翻訳の難しさ 2000.3

 久しぶりに翻訳しにくい本にぶつかって苦労しています。The Age of Accessと題する本で、私が前に訳した『バイテク・センチュリー』を書いたジェレミー・リフキンの新著です。テーマは、題名からも推測できるように、工業化時代から情報化時代への変化の実相を具体的に述べ、それにどう対応すべきかを論じたいわゆる硬派のノンフィクション。

 資産を蓄積したり、所有権を確保することが何よりも重視された工業化社会とはちがって、情報化社会では物的資産を所有することよりも、コンセプト、アイデア、専門技術など、知的資産の運用が重視され、それも売買の対象とするよりは、リースとか一時的に使用する権利を売るというかたちで活用することが行なわれます。そこで、従来の市場にかわるネットワークと、そこにアクセスするという新しい形態の経済行動が生まれたのですが、その実態を現代のさまざまな産業について検証していくというわけです。

 しかし、本の内容を紹介することはおくとして、この本がどのように難しく、私がそれにどう対応しようとしているかを書いてみることにします。

 まず、翻訳が難しいのはどういう本かということを考えてみましょう。もちろん、翻訳者の能力ということは無視できません。まだあまり翻訳の経験がない人の場合には、どんな本だって難しいでしょうし、ある程度の翻訳の経験があっても、まったく知識のないジャンルの本は、入門書のようなものでも難しく感じるはずです。というわけで、ここでは翻訳者サイドの問題は棚上げにして、もっぱら原著にしぼって考えることにします。

 私がこれまで翻訳に難渋した本を類別してみると、@破格な表現や語法が頻出する場合。やたらにスラングが使われるのも厄介ですね。語法上のミスをおかしたり、同じ言葉を繰り返したりする人はけっこう多いけれど、これは日本人も同じです。

 若いときに手がけたアフロ・アメリカン(アメリカの黒人と言ったほうがわかりやすいか)の本も難物の最たるものでした。リロイ・ジョーンズやエルドリッジ・クリーヴァーといった人たち(いまでは忘れられていますが)の著書は、いま考えてもぞっとするくらい難解でした。

 その反面、同じ黒人でも作家のジェームズ・ボールドウィンとなると、現代アメリカの名文家の一人に数えられているというから話は複雑です。ボールドウィンは、私も何冊か原文で読んでいますが、自動記述のように流れでる奔放なイメージが印象的でした。もっとも、これも翻訳するとなったらひどくてこずるとは思いますが、幸か不幸か翻訳を手がける機会に恵まれませんでした。かつてボールドウィンの評論集は翻訳が悪いので有名でした(フィクションのほうも評者にケチをつけられた翻訳があります)。

A文章を飾りたがり、やたらにレトリックを駆使する人の場合。このタイプは意外に多くて、私が一人で四冊の翻訳を手がけたダニエル・バースタインなどはこのタイプの典型で、いつも心のなかで毒づきながら仕事をしたものです。@が文章表現にあまり意識的でないタイプだとすれば、こちらは意識過剰なタイプと言えるかもしれません。要約すれば数語ですむ内容を、一段落をそっくり使ってしつこく表現しようとするライターです。しかし、これはわれわれのようなノンフィクションの翻訳者の勝手な言い分で、文句を言うほうが間違っているのかもしれません。フィクションの翻訳者などはこういう人の文章に慣れているのでしょうね。

B独創的なアイデアや新しい概念の表現に工夫をこらす著者の場合。今回のリフキンの本は、どうやらこのケースにAが加わった複合的な難解さのようです。とにかく、辞書の訳語に頼るわけにいかず、個々の単語について語源まで考えながら翻訳をすすめていかなければならないので手間取ることはなはだしい。もともと人よりも翻訳が早いと言われ、若いときにはどんな本でも一日に10ページくらいはさほど苦労せずにこなしていた私ですが、今度ばかりは5〜6ページがせいぜいで、いささか困惑しています。

 さて、そこでどういう工夫をこらしてこの難局を乗り越えるかということですが、あまり長くなるので、そのことは次回に書くことにしましょう。


翻訳の難しさ――承前  2000.4

 難しいテキストを訳すときにも、それなりに楽しいことがあります。

 それは、これまで一緒に仕事をした人たちの癖というか、翻訳のスタイルをその難しいテキストに当てはめて、「Aさんならここをどう訳すだろうか、こんな文章にぶつかるとBくんはきっとこう訳すだろうな」などと、それぞれの人の顔や表情まで思い浮かべながら想像してみるのです。そして実際に、その人の言葉づかいの癖を真似て訳文をつくってみたりもします。もちろん遊びですから、実際にそれを使ったりはしませんが……。

 ところで前回、難しいテキストにぶつかったとき、それをどうクリアーするか、私なりに工夫したことを紹介すると書きましたが、実は誰にでも利用できる万能の処方箋などありうるはずがありません。人はみな顔や性格がちがうように、英語の読解力はさまざまだし、身につけている知識や教養の程度も千差万別です。さらに言えば、年齢も人生経験もまったくちがいます。したがって、私にとって有効な方法が、そのまま誰かの役に立つとは言いきれません。身も蓋もない話だと言われればその通りで、謝るしかありませんが。しかし、弁解はともかく、私が最近どういう手順で翻訳をしているかを書いて参考に供しましょう。

 私はせっかちで、本を読むときも(英語の本と日本語の本の別なく)仕事で翻訳をするときも、ある程度のスピードで読んだり書いたりしないと気がすまない、というより気持が悪いのです。それで若いときから、いちいち辞書をひいたりせずに、ある程度のスピードで一つの段落を訳してから、おもむろに辞書をひいて確認するというやりかたをしてきました。調べものなどは、あとでまとめて片づけます。これまで、たいていの本はそういうスタイルでなんとかこなしてきたのですが、今回はそのやりかたではうまくいかない本に遭遇したわけです。それで、どうしたかというと、しごく平凡なことですが、前の日に明日訳す予定の部分を熟読玩味するすることにしました。

 誰しも、自分が翻訳するテキストを読みもしないで、いきなり机に向かう人はいないでしょうし、私も仕事にかかる前に二度(一度は出版社に依頼されて版権を取得していい本かどうかを確認するため、もう一度は実際に翻訳することが決まってから必要な参考書を調べたり仕事の予定をたてたりするために、かなりのスピードで)読みました。しかし、翻訳は読書するのとちがって、それこそテキストを舐めるように読んで著者の意図をしっかりと把握することが必要です。すると、普通の読書のスピードで読んでいたときには見えていなかった部分が、大きくクローズアップされてきます。

 それから、これはある人から聞いた話ですが、実際に翻訳をする前にかならず単語調べをするということです。その人が仕事として翻訳をするようになったのはわりと遅く(大学をでて就職し、何年か勤めて退職したあと)、それまで身を入れて英語を勉強していなかった。したがって、語彙の不足をそういうやりかたで補う必要があったというのです。その人のやりかたを、私は今回の難解なテキストの予習のプロセスに取り入れました。つまり、事前にじっくりとテキストを読むとき、辞書をひきまくって、翌日机に向かったときには日本語を書くだけですむ状態にしたのです。

 誰でも知っている「読書百遍義おのずからあらわる」という言葉は中国の古典に由来するものですが、実際に何度も読んでいると、それまで見えてこなかった著者の意図がはっきりしてきます。「見る」というのは、魏書にでてくるこの言葉のオリジナルの漢字表記で、わが国の先人はこれに、まさしく「あらわる」という読みをつけたわけです。それから、何度も読むと言いましたが、これには音読も含まれます。とくに長文の場合、どこで切ったらいいか判断しにくいときには音読が有効です。あとは、この予習にどれくらいの時間をかけるか、何度くらい読むのかといった問題になりますが、これはそれぞれ自分に合ったやりかたをするしかありません。

 そんなことなら、自分は前からやっていたという人もいるでしょう。しかし、今回のテキストは、私にとっては翻訳にもいろいろなやりかたがあることをあらためて実感する契機になりました。いまの心境は、難解なテキストもまたよきかな、というところです。




英語ができるって、どういうこと? 2001.4

 2月から3月にかけて、多事多端でした。本業が忙しいのはいつものことで、あらためて言うまでもないのですが、自分の書いた本が予想よりも好意的に受けとめられて、いくつもインタビューを求められました。取材にきた1人は新聞社の文化部の記者、ほかにフリーのライターが2人です。私も、若いときには編集者として毎日多くの人たちと会い、執筆の依頼をしたり原稿に注文をつけたりしました。1日に何人かの人と打ち合わせをすることなど当たり前のように思っていて、別 に大変だとも感じませんでした。しかし、さすがに年齢には勝てませんね。人と会って1時間も話をするとくたびれてしまい、仕事をする気になれなくなります。普段とはちがう緊張を強いられることも原因でしようが、どうもそれだけではないらしい。自分では意識していないところで、老いが影響しているようです。

 それから仕事に手違いが生じました。この3月末が締切りという原稿があって、それをチェックしはじめたのだけれど、ひどく出来が悪く、ほとんど訳しなおさなければならなかった。どういう問題があったかはこのあとに書いて、みなさんの参考に供するつもりですが。

 それで今回は、前置きとして、あとで気がついたために自分の本では触れられなかったことを書いておきたいと考えたわけです。

 われわれの会話のなかでよく、あの人は英語ができる、というような言葉がでてきます。私などもあまり意識しないでそんなことを口にしています。しかし、考えてみると、これはずいぶん曖昧な、というか粗雑なセリフですね。簡単に言えば、自分の母国語のように英語を操れる人、日本語を読むのと変わらないくらいに英語の文章を読解できる人を「英語ができる」というのでしょうが、こうした無意識の了解がどうも間違いのようです。

 言いたいことをわかりやすくするために、この場合の「英語」を「日本語」におきかえて考えてみましょうか。

 われわれは日本に生まれ育ち、幼時から日本語の環境のなかで生活してきました。だから、あらためて自分は日本語ができるかどうかなどとは考えてみません。日本人なら誰でも、日本語ができるのは当たり前だと思っています。ところが、翻訳という2カ国の言語が介在する仕事をするようになると、にわかに「できる」か「できない」かが大きな問題になってきます。職業として言語を扱う場合には、生活をするうえで不自由がないくらいでは、「できる」とは言えません。つまり、プロとして翻訳をする人の言語能力は、生活言語のレベルよりもずっと高度なものが要求されるということです。翻訳をしようという人に、どうもそのへんの意識がたりないことが多い。

 たいていの人は、中学校から大学までざっと10年くらいは英語を勉強しています。人によっては留学して、英語環境のなかで生活するという経験ももっています。そういう人は英語ができて当然だと自分でも思うし、周囲もそういう目で見てくれます。しかし、こと翻訳になると、そういう人が無惨な結果 になるのを、私はなんども見てきました。

 同じことは日本語にも言えます。生まれたときから日本語環境のなかで生活してきたから、日本語ができるかできないか、なんてことは考えもしない。しかし、生活するのに不自由なく日本語を使えるというだけでは、言葉を扱うプロとしては通 用しません。ちょっと考えれば当たり前のことなのですが、われわれはどうもそういうことに無頓着でいるような気がします。

 さまざまな分野でプロとアマの境界がぼやけてきたことは、多くの人が指摘しているとおりです。このことには功罪両面 があり、この場で論議するのは控えます。しかし、翻訳について考えるとき、言語という誰でも日常的に使っている「文化の通 貨」を生活のレベルとはまったく異なる、プロの水準で考えなおしてみる必要があると、自戒しつつ、改めて言いたいのです。


ある手紙 2001.6

 グループから離れていく人がでると、そうせざるをえない正当な理由があっても、つねにあれこれと考えさせられます。前に出来の悪い原稿の手直しで苦労していると書きました。その人には何がいけないのか、原稿の問題点を指摘したのですが、さっぱり改善されなかった。やむなく手紙を書いて、少なくとも一般 読者を対象とする出版翻訳には向かないように思えるので、今後は牧人舎で仕事をしてもらうわけにいかないと伝えました。その手紙をここに転載するのもどうかと思いますが、その人の問題は、私がこれまで何度も注意してきたことばかりでした。いわば、どれも翻訳という仕事にかかわる重要なポイントなのです。それで、あえてここに紹介し、翻訳について再考するよすがにしてもらえればと考えたしだいです。

* * * * *

Xさん

 翻訳のグループをつくってから、もう10年以上の年月が経過しています。その間に、このグループに加わって一緒に仕事をしながら、いろいろな事情で去っていった人は何人もいます。そのことは最近だした本にも書いているのでご存知でしょう。しかし、今回のあなたの場合はきわめて珍しい、これまでに例のないケースでした。何よりもまずいと思ったのは、「誰にでもできることをしていない」点でした。あなたの能力が問題なのではありません。しかし、能力があったって、それが訳文に生かされなければ何にもなりません。あなたの原稿を読むと、ちょっとした手間を惜しんでいることが歴然としています。解釈の間違い、文章表現の不備は容認できるし、ある意味でやむをえないでしょう。しかし、いいかげんな仕事をして自分の力をだしきらず、不備については「あなたまかせ」という態度では、私はとてもつきあいきれません。何があったにせよ、そのことだけは肝に銘じてもらいたいので、あえて書いておこうと考えました。

 今度の仕事で、あなたが訳した原稿を読みはじめてまず感じたのは、これまでに類がないほど粗雑だということでした。スペルの読み間違いが多い(書かれている内容の読み誤りならともかく)、日本語の誤用が頻出する(国語辞典なしで原稿を書いていることが歴然としている)、誤変換がやたらに多い(原稿の読み返しをしていない)、辞書を引けばばわかることも、いいかげんな当て推量 ででたらめを書いている(辞書を引く手間さえ惜しんでいる)、知らないことを平気で書いている(人名や商品名のような固有名詞を調べないまま出鱈目に表記している)など、これまで私がやってはいけないと言ってきたことを、ことごとくやっていたのです。あなたは私が書いた本を二冊とも読んでいるはずですが、書かれている内容がまるで理解できていないと思わざるをえない。

 それで、私は原著の「はしがき」の翻訳をチェックし終えたところで、そういう問題を指摘して注意しました。それにたいして、あなたは「緊張がゆるんでいたかもしれない」と弁解していました。しかし、「緊張がゆるむ」というのは、私にはまったく考えられないことです。ご承知のように、私はこの仕事をするようになってから30年以上になり、訳書も百数十冊あります。しかし、いまでも机に向かうと、周囲の物音が耳に入らないほど集中し、緊張を持続させようと意識的に努力しています。しかし、これは何も私だけの異常な心的状態ではありません。念のために同業の何人かに聞いてみたところ、全員が多かれ少なかれ同じような態度で仕事に取り組んでいるそうです。

 完璧なバイリンガルならいざ知らず、「緊張がゆるんだ」状態では翻訳なんかできない、というのが大方の意見だったわけです。だから、あなたの弁解は、自分のなすべきことをきちんとやっていない事実を糊塗するための言い逃れだとしか思えない。つまり、あなたはいい加減な気持で仕事をしていたということです。

 それでも私は、前回一緒に仕事をしたときのことを思い出しながら、不出来なのは「はしがき」だけだろうと信じて(本の「はしがき」は難しいことが多い)、本文のチェックに取りかかったものです。でも、その期待はまったく裏切られました。そのあともずっと同じ調子だった、いやもっと悪くなっているところさえあったのです。たまりかねて、私はEメールを書き、あなたには翻訳という仕事への適性がない(能力ではなく)ようだと言いました。それで、あなたとの縁を切らざるをえなくなったのです。

 今年の二月に刊行された二冊目の著書のなかで、私はフリーの翻訳者の適性ということについて書いています。あの本はあなたにも差し上げたから、きっとお読みでしょう。あるいは読んでいないのかな。それはともかく、フリーで翻訳をする人間の適性として、私は「何よりも本が好きであること」、「好奇心が強いこと」、「細心であり、かつ神経が太いこと」、「積極性があること」、「義理堅く、几帳面 であること」、「体力があること」などをあげ、さらに「何よりも日本語が大事」だと強調しました。あなたは、これらの要件をご自分の性格と照らし合わせてどう思いましたか。すべて自分に当てはまるとお考えだったら、あなたの自己認識はきわめてお粗末、かついい加減だとしか言いようがない。悪口を言っているのではありません。私は残念でならないのです。

 グループの人たちに、私はよくこう言うし、著書にも同じ意味のことを書いています。「仕事の機会は大事にすべきだ、せっかく仕事をする機会に恵まれながら、いい加減な仕事をして愛想をつかされるほどばかげたことはない」と。どうやら、あなたにはそのことがわかっていないようです。いい加減な仕事をしながら、「緊張がゆるんでいたらしい」なんてぬ けぬけと言えるのですから。これから翻訳を自分の一生の仕事にしようと思っている人にとって、与えられた機会が何よりも大事なことは改めて言う必要もないでしょう。だから、もう何も言いますまい。しかし、あなたは私宛の最後のメールに「これからも翻訳はつづけたい」という意味のことを書いていましたね。でも、それが言葉の綾などではなく本心だとしたら、私は「おやめになったほうがいい」と、それこそ本心から忠告します。

2001年2月某日           鈴木主税




自転車
 2001.7

 萩原朔太郎といえば日本の近代詩を革新した大詩人ですが、この萩原朔太郎という人はひどく不器用だったらしい。食事をすればあたりがご飯粒だらけになってしまうとか。この萩原朔太郎に「自転車日記」という文章があります。三十代の半ばに、自転車を乗りこなせるようになりたいと思い立って、自転車乗りの練習を始めてからの顛末を書いたものです。読んでいて実にユーモラスな文章ですが、不器用な当人が大真面 目であるだけにいっそうおかしい。朔太郎はまず、自転車にまたがるところから失敗つづきだったようです。貸自転車屋の自転車を利用していたのだが、たちまち破損させて損料を取られるのですが、その金額まで記しているので、読んでいて嬉しくなってしまう。

 それが、努力の甲斐あって、どうにか真っ直ぐに進めるようになった。ところが、そこでいきなり市街(場所は朔太郎の郷里の前橋です)に乗りだしたのはいいが、うまくハンドル操作ができないために、通 行人をよけようとして転倒するばかりか、老婦人に後方から体当たりして転ばせてしまったりする。

 ところで、朔太郎にこういう文章があることを知ったのは、佐々木幹郎という詩人の文学論集『自転車乗りの夢』という本によってですが、書店でその本を手に取ったのは、文学論を読むつもりだったからではありません。実は私も、最近、自転車に乗れるようになりたいと考え、一念発起して練習を始めたという事情があるからです。「えっ、いい年をして自転車に乗れないの!」と笑われそうですが、子供のときに自転車乗りの練習をする機会がないまま現在にいたったから、しかたがないといえばしかたがない。もちろん、現在の自転車は朔太郎が練習した当時のように、助走してからひらりとまたがる必要などないし、いまなら地面 に足がつくからすぐに直進することだけはできるようになる。しかし、これは直滑降しかできないスキーヤーと同じで、市街にでて乗りまわしたら危ないことこのうえもない。しかも一九ニ○年代の前橋と現在の東京では、道路の混雑ぶりに雲泥の差がありますよね。

 ところで、いまなぜ自転車かということになるけれども、べつに東京ですいすい走りたいわけではないし、サイクリングを楽しもうという魂胆もありません。問題は、沖縄の離島です。那覇は交通 渋滞がひどく、しかも乱暴な運転では定評のある土地柄です。そんなところで自転車に乗ろうものなら命がいくつあっても足りません。それにひきかえ、石垣や宮古のように大きい島の中心部は那覇と変わりませんが、小さい島には公共輸送機関どころかタクシーもない。与那国、波照間、粟国、竹富などの小さい島々ではもっぱら自分の足を頼りに歩くしかないのです。でも小さい島といったって、たとえば与那国は島の周囲が27.49Km ありますから、歩いてまわるにはいささかしんどい。さいわい、これらの離島には貸自転車があるので、これを利用しない手はないと考えたわけです。

 それで練習の成果ですが、私も朔太郎と同じで、まさに七転八倒、生傷が絶えなかった。初めは竹富島でレンタ・サイクルにチャレンジしたのですが、借りた自転車がどういうものか、私の意志とかかわりなく左に曲がりたがる。真っ直ぐに走っているつもりが、いつのまにか道路の左端から藪の中に突入してついに転倒。藪の中に落ちていた有刺鉄線の切れ端にひっかかれて脛に長さ5センチ深さ5ミリほどの傷を負いました。これが名誉の負傷の第一号。その後、東京でも自転車を買い込んで練習に励むことにしたのですが、初日にマンションの出口の車止めに足の甲をぶつけてひどい目にあい、しばらく練習を休む羽目になりました。腫れ上がった足の甲に湿布をしているのに目をとめた愚息は、自転車の練習をしていて足の甲に怪我をしたという私の説明に納得がいかないらしく、しきりに首を傾げていました。

 それで、いまはすいすい走れるようになったかというと、これが六十余歳の手習いの悲しさ。街路が無人ならば問題はないのですが、人通 りがあるといけません。向こうから車がこようものなら自転車を止めて、いかにも自転車を止める必要があったふりをするしまつです。沖縄の離島ならカメラを取り出して風景を写 すふりをしてもなんら怪しまれませんが、東京ではそうもいかない。東京で自転車を乗りまわすつもりなどないからいいようなものですが、しかしこの調子だと、いつになったら安心して自転車に乗れるようになるるか、見当もつかない現状です。不器用だと言われる萩原朔太郎が遠乗りできるようになったのだからと考えても、さっぱり励みにならないのが辛いところ。なにしろ向こうは三十代の半ば、その倍になろうかというこちらの年齢を考えると、前途遼遠どころか、不可能事に挑戦しているような気分になります。

 自転車を練習するようになってまず痛感したのは、自転車の練習にも基礎体力が必要だということです。これは翻訳にも共通 することですね。翻訳の場合は、語学力に日本語の表現力がそれにあたるでしょう。

 それから、自転車に乗っている人のハンドルさばきに、いやでも注目するようになりました。なかには私と五十歩百歩の人もいる。あるとき交差点で足を止めたとき(自転車ではなく歩行していて)、後方からきた自転車が交差点の脇に生えていた立ち木にぶつかり見事にひっくり返りました。私を追い越そうとしたところが、急に止まったために衝突を避けようとしてハンドルを切ったのはいいが、そちらに樹木があったというわけ。

 人の乗車ぶりを観察していて感じたことは、ベテランになると目先の障害だけでなく、かなり遠くにも目を走らせながら走っていることがわかります。これに反して、私をよけようとして立ち木にぶつかった人などは、自分のすぐ目の前だけにしか注意が行き届かないようです(残念ながら、私もまだその段階でしかないけれど)。このことも翻訳に当てはめることができます。つまり、木を見て森を見ざるというケースですね。細部にばかりこだわって、全体の目配りが足りないためにポカをする例です。いや、あなたのことを当てこすっているのではありませんから、ご心配なく。




翻訳について考えるための本 2001.8

 これはかつて求めに応じて書いた雑文です。なぜここに再録するのかというと、最近、牧人舎で仕事をしたいという人から問い合わせが何件もあったこと(そういえばこのHPにも「どうしたら翻訳者になれるのか」と問いかける書き込みがありましたね)、また知りあいの子弟の翻訳希望者に話をしてやってくれないかという依頼が何件もあったことなどが理由です。以下は、実際に翻訳の学校へ行ったり人に教えを乞うたりする前に、自分でやっておくべきことがあるという趣旨の文章ですが、これが発表されたのはCDの百科事典の付録として読めるネット上なので、誰でも簡単にアクセスするわけにいかない。それで、せめて牧人舎のHPにアクセスする人には読んでもらえるようにしたいという思いもありました。


 世の男性諸氏に、ぜひやってみたい仕事は何かと聞いたところ、プロ野球の監督とオーケストラの指揮者という答えが圧倒的に多かったという記事を新聞で読んだことがある。これにたいして、女性に同じ質問を発したとすると、きっと翻訳者という答えがかなり上位 にくるのではないか。こちらのほうは誰かがアンケートをとったという話を聞いたことはないが、たとえば翻訳技術を教える学校がいくつも生まれてそれぞれ繁盛しており、その受講生の男女の比率が圧倒的に女性優位 であるところを見ると、こう推測してもあながち的外れではないようだ。

 それはともかく、プロ野球の監督、オーケストラの指揮者、翻訳者と並べてみると一つの共通 点があることがわかる。いずれも一種の黒子だということだ。野球の監督は実際にプレーするわけではない。指揮者は棒を振るだけで演奏するのは楽員だ。翻訳者は原著者のテキストを読んで解釈し、それを自国の言語(われわれの場合は日本語)で表現するが、表面 にでるのはあくまでも原著者である。もちろん、この種のアナロジーにはおのずと限界がある。しかし、上記の現実を見ると、自分でプレーしたり演奏したり創作したりする能力に欠けていると自覚している人たち(たいていの人がそうだ)も、なんらかのかたちで自己表現をしたい望みをもっていると考えて間違いはないようだ。

 前置きが長くなったが、ここでは翻訳をしたいと考えている人(もちろん女性だけではなく男性も含む)にとって参考になる本を紹介し、それぞれの望みを実現するための一助にしたいということだ。

 翻訳という営みを広く考えると、同じ言語の難しい表現をやさしくしたり、言語障害がある人の意思を伝える介助をしたりする場合も一種の翻訳と考えられる。しかし、ここでは狭義の翻訳、すなわち外国語の文書や書籍を日本語にして、その外国語がわからない人の便宜をはかる作業にしぼることにする。また、筆者は英語を日本語にする翻訳を生業としているから、話はおのずと英日の翻訳が中心となる。もっとも、以下にあげる参考書はいずれも、外国語を日本語にする(あるいはその逆のプロセスをとる)翻訳作業の全般 に通じる内容のものであることを付記しておく。

 さて、翻訳という仕事の内容を一言で要約すると、テキストに書かれている内容を理解し、その意味をわかりやすい日本語にする、ということになる。つまり、翻訳はテキストの理解と日本語による表現という二つの側面 から成り立っているということだ。

 それで、まずは英語の読解力の増進に役立つ本だが、実のところ推奨できるようなものは皆無に等しい。英文の例題をかかげてその訳文をつけ、あれこれ解説している本は、大学の受験参考書をはじめとしていくらでもある。しかし、これは英語の読解力の涵養にはあまり役に立たないと思ったほうがいい。少なくとも「英文和訳」ではない翻訳をする役には立たない。

 われわれは普通、中学校で初めて英語に接するが、そこでは、たとえば、I am a boy.という英語を「私は一人の少年です。」というふうに教わる。これはこれで間違いではない。しかし、このときboyという英語と「少年」という訳語が等価のものとして中学生の頭にきざみつけられる。つまり「一語一訳主義」の弊害はここに発するわけだ。boyという英語はもちろん「少年」なのだが、これには「大人でなく、女でない、5、6歳から15歳くらいまでの人間」という含みがあることまでは教えられない。そのために、中学生は文章のコンテクストを考えもせず、もっぱら英語の単語帳の暗記につとめる結果 となる。例文をかかげてその訳をつけて解説するたぐいの英文解釈参考書が、英語の本当の意味での読解力の増進に役立たないのはまさに同じような理由による。

 翻訳をするとき、誰でも辞書のお世話になる。30年も翻訳をしてきた私も例外ではない。しかしよく見る例だが、わからない単語にぶつかると、辞書をひいていくつも記載されている訳語のどれか適当なものを選んですましている人が多い。適当な訳語が見当たらないとまさにお手上げで、妙な日本語をでっちあげる結果 ともなる。これは、まさしく中学校の誤った英語教育の後遺症というほかない。辞書の訳語は、全部をひっくるめたものがその言葉の意味だということを教える英語教師には、まずお目にかかれないのだ。

 では、どうしたらいいか。先に結論を言ってしまえば、読解力を高めるには原書をたくさん読むのが一番で、それ以外に効率的な方法などないということだ。では、翻訳の参考書をあげるというこの文章の趣旨に反するではないかと言われそうだが、事実だからしかたがない。

 しかし考えてみると、たいていの人は中学、高校、大学を通じて、およそ10年くらいは英語を学んできたはずだ。少なくとも、あまり難解でない本ならさほど辞書をひかなくても原書を読む力はあるだろう。だとしたら、積極的に原書と取り組んでもいいのではないか。その場合、注意しておきたいのは、つとめて日本語の本を読むときと同じ感覚で原書に接して欲しいということだ。つまり、英語の文法とか辞書の訳語などにはあまりこだわらず、もっぱら意味を追って読み進めるようにするのである。われわれは日本語をどうやって身につけたかを思い出して欲しい。10年もつきあってきた英語ではないか。小学生の日本語の読解力よりも、みなさんの英語の読解力のほうがましだと思えるのだが。

 そういうわけで、ここには言語としての英語の特徴を明快に説明した本をあげることにしよう(1)(2)(数字は下記のブックリストに対応。以下同)。また、言葉は生き物で、つねに変化している。英語とて例外ではない。変化する英語を扱ったもの(3)、それから日本人が誤解しやすい英語の表現をコンパクトにまとめた小さい辞典をあげたい(4)。辞典はひくだけが能ではない。せいぜい辞典も読んでみることだ。紙数の都合でいちいち説明をつけないが、それぞれ現物にあたってどういう本かを確かめてもらいたい。さらに、翻訳という営みがどういうものかを、翻訳書をつくる編集者の立場、翻訳する人間の立場、そして翻訳書を読む読者の立場からそれぞれ考える概説書をあげてD、先の簡単な翻訳の定義を補強することにしよう。

(1)鈴木孝夫「ことばの人間学」 新潮社、1978年9月、本体1100円 (鈴木孝夫にはこのほかにも多くの優れた著作がある。どれを読んでも大いに裨益される。鈴木孝夫の著作は、つねに外国語を鏡として日本語を考えるという姿勢に貫かれている。翻訳にかぎらず、言語に関心のある人にお奨めしたいゆえんである。)

(2)大津栄一郎「英語の感覚」上下 岩波新書、1993年4月・5月、本体各660円

(3)飛田茂雄「いま生きている英語─大辞典でも収めきれない情報」 中公新書、1997年6月、本700円

(4)最所フミ「日英語表現辞典」 研究社出版、1980年4月、本体3107円

(5)鈴木主税「私の翻訳談義」 朝日文庫、2000年4月、本体680円

 翻訳とはテキストを読んで、理解した内容を日本語にうつす作業だと書いたが、英文の読解についてはすでに説明した。そこで、次は日本語の書き方だが、ここでもわれわれの受けた教育の欠陥がありありと露呈する。われわれは小学校のときから遠足や運動会など、ことあるごとに作文を書かされてきた。だが、教師は「思った通 りに書きなさい」と言うくらいで、具体的な指導をしてくれなかった。人に読ませるための表現上の工夫はおろか、句読点の使い方すら教えられなかったのだ。しかも、日本語には正書法がないものだから、文章を書くとなったら、それぞれが自分の感覚だけを頼りにするしかない。おかげで、いまや日本語の文章表現の世界は悪しき百花斉放といったおもむきだ。

 それで、ここにはまず日本語の作文技術を系統的かつ具体的に説明した、おそらくは唯一の本をあげることにしよう(6)(7)。日本語について書かれた本はおびただしくある。そのなかからいくつかをあげてみた(8)(9)。それから、翻訳という仕事とは切り離せない作業、つまり自分にとって未知の事柄を調べる技術について書かれた本も欠かすことはできない(10)。さらに、締めくくりとして、英語と日本語の言語上の特質を分析したうえで、実際の翻訳作業に焦点をあてた、翻訳者必読といってもよい本をあげることにする(11)。

(6)本多勝一「日本語の作文技術」 朝日文庫、1982年1月、本体540円

(7)本多勝一「実戦・日本語の作文技術」 朝日文庫、1994年10月、本体560円

(8)森田良行「日本人の発想、日本語の表現─『私』の立場がことばを決める」 中公新書、1998年5月、本体700円

(9)荒木博之「やまとことばの人類学―日本語から日本人を考える」 朝日選書、1985年12月、本体1200円

(10)立花隆「『知』のソフトウェア」 講談社現代新書、1984年3月、本体680円

(11)安西徹雄「英語の発想」 ちくま学芸文庫、2000年11月、本体800円

 以上、翻訳をしようと思うなら、これだけは読んでおくべきだと思う優れた参考書をあげてきた。だが、蛇足ながらひとこと注意しておきたい。言うまでもなく、本を読んで勉強するのは非常に大事なことだ。だが、それはあくまでも畳の上の水練でしかない。英語の原書をたくさん読む、そして実際に訳してみるのがさらに大事だということなのだ。自分の読んだ原書についてレジュメを書いてみるのも、日本語の表現力を磨くうえで有効だろう。読んだ本がまだ日本語に訳されていず、出版するに値するものだと思えたら、それについて書いたレジュメを出版社に送って自分を売り込むのも悪くはない。あるいは、そこから新しいキャリアが開かれるかもしれないからだ。




ゴーヤーチャンプルーの作り方2001.9

 残暑お見舞い申し上げます。

 今年の夏は暑かったですね。沖縄は気温こそあまり上がらなかったけれども、やはり暑いことに変わりはなかった。とにかく、汗をかくのでしじゅう水分補給をするせいか、あまり食欲がなくなります。そんなときにお勧めしたい沖縄料理にゴーヤーチャンプルーがあります。ご存じの通 り、ゴーヤーは苦瓜(ニガウリ)のこと(東京のスーパーではレイシという商品名で売られていることもある)で、チャンプルーというのは豆腐と野菜のいためものです。タマナー(きゃべつ)を使えばタマナーチャンプルー、マーミナー(もやし)を使えばマーミナーチャンプルーということになります。

 沖縄の家庭料理はだいたい手のかからないものが多く、その作り方も家庭により、また人によってさまざまで、これが定番というのがありません。チャンプルーはまさにその代表選手のような料理です。以下に紹介するのは、私流のゴーヤーチャンプルーの作り方であり、こうしなさいというのではありません。そもそも料理自慢でもない私が紹介するのですから、かなりアバウトなやり方でも失敗する心配なしにできるというわけ。

 それでは、材料から。まずゴーヤー。これは1本で4人分くらいの仕上がりになります。豆腐は、できれば沖縄の島豆腐が望ましいけれども、沖縄以外では入手しにくい。その場合は、木綿豆腐を水切りして(豆腐を布巾で包み、2枚のまな板にはさんでしばらくおく。必要なら重しをのせ、水分を抜いて)使います。味にこくをだすためにポーク(いわゆるランチョンミートのことで、沖縄ではいろいろな料理に使われます)や牛肉、豚肉などのどれかを少量 加えることもありますが、これは省略してもかまいません。それから鶏卵。調味料は塩と胡椒、醤油。それに食用油(サラダオイルでもオリーブオイルでも、また胡麻油でもかまいません)。また肉を使う場合には少量 の酒(日本酒でも泡盛でもけっこう)。

 豆腐や鶏卵(肉類)などの量は、ゴーヤーの量によって加減します。私が作る場合を参考までに記すと、ゴーヤー半分にたいし、豆腐は厚さ3センチで5センチ角くらい(本土の木綿豆腐だと半丁くらい)、鶏卵は1個、肉類はざっと50グラムで、2人前のチャンプルーができます。しかし、これも1度試してみてから、自分の好みによって自由に修正してください。

[下ごしらえ]

1)まずゴーヤーの両端を切り落とし、縦半分に切り、スプーンでわたと種を掻き出します。半円形の長いゴーヤーが2本できますが、これを端から5ミリくらいの厚さに切っていきます。切ったゴーヤーに塩をふってしんなりさせてから、ザルにとって水をかけ、軽くしぼっておきます。この塩もみはゴーヤーの苦さを加減する目的ですから、とびきり苦いほうがいいという人は省略してもかまいません。私の経験では、沖縄のゴーヤーは東京で入手できるものより苦みが強いようです。だから東京では、5ミリの厚さに切ったものをそのまま使っています。苦いのは困るという人は、塩もみしてからさらに熱湯でさっと湯がいてもかまいません。しかし、あまり茹ですぎるとゴーヤーらしい歯ごたえがなくなってしまいますから注意してください。

2)豆腐は拍子木に切っても、手でつかんで崩してもかまいません。どちらでもお好きなように。水切りした木綿豆腐を使う場合、調理の前に、フライパンを熱して薄く油を引き、豆腐に少量 の塩をふってきつね色にいため、皿に取っておきます。これは水分をとばす目的でいためるわけですから、島豆腐なら皿に取らずにそのままゴーヤーを加えて調理をつづけてもかまいません。豆腐は焦がさないようにするのが普通 のようですが、なかには少し焦げたほうが好きだという人もいます。ここでも自分の好みによってご自由に。

 下ごしらえは、料理にかぎらず、翻訳でも重要な手順ですね。翻訳の場合は「下調べ」ということになります。つまり事実関係、固有名詞の表記などを、翻訳にかかる前に調べておいて、実際に翻訳をはじめたら、調べごとなどで作業を中断させないための下準備です。あるとき気になって、何人かの人に聞いたことがあります。実際に翻訳をする前に下調べをしておくかどうかを尋ねたのですが、10人中半分ほどの人が、下調べをせずにいきなり机に向かって翻訳すると答えたものです。どちらがいいか、断言はできませんが、私の経験では下調べをする人のほうがつまらないミスが少なく、文章の流れもいいようです。もちろん、訳文を念入りに推敲することにより、下調べをしないための欠陥をかなり補うことはできると思いますが、文章の自然な流れという点では、十分に下調べをしておいたほうがいい結果 になるようです。もちろん、これはその人の性格も関係することではありますが。

 では調理にかかりましょう。豆腐を先にいためて皿に取っておいた場合。

 フライパンを洗って熱し、油をひいて肉を炒めます。まだ色が変わらないうちに酒と醤油を少量 (それぞれ小さじ1杯くらい)まぶしてよくいためます。つづいてゴーヤーを加えますが、ゴーヤーは掻きまわしすぎると苦みがますので大きくかえすくらいにしてください。塩と胡椒で味付けします。ただし調味料は控えめに。特にポークを使う場合、ポークにはかなり塩分が含まれていますから注意すること(ポークは肉のように先に炒めず、ゴーヤーと一緒、あるいはあとから加えてもかまいません)。ゴーヤーに火が通 ったら、先に取り分けておいた豆腐を加えてまぜあわせます。全体をほどよく炒めたら、鍋肌に醤油をまわしかけます。これは味付けのためではなく香り付けのためですから、そのつもりで。醤油の香りが立ったら溶き卵をまわしかけて全体を大きく返してできあがり。好みによって削り節を振りかけてもかまいません。

 この料理は何よりもゴーヤーの苦みと歯触りを楽しむものです。つまり素材の持ち味を損なわないようにするのがコツといえばコツです。まあ、凝ったフランス料理などは別 として、どんな料理でもその点は同じですが、翻訳についても同じことが言えます。可能なかぎり本の持ち味を生かすのが翻訳でも大切ですね。

 そう考えると、ゴーヤーを食べるには、チャンプルーよりもゴーヤーサラダのほうが、余計なものを加えないだけに、ゴーヤーの味を楽しむのに好適かもしれません。私も肉を主菜にするとき、好んでゴーヤーサラダを付け合わせます。ついでながら、ゴーヤーサラダの簡単な作り方も紹介しておきましょう。

 下ごしらえしたゴーヤーの薄切りは(3分くらい)水にはなしておきます。鍋に水を張って沸騰したら塩をひとつまみ加えて、ゴーヤーをかるく茹でるわけですが、このときゴーヤーを全部一度に茹でるのではなく、ほんのひとつかみづつ茹で、再沸騰したら網杓子ですくって冷たい氷水にはなします。同じことを繰り返し、全部茹で終わったらペーパータオルで水分を切って皿に盛り、削り節をかけ、醤油で味付けしてできあがりです。




泡盛はいかが 2001.10

 何年前になるか定かに覚えてはいないが、初めて沖縄を訪れたときに最も強い印象を受けたのは、強烈な陽光でも、抜けるような青空でもなく、また時々刻々と微妙に変化するコバルトブルーの海の色でもなかった。何よりも驚かされたのは、ほかならぬ 泡盛の古酒の深い味わいだった。(お里が知れてしまうね。)

 たしか7月の半ばだったと思う。那覇から石垣島に飛び、石垣で最も古いと言われるホテルに投宿したあと、タクシーを雇って午後いっぱい観光コースを案内してもらった。そして夜、旅の快い疲れをいやすべく、同じホテルが経営している郷土料理店の暖簾をくぐった。それまで那覇に2泊していたので、沖縄の郷土料理にも少しは馴染みがあったし、泡盛の味を楽しんでもいた。しかし、石垣のその店のメニューを見て、泡盛にも銘柄以外にさまざまな種類があることを知り、にわかに興味をそそられた。銘柄がいくつもあることは知っていた。それは日本酒などでも経験ずみだ。だが、そのとき初めて意識させられたのは、泡盛には銘柄だけでなく、貯蔵年数によってもさまざまな種類があることだった。3年もの以上の酒はクース(古酒)として珍重されることも、このとき初めて体験的に知ったわけだ。もっとも、ブランデーやウィスキーも長い年月をかけて寝かせておくと風味が増して味わいが深くなり、値段もそれなりに高くなることを知識として知ってはいた。だが、それまで高級酒ならぬ 焼酎の仲間だと思っていた泡盛も、貯蔵年数によってランク付けされていることを知ったのである。

 3年、5年、10年、15年、そして20年というのもあった。値段には大きな違いがあり、3年ものや5年ものが1合五百円とか六百円、10年ものが千円、15年ものが千五百円、そして20年ものとなると大きく飛躍して、五千円から八千円もするのである。

 これまで本と嗜好品にはお金をケチらないことを信条として生きてきたし、酒とは50年以上もつきあってきた私である。1合五千円以上もする酒が売られていると知って手を出さずにいられるわけがない。さっそく注文してみた。やがて運ばれてきた古酒を小さいグラスに注いで口に含んだときの感覚は、実際に飲んでいない人に説明することなどとてもできないと思った。人の舌に一万ほどあって、甘い、酸っぱい、苦い、塩辛いなどを感知する味蕾がにわかに色めきたって働きはじめ、それまで経験したことのないまろやかで芳醇な味のハーモニーを脳に伝える。それと同時に、名状しがたい深い香りが鼻孔にただよった、とでも言おうか。これを味わったことで、自分の酒の飲み方まで反省させられたものである。舌にころがしてじっくりと味わう、ということくらい頭では知っているが、実際にはいつもせかせか、ごくごくと飲んでいたのではないか。

 ものの本によると、泡盛は南蛮渡来の蒸留酒である。クエン酸の強い黒麹菌を使って醸す純米酒(タイ米が使われることが多い)のもろみを蒸留してつくられる。

 クエン酸の強い黒麹菌が使われるのは、暑い沖縄で雑菌の繁殖を防ぐためである。そういえば、日本酒の醸造は寒い季節に行なわれる。定評ある日本酒の銘柄が東北地方に多いゆえんであろう。それもこれも腐敗を避けやすいからだ。ところが、いつも暑い沖縄には、寒い季節なんてありはしない。そこで黒麹菌を使って雑菌を殺すのだが、そのためにとても飲めないほど酸っぱい酒だできてしまう。ところが、これを蒸留することによって、口当たりがよく、すっきりした味わいの酒が生まれるというわけだ。

 しかし、どう作られるかはともかく、泡盛のきわだった特徴は、貯蔵年数を重ねれば重ねるほど、味がまろやかになって風味が増すところにある。戦前には200年ものがあったという(いまでも30年ものが売られている)。

 しかし、蒸留したての新酒は味に勢いがある反面 、どこか荒削りで、風味に乏しい。泡盛については、味の特徴から男酒あるいは女酒というふうに大別 して語られることがあるが、新酒の多くは典型的な男酒で、キックが強く、はなはだ刺激的である。それにたいして女酒は、最初からメロウで口当たりがよい。古酒づくりには男酒が適していると聞いたこともある。

 沖縄の居酒屋は、島酒(泡盛を沖縄ではこう呼ぶ)を注文すると、何も言わなくても氷を山盛りにしたアイスペールとミネラルウォーターのボトルがかならずついてくる。これは暑い土地柄のせいもあるが、新酒のきつさを好みの量 の水で割って口当たりをよくして飲もうとの工夫から生まれた習慣ではないかと、私はにらんでいる。誰もが値段の高い古酒を飲めるわけではない。私の経験でも、古酒を置いていない店にぶつかったことが何度もあった。クースを注文して、古酒は置いていませんと言われるのである。つまり、地元のたいていの人が新酒を飲んでいるのである。

 ついでに注意しておくと、このごろは古酒でも25度と、アルコールの度数が低くてストレートでも飲みやすいものが売りだされている。5年も10年も貯蔵するわけだから、厳重に密閉して冷暗所に保管しておいても、水分の蒸発は避けられない。したがって古酒のアルコール度数は40度以上になるのが普通 だ。それなのに10年もので25度の泡盛が売られているのは、いったいどういうわけか。もちろん、ボトリングのさいに水で薄めるのである。これも、抵抗なく喉を通 るソフトな酒を好む人が増えたためだろう。しかし、水割りくらいは自分で好みのものを作ればいいではないか。まずは強い古酒をストレートでじっくり味わってみることをお勧めしたい。

 しかし、醸造元によっては、新酒をいっさい出荷しないところがあるという。つまり、3年以上経たないものは酒と認めない、というポリシーのもとに商売しているわけだ。だから、売りだす量 もかぎられていて、いっさい宣伝もしていないらしい。

 ここまで書いてきて、ふと感じたことがある。泡盛の古酒の貯蔵年数は、翻訳者の経験年数とよく似ていることだ。新酒の味が万人を満足させるものでないのと同様、まだ経験を積んでいない人の翻訳はその人の持ち前の資質以外、見るべきところがないとしてもしかたがない。それが3年も経験を積むと、ほとんど問題なしに仕事の依頼をこなせるようになる。翻訳者としての個性もおのずとあらわれてくる。さらに翻訳者として5年くらい経験を積めば、もう押しも押されもせぬ 一人前の翻訳者として通用する。そのあとは古酒と同じく、年を追うごとに熟成の度を深めていく。いささかこじつけめいているが、私は泡盛の古酒を飲むたびにその思いを新たにするのである。

 クースの話としては、自分で古酒を作る楽しみもあるが、長くなるので今回は割愛することにしたい。自分だけのクースを作る手順やコツについては、また機会を見てご紹介することにしよう。




沖縄の地名 2001.12

 沖縄の地名には難読のものが多い。「東風平」とか「勢理客」などという地名がすらすら読めるナイチャー(内地人)は、あまりいないのではないか。前者は「こちんだ」で後者は「じっちゃく」と読む。これはもちろん沖縄方言で、後者は「せりきゃく」とも読まれている。しかし私の思うに、この手の「やまとぐち」式の読み方はどうもいただけない。エキゾチシズムからそう言うのではない。地名にせよ人名にせよ、そう名づけられるには理由もあればいわれもある。東京の古い地名が、無味乾燥な番号にとってかわられたことについて、これまでにいろいろな議論があった。だから、ここで同じような理屈を繰り返すつもりはない。

 ところで、いまあげた難読の地名よりももっと厄介なのが、やさしい漢字で表記されている地名の読みが、われわれの知っている常識的な読み方とまったく違う場合である。たとえば、北谷(ちゃたん)、安田(あだ)などがそうだ。沖縄の地名におけるこの種の読み方は、それこそ枚挙にいとまがないくらい多いのである。

 最近、沖縄本島北部の「山原」(これは「やんばる」と読む)に位置する「東村」に用事があって、村役場に電話をかけたことがある。「もしもし、あがりそん役場ですか?」と私。それにたいして、受話器をとった人はこう答えたものだ。「はい、ひがしそん役場です」。ああ、またか、と私は思った。前にも同じような経験をしたことがあったからだ。 (「村」は沖縄ではかならず「そん」と発音する。これは中国文化の影響からくるものだろう。あるいはお気づきの方もおられるかと思うが、NHKの連続テレビ小説『ちゅらさん』にでてきた沖縄の男性の名前が、「けいぶん」、「けいしょう」、「けいたつ」とすべて音読だった。沖縄の男性の名前はいまでも圧倒的に音読のものが多い。これも同じ中国文化の影響の名残りであろう。)

 沖縄本島の約300キロ南に、宮古諸島がある。島々の周囲は珊瑚礁の海に囲まれた風光明媚なところで、ダイビングやシュノーケリングのメッカとして、夏は若者たちで非常に賑わう。その宮古島に「東平安名崎」と「西平安名崎」という、眺望に恵まれた美しい台地がある。日本の観光名所百選にはかならず入るところで、一年を通 じていつも観光客の姿が絶えない。その「東平安名崎」を初めて訪れようとしたときのことだ。ホテルの前に待機していたタクシーに乗りこんで、「あがりへんなざき」までやってください、と告げたところ、運転手は「ひがしへんなざき」ですね、と答えたのである。

 沖縄方言で「東」と「西」の方位を示す言葉はきわめて明快で、とてもわかりやすい。「東」はすでに書いたように「あがり」というが、これは太陽が昇りそめる方位 だということからそう言われるようになった。一方、「西」は「いり」と読むが、これはもちろん太陽が沈む方位 をあらわしているわけだ。ついでに書いておくと、「北」はややこしいことに「にし」という。「南」は「はい」または「ぱい」という。それで、いま書いた「西平安名崎」は、どうも「北」の「にし」であって、本当は「北平安名崎」とするか「にし平安名崎」とすべきなのではないか、と思ったことである。宮古島の地図を見ると、たしかに「西平安名崎」は島の北方に位 置しているのである。

 すでに「東」を「あがり」ではなく、「ひがし」と読む習慣は沖縄でも定着しかかっているようで、ロードマップなどを見ると先ほどの「東村」は「ひがしそん」と表記されているし、「東平安名崎」は「ひがしへんなざき」とされている。この表記を使っているガイドブックも多い。

 だが、人名では「東」を「あがり」と読む習慣はまだ残っている。われわれと同業の翻訳者に「東江一紀」さんがおり、彼の名前は「あがりえかずのり」と読む。また地名でも「西表島」はもちろん「いりおもてじま」である。東江さんを「ひがしえさん」と呼んだら、彼はどんな顔をするだろうか。また「西表島」を「にしおもてじま」と言ったら、非常識だと言われてもしかたがあるまい。

 地名や人名などは、ただの記号である。だからして、誤解されないようにわかりやすくすればよいという主張もあるが、これには異論がある。人にせよ土地にせよ、そう名づけられた名前が使われていくうちに、その人なり土地なりと融合して独自の個性をもつようになるのである。つまり、地名は土地とそこに暮らす人間とのかかわりの接点としてとらえることができるわけだ。言い換えれば、地名は土地に刻まれた大切な文化財だと言ってもよい。それを「わかりやすい」とか「便利だ」という理由で勝手に変えるのは、つまるところ文化の破壊に通 じることではあるまいか。




明けましておめでとうございます。  2002.1

 沖縄の冬は暖かくて助かります。本当に過ごしやすい。この秋から、思い立って毎日1時間ほど歩くことにしました。沖縄では、散歩のぶらぶら歩きよりもややピッチをあげて歩くと、12月でも汗びっしょりになり、帰宅後のシャワーが快適です。ところが、東京では汗がでるどころか、手がかじかんで、ついポケットに手を入れたくなる。腕を振って歩くどころではありません。ウォーキング用の手袋を買いこむしまつです。そう言えば、息子の嫁さんから、生まれて初めて「しもやけ」ができたというメールをもらったこともあったっけ。

 そんな沖縄の冬ですが、たった一つ不満なのは、手近なところに温泉がないことです。私も日本人で、冬になると温泉の湯煙りが恋しくなります。それで、この年末には沖縄から帰京する前に、九州に立ち寄って温泉につかろうと考えました。今年もいろいろなことがありましたが、べつだん一年を回顧して新年の抱負を練ろうなどという殊勝な心映えがあるわけではありません。おいしいものを食べてのんびり温泉を楽しもうという算段です。

 那覇からは福岡空港への便が多いので、行く先は博多に近いところになります。まず、博多の奥座敷のような脇田温泉というあまり知られていないところに足を向けました。それから北原白秋の生地で記念館のある柳川(先年温泉が沸いたというニュースがありました)、それから鉄道の駅がないのでこれまで行きそびれていた嬉野と、温泉のはしごを したしだいです。

 九州は温泉が多く、どこへ行っても設備がととのっていて、サービスも良好です。これはいい意味で競争原理が働いているせいだろうと思われます。とにかく結構ずくめであまり言うこともないのですが、たった一つ気にかかったことがありました。それは、食事の品数の多いことです。これは何も九州の温泉旅館ばかりではなく、日本全国どこへ行っても見られる現象ですが、部屋出しの夕食の献立が15品というところはざらです。それも土地の名産ならいざ知らず、奥深い山のなかの宿でも刺身に揚げ物、蟹か海老、煮物に、ちょっとした鍋が用意されます。献立をあげていったらきりがないほどで、私には覚えきれません。夜は酒のつまみが少量 あればいい私などは、半分も食べられない。もちろん、それが楽しみで温泉に出掛ける人がいるのでこうなったのでしょう。しかし、宿を予約するときに、小食なのでと断わっておいても、かならず盛りだくさんの献立になるのです。

 こうしたことには、もちろん理由があるのでしょう。第一に、献立を豪勢にしないと、高い宿泊費が取りにくいということもあるんだろうな。ホテルのように外で食事ができるようにしにくいことはわからないでもない。しかし、何種類かの献立を用意しておいて、客に選ばせるというような工夫はできると思うのだが。

 日本旅館については多くの人がいろいろな不満を述べています。いまさらそういうアラ探しをするつもりはないけれど、何よりも腹が立つのは、客の都合よりも旅館側の都合を優先する傾向が相変わらず見られることです。食事の時間は、いちおう聞かれますすが、これも6時か6時半というふうにチョイスが限定されているところがほとんど。今回経験した最もひどい例では、団体客があるので8時の予定の朝食を8時半にしてくれと強制されたことがあります。いっそのこと、朝食を断わろうかと思いましたが、時間に拘束された旅ではないし、さからうのも大人げないと思って相手の意向に従いましたが。

 さて、ある宿でお膳に乗り切らないほどの料理を前にして、これは何かに似ているな、と感じたものです。一種の既視感ですね。それが何だかわからないまま帰京して、新聞を読んでいたとき、ふと思い当たりました。出版物の新刊の売上高が5年連続して減少しているというかこみ記事ですが、それにつづいて「この間の書籍新刊点数は昨年の2.0%増。年間でも昨年の約6万7500点を上回りそうだ」というのである。このごろは、本屋へ行くたびに憂鬱な気持ちになるのだが、あふれかえる新刊書のなかに、こちらの読書欲を刺激するものがほとんど見あたらないのだ。温泉旅館の食べたくもない盛りだくさんの献立と読みたい気持ちが起こらない新刊書の洪水。どちらも供給する側が苦しまぎれに打ち出した方針の結果 だろうが、受け手としては自衛するしかないのだろうか。人文・社会科学系の書籍を大型書店や大学生協に供給してきた鈴木書店の倒産も、つい先だってのことだった。今年も新刊書店は駄 本の山に埋もれて、心ある読書人は自分の読みたい本を見つけだすことができぬ まま、書店に足を向けなくなる結果にならなければいいのだが。

 新年早々、面白くないことを書いてすみません。


意味のすりかえ 2002.2

 前月に掲載された私の雑文にたいして、志摩さんの応答がありました。面 白い本もないわけではありませんということで、年末年始に読んだ本をあげています。さすがに志摩さん、休日にも難しい本を読んでいるんですね。本当に感服します。ただ、私が言いたかったのは、面 白い本がないということではなく、書店でそういう本が駄本の山に埋もれてしまう現状はどうにかならないか、ということでした。あげろと言われれば、私だって何冊も面 白い本をあげることができます。志摩さんの「応答」は、どうも私の文脈の意味をすりかえているような感じがします。志摩さんのことですから、私の陳腐な議論をからかってやろうと、意図的にそうしたのではないかとも思っていますが。

 こうした意味のすりかえは、文脈にかぎらず、単語でもよく行なわれますね。いや、むしろそのほうが多いかもしれない。私が経験した例をあげましょうか。

 私と同じ場所にカンヅメになっていた旧知のある翻訳者が7ページほどの雑誌記事を2日で訳していました。1ページがだいたい400字詰めで5枚強になり、全体で40枚くらいということでしたから、ちょっときついスケジュールかもしれない。2日目の朝、その人に会ったので、あと何ページ残っているのか聞いたところ、「3ページ」という答が返ってきました。「では楽勝だね」と、私。それにたいして相手はこう答えました。「いや楽じゃないよ」。前の日に4ページ訳したのだから、残りはあと3ページ。したがって締切には充分間に合うはずなので、私は深く考えもせずに「楽勝」と言ったのですが、相手は翻訳作業は楽ではないと言いたかったらしい。あるいは、私が人の仕事に余計な口出しをしたので「大きなお世話だ」と言いたかったのかもしれない。翻訳という仕事が楽ではないことくらい、私は知りすぎるほど知っています。相手のその人も私が長年翻訳をしていて、かねがね翻訳という作業が楽ではないと言っていることなどよく知っています。だから、そう言われた私はちょっとびっくりして、二の句が継げなくなりました。

 この種の言葉の意味の取り違え(意識的にせよそうでないにせよ)というのは、日常的に起こることで、それがまた人間関係の面 白さや煩わしさの原因になることは誰でも経験しています。何気なく口にしたことが人を傷つけたり、逆に人の不用意な言葉に傷つけられたりするのは日常茶飯です。周囲を見回しても、そういう言葉の意味の取り違えが人間関係をめぐるトラブルの発端になっているケースは、それこそ枚挙にいとまがない。しかし、だから言葉遣いに気をつけろと言いたいのではありません。そんなことを考えて口にする言葉をいちいち吟味していたら、軽率でそそっかしい私などうっかり口もきけなくなってしまう。かつて誰かが『コミュニケーション不全症候群』という本を書いていましたが、日常的な言葉の意味の取り違えは、考えようによっては人間生活を面 白くする薬味のような役割を果たしているとも言えそうです。しかし、翻訳という仕事について考えると、このあたりを意識していないと、とんでもないミスをすることもあるのです。

 意図的な意味のすりかえというのは、戯曲を読んでいるとよくぶつかります。特に喜劇では非常に有効なテクニックとして多用されることはご存知のとおりで、例をあげるまでもないでしょう。シェークスピアやモリエールの作品を読んでもらえれば、私の言いたいことはわかってもらえると思います。これらは、もちろん意図的な「意味のすりかえ」で、言わば作劇上のテクニックとして使われる場合です。ほかにも、論争などでわざと「意味のすりかえ」をすることがありますね。これは相手を貶めたり茶化したりする手段としての意図的な「意味のすりかえ」で、おかげで第三者は論争当事者のやりとりをより興味深く読むことができます。

 ところで、ここに志摩さんの文章や友人の言葉を引きあいにだして「意味のすりかえ」について書く気になったのは、そうした意識的な場合ではなく、翻訳で無意識のうちにやってしまう「意味のすりかえ」に注意をうながしたかったからです。何しろ、自分が生まれ育った文化とは異なる文化の産物である異言語が相手の仕事です。テキストを理解するには、まず辞書の訳語と文法を頼りにして悪戦苦闘しなければなりません。しかし、辞書の訳語をそのまま鵜呑みにしたり、反語的な文脈を正直に受け取ったりして失敗する場合がよくあるのです。あえて例はあげませんが、翻訳者たるものテキストをじっくりと読んで、著者の意図を正確に理解しているかどうか、つねに言葉や文脈に注意を怠らぬ ようにしたいと、自戒の念をこめて言いたいのです。




もやしのひげをとる 2002.3

 今月はやたらに忙しいうえ、小さい事故が重なって、いささかくさっていました。それで、このエッセイ(なんておこがましいが)はお休みにしようと、野中さんに断わったのですが、東京に帰り、溜まっていた郵便物などの整理がすんだところで、ふと思い出したことがあり、そのことを書いておこうと考えたしだいです。(駄 文に妙な前置きを書くこともないな。)

 昨年末から、どうしたわけあいか陶磁器に心をひかれて、あちこち見て歩くようになりました。もちろん、骨董趣味なんて高級なものではなく、生活雑器としての陶磁器の魅力に目覚めたわけです。沖縄は焼き物がさかんで、那覇には壺屋という陶磁器を商う一画があり、観光の目玉 の一つになっています(シーサーや骨壺もあります)。また、誰かも書いていたけれど、紅芋の産地として有名な読谷村(よみたんそん)には「やちむんの里」があり、登り窯があちこちに散在しています。これは、もともと壺屋にあったものが、都市化がすすんだ那覇ではいろいろと不都合があって移転したものです。つい先だって(2月23、24日)、やちむん市という展示即売会が開かれ、私も足を運んで、気に入った安物の皿や器のたぐいを買ってきました。

そんなわけで、このごろは、朝、目が覚めると、床の中で今日はどの器に何を盛ろうかなどと考えることが、一日の始まりになっています。いや、朝だけではありません。今日も那覇から帰ってきて、夕食に自分なりの小さい楽しみを満喫しました。帰途にスーパーで買った本マグロの刺身がメインディッシュで、これは伊万里で買った白磁の小鉢に盛る(刺身には自分の好みでちょっと手を加える)。それから、去年の暮れにボイルして冷凍しておいた牛タンを解凍し、手製のたれをかけたものは、やちむんで買った魚の絵付けのある小皿に盛る(3センチ四方くらいだからたいしたものでははない)。そして、このわたを有田で買った青磁のぐいのみに体裁よくのせて、口福と視覚をともに満足させる。さらに、沖縄のチーズというべき「豆腐蓉」(これは一度にマッチ棒の軸くらいを口に運ぶという典型的な酒肴)の1センチ角を1個、昔、私の親父が愛用していた古伊万里の小皿にのせる。以上が今夜の私の「豪勢な晩餐」の献立でした。もちろん、泡盛の10年もの(40度)大ぶりのコップ2杯がつきました。

 なんだか妙な話になったけれど、本題はこれからです。

 私はどうも日常生活の雑用をかたづけるのが好きなようで、掃除、洗濯、料理などがいっこう苦にならないどころか、むしろ雑用大好き人間のようです。先月、東京にいたある日、姉の一人が、中野の寓居にやってきました。折悪しく(?)、私はそのときもやしのひげを取っていたのです。姉はそれを見て、けげんな顔をして言ったものです。「あんた、何をしているの。もやしなんか20円か30円でしょう。そんな手間をかけることもないのに。あんたがそんなことにかける時間のほうがもったいないじゃない」

いかにも、もやしは1袋25円でした。そして、もやし1袋のひげを取るには、ざっと2時間ほどかかります(でも、その2時間はいろいろと考えごとをするのに好都合で、私にとっては貴重なひとときです)。そう言われれば、いつだったか弟の会社の特許部に翻訳を頼まれて出向いたときには、1時間に2万円という大枚を支払われたことがあります。そう思うと、姉の言うことにも一理ありそうな気がしますが、そうではないというのが、今回、私の言いたいことなのです。

 姉にそう言われて、ふと思い出したことがあります。それは昨年末、ある新聞の投稿欄に載っていた文章のことです。たしか「つまらない」という題だったと記憶しています。(記事は切り抜いてあるのですが、不都合なことに沖縄から送り返した荷物のなかのスクラップ帳に挟んであります。つまり、いま沖縄から東京に運ばれる途中のどこかにあるわけで、あいにく手元にないのです。)その文章の趣旨は、年を取って現役を退き、妻に代わって初めて家事をするようになったが、これは実につまらない仕事で、うんざりするという内容でした。投稿主は70歳になる元コンサルタントだということです。家事大好き人間の私にとって、これはまったく聞き捨てならぬ 暴言だと思いました。

 家事がつまらないと言うが、では「つまる」仕事とは何なのか。もとコンサルタントというから、きっと企業の金儲けのための知恵をしぼるようなことをしていたんでしょう。しかし、それが家事よりも上等な(したがって面 白い)仕事だと言われたら、主婦ばかりではなく、誰しも首を傾げるのではないだろうか。そもそも人間の生活は、毎日同じことの繰り返しが多く、雑事の集積だと言ってもいい。人さまざまで、企業の金儲けの片棒をかつぐのが面 白いという人間がいても不思議ではないし、私とてそいういう人の好みに文句をつけるほど狭量 ではないつもり。それはともかく、元コンサルタントという肩書きに、私は引っかかった。コンサルタントならば、つまらない仕事を面 白くするというのも職責のひとつだろう。それを、「つまらない」の一言で切り捨ててしまうなんて、コンサルタントの風上にもおけない態度だと言うしかない。こういう人が、現在の日本のごとき妙な国をつくったのではないかと、つくづく慨嘆させられたわけです。

 それで、先ほどの私の姉の言葉とこの元コンサルタント氏に共通するところですが、どちらも経済合理性を至上のものと考えていることです。はした金で買える食材に長い時間をかけて下ごしらえをするのはばからしいという考えと、毎日代わり映えのしないお金にならぬ 仕事をするのはつまらないという考え方。こういう経済合理性が、われわれの生活をいかに毒しているか、あらためて考える必要があるというのが、今回私の言いたいことなのです。ここで公害などをもちだすのは、もはや陳腐かもしれないが、これは私たちの仕事である翻訳とも関係があると言いたいのです。最近、同業のある人と話していて、一日に千円で暮らそうと思えばできるのではないか、仕事はほどほどにして、もっと自分の生活を楽しむようにしてはどうかと言われ、考えさせられました。  しかし、あまり長くなるので、そういうことはまた別の機会に書きましょう 。




素人万歳 2001.5

 私には珍しいことだが、最近、小説を翻訳した。編集者から是非にと言われ、断わりきれぬ まま手掛けることになったのだ(というより、私のグループにも小説を訳したい人が何人もいるので、そういう人に経験をつませて、フィクションの翻訳について考える機縁としたい気持ちもあった)。それで私自身、これまでとは少し異なる経験をして、いくつか感じることがあった。それについて書いてみたい。

 まず、フィクションとノンフィクションの翻訳の違いについて。  ノンフィクションの場合、テキストのメッセージをできるだけ正確に伝えることが何よりも重要になる。文体も、できるだけ無色透明にしたい。一つには、読者に余計な負担をかけず、すらすら読めるようにするためだ。

 それにたいして、フィクションというのは、作家の想像力がつむぎだした架空の世界に読者を引き入れることが翻訳者の役割だ。そこは、われわれが生活している現実の世界とは別 次元の言語宇宙ということになる。だから、自分の日常的な言語感覚で原文を(とくに会話を)訳してすませるわけにいかない。かなりの工夫が必要になるのだ。

 ミステリーなどには、ギャングだの売春婦などがよく登場するが、翻訳された作品にでてくるそいう人たちの会話には、読んでいて辟易させられることも多い。それは、小説の登場人物が口にする言葉について、訳者が十分に考えていないことが原因なのではないか。つまり、作者が構築した言語宇宙を、訳者が自分の生活レベルに引き下ろし、ステレオタイプの言葉を多用する結果 、なんともちぐはぐなことになるわけだ。ステレオタイプの言葉が使われるのは、「やくざ」や「売春婦」の世界に、誰もが通 じているわけではなく、よく知らぬまま既成の俗語辞典などに頼るからだろう。

 それから、こなれた(翻訳を評価するとき、「こなれて」いるのは褒め言葉であるらしい)文章にするつもりで、「〜しまくって」とか「ぴんしゃんしている」というような、日常会話としてもちょっとどうかと思われる言葉を連発する人がいる。また、「疑り深い」という言葉にでくわしたこともあるが、これも日常会話では許容されても、文章語としては避けたい言葉だろう。「疑う」と「勘ぐる」がくっついてできた日常的な表現だからだ。

 もちろん、ノンフィクションでも、でてくる会話の扱いには、フィクションを訳す場合と同じ配慮が必要になる。あるとき、私の仕事の一部を手伝ってくれた人が、アメリカ政府の高官の会話をこんな調子で訳したものだ。「なんたって、ぼくらは……だもんね」。もちろん、これはボツにして訳し直しましたよ。

 フィクションとノンフィクションの違いを考えることがこの文章のテーマだったけれど、ここまで書いてきて、ことはそれほど高度なレベルの問題ではないことにふと気がついた。つまり、翻訳という仕事がよくわかっていない人が多いということなのだ。  前に授業をしていたとき、話し言葉と書き言葉は違うのだとよく言ったが、実際に翻訳をさせてみると、そんなことすらわきまえていないための欠陥が露呈する。上記の「「〜しまくる」や「ぴんしゃんしている」はその最たる例だ。

 しかし、おもしろいことに、話し言葉と書き言葉が違うことについて、未熟な訳者が、どうもそのことを意識して(矛盾した言い方だが、無意識的に意識して)いて、そのために奇妙な訳語をつくるのではないかと思われる例もあった。

 「演説をおこなう」、「抵抗をおこなう」といった表現が、それである。ひどい例では「窃盗をおこなう」というのもあった。「窃盗」はやはり「働く」のが普通 だろう。とにかく、「おこなう」というのは、あまり日常的には使わない表現ですね。ところが、翻訳だとこれが頻出する。翻訳ということで、かしこまった、よそいきの言葉を使わなければならない、みたいな心の働きがこういう珍妙な表現を生みだすのではないか。この「おこなう」のバリエーションというか、同じような心の働きが生みだしたと思える例に、こういう表現がある。上と同じ例を使うと、こうだ。「演説をする」、「抵抗をする」、さらには「キスをする」というのもあった。これらに使われている「を」は、無用であるどころか、邪魔な場合が多い。このキスの人は、キスがでてくるとかならず「を」を入れていた。前に授業をしていたとき、「おこなう」があまり頻出するので、私は「おこなう」を禁句にしようと言ったことがある。キスの人は、どうもそれを覚えていて、「おこなう」の代わりに「する」を使い、これでよしとしたらしい。

 最近、友人に上のような話をしてみた。すると相手はこう言ったものだ。「いや、そんなことではないだろう。英語では『演説』や『抵抗』の前に、make とか do という動詞がくるはずだ。そいつにひっかかって『を』をいれたくなったのではないか。英語は、きみの言うとおり名詞的な言語だからね」。そう、たしかに「を」を入れれば、その前にくる「演説」や「抵抗」は名詞だということがはっきりする。そう言われてみると、私の推理よりも、その友人の感想のほうが当たっているようにも思える。だが、そうなると上記のような翻訳をする人は、下手な翻訳者よりもレベルが低く、学校で教師に英文和訳を命じられた高校生の域に低迷していると言わざるをえなくなる。言語の性格を無視して、英語の品詞まで忠実に訳したがるのは、翻訳を初めて試みる人がはまりがちな落とし穴だからだ。

 それで、あらためて考えると、どうもそのレベルの悪訳がいまもかなり目につきますね。英語の文章を日本語にするとき、第一に注意すべきは、表現がとかく大袈裟になりがちだ、と私はしばしば注意してきた。英語のテキストでは最上級の言葉がよく使われる。「best」 や「〜est」 がやたらにでてくるのである。これを訳して「最も〜のひとつ」なんて訳すと、たとえば野中さんなどは怒り心頭に発する。それはともかく、ほかに例をあげると、複合動詞の多用がひとつ。それから「した」とするだけでいいのに、ところかまわず「してしまった」と念を押すような表現にする人もいる。さらに、複合動詞の例をあげると、「入る」とするだけでいいものを、いつでも「入り込む」とし、「動く」だけでいいのに「動きだす」としなければ気がすまないらしい人もいる。これらは、絶対に使ってはいけないとは言えないが、乱用は困る。ましてや、でてくる動詞をすべてこの類の表現にしたらどうなるか。冗漫で、しまりがなく、まともな言語感覚の持主にはとても読むに耐えない文章になってしまうはずだ。前に、やはり授業で受講生の訳文を相互チェックさせたことがある。だが、文章のそういう欠点など眼中にないものだから、これらの欠陥日本語の翻訳文にぶつかっても満足にチェックできなかったのは、当然といえば当然だったもしれない。講師として、自分の思いつきが好ましい結果 にならず、私は非常に困惑したものだ。

 あらためてこんなことを書かざるをえないようでは、われわれの翻訳のレベルも高が知れていると思われてもしかたがないだろうな。牧人舎は素人集団ではないはずなのだが。




A Job for Life ?  2002.6

 ご承知のように、私はこれまで翻訳について2冊の本を書いている。最初の著書『私の翻訳談義』はハードカバーとして刊行されたあと、幸い安価な文庫になった。さらに、この本が文庫化されてから間もなく上梓した『職業としての翻訳』がいくつかの新聞や雑誌で好意的に紹介されたこともあってか、そのどちらかを(あるいは両方を)読んでくださった方々から、牧人舎で仕事をしたいのだが、という問い合わせを多数受けた。数えてみたところ、現在までにざっと50件の問い合わせがあった。そのうち、4人の方に牧人舎で仕事をしてもらい、現在も2人がわれわれの仲間としてさかんに仕事をしている。50人のうち4人が最初の関門をクリアーし、そのうちの2人には1度きりでやめてもらったとはいえ、あとの2人が出版翻訳の訳者となる道を順調に(?)歩んでいるわけで、これはかならずしも悪い成績ではない、と私は(ひそかに心のなかで)思っている。

 しかし、私がここで書きたいのは、そんなことではない。大学入試のための予備校ではないのだから、指導の甲斐あって何人かがめでたく入試を突破したなんてことを自慢するつもりなどあるわけがない。先に、50件の問い合わせを受けたと書いたが、私はそれらの人の全部に会っているわけではないし、全員に課題をだして実力を判定してもいない。では、問い合わせを受けて会ってみるなりトライアルを課するなりしないでお断わりした人たちとそうでない人との違いがどこにあったのか、ということをここで考えてみたいのだ。

 翻訳という仕事は(特に出版翻訳の場合は)、この短文の表題とした A job for lifeではなく、大袈裟に言えば vocation のような性格がかなり濃厚だ、というのが私の考えだ。つまり、たんに「生活していくための仕事」ではなく、小説家や音楽家、あるいは画家や彫刻家のようなアーチストにも似た、一種の天職のような性格があるということだ。だから、出版翻訳の訳者として認められるまでには、それこそ半端ではない努力が必要だし、人間としてのさまざまな欲望を断念することもときとして覚悟しなければならない。「人並みの収入」を手にするどころか、観たい映画や買いたい衣服などを諦めて、高価な専門書や欧米で刊行された新刊書を買うなど、自分が選んだ仕事に寄与するような金の使い方をしなければならないことも多いのだ。何かを望む以上、別 の何かを断念するのは当然のことだと私は思うのだが、そういう考えはもう古臭いのだろうか。(しかし言うまでもないが、そういう覚悟をし、苦しい努力を重ねても、それだけで出版翻訳のプロになれるという保証はない。それからあとは、資質と能力が問われる。つまり誇張して言えば、芸術家と同じ試練を乗り越える必要があるのだ。)

 もちろん、たんなる仕事の一つとして翻訳をすることも可能ではある。最近の一億総素人化の風潮もあって、ちょっと翻訳でもやってみるかという軽いノリで翻訳者になろうとする人も少なくないようだ。だが、いわゆる実務翻訳の場合は、多少の不手際があっても仕事を干されるくらいですむ。見込みがないとわかったら、あっさり転職すればいい。だが、自分の名前をだして仕事をする出版翻訳で不覚をとったら、自分の人格にかかわるようなトラウマを負うことになる。これは、出版翻訳にたずさわるにはかなりクリエイティブな能力が要求されることと関係するからだろう。言い換えれば、これは出版翻訳の仕事がたんなる job ではなく、vocation としての性格が強いことの証左にほかならない。

 その昔、若年の私が編集者として翻訳をお願いしに行ったとき、いまは故人になられているある人類学者が口にした言葉がいまでも忘れられない。「翻訳をする者は、その外国語を人並み以上に深く理解できなければならない。さらに達意にして明快な日本語の書き手でなければいけない。そのどちらかに少しでも欠けるところがあると思ったら、勉強しなおして、自信がつくまでは絶対に翻訳などすべきでない」。私がフリーの翻訳者になろうと決心するまでにずいぶんためらったのは、一つにはこの言葉がずっと心にひっかかっていたからだ。そして、フリーの翻訳者になろうと決心してから、人に乞うて原書購読のようなことをしてもらい、自分の語学力のブラッシュアップをはかったものだ。その顛末は自著にも書いたが。

 50件の問い合わせを受けて、私が会わずに、またテストもせずに断わった人たちのメール(手紙を書いてきた数人のほか、ほとんどの人がメールで連絡してきた)を読んで感じたのは、多くの人が翻訳をさまざまな仕事のうちの一つの選択肢としてしか認識していない点が明らかだったことだ。だから私は、なんとしても出版翻訳の仕事をしたいという意欲の感じられた人だけにお会いし、トライアルを受けてもらった。はなから断わった人のなかには、いわゆる技術翻訳でかなりのキャリアを積んでいるとおぼしい人物が何人もいた。しかし、そういう人の多くには、ただ仕事の場を増やしたいだけという気持ちがありありと見て取れた。なかには就職活動さながらに自分を売り込もうとする人も散見された。私の著書をきちんと読んでいれば、それではだめだということくらい判断できるはずなのだが。

 本に書くだけでは飽き足らず、ここに同じようなことを繰り返すについては、もちろん理由がある。しかし、あとは蛇足になるだけだから、この辺で打ち切ることにしよう。




重いバットの効用  2002.9

  毎年、夏になると八重山(土地の人はヤイマと発音する)諸島に属する黒島(西表島に近く、石垣島から高速船で40分あまりのところ)で休暇を過ごすことにしている。休暇といったって、会社勤めをしているわけではないから、勝手にそう決めているだけであって、8月半ばの4、5日をこの黒島で、魚と遊んだり仕事と関係のない本を読んだりして、のんびりと過ごすのだ。

 この島は全体が珊瑚礁のうえに乗っかっている(隆起珊瑚礁という)ようなもので、島の周囲は沖に防波堤よろしく珊瑚の壁ができており、外海の荒波はそこにぶつかってつねに白く砕け散っている。その内側は波も穏やかで、干潮になると随所に潮だまり(タイドプール)ができ、そこにたくさん魚がひしめいていたりする。外海とのあいだを珊瑚の壁が仕切っている内側のこのような場所をイノーという。ウチナーンチュ(沖縄人)は「海の畑」と称し、干潮になると浅瀬を歩いて魚を獲ったり貝をひろったりする(青珊瑚の群落で有名な石垣島の白保海岸はイノーとしても知られている)。だから、黒島のビーチは海水浴にはもってこいということで、あまり泳げない人や子供連れの家族に人気がある。

 黒島の特徴は、土地の人に言わせると何もないところがいいということで、本当に何もない。コンビニどころか商店も1軒だけしかない。商店といっても、初めてこの島を訪れたときに案内者がこう言った程度のしろものである。「あの店に置いてある缶 詰なんか、いつ仕入れたかわからないよ」。黒島で夏を過ごすようになって、もう5年(つまり、訪れるのは今年で5回目)になるが、この小さい島(周囲が13キロで、住民が200人くらい、牛が3000頭という牧畜の島)は、もうあらかた見て歩いたと思っていた。(黒島では業務用以外の車の走行が禁じられていた。だからどこへ行くにも、歩くか自転車に頼るしかなかった。私が自転車に乗ろうと、悲壮な覚悟で練習をはじめたのもそのせいだったのだが、今年からレンタカーの業者がここでも営業をはじめていた。)ところが、この黒島にも、よく見ていないところがないではなかった。

 この島で見るところといったら、海亀が産卵することで知られている「西の浜」と餌付けされている熱帯魚が群れをなす「仲本海岸」という2つのビーチ(泳げるビーチはほかにもたくさんある)、それに日本の街道100選に選ばれた「東筋(あがりすじ)」、いまは使われていないが、とても眺めのいい「伊古桟橋」、それに生きた海亀が見られる「海中公園研究所」くらいしかない。だが、今年でかけていって、まだじっくりと見ていないところがあるのに気がついた。島の南にそびえる黒島灯台である。初めてこの島を訪れたときに宿の人の運転する車で行ったことがあり、そこから見る海の眺めが素晴らしかったことを思い出したのである。

 宿からざっと7キロくらいある距離の半分は舗装されているから問題がないとして、残りの半分は文字通 りのラフロードである。農道として使われているためにトラクターが道を深くえぐり、その溝には砂利や大きな石(いずれも珊瑚のかけら)が散乱していて、ただ歩くだけでも難儀しそうな道なのだ。

 しかし、せっかく特訓した甲斐あってどうにか自転車にも乗れるようになっていたから、勇を鼓してレンタルの自転車に乗って出発した。舗装道路はまさに通 い慣れたる道であり、それこそ鼻歌まじりにペダルを漕いで快適に進んだ。ところが、東筋との分岐点からまぎれもない難行苦行がはじまった。自転車は溝にはまっては石に乗り上げて跳ね上がる。それが延々とつづくのだ。途中の難所では何度もペダルを漕ぐのをやめ、自転車を引いて進まざるをえない。まさに暴れ馬ならぬ 自転車のロデオ大会に迷い込んだおもむきである。

 その3キロあまりの長かったこと。平坦な道を歩くのと同じくらい時間がかかった。ざっと40分ほどかかったろうか。全身汗みずくはまだいいとして、力を入れてハンドルにしがみついていたものだから肩と腕が硬直して、灯台のふもとにたどりついて、ハンドルから手を離そうとしてもなかなか離れない。自転車ごとその場にひっくり返ったものである。帰りにも同じ難行苦行が待ち構えているかと思うと、遠くに西表島をのぞむ雄大な海の景観も落ち着いて見ていられなかった。

 しかし帰りは、覚悟していたよりもずっと順調に進むことができた。それよりも驚いたのは、舗装道路での走行が信じられないほど楽だったことだ。ハンドルから片手を離しても真っ直ぐに進むではないか。俺もとうとう自転車の運転「?」に熟達したようだ、と感じいった。そのとき、ふと思い出した。野球をテレビで観戦しているとき、次に打席に入る選手がバットではなく鉄の棒のようなもので素振りをしているのをよく目にする。そうだ、あれと同じことを、私も今日、自転車で経験したのではないか。ラフロードを走行したあと、舗装されている道路にでれば走りやすいのは当然だ。一人で合点しながら、帰路についたことである。

 ところで、同じことは翻訳にも言えはしないか。翻訳を勉強しはじめ、やがて実際の仕事をなんとかこなせるようになる。初めのうちは緊張しているものだから、舗装道路を走る(やさしいテキストを訳す)のにも慎重なハンドルさばきを怠らない。しかし、仕事に慣れてくると緊張がゆるんで、考えられないようなポカをやることもある。ある程度、翻訳に慣れたと思ったら、舗装道路ではなく、ラフロードで走行してみるといいのではないか。つまり、いまの自分の力にあまると思えそうな難しいテキストにチャレンジしてみれば、その後の仕事にも大いに役立つと思うのだが、どうだろうか。


翻訳のプロになるために 2002.8

 前に、このHPを経由して牧人舎で仕事をしたいと望む人がかなり多いと書いた。最近も、大学を出たばかりの、20代前半とおぼしい人から、どうしても翻訳者になりたいのだが、いますぐに牧人舎で仕事ができないのであれば、せめてこれからどういうことを心がけて仕事をしていったらよいか、ご教示願いたいという手紙を受け取った。いまの若い人には珍しく、きちんとした文面 の手紙なので、そのまま放置するに忍びず、気がついたことを書き送ったしだいである。人に何かを教える柄ではないが、私は編集者として、またフリーの翻訳者としてかなりの経験をつんできたことだけは間違いない。それで、かねがね気になっていることを記して返事としたわけだが、以下はその返信のあらましである。


 お手紙拝見しました。牧人舎では現在、翻訳を教える場を設けておりません。いまここで仕事をしている人たちは、いずれもかなりの経験をつんでおり、実際の仕事を通 じて実力の涵養につとめている状況です。それに、牧人舎の代表である私が、もういつまでも現役の翻訳者として仕事をしていられる年齢ではありません。現在のメンバーが一人前の翻訳者として活躍するのを見届けられるかどうかもわからない現状なのです。したがって、まだ非常に若いあなたからのせっかくのお申し越しですが、お断わりせざるをえなかったわけです。

 それで、どういうことを心がけて仕事をしたらよいかということですが、まず第一に心がけるべきは、締切りを厳守するということです(そのことは、読んでいただいた私の著書にも書いてありますね)。締切りを守るのは当たり前のことですが、これをなかなか守れない人が多い。締切り間際になって、あと1週間延ばしてほしいと泣きを入れる人がはなはだ多いのです。これは、仕事の依頼者の時間を奪うのに等しいことだと思うべきです。あなたの場合は、仕事をするといっても出版社から直接依頼されるというケースは、まだ少ないでしょうね。いま勉強している翻訳学校の講師などから下訳を頼まれるといったことが多いのではありませんか。その場合、あなたに下訳を頼んだ講師からいつまでと言われて仕事をすることになりますが、このデッドラインは何があっても守らなければなりません。その講師の人は、出版社からいつまでに訳すという条件でその仕事を引き受けるのですから、あなたが締切りをのばせば、その人が迷惑します。迷惑どころか、あなたが締切りを守らなかったために、その人は十分に原稿を推敲できず、仕事の出来が芳しくなくて出版社の信用をなくし、そこでは二度と仕事ができなくなるかもしれません。下訳者について、私がかねてから感じているのは、プロ意識に乏しいということです。ともあれ、いつまでに翻訳してほしいとあなたに依頼した講師だけでなく、その先の出版社の締切りまでも意識したうえで仕事にかかるべきでしょう。下訳者といっても、臨時のお手伝いなどではなく、出版社の刊行計画に従って仕事をするプロの翻訳者という意識をもってほしいと言いたいのです。

 それから、締切り厳守と関連するのですが、与えられた機会を大事にすることが肝要です。せっかく仕事をしながら出来が悪かったり、締切りを守れなかったりしたために仕事の依頼者に愛想をつかされ、その人と仕事をする機会がなくなるというのは、言うまでもなくバカげたことですね。最初のうちこそは、まさに一回一回が真剣勝負だと言ってもいいでしょう。そのことを忘れてはいけません。

 さらに、上記と関連しますが、仕事に慣れすぎてしまうのは禁物です。何度か仕事の機会を与えられ、翻訳に少し自信がつくと、きちんと調べることを怠ったり、辞書をひく手間を惜しんでミスをおかしたりする人がよくいます。私のグループでもずいぶんそういう例にぶつかりました。私が「あなたは見込みがないから」と言ってやめてもらった人のほとんどが、そういうケースでした。自分の知らない人名などを調べず、当てずっぽうでカタカナ表記する人が非常に多いのです。これは新人ばかりでなく、ある程度の経験をつんだ人にも見られることです。しかし、新人だからと言ってもお目こぼしはされないと覚悟しておくべきでしょう。参考書には十分に目を通 す、インターネットを存分に使いこなす、辞書はとことんまでひく、というのが翻訳のプロになるための王道だと言ってもよいでしょう。

 ところで、自分なりに努力したにもかかわらず、締切りが守れなかったり、原稿が不備だったりして、仕事の依頼者から問題点を指摘されて苦情を言われることがあります。そんなとき、下手な弁解をするのは禁物です。私のグループでも、子供の受験勉強とかちあったとか配偶者が急病になったなどと言って弁解する人がいましたが、こんな弁解をするのは愚の骨頂です。公私はわきまえてほしいものです。出版社の編集者はもちろん、下訳の依頼者にしても、あなたの私的な事情を斟酌する義務はありません。私的な事柄を仕事の不備の言い訳にされれば、そのときはしかたがないと思うにしても、このあとの仕事を頼むときには二の足を踏むはずです(少なくとも編集者としての私はそうしてきました)。

 長くなるので、もうあまり書くわけにいきませんが、ほかに銘記しておいてほしいのは、自分の原稿は時間をかけて丹念に読み返すことが大切です(原稿を読み返す時間も締切りに含まれているのです。しかし、急ぎの仕事では自分の睡眠時間を割いても原稿の読み返しをしてください)。これも、あまり実行する人がいないらしいのは、たいへん残念なことです。一冊の本の原稿に、一箇所でも誤変換があれば(誤変換は原稿の読み返しが足りない証拠です)、私は厳しく注意してきました。それから、出来上がった訳本と自分の原稿を入念に照合することも忘れてはなりません。赤字を入れた原稿を下訳者に返して直させる翻訳者もいますが、スケジュールがつまっていると、そんな余裕がない場合が多いのです(ご存知のように、私は時事問題をテーマとするノンフィクションの翻訳が多く、たいていは時間と競争で仕事をすることになります。下訳を使う場合でも、パソコンのディスプレーで原稿を直すので、下訳者の原稿のどこを直したのか、いちいち訳本と照合しなければわかりません)。とにかく、自分の原稿がどういうふうに直されたかを知ることは、翻訳のプロをこころざす人間にとって、何よりも貴重な教訓の源泉だと心に銘記しておきたいものです。




不精な翻訳者 2002.10

  『英和翻訳表現辞典』(中村保男著、研究社刊)という本はご存知だろうと思う。私が初めて翻訳について書いた『私の翻訳談義』のなかでも紹介している。実際に読んでいる人も多いのではあるまいか。この本はすでに正続2巻が刊行されているが、このほど「新編」と銘打って既刊の2冊を合本にするだけでなく、増補改定作業をほどこしたものが刊行されている(今年の8月半ばに出版されているのでいささか旧聞ではあるが、なにぶん沖縄の新聞には本土の新刊書の広告が滅多に掲載されないし、それを入手するにはひどく時間がかかるのだ)。

 これは「辞典」と銘打たれているが、普通の辞書のように引くものではなく、任意に読むことによって(好きなところを拾い読みしても著者の意図は充分に伝わる)英語の単語の意味を改めて考える手がかりを与えてくれる。その点、翻訳を生業とする人間にとって、英語と日本語の関係を考えるうえで参考になる。プロの翻訳者にはとても有益な読物だと思います。

 改めて考えるまでもなく、まともな翻訳者なら英和辞典の訳語をそのまま鵜呑みにするのではなく、文脈に応じて自分なりの訳語を考えるのは毎日の仕事の重要な手続きのはずだ。だから、それぞれが工夫をこらした「翻訳表現辞典」のようなものをもっているだろう(自分なりにつくっている――ふだん使う英和辞典に書きこんだりする――人もいる)。前記の著書にも、私はこの辞典を紹介するときに、そういう意味のことを付記しておいた。この新版の序文でも、著者はそのことに触れ、以下のように書いている。「読者は本書を個々の語句の意味を知るために引く辞書として利用するよりも、あくまでも、自分が翻訳者として当面 している英文中の語句をその文脈内において把握し、関係づけ、最高度に適訳する習慣、能力、素養を身につけるための『読む辞書』として通 読されることを私は希望する」

 ところで話は変わる。中村氏や私などはごくありふれたやさしい単語についても、それが使われている文脈を念頭においてよく考え、「最高度に適訳をする」べく努力しているわけだが、最近、それとはまったく反対の態度で翻訳しているとしか思われない翻訳にぶつかった。つまり、辞書の訳語を機械的に原文と置きかえていって日本語らしいものにしたような翻訳である。書名と訳者名をあげることは控えるが、どういう問題があるかを以下に略述して、皆さんの参考に供したいと思う。(この原著はたまたま私も読んでいて、本が手元にあるので引っかかったところを原書と照合してみたわけだ。)

  「1語1訳主義」という言葉をご存知だろうか。一般的な語彙ではないが、翻訳をする人ならきっと1度くらいは耳にしたことがあるだろう。いう意味は、英語のある単語について文脈にかかわらず、いつも同じ訳語を当てはめる不精な翻訳者にぶつかって、誰かが考えだした否定的な評言である。if とくればかならず「もし」と訳すし、because とあれば、どんなときでも「なぜならば」と訳す人は、まさに「1語1訳主義者」と言われてもしかたがあるまい。「もし」や「なぜならば」は訳さなくてもいい場合が多いものだ(テキストにでてくる ifをすべて「もし」と訳すのは、思慮ある人間のすることではありません)。ところが「1語1訳主義者」は原文にif や because があると、いつも機械的に「もし」あるいは「なぜならば」と書いて翻訳しているつもりになるらしい。

 それで、私がぶつかった「不精な翻訳者」の場合だが、この人はどいうわけか idea をかならず「発想」と訳し、approach をことごとく「手法」と訳している。さらに morale をカタカナで「モラル」と訳しているのだが、これは明らかに間違いというか、何も考えずに翻訳している証拠ですね。訳文に「モラルが低下する」という表現があるのだが、日本語でカタカナ表記される「モラル」を、日本人はおおむね「道徳」の意味に解するはずでしょう。moral と morale は明らかに違う言葉なのだが、この人はそんなことすらわきまえずに翻訳しているとしか思われない。とにかく、この場合は「士気」という意味に解するべきだろう。

 この訳者が使っているカタカナ語にはもう一つ「コンセンサス」がある。これも訳しにくい言葉であり、文脈によって訳し分ける必要がある。ところが、この人の場合、終始一貫してカタカナ表記の「コンセンサス」一本槍である。「コンセンサス」ではいけないと言うのではないが、ほかにも訳しようがありはしないか。ついでながら、中村氏の本の consensus の項を引用するとこうだ。「これを訳せば『合意』とか『総意』となる。どちらも『大英和』に出ている。national consensus は『国民の合意』ということである。それが、一定の団体内部での consensus ならば『統一見解』と訳せる」。

 もうひとつ例をあげようか。manager という言葉は経済ないし企業ものに頻出する言葉で、やはり訳しにくい言葉のひとつだ(すでに日本語化していて、マネジャーとカタカナ表記してもいい場合もある)。ところが、この訳者はいつも「管理職」と訳してすましている。しかし、manager とか supervizer (この訳者は「監督」と訳している)は、うっかりするとどちらが上司でどちらが部下なのかわからなくなるから、よく考えて著者の意図を十分に忖度しながら訳出する必要がある。だが「管理職」というふうに大きく括ってしまったら、著者の意図などどこかへ行ってしまうだろう。

 さらに困ったというか、この小文の表題に付した「不精な」態度を如実に示しているのが、「複数語1訳主義」としか言いようのない、考えなしの機械的な置き換え翻訳である。どういうことかというと、英語の proper 、relevant 、appropriate という形容詞をことごとく「しかるべき」という日本語に訳していることである。だから訳文には「しかるべき」が頻出する。この「複数語1訳主義」にはもうひとつおまけがあって、corporation と company はすべて「企業」で片づけられている。「企業」と「会社」は、意味もニュアンスもちがうはずなのだが。これらについてはコメントなど無用と思うので、さらに書くことを控えよう。だが、こんな人が翻訳者としてまかり通 っているのを見ると、まったく情けなくなる。

 翻訳は、英文読解にも日本語の表現にも細部まで神経が行き届いていなければならず、つねに律儀さが要求される仕事であって、「不精」な人、頭の働きの鈍い人にはまったく不向きなのです。ともあれ、考えることにまで「省エネ」をこころがける必要はあるまい、と思うのだが。前記の『私の翻訳談義』が文庫になったとき、「文庫版あとがき」というものを書かされた。そのとき、初版のハードカバーが出版されたときから4年あまり経っていたのだが、私はそのなかにこう書いている。「以前にくらべて翻訳の質がかなり向上しています……(多くの翻訳書が)普通 の日本人が充分に理解できる日本語に訳されており、安心して読めるようになりました」と。ところが、まだこういう人が翻訳をしているのだから、とても安心できるどころではない。まったくうんざりしてしまう。




司馬遼太郎、再読 2002.11

 このところ、司馬遼太郎の諸作品を読み返している。司馬文学は高校生のころから読みはじめ、代表作はほとんど読んできたのだが、最近『街道を行く』の「沖縄・先島への道」を手に取ったのが再読しはじめたきっかけである。『街道を行く』は週刊誌に連載されていた当時、ときどき読む程度だったが、初めての土地を旅行するときに一種のガイドとしてその旅に該当する司馬さんの紀行文を読む習慣がついていた。それが、このたび思い立って文庫版全43冊を読破してしまった。そして興にかられ、未読だった『俄』や『峠』などの小説に手を出したあと、初期の『梟の城』から再読しはじめて、ようやく『竜馬がゆく』を読み終えたところである。

 司馬作品の魅力など、私ごときがことあらためて論じるまでもないが、若いときにくらべて読後の印象がずいぶん変わったことを痛感している。20代から30代にかけて読んだものを60代に読んだら読後感が変わるのは当たり前の話で、変わらないほうがどうかしている。若いときのことを思い返してみると、私にはどうも「面 白すぎる」作品を軽く見る傾向があったようだ。とにかく、司馬遼太郎の作品は「読みはじめると癖になる」とよく言われるくらい「あとを引く」ものだった。そのために、引きこまれて読みながらも、司馬文学の世界に没入することへの抵抗感が終始つきまとっていたようだ。生意気ざかりだから仕方がないといえば仕方がないのだが。それで同時に、よくわからないままサルトルやカミュやニーチェなどの著作の翻訳に手をだして熱心に読みもした。これはこれで、若輩の背伸び効果 みたいな作用があって、多少は私の成長に役立ったのかもしれない。このたび再読しはじめてから、司馬遼太郎の文学は大人のものだったのだと、やっと合点がいったしだいである。

 さて『竜馬』だが、今度読んで最も強烈な印象を受けたことは、「日本人」という存在をはっきりと意識して行動したのは近代日本では竜馬が最初ではないかという記述だった。徳川幕府を存続させていくことが第一義である幕藩体制下にあって、人はかならずどこかの藩(武士でなければその藩の農工商のような階級)に帰属していたのだが、その世界では日本人という意識などもちようがなかった。誰しも「長州藩」あるいは「薩摩藩」ないし幕府の人間であって、それ以外の何ものでもなかったし、だからといって不都合なこともなかった。

 ところで、考えてみるとざっと300年もつづいた幕藩体制(およびその遺制を引きずっていた明治、大正、昭和という時代)は、いまだにわれわれの心のあり方に深く影響しているのではないか。容易に善悪の判断がつくことでも、自分が身を置いている組織の利益のためとあれば平気で悪事に加担しながら恬として恥じないのは、誰しも「自藩(自分の属する会社あるいは組織)」のために行動したという意識が働いているからだろう。竜馬の言うように「大統領が女中の給金を心配する」というような認識は、誰ももつはずがないのである。しかも、これは企業などの利益集団にかぎったことではなく、政府の省庁や地方自治体にしても同じであることは言うまでもない。

 では、封建時代に生まれ育った竜馬が、なぜ「日本人」という抽象的かつ近代的な視点をもちえたのだろうか? 資質とか天才的な洞察力ゆえと言ってしまえば身も蓋もないが、これには黒船渡来という時代背景とともに、2度の脱藩が大きく影響しているのではないか。つまり竜馬は、上士と郷士という階級的な上下関係が厳しく規定されている土佐藩に愛想をつかして脱藩し、浪人(つまりフリー)になったのである。そうなれば、何をするにしても「藩のため」をはかるというような制約はなくなり、まったく自由に考え、行動することができる。「攘夷」にしても「開国」にしても、世界対日本という視点から考えるので、同じ浪人でもいわゆる勤皇の志士たちとはまったく異なった視点が生まれるゆえんである。

 フリーであることの利点は、会社のような組織に拘束されることなく、かなり自由な発想ができるところにあるのだが、不利なことも多い。勝手に藩を離れれば、体制にそむいた罪人として追及されることはさておくとして、禄(つまり給料)を保証されないから、食っていくのにも不自由する。竜馬の場合、実家が豊かだったこと、竜馬の考え方が当時の開明的な人びとに支持され、また脱藩した土佐藩にも彼の考えが受け入れられるようになった(竜馬は2度の脱藩について、本人は望みもしないのに、いずれも藩のほうから一方的に帰参を許されている)ということが、自由に活動するうえで大いに役立っているのだが。

 工業化をとげ、情報化時代に入りつつある現代の日本にあって、われわれはフリーで仕事をしているが、ときにはフリーであることの意味を深く考えてみるのも悪くはないと思ったことである。




映画の題名 2002.12

 私の仕事場がある沖縄の那覇には、10軒ほど映画館があります。ほとんどが外国映画の上映館で、邦画は滅多にかかりません(邦画は『ナビーの恋』とか『豚の報い』など沖縄を舞台にしたものが多い)。ある日、仕事に飽きて、たまには暗い映画館で気を鎮めようかと思い、新聞の映画広告を見て驚いた。なんとカタカナ題名の映画ばかりが10本もありました。曰く『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』、『マイノリティ・リポート』、『セレンディピティ』といったぐあいで、邦訳された題名はなし。

 そういえば、志摩さんも映画の題名について書いていましたね。たしか『ロード・トゥー・パーディション』でした。(話は変わるが、志摩さんのホーム・シアター導入記を読んで、感想を書き始めたところ、やたらに長くなったのはともかく、キー操作を間違えてテキストを消してしまった。たいしたことを書いたわけではないけれど、ちょっと心残りです。いつまでたってもPCの操作に慣れないようだ。情けない。)

 アメリカ映画の原題をカタカナ表記するについては、アメリカからそういう要求があるからだと聞いたことがあるが、昔はこうではなかったな。『若草物語』『哀愁』『虹を掴む男』などは中学生のときに観たのだが、原題とずいぶん違うのでびっくりしたものです。考えてみると、翻訳ということを意識したのはこのときが初めてだったかもしれない。日本人に受ける題名を考えるのは、洋画輸入業者の腕の振るいどころだったのでしょう。

 翻訳といえば、文学書の題名にも大胆な意訳が多かったように記憶しています。当時のそういう風潮をからかった新聞のコラムを読んだこともある。たしかヘルマン・ヘッセの邦訳作品の題名が原題からひどくかけ離れ(題名だけでなく広告のコピーもそうだった)、「美しき魂」とか「悩み多き」とか「郷愁」といった言葉が多用されているのに目くじらを立てた人が、「本にそういうタイトルをつけて若い読者を釣ろうとしているのだろうが、それならばいっそのこと『悩み多き魂の美しき黄昏の郷愁』とでもすればベストセラー疑いなしだろう」とからかったものです。

 ともあれ、そういう風潮はいまやすっかり影をひそめてしまいましたね。  いつのことか忘れたけれど、私がフリーの翻訳者になってからだから30年くらい前だったと思う。いまは作家になっているKという人が、若き日の手遊(すさ)びか食うためかどうかは知らないが、さかんに翻訳をしていました。このK氏はたしかハワイ生まれで、英語に堪能だということです。それかあらぬ か、彼の訳文は非常にカタカナが多く、いまでも記憶に残っています。たとえば「ファミリー・シーン」とか「ドラッグ・シーン」というぐあいです。(もちろん映画の話ではありませんよ。映画の「ラブ・シーン」はもう日本語ですがね。)「なんとかシーン」という言い方、当時はよく使われ、私などは訳しにくくてしかたがなかった。だから、K氏の翻訳を見て「ずるいや」と思ったものです。

 ところで、われわれの翻訳に話が移ります。現在のカタカナ多用の風潮のせいか、いまの翻訳(映画の題名ではないよ)もカタカナ表記がとても多い。「パラダイム」とか「イニシアティブ」は、かならずと言っていいほど日本語に訳されませんね。ほかにもたくさんあるが、こういう言葉を原語のままカタカナ表記するについては、もっともな理由があるかとも思います。たんに訳しにくいということのほか、日本語では英語(ドイツ語ないしフランス語、またはその他の外国語)が専門分野ごとに違った言葉になる。かつて学際ということが言われたが、このごろはどんな本もあるジャンルのものとしてくくりにくい。そのために、うっかりすると間違った訳語を使ってしまいかねない。特にアカデミックな本では、そういう専門用語の使い方がやかましい。それで原語のカタカナ表記を使って、日本語の意味は読者に下駄 を預けたほうが無難という考えによるのだと思います。

 しかし、われわれの(一般読者を対象とした本の)翻訳では、そういう配慮は無用どころか、むしろ文意が曖昧になるので避けたほうがいい、というのが私の考えです。(映画の題名の場合は少し話が違うと思うけれど、長くなるのでそのことはまた別 の機会に書きましょう。志摩さんの文章の感想にはそのことも書いていました。)最近訳した、私としては初めてと言ってもいいビジネスの自己啓発書のなかに、やはりその点を指摘している一節があって、我が意を得たりと思ったしだいです。取引や意思決定の場できちんと定義されていない、つまり意味について共通 認識のない言葉を使えば話が通じにくくなるのは当然だし、成立する契約もまとまらなくなるどころか、あとで悶着の種になりかねない。われわれはカタカナ表記について慎重を期すべきだというのが、私の言いたいことです。

 今年は毎月のように翻訳の「あら捜し」をしてきたようです。そのせいか、ここに書いた文章を読んだ人から、「あれは私のことですか」と言われたことが何度かありました。誰かの翻訳について感じたことを述べた例もないとは言わないが、たいていは買った本からひろった翻訳の問題を取り上げたのです。少しは役に立つかと思ったからだけれど、あまり役に立たないようですね。「あれは私のことですか」と聞いてきた人は、自分が批判されたと感じたらしい。それで「あれはこういうつもりだった」などと、しきりに弁解していました。しかし、あえて言うけれど、私はその人が自分の欠点を認識して、変わると思わなければ批判などしません。何を言っても同じままだろうと思えば、批判などするわけがない。誰しも批判されれば面 白くないとは思います。だが何かで批判されたとき、それを自分の人格にかかわることのように受け取るのはどうだろうか。自分ではその「つもり」であっても、読む者にその意図が伝わらなければ意味がない。とはいえ、人はさまざまです。今月は一年の締めくくりの12月。来年のことを言うと誰かが笑うそうだが、来年からはこのHPもリニューアルするらしい。それを機に、来年はもう翻訳について書くのはやめようと思っています。