牧人舎【日々の泡】塩原通緒2005
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日々の泡

塩原通緒(2005.3.1更新)


新刊出ました!
 あけましておめでとうございます――って、もう2ヵ月も過ぎちゃってますか。すいません。いまさらジローですが、今年もよろしくお願いいたします。

 昨年後半からずっと私事にかまけておりまして、数えてみたら、6ヵ月間のご無沙汰でした。たった1週間で「ご無沙汰でした」と挨拶する玉置宏はすばらしいね!

 えー、私自身はとくに変わりはないのですが、実家の母ちゃんが定期健康診断で引っかかって出産以来数十年ぶりという手術入院をすることになり、妻がいないと飯も食えない半ば江藤淳状態の父ちゃんが一人で家に残されるため、しばらく実家との行ったり来たりが続きそうです。

 そんなわけで、せっかく久々に出てきたんですが、今月はとりあえずご挨拶だけってことでご容赦ください。いちばんの望みは人から忘れ去られること、と言ったのはトマス・エドワード・ロレンスだけど、あんなけったいな性格と運命を背負っちゃった人と違って、私はやっぱり、みんなから忘れ去られちゃったら、ちょっとさみしいのだ。

(しおばら みちお)





日々の泡

塩原通緒(2005.6.15更新)

こんにちは。
先日こちらに母が入院すると書いたところ、各方面からお見舞いやお気遣いの言葉をいただきまして、ありがとうございました。その後の報告が遅くなってすみません。おかげさまで手術は無事に終了、私の生活も平常に戻り、母も退院して元気に過ごしております。

ちょうどそのころ佳境にあった『マザー・ネイチャー』の仕事もようやく終わり、いろいろ忙しかった2〜5月の反動で、半月ほど呆けた日々を送っておりましたが、そろそろ気分を立て直さねばと、久しぶりに美容院に行って髪を切ってまいりました。あ〜洗髪がラク。私の髪は、多い太い固いの三重苦なのです。

ところで今月は、
野茂200勝おめでとう!
と書けるものと思っていたのですが、残念ながらそれは叶わず。
いまや珍しくもなくなった日本人メジャーリーガー、イチローも松井もすばらしいと思うし尊敬もしてますが、いちばん好きなのは野茂。だってパイオニアだから。野茂が単身アメリカに旅立ったときの日本のマスコミと球界の冷たい仕打ちを私は忘れないぜ。あと1勝が限りなく遠いけど、来月には達成できてるといいなあ。応援してます。

その代わりと言っちゃあなんだが、
バモ〜ス、ラファ!
驚異の脚力。19歳になったばかりと思えない精神力。
ラファエル・ナダル、ローランギャロス優勝おめでとう。
元サッカースペイン代表DFのミゲル・アンヘル・ナダルの甥っ子だけど、そのうち、おじさんより有名になっちゃうかもね。決勝前には、まだ若いナダルより苦労人プエルタにトロフィーを掲げさせてやりたいという声もありましたが、勝負に年齢も経歴も関係なし。勢いを無駄にしなかったラファは偉い。いつまでもあると思うな親と勝機。ウィンブルドンでも(こっちは厳しいだろうけど)がんばってね。

(しおばら みちお)





日々の泡

塩原通緒(2005.8.1更新)

 観てから読むか、読んでから観るか――
と思案して、読んでから観ることにしました。これまで何度も、スティーブン・キングと宮部みゆきモノで同じ思案をしてきて、結局は見も読みもしないで終わっていたので、今回は一念発起して読んだのです。一念発起なんてちょっと大げさじゃねーの?――と思われるかもしれませんが、なにしろ製本技術の限界に挑戦しているとまで言われるほど分厚いんでねぇ。京極夏彦作『姑獲鳥の夏』。
 この小説がこのたび映画化されて、先月から公開されてます。私にとって京極堂のイメージは、昔からずっと(読んだこともないくせに)この人だったんですが、先日の朝日の夕刊にかなりショッキングな写真が載っていた。ひょっとして私は何か大きな勘違いをしていたのでしょうか……? ま、それはさておき、今回の映画で京極堂を演じるのは堤真一。堤くんは何をやってもうまいから、この役もそれなりにはまるんでないかと期待してます。永瀬正敏を関口巽役にあてたのも、いいキャスティング。
 『姑獲鳥』を読んだら、他の京極堂シリーズも読みたくなっちゃって、本屋の棚の前でやはりその厚さに一瞬尻込みしながらも、第三作まで読了。いまのところベストは第二作です。

 もうひとつ、映画化されるのをきっかけに読むことにしたのが、世界三大ファンタジー(といっても、何をもって「三大」とするかは諸説紛々らしいが)の一角「ナルニア国ものがたり」。こちらは全七巻のシリーズで、第二巻の『カスピアン王子のつのぶえ』まで読みました。瀬田貞二さんの格調高い訳文が最高です。読んでみての感想は、これは活字で十二分、映画は見なくてもいいや。

 ついでに、これは読むかどうかわからないけど、きっと見てしまうだろう、と思っているのが、ロアルド・ダールの『チョコレート工場の秘密』(映画版のタイトルは「チャーリーとチョコレート工場」)。

 しかしこうして振り返ると、自分がいかに名作児童文学を読んでなかったかが歴然だね。これでも周囲の小学生よりはマメに図書館に通ってたほうだと思ってたんだが。しかも読書傾向は比較的洋モノに偏ってたとも思うんだが。井の中の蛙な夏でございます。

(しおばら みちお)







日々の泡

塩原通緒(2005.11.1更新)

 日本シリーズはあっというまに終わってしまった。マリーンズの野球はおもしろかったし、チーム最多得点やチーム最低打率など数々のシリーズ記録が更新され、ある意味すごいもんを見させてもらったとも言えるが、最終日のどきどき感が「四戦連続でタイガースが二桁失点しちゃったらどうしよう」の一点にしかないのでは、やはり一年の締めくくりとしては尻すぼみであった。TBSは今江のMVPインタビューを途中でぶったぎって番宣入れてる始末だし。だが、その前のパリーグのプレーオフ、こちらは文句なしに盛り上がった。

 そらそうよ(岡田監督風)。昨年から導入されたこのプレーオフのおかげで、パリーグではレギュラーシーズンを1位で終えてもリーグ優勝とはならず、日本シリーズにも進めなくなった。1位チームにしてみれば、そんなのたまったもんじゃない。2位と3位のチームにすれば、ここで勝てれば一発大逆転のアタックチャンス。どこも必死さが違うのだ。盛り上がらないわけがない。ホークス対マリーンズ第3戦9回裏からの逆転劇など、互いのプレッシャーと執念が交錯する、まことにドラマチックな展開であった。

 そもそもこのプレーオフ、観客動員に苦しむパリーグ球団の経営陣が、人気回復のために導入した苦肉の策である。第一ステージで2位と3位のチームが対戦し、その勝者が第二ステージで1位と戦う。優勝争いから早々に脱落したチームがあっても3位争いが関わってくるから消化試合が減るし、優勝決定戦そのものも盛り上がるだろう――。その意図はよくわかる。わかるけど、それじゃあレギュラーシーズンはすべて予選ラウンドだったのかよ、ということになる。半年かけてやってきた136試合が、ことによったら最後の5試合ですべてチャラ?! そういうルールなのだと割り切ってしまえばよいのだが、レギュラーシーズン=ペナントレース、1位=リーグ優勝という感覚が染みついている身としては、昨年からどうしてもこのシステムが腑に落ちなかった。なので親族に千葉県人がいるにもかかわらず、レギュラーシーズン2位のマリーンズよりも1位のホークスを応援していたのだが、結果はごらんのように、最後の短期決戦に強かったマリーンズがプレーオフを制して優勝した。

 この時点で、プレーオフへの批判や不満があらためて出てきた。ホークスが2年連続でレギュラーシーズン1位になりながら、プレーオフで敗れてリーグ優勝を逃し、日本シリーズに進めなかったからである。敗軍の将、王監督は、対戦相手が決まるのを待っているあいだ実戦から離れてしまう日程上の不利を挙げ、いっそ4位のチームまでプレーオフに引きこんではどうかなどと提案していたが、同一リーグ内で6チーム中4チームもが本戦トーナメントに進めるなんて、それこそ馬鹿げていると思うのだが。

 そんな不条理なプレーオフが、セリーグでも再来年からの実施を検討されている。推進派はセリーグ中で最も観客動員の少ない横浜ベイスターズだ。今回の日本シリーズで阪神が大敗し、日程が空いて試合勘が鈍ったことを言い訳にしているようだから、この動きはさらに加速するかもしれない。しかし、一度決まったリーグ内の順位を決めなおすプレーオフを両リーグがそれぞれやって、何の意味があるのであろうか。それなら日本シリーズを拡大して、セパ共通のトーナメントにしてしまえばいいではないか。レギュラーシーズンを1位で終えれば、そのチームがリーグ優勝で決まり。ここでビールかけ。その後、各リーグ3位までのチームが日本シリーズに進出する。もちろん各リーグ1位にはシードをつけて、一回戦は不戦勝。

 これでどうだ。リーグ1位のチームが同リーグの2位と当たることはない。3位のチームにも勝てない1位ではしょうがない。別リーグの2位のほうが強かったならご愁傷様。決勝に出られなかったとしても、とりあえずリーグ優勝というご褒美があったのだからよいではないか。決勝が同じリーグのチーム同士になるかもしれないが、それはその年、そのリーグのほうが強かったというだけのこと。――とまあ、このような試案が野球ファンのあいだではたーくさん出ているので、両リーグの偉い人たちにはよく吟味していただきたいものである。

 それともうひとつ、今回のプレーオフをおもしろく観戦できたのは、4戦と5戦のテレビ東京での解説が野村克也だったからでもある。あのネチネチ解説は嫌いという人も多かろうが、野村は結果の解説だけでなく、状況の解説をしてくれるのでありがたい。たとえば最終第5戦、8回表のロッテの攻撃、1点ビハインドでの無死1、2塁の場面。

実況アナ「ここで四番のサブローです」
野村「ここは当然バントでランナーを進めるでしょう。サブローは四番に入ってるだけで四番打者ではないですから」
――サブローは初球こそバントの構えを見せるが、そのあと強攻に出てファールフライで凡退。
野村「……私は納得いきません!」
――しかし次の里崎がタイムリーヒットを打って逆転。
野村「監督の失策を選手が助けましたな」
――さらに八番フランコ、カウントが進んで追い込まれたところで次の投球。
野村「普通ならフォークで落として振らせるところですが、それではあまりにも見え見えですな」
――しかしピッチャーはフォークを投げ、フランコは空振り三振。
野村「投げるほうも投げるほうだが、振るほうも振るほうです」

 どうです。この自信たっぷりな言いきり。実際のところ野村は今年パリーグの試合をほとんど見ていなかったそうで、両チームの特徴を知り尽くした熱心なファンに言わせると、こうしたコメントも「全然わかっとらん!」となるらしいのだが、配球をはじめとする野球の戦術がよくわかっていない素人ウォッチャーにとっては、たとえ予測がまちがっていても、その根拠となる基本的なセオリーをわかりやすく説明してくれる解説者はありがたいのだ。そして野球というスポーツは、たとえばサッカーなどと比べると、身体的な躍動感を楽しむよりも、間を楽しむ、駆け引きを楽しむ要素が強い。それだけに、解説者の役割がいっそう重要な競技でもあると思うのだ。

 野球に限らずスポーツ全般において、個人的にいただけないと思う解説は、
1.どっちかに肩入れしてることが見え見え
2.素人でも見てりゃわかることしか言わない
3.精神論で語りすぎ
4.技術論で語りすぎ
5.自分の好みのゲームスタイルを押しつける
である。野村はやや5に近いかもしれないが、1〜4に比べればはるかにマシであろう。これもまた野球に限らず、解説者が解説者としてもう少しプロフェッショナルであってくれたら、見るのがもっとおもしろくなるのにと思うことはたくさんある。
(しおばら みちお)





日々の泡

塩原通緒(2005.12.2更新)



 ごきげんよう。早いもので、今年ももう師走ですね。世間が浮かれ気分になって何かとせわしない年末なのに、まだたくさん仕事が残っているんだよ……うわあん。と泣き言をいっても始まらないので、楽しくクリスマスと正月を迎えられるようにがんばります。

 先日、久しぶりにベジャールの「春の祭典」と「ボレロ」を見てきたんだけど、これが初めて上演されたときの衝撃は相当だったろうな、とあらためて思った。私もいちおうバレエを見るのはクラシックから入ったんで(最初にナマで見たバレエはデンマークのペーター・シャウフスの「くるみ割り人形」よ)、ベジャール作品を初めて見たときはぶっ飛びました。なにしろ動きがぜんぜん違うし、大勢の上半身裸の男が舞台上で飛んだり跳ねたり、のた打ち回ったりしてるんだから。当時はやおいなんて言葉はなかったけれど、男祭りのベジャールは婦女子にとって立派に萌え対象であったのだ。ジョルジュ・ドンなんていうフォービズムを具現化したような男もいたしな。しかしベジャールは紛れもない芸術作品。その後のバレエは新しいモダンがいろいろ出てきて、クラシックもどんどん洗練されて、ともに発展していく非常に楽しい世界となりましたね。

 で、この季節に無理やり話を戻すと、数あるスポーツのなかで最もバレエに近いのが現在シーズン真っ盛りのフィギュアスケート。なんですが、こちらはいっこうにクラシックから脱却していない感じ。北ヨーロッパのおばちゃんたちがジャッジの主流だからしかたないのかなあ。伊藤みどりに叙情的な美しさを求めてどうする。あんなに高くて速くて迫力のあったジャンプはいまでも他に見たことがなく、あれだけで一種のアートだったのに、当時のみどりちゃんは芸術的表現点とやらで点数が伸びなくて、似合わない優雅な動きを習得するのに可哀想なぐらい必死になっていたものだった。彼女にはぜひウィリアム・フォーサイスのような振り付けで滑ってもらいたかったな。並のスケーターじゃできないぜ。演技中に笑顔なんて見せなくていいじゃん。でも、当時も今も、フィギュアスケートの競技会はそれを許してくれません。少し前にはフランスの伊達男がローラン・プティ風の持ち味でそれなりに活躍したけれど、あれもキャラクターダンサー的というか、ややイロモノ系統として受け止められていた感がある。まあ私としても、コミカル路線はアイスショーのような興行やエキジビションでなら大歓迎だけど、競技会ではやはりシリアス路線で攻めてほしい気がするけどね。

 フィギュアスケートも他のあらゆるスポーツと同じく、時とともにどんどん全体のレベルが上がって技術が向上しているのだけれど、技術に対する採点とともに、非常に恣意的な芸術点という採点が加わるのが厄介なところ。こちらの判定基準がもう少し広くならないと、みんなが同じようなスケーティングに行き着いちゃってつまらないのよ。とそんなことを考えていると、思い出すのが竹宮恵子の往年のマンガ「ロンド・カプリチオーソ」です。二人のスケーター兄弟の話なんだけどね。兄貴は典型的な秀才型の優等生で、弟は天衣無縫の天才型。そしてコーチである二人の父ちゃんは、採点などに縛られない自由で芸術的なスケートを世界に認めさせるという夢を、この天才の弟に託すのだ。それを知った兄ちゃんは可愛い弟への愛情と嫉妬に葛藤し……という、なかなかに深い物語なのであります。30年近く前の作品なんだけど、背景となる状況はいまもあんまり変わってないやね。

 さて、今年の雑文もこれで最後となりましたが、本コーナーの芸能スポーツ担当として来年からも引き続きよろしくお願いします。みなさま、よいお年を。
(しおばら みちお)