2004.8.25-30
南青山PIGA画廊にて


My Girlfriends Show と題してイラスト個展を開きました。ウェブギャラリーでごらんください。


タオスのジョージア・オキーフ
Georgia O'keeffe in Taos, Santa Fe


ジョージア・オキーフ(1887-1986)
1887年11月15日生ウィスコンシン州サンプレーリー
1986年3月6日ニューメキシコ州サンタフェで死去(98歳)

 子供をたくさん抱えた貧農の一家の長女として生まれ、家族は貧しさと結核から次々と死んでいった。ジョージアは独立しようとして美術を学ぶが、当時の女性にできるのは美術教師になることだけだった。たった1人でテキサスの学校に赴任し、そこで絵を描きつづけた。そのスケッチがニューヨークの画廊主スティーグリッツに見出され、画家としてのスタートを切る。
 のちにスティーグリッツと結婚するが、妻の役割を拒否し、名前も変えず、自由恋愛をつらぬき、遠く離れたニューメキシコに自分だけの家をもつなど、あくまで自立をめざした。
 モノトーンしか着ない独特のファッション・センスやニューメキシコでの孤立した生活など、時代を先んじている。精神論だけでなく、経済的にもシビアな感覚をもっていて、性格はとっつきにくく頑固で、いやみなところさえあるが、にもかかわらず、その強靭さがすごく魅力的でもある。

パリのジョゼフィン・ベーカー
Josephine Baker in Paris


ジョゼフィン・ベーカー(1906-1975)
1906年6月3日生セントルイス生まれ
1975年4月10日パリで死去(68歳)

 1925年のパリ、19歳のジョゼフィンは大センセーションを巻き起こした。黒人レビューの舞台で、「野性」を売り物にしたヌードのダンスが人気をかちえたのだ。肉体の衝撃がヨーロッパ人の感覚を刺激した。大スターになったジョゼフィンだが、故国アメリカでは黒人差別に傷つくことになった。第二次世界大戦中は慰問団の一員として戦場を駆けめぐり、戦後は人種差別との戦いをさらに推し進め、世界各地の孤児たちを養子にして育てた。その費用や自身の浪費もあって、晩年には破産し、広壮な邸宅からも追い立てを食らった。だが、最後にパリでカムバック公演をはたし、大成功をおさめた2日後にパリの病院で死去。
 個人にとって一時代のシンボルになるのは辛いことかもしれない。はつらつとした肉体をもった若いダンサーだったジョゼフィンは時代の波に翻弄されながら、そのなかで懸命に生きて幸せをつかもうとした。その勇気に感嘆する。




書斎のヴァイオレット・ハント
Violet Hunt in a library


ヴァイオレット・ハント(1862-1942)
1862年9月28日生まれ(イングランド北部ダーラム)
1942年1月16日死去(79歳)

 父親は水彩画家、母親は作家。
 17歳でオスカー・ワイルドを誘惑し、22歳で最初の愛人オズワルド・クロファードから梅毒を移される。その後、サマセット・モームを誘惑し、H.G.ウェルズに誘惑される。
 サロンでもてなした人びとは、ヘンリー・ジェームズ、レベッカ・ウェスト、D.H.ロレンス、エズラ・パウンド、ウィンダム・ルイス、フォード・マドックス・フォードなどがいる。
 1908年に、フォードが文芸雑誌『イングリッシュ・レビュー』を創刊したとき、ヴァイオレットは彼の秘書、女主人、基金集めとして働き、同時に愛人ともなった。2人の関係は10年続くが、やがてスキャンダルとなり、裁判所にまでもちこまれてゴシップ紙の見出しを飾った。ヴァイオレットはフォードの小説「Paradise End」の登場人物Sylvia Tietjensのモデルといわれる。




ナンシー・キュナード
Nancy Cunard


ナンシー・キュナード(1896-1965)
1896年3月10日イギリス、レスターシャーで生まれる。
1965年3月16日パリの病院で死去(69歳)

 ナンシーの父は大西洋横断航路の開発で有名なイギリス貴族、母は裕福なアメリカ人女性だった。そのキュナード家の一人娘に生まれたナンシーは一家の堅苦しい伝統やイギリスの旧習に反抗して、1920年代のミューズとなった。
 オルダス・ハクスリーとマイケル・アーレンは彼女をモデルにして小説を書き、詩人のルイ・アラゴンはナンシーのせいで自殺未遂をした。エズラ・パウンドからは詩の手ほどきを受け、ブランクーシの彫刻のモデルになった。ナンシーの美貌はマン・レイとセシル・ビートンの写真によって世に知られた。
 さらに黒人のジャズ・ミュージシャンと愛人関係になり、上品な人びとのひんしゅくを買って、大スキャンダルを巻き起こした。それがきっかけで、ナンシーは黒人差別に抗議の声をあげるようになり、アンソロジー『ニグロ』を編纂した。スペイン市民戦争では共和国派を熱烈に支持し、特派員となった。
 晩年は酒に溺れ、精神のバランスを崩して病院に入院させられるが、フランスとアメリカの旧友たち(ノーベル賞作家のネルーダを含む)の救援活動で救われた。最期は道で行き倒れのようになり、救急病院のベッドで誰にも看取られずに息を引き取った。
 ナンシーは「反抗的なわがままお嬢さん」の典型である。イギリスの裕福な貴族の家に生まれ、子供のころから優秀な作家や芸術家に大事にされて育ち、美貌に恵まれた。
 なんの不足があるのかと思えるが、彼女の人生は伝統を破壊し、世間のひんしゅくを買うこと事件ばかり続いた。型破りなファッション、奔放な情事、女のくせに酒を飲み、夜遊びをし、そして黒人ジャズ・ミュージシャンとの大っぴらの恋愛。芸術家にとっては、そんな彼女は創作のインスピレーションとなり、彼女をモデルにした詩や小説、絵画や彫刻作品が生まれた。しかし、自分自身の創造力は十分に発揮できず、1920年代のミューズといわれて生涯を過ごした。
 イギリスの暗い城館で育ったナンシーは拘束されることが大嫌いだった。大空にはばたきたかった。小鳥の羽根は弱く、遠くまで飛ぶのは無理だろう。それでも、思い切って飛びだす勇気が彼女にはあった。

ヴァージニア・ウルフと水仙の花
Virginia Wolf with the daffodills


ヴァージニア・ウルフ(1882-1941)
1882年1月25日ロンドンで生まれる
1941年3月28日ウーズ川で入水自殺(59歳)

 知的で繊細な印象が強いが、ウルフは女性の権利擁護、反戦運動、小出版社設立と外に向かって意見表明する強さも併せもっていた。業績も評価され、知的な友人たちに囲まれていながら、日記にはこんな記述がある。
 「子なしで、友人とは遠く離れ、筆は進まず、食事に時間をとられ、年だけとってゆく。なぜ、どうして、と考えすぎる私」
 20世紀を代表する女性作家にして、フェミニストの先駆。それなのに、私たちと同じような悩みを抱えている。
 少女時代のヴァージニア。水のイメージがつきまとう彼女には、水仙の花が似合うと思う。








































タオス・プエブロのメーベル・ダッジ
Mabel Dodge in Taos Pueblo


メーベル・ダッジ・ルーハン、パトロネス(1879-1962)
1879年2月26日
1962年8月18日ニューメキシコ州タオスで死去。(83歳)

 1900年という新世紀を20歳で迎えたメーベルはアメリカのニュー・ウーマンの代表ともいうべき女性だった。才能に恵まれ、気の強い、自立心旺盛な女性だったが、当時の上流社会では、女性が能力を発揮できる場所は家庭しかなかった。
 メーベルはフィレンツェ、ニューヨーク(五番街とグリニッジ・ビレッジ)、それにニューメキシコ州タオスで、芸術家や作家、活動家、思想家などを集めたサロンを開き、パトロネスとして名を上げた。タオスの家にはオキーフを招待し、それがオキーフとタオスの運命的な出会いのきっかけだった。
 そのオキーフとは、メーベルの4人目の夫である、インディアンの血を引くトニー・ルーハンをめぐって三角関係になるなど、恋愛関係でも波乱にとんだ一生だった。
 メーベルの場合は、自分の才能を生かしきれないという欲求不満からくるエネルギーの噴出、ひと睨みで人を征服するといわれた威厳、常識に縛られない奔放さなどがミックスされて独特の魅力をかもしだしていたのだろう。はっきしりた業績や作品などと違って、この種のいわくいいがたい魅力は伝記でもなかなか書ききれないものだ。























ケニヤのカレン・ブリクセン
Karen Briksen in Kenya


カレン・ブリクセン(1885-1962)
1885年4月17日デンマーク、ルングステッズルンに生まれる
1962年9月7日デンマーク、ルングステッズルンで死去(77歳)

 映画『愛と哀しみの果て』には、彼女がケニヤのコーヒー園で過ごした「アフリカの日々」が描かれている。同じく映画の原作になった『バベットの晩餐会』では孤高の芸術家としての料理人の誇りが表現されている。ケニヤのナイロビ郊外には、彼女が住んだ家がいまも残っている。
 「いまアフリカでの生活をふりかえってみると、結局のところそれは、あわただしく騒がしい世界から静寂の国に移ってきた私という人間の存在だったと言える」


「グレート・ストーン・フェース」
ジャネット・フラナー
"Great Stone Face"
Janet Flanner


ジャネット・フラナー(1892-1978年)
1892年3月13日生まれ(インディアナポリス)
1978年11月7日マンハッタンで病院に運ばれる途中、死去

 「私が死んだら、50年のあいだ『ニューヨーカー』に連載をもっていたことより、一度は友を助けた人間だったといわれたい」






ボンネットを脱ぐ
ジェーン・オースティン
Jane Austen putting off
her bonnet


ジェーン・オースティン、小説家(1775-1817)
1775年12月16日イギリス、スティーヴントンで生まれる
1817年7月18日イギリス、ウィチェスターで死去(41歳)

 オースティンの描く人びとは、どこかそのへんにいそうな感じがする。コリンズ師みたいな男はいやだなと思うし、ミスター・ダーシーのような人に愛されたらどんなにステキかとうっとり。
 おもしろい小説を残してくれて、ほんとにありがとう、ジェーン。

メーベル・ダッジ
Mabel Dodge

ゴリラに頬をなでられる
ダイアン・フォッシー
Dian Fossey and a gorilla


ダイアン・フォッシー、動物学者

チンパンジーを抱く
ジェーン・グドール
Jane Goodall and a chimp


ジェーン・グドール、動物学者

ヴァージニアとバネッサ姉妹
Virginia and Vanessa


少女時代のヴァージニア・ウルフ(小説家)と姉のヴァネッサ・ベル(画家)

煙草をすうミーナ・ロイ
Mina Roy smoking


ミーナ・ロイ、シュルレアリスト

ヴァージニア・ウルフと水仙の花
Virginia Wolf with the daffodills

ジョージア・オキーフ
Georgia O'keeffe


ヴァイオレット・ハント
Violet Hunt


カレン・ブリクセン
Karen Briksen


Angelina Jolie
GIRL, INTERRUPTED
アンジェリーナ・ジョリー
『17歳のカルテ』

Christina Ricci
BUFFALO '66
クリスティーナ・リッチ
『バッファロー 66』


Winona Ryder
GIRL, INTERRUPTED
ウィノナ・ライダー
『17歳のカルテ』


Catherine Deneuve
LES PARAPLUIES DE CHERBOURG
カトリーヌ・ドヌーヴ
『シェルブールの雨傘』



Meg Ryan
YOU'VE GOT MAIL
メグ・ライアン
『ユー・ガッタメール』


Edie
CHELSEA GIRLS
イーディ
『チェルシー・ガールズ』


Drew Barrymore
THE WEDDING SINGER
ドリュー・バリモア
『ウェディング・シンガー』


Cameron Diaz
  MY BEST FRIEND'S WEDDING
キャメロン・ディアス
『マイ・ベストフレンズ・ウェディング』



Julia Roberts
  MY BEST FRIEND'S WEDDING
ジュリア・ロバーツ
『マイ・ベストフレンズ・ウェディング』


Julianne Moore
THE HOURS
ジュリアン・ムーア
『めぐりあう時間たち』




Nicole Kidman
PRACTICAL MAGIC
ニコール・キッドマン
『プラクティカル・マジック』


浅丘ルリ子



Martha Plimpton 
200 CIGARETTES
マーサ・プリンプトン
『200本の煙草』



Catherine Keener
BEING JOHN MALKOVICH
キャスリーン・キーナー
『マルコビッチの穴』



Chloe Sevigny
BOYS DON'T CRY
クロエ・セヴィニー
『ボーイズ・ドント・クライ』