【日々の泡】バックナンバー 2002年  塩原通緒(しおばら みちお)   2003年2001年2000年はこちら





日々の泡 2002.02

 英語の文章にとっきどき出てくる単語です。いわゆる「八方ふさがり状態」のことですね。

 語源は1961年に発表されたジョゼフ・ヘラーの同名小説『キャッチ=22』。わたしは翻訳をするようになる前にこの小説を読んでいたけれど(もちろん邦訳、ハヤカワ文庫で)、タイトルが一般名詞化しているとは知らなかった。流行語が生き残った稀有な例、ということでしょうか。こんな例って、ほかにもあるのかな?

 で、その「キャッチ=22」とはそもそも何なのか。

 この小説の舞台、第二次世界大戦時のイタリアの小島で、駐留する米軍爆撃機部隊のみなさんを八方ふさがり状態にさせている、実際にはどこにも存在しない軍規のことです。そこに、こういう規定がある。「現実的にしてかつ目前の危険を知った上で自己の安全をはかるのは合理的な精神の働きである」

 爆撃手のヨッサリアンは、危険な出撃任務に出るのを回避しようと、自分は気が狂っているから飛行勤務を免除してくれと軍医に頼みに行く。すると軍医は、そういうことを頼むのは正気である証拠だから飛行勤務は免除できない、と答える。それじゃあ出撃に参加しているやつは正気なのか、というと、危険な出撃にあえて参加するのは狂気の証拠だという。狂気の人間は出撃に参加する必要はない。免除願いを出しさえすればいい。ところが願い出たとたんに、その人間はもはや狂人ではなくなるから、また出撃に参加しなくてはならない。そして出撃するようなら、やっぱり気が狂っている証拠であるが、本人が願い出ないかぎり任務は免除してやれず、願い出ればやっぱり正気というわけで……という美しいまでの論理の堂々めぐりが、「キャッチ(落とし穴)=22」なのです。まさに不条理。ノー・ウェイアウト。管理システムって、すごい。

 この例からもわかるように、この小説は凄惨で、哲学的で、感動的でありながら、しかも笑えるのです。

 ヨッサリアンが合理的な精神の働きで任務を回避しようとした爆笑例をもうひとつ。 彼が仮病を使って入院すると、同室にいた患者が「あらゆるものが二度ずつ見える!」と叫んだ。すぐに各科の専門医が飛んできてどういう病気なのか調べるが、だれもわからず、「あらゆるものを二度ずつ見た軍人」は隔離されてしまう。

 ヨッサリアンがこれにならって「あらゆるものが二度ずつ見える!」と叫ぶと、やはり軍医が束になってやってきた。なかの一人が指を一本立ててヨッサリアンに聞く。「何本の指が見えるかね」

「二本」 「じゃあ今度は」と二本の指を立てて軍医。「二本」「じゃ今度は」と指を一本も立てずに軍医。 「二本」

「たしかにあらゆるものを二度ずつ見ている」

 ヨッサリアンも隔離され、これで快適な入院生活を送れると思ったら、その晩のうちに「あらゆるものを二度ずつ見た軍人」が死んでしまった。ヨッサリアンはあわてて叫んだ。「あらゆるものが一度ずつ見える!」

 また一団の専門医がやってきて、なかの一人が指を一本立てて聞く。「何本の指が見えるかね」「一本」「じゃあ今度は」と二本の指を立てて軍医。

「一本」 「じゃ今度は」と十本の指を立てて軍医。 「一本」

「この男はあらゆるものを一度しか見ていない!」と軍医は驚いて言った。「ずいぶん治療効果が上がっているぞ」

 え、おもしろくない。そーですか。説明が悪いのかな。でもね、読むとおもしろいんですよ、ほんとに。



日々の泡 2002.03

ソルトレーク観戦記 ふだんウィンタースポーツなんてとくに見ないのに、五輪となるとつい見てしまう。今回は時差が大きくてきつかったっす。残念ながら日本勢はほとんどメダルに届かなかったですね。まあワールドカップなどの成績を見ていると予想されたことですが、某スポーツ紙に、どうせなら「ムネオ・トレーニングハウス」作ってくれればよかったのに、と書いてあったのには笑ってしまいました。

 競技ももちろん楽しかったんだけど、なんといっても興味深かったのは、男子の眉毛手入れ率の高さです。みんな、すごくきれいに形を整えてるんだなあ。スピードスケートの清水くんもごらんのとおり。もはや求道者のような風格をたたえている彼が、毎朝、鏡の前で抜いたり剃ったりしているのかと思うと、なんだか微笑ましくなりませんか。

ジャンプの船木くんの細眉は長野のときも話題になりましたが、キミのはもう少し眉山を高くして角度をつけるといいと思います。

 選手は日本を代表して行っているのに、茶髪にカラーコンタクトとはいかがなものか、日本人であることが恥ずかしいのか、という投書が新聞に載っていました。元JOC会長の古橋広之進さんも、選手とスタッフに茶髪が多すぎると苦言を呈されたそうです。なるほどね。わたしはこの意見には賛成しないけど、こういう人がこういうことを言うのには賛成します。功成り名遂げたご年配者があんまり物分かりよすぎても、かえって気持ち悪いです。反抗精神の意味もなくなっちゃう。わたしも年寄りになったら頑固一徹をめざそう。





日々の泡 2002.04

 新聞の小さな記事に、今年の全米批評家協会賞のノンフィクション部門をニコルソン・ベイカーが受賞したと出ていた。

 ニコルソン・ベイカーはアメリカの小説家で、『中二階』や『もしもし』などの代 表作がある。いつか読もうと思いつつ、まだ読んだことないのだが、超細かいディテイル描写が売りと聞く。『中二階』はあるビジネスマンがエレベーターに乗るという 数十秒の行為をひたすら深く掘り下げた話で、『もしもし』はテレフォンセックスを題材に、言葉のニュアンスをひたすら深く掘り下げた話である。

 そのベイカーがどんなノンフィクションを書いたのかというと、「挑戦的なまでに激烈な」図書館批判の本である。タイトルは『 Double Fold 』(二回折り)といい、図書館が本を廃棄すべきかどうか判断するためにページの隅を何回か折って強度をテストするという、その慣例のことであるらしい。ベイカーに言わせれば、これは本への虐待であり、紙はもろいものでいつかはボロボロに崩れるというのもマイクロフィルム・メーカーのばらまいた嘘っぱちであるという。そんなデマにだまされてマイクロフィルムなんかに保存し、本を廃棄するなんて何たる倒錯か、というわけだ。

 去年刊行されて、その過激な批判でたいへんな反響を呼んでいたという。全然知らなかった。かつて図書館サービス会社にいた私としては、大いに興味があります。読みたいな。

 やっぱり本というのはテキストだけでなく、オブジェクトとしての魅力もあるわけで、将来いくら電子本が発達しても、紙の本はなくならないでほしいと思うし、きっとなくならないと思う。中身の情報だけで事足りる場合もあるけれど、活字や装丁や、すべてが合わさって、その「本」になっていることもある。だから、本が捨てられないのだ。

 ニコルソン・ベイカーは、前世紀と前々世紀の古新聞の図書館を自費で運営してい るそうである。





日々の泡 2002.05

 払いすぎていた所得税が戻ってきたので設備投資をしよう。 この春、わたしのデジタルライフは進化します。 まずはコンピュータ。

 4年ぶりに買い換えました。VAIOくん、さようなら。長らくお世話になりました。今度はDELLのDIMENSION、愛想はないけど力はあるよって感じでしょうか。なにしろスペックが違います。いままでCPU200MHz、メインメモリ32MBでよくやってたよなあ。さくさく動く画面は、どこかの製品名じゃないけど驚速です。しかしキーボードが変わったので、困惑しきり。デリート・キーとバックスペース・キーの位 置がまだつかめなくて、消したくない文字がすぐに消えてしまいます。この短い文章を打つのに何度やり直したことでしょう。

 このパソコンはネット通販で買いました。こんな値の張る大事なものを家にいながらにして購入するなんて初めての体験です。最初は不思議な感じでしたが、やってみると便利ですね。デルは仕様が細かく指定できて、いらないものはつけなければいいだけだから、安上がりでたいへんけっこうです。でも購入時に控えめなスペックで申し込むと、「○○の性能があと△△△円でアップします! 長く使うのなら最初から高性能にしておくと便利です!」と出てくるところは、商売上手でございます。その気にさせられ、いくつかの部品をグレードアップしてしまった。親切といえば親切か。

 それからデジタルカメラ。昨年末、確固たる使用目的もないまま中田のCMにつられてキャノン・イクシーを買ったのでした。もう五月になろうというのに、いっこうに使い方を把握していなかったけれども、この快速パソコンでばりばり使いこなせるようになるかしら。

 そして、これからですけどADSL。とりあえず申し込みだけはしました。また各種機器の接続に悩みそう。こういうことをやっていると、一日があっというまに経ってしまうのですよね。でも楽しみ。これで電話代を気にせず調べものやソフトのダウンロードができるんだわ。ウェブレディオとかも聴けるんだわ。「人生変わった、とまでは言わないけど、生活はちょっぴり変わった」という友の声もあり、期待は増大です。ああ、開通する日が待ち遠しい。





日々の泡 2002.06

 シンガポールに住む友だちを訪ねて一週間ほど一人旅してきました。

クリーン&ヘルシー みなさん知っていましたか。シンガポールは酒とタバコの持ちこみに課税することを。タバコなんて一本から課税されるんですよ。だから知らずに免税店のビニール袋から酒やタバコの箱をのぞかせていたりしたら、あら大変。安く買ったつもりが、とんでもない出費になってしまいます。麻薬なんて持ちこもうものなら死刑です(ほんとに。入国注意にそう書いてある)。といっても、シンガポールの税関はあってなきが如し。出口前にいちおう係員が立っているけれど、よっぽど怪しい姿でもしていなければ、めったに荷物をチェックされることはありません。こういうところが南国のお国柄なのかな〜。だからといって鞄の底にこっそりタバコ2箱しのばせる、なんてことはしちゃいけないんですよ。

 実際、シンガポールは国策としてかなり強力にクリーン&ヘルシーを推進しているらしく、ごみのポイ捨て禁止は有名な話だし、酒場以外の屋内は全面 禁煙。酒やタバコは健康に悪いという宣伝が行き届いていて、しかも全体の物価に比較して高いので、たしなむ国民は少ないといいます。たしかに飲食店の野外席でビール飲んだりタバコ吸ったりしているのは圧倒的に西洋人。まあ、もともと西洋人は外が好きだから余計に目立つのでしょう。あんな蒸し暑い戸外によくいられるよなあ、と思うぐらい、楽しそうに外にいますね。

ホテル・ジャンキー

 友人を訪ねるといっても、日常生活を送っている彼女の家に一週間もいたらお互い気を遣うので、最初の三泊はホテルをとりました。それに、わたしはホテルが大好きなのです。誰かが掃除してくれるきれいな部屋でまっさらなシーツに寝られるなんて、すごく幸せ。べつに高級ホテルじゃなくていいんです。ただ、コージーなところに泊まりたい。シンガポール訪問は三度目で、もう観光する気もなくゆっくり本でも読みたかったから、なおさら快適に引きこもりできるところがよかった。そこで選んだのが、シンガポール市内から車で10分ほどの離れ小島、セントーサ島のビューフォート・ホテルです。セントーサ島は観光用に開発されたリゾートアイランドで、人工ビーチや大プール、水族館などのアトラクションが揃っています。宿は三軒あって、そのうち最も奥まった、最も低層で南国らしい造りをしていたのがビューフォートでした。

 いいホテルでしたよ。

 シーズンオフで人が少なかったせいもあり、静かで落ち着いていました。部屋は茶系の木目調、スリッパとバスローブが備えてあり、バスタブとシャワーブースが別になっています。朝食はプールサイドの戸外レストラン。目の前は海。ただし見えるのはタンカーばかりで、ちょっと興をそがれるのが残念ですが、これはホテルのせいではない。

ホーカー

 シンガポールの何が嬉しいって、安くてうまい食事です。さすがに多民族国家、中華からインド、マレーにインドネシアと、アジア各地の料理が豊富に揃っています。それを一度に試せるありがたい場所がホーカーです。要するに、日本でもひところ流行った屋台村ですね。これがショッピングセンターの中に必ず入っています。ご飯ものや麺や惣菜がそれぞれワンプレートになっていて、だいたい一皿300円から500円。シンガポール人は外食があたりまえなので、どのホーカーもいつも満員です。家族連れもいれば、OLらしきお姉さんが仕事帰りに一人で食べている様子もよく見られます。

 代表的なメニューはチキンライス。鶏肉の入ったケチャップご飯じゃありませんよ。鶏がらスープで炊いたご飯に、ローストあるいはボイルした鶏肉をのせ、瓜を添えてパクチーを散らした一品です。副菜として炒めカイラン(チンゲン菜のような野菜、初めて見た)でも頼めば、もうお腹いっぱい。

 日本でこういうものを食べるとえてしてまずいのですが、シンガポールではまずいものに当たりませんでした。なにしろ飲食店の競争が熾烈なので、まずい店は客が入らず、すぐに淘汰されてしまうからです。このへん、沖縄と似ているかもしれませんね。

マーライオン

 観光する気はなかった、のだけど、行ってみるとそうはなりませんでした。前回シンガポールに来たのはもう十年近く前、その間にこの都市は大きく変わっていたのでした。

 まず近代的な高層ビルがものすごく増えた。シンガポールの経済はもうずっと右肩上がりで、アジア金融危機の影響もさほどなく、立派なホテルやコンベンションセンターがいっぱいできて、何もなかった川沿いのエリアがすっかり開発されました。地震がないので、川のすぐそばにも柱の少ないふにゃふにゃの高層ビルが安く建てられるんですね。



 都市のシンボルだった港のマーライオン像はお色直しということで消えており、その代わりセントーサ島にどでかい新たなマーライオンができていました。頭の部分が展望台になっていて、セントーサからシンガポール本島まで見渡せるという仕組み。のぼってみると、以前はいたるところで工事中だったこの島が、ずいぶん変わったものだと実感されます。

 シンガポールでは頭脳の海外流出がいちばんの懸念だと聞かされたけれど、これからも成長は続いていくのでしょうか。都市の様相は今後十年でどう変わるのでしょう。またそのうちに訪れてみたいものです。





日々の泡 2002.08

 フジロックフェスティバルに行ってきました。

 もはや都内のライブ会場にさえ足が向かないわたくしが、あのような大群衆の中になど、とても恐ろしくて出かけていけないと思っておりましたが、ひょんなところからお誘いの声がかかり、それではひとつフェスティバルというものを体験してみましょうと、はりきって出かけたのでありました。以下リポート。

 当日は快晴。会場の苗場スキー場は、越後湯沢駅から車で30分余り。車を降りてから、さらに入場ゲートまで徒歩10分ほどだろうか。暑い、遠い、埃っぽい、人がいっぱい。ふだん下手をすると1日30分しか外に出ない身には、なかなか新鮮な体験である。すでに開演時間を過ぎていたので、ゲートで並ぶこともなくスムーズに入場すると、中はさらに人、人、人。メインステージ後方はシートを敷いてお休みできるようになっているのだが、すでにほとんど埋まっている。どうにかわずかなスペースを見つけてビニールシートを敷いていると、ステージでラブサイケデリコの演奏が始まった。緑の野外で聞くあの音楽は気持ちいい。

 一休みしてからテントステージに移動して、イギリスの新人バンドの演奏を聞きにいく。開演間近になると続々と人が集まってきて、満員電車状態。これがオールスタンディングっちゅうやつなのかい。どうでもいいけど暑い。そこの若者、こんなところで汁物食うな。おお、演奏が始まると、すごいよ、まわりじゅうが揺れている。

 フェスはごはんにも困らなかった。山ほど屋台が出ているので、ビールを飲みながらあちこちを物色する。比較的すいていた屋台でパエリアを買ってシートに戻る。ステージはセットチェンジ中。ちょと昼寝でもするか。  タオルをかぶってごろごろしていたら、清志郎と矢野顕子の歌が聞こえてきた。昔ずいぶんお世話になった(って、レコードで聞かせてもらったって意味ですよ、もちろん)あの方たちの声を、ナマで寝ころがりながら聞けるなんて、考えてみれば贅沢な話だ。

 まったりしているうちに日も暮れた。夜はペットショップボーイズにケミカルブラザーズと、ダンス音楽二本立てである。山の夜は暗い。ステージの照明が美しく映える。大量 の人間が集まってきた。前方は巨大クラブと化している。ずんずんと体に響く低音。さすがにここにはエクスタシーはないが、人びとの盛り上がりはたいしたものである。

 メインステージ終演。テントは朝の5時までやっているが、私たちはここで引き上げ。まるまる12時間、長いようで短かった。終わってみると、フェスはなかなか楽しいものであった。じつはこれだけの大群衆がみんなで妙に盛り上がっていたらどうしよう、それはちょっと恐ろしいと思っていたのだが、やはりいろいろな人がいるからか、時代が時代だからか、とにかくそういうことはなくて、みんながそれぞれのスタンス、思い入れ度で、ひとつのイベントを楽しんでいるという感じであった。機会があったらまた行きたい。そのときは早めに入場して、前のほうにシートを張ろう。

 カメラを持っていったのですが、例によってカメラの存在を忘れていました。思い出したときにはもう日暮れ。くわしい情報と画像は以下のサイトをどうぞ。

FUJIROCKERS.ORG.


日々の泡 2002.09

『キャッチャー・イン・ザ・ライ』、村上春樹訳――というのが来年刊行されるそうですね(情報源はここ)。表立って好きだというのがはばかられる二大作家、サリンジャーと春樹の組み合わせとくれば、これはなんだか非常に気恥ずかしい。購買記録を残さぬようにリアル書店でこっそり買おう。しかしレジに持っていくのも恥ずかしいな。悩みます。

 ところで、春樹が『ライ麦畑』を訳すのはいっこうにかまわないのだが、一つだけ懸念されるのは、この新訳の流通によって故・野崎孝先生の偉大な訳業が世の中から消えてしまわないかということ。サリンジャーもフィッツジェラルドもボールドウィンもバースも、みんな野崎先生に教わった私としては、いかに古臭いと言われようと、野崎訳『ライ麦畑でつかまえて』が消えるのは口惜しい。

 第一、そんなに古臭かったっけか?――と思い、ぱらぱらと読み返してみた。

 ううむ。……これはやっぱり、ひょっとしたら、新訳が必要かもしれない。要するに十六歳の少年の一人称口語小説なんだけど、その若者言葉がヘンなんです。「he」の訳語が「奴さん」だもんなあ。それと語尾「なんだな」の多用。「なによコレ、山下清?」なんて言われちゃいそうである。これは当時の若者言葉というより、当時のおじさんが一所懸命に若者ぶってみた言葉なのではないか、と誰かが言っていたのを思い出した。 だが、しかし。

 読んでいくと、だんだん、この人工的な若者ふう言葉が気持ちよくなっていっちゃうんだな。やけに古風な言い回しと、いかにもとってつけたような乱暴な言い回しとの絶妙な取り合わせが、この育ちのよい男の子の、大人のような子供のような微妙なキャラにぴったりはまっているように思えてくる。これは作為なのか無作為なのか。「fxxx-you」の有名な訳語、「オマンコシヨウ」も、とっても脱力感があっていいじゃありませんか。

 今回の新訳、版元も同じ白水社だが、「いろんな訳し方、アプローチが可能な小説なので、今ある訳書とはひと味違った村上的『ライ麦畑』をお届けすることができたら」ということだから、野崎版もこのまま残ると信じて、比較を楽しみにいたしましょう。





日々の泡 2002.11

 一ヵ月超のご無沙汰でした。

 ただいま私はせっせと仕事をしています。

 仕事の合間に見つかった、おもしろそうな読み物を紹介します。

 そんなもの見つけてる暇があったら仕事しろ、と怒られそうですね。

 言い訳しますと、暇になったら読もうとブックマークをつけただけで、中身はほとんど読んでません。 読んだ人がいたら、本当におもしろいかどうか教えてください。

クイズ「ひまつぶし」。ひまがないのでできません。

Beethovenは中国語で「貝多芬」と書くのだそうです。

読んでない本がたまっていても気に病むことはありませんでした。

 新しいおしゃれの道が提案されています。

 「血液型性格判断は占いでなく科学です」と言い切っています。(本当ですか?)

 ジョニー・ロットンはアーセナルのサポーターでした。(本当ですか?)





日々の泡 2002.12

 これまでここに寄せてきた雑文で、私の趣味・嗜好はすっかりばれていると思うが、こういうものを私に間接的に教えてくれた人の一人が、編集者の安原顯だった。 80年代、中央公論社の『マリ・クレール』は、背伸びをしたい盛りの子供にとって非常に魅力的な雑誌だった。本や映画や芸術について、海野弘や蓮實重彦や鷲田清一や金井美恵子などの書き手を使って、およそ女性誌とは思えない圧倒的な文字量で特集を組んだ。たとえそこに書かれている内容がさっぱりわからなくても、これを理解できたらきっとおもしろいんだろうな、ということはわかった。

 もちろん、当時はこの雑誌を誰が作っていたのかなんて知るはずもなく、ましてやかつて『海』という文芸誌で、日本では無名のレイモンド・カーヴァーの翻訳を村上春樹に発表させたのは誰だったかということも露知らず、たぶん最初に安原顯の名前を意識したのは、角川文庫のジャンル別ブックガイド『読書の快楽』シリーズだったと思う。日本小説、外国小説、短編小説、ミステリ、SF、紀行文などのジャンル別に、それぞれの専門家が短い書評とともにお勧め作品を挙げるというシリーズである。その巻末で、編集者のあとがきとして自らのベスト作品を熱いコメントとともに書き連ねていたのが、「スーパーエディター・ヤスケン」こと安原顯氏だった。

 その後の書評誌『リテレール』や、数々の書評本での大活躍は、みなさんご存知のとおり。

 そのヤスケン氏が、先日bk1内のブックサイト(http://www.bk1.co.jp/s/yasuken)にて、癌で余命一ヵ月であることを明かした。死ぬまでここで実況中継を続けるという彼の編集長日記は、以後、ソーゼツな闘病記ともなっている。「ソーゼツ」なんて不謹慎なカタカナを使ったのは、なんというか、その実況中継がちっとも暗くないからである。安原氏はいろいろなところとさんざん喧嘩をして、さんざん悪口を書いてきた人で、ひょっとすると周囲の人にとってはちょっと困った存在なのかもしれないが、傍で見ているかぎり、こんなにおもしろい人はいない。いまも「どうせ読めぬだろうが」と断りながら、読む予定の本をずらずらと並べ、あいかわらずの過剰な意欲を見せておられる。この編集長日記は「ファイナルカウントダウン」と題して、生きているうちに本にするつもりだそうだ。やはり、やはり、やはり、すごい人だと思う。

*ご参考までに。編集者についてのヤスケン氏の過激なご意見