![]() 日々の泡 2001.1 あけましておめでとうございます。 が、そう安易に言うものではありません。 でもまあ、今のストリート系ファッション、個人的には好感が持てますね。 それに比べれば、ジャージもアノラックもユニクロのフリースも、若々しくてたいへんけっこう。体型さえスリムだったらぜひ便乗したいところだが、いかんせん、ただのだらしない主婦になってしまう危険性を乗り越えられない。アンニュイを狙った無造作ヘアも同じこと。ほんとうに若くないと、若者の流行に乗るにはそれなりの努力を要する。 とはいえ、しょせんはジャージ。何年かのちには大笑いされる時代が来るかもしれません。そもそもモノとしてはオリジナリティに欠けるわけだしね。次はいったい何が来るのでしょうか。ここらでひとつビックリするものに現われてもらいたい。21世紀のファッションが注目されます。 |
![]() 日々の泡 2001.2 いつ、どこから火がついたのか覚えていないが、すっかり日本でもカルト作家として定着した感のある「永遠の不良老人」チャールズ・ブコウスキー。長編でも短編でも、その主人公はほぼすべて、ダメ男である。定職を持たず、行き当たりばったりで、たいていは酒を飲んでるか、競馬場にいるか、女とやってるか。最初の長編『ポスト・オフィス』では、割合まっとうに仕事している時もあるし、ダメっぷりもまだいくらか"文学的"だが、最後の『パルプ』になると、もう筋書からしてめちゃくちゃである。破れかぶれで書いているとしか思えない。三文探偵小説のパロディのような話なのだが、主人公の超ダメ探偵に絡んでくるのが、死神に、セリーヌ(かのフランスの作家)に、宇宙人ときた。そういう周りの人(?)たちが勝手に話を進めてくれて、主人公は悪態をつきながら"いいかげん人生"を驀進しているだけである。そこには教訓も何もなく、安い悲哀もまるで感じさせないところがすばらしい。 一方、これとはまったく毛色の違うダメ男が登場するのが、イギリス作家ニック・ホーンビィの『ハイ・フィデリティ』。ダメ男の描きっぷりが、ブコウスキーはある意味で非常にカッコいいのに対し、ホーンビィのほうは、徹底的に意地悪である(さすがイギリス人)。主人公にはいちおう中古レコード屋の店主という職がある。職はあるが、儲からないし社会的地位 はあくまで低い。人生に対する主義・主張は何もないくせに、他人の音楽の趣味に対しては異常にうるさい。ふられた女にはストーカーまがいの行動に出る。実生活にはとことん不向きだが、かといってアウトローになりきるほどの度胸もない。本人の言葉を借りれば「天才的に凡庸な」男なのである。この本を読んだ女の多くは「んもう、はっきりせんかい!!」と怒鳴りたくなるに違いない。 しかし、このダメっぷりには多くの人(とくに男性諸氏、おそらく)が共感と愛情を覚えるものらしい。その一人が俳優のジョン・キューザック。自ら映画化権獲得に乗り出して、製作・脚本・主演を兼ねてしまった。もうすぐ日本でも公開されるが、ジョン・キューザックが情けなさの魅力をどこまで出してくれるか。 |
![]() 日々の泡 2001.3 賢いはずの私が、やっぱりお金で失敗していたかも。 ――競馬で大穴を当て、5万円もうけました。あなたはこれをどう使いますか? 多くの人が、おそらく「パッと使う」と答えるだろう。豪勢に飲み食いする、とか、次のレースにつぎこむ、とか。 では、こんな質問だったらどうか。 ――いつもはきれいに生活費に消えていくお給料。ところが今月は、5万円あまりました。あなたはこれをどう使いますか? これまた多くの人が、おそらく「大事に使う」と答えるだろう。いちばん考えられそうな行先は、貯金口座か。 かように人は、同じ5万円であっても、その出所いかんで使い方を変える。自分の心の中で、同じ5万円を別 の会計簿に記入する。こっちは「気軽に使っていいお金のかたまり」、こっちは「慎重に使わなくちゃいけないお金のかたまり」という具合に。 これ自体は、べつに悪いことではない。「だからお金が貯まらないのだ」という見方もできるけれど、「だから持ち金すべてを浪費せずにすむ」という見方もできるから。 ただし落とし穴がある。人はときどき、記入する会計簿の選択をまちがえてしまうのだ。 ――税金還付で5万円もどってきました。あなたはこれをどう使いますか? これは国が強制的に一時預かりにしていた、あなたの給料である。ふつうに考えれば、「あまった給料」と同じく「慎重」会計簿に組み入れられるべきお金だ。それなのに、人はかなりの割合で、これを「気軽」会計簿に記入してしまう。 もっとも、もどってきたのが5万円ではなく50万円だったら、「気軽」会計簿に組み入れる人はぐっと少なくなるだろう。出所だけでなく、額によっても、人のお金に対する価値観は変わるわけだ。さらにいえば、額そのものに対する価値基準も絶対ではない。 ――ある人がカーラジオをCDデッキに交換しようと思ったところ、4万円かかると聞き、それは痛いと思ってやめました。ところが後日、車が壊れて、しかたなく買い換えることになりました。新車代200万。彼はオプションで6万円のCDデッキをつけました(前は4万を惜しんでいたくせに)。 ――こうした人間の心理を、企業はよく知っています。たとえば電器店。購入するとき以外、誰がCDプレイヤーやテレビを保険に入れるでしょう? チキショーひっかかってるのは私です。しかしこの話を笑えない人はほかにもいっぱいいるはずだ――と思いたい。 これらは鬼澤忍さんの訳された『賢いはずのあなたが、なぜお金で失敗するのか』で読んだこと。人間の一般 的な心理がお金との関りにどう影響してくるかを、こういう小憎らしい例とともに説明した上で、「落とし穴」にはまらないようにね、とアドバイスしてくれる。 私が実行しようと思ったアドバイスは次の2つ。 なぜだかわかります? わかっているなら、あなたは「賢い」! |
![]() 日々の泡 2001.4 今月の一枚は、デビュー10年にしてようやくリリースされた初のベスト盤「SMAP VEST 」―― というのは嘘で、申し訳ないが、スマップの音楽については何かものを言えるほど真面 目に聴いたことがナイ。中居くんの「白い影」なら毎週喜んで見ていたんですけど。ちなみに「VEST」はスペルミスじゃないですからね。 そうじゃなくて、今月のお題は「toto初挑戦の巻」。 totoはサッカーJリーグの試合結果 を当てる「スポーツ振興くじ」です。せっかくの大人の特権、一度はやってみなくちゃね。あわよくば一億円当たるかもしれないし。 しかし、買い方がよくわからない。ともあれ東武トラベル上板橋店(*)のtotoコーナーで、並んでいるものを片っ端からもらってきました。家に帰って広げてみると、仕組みを説明したミニパンフに「toto新聞」、マークシート投票用紙、3月の対戦カード表、toto会員募集広告…。 要するに、まず投票用紙を手に入れて、そこに予想(ホームチームの勝ち/負け/引き分け)を書きこみ、試合1週間前から前日までの購入期間に代金を払ってtotoチケットに換え、結果 発表を待てばいいのね。なんだ競馬と同じじゃん。 だけど投票用紙が2種類あるぞ。「シングル」と「マルチ」って何だ? 説明を読むと、「シングル」は結果を1通りずつ予想する基本シートで、1枚につき10 通りまで書きこめる(つまり10口まで購入できる)もの。対して「マルチ」は、ホームチームの勝ち/負け/引き分けの3つの選択肢のうち、2つ、あるいは3つを同時にマークできるシートで、最大96口まで購入できるもの。2つマークすることを「ダブル」といい、3つマークすることを「トリプル」という。つまり予想に迷ったとき、保険をかけておけるわけね。競馬の「流し」「ボックス」みたいなものか。 そして全試合の予想が当たれば1等、ひとつ外せば2等、ふたつ外せば3等で、みっつ外せば賭け金はパー。 (*)totoの販売は、一部の信用金庫、ガソリンスタンド、チケットショップ、本屋、弁当屋などでやっています。払い戻しは信用金庫のみ。詳しくはオフィシャルサイトへ。 仕組みがわかったところで、いよいよ予想開始。toto第5回――J1・3節、J2・4節の試合です。 まずはJ1、浦和−福岡。これはもう浦和です。ウィズアウト・リザヴェイション。たとえ分が悪かろうと、ひいきチームの勝ちに賭けるのがサポーターの務めというもの(わたしは浦和市出身なのだ)。早くJ1復帰初勝利を飾ってくれ! 次、市原−柏。これは実力的に柏でしょう。前節、岡ちゃんの札幌に負けて「コメントできない」という悲しいコメントを残した西野監督、今度はがんばって! 次、東京ヴェルディ−清水。うーん、これは難しい! 地力からいうと清水のような気がするが、ヴェルディの前園や小倉や武田など「昔の名前で出ています」パワーも侮りがたい。これは両者のダブルにしておこう。 こんな調子で、全13試合を次々とマーク。一般にJ2は知名度が低くて予想が難しいと言われるが、わたしは浦和が去年J2に落ちてくれたおかげで、けっこう詳しくなった。それにJ1より実力差が激しくて、結果 は比較的かたいとも言われている。なんだか簡単に当たりそうな気がしてきたな。 しかし家人が別の予想を出してくると、いやーん、そっちのほうが当たりそう。やっぱりそう簡単には当たらないかー。 ともあれダブル3つを含めたマルチで8口を購入することに決め、合計金額800円をマ ークして、最後に「私は19才以上で裏面注意事項を承諾します」の項をマーク。販売店の購入機で本券に換え(操作するのはお店の人)、あとは試合結果 を待つのみ。 この原稿の締切りは3月30日。結果発表は31日。さて、どうなっていますでしょうか。 |
![]() 日々の泡 2001.5 鷲田清一さんの『哲学クリニック』で、おもしろい話を見つけました。 話の前段を示すと…… 年とった親の介護をしている人でも、看護婦さんでも、だれかのお世話をしていると、こちらが世話をしているのか、相手の奴隷になっているのか、よくわからなくなることがある。 一方、英語に「サービス」という言葉がある。「サービス」はもともと、仕える・奉仕する・尽くす・勤める・奴隷であるといった意味のラテン語の動詞に由来する語で、「サーバント(奴隷)」やバレーボールの「サーバー」も同じ語源から派生している。この言葉にも、最初から世話をするという意味と奴隷になるという意味が含まれていたのだ。 おもしろいのはここからで、じつは「サービス」のもとになる「サーブ」の語源は、さらにサンスクリット語の「セーヴァ」にまでさかのぼれて、これが中国にわたって「セワ」という音になり、それに日本語で「世話」という漢字が充てられた、という説があるのだそうです。「『サービス』はもともと『世話』と直結していたのだ」。うーむ。ほんとなのかしら。 このあと鷲田さんは「ひとはたしかに独りでは生きていけない。……ひとは支えあいながらしか生きていけない。だが、その支えあいというものがとにかくむずかしい。支えられるということともたれるということの違いを知るのがとくにむずかしい。もたれあわない支えあいというものを求めて、独りもがき苦しんでいるひとがこの世には存外多いのではないか。」と書いておられます。ほんとうにそのとおりだと思いますね。 |
![]() 日々の泡 2001.6 カレーが好きだ。月に一度は大量にカレーを作る。 第一に、おいしい。第二に、作るのが楽しい。 第三に、一回作ったら三日はなにも作らなくてすむ。 スパイスやらギーやらを用意して、カレー粉とヨーグルトから作ってみたこともあったけど、家で本格インドカレーなんか食べなくていいんだと気づいてからは、もっぱら「ジャワカレー」や「バーモントカレー」のお世話になっている。あの小麦粉たっぷりの安い味こそ、家でのカレーにふさわしい。つけあわせはチャツネじゃなくて福神漬けね。 カレー作りのBGMは、カラッとした曲がいい。とくに夏は。そうなるとイギリス勢はあんまりかからないんだよね。今月はりんけんバンドと喜納昌吉が大活躍だった。オキナワ・ポップスはファンキーでよい。夏の時期に適当なのがないと、トーキングヘッズが引っぱりだされる。ヘッズはうちではTUBE同様、季節歌手と化している。しょうがない、もう新作が出ないんだから。 ![]() カレー作りはタマネギのみじん切りから始まる。これが、泣けてくる。鼻水も垂れてくる。そこで気休めかもしれないが、サングラスをかけてみる。前にテレビで見た、水泳用のゴーグルをかけながらタマネギを刻んでいた女の子のまねっこである。ヘンですか、台所でサングラス。でもだれも見ていないからかまわない。 刻んだタマネギとニンニクにローリエを加え、茶色になるまで小一時間いためる。缶 ビールをあけ、音楽を聴きながら、単純に木ベらを動かすだけのこの時間がとても楽しい。このあいだホロ酔い気分で一句浮かんだ。「カンビール プルリング(ring pull)なのにpushッ!とは これ如何に」。字余り。 次は肉をいためる。フジテレビの佐藤里佳が、角切り牛肉をヨーグルトに一晩つけておくと「グラム三〇〇円の肉が一桁違う肉になるんですよ〜」と言っていたので、試してみたら、たしかにいけた。「明後日はカレー」と、二日後のメニューまで考えられる計画性のある人は、一度お試しください。 いためた肉をタマネギの鍋に移して、水を入れ、ひたすら煮る。ここで圧力鍋や電子レンジを使うと、調理時間とガス料金が大幅に節約できるそうだが、圧力鍋もレンジに入れられる鍋も持っていないし、わざわざ買うのも面 倒なので、古典的方法で煮る。そのあいだに炊飯の用意をし、サラダを作り、カレー用の野菜を切っていためて鍋に入れ、洗い物を片づけると、時間はあっというまに経ってしまう。 ![]() 竹串がすっと通るぐらいに肉が柔らかくなったら、ルーを入れて、さらに一〇分煮込めばできあがり。部屋中に小麦粉カレーの匂いが充満して、じつに「家庭」っぽい気分である。 先日、某ホテルのレストランのカレービュッフェに行った。ところが。各種カレーを楽しみたいのに、平皿ばかりで小鉢がない。これでは一度に一種類しか楽しめないではないかー。そこでライスを土手にして、三つのくぼみを作り、三種のカレーを流し込んだところ、連れの友だちにえらく感心された。 |
![]() 日々の泡 2001.7 ウィンブルドンの季節です。寒いイギリスもすっかり初夏。一カ月前の全仏の赤土コートと対照的な、緑の芝生がきれいです。 テニスの試合を見始めたのは、かれこれ二〇年以上も前になります。当時はボルグの全盛期でした。まだコナーズもがんばっていて、だんだんマッケンローがのしてきて、女子ではエバートとナブラチロワがいくども接戦をやっていました。スポーツをよく知らないわたしからすると、個人競技のテニスは団体競技に比べてわかりやすく、とっつきやすかったんですね。選手の真剣な表情もありありとわかって、まさに戦い、という感じでした。 それにテニスは、美しかった。ことにベースラインで打ちあうタイプのプレイヤーと、サーブ&ボレーでネットに出てくるタイプのプレイヤーが対戦したときには、ため息が出るほど美しいポイントが決まるのです。狭いところを抜く一本のパス、ネットぎわで飛びついて相手コートに沈めるボレー、前に出てきた敵をあざ笑うかのような高いロビング……。 ポイントをとったあと、大声を上げて派手にガッツポーズを決める人もあれば、何事もなかったようにくるりと後ろを向いて、淡々とガットを直しながらポジションに戻る人もある。それぞれの個性が、こんなによく見えるスポーツもないのではないかと思います。 でも、あるころからテニスをあまり見なくなってしまいました。とくに男子シングルス。いわゆるパワーテニスになってしまったからです。いかつい大男が時速二〇〇キロ以上のサーブを繰り出し、相手は当然まともにリターンなんかできないから、サービスエースかサーブ&ボレーですべてが終わってしまう。強けりゃいいってもんじゃないだろう。そんな試合は、わたしは見ていておもしろくありません。 それでしばらく遠ざかっていて、選手の顔も名前もわからなくなっていたのだけれど、昨年の全仏をたまたま見たら、ヒューイットという若い子が(気がつけばプレイヤーはみなわたしより年下になっていた)とても美しいテニスをやっていました。タッチが柔らかくて、足が速くて、鋭いパスを持っていて、ついでに顔もかわいくて。彼は結局その試合で負けてしまったけれど、ふーん、こういう子が出てきているのならまた見てみようかな、という気になりました。 サンプラスとアガシ以降、有力な男子選手がなかなか出てこなかったのが、ここにきて若い層がずいぶん育ってきているのだ、ということをあとで知りました。どうやらテニス離れしていたのはわたしだけではなかったらしく、テニス協会も客寄せにそういう若手を「ニュー・ボールズ」と称してキャンペーンを打っているのだそうで。だったら注目株がほかにもまだまだ見つかるかもしれない。 そんなわけで、いまはウィンブルドン。ヒューイットくんも無事に四回戦まで勝ち進んでいます。いよいよ明日から後半戦。自由業でよかったわ。深夜のテレビ放映が見られるから。 |
![]() 日々の泡 2001.8 みなさんは読んでいるでしょうか、「ハリー・ポッター」シリーズ。 貧乏なシングルマザーだった著者のローリングさんは、この本の大ヒットで、いまではイギリス長者番付のトップクラスだそうです。うらやましいですね。 ところで、こんなに売れて話題になっているシリーズなのに、まともな書評はあまり見かけないと思いませんか。こどもの本だから無視されてる? ベストセラーだから触れにくい? それともシリーズが未完だからかな。 ![]() じつはわたしも一年ほど前に第一巻を読んだのだけれど、どうもコメントしにくかった。おもしろいかと聞かれれば、おもしろいよ。時間を忘れて読みふけるというのも、そのとおり。でも、大推奨とも言えなくて。まあ七巻シリーズの第一巻だし、あとの巻になるほどおもしろいという話だったので、とりあえず評価を留保しておいたのでした。 最近ようやく第二巻を読み、なんとなくこのシリーズのカラーが見えてきたような気がするし、ちょうど第三巻も発売されたことなので、ここでひとつ感想を書いておくことにいたします。 主人公のハリー・ポッターくんは、赤ん坊のころに両親を亡くし、引き取られた叔母さん一家でやっかい者扱いされながら暮らしていました。小柄で、割れたメガネをかけていて、額には稲妻型の傷があります。ハリーの周囲では、昔から不思議なことが起こっていました。「こうなったらいいなあ」と思ったことが、なぜか実現してしまったり。その理由が、突然11歳の誕生日にわかります。魔法学校から入学通 知がきたのです。ハリーの両親は魔法使いで、悪い魔法使いに襲われて死に、いっしょにいたハリーは生き延びたものの、額に例の傷を負ったのでした。 こうしてハリーくんの魔法学校での生活が始まりました。友だちもでき、いままで経験したことのない楽しい毎日を送れるようになったと思ったら、両親を殺した強大な「悪」の力がふたたび襲いかかってきて……。 まず、未読の方のために言っておきたい。「トールキンやルイスにも匹敵するファンタジー」という世間の評は、大きな誤解を招くと思う。「ハリー・ポッター」の語り口は、トールキンの「指輪物語」やル=グウィンの「ゲド戦記」とは相当に異なります。
文体は、よくいえばカジュアル、悪くいえば俗っぽい。(「きさまは――ぬ ぁーにを――やって――おるんだ?」「アチャ!」……。)人物造詣は誇張が過ぎて、ステレオタイプが鼻につく。(ハリーくんはけなげないい子、叔父さん一家は無理解な俗物、校長先生は人格者のおじいさん……)。叔父さんの家でのハリーのいじめられ具合とか、魔法学校のアイドル気取りの先生とか、わかりやすすぎて、もうマンガなんだよね。ファンタジーというのは、世界に対する暗い認識から始まっているのではなかったのか。これでは学園コメディじゃないの。 こう聞くと、低級で読むに値しない本のように思えるでしょ。ところが、そうでもないんだな。こうした違和感をぐっと飲みこんで読み進めていくと(実際、ストーリーは巧妙に謎を散りばめながら流れるように進んでいくので、途中で投げ出す気は起こらない)、終盤のみごとなどんでん返しに、このシリーズの「悪」はそう単純ではないかもしれない、先になにかもっと深遠なものが潜んでいるのでは、と思わせるところがあるのですよ。ひょっとしたら学園コメディは闇を際立たせるための新たな手法なのかも、なんて。 第一巻も第二巻も、魔法学校での一年間の物語です。その中で問題が起こり、解決されて、めでたしめでたし、最後は夏休みになって、ハリーくんがいやいやながらも叔父さんの家に帰るところで終わります。たぶん第三巻以降もこのパターンが続くのでしょう。最初はマンガで、冒険があって、どんでん返しのラストがあって、ふたたびマンガで終わると。そして全体の物語が完結したとき、このシリーズがよくできたエンタテインメントなのか、愛と勇気のジュヴナイル小説なのか、それとも善が悪を駆逐するだけではない、もっと複雑な世界観が提出されるのかわかるでしょう。それまでつきあってみるか、と期待させるだけの力が、やはり「ハリー・ポッター」にはあると思います。 |
![]() 日々の泡 2001.9 今年の初めに確定申告に行ったとき、書類をチェックしてもらった税理士さんから「青色申告にしたほうがいいですよ」と言われた。わたしはささやかな白色申告者だったが、この年は前年やった仕事のお金が入ってきたこともあって、所得がまあまあの金額になっていたのだった。「ともかく青色申告会のコーナーがあるから、相談してみてください」とおっしゃるので、そこに行って、五、六人いたおじさんたちに申告書を見てもらうと、また口々に言われた。 「もったいないよー」「こんなに税金払うことないんだからー」 「ぜひ青色申告にしなさい」 「でも帳簿のつけ方とかぜんぜん知らないんですけど」 「へーきへーき。領収書とっときゃいいんだから」 そんなもんなの? でもみなさんがあまりに熱心に勧めるので、それでは来年用に青色申告の申請書を出しましょう、ということになる。そののち、おじさんの一人が言った。 「青色申告会にも入会しない? 講習会とか相談会とかあって、役に立つよ。これからの若い人には、自営や税金についてしっかり学んでおいてもらいたいんだよね」ひょっとしてメインはこれであったか、という疑惑が残りつつ、それについては検討したのち決めることにいたしますと言って辞去したが、その一角のやけに和気あいあいとしたノリといい、気軽な安請け合いといい、なんだか大学の入学式シーズンのサークル勧誘を思い出してしまった。 やがて税務署から、記帳指導の担当が決まったので説明を受けるように、との連絡ハガキが来た。集団講習会でもあるのだろうと思い、とりあえずネットから簡易出納帳フリーソフトをダウンロードしておいたものの、記帳はまったくしていなかった。するとある日、区内の税理士さんから電話が。「そちらの記帳指導を担当することになりましたので、ご都合のいい日を教えてください」。なんと、わざわざ家まできて説明してくれるのだという。練馬区ってサービスいいのね、と一瞬感激したが、考えてみれば、それだけ申告間違いが多いということなのかもしれない。 そして、その税理士さんがやってきた。わたしが帳簿のことを何も知らないと言ったら、青色申告の特典と、複式簿記の基本を一から説明してくれた。ここでわたしはとまどった。複式簿記? 聞いてないよ―。領収書をとっとけばいいんじゃなかったの? しかし、目の前で素人相手に懸命に説明してくれている税理士さんに、そんなことは言えなかった。要するに申告のしかたが三段階あって、帳簿が略式になるごとに特典が小さくなるので、税理士さんとしては「どうせですから最大限の特典を受けられるように申告しましょう」ということなのだった。話を聞いているうちに、それならそれでやってやろうじゃん、という気になってきた。家計簿だってつけてるんだし、複式簿記ぐらいマスターできないわけがあるだろうか。第一わたしの商売なんて、ぜんぜんお金の出入りが激しくないんだもの 。 記帳指導は来年の申告までに計四回あるという。「ともあれつけてみて、わからないことが出てきたら次回に質問してください」ということで、今回はお開きとなる。 だが、初めて聞くことがらを怒涛の一時間で説明されても、やっぱり頭には残っていなかった。そこで本屋に行き、サービス業者向けの青色申告ガイドブックを見つけて、もう一度勉強しなした。 いざ記帳を始めてみると、複式簿記ってよくできてる。これを発明したイタリア人は偉い。たしかにお金がどれだけ入ってきて、どこにどれだけ消えていったかをきちんと把握しておくのは大事なことですよね。しかし年の途中から始めたものだから、帳尻を合わせるのがもうたいへん。財布も仕事用と個人用がいっしょだったし、整理しなければならないことが、まだたくさんある。だったら最初から言ってくれよ青色申告会――と、ちょっとだけ言いたくなってしまうのであった。 |
![]() 日々の泡 2001.10 恵比寿ガーデンシネマで『テルミン』という映画が公開中です。 「空間にかざした手の動きによって触れずに演奏される。既存の楽器にみられる鍵盤や指盤が存在せず、代わりにアンテナが二本、垂直、水平方向に備わっている。アンテナの周囲には微弱な電磁場が形成されており、演奏者はアンテナに対し手を近づけたり遠ざけたりすることによりこれを干渉する。電磁場の変化は楽器内部の発振器に作用し、結果 、身体の動作により音高や音量の変化を導きだせるのである。ピッチ(音の高さ)を決める拠り所は演奏者の耳にしか求めることができず、一般 に演奏法習得は困難とされている。」 ![]() なんだかよくわかりませんね。とにかく不思議な楽器らしい。 そのテルミン博士と、楽器テルミンの数奇な運命を描いたドキュメンタリーが、映画『テルミン』なのです。――というような映画評を先月読んで、この映画と楽器に興味を持ち、関連本が出ているかどうか調べてみました。ヒットしたのは一件。 『テルミン エーテル音楽と20世紀ロシアを生きた男』竹内正実著,岳陽舎刊。 書評を読むと、テルミン博士の伝記であるらしい。著者はテルミンの演奏家・研究者ということでした。 読んでみよっかなー、と思っていたとき、その竹内正実さんがNKKの『トップランナー』に出演するというので見てみました。意外にも、とてもお若い、ソフトなかたでした。 ![]() 録音技師をしていた竹内さんは、あるとき偶然テルミンのCDを聴き、その表現力のすばらしさに惹かれて、演奏法をマスターすべく、ロシアに出かけていったそうです。「そんなわけのわからん楽器にうつつを抜かしてどーすんの」「教えてくれる学校とか知らないんでしょ」という周囲の反対にもめげず、本場に行けばどうにかなるだろー、と軽い気持ちで出かけたけれど、「本場」ロシアでも、テルミンのことなどだれも知らず、途方にくれかけていたとき、これまたすごい偶然で、テルミン博士の血縁で愛弟子のリディア・カヴィナに出会い、彼女に師事して演奏法を学ぶことになりました。 そして帰国後、知名度ゼロのテルミンを普及させようと、演奏会や演奏指導を細々とやっていたところ、小山田圭吾や中村一義や高野寛のような、ちょっととんがったミュージシャンが使いはじめたこともあって、しだいに認知度が高まり、ついに映画公開で大ブレイク。国内唯一のテルミン専門家、竹内さんは、当然引っぱりだことなったのでした。 なーんてドラマチック。だって、演奏を学ぶチャンスは永久に訪れなかったかもしれないし、普及活動が日の目を見ることも永久になかったかもしれないのですよ。信念を持って続けることが大事なのもさることながら、この楽器には、劇的な話が宿命的についてまわっているみたい。 この映画、九月中は見に行けなかったので、来月の半額デーに『ゴースト・ワールド』とハシゴしよう、ともくろんでおります。 (ガーデンシネマのハシゴ作戦、前回『ハイ・フィデリティ』と『ギター弾きの恋』でも計画したんですが、前者を見ているあいだに後者が完売となって失敗したのでした。早く行って両方のチケットを買う、が鉄則ですね。) 映画のHPはこちら。 竹内正実さんのHPはこちら。 興味があったらのぞいてみてください。上の「 」内の説明も、ここから引用しました。 |
![]() 日々の泡 2001.11 2001年9月11日以来、世界はたいへんなことになっているわけですが、出るかな〜と思っていたら、やっぱり出ました、ロック・ミュージシャンによるテロ被害者救援チャリティ・コンサート。ロックの人たちって、本当にチャリティが好きというか、チャリティから逃れられないのね。 大小とりまぜて、現在もいろいろ行われているようですが、とくに大きな目玉 が10月20日と21日に続けてありました。20日のほうは、ポール・マッカートニー主催のニューヨーク・マディソンスクエアガーデンでのライブショー。そして21日は、マイケル・ジャクソン主催のワシントンでのライブショーでした。 ニューヨークの出演メンバーは、エリック・クラプトン、エルトン・ジョン、ザ・フー、デヴィッド・ボウイなどなど。噂されたレッドツェッペリンの再結成はさすがに実現しませんでしたが、なんとなくポール師匠の人脈がうかがえるラインナップですね(要するにイギリス出身のちょっとお年を召した方たち)。ま、アメリカの現役アイドルバンドも多数出ていたようですが。 一方のワシントンは、エアロスミスを筆頭に、マライア・キャリー、ロッド・スチュアートなどなど。アメリカの現役アイドルバンドはこっちのほうが目立ったらしい。マイケル・ジャクソンという人が現在アメリカで(というか世界で)どのような位 置にあるのかよくわからないのですが、やはり影響力はまだまだ大きいのでしょう。 両方の掛け持ち組みもけっこういたようで、だったらポールとマイケル、昔なんとかという曲(題名は忘れちゃった)で仲良く共演してたんだし、いっしょにやればよかったじゃん、と思うのは素人の浅はかさで、この二人、じつは今ではとっても険悪な仲なのだそうです。 というのも、ビートルズの曲の版権の大半を持っている会社をマイケル・ジャクソンが買い上げたので、いまだに売れつづけているビートルズ・アルバムの利益は、ほとんどマイケルの懐に入ってしまう。それでポールがマイケルに「もうちょっと何とかしてくれない?」と言ってみたら、「ポール、これはビジネスなんだよ」と冷たく一蹴されたとか。 だから二人が仲良くいっしょにコンサートをやるなんて、とても考えられないわけです。そういう経緯があるものだから、出演を打診された人の中にも、けっこう困ってしまった人がいるらしい。その一人がミック・ジャガーで、彼は最初マイケルのコンサートに出る予定だったのだけど、最終的には鞍替えして、ポールのコンサートに出演した(キース・リチャーズといっしょに)。マイケルのほうを断ったのは「単純なひとつの理由からではない」と、よくわけのわからない弁明をしていたそうです。 やーね。こんなところにも政治の力って働いちゃうのね。でも人が集まるところ、政治が介在してしまうのは致し方ないことなのかもしれません。 |
![]() 日々の泡 2001.12 天高く馬肥ゆる秋、はいつのまにか終わってしまったけれども、これからはコタツでミカン、それに熱々お鍋の季節であるし、まあ実際うちにコタツはないわけだけど、やっぱり冬はぬ くぬくだらだらしてしまうことに変わりなく、結局は肥ゆるのだわ、季節を問わず体重計には乗りたくないものだなあなんて考えていたら、子供のころ親に連れられていった上野松坂屋だか大宮高島屋だかのお好み食堂のわきには、体重計が置かれていたことを思い出した。それはそのデパートだけのことであったのか、それとも当時の全般 的なスタイルであったのか、そもそも一般家庭に体重計はないものだったのか、いずれにしても子供ならともかく、食事のあとに、いや前にだって、体重計に乗りたい人がいるのだろうか、お風呂のあとでもいやなのにさあ。 ![]() その昔『河童が覗いたヨーロッパ』に、欧州の北の方には街角に体重計のようなものが置かれているが、これはじつは足のマッサージ器で、日照時間の短いかの地の人びとは野菜不足と運動不足から足の血行が悪くなりやすく、それを予防するためにこの器具を用いるのだ、というようなことが書かれており、のちに欧州に行ったとき、ウィーンの街角にまさしく体重計のようなものを発見し、おおこれこれ、これが例のマッサージ器よ、と同じ本にはまっていた連れの友人と喜びあい、たしかにあちこちに散見されるその器具に、ついにあるとき乗ってみた。前面 に目盛り盤のようなものまでついていて、本当に体重計みたいだねえなどと言いながら、足の下の台が揺れだすのを期待してコインを入れると、台はぴくりとも動かず、代わりに目の前の計器の針がびよーんと揺れて、なんだよ正真正銘の体重計じゃないか。あまりにびっくりして飛び降りたので、何キロだったかは見るのを忘れた。 |