今月のゲストコーナーは、翻訳者の中島由華(なかじまゆか)さんが二度目の登場をはたしてくれました。
当コーナーに寄せてくれた前回のエッセイが編集者の目にとまった(のかどうかわかりませんが)おかげで、このたび分厚い訳書が出ました。おめでとうございます。どこで誰が見ていてくれるかわからないので、ささやかなサイトですが、エッセイを書くのもあながち無駄ではないようです。(NK記)


翻訳とヘビメタをつなぐもの

中島由華



小、中学生のころビートルズばかり聴いていた時期があって、「好きな曲なら歌詞をすべて暗記していなければならない」という、いまにして思えばどうしてそう考えたのかよくわからない思い込みがあったので、レコードをかけるときには(CDはまだなかった)歌詞カードをじっと眺め、一心不乱に暗記につとめた。歌詞カードには対訳もついていたので、ときどき単語の意味を確認しながら丸ごと覚える。歌詞丸暗記のおかげもあってか、中学校では英語がよくできた。いつか英語を使う仕事をしてみたいと思ったのもこのころで、卒業文集の将来の夢にもちゃんと「通訳か翻訳家」と書いてある、はずである。

以前にもこの欄で書かせていただいたことがあるが、その後、柄にもなくヘビーメタル/ハードロック(HM/HR)系の音楽をよく聴くようになっていった。歌詞の丸暗記もあいかわらず続けていたのだが、どこかの時点でぽんとあきらめてしまった。どうもHM/HRは、ものものしい、かるがるしく踏みこんではならない空気に包まれているように思えて、歌詞を記憶に刻みつけておくなど不遜なことだと考えた……というのは嘘である。まあ、面倒になったというのが本当のところ。ともあれ、このころにはいつか音楽に関係する仕事をしてみたいと考えるようにもなっていた。

ところで、高校時代、新宿にツバキハウスというディスコがあって、定期的に「ヘビーメタル・ナイト」というものすごいイベントが行なわれているという噂を小耳に挟んだ。ぜひ行ってみたい。だが、とうてい行けない。と思っているうちに終了してしまったのだが、しばらくしてこのイベントが場所を移し、「ヘビーメタル・サウンドハウス」として復活したという。当時、私はもう大学生になっていたと思う。月に一度、川崎のクラブチッタを会場にして催されているというこのイベントに、友だちと思いきって出かけてみることにした。おそるおそる会場に足を踏みいれ、衝撃を受けた。

薄暗いフロアの奥のステージにはお立ち台らしきものがしつらえられていて、大音量で曲がかかると長髪のお兄さんやお姉さんがわらわらとそこへ飛び乗り、激しくヘッド・バンギングをしはじめる。さらに、いまや世界大会も開催され、メジャーな存在になっているエア・ギターはもちろんのこと、エア・ボーカルを披露する人まであらわれる。エア・ロブ・ハルフォード。エア・ブルース・ディッキンソン。エア・スティーヴン・タイラーにエア・アクセル・ローズ……。

フロアのほうにも頭を振りまくる人、見えないギターを弾きまくる人が大勢いたのはいうまでもない。スピーカーから流れるあまりの轟音にぼうっとしながら、私たちはコーラの入った紙コップを片手にぽかんとお立ち台を眺めたり、辺りをうろうろしたりするばかりだったが、わけのわからない嬉しさがこみあげてくるのも確かだった。やがてハノイ・ロックスの「アップ・アラウンド・ザ・ベンド」がかかると、そういうお約束なのかフロアにいるみんなが肩を組み、飛びはねて踊る。私たちもそのなかへ入れてもらって、見様見真似で跳ねてみた。熱気でくらくらとしたものだ。

さて、気恥ずかしい昔話をつい長々と書いたのは、ある本の翻訳作業のあいだにいろいろな思い出がよみがえり、少し昔を振り返りたくなってしまったからだ。このたび拙訳「魔獣の鋼鉄黙示録〜ヘビーメタル全史」(イアン・クライスト著、早川書房刊)が刊行になった。ブラック・サバスに始まるヘビーメタルの壮大な歴史をたどる、ボリュームある一冊である。私にとっては「英語を使う仕事」と「音楽に関係する仕事」の両方にかかわらせてくれた、記念の本にもなった。HM/HRがふたたび盛り上がりそうな昨今に(毎年こういっているが)、多くのかたに受け入れていただけることを祈るばかりである。
(なかじまゆか)