明けましておめでとうございます。


皆さんにとって、今年がよい年になりますように。
私の昨年は体調不良で散々でしたが、何とか誕生日を過ぎ、今年は70の大台にさしかかります。
父親が69歳であの世とやらへ移住したことを思うと、私にとって今年は未知の領域に挑むような気分です。
ともあれ、本年もよろしくお願い致します。

2004年元旦
鈴木主税





ひまじんのよたばなし
閑 人 妄 語

鈴木主税(2004.3.1更新)


『リスト:ピアノ作品集』3枚組
(POCG-3448/50)
  リストのピアノ音楽

 このところ視力の低下がいちじるしい。自分でも気になって調べてみたところ、どうやら加齢の影響で白内障がかなり進んでいるらしい。いずれ徹底的に治療しなければなるまいと思うけれど、つい仕事に気を取られ、片目をこらして拡大鏡をのぞく毎日である。

 仕事のあとの楽しみは、これまでたいてい好きな本を読むことだったが、使えるほうの目を酷使して日中を過ごしているせいか、夜はもっぱら音楽を聴いて無聊を慰める毎日がつづいている。しかし、これもいい機会だと思って、いままであまり熱心に聴こうとしなかった作曲家の音楽に耳を傾けることにした。たとえば、フランツ・リストやヤン・シベリウスの音楽である。どちらも通俗的な名曲の作曲者として、クラシック音楽に関心のない人でもメロディーに覚えがあるはずだ。リストなら「ハンガリー狂詩曲第2番」、シベリウスなら『交響曲第2番」はよく演奏され、いずれもポピュラ−・コンサートの定番だ。

 ここで取り上げたいのはシベリウスではなく、リストのほう。ハンガリー人を父としドイツ人の母とのあいだに生まれたリストは、19世紀最大のピアニストとして知られ、前半生はヨーロッパ各地への演奏旅行をして過ごした。ちなみに、リストが師事した先生は、ピアノがチェルニー(ピアノを習った人にはお馴染みの作曲家ですね)、作曲があのサリエリだった(映画『アマデウス』をご覧になっていれば、サリエリがどういう人か、きっと覚えているでしょう)。

 リストは womanizer (要するにプレイボーイ)として知られ、ごく若いときに同棲していたダグー伯爵夫人とのあいだに生まれた娘のコジマは(前夫の指揮者ハンス・フォン・ビューローのもとを出奔して)リヒャルト・ワーグナーの夫人になった女性である。つまり、リストはワーグナーの義父にあたるわけだが、コジマさんも父リストの遺伝子を濃厚に受け継いでいたようですね。そういえばワーグナーも女性関係の派手なことではリストに引けを取らなかった。

 ところでリストの後半生を見ると、ピアニストではなく、作曲家としての活動が目立っている。作曲家としての大きな業績としては、交響詩というジャンルを創始したことだろう。「前奏曲」、「マゼッパ」、「オルフェウス」など多くの作品があるが、いまでは演奏会のレパートリーとしてあまり取り上げられないようだ。また交響曲として発表された「ファウスト」や「ダンテ」もどちらかと言えば交響詩に分類できる作品とも考えられる。その意味で、リストはのちに交響詩の傑作をいくつも書いたリヒャルト・シュトラウスの先駆として、音楽史に名を残していると言えなくもない。

『ファウスト交響曲』
(WPCS-10034)
 なんだか音楽史の概説みたいになってしまったが、リストの音楽をまとめて聴いて、私が何よりも興味をそそられたのは、同時代の作曲家の手になる世評の高い作品(特にオペラ)をピアノ用に編曲した仕事ですね。いちいち例をあげると枚挙に暇がないので控えるが、たとえば彼はワーグナーの主だった作品のほとんどをピアノ用に編曲している(ほかにも、ワーグナーと同年に生まれたイタリアの歌劇作曲家ヴェルディの主要なオペラを編曲しています)。

 リストはピアノのヴィルトゥオーゾ芸術の完成者とされるだけに、自作のピアノ音楽ではいわゆる超絶技巧が目立ち、聴いていてピアノの曲芸みたいな部分にうんざりさせられることもあるが、編曲の仕事ではワーグナーの大管弦楽やヴェルディの美しい旋律を再現するため、自分が身につけたピアノのあらゆる技巧を駆使して原曲をかなり忠実に表現することに成功している、と私は感じた。ある意味で、リストが編曲でやったことは、われわれの翻訳に似た努力だったと言ったら我田引水のそしりを免れないかもしれないが、私はいま、リストの音楽をまとめて聴いて本当によかったと思っている。
        

 このHPの世話役をつとめている野中さんに、クラシック音楽のことを書くならディスコグラフィ−をつけてはどうかと言われたが、演奏に関する私の評価に権威があるわけでもないし、世上に流布している音盤をことごとくあさったわけでもないから、遺漏があることは免れない。だから聴いてよかったと思うものだけを記すことにする。

 ピアノ音楽では、『リスト:ピアノ作品集』3枚組(POCG-3448/50)写真上がいいと思った。演奏はダニエル・バレンボイム。古い録音(1978-1982)だが、音質も悪くない。

 管弦楽作品では、『ファウスト交響曲』写真下これも指揮はバレンボイムで、オケはベルリン・フィル、合唱がベルリン国立歌劇場合唱団で、テノールのソロがプラシド・ドミンゴという錚々たる顔ぶれ。1998年のデジタル録音も悪くない(WPCS-10034)。ついでながらバレンボイムは最近、ピアニストであるよりも指揮者としての活動が目立ち、特にリヒャルト・ワーグナーの楽劇の指揮に定評があり、バイロイトでもよく起用されている。

 ほかに『ダンテの「神曲」による交響曲』がある。指揮はジュゼッペ・シノーポリでオケはドレスデン国立管弦楽団、女声合唱がドレスデン国立歌劇場女声合唱団。このCDには、イタリアの作曲家フェルッチョ・ブゾーニ(1866-1924)の『サラバンドとコルテージュ』が組み合わされている。(UCCG-3240)

 先に、ハンガリー狂詩曲第2番がリストの作品で最もポピュラーだと書いたからには、ハンガリー狂詩曲を落とすわけにもいかないだろう。ハンガリー狂詩曲は全部で19曲あるが、もともとピアノ独奏曲として書かれたもので、最も有名な第2番の管弦楽への編曲はリストと同時代にフルート奏者および指揮者として活躍し、『ハンガリー田園幻想曲』の作曲者として知られるドップラーが協力したとされている。ともあれ、リストのこの作品はすべてを聴く必要もあるまい。だから演奏の良し悪しではなく、お買い得のアルバムをあげておこう。『ハンガリー狂詩曲集』クルト・マズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏で、1番から6番までが収録されている。これはいわゆる廉価版で、録音は1984年だが、音質も聴くに耐えないほどひどいものではない。(UCCP-9026)

(すずき ちから)

フランツ・リストを紹介したウェブサイトはこちら





ひまじんのよたばなし
閑 人 妄 語

鈴木主税(2004.4)


沖縄のインテリ

 必要があって、沖縄で弁護士を雇うことになった。と言っても、別に刑事事件とかかわったわけではない。民事も民事、私の死後の個人的な問題を処理する法的文書を用意したいと思ったのが動機、つまり遺言状の作成である。
 幸い、私が仕事場にしている沖縄テレビの建物のなかに事務所をかまえている弁護士がいた。それで管理人に紹介の労をとってもらい、下のフロアの弁護士事務所を訪ねた。
 石川さんというその弁護士は沖縄の生まれだが、東京の大学で学んで戦後に帰郷し、弁護士事務所を開設したという。専門は corporate lawyer というから、沖縄でも大企業に数えられるゼネコンなど数社が入居しているこのマンションは、弁護士事務所の立地条件としては好都合な場所のようである。
 初対面の挨拶がすんで、当方の依頼を快く引き受けてもらい、必要な相談がすんでから、話は私的な事柄を含む雑談になった。名刺代わりに持参した私の著書(『職業としての翻訳』)のページをパラパラめくりながら、石川弁護士は週に一度、数人の仲間が集まって、原書購読の勉強会を開いているのだと言った。
 メンバーは同業の弁護士や琉球大学法科の卒業生で司法試験を目指している人たち、それに弁護士の仕事と深いかかわりがある何人かの公証人だという。もっとも勉強会とは名ばかりで飲み会になってしまうことも多い、と彼は苦笑いしながら白状したものだ。
 石川さんは白髪まじりで私と同年配に見えたが、あるいは一○年くらい若いのかもしれない。それにしても偉いものだ、初老の身で、多忙な業務の合間に外国語の勉強をするなんて、なかなかできることではない。これまで、私が沖縄で知りあったのは、飲み屋で顔見知りになった人ばかりだったから、このたびの出会いは私にとって非常に新鮮だった。石川さんの話しぶりは穏やかで、言葉も丁寧だったし、「なんでかねー」とか「だっからよー」というようなウチナーンチュの決まり文句は決して口にしない。
 初対面は一時間足らずで終わった。帰りがけに、石川弁護士はこう言った。「よかったら、こんど私どもの勉強会にお出でいただいて、いろいろ教えてもらえたら有難いけれど、いかがですか」。単なる外交辞令かもしれないが、私は彼から誘いの声がかかるのを楽しみにしている。

(すずき ちから)






ひまじんのよたばなし
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鈴木主税(2004.5.1更新)


(イタリア民謡集は、たぶんこれ)
私がよく聴く音楽--1

 前回、沖縄で弁護士を雇う話を書いた。石川弁護士とはその後も何度かお目にかかっているが、まだ勉強会へのお誘いはない。つい先だってお会いしたとき、石川さんからこう聞かれた。「鈴木さんは音楽を勉強したようですが、よく聴くのはどんな曲ですか」と。

 「無人島へ行くことになって、一冊だけ本をもっていくとしたら、どの一冊を選びますか」というようなアンケートが有名人を対象として発せられ、それが雑誌の記事になったり、一冊の本になったりする。上記の石川さんの質問もそれとよく似ている。彼も音楽が好きらしく、考えごとをするときなどによく音楽を流しているという。

 しかし、咄嗟のことで私は口ごもってしまい、はかばかしい答えができなかった。それで、今回は私がよく聴くアルバムを紹介したい。石川さんへの答えにもなると思うので。

 ただ、前々回に音楽のことを書くときはディスコグラフィーをつけるようにしたいと書いたが、私はCDを買うとすぐテープやパソコンにダビングしてしまい、もとの音盤のほうは積み重ねてあるCDの山のなかに放り込んでしまうので探すのに苦労する、というか探すのは不可能に近い。それで今回はディスコグラフィーを割愛したい。興味をもたれたら、ご自分で名曲案内のような本にあたってほしい。

 音楽は、疲れたり落ち込んでいたりするときに聴くことが多い。そういうときは何と言っても底抜けに明るい歌声を聴くことにまさる妙薬はない。私が、聴くたびにいつも元気を回復するのは、男声の高い声、それも耳にして生理的な快感すら感じられるテノールの歌声である。テノールの名産地といえば、まずはイタリア。そして20世紀のイタリアを代表するテノールと言えば、ルチアーノ・パヴァロッティの右にでる者はない。パヴァロッティはオペラ歌手だが、南欧の明るい空を思わせる彼の美声は、技巧を凝らしたオペラのアリアよりも素朴なイタリア民謡のほうが似つかわしい。そう、私が疲れたときなどに元気をもらうのは、パヴァロッティの歌う「イタリア民謡集」である。私がパソコンにインストールしているアルバムには、パヴァロッティのイタリア民謡集としか付記されていないので、どこのレコード会社が発売し、オーケストラがどういう団体で、バック・コーラスを歌っているグループがどういうものか、まったく不明である。曲目は「オーソレミオ」や「遥かなるサンタルチア」など誰でも知っている名品が十数曲収録されており、パヴァロッティは「キング・オブ・ハイC」の異名に違わず、いかにも気持ちよさそうに透き通った高音を響かせている。

 器楽曲で、こんなときによく聴くのはベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第5番の「春」。このアルバムはずいぶん古いもので、かつてLPで買って、長いこと聴いていただけに愛着がある。その後CD化されたことを知り、新たに購入したものだ。演奏はヴォルフガング・シュナイダーハンで、1950年代から60年代にかけて活躍したウィーン生まれのヴァイオリニスト。録音は1959年だから、シュナイダーハンの円熟期である。なおこのCDでは同じベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第9番(「クロイツェル」)が組み合わされている。

 音楽は、疲れたり落ちこんだりしたときにじっくり耳を傾けることが多い。仕事をしているときにも音楽をかけているが、そんなときは妙なる楽音が流れていても、それは耳の脇を通過しているのが実態だ。本当のところ聴いてはいないのである。しかし、こんな調子で書いていると際限がなくなりそうなので、あとは私がダビングしているなかからよく聴くアルバムの演奏者だけを列記することにしよう。

 1 マーラー作曲交響曲第1番(ゲオルク・ショルティ指揮、ロンドン交響楽団)
 2 モーツァルト作曲ピアノ協奏曲第26番ニ長調『戴冠式』(独奏と指揮がウラジーミル・アシュケナージでオケはフィルハーモニア管弦楽団)
 3 カール・オルフ作曲『カルミナ・ブラーナ』(ズービン・メータ指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、ロンドン・フィルハーモニー合唱団にソプラノ独唱がスミ・ジョー、カウンターテノール独唱がヨッヘン・コワルスキー、バリトン独唱がボイエ・スコウフース)
 4 ベートーヴェン作曲交響曲第7番と8番(サイモン・ラトル指揮ウィーンフィルハーモニー管弦楽団)など。

(すずき ちから)






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閑 人 妄 語

鈴木主税(2004.6.1更新)


『ゴルトベルク変奏曲』
私がよく聴く音楽--2

 ふだん私はパソコンにCDの音楽をインストールするか、DATのテープにダビングして音楽を聴いている。ほかにソニーの「ネットワーク・ウォークマン」という小さい(縦横5センチくらいで厚みが1センチほど、重さは20グラムくらい)機械にパソコンにインストールした音源から音楽を移して持ち歩けるようにしている。こちらは東京と沖縄のあいだを移動するときや旅行中に好きな音楽を聴くためだ。前にはMDのウォークマンを愛用していたが、ダビングしたMDの音源を何枚も持ち歩くのが煩わしくなって、その後に発売されたネットワーク・ウォークマンに切り替えたのである。

 この機械は小さいボディに256MBのメモリーを内臓(512MBのメモリーを内蔵している機種もある)しており、256MBの内臓メモリーだけでCD4枚をインストールできる。さらに小型のメモリースティックを装着できるようになっていて、こちらは125MBのものが売られているので、内臓メモリーと合わせて、ざっとCD6枚分の音楽が収録できる。小さいイヤホーンを耳につけて聴くわけだが、音漏れはないし、音質もMDとくらべてまったく遜色がない。

 私のパソコンにはざっと一千枚のCDをインストールしてあり、CDからダビングしたDATのテープもほぼ同数あるが、ネットワーク・ウォークマンにどんなCDを録音するかが、旅行の前などの嬉しい悩みの種である。

 このネットワーク・ウォークマンの内臓メモリー部分にインストールしてある4枚のCDはおおむね変化がない。つまり私がいつ聴いても楽しめる音楽が入っているわけだ。変化をつけるには、メモリースティックの収録曲をそのときの気分しだいで変えればいい。いま125MBのメモリースティックを5枚用意して、私は常時持ち歩いている。

 それでは、ウォークマンの内臓メモリーに入れてあるCDの内容を紹介しよう。

 1 ベートーヴェン作曲『7重奏曲』変ホ長調、弦楽四重奏にクラリネット、ホルン、ファゴット各1が加わるという編成で、このアルバムには同じくベートーヴェンの『6重奏曲』変ホ長調(こちらは弦楽4重奏にホルン2本が加わるという編成)が組み合わされていて、演奏団体はウィーン室内合奏団となっている。かつてウィーンに留学していた友人の音楽家に聞いたところ、ウィーン・フィルの楽員のアルバイトだろうという。録音の話があると、ウィーン・フィルの楽員で手の空いている者が臨時のグループを結成して録音するということだ。このアルバムもそういうにわか編成のグループが演奏しているものらしいが、とても伸びやかな気分が横溢し、いつ聴いても楽しめる。

 2 バッハ作曲『ゴルトベルク変奏曲』BWV988 グレン・グールド(ピアノ)

 3 バルトーク作曲『弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽』、『管弦楽のための協奏曲』ジェームズ・レヴァイン指揮 シカゴ交響楽団。

 4 R・シュトラウス 交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』作品30、『ドン・ファン』作品20 ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 ドレスデン・シュターツカペレ。

(すずき ちから)






ひまじんのよたばなし
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鈴木主税(2004.7.1更新)

なぜ食生活にこだわるのか@

 先月だったと思うが、江崎さんが玄米を食べる話を書いていた。それを読んでいて「わが意を得たり」と感じたことである。何を隠そう(別に隠すつもりもないのだが)、私はしばらく前から玄米を常食するようになっている。もっとも普通の玄米ではなく、「発芽玄米」という加工食品(これは米屋で売っているもの)です。発芽玄米の特徴は、これまで使っていた炊飯器で普通に炊けること、それに味がいいこと、消化しにくいという玄米の欠点を免れていることなどである。(私は普通の米と同量の発芽玄米を混ぜて炊いている)。栄養価は、いわゆる玄米とくらべて遜色がない。さらに、これに発酵カルシウムという顆粒状のものをごく少量加えて炊くことにしている。カルシウムは、ビタミン類とともにサプリメントとして多くの製品が発売されているが、カルシウムの普通の錠剤は人体に吸収しにくいという問題があるらしい。しかし、発酵させると吸収しやすくなるそうだ。発芽玄米に混ぜて炊く普通の米は、コシヒカリのような銘柄米である必要がないことも、利点といえば利点だろう。

 サプリメントと書いたが、玄米食に切り替えると同時に、私は積極的にサプリメントを常用するようにもなった。主に服用するサプリメントとしては、「コエンザイム(補酵素)Q10」というものがある。補酵素というのはエネルギー生成に欠かせないが、もともと体内でつくられる。しかし、加齢によって体内で合成されにくくなるという。これが不足するとエネルギーの生成力が弱まって肌の老化や免疫力の低下などの症状がでてくるらしい。つまりエネルギー代謝がうまくいかなくなるわけだ。補酵素には、さらに抗酸化力(多くの難病の原因となる活性酸素の悪影響を防ぐ)、免疫機能の強化、心臓機能の維持にも役立つ。これを摂取しつづけると心肺機能が向上し、筋肉の修復がスムーズに行なわれるという利点もあるらしい。そのためにスポーツマンが好んで摂取しているという。コエンザイムはもともと鬱血性心疾患などの治療薬として使われていたが、わが国では2001年4月の食薬区分改正によって、サプリメントとして製造・販売ができるようになった。コエンザイムQ10(「ビタミンQ」とも言われる)は、牛肉や豚肉、レバー、青背の魚(鰹や鰯や鯖など)に比較的多く含まれているが、食物だけで必要量を補給するのは難しい。

 サプリメントとしてさらに好ましいのは、コエンザイムは過度に摂取してもまったく副作用がないという点だ。
 食物だけで補給するのは難しいと書いたが、サプリメントを使うポイントとしては、食物によって摂取しにくいものを補うという考え方だろう。
 だから私は、玄米食とともに、黄緑色野菜を積極的に食べるようになった。従来は酒の味を引き立たたせる食品にしか目が向かなかった私にとって、これは革命にも等しい変化だ。
 つまり、これまであまり食べようとしなかった人参や南瓜をスープやサラダにして食べる習慣を、意識的に身につけることにしたのだ。南瓜などは、第二次大戦後の食糧難時代によくわが家の食卓に供せられたので、自分の一生の割り当て分はもう食べてしまったなどと嘯いていたのだが。もっとも、青い野菜のブロッコリーやホウレン草などは好物なので、口にするのにまったく抵抗がなかったけれど。

 コエンザイムとともに私が常用しているサプリメントは、グルコサミンという栄養素で、これは蟹や海老のような甲殻類の外皮を形成するキチン質やヤマノイモなどのネバネバ成分であるムコ多糖類が多く含まれているアミノ糖の一種。関節の酷使や代謝の低下、運動不足などによって軟骨の再生不良が起こると、腰痛や膝の痛みが生じ、さらに悪化すると関節炎や変形性関節症になる恐れがある。要するにこれは、われわれがいつも悩まされている腰痛を緩和するのに役立つというものだ。といっても、グルコサミンは食物から摂取するわけにはいかない。何しろ、われわれには甲殻類の外皮を食べる習慣がないからだ。

 しかし、私が服用しはじめた経験からすると、初めは確かに利くように思えた(サプリメントは医薬品ではないから、疾病を治癒することは期待しえないが、たとえば痛みを和らげることはできる)が、服用しつづけるにしたがって効果が低減し、痛みを和らげるために服用量を増やさなければならなかった。それと、サプリメントのもう一つの大きな問題は、たとえばコエンザイムという同じ名称で多くのメーカーが商品を発売していることだ。値段も成分もまちまち。だから効果的に使うには、サプリメントを充分に研究しておく必要があり、自分の症状やニーズに合ったものを選ぶことだ。それで私は、「グルコサミン」をやめて「鮫の軟骨」に切り替えた。
 鮫の軟骨というと、中華料理の高級食材としてよく知られる「フカの鰭」もその一種だ。だからといって、毎食「ふか鰭」を食べようと思っても、懐が許してはくれない。こうなるとサプリメントに頼るしかないわけだ。

 鮫の軟骨に多く含まれている成分に、ムコ多糖類のコンドロイチンがある。つまりグルコサミンと同じ成分である。コンドロイチンは身体の細胞間の結合組織にあって水分の調節をしている。これは美容に関連してよく知られるようになったコラーゲン(繊維状のタンパク質)と結びついて、肌の弾力やみずみずしさを保つのに役立つ。鮫の軟骨にはコラーゲンも含まれているので、それにより結合組織を強化し、そのために骨が丈夫になり、腰痛やリウマチの痛みを緩和する効用があるということだ。
 さらに、コンドロイチンは他の成分(たとえばタンパク質など)と協力しあってガンの新生血管の形成を抑える効果があるとされている。つまり、ガン細胞の増殖や転移を防ぐ効用があるということらしい。

 しかしサプリメントの話はこの辺で打ち切ることにしよう。これまで書いたことはすべて本によって得た知識であり、調子に乗って書くとボロがでる。

 それから、緑黄色野菜以外に私が常用している食材としては黒豆がある。黒豆はお正月のおせち料理として欠かせないものだが、その栄養価には瞠目すべきものがあるとされ、正月料理だけに限定してはもったいない。私は黒豆茶をつくるほか、沖縄料理の「くーぶいりちー(昆布の炒め煮)」に黒豆を加えたり、お茶を煮出したあとの黒豆をフードプロセッサーにかけて、それをハンバーグに加えたりしている。お茶はいまや緑茶や烏龍茶に代えて黒豆茶を常用しているほどだ。

 しかし、あまり長くなったのでこのあたりでやめるが、私がなぜ食生活をドラスティックに改善しようと思い立ったのか、その理由を次回に書くことにしよう。

(すずき ちから)




ひまじんのよたばなし
閑 人 妄 語

鈴木主税(2004.8.1更新)


 なぜ食生活にこだわるのかA

 昨年の春から健康状態の悪化に苦しめられてきた。いわく腰痛、視力の低下、リウマチなど、われわれの仕事にはたいへん不都合な症状だ。もちろん、加齢の影響が大きい。そのため、必然的に医家の門を叩く機会が多くなった。昔と違って、このごろは地域社会の住民を対象として開業している医院がひどく少なくなっている。そんなわけで、猫も杓子も大学医学部付属の総合病院を訪れて治療を求めるようになっている。

 その結果は、誰しもご存知のとおり。たかだか一〇分くらいの診察を受けるのに、三時間も四時間も待たされることになっている。私の場合、最長記録は午前九時に受け付けてもらって、診察が終わったのは午後二時ということがあった。実際に診察してもらった時間は、伸べ二〇分くらいでしかない。しかも、その病院は完全予約制を謳い文句にしていたところだったのである。

 こういう状況は、誰しもおかしいと感じているのだろうが、病院側はその事態に手を打つ気配がない。つまり極言すれば、日本の現在の医療は、患者を治療するのではなく、医療機関の利益追求ないし駆け出し医師が経験を積む場としてしか機能していないのだ。患者が地域社会の小さい医院よりも設備のととのった総合病院を好むのは自然なことだろう。だから混みあう大病院に通う患者たちも、おのずと長い待ち時間を自分たちなりに何とかしようとして頭をしぼる。私が見聞した例では、顔見知りになった患者がグループをつくり、輪番制で一人が受付時間前に病院へ行き、仲間の診察券をまとめて受付に提出するということががあった。どういうわけか、大病院の受付は実際の診療開始よりもかなり早い時間に設定されている(私が通ったある病院では、受付開始が八時十五分、診察開始が九時になっていた)。患者グループの受付当番でない人は、医師が出勤して診察が開始される時間になってから、おもむろに待合室に姿をあらわすのである。私は診察開始が九時だと聞いていたから、九時に手続きをしたため、診察を受けられるのはいつも昼に近い時刻だった。

 こういう状態を見て、ふと感じたものだ。日本の大病院は、他のサービス産業、たとえば日本旅館の接客態度とまったく同じように患者を処遇しているということだ。日本旅館の慣行、たとえば顧客を自分たちの都合に合わせて処遇すること(食事の時間一つをとっても、客は先方、つまり旅館ないし従業員の都合に合わせなければならない。その食事にしても、客はいっさい選択が許されない。食べたくもないものをこれでもかとばかりに運んでくるのだ。私は、旅行の計画を立てていて、どうしても日本旅館に泊まらざるをえないときには、弁当箱を持参することにした。食べきれない食物をそこに詰めて、冬季なら明日の弁当にするか、あるいはナイトキャップのつまみにするためである。)そういうことについては多くの指摘がなされ、問題にされてきもした。ところが、人の生命をあずかる病院という施設でも、日本旅館というサービス機関と同じ態度で患者を扱っているらしいのだ。予約制をきちんと実施するのは、どれほど難しいことなのだろうか。私にはまったく理解できない。

 しかし、こういうことは絶対に許せないわけではないとも思う。目が不自由なものだから本を読むわけにいかない。イヤホーンを耳につけて音楽を聴いて無為の待ち時間を過ごすこともできない。耳がふさがっていたら呼ばれてもわからないからだ。どちらも、私にとっては辛いことだが、決して我慢できないことではないと思いもする。

 私が何よりも許せないと思ったのは、医師がこちらの言うことを理解しない(理解できない)ことだった。どういうことなのか、私の経験を述べて説明しよう。

 私は加齢によって白内障が進行し、逆光ではものの輪郭を定かに見分けられなくなった。あまつさえ、左右の視力がひどくアンバランスなために、文字を読むとき、視力の弱い片方の目をつぶって、いくらかましなもう一方の目だけで判読する習慣がついて現在にいたっている。いまもその状態で、パソコンのディスプレーを見ているわけだ。ディスプレーならまだしも、白い紙に文字が印刷されている場合、たとえば校正紙がそうなのだが、白い紙にスタンドの光が反射して文字を読むどころではなくなる。これではどうにもならないので、とにかく眼科医と相談して、何らかの対策を講じてもらおうと思った。それで、知人(たまたま医師の息子だった)に相談したところ、目を何とかする前に、本体のほうに問題がないかどうかを確認しておいたほうがよかろうと言われた。それにも一理あると思い、彼の指示にしたがって人間ドックで検査を受けることにした。親切な知人で、私の東京の住まいに近い代々木の総合病院のドックを見つけてくれた。私は、渡りに船とばかり、よかったら、そこで眼科の手術を受けようかとさえ考えたものだ。

 ところが、その期待は裏切られた。人間ドックには、これまでに一度入った経験があって、およその様子はわかっていたから、何も心配してはいなかった。ところが、その某大学医学部付属病院の人間ドックのありようは以前の経験とはことごとく違っていた。たとえば、採血がひどく不手際で、私の腕は左右どちらも内出血して紫色になり、それが二日ほど消えなかった。また人間ドックでは、自分が自覚している何らかの問題を担当の医師に相談する機会がつくられる(つまり問診が行なわれる)はずなのだが、そこでの問診はまったくおざなりで、後日、検査の結果を送りつけてくるだけだった。それで問題があれば、改めて精密検査の申し込みをし、問題を解決するための処置をすることになっているという。

 だが、なかでも最悪だったのは、こちらがお目当てにしていた眼科医だった。視力検査で左右の視力がひどくアンバランスなことがわかり、眼底を見るために瞳孔を広げる薬剤が注入された。眼底の検査は、前に通った、ひどく混みあう病院でも受けていたので、どういうことかは知っていた。しかし、ドックというのは次から次へと検査が行なわれるので、瞳孔を開くまでに前の病院では三○分間ほど待機していたのだが、このときはただちに眼底を見るため、すぐに瞳孔が開く強い薬が使われたらしい(このことは、あとで中野の町医者に教えられてわかった)。それで、すぐに眼底を調べてもらい、右目の視力を司る黄斑部に傷があることが分かった。それで、視力のさほど落ちていない左目(白内障はこちらのほうが進んでいるらしかった)よりも先に右目を手術して、左右の視力のバランスをとるという方針まで決まったのである。そこまではよかった。問題はこのあとで起こった。

 人間ドックの検査が終わったのは、午後二時ごろだった。私は眼底検査の結果たるひどいハレーションに悩まされ、検査から解放されても、すぐには外にでられない状態だった。それで、モノの輪郭が視認できるようになるまで一時間ほど横になって過ごし、夕刻になってから帰宅した。その夜は、疲れていたせいか、食事もせずに眠ってしまった。

 翌日、起きたのはいつものように午前六時ごろだったと思う。だが、いつもと様子が違っていた。ひっきりなしに涙がでて、止め処がないのだ。そういえば、寝ていて目がひどく痒く、夜半に何度も起きて洗顔したことを思い出した。おかげで私の目はウサギのように真っ赤になっていた。あまり食欲もないので、トマトジュースを飲んで朝食代わりとし、昨日検査を受けた病院の眼科医が診療を始める九時を待った。九時までに何度、洗面所で目を洗ったことか。それでも涙が止まる気配はなかった。九時過ぎになって、やっと電話に医師がでた。以下は、そのときの問答である。

 「昨日、人間ドックで検査を受けた者です。昨日の眼底検査で瞳孔を広げる処置をされましたが、検査が終わって帰宅したあと、涙が止め処なしに流れて、止まる気配がありません。就寝中もその状態は変わらず、今朝になってもまだ涙は止まりません」と私は言った。しかし、医師は何も言わず、ずっと無言のままだった。たまりかねて、私はつづけた。
 「それで、どうしたらいいか、お聞きしたいと思って電話したしだいですが。何か、適当な薬かなんか、あったらお教え願いたいのですが」
 そう言うと、相手はやっと口を開いた。
 「そういうことは電車の吊革につかまった結果としても起こるんです」
 「でも先生、私が伺っているのは、涙が止まらないので困っているのだけれど、それをどうしたらいいかということです。電車の吊革のせいで、こうなったと言われておられるようですが、原因の詮索はともかく、私としては、どうしたらこの状態を緩和できるかです。いったいどうしたら、この涙は止まるんですか」
 相手はまたしてもしばし沈黙し、やっとこう言った。
 「おいでになれば、診てあげましょう」
 「冗談じゃない。こんな状態で電車になど乗れませんよ」
 「でも先ほど言ったように、それは電車の吊革によっても感染して起こることなのです」
 「先生は私の問いに答えておりません。私はこの状態をどうしたらいいか伺っているんです。感染が原因だということなど、どうでもいいんです。いったい、どうしたらいいんですか」
 また相手は沈黙したままだった。業を煮やして、私は電話を切った。

 しかし放置しておくわけにもいかないので、電柱に広告があった近所の眼科医に電話し、診察してもらうことにした。その眼科医院は文字通りの町医者で、ものもらいの患者などが主な利用者のようだった。

 幸い待合室には先客が一組(小学生らしい子供とその母親とおぼしい女性)だけしかいず、私はすぐに呼ばれて診察室に入った。眼科医は四十代半ばくらいの男性で、私の説明を聞くなり、目を調べるまでもなく、こう言った。「わかりました。アレルギーのせいですね。その先生は薬剤を注入する前に、アレルギーに関して注意しなかったんですか」

 もちろん、そんな注意は受けなかった。そう答えると、その医師はすぐに二種類の目薬を処方してくれ、その使用法を説明したうえで私を解放した。帰途、近くの薬局で薬を調合してもらい、私はやっとその災難から逃れられたのである。

 思うに、人間ドックで眼科を担当した医師は、患者からクレームをつけられたと錯覚し、自分の処置に落ち度がないことを説明したい一心だったのかもしれない。それにしても、私は別にわかりにくい日本語で話したわけではない。患者の訴えを理解しようともせずに(あるいは理解できぬまま)、彼は自分の誤った思い込みにとらわれて救いを求めている相手の窮状を察することもできなかったのだろう。

 近所の眼科医が処方した目薬のおかげかどうか、涙が止まってほっとすると同時に、私は前に見るともなく見たテレビの番組を思い出した。それは、東北地方のある大学の医学部で、医師のタマゴたちに患者とどう応対するかを教える講座が設けられ、その授業ぶりを紹介する内容のものだった。そのときは、〈そんなことまで教えられなければならないのか〉と思っただけだったが、満足に人と接することができない医師に自分がぶつかってひどい目にあうという経験をしたおかげで、こういう問題がテレビのトピックになるほど深刻になっていることを初めて察したのである。

 こうなると、病気にかかっても無闇に医家の門を叩くわけにいかなくなる。医師が患者の状態を正確に把握して、適切に対応しているかどうか、われわれには知りようがないからだ。さらに医学を学んだある友人が「医療訴訟に患者が勝つことはまず困難だ」と言っていたことを思い出しもした。

 とにかく、私はこのときの経験から医者にかかる前におのれの体調を自分でととのえることが何としても必要だと肝に銘じるにいたった。そのことは、特に自分の本体について言える。目や歯などの問題は自力でどうにかできることではない。こればかりは、信頼できる専門医に処置を委ねるしか手がないのである。

 前に、地域社会で近隣の住民の治療にあたる町医者がいなくなり、誰もが大学医学部付属の総合病院を訪れるようになったと書いたが、私の目の問題は、幸か不幸かちょっとしたアクシデントのおかげで、近所で営業している町医者を訪れたことから、その医師の紹介で地元の総合病院で手術が受けられることになった。昔は、どんな病気もこういう経路で病気の治療を受けたものだとの思いを深くしたことである。

 私が自分の「食生活にこだわる」ようになった顛末は、以上のとおりだ。もっとも、これは私だけの問題であり、皆さんにこうしてはどうかなどと勧めるつもりは毛頭ない。すべての医師がそうではないだろうが、エイリアンのように日本語を理解できない医師に自分の生命を託すくらいなら、自分の健康はできるだけ自力で守り、それでうまくいかなければ仕方がない、というのが私のいまの心境である。

(すずき ちから)






ひまじんのよたばなし
閑 人 妄 語

鈴木主税(2004.9.1更新)


禁煙とオリンピック

 マークトウェイン曰く、「禁煙なんてやさしいことだよ。私なんぞこれまで何度禁煙したかわからないくらいだ」。皮肉屋のトウェインはそうおっしゃるが、本当に禁煙するのが難しいことは皆さんご存知のとおりである。

 かつて私は、かなりのヘビースモーカーだった。毎日、両切りの缶ピースをそっくり煙にしていたほどだ。いつも煙草を買う店の親父が「味は飛び切り、ニコチンもたっぷり」と言いながら商品を渡してくれたものである。それが何のきっかけでか、きっぱりと煙を吐き出さなくなったのだ。

 そのときの禁煙の動機が何だったかは忘れたが、おかげで禁煙できるかできないかの賭けをした友人に勝って、まんまと中華料理を奢らせたものだ。そのときの禁煙は一年くらいでやめてしまった。私は少し後ろめたく思ったのか、心のなかで自分にこう言い聞かせた。「せっかく楽しんでいたのに、数少ないこの世の楽しみを自ら放棄するのはばからしいではないか」と。それに、仕事で行き詰まってあれこれ思い惑うとき、煙草がこのうえない助けになってくれるという錯覚もあった。「この仕事をしているかぎり、煙草とは縁が切れまい」という思いもあった。ともあれ、このときの経験で禁煙するコツのようなものが会得できたようにも思う。

 今年になって、私はまたしても禁煙せざるをえない事情に追いこまれた。ちょっとした手術を受けることになり、短期間入院することになったのだ。それで早速、身に覚えのある禁煙のコツを応用してみることにした。

 まずは、いきなり全面的に禁煙するのではなく、喫う本数を徐々に減らすことから始めた。このときは一日に二○本くらい喫っていたのを、最初の一週間は喫煙本数を半分に減らし、翌週は七本に、さらに次の週は五本というふうに徐々に減らしていったのである。それとともに、喫煙する時間と場所を決めて、それを厳守することにした。たとえば、寝覚めの一服とか食後の一服はやめ、煙草はコーヒーを飲みに行ったときに一本だけ許すというふうにした。さらに、酒を飲むときには何があっても喫煙しないことにもした。一日に五本ですむようになると、あとは順調だった。喫茶店へコーヒーを飲みに行くときにも、わざと煙草を持参しないようにして、自分で決めた許容本数をさらに減らしたのだ。

 今回の禁煙では、毎月沖縄へ行く生活習慣が大いに役立ったことも付言しておこう。飛行機の国内便はいまや全面的に禁煙になっている。東京から沖縄までは二時間半くらいだが、空港までの交通機関と空港での待ち合わせ時間を含めるとほぼ半日くらい煙草を喫うわけにいかない。空港にも喫煙所はあるが、狭い囲いの中でそそくさと煙を吸い込むのがなんとも惨めったらしくて、そんなところを利用する気にはなれなかった。

 こうして節煙しはじめてから入院予定の7月下旬までには、すっかり煙草と縁を切っていた。手術は無事にすみ、8月の初めから自宅で予後を養うことになった。おりしも、ギリシャのアテネでオリンピックが開催されていて、その模様が連日、テレビで放映されている。目が疲れるので長時間の読書はなるべく避けるようにと主治医に注意されていたので、本よりも漫然とテレビを眺めながら過ごす毎日がつづいた。

 そんなある日、親しい友人が見舞いかたがた、私の様子を見にきた。手術とその後の状況などを話しながら二時間ほどおしゃべりしただろうか。その友人はヘビースモーカーではないが、嗜む程度には煙草を喫う男だった。それで私は、お茶だけでなく、片付けてしまった灰皿を取りだして遠来の友をもてなすことになった。やがて友人が帰ったが、ふと気がつくと彼は持参していた煙草を忘れていた。私が入院前に喫っていた銘柄ではなく、「マルボロ」というアメリカ煙草だった。私は友人が忘れていった煙草(5本くらい残っていた)をゴミ箱に棄てた。それで、いつものようにテレビのスイッチを入れてオリンピックを観戦することにした。

 しばらく退屈なバレーの試合をぼんやり観ていたが、なんと先ほど棄てた友人の煙草が気になって仕方がなかったのである。それを取り出して、喫おうかどうか、しばらく迷ったが、思い切って一本を口にくわえ、やはり友人が忘れていった百円ライターを点火した。記憶よりも頼りない味がした。しかし、まぎれもない煙草の煙であることは確かだった。

 それで、せっかくの禁煙がご破算になったわけではないが、いま私は考えている。どうせ、これから何年も生きつづけられるわけではない。酒もいまは禁じられているが、こちらはお許しが出しだい元通りに復活させるつもりでいる。煙草にしても、TPOを厳守し、自分の管理下におけば嗜んでもいいではないか、と。

 このたびの経験でわかったことが一つある。煙草も酒も、passive な時間を持て余したときについ手を出したくなるものだということだ。観たくもないオリンピックゲームを漫然と観ている無聊の時間が、なんとも耐え難くなって、つい煙草に手が出るのではないか。酒については、どうにか自分なりに節度を決めて享受しているのだが、煙草については(禁煙するとき以外)、そういうことを自覚していなかった。だから仕事にことよせて、自分にとって必須のものだと錯覚していただけなのだろう。酒も煙草もドラッグであることは間違いない。だとしたら、酒や煙草に引きずられるのではなく、自分でルールを決め、意思強固に、しっかりと管理すればいいのではないか。

(すずき ちから)