牧人舎【日々の泡】塩原通緒2006
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日々の泡

塩原通緒(2006.1.4更新)

あけましておめでとうございます。

昨年末から寒い日が続いておりますが、東京近辺だけは豪雪被害も免れ、関西方面に送る予定だった宅配荷物が滞貨のため希望日時に送れなかったぐらいで、あとは何事もなく平穏にクリスマスを過ごし、大晦日にはテレビのチャンネル1と6と8を交互に見ながらお重詰めをし、ばたばたと、いえ、ほのぼのと正月を迎えることができました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

今年はサッカーのワールドカップイヤーですね。4年前はホスト国ということで、新聞でもテレビでも街中でもずいぶんな大騒ぎでしたが、今回はどうなることでしょう。日本チームの一次リーグの相手は、ブラジル、クロアチア、オーストラリアですか。偶然にも、全部カズがプレーしたことのある国ですね。「外れるのは……カズ、三浦カズ」と言われてしまったフランス大会はもう8年も前ですか。月日の経つのが早いです。

その前には、冬季オリンピック、トリノ大会もありますね。しかし夏の大会に比べれば地味だよな……と思っていたけれど、年末のフィギュアスケート騒動を見るかぎり、こちらもそれなりに騒がれそうです。昨年の安藤さんを見ていると、持ち上げまくってプレッシャーかけまくってどーんと落とす芸スポメディアの怖さを、ひしひしと思い知らされた感じがいたします。あと2ヵ月で復調するのは難しいかもしれないけど、ミキティ、がんばって乗り越えてほしいです。

オリンピックといえば、ものすごーく今更なんですが、最近『シドニー!』を読みました。村上春樹による2000年のシドニー・オリンピック観戦記ですね。オビでいきなり「オリンピックなんてちっとも好きじゃないんだ」なんて断言してる小説家が書いたものだけあって、相当に斜め視線のレポでして、一視聴者としてけっこうほいほい大イベントに乗っかっていた私としては「なにもそんなにスカさなくても」と読み始めたころは思わないでもなかったんですが、前述のフィギュアの代表選考のすったもんだもあったりして、オリンピックが異様に肥大化されてる(そしてますます金まみれになり、ナショナリズムがいささかいびつに盛り上げられる)という見解には、おおむね同調するようになりましたね。

それと、この本の収穫は、約30年間ほとんどまったく私のレーダーに引っかかってこなかったオーストラリアという国について多少の知識が得られたことです。本文中に「……オーストラリアは想像を絶して購買意欲のわかない国である。どの店に入っても、欲しいと思うものがほとんどない。」って書いてあったけど、まさに私にとってもそういうイメージだったんだもん。しかし、この本を読んで、まあシドニーにコアラを見に行ってもいいかな、ぐらいの気持ちにはなりましたね。テニスの全豪オープンで地元選手が出てくるときに決まって観客席で歌われる「ワルツィング・マティルダ」という国民歌の歌詞も、これで初めて知りましたよ。

あとね、最後のほうに、とても気に入った一節がありました。 「もちろん僕は勝利を愛する。勝利を評価する。それは文句なく心地よいものだ。でもそれ以上に、深みというものを愛し、評価する。あるときには人は勝つ。あるときには人は負ける。でもそのあとにも、人は延々と生き続けていかなくてはならないのだ。」

そうなんだよね。スポーツでもそれ以外でも、私はときどき、敗者のうっすらとした笑顔になんともいえない深みを感じることがあります。
(しおばら みちお)







日々の泡

塩原通緒(2006.4.3更新)

久々のSF、こまぎれの小説

 次の仕事は、物理ものです。メインテーマは、多元宇宙です。また(というか、ほとんどいつもだけど)身の丈をはるかに超える仕事なので、これからいろいろ勉強しなくてはなりません。はぁ。とりあえず肩慣らしに、多元宇宙もののSFでも読んでみるかな!――と思いたち、久しぶりにハヤカワSF文庫を買いました。実際に買ったのは去年のことですが、読んだのは最近なので、これが今月のお話です。

 SF小説って、はまる人はものすごーくはまるジャンルだけど、私はたいしてはまることなく、あっさり通過してしまいました。星新一とか筒井康隆はそれなりに読んだけど、思えばアシモフもハインラインもブラッドベリも、海外SFの大御所ってほとんど読んでません。そのくせ、フィリップ・K・ディックは当時なんとなく「読んでおかなきゃいけない作家」のような雰囲気があったので、サンリオSF文庫のマニアックな作品まで読んでいたりする。あとウィリアム・ギブソンとかね。そういうのが好きだったのかというと、決してそうでもない。流行りと言っちゃあそれまでですが、若いころの読書というのはヘンなものです。それにしても、どうしてあんまりSF小説を読まなかったんだろう?――と思い返してみると、当時の自分のなかではSF(と時代物と恋愛物)はマンガで読み、それ以外は小説で読む、という棲み分けがあったのかもしれません。

 さて、今回読んだのは、まず多元宇宙ものの古典と言われているフレドリック・ブラウンの『発狂した宇宙』。これ、しばらく品切れ状態で店頭に出ていなかったと思うんだけど、昨年末、ジュンク堂池袋店の萩尾望都セレクション特設コーナーをのぞいたら、ブラウンの他の作品といっしょに並んでました。さすが萩尾先生! 奥付を見ると、2005年10月15日、21刷。おお〜、ちょうどグッドなタイミングだったんですね。で、読みました。めちゃくちゃ楽しい話でした。なんたってネタがパルプフィクションですから。アマゾンレビューはこちらです。ちなみに帯の惹句は「異色作家を骨まで味わう――奇想天外という言葉はこの作家のためにあると言っても過言ではない(笑)」。いや、そのとおりなんだけど、(笑)ときたか……対談上やネット上以外で初めて見たかも(笑)。

 次に読んだのは、ヒューゴー賞を受賞したロバート・J・ソウヤーの『ホミニッド』です。この世界とは逆に、クロマニヨン人が絶滅してネアンデルタール人が進化した別の平行宇宙から、一人の物理学者がひょんな偶然でこちらの宇宙にやってくるという話。こちらも楽しく読めました。アマゾンレビューでは厳しい評もあるけれど、解説の佐倉統さんが書いておられるように、「『優しい国』から来たSF」と読むこともできましょう。なんというか、このとても現実的でまっとうな語り口は、私のSFイメージをかなり覆してくれました(笑)。そして、どっちも本業にはほとんど役立ちそうにない(笑)。

 しかし、小説を読むのはやっぱり楽しいですね。昔は小説しか読まなかったようなものだけど、最近はなかなか小説まで手が回らない。そこでいま重宝してるのが、新聞小説です。ありがたい点の第一は、こまぎれの時間で読めること。第二は、未読の作家のお試し読みができること。うちは朝日と読売をとっているので、朝夕刊あわせると四本もの作品が楽しめる計算になるんですが、さすがに四篇同時進行は頭の中で消化しきれません。中学生のころは一冊のマンガ週刊誌のほとんどの作品を読んでいたけども、あれは日刊でなく週刊だからできたのか、マンガだからできたのか、それとも若かったからできたのか……。

 ですので、いまはそれぞれの夕刊の小説を読んでます。朝日は先週まで、北村薫の「ひとがた流し」を載せてました。北村薫を読んだのは初めてです。一般にはミステリ作家に分類されるのでしょう。私はミステリもエラリイ・クイーン以外はたいしてはまらずに通過してしまいました。しかし、この作品はミステリではありません。学生時代からの女友達3人の物語です。先々週が佳境で、夕刊開くたびに泣いてる私。でも短いから涙もすぐ乾く。インスタントでいいわ。優しい余韻とともに、読了です。

 そのあとは吉田修一の「悪人」が始まりました。この人は私が小説をあまり読まなくなってから出てきた人だから、当然、未読です。「パークライフ」で芥川賞を取った人ですね。どういう小説を書くんでしょうか。楽しみです。新聞小説の欠点は、初回を読み忘れると、かなり高い確率で、以後はもう読まなくなるということです。そのせいで桐野夏生も町田康も奥泉光も読みそこねました。「悪人」も先週の第一回を読み忘れたので、その日からの夕刊を保管してあります。一週間分ならまだ追いつけるでしょう。

 読売では角田光代の「八日目の蝉」が連載中です。角田光代も、初体験です。新聞などに寄稿される短い文章を読むかぎり、たぶんこの人はいい作家なのではないか、と思っていましたが、やはりいい作家でした。不倫相手の赤ん坊を盗んで自分の子として育てながら逃げる女の話で、その逃避行が、一種の地獄めぐりのようになってます。最後はどう落ちをつけるんだろう、おそらく明確な落ちはつけないんじゃないだろうか、などと思っていたところ、この文章を書くにあたって漢字の確認のためにググった読売新聞のページ(連載スタート時の紹介文)で、ラストまでの展開がわかってしまいました。そうくるのか。もちろん大事なのは粗筋だけじゃないってわかってるけど、最初からそこまで説明しなくてもいいのではないでしょうか……。それとも忘れたころにこんなページを見る私が悪いのでしょうか。
(しおばら みちお)







日々の泡

塩原通緒(2006.5.2更新)

 今日はさるところから野球の試合のチケットをいただいたので、後楽園に行きました。  かつては親戚が後楽園の年間シートを持っていたので、毎年一度は巨人戦のチケットを回してもらっていたのですが、数年前からそれがなくなって、今回は本当に久しぶり。三年ぶりぐらいかな〜? 今日の相手は、オレ流ドラゴンズです。(注:私は巨人ファンではありません。アンチでもないけど。)

 後楽園球場、なんて言うと年齢がばれちゃうわけで、もちろん現在の「東京ドーム」です。厳密には場所はちょこっと違ってて、東京ドームはかつての競輪場の跡地に建てられました(参考資料)。いちおう画像(*)も貼っとくか。こういうところです(写真参照)。

(*)こちらのサイトからお借りしました。ありがとうございます。

 ドーム球場は、やっぱりなんとなく閉塞感があって、戸外のいかにも野球場!という爽やか〜な開放感がないのが難点だけど、東京ドームのいいところは、ビールとお弁当の種類が豊富なところ。そんなことかよ!と怒られそうですが、だってお弁当食べながら見られるスポーツなんて野球だけなんだもん、大事なことですよ。というわけで、入場していちばんにすることは、お弁当の購入です。早く買わないと人気商品はすぐに売り切れちゃうのです。東京ドームには叙々苑の焼肉弁当があるんですよ〜。これ、たぶんどこのデパートでも売ってないと思うんだけど。そしてなんと、今回行ってみたら、山口瞳もごひいきだったという九段下の名店、寿司政のお弁当まで売っていた。そこでさっそく穴子ちらしと、自宅持ち帰り用の太巻きを買います。オマエ何しに球場行ってんだよ、と言わないでね。

 さて、今日の席は、内野二階の中段あたり、ホームベース真後ろからやや左寄り、といったところで、ピッチャーの投げる球がよく見えます。なかなかいい席だ。しかし前後左右に、少数ながら、気合の入った中日ファンが固まっている。あのメガホン応援は、ホントうるさいんだよね。耳が慣れてBGMと化すまでは、なかなか試合に集中できなくて困ります。選手もたいへんだろうな。初めて日本に来た外国選手は、この応援にびっくりするって聞きますね。とくにピッチャーなんかは、こんなうるさいなかでよく集中できるものだと感心します。

 しかしこうしてナマで見ると、野球って実にぜいたくなスポーツですね、空間的に。球が飛んでこないときの、あの外野の無駄な広さったらどうですか。これがアメリカで発展したのもわかるような気がするよ。外野手は、だだっ広いところにぽつんと一人。ホームベースははるか先。この孤独感は、テレビで見てるだけではちょっとわかんないですね。フライを捕るのも簡単そうに見えて難しいんだろうな〜、と思います。

 それにしても、今年のジャイアンツは強い。まだ序盤なのに、二岡と小久保のホームランでもう大量リードだよ。堀内が辞めただけで、いきなりこんな勝てるようになっちゃうものなのか。打線だって、こりゃヤクルトですか?と思うぐらいに渋いスタメンになっちゃって、かつての大砲路線はどこへやら。ファンの応援もいつのまにやらロッテ風になってるし。――と時の移り変わりを感じていたら、また小久保がホームラン、で、また二岡がホームラン。今日のオレ流はやる気がないな。いつまでたっても巨人の攻撃が終わらん。そう考えると、野球って、時間的にもぜいたくなスポーツですね。こんな三時間も四時間も悠長にやってる競技、他にはそんなにないだろう。しかも緊迫してない試合ほど長くなっちゃうんだから。

 ナマ観戦のもう一つのお楽しみは、各選手が打席に立ったときにかかるテーマソングです。これ、いちおう選手のリクエストってことになってるんで、こいつはこういう歌が好きなのか、やっぱりね、とか、これは意外、とか、ささやかな楽しい発見があるわけです。たとえば清水のペットショップボーイズとか、けっこう不思議じゃないですか? 前に見に来たときも阿部慎之介のテーマソングが「Punk」で、まさか巨人戦でゴリラズ聴けるとは〜、と軽く衝撃を受けたものです。しかし今回あらためて、野球選手の選曲も変わったなあ、と。もうね、清原の「とんぼ」のようなベタな選曲、ほとんどないんですよ。ほら、このとおり。そんななかで、星選手の「ゆけゆけ飛雄馬」には泣けました。これ絶対、本人の心からのリクエストじゃないと思う。

 そして試合は、5回の二岡の今日3本目のホームランで完全に決まってしまいました。なんと二打席連続の満塁ホームラン、これにはびっくり、プロ野球史上初の快挙だったそうで。いやあ、はからずも、歴史の立会人になってしまいました。ありがとう二岡。楽しくビールが飲めました。おめでとうジャイアンツ。交流戦でコケないようにがんばってください。
(しおばら みちお)





日々の泡

塩原通緒(2006.6.2更新)


これはマッケンロー(古!)
ロジャー・フェデラーって知ってる?

 スイスのテニス選手なんですが。これが現在、男子テニス界では、シューマッハや朝青龍もびっくりするぐらい圧倒的に強い王者なのである。

 どれほど強いのかというと――
 2004年の戦績が、74勝6敗、優勝回数11、世界四大大会のうち三つ(全豪・ウィンブルドン・全米)を制覇。
 2005年の成績が、81勝4敗、優勝回数11、四大大会はウィンブルドン三連覇、全米二連覇、全豪と全仏でも準決勝進出。
 2006年も連勝街道を驀進中で、現時点で39勝3敗、すでに4大会で優勝、年間最初のメジャーである全豪も、2年ぶり2度目の優勝を獲得済み。世界ランクは2004年の初めからずっと1位を継続中で、2位にとんでもない大差をつけている。

 数字だけ並べられてもよくわからないかもしれないが、世界中から才能が集まっている昨今の層の厚い男子テニス界にあって、これはおよそ信じがたい一人勝ちである。いちばんわかりやすい四大大会の成績で言うならば、2004年のウィンブルドンから足かけ3年、7大会連続で準決勝以上に進出しており、2005年のウィンブルドンからは3大会連続で優勝。現在サッカー・ワールドカップの裏でひっそり開催されているフレンチオープンで初優勝すれば、年をまたいでの全大会連続制覇、まだ史上3人しか果たしていない生涯グランドスラムの偉業を達成することになる。

 しかも、この男は人間的にもすばらしいとコートの外でもたいそう評判がよく、一流アスリートとしての慈善活動にも熱心で、ユニセフ本部の親善大使にまで選ばれている。

 ああ、それなのに。
 なぜ日本ではこんなに知名度が低いのだろう。いちおう一般紙のスポーツ面には載るけれど、スポーツ紙には取りあげられない。テレビのスポーツニュースでも、シャラポワの試合が映ることはあっても、フェデラーのフェの字も聞いたことがない。タイガー・ウッズやマイケル・ジョーダンやロナウジーニョに比べて、かわいそうに、不当に扱いが低いような気がする。

 もちろんその理由の第一は、世界の舞台で活躍する強い日本男子が一人もいないため、プロテニスが日本ではマイナー競技でしかないからだろう。現在、日本男子の世界最高位は添田豪くん(21歳)の258位。悲しいかな、グランドスラム大会は予選にすら出られない。

 あるいは、彼がアメリカ人でないことも関係しているかもしれない。時事でもアートでもスポーツでも、この国の主要メディアの海外ソースの第一は、やはりアメリカだと思うから。

 だが、それらに加えてもう一つの理由は、当のフェデラーのルックスにあるのでは――とひそかに思う。異論を承知であえて言うならば、このどうにもタランティーノな風貌は、およそ日本の女性には不人気なのではなかろうか。こやつがベッカムのような顔をしていたならば、状況はもう少し違っていたかもしれないと思うと残念でならない。

 しかし、である。いまのパワーテニスの時代、サーブを打つときでも決め球を打つときでも、ふつう多くの選手はインパクトの瞬間に渾身の力を込めるため、えてして、、お笑い写真が続出してしまうのであるが(いちおう公正を期すために、素顔は「上」の部類に入るとされる人たちを選んでみました)、フェデラーの場合は走るのも打つのもあまりにスムーズで、余計な力みがまったくないため、顔の崩れた写真にお目にかかることがめったにない。いつも涼しげな顔をして打っている。余裕がありすぎて、ラリー中に寝ていることすらある。要するに、こやつは試合中がいちばん見られるルックスになるのである。

 こんなところにも、この男のすごさが表れていることをわかっていただけたらと思う。
(しおばら みちお)







日々の泡

塩原通緒(2006.7.2更新)

美しいサッカー

 まずは先月の話の続きから。テニスのフレンチオープン決勝、世界王者のロジャー・フェデラーは前年チャンプのラファエル・ナダルと対戦し、ナダルの左腕から放たれる強烈なスピンボールによって、持ち前の美しいテニスを破壊されてしまいましたとさ。
 これで生涯グランドスラムはいったんお預け、さらにその上の偉業である年間グランドスラムも今年はとりあえず消えました。しかしナダルのほうも、この優勝で前人未到のクレー60連勝という恐ろしい記録を打ち立てたから、これはこれで立派なもの。どちらにしても盛り上がる結末となりました。

 さてワールドカップ。
 日本代表はご存知のとおり、グループリーグ最下位であえなく敗退しました。ジーコ監督のめざした日本選手による美しいサッカーは、ついに完成の日を迎えられませんでしたとさ。というか、この四年間のなかでも最悪の部類に入る試合を本番で見せられてしまったから、非常に悲しいものがありますね。
 ジーコさんの思い描く「美しいサッカー」とは、たぶん、選手間のあうんの呼吸によるゆったりとした展開からじわじわと相手を追い詰め、そこから意外性のある展開で相手ディフェンスラインを切り裂いてゴールを決める、というものなんだろうと思う。でも結局、日本の選手の間にあうんの呼吸は育まれなかったし、ゆったりとボールを回せるほど技術もなかったし、確実にゴールを決められる能力もなかった。そこへきて、ジーコさんとはまたちょっと違うサッカー哲学(そしておそらく、現在ではこちらが主流であるところのサッカー哲学)をもっているらしい中田が俄然やる気を出しちゃったことで、チームがさらに混乱しちゃったのかな、というのが素人ウォッチャーの感想です。

 でもね。ブラジルだってアルゼンチンだって、きょうびそういう美しいサッカーはなかなかやらせてもらえないよね。相手もそれを潰すための戦略を練ってくるわけだから。大事なのが勝つことである以上、美しさが強さに負けちゃうのは、しかたのないことなのさ。

 もちろん「美しさ」なんてのは主観だから、純然たる力の強さを美しいと思ってもいいはずだし、がちがちの守備から一瞬だけ抜け出てのカウンターの鋭さに美しさを見いだすこともできるけど、アルゼンチンのセルビア・モンテネグロ戦での二点目などは、やはり完璧に美しい。ああいうのを見ちゃうと、ジーコの理想を古臭いで片づける気にはなれなくなってしまう。

 いまやジーコさんはいっきに無策、無能と叩かれていて、それはまあそのとおりだと思うのだけど、熱烈サポではない立場からすると、この人はそれより、無邪気、に見える。いつか「強さ」と「美しさ」を兼ね備えた日本代表チームができあがるといいですね。
(しおばら みちお)







日々の泡

塩原通緒(2006.8.6更新)

無駄話


「ドラマも夏クールになったね」
「切り替わってもう一ヵ月か。早いな」
「今季は何を」
「先々月あたりから何かと忙しくなったのでね。『功名が辻』だけは惰性で見てるけど」
「いまマサカズ主演で現代版山内一豊もやってるよ」
「それはこのあいだ30分だけ見た。内田有紀かわいかったな。ミツオと離婚して女優復帰して正解」
「誰、ミツオって」
「吉岡君だよ。ずっと寅さんでさくらの息子役やってたでしょ。あれ以来うちではミツオ」
「ああ。そういやうちでは純君だわ」
「そんなわけで今季は何も見ていない。前クールの『弁護士のくず』と『富豪刑事』もラスト3回は録画したきりで、いまだに見てないし」
「『くず』ね。『探偵物語』のパクリだって説もあったけど」
「いいんだよ。わざとやってんだから。あの弁護士事務所の入ってるビルに工藤探偵事務所って看板もかかってたでしょ」
「豊川悦司の『なんじゃこりゃ』ってセリフもあったね」
「トヨエツといえば『愛の流刑地』の映画化に出るらしいね」
「出るね」
「最初のオファーを役所広司に出して断られたという噂の」
「そりゃ断るでしょう」
「そうなのか。でも豊川君と寺島しのぶの組み合わせはイヤらしそうでいいんじゃないか」
「まあね」
「冷たいね。ダメですか」
「だって日経で連載されてたとき会社でときどき読んでたけど、原作では主人公の男がもっとずっと年上なんだよ。逢引のためにがんばってケータイメール練習しちゃったりするような。女はわたしらと同年代だけど、これがまた、いまどきこんな女いないと思うよ。なんかこう、昭和の香りがするというか」
「はあ。で、どういう話なの。生死を超越した究極の愛のカタチって聞いたけど」
「そうといえばそうかもしれないが」
「違うといえば違うような」
「要するにアレの最中に男が女を死なせちゃうんだけど、それがどうも、うっかりって感じで」
「うっかりなのか」
「うっかりなのよ」
「『ベティ・ブルー』みたいな感じとは違うのか」
「違うと思うな」
「むむ。じゃあ映画版は男の年齢設定も違うことだし、脚色に期待するか」
「テレビドラマ化もされるんだよね」
「そっちのキャストは」
「そっちは未定」
「難しそうだね。昭和の香りがする女というと、やはり川島なお美が適任なのか」
「しかしいまさら」
「高岡早紀なんかどお」
「ああ。なかなかあってる」
「男は」
「……」
「じゃあさ、いっそトム・クルーズは」
「!」
「ヨン様のファン層をそのまま引きつけられそうじゃん」
「……それいいかも。うっかり感もぴったり。もちろんアフレコで。タイトルも『AIRUKE』」
「決まったな」
「決まった」
「ではそういうことで、淳一先生よろしく」
(しおばら みちお)







日々の泡

塩原通緒(2006.9.2更新)

「青いレッズ」

あんなにJリーグのお荷物チームだった浦和から、7人も日本代表チームに選出される日が来ようとは。

人気クラブはお金があって、いい選手がいっぱい集まるからトクだねえ。 なぜ人気クラブなのかは知らないが。あのサポーターの多さと熱心さはいまだに謎です。

ピアノが特技の雄一郎もがんばれ。

さて納期前。
無駄話をしている時間もなくなりました。
また来月お会いしましょう。
(しおばら みちお)







日々の泡

塩原通緒(2006.10.3更新)

Take a Sip

今月も納期前だった。
忘れていたわけじゃないのよ。甘かっただけなの。

最近発見した多忙時の友。
それはコカコーラ。
さすが、かつてPTAで飲んじゃいけませんと禁じられただけのことはある、
スカッと爽やかな刺激物。
これをぐびぐびと飲むのではなく、口を湿す程度に、ちょこっとすする。
いいねえ。
ユンケルより断然安いし。
ウィキペディアのコーラコカ・コーラの項はなかなか興味深かったです。

来月こそは、きっと余裕をもってお会いできるはず。
(しおばら みちお)







日々の泡

塩原通緒(2006.11.3更新)



「美は世界を救う」

 先日あるところでこのフレーズを目にして、有名な小説からの有名な引用だと知り、出典を読みはじめております。ドストエフスキーの『白痴』です。

  (*)はくちは自動変換されないですね。めんどくさいな。しかし差別用語はデリケートな問題なので、ここでどうこう言うのはやめておこう。

 ところで、何を隠そう、私はドストエフスキーのファンなのだ。三作品しか読んでないけど、その三作品がすべて気に入っているのでファンなのだ。だったら他の作品も続けて読みそうなものだけど? それに『白痴』って代表作の一つじゃん?――そうなんですけど、読んでなかったんです。なぜかといえば、主人公の名前が悪い。「ムイシュキン公爵」という名前から、私は長らくこの主人公をおじさんだと思っていた。ふつう、この名前から26歳の青年を連想しますか――?? いや、もちろん、たとえ主人公が年食っててもドストエフスキーの小説ならおもしろいに違いないであろうという全幅の信頼は寄せてたんだけども、なにしろ長ーーいもので。読書のほかにもやることはたくさんあるのだ。アリョーシャとかロージャとかいう名前ならともかく、ムイシュキン公爵という名前では、分厚い文庫の上下二巻に手を出すまでにはそそられなかったわけで。

 まあしかし、私もいちおう大人になったし、主人公が若くなくてもそれなりに心にしみて読めるようになったから、ムイシュキン公爵の物語を読んでみようと本屋に行った。いま『白痴』の文庫は、岩波書店版と新潮社版がある。岩波文庫のほうは最近復刊されたみたいで、新潮文庫のほうも最近改版されたみたいだ。どっちにしようかと両方をぱらぱらめくってみると、新潮版は、驚くほど活字がでかかった。訳文も、なんとなく読みやすそうだった。しかし小説、とくに古い小説は、読みやすいほうがいいわけでもないという思いが個人的にはある。それで結局、古式ゆかしい感じの岩波版を選んだ。小さい昔っぽい活字に、文語まじりの昔っぽい文体が、馴染んだロシヤ文学の気分を味わわせてくれそうだった。これはあくまでも好みの問題です。

 そして読みはじめて8ページめで、長年の誤解が解けました。ムイシュキン公爵、あなたは若かったのか。そして現在175ページまで読んだけど、ムイシュキン公爵、きみはいまのところぜんぜん白痴に見えないぞ。これまでに出てきた登場人物の誰よりも賢そう。先を楽しみにしているよ。ちなみに冒頭のフレーズはまだ出てきていません。なにしろこのあと1000ページあるもので。でも、いい言葉でしょ。
(しおばら みちお)







日々の泡

塩原通緒(2006.12.3更新)


新しい空白の一年
 今年ももう12月。来年のカレンダーや手帳を買い揃える時期ですね。

 初めて自分の家をもったころは、インテリアを好きなようにできるのが嬉しくて、壁掛けカレンダーも小じゃれたのを毎年買っていたものですが、いつのまにか貰い物で済ませるようになってしまいました。家人が本屋勤めなので、いろいろな出版社さんから会社にいただくカレンダーもいくつかまわってきます。さすがに出版社製はビジュアル的に優れたものが多いので、たいへん重宝しております。ただ、居間に掛けるメインのカレンダーには予定を書き込める余白がほしいので、あまりにも凝っておられるデザインや、あまりにも無駄のないデザインだと、別のところに移動していただくことになってしまいます。今年の場合、使い勝手のよさで居間に据えられたのは、新年に実家のすぐそばの浦和競馬場の正月レースに行ったときにもらったカレンダーでした……まあ地方馬といえども、馬の姿はきれいですから。

 会社を辞めてから、外に出ることがめっきり少なくなったのでスケジュール手帳は買わなくなりました。ミスタードーナツのシステム手帳、スケジュールンをもう十年くらい使っています。中身はもっぱらアドレス帳で、数枚の白紙の部分に必要なときだけ予定やメモを書き込んでいます。

 手帳は要らなくなったけど、その代わり、卓上カレンダーが必須になりました。PCのわきに置いて、納期とにらめっこするのです。昨年は、映画『ネヴァーランド』の前売り券を買ったときの特典についてきたカレンダーで、そのキャッチフレーズどおり「12ヵ月間ジョニーといっしょ!!」だったわけですが、今年はいたってシンプルな第一生命のおまけ。。。いや、使いやすくてよかったです。実用的なのがいちばんです。

 手帳を買わなくなったころと時を同じくして、日記をつけるようになりました。日記といっても、その日の想いをつれづれに綴る……などということはしておりません。リーマン生活のころと打って変わって世間との接触がほとんどなくなり、へたすると曜日の感覚さえなくなって、日々がのんべんだらりと過ぎていってしまうので、いちおうその日にしたことぐらいは記録しておくかと思ったにすぎません。したがって、「〜という本の〜章の〜頁から〜頁まで訳した」とか「〜へ行った」とか、一行か二行しか書くことないので、ふつうの日記帳では余白がありあまってしまうため、三年日記というのをつけてみることにしました。これが自分でも意外なことにきちんと続いたので、その後、五年日記に昇格(?)しました。三年日記でも書くスペースが多すぎたので、五年日記はちょうどいいです。この日記帳もいよいよ今年で終わるので、来年は買い換えなければなりません。

 これです。今年は五年目なので、日々、最下段を埋めているわけですが、上段に書かれている内容と、翻訳中の本のタイトルが違うだけであとはほとんど変わりがないことに、ふと愕然としたりもいたします。ときには本当に何もしない日が続くこともあり、その場合はたった数行さえ埋められずに真っ白になってしまうため、それらの無為に過ごした日々の証拠をあとで見返して後悔や自責の念に駆られたりもいたします。また、このノートには「長期計画の立案」ページもついているので、たまに思いついたように立案してみたりもするのですが、計画通りにいったためしがなく、どうやら私には無用の長物のようです。しかし、無計画な日々が粛々と過ぎていけるのは幸せなことかもしれませんね。また五年一日となりますように。

 来年もよろしくお願いいたします。
(しおばら みちお)