸さん、お忙しいんでしょうね。

「squeeze play」をリーダーズで引くと、
・ (野球)スクイズプレー
・ (ブリッジ)切り札で相手の大事な札を吐き出させること
・ ゆすり、強要
とあります。なるほど、たしかに全部の意味が含まれた物語なのだ。

 主人公は元警官の私立探偵。ある事件をきっかけに警察を辞め、と同時に奥さんとも離婚して、幼い息子とも離れ離れ。まだ若いのに、なーんかたそがれちゃって、一人さびしく探偵稼業。そこに、かつての野球の名選手が依頼人として登場。だれともわからぬ輩から脅迫状が届いたという。主人公は調査に乗り出すが、結局、依頼人は殺されてしまう。依頼人の奥さん(美女!)に嫌疑がかけられ、その疑いを晴らすべく主人公は調査を続行。そしてたまたま息子と行った野球の試合で、大逆転のスクイズプレーを見て、はっとひらめく……。

 しかし野球が大好きってところは、オースターもしっかりアメリカ人ですね。野球の嫌いなアメリカ人なんて、アッシュ・リンクスぐらいしか思いつかない。W・P・キンセラの『シューレス・ジョー』では、あのサリンジャーも野球好きということになっていました(これは映画『フィールド・オブ・ドリームス』の原作。翻訳は永井淳さん)。オースター脚本・共同監督の映画『ブルー・イン・ザ・フェイス』にも、球界初の黒人選手、ブルックリン・ドジャースのジャッキー・ロビンソンが出てくるハートウォーミングな場面がありました。

 そうそう、『ブルー・イン・ザ・フェイス』では、マイケル・J・フォックスがいい味を出してました。好きですよ、マイケル・J・フォックス。(これまたなんのこっちゃ、と思われた方は、すみませんが前回の秀岡さんの「うさぎの手紙」を読んでください。)アメリカ版・植木等みたいな『摩天楼はバラ色に』もよかったし、『ハード・ウェイ』でのジェームズ・ウッズとのかけあい漫才もおもしろかった。がんばって病気と闘ってほしいです。

 ともあれ「Squeeze Play」は、活劇ありロマンスあり、美女に子供まで出てくるサービス満点の作品。オースターさん、これはひとつ映画にしたらどうでしょう。主演はブラピでお願いします。刑事(デカ)プリオはやめてね。(注:レオ様がいけないんじゃないんです、刑事プリオがいけないの。)




日々の泡 2000.7

6月1日
 先月から「地図とにらめっこ組」に参加。ずーっと宇宙ものをやっていたので、青い地球に帰ってこられて嬉しい。

6月7日
 唯一の持病、湿疹が両腕に出たので皮膚科の医者へ。自分では、これが健康のバロメーターだと思っている。忙しい→乱れた食生活/寝不足→抵抗力が落ちる→弱いところがやられる、という理屈。正しいかどうかは知らないけれど。だけど、まだ仕事せっぱつまっていないよ? そうしたら「虫さされです」。毛虫の季節で、洗濯物なども危ないのだそうだ。なるほど。

6月10日
 小学生の甥っ子から『ハリー・ポッターと賢者の石』を借りる。ふだんマンガしか読まない奴が3日で読了したというから、よほどおもしろいのか。ただいま出番待ち。イギリスでは続編が何巻も出てるんだよ、と教えてやると、えー、それじゃオレのために先に訳してよ、と言う。それはいいけど、おまえいくらで買ってくれるんだ?

6月17日
 映画『ナインスゲート』を見に行く。封切りから2週間で早くも2番館落ち。おもしろかったのに、どうして? ジョニー・デップがTVディナーをチンする姿に、妙に共感を覚えてしまった…。

6月25日
 ワープロ打って、投票に行って、図書館に行って、またワープロ。今はアフリカの地図。気分を盛り上げるためにユッスー・ンドゥールでも聴きながら、なんて悠長なことを言っていられたのは最初だけ。少ない資料を引っくり返しながら、ちびちび穴を埋めていく…。終わるんだろうか、明日の朝までに。




日々の泡 2000.8

8月。ビールのおいしい季節となりました。
それにしても暑い。もう何もしたくない。でも仕事と家事は待ったなし。どうして人は毎日汗をかき、ものを食わなくてはならないのでしょうか。ビール飲んで1日中ごろごろしていられたら、と浅はかな願いを抱かずにはいられません。それでも7月は楽しいこともありました。

楽しかったこと・その1
 7月8日、学生時代のともだち男女8人で房総の勝浦へ一泊旅行に行きました。すでにだれも覚えていないかもしれませんが、この前夜、日本列島は台風に見舞われたのです。雨風に弱い外房線のこと、列車はむろん運休。急きょ2名に車を出してもらいました。こんな日にわざわざ房総に行く人はそういません。車はすいすいと都内を抜け、あっというまに目的地到着〜。現地は台風一過でみごとな晴天です。その夜の宿は、分譲リゾートマンションの売れ残り室を活用したコンドミニアム。素泊まりですから、6時近くに外へ夕飯を食べに行きした。そもそも今回の旅の目的は「終電を気にすることなくじっくり飲む」。まずはフロントで教えてもらった海鮮居酒屋へ。冷えたグラスに冷えたビール。刺身、焼き物、揚げ物、煮物と、魚のオンパレード。そうこうするうち、夜から参加の1名が勝浦駅にやってきました(さすがに運転再開したのね)。みんなで迎えに行ったのち、別の定食屋に入って、またビールと魚。お腹もいっぱいになったので、酒とつまみ少々を買って宿に帰ります。そして、みたび宴会。この時点で11時ごろだったと思うんだけど、気がついたら外がほんのり明るくなっていて、時計を見たら4時でした。〈10時間も飲んでしゃべっていたわけ?〉と、みな愕然。そのあと5時間ほど寝て、おそばを食べて、ちょこっと海を見て、とっとと帰ってきました。ああ楽しかった。

楽しかったこと・その2
 後日、使わなかったJR切符の払い戻しができるというので池袋の旅行代理店へ(ちゃんと遅延証明をもらっておいたのです)。手続きが終わって時間もまだ早いので、久々に、1日いても飽きないデパートをのぞいていきましょう。おりしも今はバーゲンの季節。いくつになっても心躍るこの響き。靴売り場、服売り場を経由して最上階のCD屋へ。降りて家庭用品売り場へ。ああっ、これもほしい、あれもほしい、と思いつつ、結局なにも買わないわたし。唯一の収穫がワゴンセールの980円のマルチカバー2枚。今日はこのへんで勘弁してやるか、と財布に言って別館の本屋へ。するとなにやら人だかりが。ハイハイちょっと失礼しますよ(とは言わないけど)。前に出ると、村上龍がせっせとサインをしていた。龍のサインならあたしもほしい。幸い『希望の国のエクソダス』はまだ買ってないぞ。でも行列の長さにめげました。まあいいや、見られただけでラッキー。そのまま奥の売り場へ行って40分ぐらいして戻ってくると、まだやってましたサイン会。列もぐっと短くなっている。これならもらわなきゃソンだわ、と、よくわからない衝動に駆られて本を買い、10人ほどの列の後ろに並びました。いよいよ番が来ると、龍さんはサインばかりか握手までしてくれました。いい人だ。てなわけで、予想外の出費と収穫があったこの日。




日々の泡 2000.9

今年のお盆はちょうど仕事の切れ目にあたったので、心おきなく十日ほどの休暇とした。別にどこへ出かけるでもなく、諸般の用事を済ませているうちに過ぎてしまったのだが、翌朝の心配をせずに夜遅くまで好きなことをしていられるのは、やはり嬉しい。

 嬉しいけれど、しょせんいつかは終わってしまうもの。「休暇」という言葉は、どこか感傷的で、切ない感じがする。

 だからというわけでもないだろうが、「休暇」を題にしたフィクションはけっこうある。「パーマネント・バケーション」は映画。「ロング・バケーション」はテレビドラマ。「特別休暇」はマンガ。「サバティカル」は小説。「十五少年漂流記」の原題は「二年間の休暇」。

 少し前、日本に休暇を過ごしにきたベトナム兵を追ったNHKの古いドキュメンタリーを見た。初めて知ったが、ベトナム戦争時、東京はタイのバンコクなどと並んで米軍指定の休暇先になっていたそうで。

 立川の基地に米軍輸送機が着陸する。たくさんの兵士が降りてくる。基地内で、兵士たちは日本滞在時の注意を受ける。「日本は独立国であり、犯罪行為をすれば日本の法律で裁かれる。米国は日本との友好を維持したい。日本人に不快感を与えるような真似はしないように。街に出るときは軍服禁止。私服がなければ基地内の貸衣装屋を利用すること。最終日の集合時間に遅れないように。では解散。休暇を楽しんでくれ」

 ある白人兵士は、都内の一流ホテルにチェックインし、翌朝ルームサービスの朝食をとる。ベトナムのジャングルを這い回っていたときから、休暇がとれたら一番にホテルのルームサービスを頼もうと決めていたという。デパートに出かけ、故郷の妻と自分用に揃いの浴衣を買う。ホテルのフロントに勧められて、日光に一泊旅行に行く。

 ある黒人兵士は、なぜか運悪く、いくつかのホテルに満室だと断られた末、やっと宿に落ち着く。彼はデパートにも日光にも行かず、同じ黒人兵士と二人で喫茶店にいる。あるいは一人で公園のベンチに座っている。彼は休暇を一日余して、基地に帰った。

 最終日、基地は戻ってきた兵士でごった返している。私服から軍服に着替え、明日また銃を握るために、彼らはぞろぞろと輸送機のタラップを上がっていった。それぞれの休暇の終わり。これはもう、切ないを超えている。




日々の泡 2000.10

  遅ればせながら観てきました、トム・クルーズ&ジョン・ウーの『M:I−2』。  一部では大いに馬鹿にされているトムくん&本作ですが、なかなかどうして、楽しめましたよ。

 これでもかこれでもかのトム・クルーズ見せまくりには、笑かしてもらいました。愛のセリフも思いっきりクサく決めてます。こりゃあトム・ファンにはたまらない映画でしょうが、アンチ・トム派にも別の意味でたまらないかも。

 そして前作はデパルマらしいスタイリッシュな映画でしたが、今回はとっても土臭い、どアクションもの。だって、必殺技が、飛び蹴りですよ。そんなもん飛んでるあいだに殺られちまうわ、と思うのは間違いなのでしょう。これがジョン・ウーの美学ってやつなのです、きっと。(ほかの作品見たことないので偉そうなことは言えんのですが。)

 アンソニー・ホプキンスは、ほんとおまけの役ですね。最初と最後にちらりとしか出てこない。でも、うな丼の山椒じゃありませんが、この人が出てくると作品が引き締まって、格が出てくるような気がするから不思議です。ただの先入観でしょうか。

 てなわけで、すべての人に観てもらいたい、とまでは言いませんが、もし観るのなら、やはり大画面で観ることをお勧めします。高いところが苦手な人なんか、のっけから足先がひゅーんと冷たくなっちゃいますよ。

 ところでトム・クルーズって、ほんとに人気があるの? と思うくらい、わたしのまわりでは不評。やれ大根だ、暑苦しい、頭がデカいと、もうボロクソです。わたしも『ハスラー2』で初めて見たときは、あまりの馬鹿っぽさにのけぞりました。あれって演技じゃないよねえ。だけどトムくん、その後いろいろと頑張ってます。その姿がいじらしくって、全然タイプじゃないけど応援したくなっちゃう。それにムキになって名作路線に突っ走らずに、こういう娯楽アクションもしっかりこなして、なかなかバランス感覚もあると思うんですけど。やっぱり駄目かしら?




日々の泡 2000.11

日々の泡(塩原通緒) 『東欧・旅の雑学ノート』(中公文庫)を読みました。時は一九七九年、三三歳だった玉村豊男さんが、イタリア→ユーゴ→ブルガリア→ルーマニア→ハンガリー→ウィーン→チェコ→ベルリンとまわった旅日記。

 わたしもハタチすぎのころ、ヨーロッパをふらふらした。上の中では、行ったことがあるのはウィーンだけ。そこで今回はウィーンの話を。

 ウィーンといえば……音楽の都? マリー・アントワネットのふるさと? シシイ? 第三の男? ザッハトルテ? あの独特のカフェの椅子? まだまだいろいろあるでしょう。
 わたしにとってのウィーンは、クリムトとシーレの街、そしてジョン・アーヴィングの街なんだ。

 たとえば、こんな一節。

 一年後、第一次世界大戦が勃発した。一九一八年には、大戦に生き残った多くの者がスペイン風邪で死亡した。風邪のため老クリムトが死に、若いシーレもシーレの若い妻も死亡した。残った男たちのうち四十パーセントは第二次世界大戦に生き残ることができなかった。ティンチがジェニーとガープに行くことを勧めたウィーンは、生命をおえた都市であった。(『ガープの世界』筒井正明訳)
 アメリカ人のガープとお母さんのジェニーはウィーンに行って、そこで二人とも執筆活動に励むのである。この長いお話の中で、ウィーンが舞台になるのはほんのいっときだけど、これを読んでたまらなくウィーンに行きたくなった。

 ここでガープが書く小説が「ペンション・グリルパルツァー」。ウィーン市歴史博物館の中に作家の部屋がそっくりそのまま展示されてるのよ、とジェニーから聞いたガープが、その部屋を見に行って、その作家フランツ・グリルパルツァーの本を読んでみる。

 グリルパルツァーの有名な作品はバカらしいほどメロドラマ調で、語り口が未熟で、ひどくおセンチだとガープは思った。登場人物が決断力のない隠遁者で、生活のあらゆる面において落伍者である点、かすかに十九世紀のロシアの短編を髣髴とさせるが、しかしガープの考えるところでは、そういう惨めな人間がドストエフスキーの手にかかると読者は興味を抱くが、グリルパルツァーが書くと泣きたくなるほど退屈してしまう。(『ガープの世界』)
 ガープとジェニーはこれを「クズ」と断言、以後、ことあるごとにグリルパルツァーを出しにして、ウィーン暮らしを楽しむのである。

 ちなみにグリルパルツァーは、百科事典にも載ってる実在の人。岩波文庫から『ウィーンの辻音楽師』という作品が出ています。ほんとに「クズ」かどうかは、各自ご判断ください。

 ウィーンに行ったとき、もちろん市立歴史博物館を訪ねた。そしたらちゃんとあったのだ、「作家の部屋」が。とても小さく、家具調度も非常につましい。窓の外の風景はへたくそな絵だ。そのチープ感が『ガープ』のイメージそのままで(これはいけない偏見かもしれないけれど)妙に嬉しかった。博物館の売店にはグリルパルツァーの絵ハガキも売っていた。憂愁をたたえた白黒写真。

『ガープの世界』だけでなく、『ホテル・ニューハンプシャー』にもウィーンは出てくるし、『熊を放つ』はもろにあちらの男の子たちのお話で、ポイントはシェーンブルン動物園。

 最新作の『A WIDOW FOR ONE YEAR』にもウィーンが出てくるらしい。アーヴィングはひところ翻訳がまったく出なくなったので、もう日本でのブームは去ったのかと思い、これはしかたなくペーパーバックで買ったきり、読みたい、読まなくちゃと思いながら、もう二年ほど本棚で眠ってる。いつのまにか翻訳も出てしまった。




日々の泡 2000.12

今月の一枚 「blur:the best of」

 ブリットポップの立役者も、いつのまにやらデビュー10年、すっかり中堅バンドとなりました。このところのメンバーのオヤジ化ぶりには、複雑な感慨を抱かせるものがございます。

 遅れてきたファンは、この夏バンド公認伝記本を読み、あらためて知った彼らの苦難の道程に、ミーハー心をいっそう燃え立たせられたのでありました。

 1989年。ひとりのソングライターが、友だちと友だちの友だちを誘って、ロンドンでバンドを結成した。

 90年代に入るとグランジが大流行。アメリカの倦怠がイギリスにも及び、若者はみなボサボサの長髪に不精ヒゲ、破れジーンズでひたすら気だるさを漂わせていた。

 これにニューバンドは反旗を掲げる。短い髪につるんつるんの顔でモッズスーツに身を包み、「いつまでもウジウジしてんじゃねーよ」と、UK伝統アートスクール系の、イキのいい知的なポップ音楽を奏でた。これが受けた。新鮮なスタイルに加え、楽曲のよさ、ソングライター兼ボーカルのカリスマ性、ベーシストのルックスのよさ、ギタリストとドラマーの演奏力で、バンドはいちやく時の人となった。世にいうブリットポップの誕生である。

 しかし、望んでいたスターの座はつらいものだった。プレッシャーはかかるわ、長期ツアーには出させられるわ、私生活はいちいちスキャンダルにされるわで、やがてギタリストはアル中に、ベーシストはろくでなしのパーティー野郎に、ドラマーは我関せずに、そしてボーカルは人知れずパニック症候群に…。

 しかもマンチェスターからガラの悪い兄弟が出てきて、オアシスというバンドを組み、何かにつけて挑発してくる。大衆もいつしか向こうについてしまった様子。ついこのあいだまで絶賛されていたアルバムが、なぜかいっせいに叩かれはじめた。

 いつ解散してもおかしくない状況を、バンドはなんとか乗り切った。つまるところソングライターは曲を書くしかないのであり、もともと4人は最初からの友だちだったのだ。そして曲から得意のブリティッシュな味つけをすべて取り去ってみたら、すごい傑作ができちゃった。

 今のバンドはかつての熱狂ではなく、ある種の敬意をもって、リスナーに迎え入れられている。

 そんなこんなの10年で、ついに初のベスト盤が発売されました。クルト・ワイルを敬愛していたというソングライターのセンスが光る初期のシニカル・ポップから、大失恋を経て作られた後期の魂を揺さぶる愛の歌まで、ひととおり代表曲が揃えられております。その歴史を思い出しながら一連の曲を聞いていると、きみたちがどんなに老けて、ハゲになってもデブになっても、どんな音楽をやるようになっても、最後までついていくわよー! と叫びたい気持ちになるのでした。

 というわけで、すべての人に聴いてもらいたい、とはもちろん言いませんが、本当はそう言いたいぐらいなので、ついついこんな公共のところにまで書いてしまいました。ここまでつきあって読んでくれた方、どうもありがとうございました。

 それからこの1年、駄文につきあってくださったみなさまにも、どうもありがとうございました。きっと来年も極私的な文章しか書けませんが、どうぞ引き続きよろしくお願いします。それではみなさま、よいお年を。