今月のエッセイ 2018年1月
   

江崎リエ【はまって、はまって】……「噛めなくなると脳細胞がぼやっとする」

東郷えりか【コウモリ通信】……「日本人は非常に好色な民族だ」

中埜有理【七月便り】……「雪だるまはちょっと不気味」

野中邦子【ぐるぐるくん】……「実録のように見えて、完全なフィクション」

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コウモリ通信

東郷えりか(2018.01.06更新)





現在、翻訳中の
A Pioneer in Yokohama





『横浜外国人居留地ホテル史』
澤護著、白桃書房


その209

 この数年、毎年恒例のように締切りに追われた仕事をかかえての年越しとなっている。昨夏は3カ月間も仕事のない状態がつづいたので、それを考えれば、たとえ時間に追われていても、仕事があることはありがたい。しかも、いま取り組んでいる本は、失業中に読んであまりにもおもしろかったために、翻訳企画をもちかけて、とんとん拍子に決まったものなので、正月返上などとぼやいたら、罰が当たりそうだ。年末も必死に見直しをして過ごし、頭のなかがこの本のことでいっぱいなので、年始のエッセイながらちっとも新年らしくない話題で恐縮だが、どうぞご勘弁を。

 今回の本は、じつは開港当初の横浜に住んでいたオランダ商人によって140年ほど前に書かれた、事実にもとづく冒険譚だが、原書がオランダ語だったせいかいままで邦訳されていなかった。6年ほど前にこの本がアメリカで英訳されたおかげで私の目に留まることになった。史料も少ない幕末の横浜・長崎について、アメリカの研究者があれこれ調べ抜いて訳してくれたのに、とうの日本の読者がそれを知らずにいるのはあまりにももったいない。そう思って、重訳にはなるが、翻訳すべき作品と考えた。

 本書には、日本の歴史家が見落としてきた驚くべき事実がいろいろ書かれている。その一つに、コウモリ通信でも何度か触れた日本最初のホテルであるヨコハマ・ホテルに関する話があった。英訳者があげていた参考文献のリストには、澤護の『横浜外国人居留地ホテル史』も含まれていた。澤先生には大学時代に教わっているのだが、フランス文化史だったか文学史だったのかも覚えていない情けなさだ。のちに横浜の歴史に興味をもつようになり、ご著書を何冊か読んだ矢先に、先生は急逝されてしまい、横浜の歴史について直接お聞きする機会は永久に失われてしまった。それでも、ネット上に残された数々の論文を見つけるたびに、初期の横浜で活躍しながら誰からも忘れられた人びとを、一人ずつ丹念に調べあげておられた澤先生の熱意に感服したものだ。

 ヨコハマ・ホテルは、ここが当初唯一のホテルであり社交場でもあったため、数多くのエピソードを生む舞台となったのだが、ここがそもそも開港期に幕府が建てた御貸長屋の一隅であったことを、先生は気づいておられただろうか。しかも、まだ商館用の土地すら整備されていないのに、遊郭だけは用意しなければならないと考えた幕府が、太田屋新田の沼地の埋め立てが間に合わなかったために、唯一の役場であり、税関であった運上所の目と鼻の先に、急遽、臨時の遊郭を開業させたのだという。数カ月後に遊郭が現在の横浜公園の場所に移転すると、この長屋が空いて、そこをオランダ船ナッサウ号の船長だったフフナーゲルが買い取り、ホテルに改装したのだという。

 この一件に関する著者デ・コーニンの解説がじつにおもしろい。「東洋人はみなそうだが、日本人は非常に好色な民族だ。ヨーロッパ人との接触がなかったため、われわれの潔癖な習慣のことは知らず、外国人にも自分と同様の欠点は見られるに違いないと彼らは考えていた。外国人が日本を訪れたがるのは、ひとえに日本女性と知り合いになる下心があるためだという間違った観念を、非常に多くの日本人がいだいていたのである。荒海を航海してきたあと、横浜の桟橋に晴れ晴れと上陸した多くのまっとうな外国人は、礼儀正しい日本人がする無作法な仕草に直面することになった。彼らは歓迎のつもりで、遠路やってきた外国人がついに極楽に到着したことを知らせようとしていた」。遊郭の仮宅を改造したヨコハマ・ホテルについては、こう書いている。「これは日本の不道徳にたいして上品な文明が収めた最初の勝利であり、しかも数カ月前まで堕落した信奉者のいるお茶屋が放置されていた、まさにその場所で遂げられた勝利であった」

 日本の歴史家は通常、遊郭は一般の日本女性に外国人が手出ししないようにするために講じられた対策だったと説明する。実際、初期に単身で横浜にきた外国人の相当数が、「らしゃめん」を一人ないし二人囲っていた。しかし、こうした女性たちは実際には大半が女郎ではなく、町娘だったようで、日本通で知られた人びとの多くにはこのような日本人の内妻がいた。彼女たちはかならずしも、『ふるあめりかに袖はぬらさじ』に登場する亀遊のような、喧伝された悲劇の主人公であったわけではないのだ。デ・コーニンによれば、開港当初の横浜には金貿易目当てのならず者の外国人も大勢いたので、幕府の対策がまったくの杞憂だったとは言えない。それでも、純粋に自由貿易のために来日した大多数の外国人にとっては、幕府によるこの過剰な手配は余計なもの、もしくは滑稽なものだったに違いない。今年は明治維新150周年でもあり、開国とはなんだったのかを振り返るよい機会でもある。なるべく春には刊行できるよう努力したい。
(とうごう えりか)







はまってはまって

江崎リエ(2018.01.06更新)




咬合と脳細胞


 10月に続いて、また歯の話です。というより、今回は咬合の話。というのは、なんと正月早々、左上の歯の詰め物が取れて、大きな穴が開いてしまったのです。別に痛みはなく、左側で噛もうと思えば噛めるのですが、すぐにこの穴に食べ物が引っかかるので、歯医者が正月休み明けになる今日まで、左側ではなるべく物を噛まずにいました。すると、どうも左側の脳がぼやっとした感じがします。きちんと噛んで左側に刺激を与えないと、脳細胞が刺激されないようです。  

 思えば1年ほど前に右下の歯を1本抜き、ここは抜いた後の傷が落ち着くまで歯が入れられないと言われて、2ヶ月近く歯が抜けたままでした。この時は右側であまり噛めなかったので、右の脳の働きが弱った気がして、それに気づいてからは右側で10回、20回と?みしめる運動を日に数回やって凌いでいました。歯が入った時には、「これでまともになった」という気がしたのを思い出しました。今日、歯医者で仮の詰め物をしてもらって、両側で噛めるようになり、改めて咬合の大切さを認識したわけです。  

 ここ数年、「健康長寿のために80歳まで20本の歯を残そう」という8020運動を主催する財団が開催しているシンポジウムのレジュメを書く仕事をしていて、歯科医や研究者の歯にまつわる講演を聞いています。最近は、年を取っても歯が残っている人は増えているそうですが、その分歯周病や咬合の問題も増えているそうです。最近は歯周病と認知症の関係を示す研究もたくさんあるとのことですが、「噛めなくなると脳細胞がぼやっとする」という私の経験からすると、「歯が弱ったり痛んだりして噛めなくなると脳の働きが衰える」というつながりには納得できるものがあります。  

 ダイエット本には痩せる食べ方のコツとして「食事はゆっくりと時間をかけて、よく噛んで食べましょう」と書かれています。食事時間20分以上をかけてよく噛んで食べると、脳の満腹中枢が「十分に食べた、満腹だ」と認識するので、食べ過ぎが抑えられるのだそうです。ヨガの先生からは「1口で50回噛むように」と言われていて、たまにこれを実践すると、口の中に驚くほどたくさんの唾液が溜まるのに驚かされます。私はけっこう早食いなので、これらを実践すると体が整うような気がします。というわけで、今年の抱負の一つは、「食べ過ぎず、ゆっくりとよく噛んで、優雅な風情で食事をすること」です。皆様、今年もどうぞ宜しくお願い致します。

(えざき りえ)











ぐるぐるくん

野中邦子(2018.01.06更新)
















『ロダン カミーユと永遠のアトリエ』Rodin
『プラハのモーツァルト 誘惑のマスカレード』Interrude in Plague
『ドリーム (私たちのアポロ計画)』Hidden Figures
『オリエント急行殺人事件』Murder on the Orient Express
『善き人のためのソナタ』The Lives of Others
 12月に観た5本の映画はテーマも舞台も時代もばらばらではあるが、事実とフィクションの関係について考えるきっかけになった。

 『ロダン』は芸術家の伝記映画なので、職業柄、見なければなるまいという心境で見にいった。副題の「カミーユと永遠のアトリエ」というのは意味がわからない。もちろんカミーユは重要な登場人物ではあるが、ロダンにとっては愛人の一人でしかなく、永遠の愛もなにもあったものではない。自分の作品だけが大事というロダンに共感できるわけもなく、けっきょく「男(芸術家)ってやつは……」と嘆息するしかない。セザンヌとの交友関係なんかは面白かった。ちなみに、ロダンその他の登場人物はちゃんとフランス語をしゃべっている。バルザック像は上野の西洋美術館で見られるが、たしかに当時としては常識をくつがえした作品ではある。  

 『プラハのモーツァルト』は、実在の人物が登場するが、ロマンス部分はフィクション。ドン・ジョヴァンニを作曲するにあたって、色好みの悪辣な貴族がモデルになったというのは完全な虚構だろう。この副題「誘惑のマスカレード」というのも雰囲気を狙っただけなんでしょうね。プラハが舞台だし、英語のセリフがちょっと違和感。

 『ドリーム』の副題は最初「私たちのアポロ計画」だったのが、実際に描かれているのはアポロ計画ではなくマーキュリー計画だったためにSNSなどで疑問が出され、その結果、副題をカットしたといういきさつがある。事実を描いたとはいうが、NASAの人種差別はこの映画で描かれたようなものではなく、じつは彼女たちを雇うにあたって差別はなくされ、黒人女性の管理職への就任も認められていたらしいので、完全に事実そのままではない。わかりやすくするために黒人用トイレの設定などが変えてある。

 完全にフィクションなのが『オリエント急行殺人事件』。ただし、事件の鍵になるアメリカ軍人の子供の誘拐事件は、この作品が発表される2年前にアメリカで起きたリンドバーグの息子の誘拐事件にヒントを得ているはず。アイドル的人気のあったリンドバーグ夫妻を襲った悲劇は世界を震撼させた。

 『善き人のためのソナタ』は仕事の資料ということで、10年前の作品をDVDで見た。東ドイツ時代の国家保安省の局員と監視される作家の関係性が描かれる。拷問さえも国家のためと信じて生きてきた男がその信念を捨てるに至る。ベルリンの壁の崩壊とその後……実録のように見えて、完全なフィクション。本、芝居、詩、芸術、恋人同士の愛の営み。そのすべてが影響力となって人間の生き方を変える。すばらしい映画だった。

 どの作品もドキュメンタリーとはうたっていないから、すべてフィクションと解釈すればいいのだが、どこまでが虚構で、どこまでが事実なのか、ノンフィクション翻訳者としては気になる。

 というのも、英米のノンフィクション作品の場合、資料で裏付けがとれたことにかんしてはクオーテーションマーク(" ")を必ず入れ、出典を明らかにするというルールがあるからだ。憶測や伝聞だけではけっして書かない。He/She said という言葉がしつこいくらい出てくる。翻訳の場合、そのすべてを日本語にするわけではないが、そういう厳密な態度には敬意を抱いている。

 だからNHKの朝ドラなどで実在の人物をモデルにしながら、どこまで事実なのか虚構なのかをあいまいにして描かれているのが気持ちわるくてしかたがない。知らない人はぜんぶ事実だと思いこんでしまうんじゃないの? 面白ければいいというものではないと思うけど。とはいえ、『ドリーム』みたいな映画はもっと作られていいとは思う。ロダンだって、もっときれいごとに描けば、アーチスト同士のロマンチックな恋物語にできそうなものだが、そのバランス感覚がむずかしい。ロダンのバルザック像が語るように「芸術とは醜いもの」なのかもね。

 それにしても、日本人はよほどロマンチックなものが好きなのか、映画の邦題にもなんらかのニュアンスをつけずにいられないようだ。原題はそっけないくらいさっぱりしている。とはいえ、The Lives of Others「他人の生活」というのはそっけなさすぎる。「善き人のためのソナタ」は作中でも重要な鍵となるものだし、これはよい邦題だと思う(えらそう)。冷戦時代、東側から見たら西側の人間は完全に他者であり、考え方も生き方も異なる――そんな複雑な意味合いをもたせるのはむずかしい。Othersってそういう意味もぜんぶひっくるめた言葉だと思う。他者の生き方を容認し、尊重し、共感することが平和共存のための第一歩だろう。中国や北朝鮮に圧力をかけることしか考えていない安倍総理にこそ、そういう想像力をもってほしいんだけど。

(のなか くにこ)








七月便り


中埜有理(2018.01.06更新)




 年末に家族(兄姉妹)が集まって会食をした。兄の家に集まって、料理は持ち寄り、ごちそうが並んだ。母が亡くなって求心力も減った感じではあるが、年に一度くらい集まるのもよいことだろう。兄姉妹、とくべつに仲がよいというわけではないが、おたがい干渉せず、でもとくに険悪ではない。これくらいあっさりした関係のほうがいいんじゃない?

 久しぶりに姉とゴッホ展を見にいった。姉とはむか〜しオランダとフランスへゴッホの記念展に一緒に行ったことがあり、ひさびさの姉妹デートだった。当時、子育てまっさい中だったが姉妹二人でゴッホ美術館とクレラー・ミュラー美術館を訪ね、オーヴェールのゴッホ終焉の地で墓参りもし、すごく楽しかったと姉もいっていた。帰りに姉の家へ遊びにいったので、ゴッホの絵のついた夕張メロンゼリーをお土産に。

 

 あいかわらず四季の森公園でウォーキングをしている。同じコースをぐるぐるまわることになるけど、まあいいや。冬の東京は晴天が多くていいですね。クリスマスイルミネーションの雪だるまはちょっと不気味だ。

 

 新春能を見にいくので、事前講座「能のてほどき」に出席。演目は「高砂」。いつもどおり能楽師の小島英明さんの解説で装束や面を見せてもらった。人外の存在をあらわす三角文様。金箔のお衣装など、美しい。謡もひとふし経験しました。声出ない。

 荻窪のイタリアンレストラン〈アルベロ〉が閉店するというので、お別れに行ってきた。おいしいし、コスパもよくてお気に入りだったのだが。写真はメインの鹿肉。



(なかの ゆうり)




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