今月のエッセイ 2019年10月
   

江崎リエ【はまって、はまって】……「20年近くをネット上で振り返ることができるのも、ホームページの良さ」

東郷えりか【コウモリ通信】……「万人受けはしなくても、私にしか書けないテーマを」

中埜有理【七月便り】……「さすがにすっぴんは耐えがたい(周囲が)」

野中邦子【ぐるぐるくん】……「エネルギーはひたすら『打倒安倍』に注ぐつもり」

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ぐるぐるくん

野中邦子(2091.10.09更新)


月といえばうさぎ、
阿佐ヶ谷うさぎやのウサギ饅頭
後ろにぼんやり見える体重計が圧力




 Phase(フェイズ)という英単語がある。くりかえし変化する動きの、ある特定の局面を示すもので、たとえば満ち欠けする月のある段階――三日月とか満月とか――を指すときに使われる。

 月の満ち欠けといえば、waneという単語も昔は知らなかった。on the waneで、「欠けていく」という意味になる。phase down は「段階的に縮小する」、phase outは「段階的に取り除く」、「徐々に削減する」という意味だ。

 いまの日本では、かつてのような右肩上がりの成長はとても望めない。地球規模で見ても、いまや大事なのはsustainablity(持続可能性)であって、ひたすら前進するという考え方には無理が生じている。

 人生もしかり、年齢を重ねるにつれて、成長よりも現状維持をはかり、規模を縮小し、欲望はほどほどに、他者への共感に重きをおくようになる。  

 若い頃は仕事に追われ、徹夜も辞さず、複数の仕事を並行してこなし、わからないことだらけなのに根拠のない自信をもって突き進んだ。はた迷惑なところもあったとは思う。ホームページなるものを作ってみたいと思いたち、それにはなんらかのコンテンツが必要だということで、友達や知り合いのみなさんにエッセイを書いてもらった。いま見ると、たぶんかなりダサくて時代遅れのレイアウトだとは思うが、デザインしたり、写真を選んだり、イラストを描いたりして(調子にのってイラスト展までやった)ホームページ作りは楽しかった。これまで長年のご愛読に感謝します。寄稿してくださった大勢の皆さんにもお礼を申しあげます。

 それにつけても思うのは、安倍政権の愚かさです。翻訳とは言葉を使う職業です。誤訳を避けるのは当然のこと、文章のこまかいニュアンス、著者の言わんとするところをできるかぎり正確に伝えようと努力します。読みやすく、衒いのない、率直な文章を心がけます。そんな翻訳者から見て、言葉の無神経な言い換え、自己保身のための捏造、空疎なイメージアップをはかる意図的な誤用には胸糞が悪くなるばかりです。

 移民を外国人材(こんな言葉はない!)といい、戦闘を武力衝突という。ヘリが墜落すれば不時着だとごまかし、共謀罪をテロ等準備罪という。公約違反を新しい判断とゴリ押しし、カジノを統合型リゾートと言い訳する。きわめつけは、武器や兵器を防衛装備品といいかえる。戦闘機や空母が「防衛」のためのものとは思えません。こうなったら、戦争に反対する人を「非国民」と言いだすのもすぐでしょう。

 人生のフェイズとしての終わりが近づいたいま、日本がこんな状態に陥るとは夢にも思わなかった。子供たちや若者のこの先のフェイズが戦争や放射能汚染や貧困であるとしたら、私たち大人は心安らかに死んでいくこともできない。会社を閉じたあとのエネルギーはひたすら「打倒安倍」に注ぐつもり……という決意表明とともにお別れします。

 どこかでまた会いましょう。See you again!

(のなか くにこ)







コウモリ通信

東郷えりか(2091.10.09更新)

その229

グーグル誕生記念ロゴのスクリーンショット

  数日前、いつものように朝、パソコンを立ちあげてインターネットを開くと、グーグルのロゴが、「'98 9 27」という日付入りの昔のブラウン管モニターのパソコンの絵になっていた。一目で意味がわかったのは、50代以降の世代だろうか。いまやこれなしには生活できないほどのインフラとなったグーグルの誕生記念ロゴだった。

 会社に入って初めて触ったパソコンも、起動するのに8インチ・フロッピーを何枚も出し入れしなければならない、こういう太ったCRTモニターのパソコンだった。私はインターネットが完全に普及する前の1995年末に退社したのだが、World Wide Webというものが今後は世の中を変えるのだと、ITに詳しい同僚たちからよく聞かされていたので、その後の大変化にもなんとか対応できたのだろう。

 1年ほど失業保険とアルバイトで凌ぎながら翻訳学校に通い、そこで出会った鈴木主税先生に弟子入りし、牧人舎の一員となった。このころ私がもっていたのは、会社員時代に買ったトラックボール付きのマックのノートパソコンで、ウィンドウズとのファイルの互換性が非常に悪かった。使わない東芝のダイナブックがあるからと、無償貸与していただいたのはじつにありがたかった。

 当時はまだパソコン通信の全盛期だった。認知症の祖母の近況を、母のきょうだいたちとパソコン通信で連絡し合っており、それを「綾子さん通信」と呼んでいた。電話回線に繋ぐと「ピーヒョロヒョロ」と宇宙との交信のような音が鳴るもので、貧乏暮しの私はおもにメールの送受信時にしか接続せず、毎回、電話のそばまで行って祈るような気分で使用していた。何かを検索しようにも、当時の検索機能はお粗末で、どこに分類されているのかわからなければ、調べようがなかった。グーグルが使えるようになったときは、白い画面に思いついた言葉を打ち込めばよいという発想が画期的で、感動したのを覚えている。とはいえ、仕事で本格的にインターネットが使えるようになったのは、常時接続しても破産しなくなったここ十数年のことだ。文字列にして入力することなど、検索のコツについては、鈴木先生の弟子仲間から多くを学んだ。塩原通緒さんが、害虫駆除の仕方までグーグル検索するのを知ったときは、目から鱗が落ちた気がした。仕事の調べ物だけでなく、日常のあらゆることに使えるのだ。

 牧人舎のホームページができたのは、グーグルが誕生して間もないころだった。翻訳の仕事は、ただ外国語がわかればできるものではなく、それを読みやすい言葉で書く作文力が要求される。自分でもある程度文章が書けなければ、翻訳はできない。鈴木先生は文章を書く訓練が必要と考えておられたのだろう。「どんなテーマでもいいから、とにかく書いてみなさい。かならず自分の力になるから」と言われて、ホームページの今月のエッセイに寄稿するようになったのは、1999年12月のことだった。ちょうど祖母を亡くしたばかりで、仕事は翻訳見習いでしかなく、子育てプロのお母さんたちのあいだで私は浮いていたので、エッセイの題名は「コウモリ通信」とした。私は文学少女でもなかったし、国語は物理と同じくらい苦手科目の一つで、最初のころは書くテーマを考えるだけでも苦労していた。

 鈴木先生はその10年後に亡くなられ、牧人舎の活動そのものも先生の晩年には縮小したが、ホームページだけは、立ち上げ時からずっと管理人を務めてこられた野中邦子さんが運営をつづけてこられた。途中、ほんの数カ月ほど更新がなかった時期はあったものの、20年近くにわたって毎月、新刊の紹介やエッセイの入れ替えを、ご自分の翻訳の仕事の傍らこなしてこられた。思いついたときだけ、暇なときだけ更新するのではなく、定期的につづけるのは簡単なことではない。私はただそのご好意に甘えて、月末になるとエッセイを書いて送ってきた。長年つづけてきて、習慣化されたことが、今回でおしまいになる。牧人舎そのものが店じまいとなるのだ。最終回のこのエッセイは、「その229」となるようだ。

 ここ10年間はSNSも普及して、音信不通になっていた友人・知人の消息を知り、連絡を取るのは容易になったが、それまでは私の「コウモリ通信」をネット上で見つけて読んだと連絡をもらうことが何度かあった。発信しつづけたおかげで頂戴したお仕事もいくつかあるし、書いた内容について問い合わせをいただいたこともある。最初のころは、誰が読むかもわからないネット上で発信することへの気後れもあって、気軽に読める当たり障りのないことを書いていた。個人情報をどこまで書くか、宗教や政治の話題はどう対処すべきなのかなど、自分なりに試行錯誤をして少しずつ書ける範囲を広げてきた。これだけ多くの情報がネット上にあふれるようになったいま、誰にでも書けて軽い笑いを誘うだけの、暇つぶしどころか、人様の時間を奪うだけの文章をこれ以上私が増やしても仕方がない。途中からそう思うようになり、万人受けはしなくても、私にしか書けないテーマを選ぶようになった。それが高じて、近年はやたら歴史テーマの、それも非常にマイナーな話題が多くなったので、以前はかならず読んでくれていた娘からも、「面倒臭くて読んでいない」と、言われるようになった。

「コウモリ通信」を始めたころはまだ小学生で、よくイラストも描いてくれた娘は、いまではちょっとした絵本作家になり、今春にはボローニャのイラストレーター展で入選し、結婚して一児の母にもなった。私同様、仕事と育児を両立させなければならない娘は、締め切りに追われててんやわんやの毎日を送っている。産後八週間で職場復帰しなければならなかった私は、自宅でピアノを教えていた母と、大勢のベビーシッターに助けられながら子育てをした。恩返しはなかなかできないので、せめてもの罪滅ぼしで、いまは孫の面倒を週に3日ほど数時間ずつ引き受けている。

 最終回の「コウモリ通信」を書くことで、翻訳業に転職してからの20年余りを振り返ることができた。数えてみたら、牧人舎時代に部分訳・下訳した本は21冊、共訳または自分の名前でだしてもらったものが4冊、「これをもって出て行きなさい」と追いだされ、独立するきっかけとなったフェイガンの『古代文明と気候大変動』以降の訳書が25冊になった。牧人舎時代の友人の紹介で始めたハーレクインも10年間で合計27冊訳した。娘の大学の入学金を工面すべく、牧人舎時代に知り合った編集者を拝み倒して翻訳させていただいたアマルティア・センの『人間の安全保障』は、その後も私の懐具合の厳しいときを見計らったように重版してくれ、先日も10刷の連絡を頂戴した。この四半世紀、フリーランスで曲がりなりにも生きてこられたのは、牧人舎のおかげなのだ。鈴木先生、野中先生、本当に長いあいだお世話になりました。そして長年、「コウモリ通信」を読んでくださったみなさま、ありがとうございました。
(とうごう えりか)







はまってはまって

江崎リエ(2091.10.09更新)





牧人舎エッセイの書き納め


   毎月書いていた牧人舎のエッセイも今回(2019年10月)の更新で最後になります。長い間書かせてもらって、感謝しています。読んでくれた皆さんもありがとうございました。書き上げてアップされると、私のホームページやSNSで更新の告知をしてきましたが、どなたが読んでくれているのか、どのくらいの人数の方が読んでくれているのかは知る術がありませんでした。それでも、滅多に会わない友人と会った時や、年賀状の返信などで、「いつも読んでいます」という言葉をもらったりして、書いていたよかったと思うことが多々ありました。

 私にとって一番良かったのは、毎月月末という締め切りがあったことです。私は自分のホームページにもコラムをアップしているのですが、こちらは私が気ままに書いている(つまり締め切りがない)ので、なかなか形になりません。物書き稼業は締め切りには強迫観念があるので、締め切りが設定されると頑張って書きます(笑)。

 「もう10年くらいは書いているかなぁ」と思ってバックナンバーを見てみたら、書き始めたのはなんと2001年の1月でした。19年も書いているとは、自分でもちょっとびっくりです。何をテーマに書こうかと考えあぐねて、とりあえず自分が好きなもの、はまったものについて書こうと考え、「はまって、はまって」というタイトルにしたのですが、もうだいぶ前から、その趣旨から外れたエッセイも多くなりました。

 今回、パラパラと読み返してみると、書いた当時のことをけっこうリアルに思い出しますし、好きなことやはまっていることも、それほど変わっていない気がします。立派な大人になってからの約20年、それほど嗜好が変わらないのは進歩がないのか、好みが確立されたということなのか、ちょっと考えているところです。一方、「好きでずっとやってきたけれど、このことについては書いたことがなかったな」と思うテーマ(例えば、読書の好みやフランス語の面白さ、スポーツの魅力など)も幾つかあり、それは今後、自分のホームページに書きたいと思いました。こうして、20年近くをネット上で振り返ることができるのも、ホームページの良さですね。

 毎月締め切りに追われながら書くことを楽しませていただきました。終わってしまうのは寂しいですが、「一つの終わりは新しい始まり」と考えて、今感じている寂しさを、自分が次に新しいことを始める原動力にしたいと思っています。長い間読んでいただき、ありがとうございました。

(えざき りえ)












七月便り


中埜有理(2091.10.09更新)



 9月も那覇へ行ってきた。モノレールの車体が山吹色と白に塗り分けられている。これはチンアナゴを模しているのだ! 全体を見ればわかるんだけど、この写真では近すぎてよくわからない。

 リウボウ、シネマ・パレットでやっている午前十時の映画祭で『ベニスに死す』を見た。若い頃にも見たけど、いま見ると老いのむなしさがひしひしと胸に迫る。そして、タッジオの美しさ! 暴力的なまでの美。若さ、生命力、無知の輝き。きれいです! 若さをまぶしく感じるようになったら、もう年ってことでしょうか? そんなタッジオを演じたビョルン・アンドレッセンのその後を思わずネット検索しちゃった。ご健在であられてご同慶の至りなり。

 小泉進次郎ではないが、那覇ではステーキを食べた。だけど、環境大臣とはちがって、毎日は食べたくない。しかも、高級店ではなく、やっすい赤身の(たぶんオージー)肉である。この写真には肉は写っていない。国際通りの88で。

 

 平和通り入口のまぶしい秋空。一転して、台風17号に直撃され、まる2日、家にこもらざるをえなかった。

 台風のせいではないけれど、食料が不足。チャーハンにドーナツという糖質制限まっさおの昼食。牛乳は飲む。

 さらに糖質制限を裏切るブルーシールのアイスクリーム入りクレープ。

 

 仕事をしていると、ついイライラして爪を噛むという悪癖があるのだが、締切に追われていないせいで、爪が伸ばせた。青に白の組み合わせでセルフネイル。じつはマニキュアが苦手だ。息苦しくて呼吸困難になりそうな気がする。セツ・モードセミナーの学長で、イラストレーターの永沢節さんもマニキュアがキライで、何も塗っていない自然な爪の色がいちばん美しいといっていた。同感である。ピアスも見ているときれいで欲しくなるが、やはり穴をあけるのには抵抗がある。ほんとはメイクもしたくない。しかし、さすがにすっぴんは耐えがたい(周囲が)。

 久々に御茶ノ水へ行って、ニコライ聖堂を見る。こんどは中に入ってみたいものだ。

 高校時代によく通った画材屋レモンが懐かしい。御茶ノ水の一帯は東京のカルチェラタンと呼ばれていたっけ。

 



 テニスも見ています。ジュネーブで開催されたエキシビの大会、レーバーカップはフェデラーとナダルという2大スターが牽引したチーム・ヨーロッパがチーム・ワールドに勝利。エキシビだからポイントには関係ないけどね。

 テニス楽天ジャパンオープンにも行った。一種のゆるきゃら、タウテニくん。何をしでかしたんだか知らないけど、楽天オープンの会場から出禁になったらしい。

 初来日の世界ナンバーワン、ジョコビッチが同国人の後輩クライノビッチと組んでダブルスに出場。ファンサービスが手厚くて、ジョコ人気が沸騰のようでした(あまり興味がない)。

 まあ、たぶん健康でいられるかぎり、これからもこんな感じで毎日を楽しく過ごすことになりそうです。

 

(なかの ゆうり)




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